今から三年前、西暦2064年8月17日に美雲・ギンヌメールは誕生した。
各地で増加するヴァールシンドロームの発症と被害に対して、フォールドレセプターを人為的に植え付けたクローンとしてこの世に生まれ落ちた。
素体となったのはウィンダミアの遺跡から盗まれた星の歌い手という存在の細胞。美雲がウィンダミア人でもないのにプロトカルチャー遺跡と交感できた理由がこれだ。
細胞を盗み出した首謀者はケイオスではない。
七年前のウィンダミア独立戦争時に新統合軍の特務諜報員の一人が混乱に乗じて盗み出した。それをもう一人の特務諜報員であったライト・インメルマン少佐──ハヤテ・インメルマンの父親が、現地の協力者と共に取り返したのだ。
ライト・インメルマンは新統合軍の特務諜報員であったが、同時にケイオスとレディMの手で潜入していたスパイでもあった。要はダブルフェイスである。
新統合軍がプロトカルチャーの遺跡や文明に対して早まった真似をしないよう監視するために、ライトは新統合軍の奥深くにまで潜り込んでいたのだ。
盗み出された細胞の奪還は成功した──一つだけ。
盗掘された細胞片は二つあったのだ。ライトが取り返すことができたのは一つのみで、もう一つはそのまま持ち逃げされてしまった。
ライトはもう一つも奪還しようとしたが、できなくなった。新統合軍が次元兵器を利用してウィンダミアの首都ごとプロトカルチャー遺跡を破壊しようとしたからだ。
次元兵器使用の情報を掴んだライトは細胞をケイオスに預け、次元兵器使用を阻止するべく奔走した。
次元兵器投下任務を自ら請け負い、機体の異常を理由にウィンダミアへの被害を最小限に留めるべく奮闘。結果は首都と遺跡への被害は防いだものの、他の都市に次元兵器は投下されてしまった。
次元兵器は多くのウィンダミア人と新統合軍の命を奪い、ウィンダミアの大地に消えない傷痕を残した。そしてライトも還らぬ人となった。
次元兵器の投下によって戦争は半ば強制的に停戦。ウィンダミアは次元断層によって外部からの侵入を拒絶し、地球文明を強く弾圧するようになる。ケイオスとレディMは星の歌い手の細胞を返還するタイミングを失ってしまった。
星の歌い手の細胞がケイオスの元に渡った経緯はこんなところだ。
クローン技術の利用は銀河条約によって禁止されている。挙句に素体とした細胞は遺跡から盗掘された代物だ。ケイオスが盗んだものではないとはいえ、預かっていたものを利用したことに変わりはない。
また、ライトが次元兵器投下に関わってしまったのも問題だった。新統合軍において次元兵器の投下作戦は第一級軍事機密として扱われており、おいそれと開示できる情報ではなくなってしまったのだ。
ケイオス本社が美雲の出生について躍起になって秘匿するのも当然だろう。
本来ならば隠し通したい情報であった。しかしヴァールシンドロームへの対抗措置として生み出した美雲が、ケイオスの庇護下で歌うことを拒否してしまっては元も子もない。
ウィンダミアが次元兵器投下は新統合軍の所業である証拠映像を流したこと。これ以上は秘匿し切れないと判断したこともあるだろう。
度重なる遺跡との交感と風の歌い手との精神的接触。そして美雲自身の感情や情緒の発達が、星の歌い手としての能力を覚醒させつつあったからだ。
情報が開示されたのはワルキューレとΔ小隊、彼等彼女等と関わりのあるケイオス職員のみである。それも緘口令付きで漏洩した場合は処分すると明言された上でだ。
美雲の素性について情報が開示され、開示を受けた者たちは凄まじい衝撃に襲われた。今日まで普通に付き合ってきた相手がクローンで、それも生まれてまだ三年ほどしか経っていなかったのだ。驚愕も一入だろう。
