書いてみたいことが多すぎるもので……
原作を楽しみにしている読者様、申し訳ございません。少々お待ちください。
第一話
夜の森にて二つの影が走り抜けていた。
影は相手の小柄な影に蹴りつけた。
猛烈な衝撃があって、小柄な影はぐるぐると回転する体を必死に抑えこんで、影を探す。
戦場にいる戦士は正面ばかりを見ていることなどなく、実際には首を絶えず振り回し、五感を研ぎ澄ませて、潜んでいる敵を常に見張り続けることになる。
前方には大木の枝の上に、先ほど蹴りをかけてきた影がいる。
体勢を立て直した小柄な影は、木を足場にして鋭角的な移動をして相手の背後を目指した。
(ああ、もう!なんて速さ、こっちはもう限界なのに!)
木と木の間を縫って跳んでいる影の動きには寸分の無駄もなかった。巧みに足を使い、恐ろしいほどの速さで小柄な影を離していく。
(危険種を狩れるようになったからと言って天狗になったわけじゃない!)
小柄な影は限界を超えてでも、影に追いつこうとした。
その瞬間、衝撃がきたことにより、その判断が間違いだと気付いた。
自分のすぐ目の前に、相手の顔があったのだ。
「追いつくことに集中し過ぎだ、策を考えろ。追いかけっこしてるわけじゃないんだぞ」
声とともに、左足にローキックが放たれて、小柄な影はひるんだ。
が、小柄な影とてやられているわけではない。
流れるような動きで、腰に装備されたナイフを抜き放った。
その速さに驚いたのか影は、目を見開いていた。
影に向かってナイフを切り付けた。いや……切り付けた、つもりだった。
影はナイフで切り付けるよりも早く、手でナイフを握った右の手首を掴んでいた。
ローキックによって痺れた左足、掴まれた右手、小柄な影は完全に捕まっていた。
(しまった!)
小柄な影は空いた左手を胸の前に移動させた。
しかし、影によって放たれた貫手は左手でガードをしても強力な威力を持っており、小柄な影の意識は落ちた。
(やばいな……やり過ぎちまった)
影――タイガは気絶した小柄な影――息子のコウマを見てそう思った。
なにせ、ナイフを抜いた時の動きは百戦錬磨のタイガを以ってしても、驚くべき速さと精確性を持ったものだったのだから。
カルラの里に移り住んでから七年が経っていた。
その間タイガたち里の者は協議した結果、『独自で生きていく』という結論に出た。
理由としては、帝都では皇帝の後継者争いが激化しているからである。タイガは後継者争いの勝者はオネスト大臣だと確信していた。
酒池肉林をもっとも好み、政治センスも高い頭が切れる巨漢の極悪人である。
『影』が持つ情報網は活きており、そこからの話で前当主の言った通り、『影』の壊滅を皇帝に申したのはオネストだった。
そんな奴がこれから牛耳るところに、再び自らの命を預けるほど彼らは酔狂ではなかった。
後は、里で耕した畑から食材をとり、地元の人間からの依頼で危険種の討伐、樹海に住む危険種から剥ぎ取った素材、暗殺道具を作るノウハウを活用して、包丁などの道具を帝都で売っていくという生活を続けていた。
そんな生活に慣れると、タイガは六歳になった息子のコウマに自分が会得した技を教えていった。
タイガとしては、全てを継承するのに最低でも五年はかかると思っていた。
しかし、息子の技量はタイガの想像を凌駕していた。
日頃は穏やかで静かな息子は里のみんなから好かれているが、超一流の暗殺者の才能を秘めていたのだ。
僅か数ヶ月で基本といえる型をまだ十にもならない子供が習得してしまうなど前代未聞と言う他無い。
コウマの技量は同世代とは比べるのも馬鹿馬鹿しいほど上達しており、今では単独で危険種する狩れるほどに成長している。
(それにしても……コウマの成長速度は恐ろしいな。俺に手を使わせるとは。足だけで相手をするのも厳しくなってきたな)
あの時手でナイフを止めなければ、タイガの首は横に切り裂かれていただろう。平和の中で久しぶりに感じた死の感覚だった。
(危険種を狩る時もそうだったが、ナイフを抜いた時の目を見ると全くの躊躇いがなかった。どこをどうすれば生物を壊せれるのか自然と分かっているのか?)
