トリガーが首尾よくマキナたちの救出に成功し、エリシオンにて美雲を除くワルキューレメンバーが再会を果たした一方。シグル=バレンスはラグナに出現した星の神殿とドッキングを果たしていた。
ケイオス部隊とエリシオンも必死の抵抗はしたものの、強力無比な星の歌と次元断層のバリアによって推し通られてしまったのだ。
星の神殿と結合するや否や、ロイドは美雲を引き連れて神殿へと足を運ぶ。神殿の機構を用いて星の歌を全銀河へと響かせるためだ。
神殿には星の歌い手が立つ荘厳な
玉座に着くのはハインツではなくロイドだ。星の歌の制御にはルンを著しく消耗するため、今のハインツでは身が保たないと判断したのである。
玉座に着いたロイドは己のルンを制御機構へと繋げる。接続と同時に流れ込むプロトカルチャーの莫大な情報に目を見開く。
「おぉ……これが星の神殿! この力を以てすれば……!」
神殿の機構を掌握したロイドは、神殿を起動させるべく美雲へ命じる。
「さあ、歌うのだ星の歌い手よ。ルダンジャール・ロム・マヤン!」
「くぁ……!」
王家の言葉によって美雲の身体が操られる。精神的に万全であったならば多少なりと抗えただろうが、心が弱った美雲には抵抗することができなかった。
虹の紋様を肢体に浮かび上がらせ、美雲は虚な瞳で星の歌を奏でる。
『──、────』
星の歌がラグナの空に、球状星団に、全銀河へと響き始めた。
神殿の後押しを受けた星の歌はもはや兵器そのもの。ワルキューレの歌も抗体も押し潰し、抗う間もなく一瞬で戦場の人間を取り込んだ。
Δ小隊もワルキューレも、味方であるウィンダミア軍の人間も。敵味方関係なく無差別に行われる強制同調。戦場を飛ぶ全ての人間が歌によって繋がれる。
「全人類が、星の歌によって繋がる。一つの生命体へと昇華されていく……!」
起動した神殿は星の歌を銀河系全域に放出する。完全覚醒した
ネットワークに取り込まれた人間は流れ込む莫大な情報によって自我を失う。やがてはネットワークの一部となり、一個の生命体へと堕ちてしまうだろう。
『これは、なんのつもりだ……ロイド!?』
同調によって繋がったことで、キースの
当初の作戦では星の歌い手の力を全銀河へと示し、その後に和平の交渉を進める予定であった。
しかしロイドの行いは和平どころではなく、味方すらも巻き込む強制的な同調。このままでは銀河もウィンダミアもロイドの意思一つ、思うがままになってしまう。
『ウィンダミアを、陛下を裏切るつもりか!?』
キースの糾弾に対してロイドは否定の意思を返す。
「全人類の意識を、風を一つにすることで銀河に、ウィンダミアに真なる平和を齎す。これは裏切りなどではない」
『風を一つになどと……!』
ロイドの妄言めいた思惑に異を唱えようとするも、拡大を続ける同調の力に飲み込まれてしまう。キースですらも強制同調に抗うことができなかった。
星の歌は全人類をネットワークに取り込み、一つの生命体へと昇華させる。銀河規模で繋がった全人類は一つの世界そのもの。今ここに、新たな世界が創り上げられた。
「世界が生まれた。今や私もお前も、銀河そのもの。我らの内に、歌を響かせ続けるがいい」
「これが、私の存在意義。私の、歌は……」
己の歌によって全人類が強制的に一つへと繋げられる光景を、美雲は虚な瞳で見詰める。唇は変わらず星の歌を奏で続けていた。
抗うことはできない。美雲にできるのはロイドの望むがまま、ただ星の歌を響かせることだけだ。
やがて美雲は瞳を閉じる。受け入れたくない現実から目を逸らすように、意識の底へと心を沈めていった。
故に美雲は気付かなかった。
星の歌によって創造された全人類が織りなす
Δ
深層意識の奥底。無限に広がる宇宙のように暗く広い世界を、美雲は胎児のように揺蕩っていた。
悲しみと絶望に弱った幼い心を守るように、瞳を閉じ、耳を塞ぎ、外界のあらゆるものを拒絶する。今の美雲には誰の歌も、言葉も、声も届きはしない──はずだった。
──き……るか……。
孤独な美雲の宇宙に声が響く。
──聞こ……るか……。
声は次第に明瞭に響き、閉じ籠った美雲の心へ呼び掛ける。
自分以外には誰もいないはずの宇宙に響く声に、美雲は緩慢な仕草で顔を上げた。
漆黒の
──聞こえるか、美雲……!
