ひんやりと涼しい廊下をコツコツとヒールの音を響かせて、白衣の女性―――局長が歩いている。
やがて自室の前―――扉は粉々に砕け散っているが―――まで進んだ途端、部屋から巨大な違和感が流れてきた。
匂いでも温度でもなく、雰囲気としか言いようがなく、空気の感触が変質していた。
局長は目の前の部屋が特級危険種の巣になったかと錯覚したが、頭を軽く振り嘆息した。
部屋に踏み込むと調度も照明も何一つ変わっていない自分の部屋が目に入った。
ただ単に、女性―――隊長が我が物顔でソファにふんぞり返り、くつろいでいるだけのことであった。
しかも、全裸で。
自室に設置されているシャワー室とソファまでの床がびしょびしょに濡れており、身体もろくに拭いていないのか、ふんぞり返っているソファも酷い有様だった。
無断で部屋を占拠し、好き放題しているその人物と、一瞬とはいえ警戒してしまった自分に頭痛を覚えた。
隊長はそんな局長のことも知らず、悪びれた素振りを見せないまま、部屋に隠しておいた酒とツマミをつつきながら、コウマから奪った武器をいじっていた。
「おっ、局長。この手甲すごいぞ、ここまでの物は見たことがない」
「……隊長。私、時々もの凄く始末してもらいたくなる人物がいるのだけれど、それは私の人間性が劣っているから?」
「いや、それはつまりその人物が怒らせる行動をしたからだろ?人を不愉快にさせる方が悪いに決まっている。―――ところでこのワイン安物だな。後、ツマミがスルメしかない。サラミやジャーキーを用意するべきだな、うん。今度はそうしてくれ」
極まりない態度に局長は天を見上げた。
―――はっ倒してやりたい。
胸に渦巻くものを押し殺して、隊長に尋ねた。
「さて……報告してもらいましょうか、隊長」
「……何をだ?」
「まずは、あの少年について」
「ああ、彼は……」
局長に尋ねられても、隊長は武器をいじるのをやめなかった。
「まず武器いじりをやめなさい!」
「……了解」
局長の一喝に隊長は、手甲を机に渋々と置いて姿勢を正した。
「隊長。あの少年は何者ですか?説得とやらは成功しましたか?」
「待て待て。そう幾つも質問するな。まぁ、出会いは逃げた奴らを少年が倒したのを見てな、連れてきた」
「あの子、心臓止まってたんですよ?もう少し処置が遅かったら確実に死んでました」
「私の見込んだ男だ。その程度でくたばるタマではない」
「私が言いたいのはそういうことではなくて……ああ、もういいです。貴女がそういう人間ってことはわかってますから」
「それなりの付き合いなんだ、許せ。説得だが……一応は成功したな。正気に戻り、
「防人?」
「あの帝具の名前だよ」
防人が発動したのを見たことは局長もない。あれは局長自身が生まれる前からこの組織にあったためどうせなら発動した瞬間を見て起きたかったと僅かながら後悔した。
「これで彼を捕らえることができれば、量産型の研究が進む。彼は組織の希望になった、そうだろ」
「ふふっ、量産なんてもう必要ありませんよね?」
「はっ。で……眠っている彼を調べたんだろ?見立てが聞きたい」
「……生まれながらの化け物ですね。外側も内側も、いじった形跡はありません」
「やはりな!」
「この子の筋力、五感、抵抗力に回復力、全てにおいて人間としてトップレベル。薬を使ってまで底上げをしている奴らからしたら、『ふざけんなっ!』と間違いなくキレますね。恐ろしいのは、それら全てが高い安定性を持っている。これを崩すことが出来れば、更なる強さが見込めます」
「まさにダイヤの原石というわけか」
連れてきた少年のスペックを聞いて、隊長は満足気に頷いた。
自分の見込んだ存在が評価され、好成績なのは誰でも嬉しいものだ。