今回の一件で誰よりも衝撃を受けたのは美雲だ。
「…………」
宇宙空間が一望できるエリシオンのラウンジにて一人、美雲は何をするでもなく漆黒の海に散りばめられた星を眺めていた。
アイランド船で誘拐されかけたことで美雲は気軽に外へ出られなくなった。部外者の立ち入りができないエリシオン内ならばあまり不自由はしていないが、気晴らしに風を感じることもできないのは少しストレスである。
窮屈さに美雲が憂鬱な溜め息を吐くのと、ラウンジ入り口のドアが開いたのは同時だった。
「あ、いたいた。美雲、ここにいるわよー」
ラウンジの一席で物憂げに溜め息を零す美雲を見つけ、カナメが通路の外に居る面々へと声を掛ける。
カナメの呼び掛けにラウンジ入り口が俄かに賑やかになる。やいのやいのと騒ぎながらラウンジに現れたのは、マキナとレイナ、そしてフレイアだ。
呼んでもいないのに大集合したワルキューレメンバーに美雲が怪訝そうに首を傾げた。
「あなたたち、なぜここに?」
「なぜもなにも、会議が終わった途端にふらっと何処か行っちゃうから探したのよ」
情報開示が行われた会議が終わるや否や、美雲は誰に何を告げるでもなく姿を消した。内容が非常にデリケートなものだっただけに、ワルキューレメンバーは美雲を心配して探したのだ。
「トリトリもだけど、くもくもってばすーぐ一人で何処かに行っちゃうんだもん」
「単独行動クイーン」
マキナとレイナの呆れ混じりの眼差しに、美雲はやや気不味そうに目を逸らす。
「……私よりも気にするべき相手がいるんじゃない? フレイア」
美雲も相当な衝撃を受けたが、父親がウィンダミアに次元兵器を落とした張本人であると知ったハヤテも酷くショックを受けていた。反対にフレイアが割とケロッとしているのは、ライトがウィンダミアを守るために命を賭してくれたことを理解しているからだろう。
「ハヤテなら大丈夫。お父さんのことで落ち込んどるけど、ちゃんと立ち上がれるようになる。難しかったら、美雲さんみたいに引っ叩いてでも立ち上がらせるんよ!」
むん、と意気込むフレイアに美雲は微妙に表情を引き攣らせる。この後輩は先輩のあまりよろしくないところばかり学んでいっているような気がしないでもない。
「それで、一人黄昏れてどうしたの?」
カナメが隣に座り訳を尋ねてくる。他のメンバーも空いてる席に座って美雲の様子を伺った。
「……ちょっとした気晴らし。外には出られないから」
「アイランド船で襲われちゃったもんね。ほーんと、許せないよ」
美雲を誘拐しようとした者に対してマキナは憤りを露わにした。
誘拐未遂犯の正体には推測が立てられている。七年前にウィンダミアの遺跡から星の歌い手の細胞を盗み出した諜報員──シドニー・ハントだ。
根拠は誘拐時に響いた謎の歌声。美雲に似た声質と生体フォールド波、そして強制同調を引き起こす能力。間違いなく星の歌い手のクローン、あるいはそれに準ずる何かである。
星の歌い手の細胞はライトが取り返したものとシドニーが奪い去ったものの二つのみ。必然的に美雲の誘拐はシドニーが首謀した、あるいは何かしら関与した犯行であることが確定した。
既に星の歌い手を確保していながら美雲の身柄を狙った理由は不明であるが、狙われる原因と敵の素性が割れたのは大きい。現在はシドニーの所在を掴むために調査をしている段階だ。
「気晴らしかぁ。アイランド船に行けないとなると、ちょっと選択肢が狭まっちゃうわね」
アイランド船は環境艦ということもあり、娯楽などもある程度は揃っている。しかしエリシオンはあくまで要塞艦であり、気晴らしをする施設が充実しているとは言えない。
