「おい、そろそろ起きろ。時間だ」
同僚の男、菊に肩を揺さぶられ、私は目を覚ます。
警備室の中は監視カメラの映像を写すモニターと菊のパソコンだけが暗闇の中で光を発している。
19時以降は警備員としての業務が終わり、一般人よりも疲労がたまりやすい私達は直ぐに眠りにつけるようにここの電気を消している。
現に今、先輩は今日の業務の疲労で毛布を掛けたままモニターの前で腕を枕にして机に突っ伏して眠っていた。
ありがたいことに、菊はそれには理解を示してくれている。
私は重い腰を上げ、身体を伸ばし、深呼吸する。
身体が少し軽くなったように思いながら引き出しの中のトカレフをポケットに突っ込む。
菊はロッカーの中の私のシルクハットとガイフォークスマスクを私に投げ付け、自分のを取り出す。
「…素顔のままで行くつもりだったか?」
「ああ、すっかり忘れていた。すまないな、最近忘れっぽいんだ」
私はヘアゴムを外して机に置くとその2つを身に着ける。
視界が狭まり、頭が締め付けられる。
この窮屈さがとても嫌いだ。
思わず溜息が零れる。
「仕方ないだろ。正体を見せたまま依頼を遂行したら理事長にしわ寄せが行くのは目に見えている筈だ」
菊はそう言いながら忙しそうに自分のシルクハットとガイフォークスマスクを身に着け、引き出しのライターをポケットに入れる。
彼の準備にはまだ時間がかかる。その間、私はトカレフの最終チェックを行う。
デスクに座り、マガジンの中の銃弾を掌に出す。
銃弾同士がぶつかり合い、金属音が静寂の中に響き渡る。
トカレフにつかわれる銃弾は通常7.62㎜だが、ホローポイント弾の大きさは少なくともそのサイズを超えている。
つまりオーダーメイドのものだということだ。
菊には銃弾をつくれる友人がアメリカに居るらしく、その友人から毎月4箱ずつ送られているようだ。
資金面に関しては政府が肩代わりしているので問題は無いが、私も菊もその銃弾を使う機会があまりにも少ないため彼の家にはそれがおよそ16箱ほど余っているらしい。
「…菊、君の家にある銃弾を私の家に送ってくれないだろうか。その方が、君の彼女にこの仕事がバレる心配が無いだろう?」
「そうだな。確かにそうかもしれない。…悪いな」
「何、気にするな。いつも準備をしてくれるからな。せめてもの礼だ」
「ん、わかった」
彼はそう言うとロッカーから黒いロングコートを取り出す。
私が弾丸を再装填したマガジンをセットすると彼はデスクの下からガソリンが入ったポリタンクを片手で軽々と持ちあげる。
「いつもので良かったよな」
彼はそれをデスクの上に音を立てずに置き、そのロングコートを羽織る。
「もちろんだ。毎回すまないな」
「もう慣れっこだ。気にすんな」
ポリタンクを持ち、私もそれに合わせて腰を上げて深呼吸をする。
「…行こうか」
警備室は玄関口の左にあり、月明かりだけが照らす廊下に出て1歩進むだけですぐにそこに着く。
私達は一切口を開かず、そこでスリッパからローファーに履き替えて羽丘を後にする。
街灯が照らす人気の無い線路沿いの道を淡々と歩いていると菊が口を開く。
「…今回のはどうする」
「どう、というのは?」
「骨だよ。そのまんまという訳にもいかないだろ」
「遺骨はそのまま遺族に渡そう。…その人たちには大事なものだろう?」
菊は微笑むと同時に溜息を吐き、真っ黒に染まった空を仰ぐ。
何哀愁を漂わせている彼に視線だけ送る。
「お前はやっぱこの仕事に合わねぇよ。…優しいからな」
「…私は反対なんだがな。彼らと、契約してしまったからね」
「あいつらの下で働くのは大変だな」
「ああ。本当に。…でも、私の秘密を守ってもらってるからね。無下には出来ない」
私が微笑むと『彼』の私を呼ぶ音が脳内に響く。
「それじゃ、『彼』と変わるからまた後で」
「ああ」
瞼を閉じて『彼』と意識を交換する。
私は『彼』と意識を交換すると深呼吸し、身体中にエネルギーが満ちる様な実感を得る。
「…菊一、この時間帯だと今回の対象が交際相手と一緒にいる可能性はないか?」
ポケットにあるトカレフの引き金に人差し指を掛けて対象と接触する前に懸念されるポイントを尋ねる。
もし仮にそうだったとしても仕留める事には違わないが、手間が増えるのは面倒だ。
