ケイオスが保有する医療施設の一室。かつてトリガーも世話になった病室にてメッサーとトリガーは面会していた。
意識が回復して翌日のことである。Δ小隊隊員やワルキューレが挙って見舞いに訪れたがっていたところを頼み込み、大量の見舞いの品を預かって来訪したのだ。
一週間近くも意識不明で眠っていたメッサーは本調子には程遠い。それでも受け答えははっきりしており、本人は明日にでもリハビリを始めようとしているらしい。
「…………」
「…………」
大量の見舞いの品の受け渡しを終えてしばし。気不味い無言の時間が続いていた。
口を開かなければ延々に放送事故のような空気が続きかねない状況。見舞いに来たがった面々に頭を下げてまで譲ってもらった時間を無駄にするわけにはいかない。
意を決したトリガーはメッサーと目を合わせた。
「メッサー中尉の腕を奪ったのは俺です。本当に、すみませんでした……」
謝罪の言葉と共に深々と頭を下げた。
許しを貰えるとは思っていない。それでも向き合う必要があると思ったからこそ、トリガーは謝罪に訪れたのだ。
罵倒を浴びせられるか、あるいは恨み言を吐かれるか。どんな言葉を返されてもトリガーは受け入れる覚悟をしていた。
数秒の沈黙を挟み、メッサーが言葉を紡いだ。
「礼を言わせてくれ、トリガー准尉」
「はい……?」
予想だにしない言葉にトリガーが顔を上げる。ベッドの上のメッサーは穏やかな表情であり、トリガーを責めるような気配など微塵も感じられなかった。
「トリガー准尉のおかげで、俺は大切な人を悲しませずに済んだ」
微かに笑みを浮かべるメッサーの脳裏に過ぎるのは恩人であるカナメの姿だ。
カナメを守るためなら命も惜しくないと思っていた。本来であれば二年前に死んでいた身である。そんな命を恩人のために使い潰せるのならば本望だと思っていたのだ。
カナメのためならば命も惜しくはなかった。けれど意識を取り戻してさめざめと涙を零すカナメを見て、生きて帰られたことに心から感謝した。
「ありがとう、トリガー准尉」
「……っ」
罵倒でも恨み言でもない、純粋な感謝の言葉にトリガーは愕然と言葉を失う。溢れそうになる感情を噛み殺す。
「俺は、空を飛ぶ翼も、大切な人を守る力も奪ったんですよ……」
恨んで当然だ、憎むのが自然だ。もしもトリガーがメッサーと同じように腕を失ったならば、絶望することは間違いない。いつかの病室で邂逅した、大空を飛ぶ自由を失った老齢のパイロットと同じように。
しかしメッサーから向けられたのは感謝の念のみ。トリガーへの悪感情の類はない。
「それでもだ。生きて戻って来れた、それだけで十分だ」
それで十分だと、メッサーは納得していた。むしろ納得できていないのはトリガーの方である。
持て余した様々な覚悟や感情に複雑な表情をするトリガー。百面相するトリガーを見兼ねてメッサーが言葉を掛ける。
「一つ、頼みがある」
「何でしょうか」
滅多にないメッサーからの頼みにトリガーは居住まいを正した。
「飛べない俺の代わりに、Δ小隊を、ワルキューレを──カナメさんを守ってくれ」
真摯な想いと共に頭を下げられトリガーは面食らうも、すぐさま真剣な表情で頷きを返す。
「必ず守り抜きます、
沢山の仲間たちに背を押された三本線を縛るものは何もない。
力強いトリガーの返事にメッサーは安心したように肩の力を抜いた。
Δ
数日振りにトリガーは機体のコックピットに乗り込んでいた。
アラドとアーネストの計らい、そして美雲との実験という名目でトリガーは機体に搭乗する機会を得た。既にトリガー以外の準備は整っている。
アイテール甲板ではΔ小隊の面々とワルキューレがトリガーの離陸を見守っている。美雲は既に海上の特設舞台にてスタンバイしている。
あとはトリガーが飛ぶだけだ。
呼吸を整えスロットルに手を伸ばす。指先が震えかけるが、構わずエンジンに火を入れる。
