マクロスΔ 未知なるソラへ    作:矢野優斗

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レスキュー・コール

 ──ガシャンと耳障りな音を立てて食器が割れた。

 

 サプライズパーティーを終えた後の裸喰娘娘の店内。残った面々が片付けに勤しむ中で、食器の割れる音は嫌によく響いた。

 

 音の発生源はトリガーの足元。手を滑らせたのか食器を落としてしまったトリガーは、何処か心ここに在らずといった様子で固まっている。

 

「大丈夫、トリトリ? 怪我とかしてない?」

 

「…………」

 

「トリトリ〜? 無視は酷くなーい?」

 

 偶々側にいたマキナが声を掛けるもトリガーは無反応。顔の前で手を振ってもこれっぽっちも動こうとしない。

 

 流石に様子がおかしいと思ったのだろう。成り行きを見守っていたレイナも怪訝そうに近寄ってくる。周りの面々も心配げな眼差しを送り始めた。

 

「……美雲」

 

「くもくもならとっくに帰っちゃったよ。忘れちゃった?」

 

「美雲の身に、何かあった……!」

 

「え……?」

 

 上の空から戻ってきたと思えば、トリガーは血相を変えて走り出す。奇行とも取れるトリガーの突発的な行動に店内には微妙な空気が残された。

 

 そんな中、トリガーの行動の意図を理解できていた者が一人だけいた。

 

「行こう、マキナ。美雲のピンチ!」

 

「え、ちょおっと!?」

 

 トリガーに続けとばかりにレイナがマキナの手を掴み、体格差を物ともせず店の外へと連れ出した。

 

 店を飛び出したトリガーは周囲を見回し、丁度いい足を見つけてハヤテの元へと駆け寄る。

 

「ごめん、ハヤテ少尉! ちょっと借ります!」

 

「はぁ? ちょっと待てよ!?」

 

 ハヤテに一言謝り、天候操作装置を牽引するためにレンタルしたのだろう大型バイクに飛び乗る。運のいいことにまだ牽引索は取り付けられておらず、キーも挿しっぱなしだ。

 

 文句を宣うハヤテを無視してエンジンを入れると、追い付いたレイナとマキナが軽い衝撃と共に相乗りする。丁度レイナがトリガーとマキナに挟まれる格好だった。

 

「ちょ、流石に三人乗りは──」

 

「大型なら詰めればいける。いいから、早く。美雲のピンチ」

 

 法律的には普通にアウトであるが、今は一刻を争う状況である。背中にしがみ付くレイナに急かされ、トリガーは逡巡ののち置いていく選択肢を捨てた。

 

「しっかり掴まってるんだぞ!」

 

「サンドイッチされてるから問題なし」

 

「ごめんね〜、ハヤハヤ。後で埋め合わせはするから!」

 

 頭を抱えるハヤテに謝るマキナの声を聞きながら、トリガーはスロットルを回して夜の街並みへとバイクを走らせた。

 

 猛スピードで走るバイクの上でマキナが叫ぶような大声でトリガーに尋ねる。

 

「それで、いったいくもくもの身に何があったの?」

 

「分からない。でも、美雲に呼ばれたような気がしたんだ。あと、怯え? みたいな感情も伝わってきた。今までそんな感情は一度も流れてこなかったのに……」

 

 ラグナ防衛戦以降からトリガーと美雲は遺跡がなくとも、歌がなくても意識すれば互いの所在がなんとなく分かるようになっていた。また、強い感情の揺れも流れ込んでくる。

 

 今回は美雲からトリガーへ怯え、あるいは恐怖の感情が流れてきた。そんな感情が流れ込んできたことは一度としてなく、美雲の身に何かがあったとトリガーは判断したのだ。

 

「強制同調。歌も遺跡もなくても繋がりっぱなしになってる。後で精密検査を受けてもらう」

 

 妙な凄みを感じさせるレイナの声にトリガーは身震いする。

 

 トリガーと美雲が同調について口外していなかったのは面倒事を嫌ったのと、要らない実験やら何やらに時間を取られたくなかったからだ。しかし流石にこの状況で拒否権はないだろう。

