「はっ!父さん!」
寝静まった夜にコウマは布団から跳び起きた。
胸の中にある不安が爆発したかのように大きくなったのだ。
「父さんが……父さんが危ない!」
根拠はなかった。ただ、自分の直感が無根拠のまま父の危機を叫んだのだ。
千年続いた『影』の血が与えてくれた才能なのかはコウマには分からなかったが、自分がしなければならないことは分かっていた。
治療で疲れて寝ている母とサキを起こさぬように細心の注意を払って、コウマは森にいく準備をした。
傷薬と携帯用非常食、投擲用ナイフを数本、着物の下に防御のための鎖帷子など動きを阻害しない程度の量を持った。
「あっ、ナイフ……折れてたな……」
準備が終わり森に移行とした時、自分の愛用のナイフがオオカミの毛皮によって折られていたことに気付いた。
「どうするどうする、何か使えるものは……あったな」
コウマは当主の間に向かった。父のことだから、探しているものはそこにあるだろうと確信していた。
「あった……」
当主が座る上座の後、本来はタイガの独鈷所槍が掛けてあった場所にそれはあった。
前回の戦いで折られた独鈷所槍の残った部分だ。
丁度いいことに、柄の部分と鏃の部分を合わせてコウマのナイフより少し長いくらいの長さになっていた。
コウマはそれを腰に装備して門の前まで向かった時―――
「コウマ様……」
自分を呼ぶ声に振り向いた。そこにはサキが立っていた。
「サキ……ど、どうして」
「私も胸騒ぎを覚えていたんです。……コウマ様が無茶をしてしまうのではないかと」
サキは強い視線をコウマに向けて近づいてきた。
「こうして夜がくると父と母が死んだことを思い出して恐ろしくなるんです。私は二人の死を見ることが出来ませんでした。いなくなってしまったんです、私を置いて。一人になった絶望の中にいた私をコウマ様は身を挺して助けてくれました」
言いながらサキはコウマに抱き付いた。服を掴む手は震えていた。
「だから、帰って来てください!いなくならないでください!絶対に、絶対に!だから―――」
「わかった」
サキの前髪を優しく撫でる。
「ありがとう。いってくる」
たった一言。あって数日のサキにコウマが見せた、言葉の意思表示
コウマは踵を返す。そして、背中を向けた瞬間、サキが声をかけてきた。
「私、待っています!」
その声にコウマは頷いて森に走っていった。
コウマは夜の森の中を走る。
自分の直感に言われるままに、父を守るために―――
森に残った血の跡を辿って、ただひたすら走る。
希望が絶望に代わる前に、少しでも可能性があるうちに―――
チリチリと空気を伝わってそこにいる『何か』を感じ始めた。
言葉では表現しきれない悪寒がコウマの背中を駆け巡り、一歩進むごとにそれが強くなっていく。
そうして、辿り着いたのは里の裏側にある山の前。
そこに待っていたのは、大木に寄り掛かって座り込んでいる父、タイガと今まさにとどめを刺さんとする隻眼の巨躯のオオカミ、金剛餓狼。
コウマは迷わずに着物の中から投擲ナイフを取り出して渾身の力を込めて金剛餓狼に向かって投げた。
こんな攻撃が通用するはずもないことはコウマもわかっており、今は金剛餓狼の注意を逸らして、父を救うことが最優先だ。
タイガの敗北は里の人間の死に等しいのだ。
投げたナイフは金剛餓狼に寸分狂いもなく向かったが、予想通りに強靭な毛皮に弾かれて傷一つついていなかった
金剛餓狼がコウマの方を向き、目があった。
続いて、まだ意識を保っていたタイガも向いて驚き叫んだ。
「何してんだガキ!何できやがった!?」
「お叱りはお互いが生きていた後で聞きます!」
金剛餓狼が戦闘態勢に入った、コウマは避けることを優先として、右手に折れた槍と左手に投擲ナイフを構えた。
正直にいって、武器を構えても何の足しにもならなかった。それでも、武器を構えるのは生き残るという覚悟の表れだ。
金剛餓狼が口を開いて突進してくる。
タイガとの戦いによる疲労のためか最初に遭遇した時のような素早さはなく、コウマがギリギリ反応出来る速さに落ちていた。
コウマは体を大きく反らして避け、死角を利用して右側にある傷を折れた槍で突いて、効果を確かめる間もなく離脱した
金剛餓狼は繰り出した牙はそのまま大木の幹に打ち付け、その幹をまるで豆腐のように噛み砕いた。
(なんて出鱈目な存在!?夢なら覚めて欲しいよ!)
だが、コウマの目の前にあるのは現実であり、逃げ出したくなる自分を必死に留まらせて金剛餓狼と向き合った。
再び金剛餓狼が向かってきた。
あれから長い時間がたった。
周りには金剛餓狼によって噛み砕かれて倒れた木が散乱しており、コウマはその上を飛び回っていた。
投擲ナイフはもう無い。突進する金剛餓狼に不意打ちとして残った目に投げたが驚異的な反射力で口に入れ、噛み砕いてしまった。
先ほどから同じことを何度も繰り返しており、コウマ自身も全く同じことを繰り返せていることに驚いていた。
金剛餓狼の突進に合わせて首の傷に攻撃を当て、飛びついてきたら回避に専念する、先ほどからこれの繰り返しだ。
(あと、何回……あと、何回だ……!)
