マクロスΔ 未知なるソラへ    作:矢野優斗

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再起の三本線

 マクロス・エリシオンに併設されたワルキューレの楽屋兼更衣室。ハードなレッスンを終えたワルキューレが銘銘に一息ついていた。

 

 ウィンダミア人でありながらあまり運動神経のよくないフレイアはシャワーもそこそこに、着替え終えるとベンチにへたり込んでいる。まだまだ新人で体力的に厳しいのもあるだろう。

 

 マキナとレイナは肩を寄せて何やら端末と睨めっこしている。時折交わされる言葉の内容が聞こえてくるが、フレイアには専門用語過ぎてちんぷんかんぷんであった。

 

 美雲は手早くシャワーと着替えを済ませ、その後は更衣室の一角にて瞑想に耽っている。背筋をピンと伸ばして微動たりともしない姿は、何処となく神秘的で話し掛け難い雰囲気を纏っていた。

 

 そしてカナメは誰よりも早く身支度を整えると一足先に更衣室を後にしようとする。その背中をマキナが呼び止めた。

 

「カナカナ、今日もメサメサのお見舞い?」

 

「うん。といっても、様子を見にいくだけだけどね」

 

 カナメはレッスン後や仕事終わりに必ずといっていいほどメッサーの見舞いに足を運んでいる。心配という面もあるが、ふとした拍子に目を覚ますのではないかという淡い希望もあった。

 

「早く目が覚めるといいね。案外、カナカナの歌声で起きちゃったりして」

 

「ふふっ、そうだったらいいんだけどね……ありがとう、マキナ」

 

 冗談混じりとはいえマキナの気遣いに微笑みを返し、カナメはメッサーの元へと向かった。

 

 カナメが居なくなると途端に静寂が更衣室を支配した。マキナの相方たるレイナは端末の操作に集中しており、元気が取り柄のフレイアはレッスンの疲れでダウンしている。無言の空間が生まれるのも無理からぬ流れだった。

 

 沈黙の空間を破ったのはマキナだった。瞑想の途中に悪いとは思ったものの、マキナには美雲に尋ねたいことがあったのだ。

 

「くもくもはトリトリと最近話してる?」

 

「……なぜ私に聞くのかしら」

 

 薄目を開けて美雲はまっすぐマキナを見据えた。

 

「二人は仲良さそうだし。それに、実験で何度か顔を合わせてるなら、少しは話してるんじゃないかなって」

 

 ここ最近のトリガーは、業務時間中は無節操に様々な分野の技術を学ぶために忙しくしており、業務時間外になるとふらっと姿を消してしまう。まるで美雲のような神出鬼没振りなのだ。

 

 マキナも何度か会話を試みたものののらりくらりと躱されており、まともに会話すらできない日々が続いていた。

 

 前々から親しげな様子の美雲なら、トリガーの現状を何かしら知っているのではないか。そんな希望的観測から美雲に尋ねたのだ。

 

「悪いけど、アル・シャハル以降は私もトリガーと話してないわ。実験で顔を合わせても、お互い話すようなこともないもの」

 

 いっそ冷たくすら感じる美雲の態度に、マキナは少なからずショックを受ける。美雲は少なからずトリガーのことを気に掛けていたと思っていたのだ。

 

「トリトリのこと、心配じゃないの?」

 

「いつまでも子供の我儘に付き合っている暇はない」

 

「そんな言い方……トリトリは飛びたくても飛べなくなってるんだよ? いくらなんでも酷いよ、くもくも……」

 

 ドライを通り越して辛辣な美雲の物言いに、マキナは悲しげに眉尻を落とす。フレイアが裏切り者扱いに心を乱された時もそうだったが、美雲は言葉選びに容赦がなさ過ぎた。

 

 マキナからの非難混じりの視線を受けながら、美雲はぽつりと呟く。

 

「……本当に飛べないのなら、ね」

 

「え?」

 

 静まり返っていた更衣室に美雲の呟きはよく響いた。その意味をマキナが問いただすよりも先に美雲が続ける。

 

「飛ぶ気のない人を心配して足を止めている暇があるのなら私は歌う。私はそのために生きて、此処にいる。誰にも邪魔をされるいわれはない」

 

「くもくも──!」

 

