ブリージンガル球状星団に属する惑星の一つ──惑星ラグナ。
星の大部分を覆う海に適応した先住民が暮らす海洋惑星。ケイオス・ラグナ支部が置かれ、ワルキューレ含むΔ小隊の活動本拠地でもある星だ。
ワルキューレとΔ小隊の面々とともに惑星ラグナへ到着したトリガーは、様々な手続きや聴取を受けることになった。それら諸々が落ち着けば、早速とばかりに訓練と講習の日々が始まる。
機種転換訓練、シミュレータ模擬訓練、一般常識講習、格闘技訓練、加えて本人が望んで追加された整備関連の講習などなど。息つく暇もない過密スケジュールをこなし、五日が経った頃だった。
「ワルキューレのレッスンの見学ですか?」
講習の途中で講習室に現れて予定の変更を告げたアラドの背中に、トリガーは見学の意図が理解できず問いを投げた。
惑星ラグナに到着して五日。巨大人型戦艦マクロス・エリシオンに忘我することも、講習で学ぶ新たな常識に頭を抱えることも少なくなり、なんとか目の前の現実を現実として受け入れ始めた頃合いであった。
「俺たちΔ小隊は戦術音楽ユニット“ワルキューレ”の護衛役であり、ライブの時にはパフォーマンスも行う。彼女たちとは切っても切り離せない関係なんだよ。だからお互いのことはよく理解しておく必要がある」
「なるほど、理解しました」
「それとは別に、確認しておきたいことも一つある」
レッスン室へ向かう道すがら、アラドがタブレット端末を渡してくる。端末を受け取ったトリガーは表示されているデータに目を通し、僅かに顔色を変えた。
「これは、F-22の音声記録ですか」
「そうだ。おまえさんの証言とフライトレコーダーの記録から、フォールド事故であることは確定した。だが、なぜそんな事故が起きたのか。色々と調べた結果、可能性が一つ浮上した」
アラドが横から手を伸ばして端末を操作して音声記録を再生する。流れ出したのはトリガーが光のゲートに飲み込まれる直前のコックピット内部の音声だ。
トリガーの声はない。あの時はゲートを避けることに必死で、声を上げる余裕すらなかった。
代わりに聞こえてくるのは強力な電子ジャミングでも受けているかのようなノイズ。これだけではフォールド事故の原因に繋がる手掛かりにはならないだろう。
「こいつをうちの優秀なハッカーがサルベージした結果がこっちだ」
アラドの操作でもう一つの音声データが再生される。こちらも変わらず酷いノイズであるが、先の音声とは違う点が一点。
「……歌?」
ノイズの嵐の中から途切れ途切れに聞こえる歌らしきもの。あの日の記憶に意識を馳せたトリガーは、あっ、と小さく声を溢して己の懐に手を当てる。
ゲートに飲まれる直前、ラジオから鳴り響いた女の歌声。音声データの歌の正体はそれだ。
ラグナに到着してすぐの聴取でラジオの異常性には目をつけられており、既に技術班にて解析、ラジオ本体は返却済みである。その際に、とある少女の手によって調整され、この世界のラジオを視聴できるようになって戻ってきたが。
解析した結果、ラジオ内部には高純度のフォールドクォーツが仕込まれていた。
フォールドクォーツとは時空を超える超長距離通信を可能にしたり、重量子制御に高い適性を持つ希少鉱石だ。また、超空間航行においても重要な
なぜそんな代物がラジオの中に仕込まれていたのか。心当たりは一つ、というか一人しかいなかった。
ラジオを託してきた
現時点で人工生成すら不可能な希少鉱石を、宇宙飛行士を飛ばすくらいにしか宇宙開拓の進んでいないあの星で、いったいどうやって手に入れたのか。想像してみて、案外スクラップの山から拾い上げただけかもしれないと考え、トリガーは一頻り笑ったものだ。
なお、希少鉱石がスクラップの山からなどと言われて、聴取担当者と技術班が微妙な顔になっていたのをトリガーは知らない。
「トリガーのフォールド事故には歌が、それもうちのワルキューレの歌が関係しているんじゃないのか。上はそう判断したらしくてな。特に誰の歌が切っ掛けになったのかが気になるらしい」