「知っている通り、こういうポテンシャルが高い存在はいくつかあります。例として挙げるならバン族。住む街の周辺は毒沼に囲まれ、害虫や猛獣、危険種が数多く生息しています。バン族はそんな自然の猛威がふるう過酷な環境で生きていくことで、優れた身体を得ることができた。私はあの子もそういう異民族出身だと考えます」
「私も彼が過酷な環境で成長したというのは同感だ。だがな、異民族出身とははずれだ」
「え?」
「このナイフ、どう見える?」
きょとんとした局長の反応を楽しみながら、隊長は机に置かれている数々の武器からナイフを取り上げた。
局長はナイフを渡され注意深く観察した。
「……わかりません。私には凄い切れ味を持っていることしか……」
「そこまでわかれば十分だ。ここまでのものは帝国の兵士も使っていない。そして……ふんっ!」
返されたナイフが隊長に折られる。
「ちょっと!危ないじゃないですか!」
「すまんすまん。まぁ、見てろ」
隊長は折れたナイフをくっつけた。しばらくすると―――
「……修復し始めてる!?」
折られたはずのナイフが一つに修復を始めたのだ。
局長は驚くが、その光景を見てナイフに使われている技術を悟った。
「このナイフ……まさか帝具の技術がっ!?」
「帝国の兵士が携行する剣には帝具の技術が流用され、自己修復機能を持っている。この全ての武器に自己修復機能があったよ」
局長は机に置かれた武器を見た。
手甲、小太刀、ナイフ、手裏剣。
剣のようにシンプルな作りをしていないそれらに、帝具の技術を加えることができた存在がいたのだ。
そこで局長は気付いた。
「……この技術は軍のトップシークレット。帝国と敵対している異民族が作れるはずなんてない。つまり、帝国と強いつながりを持った存在」
「それも武器にここまでの加工を、人に最高のポテンシャルを持たせることができるんだ。相当長い歴史を積み重ねてきたんだろうな」
現れた情報がパズルのピースのように繋がっていく。
完成したパズルに局長は目を見開き、隊長は笑みを濃くした。
それは皇帝の命に従い、貴族、軍、宮中において帝国に害をもたらす人物たちを調査し、密かに抹殺してきた存在。
十数年前に滅んだとされる暗殺集団。
『……『影』ですか/だ』
「う……」
どのくらいの時間が経過したのかも分からないまま、コウマは目覚めた。
―――いかん。気を失ってた。
隊長がこの場を離れると今まで無視してきた負担が解放され、気を失ってしまった。
―――こう何度も目覚めたり、寝たりするなんてしんどい一日だ。
今日は本当に様々なことが重なり過ぎた。
ただの危険種討伐を手伝う日がここまで波乱に満ちるとは誰が予想しようか。
そんなことを考えながらも周囲を見渡す。
身体に痛みはないが、泥を被ったように重く感じた。
周りには誰もなく、人の気配もない。
「夢、なんてことはないよな……」
自分が抱えている帝具、防人。
壁の所々に巨大な獣の牙がぶつけられたような傷跡。
力によって強引に引きちぎられた人体。
それらが、全てが現実だった事の証拠だ。
右腕を見る。隊長によって握り潰されたはずだが治っており、大きく動かしても違和感の一つも存在しない。
右腕に問題がないか確かめるため、転がっていた拳大の石に手を伸ばした。しかし、触れた瞬間、あっけないほど簡単に石が砕け粉々になった。
別の石に手を出しても結果は同じ。最初よりもむしろ派手に石を砕いてしまった。
三つ目の石で試してみても、やはり地面に粉をこぼすだけに終わった。
「なんだ?」
上半身を起き上がらせ両手を見つめる。
自分の腕には傷一つないが、訓練などで残ってしまった傷も綺麗に消えていることに混乱した。