 その言い回しは限度を越えていた。今の言い方では、トリガーだけでなく他の仲間や味方まで邪魔者扱いしかねないからだ。

 

 しかしマキナが言い募るよりも先に、ガタンと音を立ててフレイアが立ち上がった。

 

「……嘘ついちゃいけん」

 

 フレイアはレッスンの疲れなど忘れ、美雲の目の前に立つ。見上げる瞳の中では今にも爆発しそうな感情の嵐が吹き荒れている。

 

 普段とは様子の違うフレイアに美雲もマキナも息を呑み圧倒された。

 

「トリガーさんのこと、何も心配してないなんて嘘ついちゃいけんよ、美雲さん」

 

「……どうしてそう思うの?」

 

「だって美雲さんの歌、いつもは虹色なのにここずっと雲が掛かったみたいに暗くなってる。トリガーさんのこと、心配してるからじゃないんですか?」

 

「…………」

 

 美雲は否定も肯定もしない。無言のまま、固く瞼を閉ざしてフレイアの言葉に耳を傾けている。

 

「ワルキューレに入って、やっぱり美雲さんの歌は虹みたいにキラキラしてて、どんな時でもみんなを守って引っ張ってくれるすごい人なんだって思ってました。でも、それだけじゃなかった」

 

 胸に手を当ててフレイアは今日まで見てきた色を思い返す。蘇るのは七色に輝く眩しい色。しかしそこには、美雲の心を表すように様々な色が混じることもあった。

 

「美雲さんだってわたしたちと同じ人間で、楽しい時もあれば悲しい時もある。みんなの前では何も変わらないけど、歌の色は違ってた。燃えるような情熱の赤、楽しそうな明るい黄色、寂しそうな淡い水色……美雲さんにも、沢山の色があった」

 

 Δ小隊やワルキューレの面々が少なからず悲しみや不甲斐なさを態度に出していた中、普段と何も変わらない振る舞いだった美雲。だがそんなことはなかったのだ。

 

「全部曝け出すことなんてできない。わたしだって、伝えられないこととか、我慢してることがいっぱいあるから……」

 

 ワルキューレに憧れて身一つで故郷を飛び出してきたフレイア。抱えているものの大きさは計り知れず、時に潰れそうになってしまうこともあった。

 

 フレイアの言葉一つ一つに重い実感が籠っている。

 

「隠してもいい、誤魔化したっていいんよ。でも、自分の気持ちに嘘だけはついちゃいけん。自分に嘘をついたら、本音も分からなくなっちゃうから。だから──」

 

「──もう、いい」

 

 更に言葉を重ねようとしたフレイアを遮り、美雲はそっと手を伸ばす。細くしなやかな指がフレイアの頬に優しく触れた。

 

 目を白黒するフレイアに、美雲は少し困ったような微苦笑を浮かべる。

 

「ものの色を見る才能。あなたの前じゃ、どんな詐欺師も形無しね」

 

「くもくも……」

 

 今まで澄ました顔を貫いていた美雲が初めて心配の色を浮かべ、マキナが唖然とした表情になる。レイナも作業の手を止めて美雲の反応を見ていた。

 

 注目の的になった美雲は心配の表情から一転、普段の不敵な笑みを浮かべる。くるりと背を向けると更衣室の外へと足を向けた。

 

「待って、何処に……」

 

 思わずマキナが呼び止めると、美雲は肩越しに振り返り悪戯っぽく微笑む。

 

「我儘坊やを引っ叩いてくるわ」

 

 愉しげに言い残し、美雲は嵐を巻き起こして更衣室から去った。

 

 残された面々はしばし呆然としていたが、唐突にレイナが歓声を上げたことで再始動する。

 

「できたよ、マキナ。例のやつ」

 

「ほんとに!?」

 

 喜びの声を上げてマキナはレイナの隣に座り、手元の端末を覗き込んだ。

 

 何やら盛り上がり始めた二人に、色々と置いてけぼりをくらったフレイアはいそいそと近付く。

 

「あの、何ができたんですか?」

 

「アル・シャハル防衛戦の戦闘シミュレーションプログラム。当時の作戦空域のデータとマキナが用意してくれたΔ小隊全メンバーのフライトレコーダーのデータを突っ込んで、調整に調整を重ねて完成した」

 

「レイレイにしては結構手こずったね」

 

