マクロスΔ 未知なるソラへ    作:矢野優斗

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女神たちの覚悟

 美雲誘拐未遂事件から三日が経った。

 

 医療研究船へ移送された美雲とトリガーは音沙汰なく、問い合わせに対する本社とレディMからの返答もお茶を濁したものばかり。カナメが正規ルートで抗議を送っているが、反応は芳しくなかった。

 

 正規の手順を踏んでも上に答えるつもりがないのであれば致し方ない。ワルキューレはレイナを中心に本社へのハッキング工作を仕掛けていた。

 

 レイナの私室に集まったワルキューレは、この三日で入手した情報を共有していた。

 

「本社のデータベースに侵入して美雲のパーソナルデータを取ってきた」

 

 部屋の壁に美雲の顔写真付きのパーソナルデータが投影される。思いっ切り美雲の個人情報を盗み見ているわけだが、状況が状況なため誰も指摘しない。美雲にバレたら謝ろうくらいの精神だ。

 

「これ、どこも穴だらけじゃない」

 

「穴どころか改竄だらけ。それっぽく仕立ててあるだけの欺瞞情報」

 

 美雲のパーソナルデータはその大部分がでっち上げの嘘っぱち。生年月日も出身地も、両親の情報も偽りで作り上げられていた。唯一確かなのはワルキューレに所属してからの経歴だけである。

 

「ちなみにこれはトリガーのパーソナルデータ」

 

 ついでのように横に並べられるトリガーのパーソナルデータ。こちらも改竄と欺瞞のオンパレードになっているが、トリガーの場合は仕方ないだろう。何せフォールド事故で故郷から文字通り放り出されてしまったのだから。

 

 なぜトリガーのパーソナルデータを並べたのか。一同はレイナに疑問の眼差しを向けて、ふとマキナが何かに気付く。

 

「もしかして、くもくもも情報がないからパーソナルデータが改竄されてるってこと?」

 

 隠すためではなく、そもそも存在しないから欺瞞情報で埋め尽くしている。そう考えると、トリガーと美雲の改竄には共通点が幾つも見受けられた。

 

「えっと、つまり……美雲さんもトリガーさんと同じってことなんかな?」

 

 トリガーと同じく美雲もフォールド事故に巻き込まれて来訪した異邦の者。流れからしてその可能性を疑うのは当然だ。

 

「どうかしら。それなら、ここまで厳重に秘匿する必要はないと思う」

 

 フォールド事故の被害者というだけなら、本社が躍起になって秘匿する必要性を感じられない。現にトリガーに関しては緘口令が敷かれているわけでもなく、聞けば本人も普通に答える。

 

 フォールド事故に巻き込まれたわけでもなく過去がない。考えられる可能性は色々とある。例えば戦災孤児で過去の情報を本人が覚えていない、あるいは記憶を喪失していて素性が分からないなど。

 

 しかしどれも本社とレディMが隠蔽するほどのものではなく、美雲の素性については不明のままだった。

 

「やっぱり、もっと深く潜る必要がある」

 

 カナメの制止で本社データベースの表層にハッキングを留めているが、今よりも秘匿レベルの高い情報がなければ謎は解き明かせない。

 

 カナメもリスクを取る必要性を理解しているのだろう。難しい顔をしながらも頷きを返す。

 

 リーダーからのゴーサインを得たレイナが意気揚々とハッキングを仕掛けようとして──

 

「──そこまでにしておきなさい」

 

 やや険しい顔付きの美雲が部屋に入ると同時に警告した。

 

「美雲!?」

 

 出し抜けに現れた美雲にカナメは驚愕の声を上げる。レイナは咄嗟に映像を消そうとするが、美雲の鋭い視線に縫い止められて硬直してしまった。

 

「いつの間にこっちへ戻ってきていたの?」

 

「ついさっきよ。心配かけたわね」

 

「トリトリは? 一緒に医療研究船に移送されたんだよね」

 

「……まだ意識は戻ってない。私も様子を見たけど、眠ったままよ」

 

 横顔に微かな憂いを貼り付けて美雲は目を伏せた。

 

 美雲以外の何者かによる容赦のない強制同調により、トリガーは精神に尋常ならざるを負担を受けた。身体にこそ問題はないが、精神的なダメージが癒えるまで目覚めることはないというのが医療班の見解だった。

 

 そっか、とマキナは心から残念そうに肩を落とした。美雲が戻ってきたのならば、トリガーも回復しているのではと少なからず期待していたのだ。

 

