あれは嘘だ!!!!
許してつかぁさい
「ど、どうぞ…」
燈さんに促されるままに緑色のソファに腰を下ろす。
「それでは、失礼して」
身体が沈み、思わず感嘆の声を上げる。
いつ座っても、この感覚には驚かされる。
「このソファ、さぞかし高かったろう」
「え…えと…多分…?」
「さ、私の事は気にせず、昼食の続きを楽しんでくれ」
彼女は鉄パイプの椅子に腰を下ろし、昼食をとる。
私は溜息を零し、何となく呆けながら彼女の後ろ姿を見つめる。
彼女はパクパクと小動物のようにお弁当の中身を口に運ぶ。
その仕草がとても懐かしいような、それでいて寂しいような、何とも言えない妙な感情を引き出す。
誰かのそれと無意識に重ねてしまっているのかもしれない。
…だが、誰だ?大切な人だったような気がするが、靄がかかった様に、いや、まるで端からそんなものは無かったかのようにぽっかりと抜けている。
それでも必死になって思い出そうとしていると、ふと、頬を伝う何かに気が付く。指で拭ってみると、湿った感覚。涙だ。
「…おかしいな」
燈さんが私の声に気付き、振り返る。
「帝…さん…?」
「ああいや、気にしないでくれ。特に大したことじゃない」
幸いにも、涙は拭った一粒だけだった。
私は彼女に心配させまいと笑顔を見せる。
だが、それが余計に彼女の心配を煽ったのかもしれない。
彼女は焦った様に立ち上がり、「え、えと…。大、丈夫、ですか?」とこちらの顔色を伺うように問うてくる。
「大丈夫だ。心配するようなことでもない。…ただ、何故涙が出たのか分からないんだ」
ポケットからハンカチを取り出し、頬に残る湿った感触を拭う。
「心配してくれてどうもありがとう。さ、昼食に戻ってくれ。邪魔して申し訳なかった」
彼女は何か言いたげな表情のまま鉄パイプの椅子に腰を下ろす。
喉元まで出かかっている筈なのに、全く出て来ない。
その先が無い。この違和感が気持ち悪さを呼び起こす。
「…あ、あの」
燈さんに呼ばれ、顔を上げる。
眼前に立つ彼女は、先程と変わらず様子を伺うような視線を送っている。
「どうかしたのか?」
彼女の手に持っている、弁当箱が入っているであろう青い袋を見るに、昼食を済ませたのだろう。
「ああ、食事が終わったのか。…お邪魔して悪かったね」
「い、いえ」
腰を上げ、彼女と共に部室を出る。
部室棟を後にし、警備室前で彼女と別れる。
その間の会話は無く、彼女が気まずそうにこちらに何度も様子を伺うような視線を送ってきていた。
しかし、私は頭からすっぽり抜けている「誰か」に気を取られていてそれに気づく由も無かった。
「それじゃあまた」
彼女はコクリと頷き、階段を上っていくのを見送ってから私は警備室に入る。
すると休憩に入っていたであろう先輩がアイマスクを上にずらし、背中越しに私に手を振った。
「おかえり。女子高生と楽しく昼食か」
「そんなものじゃないですよ。少しお邪魔させてもらっただけです」
私を揶揄ってくる先輩の言葉を軽く流して自分のデスクに着き、背もたれに寄り掛かる。
「そうか?その割には何とも明るい顔をしているな」
「気のせいじゃないですか」
そう言ったものの、正直なところ、心が高揚しているのだと思う。
自分でも理由は分からない。ただ、頭の中にいる「誰か」が関係しているのだと、根拠の無い自信がある。
「…そうか」
先輩はそう言うと、アイマスクを外してデスクの上に置き、モニターに視線を移す。
私は特に何もすることが無かったので、何となく腕を枕にして机に突っ伏す。
「寝てても良いぞ。どうせ今日はまだ何も無いし、何かあったら起こすからな」
先輩はモニターを見つめたまま、頬杖をつきながら言う。
彼がそう言うのならと、私は瞼を閉じ、昨日の分の睡眠を取る事にした。
夢の中でさえ、意識は常にあの「誰か」に向かっていた。
頭の中に浮かんだのは、雪景色。
しんしんと降り積もる雪だ。
その銀世界の中、私と「誰か」は出会い、言葉を交わし、そして。
そして、どうなった。
私たちは冬のある日に間違いなく出会ったのだ。
それだけは間違いない。でも、それから、どうなった?