「トリガーのデータが異常過ぎて数値を安定させるのが大変だった。それも出来る限り収束させたから問題なし」

 

 一仕事終えたとばかりにレイナは一息ついた。

 

「でも、どうしてシミュレーションプログラムなんて作ったんですか?」

 

 戦闘後にデブリーフィングを実施することはあっても、シミュレーションプログラムまで組んで振り返ることは早々ない。ましてマキナとレイナがここまで労苦を掛ける必要性があることなのか。

 

 その答えはマキナから齎された。

 

「トリトリはどうしてメサメサを撃ったのか、ずっと気になってたんだ」

 

 当時の状況と通信データ、本人の証言からトリガーの攻撃はヴァール化したメッサーを無力化するためのものと結論付けられた。しかしマキナはそこに違和感を抱いたのだ。

 

「あの時のトリトリは動きがおかしかった。まるで、未来が見えてるような、そんな感じ」

 

「実際、未来が見えててもおかしくない動きをしてる。空中騎士団を堕とした時なんて、そうでもないと説明できない偏差射撃をしてるから」

 

 おかげでプログラムを組むのに苦労した、とレイナは愚痴っぽく呟いた。

 

「もしも未来が見えていたのなら、メサメサを撃ったのにも何か理由があるかもしれない。そう思ったから、レイレイに無理言ってお願いしたんだ……慰めにしかならないかもしれないけど」

 

 マキナとレイナは頷き合い、組み立てたプログラムを利用して考え得る可能性を確かめていく。

 

「トリガーがメッサーを攻撃していなかった場合どうなったか……その末路(こたえ)が、これ」

 

 数値を入力すると組み上げられたプログラムが動き出す。大量に注ぎ込まれたデータを元に動き出した戦闘シミュレートは、狂いなくもう一つの未来を弾き出した。

 

「──これって」

 

 導き出された結果にマキナは愕然とする。隣のレイナも珍しく表情を驚愕に崩していた。

 

 フレイアも端末に表示されたシミュレート結果を覗き目を見開く。示された可能性において、メッサーは寸分の狂いもなく心臓を撃ち貫かれていたからだ。

 

 トリガーの砲撃は白騎士の機銃よりも一瞬早く命中し、メッサーの機体を僅かながらに傾けていた。その結果、心臓を貫くはずだった弾丸は片腕を吹き飛ばすだけに留まった。

 

「もし、トリトリがこの未来を見ていたのなら……」

 

 トリガーはメッサーの命を救ったことになる。

 

 あくまでシミュレーション上の可能性の話である。しかしトリガーが本当に未来を見透かしていたのならば、メッサーは命を失わずに済んだということだ。

 

 衝撃的な結果に言葉を失う面々だが、誰よりも早く我に返ったマキナが勢いよく立ち上がる。

 

「確かめよう。もしかしたら、トリトリの翼を取り戻せるかもしれない」

 

「私もついていく」

 

「え、あ……え?」

 

 善は急げとばかりに更衣室を飛び出してしまったマキナとレイナ。タイミングを掴み損ねたフレイアはその場に残され、一人ぽつねんと立ち尽くす。

 

 置いてけぼりをくらったフレイアはどうするか考える。

 

 美雲は自分の心に嘘をつくことを止めてトリガーの元へ向かった。マキナとレイナはトリガーの翼を取り戻すために心を砕いていた。

 

 

 ──じゃあ、わたしは何ができる? 

 

 

 仲間を守るため、ワルキューレを守るため命懸けで飛び続けていたトリガーに自分ができること。考えた末にフレイアは結論を出す。

 

「……やれること、きっとある!」

 

 マキナとレイナに負けない勢いでフレイアは更衣室を飛び出した。

 

 

 Δ

 

 

 潮騒だけが響く夜の海辺。真っ暗な海と空の境界が曖昧な景色をトリガーは一人ぼんやりと眺めている。

 

 空を飛ぶことができなくなって以降、日が落ちては此処へ足を運び、何をするでもなく時間を潰していた。日暮以降の浜辺は人気が皆無で、誰に憚ることなく過ごすことができる数少ない場所だ。

 

 空虚なトリガーの瞳が見詰めるのは海と空の境界。月明かり揺らめく水面はまるで光の道のように星が煌めく空に繋がっており、今なら歩いてあの空まで辿り着けるような気がした。