魂を震わせるエンジン音を轟かせ、トリガーは操縦桿を握り締める。以前は仲間の散る姿がフラッシュバックしたが、脳裏を過ぎるのは仲間たち共に飛んだ空の景色、そして背中を押してくれた新しい仲間たちの姿だけだ。
『デルタ4、離陸を許可します。頑張ってください』
『了解です。デルタ4、発艦します』
オペレーターからの激励に短く返し、新たなコールサインを噛み締め──空へと羽撃いた。
甲板で見守っていた面々の歓声を背に、トリガーの操縦する機体は急激に機動する。
これまでとは明らかに違う鋭い機動。トリガーはハイG機動を繰り返し、遥かな空の高みへと急上昇していった。
「すげぇ……あんなふうに飛べたのかよ、あいつ」
大空を我が物のように飛ぶ機影を見上げ、ハヤテは興奮混じりに呟く。
今までも人外染みた操縦技術を見せつけていたが、今のトリガーはひたすらに自由だ。何ものにも縛られず、あるがままに飛んでいる。もはや三本線を止められる者はいない。
誰もが三本線の飛び方に魅せられる中、海上の舞台で美雲は満足そうに微笑を浮かべる。空を自由に翔び回る機影に手を翳し、高らかに歌い始めるのだった。
Δ
──惑星ウィンダミア、ウィンダミア王国。
アル・シャハル侵攻に失敗してから一週間以上の沈黙を保つウィンダミア王国。その王城のバルコニーにて、ダーウェントの白騎士ことキース・エアロ・ウィンダミアは険しい顔付きで空を見上げていた。
「難しい顔をしているな、キース」
キースだけだったバルコニーに遠慮なく踏み込む者がいた。ウィンダミア軍の総指揮権を保有するロイドだ。
キースはロイドを一瞥だけして変わらずウィンダミアの空を仰ぐ。空は雲に覆われ、ひらひらと白い雪を降らしていた。
「シグル=バレンスの解析がほぼ終わった。明日にはアル・シャハルを攻め落とす。準備はできているか?」
ロイドの言葉にピクリとキースは片眉を上げた。
ウィンダミアの地下深くから発掘された古代戦艦──シグル=バレンス。
プロトカルチャーの遺産であり、風の歌い手の歌を強化する機構や遺跡に干渉する能力を有する戦艦である。
アル・シャハル侵攻に失敗してからウィンダミア軍が沈黙を保ち続けたのは、発掘されたシグル=バレンスの解析に注力し実戦投入を予定していたからだ。そしてその準備がついに整った。
「プロトカルチャーの遺産か……」
小さく呟いたキースの表情は何処か胡乱げである。プロトカルチャーの遺産に対して少なからず思うところがあるらしい。
「アル・シャハルとラグナの遺跡を目覚めさせれば、強力なフォールド波増幅発信フィールドが確立できる。あと少しで、この銀河系に我らの手で真なる平和を齎すことができるのだ」
アル・シャハルとラグナの遺跡を確保できれば、ブリージンガル球状星団だけではなく銀河系全てに風の歌を響かせることができる。目前にまで迫った大願成就の時に、ロイドは柄にもなく声音に興奮を隠しきれなかった。
親友といっても過言ではないロイドの態度を、キースは冷めた瞳で見据える。
「銀河など要らない。俺にはこのウィンダミアの空があれば十分だ」
「変わらないな、お前は……」
キースにとって重要なのはウィンダミアの空を取り戻すこと。ブリージンガル球状星団から新統合軍を追い出すことに関しては全面的に支持しているものの、銀河系全域にまで手を伸ばそうとしているロイドの考えには賛同していない様子だ。
「空中騎士団の調子はどうだ? 前回は手酷くやられたみたいだが」
場の空気を変えるため、ロイドはキースが率いる空中騎士団の状況について尋ねた。
先日のアル・シャハル侵攻は失敗に終わった。遺跡越しにワルキューレと風の歌い手であるハインツ・ネーリッヒ・ウィンダミア国王が激しく干渉、一時的に歌声を響かせられなくなったこと。主力騎士団の大半が無力化されたことが主な敗因だ。
「みな、雪辱を晴らすと意気込んでいる」
キース率いる主力空中騎士団の面々は再侵攻に向けて厳しい訓練を自分たちに課していた。三本線一人に優位な戦況を引っ繰り返されたのがよほど堪えたらしい。
「あの時、アル・シャハルの空で三本線とワルキューレの女が引き起こした現象は解明できたのか?」