身体を動かす施設なら事欠かないが、美雲の求める気晴らしとは違うだろう。
「美味しいご飯を食べるとかいいと思います!」
「ケイオスの社食はレベルが高い。職員からも好評。海蜘蛛の姿煮もある……くらげの踊り食いはないけど」
フレイアの思い付きにレイナが社員食堂のメニューを差し出す。裸喰娘娘ほどではないが、社食にしては豊富な品揃えだった。
写真でも美味しそうなメニューに勧めた側のフレイアが涎を垂らしそうな様子だ。呆れる美雲だが、内心でちょっとだけ心を惹かれたのは内緒である。
その後もワルキューレメンバーはエリシオン内でできる気晴らしを考えては提案する。美雲がクローンであると明かされた直後とは思えないほどに、普段と変わらないやり取りだった。
「……変わらないわね、あなたたちは」
不意に美雲がポツリと零した。
今日まで肩を並べてきた仲間が違法技術によって生み出されたクローンだった。普通ならもう少し態度にぎこちなさが出てもおかしくないだろう。
しかしワルキューレの態度に変わりはない。内心で身構えていた美雲が拍子抜けするほどだ。
テーブルの上で所在なさげに組まれていた美雲の手に、優しくカナメの手が重ねられた。
「変わらないわ。私たちも、美雲も」
「カナメ……」
気遣いや取り繕いではない、カナメの心からの言葉に美雲は胸を揺さぶられる。
続けざまにカナメの手の上からマキナとレイナの手が乗せられる。
「くもくもはくもくもだよ。クローンだとか関係ない」
「ワルキューレの仲間。何も変わらない」
「マキナ、レイナ……」
決然としたマキナとレイナの眼差しに美雲は込み上げてくるものを必死に堪えた。
四人の重ねられた手を纏めて抱き締めるように、フレイアの両手が最後に包み込んだ。
「美雲さんはなんも変わらんよ。私の憧れの人で、大好きなワルキューレの仲間で、これからも一緒に歌いたい大切な人です」
「フレイア……」
素直なフレイアの想いに美雲の心は決壊する。
不安だった。歌への想いは作り上げられた虚構で、この生命はヴァールを抑制するために製造されたクローンだった。
クローンであることを受け入れてもらえるのか、今後も変わらず歌を歌い続けられるのか。本当は不安で仕方がなかったのだ。
そんな美雲の不安をワルキューレは一蹴した。何も変わらない、美雲は美雲だと認めてくれたのだ。それが堪らなく嬉しかった。
つっと一筋の涙が零れる。生まれてからこの方一度も涙なんて流したこともなかった。初めて流れ落ちる涙に戸惑いながら、美雲は心から嬉しそうに微笑んだ。
「みんな、ありがとう……!」
ありったけの感情を込めた感謝の言葉に、ワルキューレのメンバーたちは満面の笑みで応えた。
大団円の空気が流れる中、涙を拭った美雲が唐突にジト目でラウンジの入り口を睨んだ。
「そこで聞き耳を立ててる大馬鹿野郎。出てきなさい」
突然の美雲の罵倒にワルキューレが目を丸くする中、ラウンジのドアが音を立てて開いた。
「……盗み聞きするつもりはなかったんだ、ほんとだぞ?」
医療研究船に移送されてから何の音沙汰もなかったトリガーが、バツが悪そうな顔でラウンジに入ってきた。
何の連絡もなく現れたトリガーに美雲以外のメンバーは驚きの声を上げる。美雲はやや冷ややかな眼差しを向けている。
「意識が戻っていたのね、トリガー君」
「今朝方には目が覚めたんですけど、連絡が遅れてすみません」
目が覚めてから既に半日近くが経過している。連絡が遅れたのは今の今まで精密検査に時間を取られていたからだ。
艦長であるアーネストと隊長であるアラドに復帰の旨を伝え、その帰りに足を運んだ流れである。
「俺が寝てる間に、色々あったみたいだな」
「何処かの寝坊助が居眠りしている間に色々とね」