「そこは心配要らない。これまでの調査で夜間に2人で外に出る事はほぼないことが分かっている」
彼はそう言うと、立ち止まって仮面を外し、ポリタンクを置いてハンカチで汗を拭う。
彼を待っている暇は無い。こんな面倒な仕事はさっさと終わらせるに限る。
私は彼を置いて先に進む。どうせ後から連絡するんだ。
踏切の前で立ち止まり、深呼吸すると身体にエネルギーの様なものが充満して身体が軽くなったのを再度実感して渡る。無駄に長い坂を一瞥し、周囲に人が居ない事を確認してポケットからトカレフを取り出す。
この坂を抜け、一直線に進んだ突き当りを右に曲がったところにある公園からが、対象が居る可能性が高くなる箇所だ。
私は警戒心を持ちながら足音を一切立てずに坂を淡々と上がっていく。耳を澄ますと、静まり返った公園からは不快なハエの羽音と白鳥の水面を移動する音が聞こえる。
力強く、乱雑でまるで苛立っているかのような人の足音がそれらに混じってうっすらと聞こえてくる。
それが対象のものかどうかは分からないが、その可能性は高いだろう。
坂を上りきり、公園内に入ると、その足音は静寂の中で良く響き、より鮮明に聞こえてくる。
私は一切の物音を立てずにそれが聞こえる方に慎重に歩を進める。
それに近づくにつれ、その対象の独り言が途切れ途切れに聞こえ始める。
「…なんで俺は、あいつに…できないんだ。あの頃はもっと…」
悔やむような声を発しながらもその足取りは荒々しい。
矛盾している。身体と感情が相反している。
…訳が分からない。しかし分かる必要も無い。
それを解くのは『彼』の役目だ。私は対象を殺す事に注力するだけで良い。
溜息を吐き、その声を頼りにしながら、それを漏らしている人間との距離をそのまま詰めていく。
すると、その声が明確に聞こえるようになったと同時にその姿が50m先に視認できるようになった。
短髪の黒髪に160㎝程の身長の小柄な体格の男。
間違いない。あれが今回の対象だ。
ポケットから銃を引き抜き、片手でグリップを握り、左眼を瞑る。
深呼吸をして対象の太腿に照準を合わせる。
「…お前は見ない方が良いんじゃないか」
人を殺す事に反対の『彼』に声をかける。
表情は見えないが、恐らく無理にでもこれを見届けようとして歪んでいる事だろう。
すると『彼』は『せめて、責任を取らねば』と言う。
「そうか」
私はそう吐き捨て、引き金を引く。銃声が静寂を破り、反動が直接腕の骨に響く。
放たれた銃弾は対象に命中し、対象は何も言わずに地面に倒れ込む。
私はゆっくりと歩を進めながら2発目を1発目と同じ行程でもう片方の太腿目掛けて放つ。
歩きながらで照準は多少ブレたが問題は無かった。
それが命中すると対象は喉から捻り出した呻き声を上げる。
対象と近づくにつれ、血生臭さが鼻を刺す。
対象の太腿からは鮮紅色の血が流れ続けている。
その色からして動脈にでも命中したのだろう。
レンガのタイルに足を乗せると対象が恐怖に満ちた顔でこちらを振り向く。
感覚が研ぎ澄まされているのだろう。
それをもっと早くできていればどれほどよかったことか。
「な、なん、で。どうしてっ、俺が…っ」
途切れ途切れの言葉を必死に紡いでいる。
私が一歩ずつ近づくと対象は苦悶の表情を浮かべながら必死に這ってでも私から遠ざかる。
しかし当然私の方が速い。対象の前に回ると髪を掴み上げて銃口を見せつける。
「…こんばんは」
「た、たすけ、助けてくれ」
痛みで上手く呼吸できないのか息が荒い。私が自分を撃った本人だと気づいたせいか恐怖のあまり涙を流し始め、声すらもまともに出せやしていない。
鼻水を啜りながら私にすがるようにパーカーの裾を力強く掴む。
「寒い。寒いんだよ。ほら、血も、こんなに」
対象は振り返って、必死に裾を引っ張りながら自分の状況を伝える。
私はそれをただ見つめている。必死に縋り付くさまを、トリガーに指をかけながらただ無心で。
「助けろよ!!!」
喉から捻り出した叫びは人気の無い公園では非常に無力だ。
誰にも伝わる事は無い。
対象はそれに気づくと裾から手を離して俯く。すると、何が面白いのか突拍子もなく笑い始めた。