 

 ぼんやりと突っ立っていたトリガーが、思い立ったように波打ち際へと一歩踏み出して──

 

「──その先に進んでも、辿り着くのは暗い海の底よ」

 

 背中に投げ掛けられた声にトリガーは凍り付いた。

 

 錆びた歯車のように首を巡らせば、ラフな格好をした美雲が立っている。普段ならば接近を察知できただろうにできなかったのは、偏に気もそぞろで周囲への警戒が疎かになっていたからだろう。

 

 唐突な美雲の登場に心臓が止まりそうになったトリガーは、ふぅと一息ついて美雲に向き直った。

 

「よくここが分かったな」

 

「夜の海は空を反射する鏡になる。ここ以上に空を近くに感じられる場所は他にないわ」

 

 的確にトリガーの思考を読んだ上で居場所を突き止めた。探偵もかくやの芸当だ。

 

 そうか、とトリガーは感心混じりに呟き水面に映る空を見やった。

 

「……空に憧れた大馬鹿野郎がいた」

 

 唐突に語り出したトリガーに、美雲は口を挟む事なく耳を傾ける。

 

「無限に広がる大空に在ることだけに腐心して、それ以外のあらゆるをものに無関心だった。空に居る時だけ、生を実感できたんだ」

 

 誰にも信じてもらえず元大統領殺しの濡れ衣を着せられ、懲罰部隊へと配属されて命を投げ捨てるような過酷なミッションに身を置くことになった。

 

 不満や憤りがなかったと言えば嘘になる。だがそんなことよりも空へ飛ぶことが重要であり、味方から背中を狙われかねない危険なミッションも些事に過ぎない。

 

「飛んで、翔んで、翔び続けて。大馬鹿野郎は仲間と翔ぶ喜びを知った」

 

 懲罰部隊から共に栄転した相棒、自らが率いたストライダー隊の戦友たち、ロングレンジ部隊に所属する気のいい仲間たち。戦場の空ばかりであったが、彼らと翔ぶ日々は充実していた。

 

「この日々が永遠に続けばいい。そんなことを思っていた」

 

 戦時中に不謹慎極まりない話ではあるが、紛れもない本心であった。

 

 ケチが付きはじめたのは戦争の終盤だった。

 

「いつからか軍上層部に目を付けられ、敵からも目の敵にされ、命を狙われるようになった。全部蹴散らしたけど、相当に煙たがれていたんだろうな」

 

 戦後に英雄は不要。軍上層部にとって都合が良いのは死んだ英雄であり、ろくに命令も聞かずあらゆる戦果を一人で喰らい尽くす怪物は邪魔でしかない。

 

 エルジア急進派残党からは、仲間と家族を奪われ続けた者たちの怨嗟が向けられた。戦争継続を阻止されたのも恨みを買った一因だろう。

 

 前線を引いて教導官などの道に進めばまだ話は違ったのだろうが、大馬鹿野郎は空に在り続けること(己のエゴ)を通した。

 

 空の上で命を狙われ、殺意しか感じられないミッションを強制され、敵勢力から憎悪を向けられ続ける。空では敵わないとなれば次は地上でも殺し屋を差し向けられた。それでも運と仲間に助けられて生き残り続け、空に上がり続けた。

 

「本人を止めることができないと判断した連中は、その仲間たちに目を付けて狙い撃ちを始めた」

 

 大馬鹿野郎本人を止める手立てはない。であれば、その周囲に目が付けられるのは当然の流れである。

 

 仲間たちも全員が全員エース級の実力者に成長していたが無敵ではない。命を狙われ続ければ何処かで綻びが生じ、犠牲者が出るのも無理からぬ話だった。

 

 最初はサイクロプス隊だった。大馬鹿野郎の目を盗むように撃墜され、還らぬ人となる。

 

 今までは同じ部隊の人間が堕ちようと微塵も揺らがなかった心が、初めて仲間を喪う痛みを実感した。

 

「仲間を喪うことがあんなに辛いことだなんて知らなかった」

 

 半身を奪われるような、翼を捥がれるような感覚。ハーバンティでカウントがワイズマンの撃墜に憤り、仇討ちを主張した時の気持ちが痛いほど理解できた。

 