 

 レイナも嫌がらせで言っているわけではない。かつて忠告したリスクを危惧しているのだ。

 

「分かってる、後で幾らでも検査くらい受けるさ」

 

 トリガーの返事に頷き、レイナはデバイス端末を片手で操作し始める。

 

「美雲の場所は何処か分かる?」

 

「おおよその位置なら。ここから──」

 

「──そのあたりなら、多分ここ」

 

 一瞬でアイランド船の監視カメラを掌握し、レイナは該当地区周辺のカメラ映像を投影した。

 

 リアルタイムの映像にはアイランド市街が映っている。運転中のトリガーはじっくり見る余裕もないため、レイナとマキナが監視カメラの映像に目を走らせた。

 

「……いた! これ、くもくもじゃない!?」

 

 マキナが指差す映像には、ぐったりとした女性を抱えた男が路地裏へと消えていく様子が映っていた。女性の服装は美雲がパーティーの際に着用していたものと酷似している。まず間違いなく美雲当人だろう。

 

 意識を失った女性が路地裏に連れ込まれる。脳裏を過った最悪の想像にレイナとマキナの表情が真っ青になった。

 

 その想像を否定したのはトリガーだ。

 

「違う。そこらの暴漢が美雲に敵うはずがない。相手は多分、プロだ」

 

 ウィンダミア軍機を相手に生身で囮を務められるような美雲が、そこいらの暴漢一人に負けるはずがない。まず間違いなく堅気ではないはずだ。

 

 ちらっと横目に映像を見て、男の立ち姿が一切ブレていなかったのも断定した理由だ。女性とはいえスタイルのいい美雲を抱えながら体幹が微塵も揺らいでない。軍人としてそれなりに鍛えているトリガーでも難しい芸当だろう。

 

 トリガーの否定にレイナとマキナは顔色を取り戻す。冷静になったレイナは男の行先を追うべくハッキングの手を広げようとする。

 

「美雲の誘拐が目的なら、アイランド船を脱出しようとするはず。出入口は四つで……」

 

 慣れた手つきでデバイスを操っていたレイナの手が止まる。

 

「許可なく搬出口を発進しようとしている輸送機が四機、四つの出口に一機ずつある……!」

 

「囮まで用意してるの……!?」

 

 本命含めて囮の輸送機を四機用意するのは簡単なことではない。それだけでも相手の本気具合が計り知れた。

 

「大丈夫、全部発進させなければ何も問題なし」

 

 輸送機の管制システム乗っ取ってしまえば発進することはできない。美雲が何処ぞの誰とも知れない輩の手に落ちることもなくなる。

 

 いつもの要領でハッキングを仕掛けようとしたレイナは、大量のエラーコードを吐き始めたデバイス画面に驚愕する。

 

「ウイルス!? いったいいつ……さっきの監視カメラの映像だ!」

 

 監視カメラの映像データにウイルスが仕込まれていたらしい。わざとらしく映像に姿を残していたのは、映像データに仕込んだウイルスに感染させるためだったようだ。

 

 焦燥に塗れた表情でレイナはウイルスに対処するが、相当に厄介な代物なのかすぐには除去できそうにない。他の手持ちの端末に持ち替えようとするが、ネットワーク越しに感染を広げられてしまっておりどれも使い物にならなかった。

 

「だめ、輸送機は止められない。どの輸送機が本命か探り当てるしか……」

 

「いや、美雲の位置はだいたい分かるから──」

 

 大丈夫、そう続けようとしたトリガーは不意に聞こえてきた歌声に言葉を飲み込んだ。

 

 懐に仕舞い込んだラジオから歌が聞こえてくる。ワルキューレの歌ではない。風の歌でもなかった。何処か刺々しい、底なしの闇に引き摺り込まれそうな歌声だ。

 

「この歌声、くもくも?」

 

「でも、このチクチクは……」

 