周りの状況を知るために『心眼』を使う。
「ああっ……!」
『心眼』が与える情報に脳が悲鳴を上げた。
見えすぎる視覚が、聞こえすぎる聴覚が、強すぎる嗅覚が、感じすぎる触覚が、ききすぎる味覚がコウマの脳を驚かせた。
膨大な情報は頭痛となり頭を押さえながら転がる。
『心眼』をやめると頭痛が治まり、移動のため立ち上がろうとも、
「ぬぁっ!」
つんのめり、顔面から地面に派手に転んだ。
再び脚に力を入れても転ぶばかりで、立ち上がることが出来ない。そんな無様なダンスを踊ること五回目で、ようやく立ち上がることができた。
「よ、よし」
だが、あくまで立ち上がっただけ。両の脚は風が吹いただけで倒れそうなほど不安定なバランスだった。
コウマがまず一歩踏み出そうとすると、
「うわっ!」
部屋……いや、基地全体を揺らす震動が響き、コウマは後頭部を地面にぶつけた。
「帝国軍の攻撃が開始されました」
執務室で新しい軍服に着替えた隊長は、部下からそう報告を受けた。
いつもなら、部下はそのまま退出し、規定通りの対処をすることになっている。
だが、部下は動こうとしなかった。
「……どうかしたか?」
隊長の問い掛けに、部下は額の汗を拭った。
「……それが、通常の対応がとれません」
「ほう」
「ほぼ全てのゲートが彼らによって押さえられています。今までにない、総攻撃です」
「ならばこちらも総力でいい。実験体を使え」
いくら拭っても、部下の汗はひかなかった。それどころか顎の先からぽたぽたと汗を滴らせている。
「それが……帝国軍の攻撃が実験体収容所に直撃し、崩壊。自由になった実験体は研究員たちを襲い続けています」
「……わかった。下がっていろ。後の話は彼女に聞く」
入室してきた局長を横目で見ながら、隊長は部下にそう命じた。
「外には帝国軍。それも指揮官はナジェンダ。出口は
局長はタバコに火を付けながら呟いた。
「そうだな。ナジェンダ将軍は帝国軍一の知将といってもいい。評判によれば珍しく全うな人間そうじゃないか」
「こんな辺境の組織を滅ぼそうとするなんて余程の暇人か、善人を虐げる悪を討つという気概がなければしませんよ」
戦闘の音が激しくなり、研究員たちの悲鳴や怒号も小さいながらも聞こえてくる。
「隊長……貴女、何がしたかったんですか?」
「情報漏洩のことか?」
「いえ……まぁ、それもありますが」
「とっくに知っていると思ったんだがな」
「知っていますよ。貴女が帝国軍を始めとする、勢力に通じてこの組織の情報を流していることを」
「……」
「だけど、貴女はこの組織の英雄、いえ王です。ここは貴女の王国。王には、自らの国を滅ぼす権利がある。したいようにすればいいんです。貴女の情報漏洩のために軍がこの組織の壊滅に成功したとしても、それが望みなら私は責めようとは思いません」
「……そうか、ありがとう。今日の私は運命に愛されている。あの『影』の少年を私の前に連れてきてくれた」
と、隊長が満足な笑みを浮かべた。
局長はその呟きにメモから視線を外し、隊長を見る。
隊長の指がこちらに差し出されていた。
局長は懐からタバコを出し、自分の口にあるタバコで火をつける。
「どうぞ」
感謝の言葉もなく、隊長は吸い、盛大にむせた。
「う……やはり分からんな。こんな体に害を与えるものを吸う連中の気持ちなんて」
口から洩れた煙を見送りながら隊長は呟いた。
「あら、それが私を吸う気持ちにさせる常習犯がいうセリフ?」
隊長の反応に微笑んだ局長の言葉に、隊長は顔をしかめた。
「ふん。口が寂しいならガムか何かを噛んでいればいいのだ。最近のガムは凄いぞ。味が何種類もある。最悪、爪楊枝を咥えればいい。コストならタバコより安いぞ」
