メッサー・イーレフェルトはヴァールの暴走により全滅した惑星アルヴヘイムの生き残りだった。
メッサー自身もその時にヴァール化しており、当時ワルキューレのエースであったカナメの歌声で自我を取り戻し、瀕死のところをアラドによって救出された経緯を持つ。
ワルキューレの歌声はヴァール化を抑制、予防することができる。しかし一度発症してしまった場合、根本的な治療法は見つかっていない。
いつまた戦場でヴァール化してもおかしくない上、最悪の場合には風の歌で操られる可能性もある。戦争の最前線であるΔ小隊から他星系への転属が決まるのも自然な話ではあった。
退院まで半ば病室で軟禁状態だったトリガーがメッサーと顔を合わせたのは退院翌日、メッサーが転属する前日であった。
小言を貰いながら任務に復帰する旨をアラドやアーネストに報告し、病み上がりの肩慣らしにシミュレーター訓練でもしようかと訓練室へ向かっていたところで、荷物を纏めに訪れていたメッサーと通路で出会したのだ。
無言のまま互いに相手の様子を伺うトリガーとメッサー。どちらもお喋りな
先に口を開いたのはトリガーだった。
「少し、お時間頂けますか?」
「……構わない」
メッサーの了承を得てトリガーはいつかハヤテと話した休憩室に向かう。今の時間帯ならば誰に気兼ねなく話すことができるだろうという魂胆だった。
いつかのようにトリガーが缶ジュースを二人分購入しようとして、逆にメッサーに奢られるという一幕があったものの、二人は改めて面と向かい合った。
「この前はすまなかった。迷惑をかけたな」
「いえ、身体の具合は大丈夫ですか?」
「問題ない。今のところはな」
「そうですか……」
見る限り目の前のメッサーは健常そのものであった。しかし感情の昂ぶりや興奮によって症状が再発してしまうのは、空中騎士団の空襲時に判明している。Δ小隊としてウィンダミア軍との戦争に参加することは不可能だろう。
「転属先はララミス星系でしたか」
「向こうのケイオス支部で教導官を務めることになっている」
ララミス星系はヴァールシンドロームの発症もほぼないため、ヴァール化リスクという面では安心できるだろう。本人が教導官の立場に納得できているかは不明だが。
短い期間とはいえ共に戦場を飛び、模擬戦も何度かこなしている故にトリガーはある程度メッサーのことを理解している。途中で戦線から離脱して仲間を放り出さざるを得ない状況に納得しているとは到底思えなかった。
安易な慰めの言葉に意味はないだろう。ない頭を振り絞った末にトリガーは口を開いた。
「ウィンダミアとの戦争が終結すれば、ラグナに戻って来られるんですか?」
トリガーの言葉にメッサーは珍しく仏頂面を崩した。
「……転属願を出せば、受理されるかもしれないが」
「なら、メッサー中尉が戻ってこられるように一日でも早く戦争を終わらせますよ」
目を丸くするメッサー。よもやそんな言葉を掛けられるとは思ってもみなかったのだ。
メッサーは他人から見て好かれやすい、慕われやすい人間ではないと自覚している。いつも無愛想で堅物な態度や、戦場でのシビアな価値観は万人受けするものではない。
現にハヤテからは反骨精神を剥き出しにされ、ミラージュやチャックからも少なからず苦手意識を持たれているとメッサーは思っている。実態はそこまで酷くなく、Δ小隊や他ケイオス社員からの信頼は厚いのだが。
戦争を経験した軍人であるトリガーからすればメッサーの在り方は反発を覚えるようなこともなく、むしろ割と好ましい類の人間だと考えていた。空での理解が進んだことで、メッサー・イーレフェルトという男の本質を半ば察しているのもある。
しばし呆けていたメッサーであるが、ややあって表情を普段の無愛想なものから穏やかなものへと変えた。
「期待しておく」
真に受けたわけではないだろうが、それでもメッサーの返事には少なからず期待が込められていた。
Δ
軽い肩慣らしがてらのシミュレーター訓練を終え、手持ち無沙汰になったトリガー。エリュシオン内部に流れる何処となく浮かれた空気に首を傾げながら、久しぶりに展望スペースで空を眺めようかと考えた。
「あ」
展望スペースへ向かう道中、見覚えのある後ろ姿を見つけてトリガーは思わず反応する。トリガーの声に通路の先を歩いていた美雲が振り返った。