 落ち込むマキナから視線を切り、美雲は自分以外のワルキューレメンバーを見回した。

 

「私が居ない間に、色々と企んでいたみたいね」

 

 部屋の壁に投影された自分自身のパーソナルデータに目を向け、次いでハッキングの下手人であろうレイナを見やる。視線を向けられたレイナは気まずそうに顔を逸らした。

 

「上層部はあなたたちの行いを把握してるわ」

 

 美雲の言葉に揃ってハッと顔を上げる。

 

 ケイオス上層部は本社に対するハッキング行為を認知している。その上で見逃されていたのか、あるいは決定的なラインを越えるまでは泳がしているのか。

 

 美雲を介して忠告をしてきた以上、猶予はもうないのだろう。これ以上進めば、相応の処罰を受けることになる。

 

「私のことは気にしなくていい。ケイオスからも護衛がつく。分かったら、もう馬鹿な真似はやめなさい」

 

 俯く面々に釘を刺し、美雲は踵を返して部屋を去ろうとする。常と変わらない後ろ姿からは、自分の事情に巻き込むまいと突き放すような圧力が滲み出ていた。

 

 離れていってしまう美雲の背中を、レイナの震え声が止めた。

 

「いや、だ……!」

 

 今にも零れそうな涙を眦に滲ませ、レイナは美雲の背中へ睨むような眼差しを向ける。

 

「美雲が誘拐されそうになった時、胸がズキズキ、ジクジク痛くて苦しかった。美雲と二度と会えなくなるんじゃないかって、怖かった……あんな思いは二度としたくない」

 

「レイナ……」

 

 感情を露わにして想いを吐露するレイナに、美雲は唖然として立ち尽くす。

 

「トリトリが言ってたよ。くもくもから怯えが、怖いって思いが伝わってきたって。仲間がそんな想いを抱えてるのに、指を咥えて黙ってなんかいられないよ」

 

「……っ」

 

 決然としたマキナの瞳に見据えられて美雲は息を呑む。

 

 レイナとマキナの二人は止まらない。むしろより覚悟が強く固まってしまっていた。

 

 縋るような思いで美雲はカナメを見る。ワルキューレのリーダーであるカナメなら、暴走しかねない二人を止めるだろうと考えたのだ。

 

「私にはワルキューレのリーダーとしてメンバーを守る義務がある。それなのに、美雲が誘拐されそうになっている時に何もできなかった。情けなくて仕方ない」

 

 胸の内に詰まっていた感情を吐息と共に吐き出し、カナメは毅然とした表情で美雲を見返した。

 

「ワルキューレの仲間を守る役目を、何処の誰とも知らない相手に任せるつもりはないわ。美雲を守るのは私……私たちよ」

 

「カナメ、あなたまで……」

 

 最も冷静であってほしい人物が、誰よりも止まる気がなくなっていた。美雲が突き放すような物言いをしたのが原因だが、一度大切な人(メッサー)を失いかけているのも影響しているだろう。

 

「フレイア。あなたは歌が好きで、故郷を飛び出して来たんでしょ? だったら、馬鹿な真似はよして……」

 

 もはや懇願するような声色で美雲はフレイアに願う。

 

 夢を叶えるために故郷を飛び出て、祖国から裏切り者扱いまでされ、それでも歌いたいと願ってここまできたフレイア。やっとのことで積み上げてきたものを棒に振るような真似はしないで、と美雲は祈るような想いで見据える。

 

「……わたし、美雲さんが好きです」

 

 美雲の祈るような視線を受けてフレイアは顔を上げる。ウィンダミア人特有のルンが、優しく温かい光を放っていた。

 

「最初は厳しいこともいっぱい言われて、挫けそうになったこともたくさんあった。でもめげずに頑張って、少しずつだけど認められているような気がして、ルンがルンルンして……」

 

 胸の内に秘めた想いを語るフレイアの表情はいつになく優しげで、ワルキューレの誰もが口を挟むことなく聞き入ってしまう。

 

「誕生日パーティーで美雲さんがわたしのことをお祝いしてくれた時、むっちゃ嬉しかった。ちゃんとワルキューレの仲間として見てもらえてるって伝わってきたから。心からお祝いしてくれてるのが分かったから」

 

 だから、とフレイアは真正面から真っ直ぐ美雲の瞳を見つめた。

 

「ワルキューレの仲間として、今度はわたしが美雲さんを助けるんです」

 

 揺るぎない覚悟をフレイアは美雲に示した。

 