「トリガー……?」
はっきりと名を呼ばれ、美雲は声の主の正体を悟る。直後、目の前に
「──美雲!」
「トリガー……!」
行方知れずとなっていたトリガーの無事な顔を見て、美雲はどうしようもなく安堵した。
「同調は? 星の歌の影響はないの?」
安堵すると様々な疑問が湧き上がってきた。どうしてこの場にいるのか、今の今まで何をしていたのか。どうして強制同調の影響を受けていないのか。
美雲の疑問にトリガーは困ったように笑いながら答える。
「何度も同調してきたからかな。他の人よりも慣れてるんだよ」
美雲の歌による度重なる強制同調と、シドニー・ハントによって仕掛けられた強制同調。幾度となく同調を経験したが故に、トリガーはこの銀河において最も同調に対して強い耐性を有していた。
強引な強制同調によって昏睡状態に陥ることもあったが、そのおかげでトリガーは精神世界に閉じ籠ってしまった美雲の元へ駆け付けることができた。怪我の功名である。
だがトリガーも永遠に抗い続けることができるわけではない。悠長にしていればいずれは星の歌の呪縛に取り込まれてしまうだろう。
「どうして……どうして、ここに?」
星の歌の呪縛を振り払い、精神世界の奥底に沈む美雲の元まで駆け付けた理由。聞くまでもないことだろうと、トリガーは優しく微笑んでみせる。
「美雲を助けるためだ」
微塵の迷いもなくトリガーは言い切り、美雲へと真っ直ぐ手を差し伸べた。
「行こう、美雲。みんなが君を待っている」
「みんなが……」
美雲の脳裏をケイオスの面々が、Δ小隊の姿が、ワルキューレの大切な仲間たちの顔が過ぎる。彼ら彼女らが美雲の帰りを心待ちにしていた。
美雲は差し伸べられた手を掴もうとして──伸ばしかけた手を力なく落とした。
「……美雲?」
あと一歩で掴めた手が遠ざかり、トリガーは怪訝に首を傾げる。
「ダメよ……私は、行けない」
伸ばした手を引っ込めてしまった美雲は、助けを拒むように身を丸めた。
「私は生きているだけで、存在するだけで火種になる。大勢の命を殺戮して、銀河の人々を無理矢理に一つにしてしまうような
「違う。美雲の歌は、兵器なんかじゃ──!」
「歌は兵器でも道具でもないのかもしれない。でも私の歌は、星の歌い手は違う」
言葉一つで意のままに操られ、数万の命を容易く殺戮せしめる力を有する。分類するならば超時空音響兵器。反応弾や次元兵器すらも上回る性能を秘めた恐るべき兵器だ。
「お願いよ、トリガー」
激しく動揺するトリガーに、美雲は祈るように告げる。
「
銀河を星の歌の呪縛から解放するため、二度と同じ厄災を招かないため。美雲は己の命の終焉を希った。
Δ
「
迎えに来て早々に美雲から拒絶され、挙げ句の果てには殺してほしいと懇願された。トリガーが受けた衝撃は筆舌に尽くし難い。
美雲の言う通り、後顧の憂いを断つのであれば星の歌い手である美雲を始末してしまうのが手っ取り早い話だ。星の歌い手がいなければ神殿は機能せず、全銀河の支配も恒久的に不可能になる。短絡的だが効果的だ。
しかしその願いを受け入れられるかといえば、断じて否だ。トリガーは美雲を犠牲にするつもりなど毛頭ない。
故にトリガーは語り掛ける。幼い心には抱え切れない命の重みを背負い、銀河の行末のために命を捨てる覚悟を決めてしまった
「それが、美雲の本心なのか?」
「…………」
トリガーの問い掛けに美雲は顔を背けて答えない。目を合わせてしまえば、顔を見られてしまえば本音を悟られてしまうと思ったからだ。
何処か子供っぽい仕草に思わず吹き出しそうになるのを抑え、トリガーは言葉を重ねる。
「違うだろ。こんな
美雲とトリガーは度重なる強制同調によって、歌と遺跡がなかろうと精神的なパスが繋がっていた。テレパシーとまではいかないが、激しい感情の揺れや強い想いは筒抜けになっている。
まして此処は美雲の精神世界、美雲の心そのものだ。嘘偽りで塗り固めようとしたところで意味はない。
今この場において、二人は剥き出しの心を曝け出しているも同然なのだ。
「本当は、どうしたいんだ? 教えてくれよ、美雲」
「やめて……」
問い掛けに答えてしまえば本音が溢れそうになる。押し隠した
「美雲……!」
「ダメ、許されないのよ……私の歌は、大勢の命を奪ってしまった。星の歌い手は、兵器であることが証明されてしまった……! こんな私が、あの子たちのそばにいる資格なんて……!」
銀河のために、誰かのために歌うワルキューレに兵器たる己の居場所はない。あってはならないと、頑なに否定する。