「あら、もう解放されたのね」
「人を囚人か何かみたいに言うのはやめてくれないか」
「無断で病室を抜け出して勝手に出撃するような人は囚人と変わりないと思うけど?」
「……仰る通りで」
医療施設を抜け出して出撃したのは紛れもない事実であり、トリガーに自分を擁護できる要因はなかった。
「今日はもう上がりか?」
「ええ、お祭りがあるから早く終わったのよ」
「祭り?」
聞き覚えのない話にトリガーは疑問符を浮かべる。
「ラグナの海神を讃える祭り。少し前から準備期間に入っていたけど、あなたは入院していたから知らなかったのね」
「なるほど、どうりでみんな浮かれているわけだ」
エリュシオン内に漂う浮ついた雰囲気に納得し、トリガーは迷うことなく不参加を決めた。人混みに突撃するよりかは、のんびり空を眺めている方が性に合うのだ。
「参加しないの?」
「遠慮しておく。美雲こそ、祭りに出ないのか?」
「私が参加するように見える?」
「いや、全く」
そもそも祭りに参加する気があるのなら、今この場にはいないだろう。
美雲も目指す場所はトリガーと同じらしい。二人は特に示し合わすこともなく、肩を並べて展望スペースへと足を向け──
「トリトリとくもくもはっけーん、確保ー!」
「捕獲、強制連行」
何処からともなく現れたマキナとレイナの二人に腕を取られた。
「はーい、トリトリは強制参加です。男手が足りなくて困ってたんだよね」
「いや、俺は病み上がりだから遠慮しておきたいなぁ」
「元気に訓練していた人に拒否権はありませーん」
「裏目に出たか……」
もう少し病み上がりらしく大人しくしておくべきだったと後悔するも遅い。バイタリティの塊のようなマキナによってずるずると引き摺られていく。
「美雲も参加しよう。みんな喜ぶ」
「遠慮しておくわ。私が参加しても、楽しい空気に水を差すだけよ」
例によってクールな態度のまま美雲はレイナの誘いを断る。美雲の性格を知っている二人はいつもならここで引き下がるが、今日は勝算があるのか食い下がった。
「でもでも、せっかくのお祭りだよ? くもくもとも思い出作りしたいな〜」
「場違いなんてない。美雲が来たら大歓迎」
引き下がらないマキナとレイナに戸惑う美雲。ワルキューレの仲間であるマキナとレイナをむげにもできず、珍しく対応に困っていた。
美雲の反応から後一押しと見てマキナが奥の手を使う。
「明日でメサメサは転属しちゃうし、今日くらいはみんなで楽しく過ごしたいなーって」
「……その誘い方は卑怯じゃない?」
今日まで互いに助け合ってきた仲間の門出を祝うため、などと言われて断ったら普通に嫌な奴である。美雲がジト目になるのも無理からぬ話であった。
メッサーに対して美雲は隔意などなく、Δ小隊としてワルキューレを守り続けてくれたことには感謝していた。メッサーを見送るためと言われてしまえば、然しもの美雲も否とは言えない。
「顔を出すだけよ」
「十分だよ! あ、でもみんなで写真くらいは撮りたいかも」
「最高に映える一枚を撮る」
美雲の参加表明をもぎ取ったマキナとレイナは有頂天である。普段はこの手のイベントに一切参加しない美雲を誘えたのだ。喜びも一入だろう。
マキナとレイナにそれぞれ手を引かれるトリガーと美雲。両者共に目を離すとすぐに雲隠れするため、警戒されているのが見てとれた。
目を盗んで逃げることはできないと悟ったトリガーと美雲。祭りの喧騒を想像して若干憂鬱になった二人分の溜め息が重なった。
Δ
ラグナの海神様を讃えるクラゲ祭り。出店や出し物で賑わうお祭りで、とある事情でカップルからも人気を博している。
ラグナ人の気質もあってかお祭りは大層盛り上がっており、特にチャックの店である裸喰娘娘の出店は非常に賑わっていた。フレイアが店先で歌いながら看板娘をしている影響が大きいのは間違いないだろう。
マキナに連れられたトリガーは裸喰娘娘の出店にてひたすらくらげ饅頭を焼いては並べるという労働に従事することになった。
客入りが多くなればなるほど焼く饅頭の数は増え、トリガーは交代要員のハヤテが来るまで遠い目で饅頭を焼くだけの機械と化していた。
ハヤテとバトンタッチした後は自由行動を貰い、駄賃代わりのくらげ饅頭を一串片手に人気のない場所を探し求めて彷徨い歩く。最終的に辿り着いたのは祭りの喧騒からやや離れた船着場の物陰だった。