三本線が空中騎士団の大半を無力化する際に起こった謎の現象。空域を飛んでいた者たちを襲った、全てを見透かされるような感覚と異常な遺跡の反応。あの現象が三本線を覚醒させたとキースは睨んでいる。
たった一人の人間に空を支配されるような空恐ろしい感覚。キースはメッサーとの一騎打ちに集中しており、三本線とは矛を交えなかったものの、あの状況下で勝てたかどうかは不明だ。
キースの問いにロイドは難しい顔で答える。
「恐らくは同調現象の一種だと思われるが、確実な答えは出ていない」
「ワルキューレの女は? ウィンダミア人ですらない地球人が、なぜ遺跡に干渉できる?」
「それこそ分からない。風の歌い手でもなく、ルンすら持たない地球人が遺跡に干渉できる道理などないはずだ。それがどうして……」
ウィンダミア人であるフレイアならば辛うじて理解できなくもない。しかし美雲が遺跡と強く共鳴、相互干渉を起こすのはロイドをもってしても理解不能だった。
「また、奴らに遺跡を利用される可能性があるということか」
「心配するな。そのためにシグル=バレンスの解析を急がせたのだ。あの艦にはハインツ陛下の歌声を増幅する機構が備わっている。ワルキューレの歌では太刀打ちもできない」
アル・シャハルへの再侵攻を遅らせてまでシグル=バレンスの解析に注力したのは次回侵攻を確実なものにするためであるが、それ以上に未知なる現象を引き起こした三本線と美雲への対策が目的であった。
風の歌い手であるハインツの歌声を増幅するシグル=バレンスがあれば、如何なワルキューレといえど手の施しようがないだろう。戦力もイプシロン財団から多数の機体を買い上げ増強している。万が一にも負けるようなことはないはずだ。
「どうだろうな。戦場に絶対はない」
盤石の備えに、しかしキースは何処か信用ならなさそうな顔付きであった。
もう話すことはないと判断したのか、キースは踵を返し王城内へと戻ろうとする。その背中をロイドが呼び止めた。
「キース。もし可能ならば、ワルキューレの女──美雲・ギンヌメールを捕縛してほしい」
「……なぜだ。始末してしまった方が早いだろう」
肩越しに振り返ったキースの鋭い眼差しがロイドを貫く。
「確かにそうかもしれない。だが、あの女を分析すれば遺跡の解明が早まる可能性がある。ハインツ陛下へ強いるご負担も、大きく減らせるかもしれないのだ」
ヴァール化した人間を操る風の歌は、風の歌い手に著しい負担を掛ける。元々身体の強くないハインツは歌う度に命を削っており、ロイドは常々ハインツに強いる負担を軽減できないかと苦心しているのだ。
じっとロイドの真意を探るように睨み据えるキース。ロイドは目を逸らすことなく真っ向から視線に応える。
数秒、互いの真意を探り合うような時間が続いたのちにキースが視線を切った。
「周知はしておく。あまり期待はするな」
「それで十分だ。私も幾らか手を打っておく」
「…………」
ロイドの言葉にキースは無言のままバルコニーを去った。
残されたロイドは、険しい目付きでウィンダミアの空を睨んだ。
手持ちの端末を操作して空中に映像を投影する。映し出されたのはワルキューレで歌う美雲・ギンヌメールの姿とそのデータだった。
「美雲・ギンヌメール……あの男の言葉が真実ならば」
映像を見詰めるロイドの瞳には尋常ならざる渇望の色が滲んでいる。先のキースとの語らいでは一切見せなかった色だ。
「──星の歌い手。彼女さえ手に入れられたならば、我らの悲願は叶う」
呟くロイドの瞳は灰色に曇るウィンダミアの空、その遥か先へと向けられていた。
翌日、満を持して動き出したウィンダミア軍によって惑星アル・シャハルは陥落した。
時間にして十五分足らずでの制圧。ケイオス・ラグナ支部から援軍に向かう暇もないほどの短時間で惑星一つが落とされてしまった。
これでブリージンガル球状星団に残る遺跡はラグナが保有する一つのみ。決戦の時は目前にまで迫っていた。