「馬鹿な。こんな、ことが……」
美雲とワルキューレの歌声によって銀河が解放されていく。
三本線を撃墜することも、ワルキューレを亡き者にすることも叶わない。ただ悲願が目の前で崩れ去る光景を、ロイドは見ていることしかできなかった。
「あと一歩で永遠の平和が齎されるというのに、なぜ理解しないのだ!?」
銀河に遍く全人類の意識を一つにすることで揺るぎない平和を齎す。悲願が否定される不条理を前に、ロイドは玉座にて絶叫を上げた。
『あなたの想いを否定するつもりはない。平和を願う心は尊いもので、誰しもが一度は抱く理想だから』
「知ったような口を……!」
『知っているわ。深い悲しみ、孤独、絶望……あなたから伝わってきている』
玉座と舞台の繋がりだけではない、星女神の歌がロイドの抱く想いと感情を共有させていた。
七年前の独立戦争時に祖国の大地を穿ち、多くの罪なき民を奪った
歌による全銀河の支配を強行させたのは、ロイドの心に深く刻み付けられた闇そのものだ。
『全人類の意識を統合してしまえば、争いそのものはなくなるでしょうね』
不平等な国交条約を発端として巻き起こった戦争であるが、究極的な原因は種族や価値観の違い。違う星に生きる者同士が付き合おうとして発生した軋轢だ。
それはウィンダミア人と
時に同じ種族の間ですら人類は争うのだ。永久不変の平和を齎すことなど、尋常の手段では到底不可能である。
「だからこそ、私はッ──!」
プロトカルチャーが遺したシステムと星の歌を利用し、真なる平和を樹立しようとした。
二度と祖国の風が穢されないように、
絶望の黒き風に心を支配されたこの男は祈ってしまったのだ。人一人が抱くには過ぎたる悲願を──
支配欲や征服欲ではない、切なる祈りと願いがロイドを衝き動かしている。
ロイドの切なる想いと感情を共有し、共感した美雲は──その上で受け入れることができなかった。
『あなたの目指した先にあるのは自分以外誰もいない孤独な世界。誰かと争うことはないのかもしれない』
けれど、と美雲は胸に手を当てて続ける。
『大切な人と喜びを分かち合うことも、悲しみを慰め合うこともできない……酷く空虚で寂しい世界を認めるわけにはいかない』
ワルキューレで歌う喜びを知り、これからも彼女たちと共に在りたいと願うからこそ、美雲にはロイドの目指す平和を肯定することは決してできなかった。
それに──
『──誰かを好きになることも、愛することもできない世界なんて、つまらないでしょ?』
脳裏に命知らずの大馬鹿野郎の姿を思い描き、美雲は胸の内で燦然と咲き誇る
「そんな、理由で……」
己の理想が美雲の我儘染みた想いに敗北する不条理に、ロイドは呆然とした呟きを零す。その直後、神殿の外壁が爆発音と共に砕け散った。
塵煙を突き破り広大な神殿内部へと一機のドラケンが飛び込んでくる。識別コードを入力したことで菫色のカラーリングとなった、虹の輝きを纏う機体──トリガーだ。
『──美雲!』
「トリガー!」
外部スピーカーでの呼び掛けに美雲は一も二もなく応え、一切躊躇いなく
トリガーは機体をガウォークに変形させ、宙を舞う美雲を拾い上げる。キャノピーを開けていつかのように副座席に招き入れようとするが──
「「あ……」」
ジークフリードではないドラケンには副座席がないことに今更ながら気付く。
トリガーと美雲は顔を見合わせて硬直するが、此処は敵陣のど真ん中。神殿に開いた穴から複数の敵機が雪崩れ込もうとしている状況で、悠長に迷っている暇はない。
「来い、美雲!」
伸ばされたトリガーの手を美雲は躊躇いなく掴み取り、二人で乗るには若干手狭な操縦席に身体を滑り込ませた。
殆ど抱き付くような密着状態を意識する間も無く、トリガーはキャノピーを閉じて即座に回避機動を取る。次瞬、背後から迫っていたアサルトソードが虚空を斬り裂いた。
ガウォークからバトロイドに切り替え、押し寄せる敵機をビームガンポッドと機銃で捌く。万が一にも美雲ごと撃墜してしまわないよう加減されているようだが、それでも厳しい戦況であることに変わりはない。