偶発的な事故によるフォールドとはいえ、ただの戦闘機でそれも大気圏内へのピンポイントデフォールドというのは、それだけ前代未聞の出来事なのだ。ケイオス上層部が着目するのもおかしくない。
「音声データから声紋照合をかけようにもノイズが酷すぎてな。それで、トリガー本人に聞かせて判断させようって魂胆だ」
「なるほど」
「ま、そう肩肘張らずにワルキューレの歌を聞けるとでも考えとけ。レッスンとはいえ、ワルキューレの歌をまじかで楽しめるなんてファンが聞いたら血涙ものだぞ?」
「了解です」
そんなやり取りをしている内に、アラドとトリガーはワルキューレのレッスンルームに辿り着いた。
室内ではワルキューレメンバーの少女四人がダンスレッスンの真っ只中だったらしく、流れる音楽に合わせて一糸乱れぬ動きを見せていた。
戦場ではじっくり眺める余裕もなかったので、ワルキューレメンバー全員揃ってのダンスを見るのは初めてだったりするトリガー。
この動きに合わせてエアショーをするのかぁ、などと呑気に考えていると、一区切りをつけたらしくリーダーのカナメが手招きをしてきた。
「お待たせしました、アラド隊長。それとトリガー君」
「いやいや、こちらこそ急な話ですみませんな」
「よろしくお願いします」
「ちょっと待っててね。すぐに準備するから」
そう言ってカナメは休憩中のメンバーの元へ向かっていく。
その背を見送っていると、不意に横合からトリガーに声が掛けられた。
「やっほー、トリトリ。ラジオの調子はいかがかな?」
「おかげさまで問題ないですよ」
親しげに話しかけてきたのはワルキューレメンバーの一人、マキナ・中島だ。
ゆるふわっとした雰囲気と万人を魅了する豊満な身体の持ち主であり、多くのファンをその歌と仕草で魅了してやまない少女。加えてメカニックとしても凄腕であり、トリガーのラジオを調整した本人でもある。
ラジオ以外にも、愛機たるF-22の処遇についても心を砕いてくれたこともあり、トリガーはマキナに頭が上がらなかったりする。
「今日は見学だっけ。トリトリは誰の歌が好みなのかなぁ〜?」
「みなさん、素敵な歌声だと思いますよ」
「うわ〜、そういうこと言っちゃうんだ。優柔不断は減点だぞ?」
「ダメダメ、優柔不断」
いつの間にやらマキナの隣に立っていた緑髪の少女──レイナ・プラウラーにまでダメ出しをされ、トリガーは苦笑いで流すしかなかった。
「はいはい、二人ともそこまで。あんまりトリガー君を困らせないの」
「「はーい」」
リーダーのカナメの一声でマキナとレイナはそそくさと退散する。助かった、とトリガーは視線で謝意を伝えた。
「アラド少佐、こちらは準備が整いました」
「分かりました。ほら、トリガーも壁際に突っ立ってないでこっちに来い。しっかり聞くんだぞ」
「了解です」
指示に従ってワルキューレメンバーの前に立ち、トリガーは彼女たちの歌声に意識を集中する。
双方の準備が整ったと判断し、カナメが曲を流す。流れるのはあの日、トリガーがデフォールドした時に歌っていた曲だ。
アップテンポな曲をパート分けして一人ずつ歌っていく。四人ともが人を惹きつける魅力を秘めており、甲乙付け難い歌声であった。
メンバーの誰が己をこの
Δ
レッスンルームに流れていた音楽が止まった。都合三曲を歌い切り、メンバーは各々に肩の力を抜き休憩を取り始める。
「どうだった、トリガー。誰の歌声がよかった?」
「そうですね……いや、趣旨違いますよね?」
歌声から現実に意識を引き戻したタイミングで投げ掛けられ、思わず答えそうになったトリガー。ジト目を返すもアラドは悪びれた様子もなく肩を竦めるだけだった。
「冗談だ、冗談。で、誰の歌だ?」
「…………」
すっと目を閉じたトリガーは脳裏にてワルキューレの歌声とあの時の歌声を反芻する。
あの時、愛機のコックピットに響いた歌声はどこか凛々しく、力強く、何処までも響き渡るような声だった。音楽に関して素人のトリガーに分かるのはそれくらいだ。
そして今、ワルキューレの歌声を聞き届けた結果、それらしき歌声の持ち主がただ一人──
「──そう、私の歌声が原因なのね」
無意識のうちに向けられたトリガーの視線から、己の歌声が件の歌声であると──美雲・ギンヌメールは察して呟いた。