 フレイアまでもが固い決意を表明してしまったことで美雲は八方塞がりに陥る。止めるつもりか逆に彼女たちの覚悟を後押ししてしまったのだ。

 

「ケイオスに楯突けば、ワルキューレとして歌えなくなるかもしれない。それでも、止まらないつもり?」

 

「そうね……その時は、ケイオスを辞めて一から始めてみるのもいいかもね」

 

「あ、それいいかも! 衣装とか手作りしてみんなで路上ライブから始めちゃう?」

 

 カナメの思い付きのような提案に、マキナが一も二もなく飛び付いた。

 

「昔みたいに、下積みからやり直し……懐かしい」

 

「わたし、有名になる前のワルキューレってあんまり知らないんですよね。だからちょっと気になってたりして……」

 

 下積み時代を懐かしむレイナと、有名になる前のワルキューレの話に興味津々なフレイア。

 

 ワルキューレとして歌えなくなるかもしれないと言われても、一人として後ろ向きに捉えている者はいない。むしろ再出発すればいいと開き直ってすらいた。

 

「揃いも揃って、大馬鹿野郎ね」

 

「くもくも、ひどーい!」

 

 大馬鹿野郎扱いにマキナが不満を露わにするが、美雲は呆れた様子でメンバーの顔を見渡すだけだ。

 

「あなたはどうする、美雲?」

 

「……私は」

 

 カナメに問われ美雲は返答に詰まる。

 

 歌うことが全てだった。歌さえ歌えるならそれでいい、その考えに変わりはない。

 

 しかしワルキューレの一員として歌い、彼女たちの仲間に対する覚悟を前にして、美雲の中で何かが芽生えつつあった。

 

 言語化が難しい感情に戸惑いつつ美雲は言葉を紡ぐ。

 

「歌さえあればいい……でも、どうせ歌うなら、あなたたちと一緒がいいと思う」

 

「くもくも……!」

 

 ぎこちないながらも本音を語った美雲に、マキナが感極まったように満面の笑みを浮かべる。他のメンバーも嬉しそうに微笑みを湛えた。

 

「決まりね。やっちゃいましょうか」

 

「待って」

 

 音頭を取ろうとするカナメに美雲が待ったを掛けた。

 

 ワルキューレの意思が統一されたタイミングでの制止に、注目が美雲に集中する。

 

「少しだけ、私に時間を頂戴」

 

「何をするつもりなの?」

 

「私がケイオス本社の人間に訊くわ」

 

「……答えてくれるとは思えないけど」

 

 今日まで美雲当人にすら情報を著しく制限してきた本社が、美雲が尋ねたくらいで答えるとは到底思えない。確実性を求めるならハッキングを仕掛けた方が早いのは間違いないだろう。漏れなくワルキューレ解散のリスクがつきまとうが。

 

 渋い顔のメンバーに対して、美雲は勝算があるのか何処となく得意げな笑みを浮かべる。

 

「そうかしら。案外、すんなり教えてくれるかもしれないわ」

 

 確信とまではいかないが自信に満ちた美雲の声音に一同は顔を見合わせ、ややあってから美雲の提案を受け入れた。

 

「分かった。でも、ダメそうなら当初の予定通りでいきましょう」

 

「それでいい」

 

 カナメの決定を受け入れ、美雲は早速とばかり動き出した。

 

 

 Δ

 

 

 ワルキューレと互いの意思を確認しあった美雲は、トリガーの様子を見るという名目のもと医療研究船へと蜻蛉返りしていた。

 

 ケイオスの医療研究船は外部秘の機密なども多いため出入りが制限されており、警備も厳重に敷かれている。しかし美雲は少しばかり面倒な手続きをすれば出入りが可能だ。

 

 理由は簡単で美雲自身がケイオスの抱える機密の塊であるからなのだが、当人に今のところその自覚はない。

 

 医療研究船に舞い戻った美雲の姿はトリガーの病室にあった。ベッドの傍らに置かれた椅子に座り、様々な計測機器を繋がれ死んだように眠るトリガーの様子を見下ろしている。

 

 触れても声を掛けても反応しない。試しにと美雲が歌声を響かせて呼び掛けても無反応。同調による繋がりも、途切れてはいないが電源が落ちているかのように返事がなかった。

 

 医療班の見解では精神への著しいダメージと、脳波の乱れによって昏睡に陥っているとのことだった。目覚めるにはまだ時間がかかるとも。

 

 トリガーの寝顔を眺めながら、美雲はいつかの言葉を思い出していた。

 

 

 ──いつか君にも、歌以外に大切なものができるかもな。

 