救いの手を拒絶しようとする美雲。だが、トリガーの問い掛けに本音が溢れ出た。
「やっと本音を見せたな」
「────っ」
拒絶の言葉に滲み出た美雲の本音をトリガーは見逃さない。ほんの僅かな糸口であっても、掴み損ねはしなかった。
「資格なんて要らない。誰の許しも必要ない。美雲は美雲の居たい場所に居ていいんだ」
美雲が否定を重ねるならば、トリガーは肯定を続ける。星の歌い手ではない、美雲・ギンヌメールという個人を認め続ける。それが美雲を救う道に繋がると信じているからだ。
「命の重みに耐えられないのなら、俺が一緒に背負う。歌いたい場所に行けないのなら、俺が連れて行く。銀河の果てだろうと、宇宙の彼方だろうと、ソラが繋がっている限り何処までだって飛んでみせる!」
だから、とトリガーは今一度美雲へと手を差し伸べる。
「この手を掴んでくれ、美雲!」
「トリガー……」
救いを拒む意思が揺らぎ始める。心の奥底に押し込めた本音が表に出掛かっていた。
差し伸べられた手を取りたい。けれど絶望に弱り臆病になってしまった美雲の心は、あと一歩が踏み出せないでいた。あと一つ、背中を押す何かがあれば──
その時、トリガーは己の胸元から微かに響く歌声に気付く。美雲の歌声ではない、されど耳によく馴染む少女たちの歌声だ。
歌声は徐々に強く大きくなり、美雲の精神世界を満たしていく。
「この、歌声は──」
聞き間違うはずもない、
「どうして、どうやって……」
此処は美雲の精神の具現。目を閉じ、耳を塞ぎ、閉ざされたこの世界には声も言葉も、歌声すらも届かないはず。トリガーが干渉できたのは美雲と強い繋がりがあったからこその
絡繰は単純明快で、トリガーが肌身離さず持ち歩いているラジオが、内部に仕込まれたフォールドクォーツが歌声を届けている。単体で機体ごとトリガーをフォールドさせることすら可能なフォールドクォーツであれば、トリガーを介して精神世界の美雲に歌声を届かせることも不可能ではないのだろう。
だが、そんな理屈ばった表現よりももっと適切な言葉がある。
「
星の歌の呪縛に囚われ自我を押し潰されそうになりながら、ワルキューレは涙を流す仲間を想って歌っている。悲嘆に暮れ、絶望に膝を折ってしまった美雲が立ち上がれるように、全銀河に歌声を響かせていた。
「ワルキューレを見ていると、昔の仲間を思い出すよ……」
最期までトリガーと共に飛び続けた仲間たち。
早々にトリガーを見限れば、見捨ててしまえば堕ちることもなかっただろうに。しかし彼らがトリガーを一人にすることはなかった。
同じ部隊の仲間だからというのもあった。だがそれ以上に、トリガーが彼らを決して見捨てようとしなかったからこそ、彼らも見捨てようとしなかったのだ。
そのことに気付かせてくれたのは、仲間を想い歌うワルキューレと背中を押してくれたΔ小隊だった。
「みんな……!」
歌声に籠められた溢れんばかりの想い。戻ってきて、帰ってきて、
マキナが、レイナが、カナメが、フレイアが──ひとりぼっちで涙を流す美雲の魂の背中をそっと押した。
「わたしは……わたしは……!」
胸に詰まった本音を吐き出そうとして、美雲は何度も言葉に詰まってしまう。偽らない本音を晒すことに抵抗があるのだ。
そんな美雲の最後の一歩を優しく促すように、トリガーは言葉を紡いだ。
「──優しい女神様、君の
大切な仲間の歌声と英雄の後押しが、美雲の悲壮な覚悟を溶かし落とした。
「──歌いたい」
はらはらと大粒の涙を零しながら、胸に詰まらせていた本音を吐き出す。
「みんなと一緒に歌いたい……ワルキューレで、あの子たちと一緒に歌いたい……!」
溢れる感情と共にやっと本音を叫び、美雲は差し伸べられた手を掴もうとする。
「お願い、トリガー──」
星の歌の呪縛を振り払い、心の奥底に沈む己の元まで翔んで駆け付けた英雄に希う。
「──あの子たちの元へ、連れて行って!」
「──ああ、任せろ!」
トリガーの伸ばした手が、美雲の手を力強く掴み取る。そのまま水底から引き上げるように、流れ落ちる涙ごと美雲を抱き留めた。
「遅くなってごめん。もっと早く助けることができたら、君にこんな辛い思いをさせずに済んだのにな……」
無人機に撃墜されていなければ、次元兵器を誘爆させる前に救出できていたら、数万の命を奪う十字架を背負わせることもなかった。
忸怩たる思いを零すトリガーに、美雲は涙を流しながら首を横に振った。