階段を椅子代わりに腰を落ち着け、ふぅと一息つく。慣れない作業に疲れたのもあるが、単純に人混みに酔っていた。
このまま自由時間を休憩に当ててしまおうと考えるトリガー。祭りを楽しもうといった思考は元よりない。
裸喰娘娘名物のくらげ饅頭を齧りながら漆黒の海をぼんやり眺めていると、トリガーは背後に立つ気配に気付いた。
「暇そうね、おサボりさん」
「サボってない、ちゃんと働いた後だよ」
振り返ればやや疲労感を滲ませた美雲が立っていた。変装のつもりか髪型を若干変え、洒落た伊達メガネを掛けている。
「そっちは大変そうだったな」
「ええ、ほんとに……」
顔を出すだけのつもりで祭りに訪れた美雲を待っていたのはファンの軍勢であった。
美雲はワルキューレの中でも神出鬼没で謎の多いミステリアスクイーンと知られている。ライブ以外ではまずお目に掛かることが難しく、一目会えたならと思っているファンは少なくない。
そんな美雲がお祭りに現れたとなれば別の意味で祭りになる。
あっという間にファンに囲まれた美雲は、ファンの期待と求めにファンサービスで応じた。端的に言えば突発ゲリラライブの勃発である。しかも騒ぎを聞きつけたマキナとレイナ、フレイアまで乗り込む大盤振る舞いのスペシャルライブだ。
とはいえ祭りの趣旨を変えてしまっては元も子もないので、三曲程度で切り上げこうして撤退してきたのである。
気疲れを癒すために喧騒から離れたこの場所に訪れたのだろう。特に躊躇うこともなく美雲はトリガーと同じように階段へ腰を下ろした。
「その様子だと、祭りを回る気力はなさそうだな」
「元から回るつもりもないわ」
メッサーの顔を立てて参加表明した美雲に、カップルや子供のように祭りを楽しむ心積りは元からなかった。
穏やかに吹く潮風に美雲が心地良さげに目を細める。会場で歌っていなければ今この場で歌い始めてもおかしくない様子だ。
トリガーも美雲に倣って船着場の穏やかな静寂に身を預け、くらげ饅頭をまた一つぱくつく。
二つ目を食べ終えたところでトリガーは横合から視線を感じた。美雲が横目にトリガーの持つくらげ饅頭をじいっと見つめていた。
「食べるか? 結構美味しいぞ」
裸喰娘々の名物だけあって味は折り紙付き。くらげを模した見た目で目を楽しませ、パリッとした焼き目が良いアクセントになっている。フレイアの呼び込みがなかったとしても相応の売上は出せていただろう代物だ。
美雲はどうするか僅かに悩むも、歌ったことで小腹が空いていたのもありトリガーから串ごとくらげ饅頭を受け取った。
串刺しになったくらげ饅頭と見つめ合う美雲。串焼きの類を食べたことがないのか、何処から口を付けていいのか戸惑っている様子だ。
トリガーがジェスチャーで食べ方を見せれば、美雲は見よう見まねでくらげ饅頭を口に運ぶ。そして微かに目を開き、その場で硬直した。
「口に合わなかったか?」
「……いいえ、美味しいわ」
「そうか。チャック少尉に伝えとくよ」
裸喰娘娘はチャックが経営する店である。ワルキューレの美雲に料理を褒められたならば、喜ぶことは間違いないだろう。
いつになく穏やかな表情で、美雲はゆっくりと自分のペースで味わうようにくらげ饅頭を食べ進める。
邪魔をするまいと星空を仰ぐ人になっていると、トリガーは背後から忍び寄る二人の気配を察知する。目線だけで後方を確認すれば、悪戯っぽい顔をしたマキナとレイナが四人分のペットボトルを手に忍び寄ってきていた。
ペットボトルを手にしながら器用に人差し指を立てて口元に持っていき、マキナが静かにとジェスチャーする。意図を察したトリガーは呆れつつ、横目に美雲の様子を伺う。
普段ならば気付くだろう美雲はくらげ饅頭に夢中だ。一歩、また一歩とにじり寄るマキナとレイナを全く感知できていない。
まあいいか、とトリガーは素知らぬ振りをして空を見上げる人に戻る。楽しそうな二人の邪魔をするのも悪いし、何より美雲がどんな反応をするのかも少し気になったからだ。
気配を潜めて忍び寄るマキナとレイナ。十分な距離を詰めたと見るや、それぞれがキンキンに冷えたペットボトルを差し出して──トリガーと美雲の首筋に当てた。
「ひゃあ!?」
「「「……ひゃあ?」」」