 

 その時は気にも留めていなかった言葉が、今になって美雲の心に突き刺さっていた。

 

 トリガーには未来でも見えていたのだろうか。などと馬鹿なことを考えて美雲はくすりと笑みを零し、トリガーの手に自分の手を重ねる。

 

「少しだけ、勇気を頂戴。トリガー」

 

 返事を期待したわけではない。昏睡状態のトリガーが反応を返せないことなど承知の上である。

 

 だからこそ──微かに動いたトリガーの手に美雲は目を見開いた。

 

「トリガー?」

 

 意識が回復したのかと呼び掛けるも返事はない。手の動きも気のせいだったかのように、トリガーは変わらず眠り続けていた。

 

 狐に摘まれたような気分になった美雲は、少しだけ表情を綻ばせて席を立つ。

 

「ありがと、トリガー」

 

 感謝の言葉を残して美雲は病室を出た。

 

 美雲は迷いない足取りで当初の目的地に歩みを進める。トリガーの見舞いはもののついでだ。寄り道で勇気を貰えたのは僥倖であったが。

 

 美雲の権限で出入りが可能な区画の一つにある研究室の一つ。主に美雲を()()調()()している研究者たちが常駐している部屋に、美雲は躊躇いなく踏み入った。

 

 何の前触れもなく入室した美雲に研究室内の視線が集まる。しかしすぐに興味を失ったように視線を切ると、各々コンソールやデバイス端末へと意識を戻した。

 

 冷ややかな態度に美雲は怯むことなく歩みを進める。向かう先に居るのは美雲の体調管理や日常生活の管理を取りまとめている女性研究員だ。

 

 歩み寄ってくる美雲に気付いた女性は、コンソールを操作してディスプレイの内容を切り替えた。恐らくは美雲に見られても問題ない業務に切り替えたのだろう。

 

 女性の前で立ち止まると、美雲は普段と変わらない澄まし顔で口を開いた。

 

「私が何者なのか、いい加減教えてくれてもいいんじゃない?」

 

 ど直球にもほどがある物言いに女性は顔を顰める。

 

「あなたに関する情報は第一級機密として取り扱われている。私も、この部屋にいる他の研究員も、口外することを禁じられているわ」

 

 誰に尋ねようと無意味だと言外に告げていた。美雲も予想はしていたのか、無理に突っ込むようなことはしない。

 

「でも、ずっと隠し切れるものでもないんじゃない?」

 

 美雲個人が狙われている以上、いつまでも機密で押し通すには限界がある。特にワルキューレとその護衛でもあるΔ小隊には、何処かしらでボロが出ることになるだろう。

 

 美雲の鋭い切り返しに研究員の表情に苦いものが走った。しかしそれでも話すつもりはないのか、美雲のペースに呑まれまいと業務へと向き直ってしまう。

 

 梨の礫状態の研究員。このまま粘り続けたところで彼女が口を割ることはないだろう。もちろん、研究室内にいる他の研究員も同様だ。

 

 予想通りの展開に美雲は小さく溜め息を吐き、微かな逡巡の後に切り札を切る決意をした。

 

「明かすつもりがないのなら、私にも考えがある」

 

 何処か不穏なものを感じさせる美雲の発言に研究室内の注目が再び集まる。

 

 暴力にでも訴えるのか、あるいはワルキューレと結託してケイオスへ反旗でも翻すつもりか。美雲の動向に研究員たちが身構えた。

 

 一身に注目を集めながら、美雲は躊躇いなく言い放つ。

 

「私は──歌うのを、やめる」

 

 シンと研究室が静まり返った。

 

 研究員たちがコンソールを叩く音も、微かな身動ぎの音もパタリと止んだ。まるで時の流れが凍り付いてしまったかのようだった。

 

 女性研究員は信じられない発言に凄まじい衝撃を受けていた。

 

「……本気で言っているの?」

 

 辛うじて絞り出した研究員の声は酷く震えている。受けた衝撃が抜け切っていないのは明らかだ。

 

「冗談でこんなことを言うと思う?」

 

 研究員たちをフリーズさせる衝撃発言をした後とは思えないほどに美雲は平然としている。それが余計に美雲の本気度合いを物語っていた。

 

 信じられないと女性研究員は首を振る。他の研究員たちもあり得ない展開に業務の手を止め、固唾を飲んで話の行く末を見守る。

 

「あり得ない。歌うことがあなたの存在意義。そうなるように仕向けてきたはずよ」

 