 その日から、大馬鹿野郎(トリガー)はもう一人として奪わせまいと躍起になった。慣れない護衛飛行の真似事を始め、ついてくる味方機のフォローに奮闘するようになったのだ。

 

 しかし奮闘虚しく、一人また一人と犠牲者は重なり、遂には最も信頼する相棒(カウント)を喪ったことで限界が訪れる。己の我儘(エゴ)で仲間を殺してしまったことに心が耐えられなかった。

 

 居場所()を追いやられた英雄は最期のフライトに臨み、そして──

 

「──君の歌に導かれて、この世界(ソラ)に辿り着いた」

 

 空虚なトリガーの瞳が美雲を捉える。真正面から視線を受け止める美雲は、静かに言葉の続きを待った。

 

「最初は混乱した。でも、すぐに胸が弾んだよ。この世界(ソラ)なら、俺はまた飛べるかもしれないって思えたから」

 

 いつか美雲に伝えた感謝の根源がここだ。故郷の空を追い出されたトリガーは、もう一度空を飛ぶチャンスを得た。その喜びは筆舌に尽くし難い。

 

 しかしトリガーはありのまま、あるがままに飛ぶよりも仲間を守ることに執着した。己の我儘で仲間を喪った経験は、トリガーの心に深い傷を刻み付けていたのだ。

 

「守ると決めたんだ。窮屈だろうと、退屈だろうと構わない。もう二度と取り零したくなかった……」

 

 今度こそは誰も喪わない、奪わせないと心に誓う。それが自らの翼を縛り、エゴを仕舞い込むことだとしても、仲間の大切さを知ってしまった英雄は昔のようには飛べなかった。

 

 だが──メッサーが翼を失った。取り零すどころかトリガー自身の手で奪ってしまったのだ。

 

「メッサー中尉の翼を奪ったのは俺だ。俺が、奪ったんだ……」

 

 敵対する相手でも、背後から命を狙う味方でもなく、自分自身の手で奪ってしまった。不安定だったトリガーの精神は容易く崩壊し、空に上がることができなくなった。

 

「もっと早くエゴを手放していれば、仲間を喪うことも、中尉の翼を奪うこともなかった」

 

 美雲を見詰める瞳が泥沼のように濁り落ちる。絶望と後悔が激しく渦巻いていた。

 

「──俺は向こうの空で死んでおくべきだった」

 

 自死を望む言葉を最後にトリガーは話を締め括った。

 

 唐突に自殺願望を告白された美雲は、しかし微塵も動揺することなくトリガーの瞳を真っ直ぐ見据える。絶望と後悔に暗く濁る泥沼の中にある何かを探るように。

 

「子供染みた言い訳はおしまい?」

 

「……酷い言い草だな」

 

 然しものトリガーも美雲の辛辣な物言いに顔を顰める。フレイア相手に厳しい言葉を投げていたことは知っていたが、実際に投げられると相当に堪えた。

 

 しかし美雲は一切構うことなく言葉を畳み掛ける。

 

「言い訳ばかり重ねて(エゴ)を捨てようとしているけれど、本当に捨てられると思っているの? 今も未練がましく空に手を伸ばそうとしている貴方が」

 

「それは……」

 

 夜の海辺に居たのは空が近いから。飛べないトリガーにとって、水面に映る夜空こそが生身で感じられる数少ない空だったからだ。

 

 そんな有様で空を捨てるなどと言っても、子供染みた言い訳にしか聞こえないのは当然だろう。

 

「……どのみち俺はもう飛べない」

 

「飛べないじゃなくて、飛ばないの間違いでしょ」

 

 美雲の鋭い指摘にトリガーはあからさまに動揺した。

 

 過去のトラウマのフラッシュバックも、手指の震えや過呼吸の全てが偽りとは言わない。だが美雲は、トリガーは飛べないのではなく自らの意思で飛ばない選択をしていると確信しているようだった。

 

 美雲が相手な時点でトリガーが口で敵うはずもなく、苦り切った顔で黙り込む。

 

 沈黙するトリガーに美雲は躊躇いなく近づき、胸倉を容赦なく掴み上げた。

 

「もう一度言うわ。いつまで言い訳を重ねて逃げるつもり?」

 

「……俺が飛んだら、また誰かが堕ちるかもしれない」

 