ワルキューレにおいてエースボーカルとして活躍し、年齢や経歴などが一切不明でありながら多くのファンを魅了して止まない美女。
美雲の歌声に秘められる生体フォールド波の力はワルキューレ内でも抜きん出ており、彼女ならば次元航行装置がなくともフォールドを起こせてもおかしくないのではと思わせるものがある。
美雲ならあり得そうだとその場にいる面々が納得顔を浮かべるのを他所に、当人たる美雲は素知らぬ顔でトリガーの目の前に立った。
「謝罪の言葉は必要かしら?」
「それは……」
出し抜けに浴びせられた言葉にトリガーは面食らう。
美雲の視点からすれば、意図せずとはいえ自分の歌声でトリガーを誘拐してしまったようなものだ。今後は仲間として同じ戦場に立つ相手との間に要らぬ軋轢を残すくらいなら、この場で形だけでも清算しておくべきだろうと考えたのだろう。
「ちょっと、美雲。そんな言い方は……」
意図を隠しもしない美雲の態度を諌めようとカナメがするも、それよりも先にトリガーが言葉を紡いだ。
「いいえ、要らないですよ。むしろお礼を言わせてください」
「お礼?」
非難でも罵声でもなくお礼と言われ、美雲はその美しい顔に珍しく困惑の色を浮かべた。
「あの空から連れ出してくれたこと。未知の
軍上層部と政府高官、果ては敵対勢力から憎悪され信頼する仲間を奪われた。最後には自ら唯一の居場所を手放すことになった。
何処に行く当てもなく、
一片の偽りもないトリガーの言葉に、レッスンルームに重い沈黙が満ちる。
普通の人間ならば、元居た世界への未練や心残りが多少なりともあるはずだろうに、トリガーにはそれが微塵も感じられない。それが何を意味するか、あの日の艦橋での発言から察せない面々ではない。
重苦しい沈黙にトリガーは首を傾げる。雰囲気を悪くするような発言をしたつもりがないのに、なぜお通夜のような空気になっているのか理解できていないのだ。彼の相棒がこの場に居たのならば、頭を抱えて嘆いていたことだろう。
沈黙を破ったのは底抜けに明るいマキナの声だった。
「つまり、くもくもの歌声は銀河どころか次元を超えてトリトリに届いたってこと? なんだかそれってすっごいロマンチックだよね!」
「胸がキュンキュン。ドキドキする」
すかさずレイナのフォローも入り、レッスンルーム内の重苦しい空気が霧散する。二人のファインプレーにカナメとアラドが思わずサムズアップした。
美雲も緩んだ空気に毒気を抜かれたのか、呆れ混じりの苦笑を浮かべた。
「そう。なら私から言うことはないわ。カナメ、今日はもう上がりにするわ。時間も丁度いい頃合いだし」
「そうね。今日のところは終わりにしましょう。ほら、二人も今日は身体を休めなさい」
「「は〜い」」
カナメの指示に調子よく返すマキナとレイナ。美雲に関しては我関せずと一足先にレッスンルームを後にしてしまっていた。
後に残されたのは状況に置いてけぼりを食らったトリガー。そんな青年を横目に見てアラドは、今度酒にでも誘って話を聞くかと考えていた。
それはそれとして仕事である。
アラドはカナメを呼び止め、トリガーを呼び寄せたであろう美雲の歌声についての意見交換を始める。
「今回の一件、美雲の歌声が原因だとして、他の要因もあると思いませんか?」
「そうですね……恐らく、アル・シャハルで確認された生体フォールド波が関係すると思います」
「でしょうな。そうなると──」
訳知り顔で頷くカナメとアラド。デバイスに表示されるデータを見て話し込む二人は既に仕事モードだ。
残されたトリガーは一人、美雲の歌声とあの時聞こえた歌声を重ね合わせていた。
四人の中で最も近しい歌声の持ち主は美雲だった。美雲の歌声には歌へ掛ける凄まじいまでの想いと、本人が纏う神秘性が込められている。
しかしゲートに飲み込まれる直前に聞こえた歌声には、微かに孤独に近い暗い感情が感じられた気がした。美雲の歌声にそんなものはない。
このズレはいったいなんなのか。考えてみるも答えは出ず、やがてトリガーは追究を諦めて次の講習に向かうべくレッスンルームを後にするのだった。