「貴女と私のタバコ議論の結果はいつも平行線なので切り上げます。……健康、健康といいますが、貴女、普通の人間にとって即死ものの薬をごっくんごっくんと飲んでいますよね。前、ビーカー一杯分の錠剤を飲んでましたが……」
「……今、強くなれるなら明日もいらないさ」
「格好つけたつもりですか。……隊長。この組織に貴女が来た時を覚えていますか?」
低い声で局長は呟いた。
すぐそばで破滅が起こっている中、二人の雑談は止まることはない。
顎に手を当てながら隊長は答える。
「確か五年前だな。あの時の君の名前は……」
「『6』。先代の『局長』だった父に与えられたものでした。……貴女が父や兄たちを殺してくれなければ、私は装置となっていた母と同じにされていたかもしれませんね」
「『君の実力を見せてほしい』といったから首を一回転させてやったよ。最初で最後の命令だったな」
「……その時からですね。私たちの奇妙な関係も。そして今日で終わり。組織とその奇妙な関係も全て」
「改めて、聞くがいいのか?君はあの一族の唯一の生き残りだろ。ここは君の一族にとって……いや、生まれてからずっといた家じゃないか。私のような部外者には粋もなにもわからないが」
「いいんです」
まるで他人事のように局長は答えた。
「生き残りは人間の平均まで回復することができましたし、ここの研究者はただ帝国にばれずに非道な実験がしたいだけの悪党。滅びればいいんです」
吐き捨てるように言うと隊長の方へ振り向いた。
「隊長。本名、教えてくださいよ」
「断る」
局長の言葉に隊長は即答した。
その言葉に局長は苦笑を浮かべる。
「これが最後なんですから、いいじゃないですか」
「ダメだ。私の国の語感は、この国では馴染みがない。笑われるのがオチだ」
「最後なんですから」
「ダメといったらダメだ」
その時、扉が激しく叩かれた。ノックというには強すぎるものと共に幹部と思われる者の怒声が聞こえる。
扉は激しく開けられ幹部の一人が転がり込むように入ってきた。
濃い汗を滝のように流しながら、機関銃のような速さで言葉を吐き出す。
その速さに局長も隊長もまともに理解することができなかった。単語として『助け』としか聴き取れなかった。
二人の反応が癇に障ったのか顔を真っ赤にして怒鳴り出した。
「……わかった」
隊長はそれだけ言うと、幹部の首に手を伸ばす。
部屋に重く、乾いた音が駆け抜けた。
幹部は首をあらぬ方向へ向け永遠に沈黙した。
「局長。私がいつも同じ夢を見るのは知っているな?」
「ええ」
「シャワーを浴びた後、軽く寝たんだ。いつもの夢を見ると思ったんだが……違った」
「どんな……夢でした?」
「彼が……防人を纏って私の前にいたんだ。彼は私に向かって走り、拳をぶつけてきた。顔は砕け、私は死んだ。そこで目が覚めたんだ」
「……感想を」
「いい夢だった!」
弾けるような笑顔を隊長は浮かべた。
そんな隊長を苦笑を深めながら局長は机にあった武器一式を見た。『影』が作り出した武器は冷たい光を放っている。
武器に手を当てながら、
「『夢は肉体よりも精神的要因が強い』―――と私はいいましたね。彼はそこまで貴女に強い影響を?」
「……逃げ出した実験体との戦闘だ」
「は?」
「あれを見た時、心が震えた。ここに来て五年間、組織のために、様々な闘いを行ってきたが、あれを見た時の方が、ずっと……それはもう比較にならないものが……」
「……」
「私はもう行く」
それだけ言い、隊長は歩き出し、扉を開けた。
「今まで、ありがとう」
その声と共に、隊長は扉を閉めた。
閉じられた扉に視線を向けたまま、ややあってから舌打ちした。
「……悲しくなるじゃないですか」