「だから嫌いなんだよ。あの女、こういう肝心な時に役に立たねぇ」
対象は命乞いが無駄だと思ったのか急に自分の彼女の話をし出した。
ただ、その顔は先程とは大違いで、幸せそうで。でも、今すぐにでも死んでしまいそうなほど弱々しかった。
早急に遺言を聞かなければ。対象はもうすぐ死んでしまう。
「…最期に、言い残す事は」
「…アイツに、伝えるのかよ」
「当たり前だ」
「…じゃあ、素直になれなくて、ごめんって。本当は、お前の作る料理はとても美味しくて、どれだけ文句を言っても、暴言を言っても、殴っても、縛り付けても…。
なんて言えばいいんだろな」
私はただ無心で震える声で紡がれる言葉を覚える。
彼は少し黙りこくると「ああ、そうか」と私以外に誰にも聞こえないように言う。
「…愛しているって、伝えてくれ」
「了解した」
私は銃口を対象の口の中に入れ、引き金を引く。
炸裂音が響き、目の前には肉塊が生まれた。
ポケットからスマホを取り出し、菊一に電話をかける。
「終わった。処理は任せる。場所は公園に入ってまっすぐ進めば分かる」
『…お疲れさん』
私は電話を切り、目の前に肉塊に背を向けて入ってきた方向とは逆に公園を抜ける。
下水処理場を横切ると『彼』と意識を交換する。
「人を殺すのは、良い心地じゃないな」
私は溜息を吐く。トカレフに付着した唾液をハンカチで拭い、ただ無心で羽丘に戻る道を辿る。
彼の最後の言葉だけは忘れぬようにしなければ。
『愛している』
何度も心の中で反響している彼の遺言。
私はその言葉に秘められた思いを全て伝えられるだろうか。
ただの呪いになってしまわないだろうか。
「…早く慣れよう」
私に縋り付いていた彼の姿を思い出すとそれに妻の面影が重なる。
息子が行方不明になって、彼女は必死に探していた。だが、私はただそれを見ていることしかしなくて。
その時の通行人に縋る彼女の姿が、息子が行方不明になったのにも関わらず無関心な私に縋りつく彼女の姿が、今でも頭の中に焼き付いて離れない。
気が付くと私はいつの間にか羽丘の校門の前に着いていた。
「…今更だろ。もう遅い」
私はそう吐き捨て、玄関口でローファーからスリッパに履き替えると丁度先輩が私服姿で警備室から出てきた。
「お疲れ。皆の分のタイムカードは切っといたから、着替えたら早く帰れよ」
先輩は微笑んでそう言うと私の横を通り、玄関口から出て行った。
私は警備室でガイフォークスマスクとシルクハットをデスクに置き、トカレフを引き出しの中に入れる。
「お疲れ様です」
背後で声がする。久々に聞く声だ。
「…珍しいな。連絡も無しに来るのは」
視線を送らず声のみで会話する。
「申し訳ありません。ですが、あの事件以降、あなたがああいう事をしているのが意外でして」
声の主は心底楽しそうに話す。
「…あの事件?何の事だ?」
「…ああ、そういうことですか。いえ、なんでもありません。ショックもあったでしょうから、そうなるのも致し方ありません」
それは込み上げる笑い声を抑えきれずに漏らして笑う。
相も変わらず不気味だ。
「さて、今日はお疲れでしょうから、ゆっくりお休みください」
それはそう言うと姿を消し、警備室には私1人が残された。
あれは命の恩人であることに変わりはないがまったくもって訳が分からない。
私は溜息を吐き、羽丘を後にして家路を辿る。
忙しなく隣を走り抜けていく多くの車を横目に呆けながら真っ直ぐに伸びる道を歩く。
橋に差し掛かるとその下を通る都電の線路を渡る音で意識が勢いよく引き戻される。
「…ああ、もうこんなとこまで来ていたのか。いかんな、歳を取ると呆けてしまう」
溜息を漏らしながらこの橋を渡り切った先にある階段を降りる。
直ぐ近くにある体育館の隣に私の家がある。
ポケットから家の鍵を取り出し、軽快な音と共にドアを開ける。
家の電気はつけっぱなしで思わず溜息を吐いてしまった。
「電気代がかさばったな…」
つまみを捻り、先程と同じ音と共に鍵を閉める。
靴を脱ぐと真っ先にリビングに向かう。
ポケットからスマホと鍵、そして財布を抜き取り、ソファに置いて脱衣所に向かう。
フード無しパーカーを脱ぎ、Tシャツとレギンスと共に洗濯機に投げ入れる。
不意に視界に入った鏡に反射する自分の身体に嫌気が差す。