「疫病神でも気取るつもり? 貴方が飛ぼうが飛ばなかろうが堕ちる時は堕ちるものよ」

 

「……メッサー中尉から翼を奪った俺が、どの面下げて飛べると思う」

 

「そんなものは本人に直接訊きなさい」

 

「…………俺にはもう、誰も守れない」

 

 蚊の鳴くような声で絞り出されたのは、偽りないトリガーの本音だった。

 

 我儘(エゴ)を通し続けた末に仲間を取り零し続け、遂には自らの手でメッサーの翼を奪ってしまった。トリガーは誰かを守る自信をすっかり失ってしまっているのだ。

 

「守れない。本当に、そう?」

 

「どういう意味だ……?」

 

 意味深な笑みで手を離した美雲をトリガーが訝しんでいると、海辺に複数の足跡が響く。見ればマキナを筆頭にワルキューレとΔ小隊の面々が一堂に会していた。

 

「やっと見つけたよ、二人とも!」

 

「みんな、どうして此処に……?」

 

 美雲だけならまだ理解できるが、ワルキューレとΔ小隊の揃い踏みにはトリガーも驚愕を隠せない様子である。

 

 トリガーの疑問に答えたのはマキナだった。

 

「フレフレがみんなに声を掛けて回ったんだよ。おかげでトリトリを見つけられた」

 

 息も絶え絶えでハヤテに寄り掛かっていたフレイアが照れ混じりに笑う。自分に出来ることを考えて、フレイアはトリガーに関わる人たちに片っ端から声を掛けて回ったのだ。

 

 その結果、メッサーの側にいるカナメ以外のワルキューレとΔ小隊メンバーが大集合したのである。

 

 自分一人のために多くの人間が集まった現実を信じられずトリガーが呆然としていると、代表するように一歩踏み出したマキナがタブレット端末を突き出した。

 

「トリトリはメサメサの翼を奪ったんじゃない。命を、救ったんだよね?」

 

 端末を中心にして空中に映し出されたのはマキナとレイナが組み上げた戦闘シミュレーターの結果。トリガーがメッサーを撃っていなかった可能性の末路(未来)だ。

 

 目を見開きトリガーは投影された映像を見詰める。そのあり得たかもしれない未来絵図は、トリガーが撃ち砕いた最悪の未来図と同じだったからだ。

 

「どうして、ここまでして……」

 

 この結果を導き出すまでにどれほどの労苦が掛かったのか、トリガーは一目で理解した。理解したからこそ分からない。なぜトリガーのためにそこまで心を砕いてくれるのか。

 

「ラプターちゃんのこと、覚えてる?」

 

「……F-22のことか」

 

 トリガーをこの世界(ソラ)へと運んでくれた愛機──F-22《ラプター》。ケイオスによる調査を終えた後は、メカニックであるマキナの伝手でラグナの空き倉庫にて眠っている。

 

「トリトリと一緒に飛び続けたあの子には願いが込められてた」

 

 マキナはF-22の解析に当たったメカニックの一人である。

 

 アル・シャハルでの戦闘で満身創痍になっていたラプターには、様々な改造や改修が施された形跡が確認された。

 

 凄腕のメカニックであるマキナはそれらの痕跡からエイブリル(整備士)の不器用な優しさを汲み取ることができたのだ。

 

「誰かは分からないけど、トリトリにもっと自由に飛んでほしいっていう想いが痛いほど伝わってきた」

 

「……エイブリル」

 

 トリガーは向こうで最後に送り出してくれた整備士の名を呟いた。

 

 軍属ですらなかった一般人でありながら、何だかんだトリガーの機体の整備を請け負ってくれた。顔を合わせる度に憎まれ口を叩いていたエイブリルが、機体にそんな改造と改修(ねがい)を施していたとは知らなかったのだ。

 

「向こうの空でも仲間を守るために無茶で窮屈なフライトを続けていたんだよね。でも、もういいんだよ」

 

 意地を張る子供を諭すように、マキナは誰か(エイブリル)から受け継いだ想いを告げる。

 

「トリトリは自由に飛んでいいんだよ」

 

 時空すら超えて届けられた言葉にトリガーの心は決壊した。

 