 トリガーと同じく歌声を聞き取ったマキナとレイナは怪訝そうに眉を顰める。声質は瓜二つなほど美雲によく似ているが、しかし根本的に何かが違う。

 

 不意にトリガーの手元が狂いバイクがぐらつく。突然身体を揺さぶられてレイナとマキナは悲鳴を上げ、荒い運転をしたトリガーに非難の目を向け──トリガーの真っ青な顔色に目を剥いた。

 

 歌が聞こえ始めたあたりからトリガーは顔を青ざめさせ、荒い呼吸で虚な目をしている。誰が見ても尋常ならざる状態であった。

 

「どうしたの、トリトリ!? 具合が悪いの!?」

 

 体調不良を心配するマキナ。一方でレイナはトリガーの状態を観察して、何が起きているのかを正しく把握した。

 

「強制同調……美雲以外の誰かが、トリガーを同調させている!」

 

「いったい誰が!?」

 

「分からない。でも、このままじゃまずい……!」

 

 強制同調は一歩間違えれば対象を廃人化させかねない危険極まりない代物だ。

 

 トリガーの人並外れた情報処理能力と、美雲が同調範囲を制御することでリスクは大幅に低減されているが、もし同調範囲を無闇矢鱈と広げたらどうなるのか。

 

 答えは単純で、処理しきれない他人の感情や思考に押し潰され自我が崩壊してしまう。

 

 トリガーに強制同調を仕掛けている何者かは、意図的に同調範囲を広げてトリガーへ凄まじい負担を掛けていた。同調範囲はアイランド船全域、ラグナから乗り込んだ避難民全員だ。

 

 流れ込むなどという表現では生易しい。濁流の如き勢いで押し寄せる情報にトリガーは意識が飛びかけていた。辛うじてハンドルこそ握っているが、一瞬でも気を抜けばクラッシュしかねない状態である。

 

「呑まれたらダメ! 自我を保って、トリガー!」

 

「…………っ!」

 

 背中越しのレイナの叫びに、トリガーは歯を食い縛って意識を保とうとする。しかし容赦のない情報の奔流に、抵抗虚しく意識が遠のいていく。

 

「まずいっ!」

 

 傾くトリガーの身体を支えながら咄嗟にレイナはハンドルに手を伸ばす。危うくクラッシュしかけた車体は間一髪で持ち直し、ゆっくりと路肩へ停車した。

 

「トリガー! しっかりして、トリガー!」

 

「ダメみたい、完全に意識を失っちゃってる」

 

 何度呼び掛けても反応しないトリガー。如何なトリガーといえど、アイランド船にいる人々全員との強制同調には耐えられなかった。

 

 意識を喪失しているトリガーを連れたまま美雲の追跡はできない。レイナは誰かしら応援を呼ぼうとして、いつの間にか通信回線まで封鎖されていることに愕然と顎を落とす。

 

「そんな、このままじゃ美雲が……」

 

 一刻も早く美雲を追わなければならない。だからといってトリガーを放置することもできない。

 

 迷うレイナに対して、マキナはすぐに決断を下した。

 

「私が運転するよ。トリトリは私の後ろに乗せて、レイレイが落ちないように支えてあげて」

 

「……っ、分かった」

 

 トリガーを置いていけないのならば連れて行く。迷っている時間も惜しいと二人はトリガーを乗せ、再び夜のアイランド市街を走り出す。

 

 三人まとめてクラッシュの危機は避けられたが、問題は何一つとして解決していない。トリガーがダウンさせられてしまったことで、美雲の居場所を追うことができなくなってしまった。

 

 このままでは四択の一か八かに賭けざるを得ない。外せば美雲は手の届かない場所に連れ去られてしまう。

 

 美雲が居なくなってしまう。仲間を奪われる恐怖にレイナは溢れそうになる涙を堪えながら、必死にデバイスを侵食するウイルスを駆逐していく。

 

「大丈夫、だいじょーぶだよ、レイレイ」

 

「マキナ、でも……」

 

 美雲の居場所が分からない現状、確実に助ける手立てが見当たらない。ハッキングは封じ込まれ、通信回線も用意周到に封鎖されてしまっていた。他の誰かに助けを求めることすらできない。