突然の冷感に目を剥いて飛び上がる美雲。放り投げられたくらげ饅頭はトリガーが落下前に救出した。
常のクールで凛然とした態度からは想像もつかない可愛らしい悲鳴に唖然とする一同。特にワルキューレとしてそれなりに付き合いの長いマキナとレイナは、悪戯を仕掛けたことも忘れるくらいの衝撃を受けていた。
美雲はマキナとレイナ、そして二人の手にあるペットボトルを確認して状況を理解する。同時に自分が晒した痴態も理解し、微かに耳先を赤くした。
最初に想定外のリアクションによるショックから回復したのはレイナだった。
「美雲の激レアリアクション、超ギャップ萌え。ヤバすぎ」
「きゃわわを通り越して昇天しちゃうかと思った……!」
レイナに続いて復帰したマキナが興奮混じりに言えば、羞恥から美雲の白い頬にすっと赤みが差す。その反応が二人に油を注ぐと分かっているのだろうか。
「「もあラブリー……!」」
「あなたたちねぇ……」
冷静さを取り戻したのかトリップしているマキナとレイナをジト目で睨み、次いで平然としているトリガーへと鋭い視線を向けた。
「気付いていたでしょ」
「まあな」
恨みがましい目を向けてくる美雲に、トリガーは微苦笑を浮かべて受け流す。いつも揶揄われることへの意趣返し程度に考えていたが、想像以上の美雲の反応に少なからず衝撃を受けていた。
──なるほど、これがギャップ萌え……。
普段との落差ゆえに生じる萌えなるものの真髄を理解したトリガー。今日一日は美雲に何を言われても負ける気がしなかった。
「……覚えてなさい」
「忘れておくよ」
余裕の態度のままトリガーはくらげ饅頭の串を差し出す。物言いたげな表情のまま美雲は串を受け取り、半ばやけっぱちに饅頭を頬張った。もう他人の目を逐一気にして食事をするようなことはないようだ。
トリガーと美雲が気の置けないやり取りを交わしていると、不意に付近一体の照明が一斉に落ちた。
反射的に服の内側に仕込んだコンバットナイフに手が伸びるトリガー。しかし美雲たちが焦っていないこと、祭り会場でも特に騒ぎが起きていないことから警戒を解く。
「やっと始まったね」
きゃいきゃいはしゃいでいたマキナが思い出したように正気に戻った。
「何が始まるんだ?」
「それは見てのお楽しみ」
はぐらかすような物言いにトリガーは首を傾げつつ、促されるまま海へと目を向ける。
特に何の変哲もない夜の海を眺めていると、ぽつりぽつりと淡い光が灯る。光は徐々に数を増やし、やがて海面から旅立つように浮かび上がった。
光の正体はクラゲだ。淡い光を灯した無数のクラゲが、ゆらゆらと揺らめきながら夜空へと昇っていく。幻想的な光景にトリガーは言葉を失っていた。
「お祭りの夜に、クラゲの下で愛を誓い合った恋人は永遠に結ばれる。ロマンチックだよね」
「そうだな……」
目の前の絶景に目を奪われているトリガーは殆ど上の空だった。夜空の星々が降りてきたかのような光景に、胸中では子供のようにはしゃいでいる。
「……あれは」
ふと、トリガーは絶景の中に見覚えのある人影を二つ見つけた。
船着場の桟橋の一角で肩を並べて夜空に昇るクラゲを眺める男女──メッサーとカナメだ。
周辺一体が暗く位置も離れているので表情までは読み取れないが、二人の間には和やかな空気が流れているように感じられた。距離感も普段より近いように見える。
「メサメサはカナカナの歌で救われたから、カナカナのことが大切なんだと思う。自覚はしてなさそうだけど、好きなんじゃないかな」
トリガーは目を丸くしてマキナを見やる。男女の機微に聡いつもりはなかったが、メッサーからカナメにその手の感情があったとは思っても見なかったのだ。
しかし思い返せば、戦場にてメッサーは時折カナメの様子を伺っていることがあった。あれは守るべきワルキューレであると同時に、カナメ個人を心配してのことだったのだろう。
大切な人を自分の手で守れなくなる。メッサーは今、どんな想いでカナメの隣に立っているのだろうか。本心はきっとメッサー本人にしか分からない。
ただ、トリガーは改めて決意した。一日でも早く戦争を終わらせて、メッサーが大手を振って戻ることができるようにすると。
幻想的な光景には似つかわしくないトリガーの横顔を、美雲だけが静かに見つめていた。