 力なく膝から頽れ涙が止めどなく零れ落ちる。一度溢れ出した感情は歯止めが利かず、トリガーは堰を切ったように嗚咽を溢した。

 

 蹲るトリガーの背中に今まで静観していたハヤテが言葉を掛ける。

 

「飛べよ、トリガー。もっと楽しく、自由にさ。俺たちのことなら気にすんな」

 

「私たちも、いつまでも半人前でいるつもりはありません。メッサー中尉とトリガー准尉を安心させられるよう、精進を重ねます」

 

「自分の身くらい自分で守れるさ。トリガーは好きに飛んでいいんだぜ」

 

 ハヤテとミラージュ、チャックの言葉が身に染みる。躊躇う背中を新たな仲間の手がそっと後押しした。

 

 事の成り行きを一歩引いた立ち位置で見守っていたアラドが静かに口を開く。

 

「仲間を喪う辛さはよく分かる。俺も、統合軍時代に多くの仲間を喪った」

 

 七年前のウィンダミア独立戦争にも参加していたアラドは、戦争の最中に多くの仲間を喪っている。トリガーとは事情が違えども、大切な仲間を喪失する辛さはよく知っていた。

 

「それでも俺たちパイロットは飛び続ける。散って逝った仲間の想いを背負ってな。お前はどうなんだ、トリガー?」

 

「俺は……」

 

 涙に滲む視界で首から吊り下げたラジオが揺れていた。かつての相棒がコックピットにまで持ち込むほどに愛用していた形見だ。

 

 脳裏を相棒の皮肉っぽい笑みが過ぎる。連鎖するようにかつての仲間たちとの思い出が蘇った。

 

 誰も彼も個性的で空馬鹿の自分には勿体ないほど気の良い連中だった。彼らと飛ぶ空は楽しくて、ついつい燥ぎすぎて加減を忘れることも珍しくはない。その度に基地司令やAWACSに呆れられ、小言を言われるのも慣れたものだった。

 

 此処で翼を捨てれば散って逝った仲間たちの想いも捨てることになる。それは、到底受け入れられることではない。

 

 涙を拭いラジオを握り締めて立ち上がる。顔を上げれば新しい仲間たちがトリガー待っていた。

 

「泣き言はもう吐き尽くした?」

 

「……もう少し気を遣ってもいいんじゃないか?」

 

 相も変わらず痛烈な言葉にトリガーは苦笑を隠せない。当の美雲は澄ました顔で肩を竦める。

 

「私の歌に導かれた英雄が、いつまでも情けないままじゃ困るもの」

 

「もう少し優しい女神様に導かれたかったよ」

 

「ごめんなさいね、気遣いのできない女神で」

 

 トリガーの調子が戻ってくる。虚に濁り落ちていた瞳に力強い意志の光が灯り、真っ直ぐと美雲の瞳を見据えた。

 

我儘(ソラ)は手放さない。仲間も、俺のやり方で守り抜く。もう一度、飛んでみるよ」

 

「それでいい。背中くらいなら、押してあげる」

 

 トリガーの答えに美雲は満足そうに微笑んだ。

 

 折れてしまっていたトリガーの再起に、この場に集った面々はほっと安堵の息を吐く。飛べるかどうかは確認してみなければ分からないが、この様子であれば問題ないだろう。

 

 不意にマキナの手にしていた端末が振動する。ディスプレイにはカナメからのメッセージが表示されていた。

 

 カナメからのメッセージに目を通していたマキナは、内容を読み進むにつれて目を見開いていく。最後まで読み切るや否やマキナは飛び上がらん勢いで叫んだ。

 

「メサメサが目を覚ましたって!!」

 

 ぽかんと、海辺に集っていた面々が口を半開きに硬直する。マキナが何を言ったのか理解できなかったのだ。

 

 しばし呆けていた面々だが、ややあってメッサーの意識回復を理解したのだろう。歓喜の声が夜の海辺に響き渡った。

 

 メッサーの回復に沸く面々をトリガーは遠目に眺める。嬉しく思う気持ちは勿論あるが、それ以上に不安があった。

 

「しゃんとなさい、飛ぶんでしょう?」

 

「分かってるさ……」

 

 隣に立つ美雲の叱咤にトリガーはしっかりと頷きを返した。

 





「カナメさんの歌が、聞こえました……」

「メッサー君……!」
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