今のコウマは会得した技量に体が追い付いていない。
後は練習を欠かさずにし、体作りをしっかりとすれば問題はない。
このまま成長すればコウマは近い将来自分を超えるだろう。
「さて、夜も深くなってきたし、そろそろ帰るか。……ん?こいつ気絶してもナイフを離してないな。そんなに気に入ってたのか?」
そう呟きながら気絶したコウマを抱えながらタイガは帰路についていた。
しばらくするとタイガたちは屋敷の門に着いていた。
門の前にはマイが待っていた。
「親方様、お疲れ様です」
「ああ、コウマを頼めるか」
「はい、あらあら、今日も派手にやったそうですね」
マイは気絶しているコウマを見て、クスクスと笑った。
「笑いごとじゃないぞ。こっちなんか『手は使わない』っていう手加減をしてたら、首をスパンってやられそうになったんだぞ。正直なところ次の段階に進めようかなと思っているんだが……」
「フフッ、だってこの子、あなたがいない隙に隠れて技の練習をしてたのよ。時には私も手伝ったりしたわ」
「……マジか?」
「ええ、ほら」
マイはコウマがナイフを握り続けている手を開いた。
ナイフの刃には傷はなかったが、柄の部分はボロボロになっていた。
「……こいつ、極度の練習は体に響くぞっていったのに」
「コウマは早く親方様に追いつきたいのですよ」
そう言われると悪い気がせず、顔が緩むのを感じた。
「では親方様、私はコウマを部屋に」
「ああ、俺は帝都から戻った奴らの報告を聞いてから戻る」
マイはその言葉を聞くと一礼した。
「さてと、いくか……」
当主の部屋にいくと部下が待っており、タイガは部下に話を促した。
「それで、何かあったか?」
「はい、先日この里から少し離れた村と森が帝国の焼却部隊に焼かれました」
「なんで焼却部隊がわざわざ……。その村は疫病でも流行ってたのか?」
「表向きはそう伝えられるでしょう。けど、真相は違います」
部下は膝の上で拳を握りしめていた。よっぽどの事ことがあったのだろう。
「……続けろ」
「……はい。焼却部隊の隊長が火炎放射器の帝具を手に入れ、『試し打ち』がしたいと申した結果、偶々近くの村に火を放ち村人たちが逃げ込んだ森ごと……」
血を吐くような報告にタイガは驚愕した。たったそれだけのことで、村と森を燃やしたというのか……。
「焼却部隊の隊長は、私的に部隊を動かした罪で謹慎処分を受けましたが、しばらくすれば何等かの制限を受けて元の部隊に戻るでしょう」
「貴重な帝具使いなんだ、そのままにすることはないだろう。……分かった。報告ご苦労だった。ゆっくり休んでくれ」
タイガは部下を下がらせると呟いた。
「嫌な予感がするな……」
『それ』は夜の闇を走っていた。
『それ』は成人男性の四倍以上の大きさを持っており、一本一本が女性の腰ほどの太さがある四本の足でしっかりと大地に踏み、全速で走っていた。
鋭く伸びた爪、光輝く金の目、強大な躰を覆うのは黒色の毛。
何より目を引くのは夜気を白く染める熱い吐息の中で見え隠れする爪より鋭い牙。
人の体はおろか鋼鉄すらも易々と噛み砕けるかもしれない。
『それ』の心の中は、怒りと焦燥感に二分されていた。
本来なら『それ』は、一部の場所をテリトリーとし、無駄な狩りを行わず、テリトリーを守る。
それが生き方だった。だが、その生き方もできなくなっていた。
自分たちの縄張りを燃やされたのだ。
最初は、森の近くの村が燃やされた。村を燃やされた人間は、森へ逃げていきその人間を追った人間は森に火を放った。
自分たちの先祖から受け継がれた森が燃えた。獲物である動物も燃えた。自分より、長く生きた木も燃えた。自分たちを崇めていた人間たちも燃えた。
自分たちの……先祖からの誇りを汚されたのだ。これに怒りを覚えずになんとする。
焦燥感の正体は食糧についてだ。もう何日も食べていない。探さなければ食糧を、栄養をなんとしても。
そして、『それ』は一つの樹海にたどり着いた。奥には、自分より強大な存在の血の匂いを感じたが、『それ』はひるまずに樹海の中に入っていった。
『それ』によってもたらされた変化にいち早く気付いたのは気絶から覚めたコウマだった。
自分がいつの間にか自室の布団の上にいるよりも、その変化の方が異常としかいえなかった。
「……おかしいな。いつもなら虫の鳴き声が聞こえるはずなのに」
コウマは耳に意識を集中すると、あった筈の外からの音が何一つ聞こえていないことに気が付いた。
大小に関わらず、そこに生き物がいれば音が生まれるのは必然だ。
風すら止まってしまったのか何一つ物音が無い。
「……森でなにかあったのかな?静かになるとすれば……」
自分より強大なものから隠れるときと言おうとしたとき――。
「オォォォォォォォォォォォンッ!!」
すぐ近くから聞こえてくる獣の咆哮を耳にした。
「なっ、何だ!?」
すぐ隣に居るような間近ではない、けれど明らかに里のどこかから聞こえてきたそれは決して遠くも無い。
続けて聞こえてくる家屋がなぎ倒される音に人の悲鳴。
「ギャァァァァァァァァァァッ!!」
「逃げ――アァァァァァァァァァァァァァァッ!!」
コウマは部屋から飛び出し、両親の元へ向かった。
(『何か』が里の中に入ってきたのか!?こんなこと一度もなかったのに!)