 歌さえ歌えればいい、歌があれば過去なんてどうでもいい。そう考えるように研究員たちは美雲の思考を誘導していたのだ。

 

 嘘だろうと脅しだろうと美雲の口から歌を捨てるような発言が出るはずがない。歌を捨てるとは美雲にとって生きる意味を捨てると同義なのだ。

 

「あなたに歌を捨てられるはずがないわ」

 

「捨てるなんて一言も言ってないけど」

 

 研究員の勘違いを美雲は一蹴する。

 

 トリガーに我儘()も仲間も譲らせないでおきながら、美雲が我儘()を捨てて仲間だけ拾うなんて真似を許容するはずがない。

 

「私は歌い続けるわ、ワルキューレ(あの子たち)と一緒に。たとえ舞台(ステージ)が変わることになったとしてもね」

 

 歌を捨てるのではなく、ケイオスで歌うことをやめる。ケイオスの庇護を捨てて、大切な仲間(ワルキューレ)と共に新天地を目指すと美雲は言っているのだ。

 

「本社がそんな我儘を認めると思う?」

 

 驚愕から回復した女性研究員は美雲に厳しい眼差しを向ける。

 

 機密の塊である美雲の出奔を本社が容認するはずがない。万が一ケイオスを抜けられたとしても、その後何の障害もなく活動できるはずがないだろう。

 

 ケイオスは星を股に掛ける複合企業だ。規模は相当に大きく、そんな企業に真っ向から喧嘩を売ってやっていけると思っているのか。

 

 脅迫とも取れる女性研究員の言葉にも美雲は堪えた様子はなかった。

 

「認めようが認めなかろうが関係ない。ただ一つ、どっちに転んだとしても私がケイオスで歌うことは二度となくなるわ。それは困るんじゃない?」

 

 秘匿された美雲の素性を明らかにしなければ、美雲がケイオスで歌うことはない。権力で縛り付けたとしても本人が歌うことを拒否してしまえば、美雲の有する価値は半減どころではなくなる。

 

 急激に旗色が悪くなり始め女性研究員は苦虫を噛み潰したような表情になる。

 

 機密の隠匿を続ければ美雲は歌わなくなる。それどころかワルキューレと共にケイオスを離れるとまで断言した。無理やりケイオスで飼い殺しにしたところで、歌わない美雲に価値などほぼない。

 

 情報を開示して今後もケイオスで歌わせるか、秘匿して歌わない置き物にしてしまうか。二つに一つの選択肢を突き付けられ、女性研究員は頭を抱えたくなった。

 

「そこまでする価値が、ワルキューレにあるというの?」

 

 今日まで積み上げてきたものを全て台無しにする価値がワルキューレにあるのか。女性研究員の問い掛けに対して、美雲は間髪入れずに答える。

 

「なかったら、こんなこと言わないわ」

 

 微塵の迷いもなく美雲は断言した。

 

 何があっても意思を曲げるつもりはない美雲の態度に女性研究員は頭を悩ませる。研究室内の他職員に視線で意見を求めるも、誰も彼も手に負えないと首を振るばかりだ。

 

 もはや一研究職員に判断できる範疇を越えている。女性研究員は美雲の説得は諦め、全ての判断を上層部に投げることを決めた。

 

「あなたの意思は理解した。このことは上に報告させてもらう。情報が開示されるかどうかは本社次第よ」

 

「そう。手間を掛けさせたわね」

 

 女性研究員の返事に概ね満足したのか、美雲は用事は済んだとばかりに踵を返す。

 

「一つ聞かせて。何があなたを変えた? ワルキューレ? それとも……」

 

 嵐だけ起こして去ろうとする美雲の背中に、女性研究員は一つの疑問を投げ掛けた。

 

 歩みを止めた美雲は肩越しに振り返る。悪戯っぽく細められた瞳が、女性研究員をひたと見据えた。

 

「それを聞くのは野暮じゃない?」

 

 同性でもドキリとするような流し目を残し、美雲は研究室を後にした。

 

 残された女性研究員は溜め息を吐きながら、頭痛を堪えるようにこめかみを押さえる。

 

三本線(イレギュラー)の影響を軽視したツケが回ってきたわね……」

 

 三本線が居なければ、ここまで美雲が歌以外に関心を抱くことはなかったはずだ。本人にその自覚はないだろうが。

 

 今もまだ眠り続ける男に内心で恨み言を送りつつ、女性研究員はケイオス上層部への報告作業に移ったのだった。

 

 ──二日後、秘匿されていた美雲の素性が開示されることとなった。

 

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