ハヤテ候補生がハヤテ准尉へ昇格し、同時期にワルキューレへ加入したフレイアも馴染み始めた頃である。
トリガーも含めて新しく仲間となった面々の歓迎とデビューを祝福するということで、裸喰娘娘にて盛大な歓迎会が開催された。
主役はワルキューレ新メンバーのフレイア。野郎のトリガーとハヤテはついでのような扱いなので、開始の音頭と同時にトリガーはそそくさと店の隅に逃げた。
ドリンク片手に美味な料理に舌鼓を打つトリガー。ラグナ特有のクラゲを食べる文化は最初こそ戸惑ったものの、今ではすっかり馴染んで美味しく頂いている。
トリガーが気分良く食事を楽しんでいると、不意に誰かが歩み寄ってくる気配に気付く。ちらと肩越しに見やれば、何やら緊張した面持ちのミラージュが向かってきていた。
おや、とトリガーは胸中で首を傾げる。記憶違いでなければミラージュはトリガーをやんわりと避けていたはずだ。それがどんな風の吹き回しだろうか。
「失礼します、トリガー准尉。少しいいですか?」
「構いませんよ」
食事の手を止め話を聞く体勢を取るトリガー。ミラージュは一度呼吸を整えると、意を決したように口を開いた。
「その、今日までトリガー准尉を避けるような真似をしてしまい、申し訳ありません」
開口一番の謝罪にトリガーは目を丸くする。別に因縁をつけられたわけでもなし、ちょっと避けられていた程度でわざわざ謝罪されるとは思ってもみなかったのだ。
「いえ、お気になさらず。それより、なぜ自分を避けていたんですか?」
トリガーとしては避けられていたことよりも、避けていた理由のほうが大いに気になった。答えたくなければ無理に聞くつもりはないが。
「それは、その……アル・シャハルでの戦いで戦場を引っ掻き回すような真似をされていたので、ハヤテのように戦場を舐めているような方だと思い込んでいまして……」
「なるほど?」
なんとなしにトリガーはミラージュの心境を察した。
トリガーをアル・シャハルでの立ち回りから、ハヤテと同じように戦場を舐めている、あるいは甘く見ているような人間だと考えていた。しかし実態は訓練にも根を詰め過ぎなほどに取り組み、僅か二週間の機種転換訓練でΔ小隊エースのメッサーと渡り合うほどの腕利きだった。
認めざるを得ない人柄と実力。ミラージュは自分の認識の間違いを自覚し、真面目過ぎるが故に当人たるトリガーに謝罪を申し入れたということだろう。
真面目を通り越して生真面目なミラージュに、トリガーは少し新鮮な気持ちを抱いていた。
軍人になってからそれなりに経ったが、ミラージュほど真面目を絵に描いたような人間を見たことがなかった。何せトリガーの周囲にいたのは誰も彼も一癖も二癖もある輩ばかりで懲罰部隊時代に至ってはみな犯罪者である。碌な奴がいるはずもない。
「真面目ですね」
苦笑混じりにトリガーが言えば、ミラージュは気恥ずかしげに目を逸らした。
「いえ、次のワクチンライブも決まりましたし。いつまでも私の身勝手で隊の連携を乱すわけにはいきませんので」
本当に真面目過ぎて心配になるな、とトリガーは内心で呟く。
その後、幾らか雑談を交わして満足したのかミラージュは元の席へと戻っていった。
次の任務の前に蟠りが一つなくなり気が楽になったトリガー。さて食事の続きをとテーブルの料理に手を伸ばしかけて、入れ替わり立ち替わるように近付く人の気配。
次は誰だと目をやれば、ワルキューレ新メンバーのフレイア・ヴィオンが、先のミラージュの焼き直しのように緊張した顔で向かってくる。
また珍しい顔である。というか、そもそもトリガーとフレイアにはあまり接点がなかった。ワルキューレとその護衛であるΔ小隊の一員であるからして交流があるように思えるが、その実話す機会もそうそうない。
毎日毎日訓練漬けのトリガーとレッスンに忙しいフレイア含むワルキューレ。積極性の欠片もないトリガーが自ら交流をしようとするはずもなく、フレイアとは今日までろくすっぽ言葉を交わしたことすらなかったのだ。
仕方なくトリガーは料理に伸ばしかけていた手を引っ込めた。
「トリガーさん!」
トリガーの目の前に立ち、フレイアは元気よく名前を呼ぶ。フレイアの勢いに面食らったトリガーは若干後ずさった。
「わたし、フレイア・ヴィオンって言います。好きなものはリンゴで、歌うのがすごく好きで、ワルキューレにむっちゃ憧れてて、えっとそれで……」
「少し落ち着こうか、フレイアさん」
勢いだけで突っ込んできたようなフレイアをとりあえず宥める。興奮からかウィンダミア人特有の頭部のルンが目まぐるしく点滅しており、それがフレイアのテンパリ具合を表していた。
「落ち着けよ、フレイア。トリガーが困ってんぞ」
いつの間にかあわあわと空回るフレイアの後ろに立っていたハヤテが軽い手刀を頭に入れた。