「ボロボロの身体で駆け付けてくれた英雄に、文句なんてあるわけないわ」
「……マキナたちには内緒にしてくれよ」
労わるように身体を抱きしめられ、トリガーは苦笑を禁じ得ない。
此処にいる美雲とトリガーはいわば精神体。現実の肉体とは違うのだが、美雲にはトリガーが満身創痍であることが手に取るように分かった。
マキナたちには頭部の怪我だけを見せて誤魔化したが、機体ごと墜落しておいて軽傷で済むはずがない。ヴォルドールでの裂傷よりかはマシだが、服の下には無数の打撲痕と出血痕が隠されている。
常人ならば行動不能に陥って然るべき状態でありながら、しかしトリガーは無理を推して歩み続けた。全ては仲間を守るため、美雲を救うために──
互いが互いの心と身体を慰撫するように優しく抱き合い、やがて落ち着いたのかどちらからともなく抱擁を解く。僅かな隙間を開けて見つめ合うトリガーと美雲は、今更ながら気恥ずかしげに微笑する。
「もう大丈夫そうか?」
「ええ、十分勇気はもらった」
不敵に笑って美雲は応える。
絶望に折れていた心は完全に立ち直った。完全無欠のワルキューレが今ここに復活を果たした。
「ねえ、トリガー。一つ、訊かせて」
「改まって、どうしたんだ?」
真正面から美雲の真摯な眼差しを向けられトリガーは首を傾げる。
「どうして、私を助けてくれるの?」
満身創痍でありながら単身敵戦艦に潜入し、星の歌に自我を潰されかけながらも美雲の元へと馳せ参じた。並大抵の覚悟で為せる所業ではない。
今この場以外でも、ラグナ防衛戦やシドニー・ハントによる誘拐未遂しかり、トリガーは命懸けで美雲を守り抜こうとした。
任務だから? 頼まれたから? 仲間だから? 恩があるから?
並べ立てようと思えば理由は幾つも思い浮かぶ。細分化すればその通りなのだろう。だが、どれも美雲の求める
求められているのは建前ではなく偽らざる本音。美雲が一切隠すことなく本音を曝け出したのであれば、トリガーも偽ることなく応えるべきだろう。
回りくどい言い回しも、着飾った言葉も必要ない。出会いから今日までの間に育まれた想いを、トリガーもまた曝け出す。
「──美雲が好きだから。君が大切だから、守りたいんだ」
初めは未知なる
明確に変化したのは空を捨てようとした時、厳しいながらももう一度空を飛ぶ勇気をもらったあの日。トリガーの中で美雲への想いに変化が生じた。
それが恋なのか愛なのか、空馬鹿で男女関係に乏しいトリガーには分からなかった。分からないまま、トリガーは誰にも悟られることなく胸の内に想いを仕舞い込んだ。
その後も様々な困難を乗り越える度、想いは密かに成長していた。美雲のためならば命懸けで飛ぶことも厭わないほどに、美雲を想う気持ちは強くなっている。
その想いに、トリガーはやっと真正面から向き合い、正直な心を曝け出した。
「好き……この想いが、好き……」
自分に向けられた純粋な好きという想いを噛み締めるように、瞳を閉じて口の中で繰り返し呟く。呟く度に、繰り返す度に、胸が温かいもので満たされていった。
「私も、同じ気持ち。これが、誰かを好きになること……」
いつかフレイアが予言した。美雲にも誰かを好きになれる、誰かを愛することができると。その言葉が今、花開き実った。
余韻をしっかり噛み締め、美雲は表情に決意を満ち溢れさせる。
「行きましょう。みんなが待ってる」
「すぐに迎えに行く」
「期待して待ってるわ」
普段の調子を取り戻し、不敵な態度で笑う美雲。もう心配は要らないな、とトリガーは気を緩めた。
「──トリガー」
「ん? なん──」
不意に名を呼ばれて反応すると同時、触れるような口付けがトリガーの唇を奪った。
予想だにしない展開に目を見開き石像と化すトリガー。動揺のあまり彫像になってしまったトリガーを、美雲は悪戯っぽい表情で眺める。
ややあって再起動したトリガーは羞恥やら何やらで叫びそうになるが、眩い虹の輝きに遮られる。目を醒まそうとする美雲に合わせて、トリガーも現実へと引き戻されようとしているのだ。
「ふ、不意打ちは卑怯だろ!?」
「いつかの仕返しよ」
格納庫で赤面させられたことに対する意趣返しだ。トリガーに自覚がないため、当人は疑問符を浮かべて首を傾げているが。
「文句があるのなら、最速で掴まえにきなさい」
「……美雲には敵う気がしないよ、まったく」
揶揄い混じりの笑みにトリガーは降参とばかりに肩を竦めた。
美雲とトリガーを虹の輝きが優しく包み込む。二人は光に身を任せて現実へと舞い戻る。
そして──