傷だらけで、弾痕だらけで、火傷の跡だらけで。
あの薬だけでは治しきれなかった傷が、戦争で自分に刻みこまれた印が、お前は逃げられないんだと、そう示しているようで私はそれから視線を逸らす。
「そんな事、百も承知だろう」
洗面台の下から白いタオルを取り、バスルームに入る。
目を瞑りながらシャワーを浴び終え、扉に向き直り、タオルで身体中の水分を拭きとると、それを腰に巻いて脱衣所に出る。
足早にクローゼットに向かい、無地の黒いTシャツとセピア色のサルエルパンツに着替える。
「今日はこのまま向かってしまおう。…時間も無い」
外したタオルをソファにかけ、床に両膝を曲げて腰を下ろし、背筋を伸ばす。
胸を広げて両膝に掌を天井に向けるように手を置く。
「4時間もやってれば、睡眠は取らなくても大丈夫だろう」
瞼を閉じ、深呼吸を無心で繰り返す。
何も考えず吸っては吐く。
そうしているうちに鳥の鳴き声が聞こえるようになった。
瞼を開けると生暖かい日差しが私を照らした。
「…おや、もうこんな時間か」
腰を上げ、昨夜ソファに置いたものをポケットに突っ込んで家を後にする。
4時間の瞑想のお陰か足取りはいつもより軽い。
とても昨日人を殺した者のとは思えない。
「あっちについたら、彼の交際相手に送る遺書を書かなくては」
踏切を渡り、駅のホームに入ると見覚えのある後ろ姿を見る。
薄灰色の髪、ボブのヘアスタイル、羽丘の制服。
間違いない。昨日学校で会った子だ。
「…おはよう。昨日振りかな」
彼女から少し離れたベンチに腰を下ろして話しかける。
彼女は少し怯えて「え、あ」とどもる。
「すまないね。急に話しかけてしまって。…その、昨日見かけたから声をかけただけなんだ。覚えてないようだし、そんなに気にしないでくれ」
私は微笑むと菊に電話をかける。
彼は3コール以内に電話に出る。
「…今日もすまない」
『わーってる。…まぁ、昨日あんなことしたあとだ。ゆっくり来い』
彼はそれだけ言うと直ぐに電話を切った。
彼は不器用だが根はやさしい。
「…あ、あの」
スマホをポケットにしまうと彼女がペンギンがプリントアウトされた絆創膏を差し出しながら話しかけてくれた。
私はそれに視線を移す。
…なぜ絆創膏を?肌を出しているところは傷が見えていないはずだが…。
念のため肌が見えているところをスマホのインカメラを向けて確認すると首元に大きな傷跡が見えているのに気が付いた。
「これ、あげます…」
「…すまない。気色悪いものを見せてしまったね。ありがたく受け取らせてもらうよ」
私はそれを受け取り、彼女からなるべくそれが見えない様に貼る。
彼女は微笑んで小さくコクリと頷く。
そろそろ電車が来る時刻だ。
重い腰を上げ、彼女の後ろに並ぶと踏切の警報器がそれの接近を知らせながら遮断機を下ろす。
それから直ぐに音を鳴らしながらホームに電車が入る。
ドアが開き、いつものように交通系ICで乗車賃を支払う。
私はドアに寄り掛かり、彼女は私の正面に位置取る。
羽丘の最寄りまで私たちは何も話さなかった。私は外の景色を眺め、一方彼女はチラチラこちらの様子を伺うように頻繁に視線を送ってきていた。
その最寄りに降りてからも大した話はしなかった。
というのも、私が駅で傷跡を見せてしまったせいか、酷く怯えているようでどもってしまわせているのだ。
…まあ、あんなに大きな傷跡を、しかも首元に見てしまえば私があちら側の人間だと思われても仕方ない。
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながらも何とか誤解を解いてもらえるように羽丘の校門までは世間話を続けた。
一応人当たりが良いように接してはいたが彼女がどう思ったのかは分からない。
校門に着くと彼女は「あ、あの」と声をかけてくれた。
怖がらせないよう微笑んで彼女の方を向く。
「高松燈です…。よろしく、お願いします…」
彼女は視線を逸らしながらも自分の名前を教えてくれた。
「私の名前は准。
編集記録 9/30 20:20
念のため肌が見えているところに視線を飛ばすと…
↓
念のため肌が見えているところにスマホのインカメラを向けて確認すると…