「な、なにすんのハヤテ! 女の子の頭を叩くとか──」
「いいからさっさと挨拶しとけって。他の連中のとこも回るんだろ?」
ハヤテの言葉に渋々納得したのか、フレイアは改めてトリガーに向き直った。
「トリガーさん。次のワクチンライブ、一生懸命頑張ります。たくさん迷惑掛けちゃうかもしれんけど、よろしくお願いします!」
「いえ、こちらこそ。お互い頑張りましょう」
「はいな!」
元気よく返事をして大きく頷くと、フレイアは慌ただしく他のケイオス社員の元へ駆け出してしまった。
嵐のような存在だったな、とトリガーが胸中でひとりごちていると、まだ残っていたハヤテが隣に並んだ。
「悪いな。あいつ、次のライブに向けてみんなに挨拶するんだって聞かなくて」
「律儀な人ですね」
「なんにでも一生懸命なんだよ、あいつは……」
他のケイオス社員にも元気よく挨拶して回るフレイアを、ハヤテは微笑混じりに眺めている。側から見るとフレイアの保護者にしか見えない。
二人はいったいどんな関係性なのか。多少気にはなるものの、例によっていつもの如く深入りするつもりのないトリガー。気を取り直してクラゲの踊り食いを楽しもうかと思うも、隣から突き刺さる視線が気になる。
「どうかしましたか?」
「いや、なに食ったらあんな機動ができんだろうなって」
「……食事の内容で機動が変わったりはしませんよ」
「分かってるって、そんなこと」
本気で言っているわけではないのだろう。トリガーの返答にハヤテは興味なさげに返した。
「──なあ、あんたさ。あんな飛び方して楽しいのか?」
不意に突き込まれた刃にトリガーの動きが完全に止まった。
何の脈絡もない問い掛け。ハヤテは神妙な面持ちで答えを待ち、トリガーは感情の読めない瞳で問いの真意を探る。
歓迎会の場にはそぐわない空気が流れ始め、何事かと近場に居たケイオス社員が訝しむ。悠長にしていると折角の歓迎会の空気が悪くなってしまう。それはトリガーの望むところではない。
「さあ……楽しい飛び方なんて、もう忘れたよ」
平坦な声で答えて、トリガーは逃げるようにその場を去る。あのまま残って食事を続ける気にもなれなかったからだ。
ハヤテにトリガーへの悪意や隔意の類は感じられなかった。ただただ、気になったから聞いてみたくらいの心情だっただろう。
それが偶然にもトリガーの触れられたくない傷に触れてしまっただけだ。
──あんな飛び方して楽しいのか?
空を窮屈だと感じ始めたのはいつからだろうか。
戦時中はそんなこともなかった。
そのうち信頼する仲間ができて、誰かと飛ぶ楽しさを知った。戦争の最中に不謹慎だと分かっていても、逸る気持ちを抑えることなく飛び続ける。いつしか、『トリガーについていけば生き残れる』なんてジンクスも生まれていた。
ケチがつき始めたのは戦争の終盤。三本線として敵味方関わらず恐れられ始めた頃だろう。
まだ戦争も終わっていない段階で暗殺部隊を差し向けられた。その時は返り討ちにし、更なる戦果を挙げたことで落ち着いたが、戦後に再び英雄を排除しようとする機運は高まった。
戦後に英雄は不要。軍が求めるのは死んだ英雄であり、トリガーの存在は目の上のたんこぶとなっていたのだ。
オーシア軍だけではない。エルジア急進派残党からも蛇蝎の如く忌み嫌われ、任務の度に恨みを晴らさんと狙われ続ける。
任務のどさくさに紛れて暗殺されそうになり、単独での危険任務を強制される。
敵機からは集中砲火を浴びせられ続け、トリガーをしても冷や汗を禁じ得ない場面もあった。
それでも空では敵わないとなれば、所属する基地への破壊工作や地上での暗殺を狙われる。気が休まる時などなかった。
だがトリガーはその全ての障害を跳ね除けて飛び続けた。
飛んで、飛んで、飛び続けて。己の
一人、また一人と奪われる度に己の半身を捥がれるような心地がした。空さえ守れるならいいと思っていたのに、いつからかトリガーの中で仲間の存在が想像以上に重くなっていたのだ。
その頃からだろう、空を窮屈だと感じ始めたのは。
奪わせまいと守ろうとした。けれど守りきれない。一人、また一人と取り零していく。
最も信頼する相棒を失ったことで限界が訪れた。
あの日、あの空で戦った老齢のパイロットの言葉が脳裏を過ぎる。
己が飛び続ける道と引き換えに最悪の無秩序を世に解き放ってしまったと。無人機の生産を絶てと、あの世界の空の命運を託してきた男。
──ならばトリガーは?
己のエゴと引き換えに失ったのは、幾つもの戦場を共に乗り越えた掛け替えのない仲間だった。
今でも夢想する。もっと早くに
意味のないたらればだ。スクラップ・クイーンなら鼻で笑うだろう。だが、トリガーの心には今も重く影を落としている。
だからこそ──今度こそは。
遠く離れたソラを思い、トリガーは一人決意を固めるのだった。