皮肉混じりな物言いだが本気ではないのだろう。美雲の声音に責めるような色は一切なかった。
「私のことは聞いてる?」
「起き抜けに聞かされたよ。ついでに美雲の護衛も命じられた」
美雲と強制同調で繋がっているトリガーは、美雲の身に何かがあれば誰よりも早く悟ることができる。美雲との関係性も良好である以上、護衛の任を命じられるのもおかしな話ではなかった。
「トリガーは、話を聞いてどう思った?」
「そう言われてもな……」
顎に手を当てて思案し、トリガーは思ったことを素直に告げる。
「誕生日パーティーを開くのは先になるなぁ、とか?」
「あなたね……」
見当はずれなトリガーの答えに、美雲は呆れを禁じ得なかった。ワルキューレもないわー、とばかりに首を振っている。
「トリガー君……」
「そんなんじゃダメだよー、トリトリ」
「ダメダメ、減点。意気地なし」
「今のはちょっと、ないんやないかなぁ……」
ダメ出しの嵐にトリガーはしどろもどろになる。
ワルキューレが良い感じに纏めた後にぽっと出のトリガーが何を言っても二番煎じにしかならない。何よりトリガーは既に自分の意思を伝えている。
「俺の意思はラグナで伝えた通りだよ。美雲も、ワルキューレも、Δ小隊も必ず守り抜く。美雲がクローンだろうと変わらないさ」
「うぅん、75点かな」
「甘いよー、カナカナ。そこは、『美雲には指一本触れさせない』くらい言ってもらわないとね」
「俺の柄じゃないだろ、そんな気障な台詞……」
美雲を守る意思はもちろんある。先の誘拐未遂事件でも命懸けで美雲を助けたのがその証左だ。
しかしトリガーが守りたいのは美雲だけではない。背中を押してくれた新しい仲間たちも守ると誓ったのだ。
「仲間を守るのが俺の覚悟ですから。それに……」
不意にトリガーは悪戯っぽく笑う。その笑い方は何処となく美雲に似ていた。
「メッサー中尉から直々に、カナメさんを守るように仰せつかってますから」
「ちょっと、このタイミングでどうして私に矛先を向けるの!?」
「「ほほ〜う?」」
「わぁ……!」
予想だにしないキラーパスに悲鳴を上げるカナメと、にんまりと愉しげな笑みを浮かべるマキナとレイナ。フレイアは興味が隠せないのかちらちらと伺っている。標的が完全に変わった瞬間だった。
「そういえばメサメサとの関係はどうなったのか、聞いてなかったですな〜?」
「アツアツ、ラブラブ。熱愛中……!」
「もう、年上を揶揄って遊ばないの」
冷静に受け流そうと対処するカナメであるが、耳先が微妙に赤くなっているため動揺が隠し切れていない。
周囲からの生温かい視線に耐え切れずカナメは席を立つ。
「はいはい、この話はお仕舞い。トリガー君も戻ってきたことだし、復帰祝いに食堂でぱあっとやりましょうか」
あからさまな話の逸らし方にマキナとレイナが文句を言うが、カナメは聞く耳持たず席を立ってしまう。
「仕方ないな〜、話の続きはご飯の時にってことで」
「どきどき、胸キュン話。楽しみ」
「あ、私も気になるんよー!」
足早に食堂へと向かってしまったカナメを追いかけ、マキナたちも席を立ってしまった。残されたのは美雲とトリガーの二人である。
トリガーはまじまじと美雲の瞳を見つめる。見つめられる美雲はやや不思議そうな表情で小首を傾げた。
「なにかしら?」
「いや……大切なものは見つかったか? 美雲」
その問い掛けはいつかのトリガーが投げ掛けた言葉の続きだった。
目を丸くした美雲は、トリガーが思わず見惚れるほどの笑みを零す。
湧き上がる温かな想いを噛み締めるように胸に手を当てて、トリガーの問い掛けに心からの言葉で答えた。
「──ええ、ちゃんと見つかった」