「三本線……! 決して逃しはしないぞ!」
「しつこいな……!」
退路を断つように立ち塞がる無数の敵機からはロイドの妄執染みた執念が滲み出ていた。
「星の神殿を壊して。そうすれば、彼も止まるはずよ」
星の歌を全銀河に響かせる機構である星の神殿そのものを破壊してしまえば、その時点でロイドの悲願は潰える。星の歌い手単体では全銀河に歌を響かせることができないからだ。
また、神殿を破壊すればシステムの支配下に置かれた兵士たちも解放される。この状況を打開する策としてはこの上ないが──
「いいのか?」
「いいのよ。星の歌も、
人類を強制的に同調させてしまう星の歌は論外であるが、誰かと想いを共有する星女神の歌も悪用しようと思えばいくらでもできてしまう。
ならば最初から悪用できないように破壊してしまったほうが後腐れがない。
美雲の揺るぎない覚悟を受け取り、トリガーは力強く頷きを返した。
「分かった……といっても、一筋縄ではいかないだろうけど」
ロイドも神殿中枢が狙われていると悟れば防備を厚くするはずだろう。如何なトリガーとはいえ、美雲を文字通り抱えた状態で神殿の破壊を成し遂げられるかといえば難しいところだ。
「大丈夫よ。私たちは一人じゃない」
美雲が微笑みながら告げると、後方から周囲の敵機にビームが降り注ぐ。見れば神殿に開けられた穴から見覚えのあるある機体が二機、トリガーを援護するべく突入してきていた。
『待たせたな、トリガー!』
『道は私とハヤテで切り開きます!』
「ハヤテ少尉、ミラージュ……!」
頼もしい援軍の登場にトリガーは歓喜の声を上げる。
「二人だけじゃないわ」
トリガーたちに迫る敵機を頭上から舞い降りた黒翼の指揮官機が蹴散らす。幾度となくトリガーと鎬を削り合ってきた白騎士の機体だ。
『
「白騎士まで……!」
敵同士であった白騎士──キースの加勢には然しものトリガーも驚きを隠せない。
敵も味方も、種族も生きる星も関係ない。かつての軌道エレベーターでの戦いを彷彿とさせる状況に、トリガーは我知らず笑みを零した。
『感謝する、星の歌い手──いや、美雲・ギンヌメール。お前のお陰で、俺は
激しい戦場の真っ只中にありながら、キースが美雲に感謝の意を告げる。
騎士見習いからの付き合いであるロイドが、これほどまでの絶望と苦悩を抱えていることを知らなかった。
ただウィンダミアのため、故郷の空を取り戻すことだけに腐心して、すぐそばにいた親友の心と向き合うことができていなかった。
その結果がこの有様だ。
一人では背負いきれない、背負うべきではない重荷を抱え込み、果てに想いを暴走させてしまった。
「……彼を
『あぁ、任せてもらおう!』
襲い来る敵機をキースが、ハヤテとミラージュが蹴散らし道を切り拓く。星の神殿を司る中枢部位へ続く道が開かれる。
千載一遇の好機をトリガーは見逃さない。
「しっかり掴まってろよ、美雲!」
「────ッ」
返事をする間もなく機体が急加速し、美雲は振り回されないようトリガーにしがみ付く。
邪魔立てしようとする敵機を擦れ違い様に撃ち落とし、神殿中枢へと最速で飛翔。死に物狂いで追い縋ろうとする機体もあるが、いずれもハヤテとミラージュの手で食い止められた。
「させるものかァ──!!」
中枢を死守する騎士が如く純白の機体が立ちはだかる。この先へは何人たりとも通しはしないと、騎士の剣を高々と振り翳した。
だが──
『お前の相手は俺だ、ロイド!!』
横から割り入ったキースが応戦、激しい剣戟を交わし火花を散らす。
『往け、三本線──!』
最後の障害をキースが食い止めたことで神殿中枢は目前。トリガーは一瞬の躊躇いもなく照準をシステム中枢のど真ん中に合わせた。
引き鉄を握る手に上から美雲の手が重ねられる。至近で互いに見つめ合い、言葉なく頷き合う。
「これで──」
「──終わりよ!」
戦争の幕を引く光の矢が撃ち放たれた。
放たれた光の矢弾は狙い過たず中枢の中央に吸い込まれ、プロトカルチャーシステムに致命的な損傷を齎す。全銀河に歌を轟かせるほどの繊細かつ強力な機構にとっては、たった一発のビームですら致命傷に成り得た。