走っている間にも、夜を切り裂くようなこれまで以上に巨大な咆哮と人の悲鳴が響き渡る。
両親の部屋に向かう途中に母と会った。
「コウマ、無事!」
「うん、僕は大丈夫。父さんは?」
「親方様はみんなを救うため先に外に出ました。あなたは屋敷でじっと――」
してなさいとマイが言い切ろうとした瞬間。
「グオォォォォォォォォォォォンッ!!!」
先ほどの咆哮より巨大な咆哮にかき消された
。
すると、親子だろうか。血に染まった子供を抱いた女性が門を潜ってきた。
「マイ様!どうか、どうかお助けください!」
子供は背中に切り裂かれたような大きな傷があり、夥しいほどの血が流れていた。
その後ろにも大怪我をした人たちがいた。
「っ!分かりました。今すぐに治療を始めます。こちらへ!コウマ!屋敷からは絶対でないこと、いいわね!」
マイは怪我人たちを連れてコウマから離れていった。
残されたコウマは音で外の状況を知ろうとした。
すでに人の悲鳴は聞こえておらず、避難を叫ぶ声、家屋がなぎ倒される音、獣の咆哮らしきものが響いていた。
(父さんが助けにいったのに、まだ退治できてないのか!)
それは幼いコウマにとって最も驚くべきことだった。
里で最強の実力を持つタイガが苦戦する。それはつまり、自分の知る中で相手は規格外の存在だということだ。
(お父さんなら大丈夫なはず……でも!)
コウマの心の中には父と互角に戦う相手を見てみたいという欲ができていた。
そして今、父であるタイガが自分には見せたことのない全力の戦いをしている。
これを息子として見逃すわけにはいかなかった。
(お母さんごめんなさい、コウマは悪い子になります)
自分を止めた母に心の中で謝罪して、コウマは腰のナイフを確認しながら外に走っていった。
外は月の薄暗い光が照らし、闇夜がそれを覆い尽くす夜の世界だった。
家屋がなぎ倒されて中の火が移ったせいか、里の一部が赤くなっていた。
決して漆黒ではない里の夜の中でコウマは咆哮と破壊音が鳴って、父が戦っていると思わしき方角へと足を進めた。
「うっ!」
たどり着いた時に最初に感じたのは匂いだった。噎せ返りそうな生温かい臭いと肉が焼ける耐えられない臭いを嗅ぎ取ってしまった。
(なっ、なんだ『あれ』は!)
家屋の残骸の影でコウマは隠れ見たのは、口元を鮮血で紅く染める、タイガの数倍の巨体を持つ黒いオオカミとコウマも今まで見たことのない迫力を持って、武器を構えているタイガだった。
父が苦戦するということから大まかな存在は想像していたが、そんなものは現実を見るとあっけなく吹き飛んでしまった。
巨大な体は圧倒的な存在感を作り出して、タイガと対峙していた。
夜の中でも光輝く金の目で相手を睨み、黒を磨いたような色の毛と尾を逆立て、鮮血に染まった口はボリボリと人の骨と一緒についた肉と血を噛み砕き飲み込んで、大地には爪を立ててすぐにでも襲えるような体勢だった。
『捕食者』まさにその言葉が相応しい美しい存在だった。
(すごい……。あんなに綺麗な存在がいたなんて。僕が今まで狩ってきた危険種が四桁いてもあいつには敵わない……)
コウマは目を奪われた。獲物を狩るものとしての理想形の一つがそこにあったのだ。
次に父を見ると手に大きな鏃を両端に持つ五十センチほどのバトンを持ち、オオカミに臆することなく、構えていた。
(あれが父さんの武器、初めて見た。……え、えぇ!!)
父を見て、コウマはおもわず息を呑んだ。父がオオカミに匹敵するほどと見まがうほどに大きく見えたのだ。それはもちろん錯覚だったが、そこにいるだけで他者を圧倒させる威風を放っていた。
(こ、こんな戦いがあったのか!何もかもが規格外すぎる!)