 

 頼みの綱のトリガーも敵の策略で狙い撃ちにされてしまい完全な八方塞がりだ。

 

 それでもマキナは、大丈夫と安心させるように微笑みを浮かべ、目一杯に息を吸い込んだ。そして、アイランドの街並みに全力で歌声を響かせ始めた。

 

「──、────♪」

 

 普段はカナメとレイナと共にメインボーカルである美雲とフレイアを支えているが、その歌唱力は決してエースに見劣りするものではない。

 

 遠く離れてしまいそうな仲間を想い、夜空が映し出されたアイランド船の天蓋に向けてマキナは一途に歌う。

 

 マキナの意図を悟ったレイナも追従して歌い始める。

 

 やっと分かり始めたような気がした。その矢先に美雲が手の届かない場所へと連れ去られかけている。そんなことは絶対に嫌だった。

 

 人前ではあまり感情を表に出さないレイナが、今は感情を前面に出して歌っている。大切なワルキューレの仲間である美雲を想い、どうか歌声に応えてとありったけの願いを込めて──

 

 願いは歌に乗せられ何処までも響く。そして──

 

 

 Δ

 

 

 微睡みの中に美雲はいた。

 

 意識の深く深く、誰の手も届かない深層意識の底。波に揺蕩うクラゲのように、ゆらゆらと深い眠りについている。

 

 自らの力で目を覚ますことはない。物理的なショックで意識を奪われ、自力で動くことすらもままならない状態だからだ。

 

 このままろくな抵抗もできず、何処へなりと連れ去られてしまうのか。そう思われた時だった。

 

『──、────♪』

 

 歌が聞こえた。聞き覚えのある歌だ。

 

 薄膜を挟んでいるかのようにくぐもってはいるが、間違いなくマキナとレイナの歌声だ。ワルキューレの歌声を美雲が間違うはずもない。

 

 歌声は意識の奥底で眠る美雲へと直接語り掛けるように響き渡る。目を覚まして、歌に応えてと切ない想いがひしひしと伝わってきた。

 

 切実な願いの歌は美雲の心を震わし、無意識のまま応えるように返歌を口ずさむ。

 

 か細く、今にも途切れそうな歌声は風に乗り、大切な仲間の元へと運ばれた。

 

 

 Δ

 

 

「──聞こえた。くもくもの歌声だよ!」

 

「チクチク、ズキズキ。届いた!」

 

 物理的な音ではない、心に響く美雲の歌声にマキナとレイナはぱあっと顔を輝かせる。

 

 今ならどれだけ離れていても美雲の居場所が分かった。美雲の歌声が導いてくれる。

 

 向かう先が定まり、ハンドルを切ろうとするマキナ──その肩に、トリガーの手が置かれた。

 

「トリトリ! 目が覚めたの!?」

 

「なんとかな……美雲の歌のおかげかな」

 

 微かに笑みを浮かべながらレイナの支えなしで身体を起こす。押し寄せる他人の感情や思考に潰されかけながらも、トリガーはしっかりと自我を保っていた。

 

「無理はダメ。トリガーは休んだほうがいい」

 

「美雲を取り返すんだろ? 頭数は多い方がいい」

 

「でも……」

 

 後ろに乗るレイナには蒼白なトリガーの横顔がよく見えていた。瞳孔は開きっぱなしであり、呼吸も荒い。無理をしているのは一目瞭然だ。

 

 謎の歌声も未だに響き続けており、トリガーは今この時も強制同調の影響を受け続けている。それでも意識を取り戻し堪えられているのは多少の慣れと、美雲を取り返すという確固たる意思があるからだ。

 

 迷っている時間はない。置いていこうとしてもトリガーはしがみ付いてでも同行するだろう。ならば、覚悟を決める他なかった。

 

「無茶だけはなし。約束」

 

「善処するよ」

 

 政治家みたいな返しをするトリガーに、レイナはむすっと頬を膨らますのだった。

 

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