損傷によって流入する莫大なエネルギーを制御することができなくなり、今にも爆発を引き起こしかねない中枢から離れ、トリガーたちは崩壊に巻き込まれまいと神殿内部から離脱するのだった。
Δ
勝敗は決した。制御中枢に致命的な損傷を受けた神殿は自壊を始めている。間も無く完全に崩壊するだろう。
神殿が崩壊を始める最中、玉座でもまた一つの決着が付けられた。
キン! と甲高い音を立てて騎士剣が玉座を貫く。機体を捨て生身で飛び掛かったキースの剣が、ロイドの顔の真横に深々と突き立てられていた。
「終わりだ、ロイド」
「悲願は、ならずか……」
崩壊する神殿と離脱するΔ小隊を見届け、ロイドは力なく呟いた。
神殿を破壊されてしまった以上、もはや全人類の統一は不可能だ。星の歌い手だけではどう足掻いても出力が足りないからだ。
疲れ果てた老人のように玉座に座り込むロイドに、キースは静かに語り掛ける。
「すまなかった……俺は、お前の抱える絶望を理解してやれなかった。お前を止めることができた唯一の人間であったというのに」
「キース……」
「お前の苦悩に気付いてやれたのなら、こんなことには……」
悔恨を滲ませキースは己の不明を恥じた。
ロイドの心を支配する絶望に気付けたのであれば、ロイドの暴走を未然に防ぐこともできたはずだ。このような結末を迎えることもなかっただろう。
親友の苦悩を見落としてしまったのがキースの過ちであるのならば、ロイドの過ちは全てを一人で背負い込んでしまったことだろう。誰かに相談できたのなら、想いを共有しようとしていたのならば、また別の未来が待っていたはずだ。
全ては遅きに失した。それでも、思わずにはいられなかった。
「帰るぞ、ロイド。我らの空に……」
力なく項垂れる親友にキースが手を伸ばす。許されざる裏切りを働いたとはいえ、ロイドのウィンダミアを思う心に嘘偽りはない。無二の親友を此処で死なせるつもりなど毛頭なかった。
差し出された手をまじまじと見つめ、やがてロイドは憑き物が落ちたように穏やかな微笑を浮かべる。
「いや、私はここまでだ……」
ピシリ、と結晶が罅割れるような音と共にロイドの肉体を結晶化が覆う。星の神殿の制御によってルンを著しく消耗し、その反動が一気にロイドの肉体を蝕み始めた。
神殿との接続にはルンを著しく消耗する。己が玉座に着くための方便ではなく、真実ルンを激しく消耗し寿命を削りながら制御していたのだ。
凄まじい勢いで結晶化が進行するロイドを目の当たりにしてキースは激しく動揺する。その隙を突かれ、背後から伸ばされたドラケンのアームに身体を掴まれてしまう。辛うじて繋がっていたシステムを利用し、ロイドが機体を操っているのだ。
「なんのつもりだ、ロイド!?」
「ウィンダミアには
この戦争がどのような終着点に落ち着くかは不明だが、ウィンダミアの最高司令と最大戦力の二人を喪失するのはあまりにも痛手が過ぎる。真にウィンダミアの行く末を案ずるのであれば、此処でキースを道連れにするわけにはいかなかった。
「ウィンダミアを、陛下を頼んだぞ……我が
「お前を一人には……!」
ドラケンのアームに抗おうとするキースだが、如何なウィンダミア人といえどバルキリーの力には敵わない。必死に伸ばした手は虚空を掴み、そのまま崩壊する神殿から外へと連れ出されてしまった。
遠くなる親友の姿を薄ぼんやりと見送りながらロイドは心中で思う。
悲願の成就はならなかった。ウィンダミアの空に、銀河に永遠の平和を齎すことは叶わず終い。これから先も人類は争いの歴史を繰り返し続けることだろう。
悔いはある。無念もある。だが、不思議と悪い気分ではなかった。
懸念があるとすれば、戦争の陰で暗躍していた狡猾な蛇の如き男。あの男が何を企んでいるのかだけが終ぞ読めなかった。
だが──
「──キースがいれば、心配ないか」
こんな愚かな男にも手を差し伸べるような強く気高い騎士がいればウィンダミアは安泰だろう。
最期までロイドは祖国の平和を願いながら神殿の崩壊に呑み込まれるのだった。