頭の中を疑問が駆け巡る。だが、何一つとして明確な答えはない。
『■』
疑問に混じって。とある声が頭の中で反響している。
少し高くて、ゆっくりな。
…この声音、何と言ったらいいのだろう。
『■■■■■■■■■』
酷く懐かしく、そして寂しさを呼び起こす、この声は激しい怒りを湧き上がらせる。
心の底から這い出て来る怒り。自分に対する怒り、周りに対する怒り、それらがごちゃ混ぜになったような、やるせない怒り。
何処にぶつけて良いのか分からないものが昇ってくる。
炎の様に、理性を燃やしながら広がっていく。心も、神経も、身体を巡るエネルギーも、全てそれに燃やされていく。
やがて、全てが炎に包まれると、それは外にも広がろうとする。
私はそれを必死に止めようとするが、それはとどまる事を知らない。
無駄だったのだ。ついにそれが広がろうというところで、菊に起こされる。
「大丈夫か?うなされてたぞ」
「…ああ、帰ってたのか。大丈夫だ。心配かけたな」
心の中で燻り続けている種火と頭の中で虚無を示し続けている「誰か」の存在に何とも言えない気味悪さを覚えながら、作り笑いを菊に向ける。
「…そうか。ならいい」
菊はそう言って自分のデスクに戻る。
警備室の中は、夕方を示す橙色の光でいっぱいに照らされている。
「菊、今井リサにあれを渡してきたのか」
「…ああ、行ってきた」
「どうだった?」
「…泣いてたさ」
菊は何事も無かったかのようにパソコンを付ける。
「彼女の友人がこうも被害にあうと、少し心に来るものがあるな」
弱々しく笑った顔をこちらに見せる。
「覚悟は、してたんだけどなぁ」
溜息交じりにそう言うと、いつもと同じようにキーボードを打ち始めた。
「…そうか。すまなかった」
「…これは俺が選んだ道だ。謝るな」
菊はそう言うと二度と口を開かなかった。
彼にも心の傷を癒す時間が必要だ。少し一人にしておこう。
重い腰を上げ、先輩に声をかける。
「今日はお先に失礼します。…友人との約束がありまして」
「ああ、今日はその日か。またな」
背中越しに会話をし、先輩はひらひらと手を振る。
「はい」
タイムカードを切り、ドアノブに手をかける。
帰る前ぐらいは声をかけるべきだろうかと少し悩む。
だがそのまま帰るのも友人としてどうかと思うのだ。
少し間を置いてから、よし、と短く息を吐き、振り向いて声をかける。
「菊、今日は早めに帰ったらどうだ。疲れてるだろう」
「…ああ」
「また明日」
どこか上の空な返事を聞き、羽丘を後にすると都電で東池袋四丁目に向かう。
道中、燈さんが居ないかと淡い期待を抱いてみるも、学習院下のホームに居らず、その期待は簡単に破られた。
歩き慣れた道を進み、ライブハウス「RiNG」に向かう。
別に楽器を演奏する訳じゃない。ましてやバンドなどもってのほかだ。
私は友人の孫の面倒を見に来たのだ。
階段を上がり、2階にあるカフェに入る。
「や、楽奈」
そう言って抹茶パフェを食している、白髪のショートで、金と銀のオッドアイの子、要楽奈の隣に腰を下ろす。
カウンターに視線を移すと、目の前には、RiNGのロゴが入った青い襟袖の黒いTシャツを着た、紫の目をした長い黒髪の少女、立希さんが居た。
「今日は立希さんか。こんにちは」
「…どうも」
「おじいちゃんも食べる?」
楽奈は抹茶パフェを掬ったスプーンをこちらに差し出す。
「いいのか?…では頂こう」
私は差し出されたそれを口に入れる。
「おいしい?」
「ああ」
「そっか」
楽奈はそう言うと、抹茶パフェを再び食べ始めた。
「…ご注文は」
「エスプレッソで」
私はメニューを見ず、いつものものを頼む。
立希さんも分かっているのか、メニューを差し出す事はしない。
注文を聞くのも、形式だけのものだ。
楽奈が抹茶パフェを食べているのを横目に私は立希さんの出すエスプレッソを待つ。
そうこうしているうちに、楽奈が抹茶パフェを食べ終える。
「うまかった」
「そうか。…どうする、先に帰るか?」
「待ってる」
「そうか。めずらしいこともあるものだ」
エスプレッソを待っている間、楽奈は名残惜しそうに抹茶パフェに残る僅かな抹茶クリームをスプーンで掬っては口に運ぶのを繰り返している。
「楽奈、抹茶パフェ、もう一つ食うか」
「食べる」
「エスプレッソが来た時に頼むから待っていなさい」
そう言うとタイミング良く立希さんがエスプレッソを横から差し出してきた。
「どうぞ」
「どうも。…立希さん、抹茶パフェをもう1つ、お願いできるかな」
「はい」
楽奈は嬉しそうに笑顔を浮かべながらこちらを見つめている。
「もう少し待っていなさい」
「うん」
私は頭を撫でると、楽奈は嬉しそうに膝に手を置いて笑みを浮かべている。
「君は昔から猫のようだな」
私はそう呟き、エスプレッソを一口飲む。
芳醇な香りが鼻腔を抜け、口いっぱいに広がり、エスプレッソの味と共に味わう。
「それ、うまい?」
「君にはまだ早いさ」
「そっか」
エスプレッソが少なくなった頃合いに、抹茶パフェが来ると、楽奈は私に合わせる様に凄いペースで食べ尽くし、私の手を取る。
「かえろ」
「少し待ってなさい。支払いを済ませる」
私は注文した分の金額丁度をカウンターに残し、楽奈と共にRiNGを後にする。
皆さまあけましておめでとうございます
作者も高校二年生になって、執筆にかける時間が減るなぁと思うと少し悲しいです
何とか両立頑張りたいと思います
今年もよろしくお願いします。