今のコウマは未知に対しての恐怖よりも興奮が優っていた。この戦いを見逃していたら一生の後悔となっていたと確信した。
最初に動いたのはタイガだった。動いたといっても腕を少し下げただけだ。
下げたと思った次の瞬間にはタイガがいた場所にオオカミが噛みついていた。
(あの巨体でなんて速さだ!父さんは!)
コウマは父を捜した。タイガはコウマの予想外の場所にいた。オオカミの腹の下にいたのである。
(隙を作ってオオカミを誘導して、向かってきたオオカミの腹の下へ潜ったのか!)
一歩間違えれば、タイガの頭はオオカミに食いちぎられていただろう。幾度の戦いを潜り抜けてきたタイガだからこそできる技だ。
タイガはすかさずに鏃の付いたバトンをオオカミの腹に突き刺そうとする。
するとオオカミは跳び、反転して自分の背で鏃を受けたのだ。
(あんな動きを!……腹は動物にとっての急所、守るのは当然か)
タイガの顔が歪むのが見えたが、すぐにバトンの中央グリップを指で操作すると、背を刺した鏃が飛び出たのだ。槍のようになったバトンはオオカミの体重を受けて、ミシミシという悲鳴を上げ、タイガはすぐにオオカミの下から離脱した。
(あれはバトンじゃない伸縮自在の槍だったんだ!あれを背中に受ければただでは……)
オオカミの判断にも驚いたが父の必殺といえる技にはもっと驚いた。コウマはダメージを確認するが……。
(……え?直撃だったはずなのに傷一つついてない!)
そう、無傷だったのだ。下手をしたら貫通してもおかしくないはずだったのにオオカミは無傷だったのだ。
再び同じような体勢になったとき、壊れた屋敷の中で動きがあった。
「うう……」
崩れた屋敷の下に男性の姿があったのだ。足が折れて動かないのか立てる様子ではなかった。
その動きに先に反応したのは、不幸なことにオオカミだった。
オオカミはタイガよりも早く動き、男性の上半身を食いちぎった。
「てめぇぇぇ!!」
叫んだタイガは槍を縮めバトンにして、先の鏃をオオカミの首――よく見れば首の右側の一ヶ所だけ毛が剥げていた――に叩き込んだ。
速度をそのままに連続の鏃の一撃全てを一ヶ所に集中させた。
人間だったら首の骨が砕かれるよりも、首がもぎり取られ吹き飛ばされているだろう。
複数の一撃を首に撃ち込まれたオオカミ怯んだが肉や骨を咀嚼したまま、自分の尾を追いかけるようにして高速で回転した。
「くそっ!」
両端の鏃を伸ばし槍にして、それを盾代わりにしたタイガはそのまま吹き飛ばされた。
下がったタイガはオオカミの首をみて舌打ちをした。
「チッ!もう何十回も同じところに叩きこんだのに、まだくたばらねぇか!」
タイガの言葉を聞きながらコウマは一つの疑問を浮かべていた。
(……どうしてオオカミは父さんを喰うより、足の折れた人を優先したんだ?)
相手は足が折れて動けないのだ。いつでも喰うことができる。
タイガはいつでも喰うことができるということか?これはない。タイガはオオカミと互角の勝負をしている。簡単に喰える相手ではない。
自分の毛の防御に絶対の自信を持っているのか?いや、タイガとの戦いで分かっているはずだ。オオカミはタイガを自分の防御を破ることができる存在として理解しているだろう。
それならばなぜ?喰うことを優先した?
腹を守った時もそうだ。毛の防御があれば防げたはずなのに、わざわざ背中で防御した。
(何か、何かあるんだ。戦うことよりも食べることを優先する理由が……)
コウマは理由を考えようとしたが、それ以上は出来なかった。
自分の隠れている残骸のすぐ先に人、女の子が膝を抱えて泣いていたのだ。
「うっ、ぐすっ、うぅぅ……」
(馬鹿!何してる、逃げろ!)
コウマはそう叫びたかったが、出来なかった。
自分がここで叫べば、オオカミは自分を標的にして襲ってくるだろう。
コウマは祈った。どうか彼女が見つからないことを。オオカミが父に早く倒されることを。
だが、コウマの祈りは届かなかった。
女の子は顔を上げてビクッと震えた。
コウマも前を見た。先に父の背中が見えた。その先には、オオカミがいた。
そのオオカミが金色の瞳で女の子を見ていたのだ。