極度の死に対する緊張と一瞬たりとも気の抜けない緊迫感、恐ろしい勢いで体力が削られてるにも関わらず、コウマは戦っていた。
(少しでも、毛皮の防御を削らないと……!まてよ、削る……削る……)
コウマはあまりにも頑丈な毛皮の対処法を考えて一つの方法を思いついたが、そこが隙となり、タイミングが遅れてしまった。
「ごふっ!!」
死角に入るのが遅れたため金剛餓狼の前足による薙ぎ払いを受けて吹き飛ばされて木に叩きつけられた。
コウマの体は叩きつけられた衝撃で、全身の骨が軋み、内臓が圧迫され、血を吐いた。
着物は爪でズタズタになったが、下の鎖帷子によって致命傷は免れた。
だが―――
(ぐっ、はぁ……はぁ、一撃でここまでの威力があるのか……。出鱈目な奴……)
金剛餓狼が歩いてくる。
コウマは軋む体を動かそうとしたが……。
(う、動かない!)
薙ぎ払いによる一撃で元々、限界を超えていたコウマの体は動かなくなっていた。
段々と、体に力が入らなくなってきたが槍だけは離さない。
金剛餓狼が近づいてくる。止めを刺すつもりなのだろう。
(ふざけるな、動け、動け!こんなところで終わってたまるか!父さんを助けるんじゃなかったのか!僕たちが死んだら母さんはどうなる!サキとの約束を破ってたまるものか!動け、動け!!)
心の中で自分の体を動かそうとするが、金剛餓狼の足音が聞こえる。
コウマを喰おうとして大きな口を開ける。
(こんなところで死ねるか……生きて、生きて帰るんだ!!)
コウマがそう思った時が―――。
ドガァという音が響き、金剛餓狼が怯んだ瞬間、コウマは誰かに抱えられていた。
「まったく、なに死のうとしてんだよ。この馬鹿息子」
コウマを抱えた人物―――タイガはそう言った。
「父さん……、傷は平気なの……?」
コウマは自分を抱える左手をみた。その腕は血に染まっており、見るからに痛々しい。
「息子が父親を守るために戦ってんだ、おちおち寝ていられるか」
タイガの強く頼もしい声を聞いてコウマは泣きそうになったが、そんな姿を見せたくないため腕から飛び降り、強がった。
「大丈夫、父さん。まだ戦えるよ」
先ほどまでの体も何とか動かせるようになり、タイガと一緒に金剛餓狼の方を向く。
金剛餓狼はこちらを見据えており、立ち上がったタイガとコウマを警戒していた。
金剛餓狼を見据えたまま、タイガが話しかけてきた。
「いいか、俺もお前も既に限界だ。次の一撃で奴を殺さなくちゃいけない」
タイガの言葉にコウマは頷いた。確かにいつ倒れてもおかしくない状態なのだ。
「父さん、僕に策があるんだけど……」
コウマは戦いの中考えた策をタイガに伝えた。
その策にタイガは笑みを浮かべ。
「おもしろい。どうせこっちはあと一回で終わりなんだ。一か八かやってみるか」
そう答えてくれた。
金剛餓狼がこっちに向かってきた。
「いくぞ!!」
タイガの叫びと共にコウマも一緒に動いた。
二人は今まで通りに右側の死角に潜り込み、コウマは鏃の付いた折れた槍で首についた傷に一撃を加えた。
(父さんのように高速で同じ場所に打ち続けるなんて、今の僕には無理だ。なら、一撃で連続の攻撃をして相手を……討つ!!)
そのまま槍を傷に当てたまま足で地面を思いっきり踏んだ。
(足で大地を味方にし、武器を相手に押し付けて、腕は竜巻を起こすように!)
コウマは首の傷に槍を押しつけながら、強力な回転力を加えた。
(届け!届け!届け!届け!届け!届けぇぇぇぇぇ!!)
コウマの全てを込めた一撃は―――届いた。
ブシュッ!という音を耳にして、次に危険種を狩った際に感じた肉の感触を感じた。
金剛餓狼は自分の鉄壁の毛皮が破られたことに動揺しているのが目に見えた。
「グオォォォォ!!!」
恐らく初めて感じるであろう自分の肉が削られる感覚に咆哮とは違う叫び声を上げた。
「浅い!父さん!!」
肉に届いたのはいいがそれ以上進めることは出来なかった。だが、それでいい。その点もちゃんと考慮している。
コウマは刺さった槍から手を離し、しゃがみ止めを刺すために叫んだ。
自分が最も信頼する存在に一緒に見出した最初で最後の勝機を伝えるために。
「……お前は本当に俺たちの自慢の息子だよ」
タイガは万感の思いが詰まった言葉を呟いて、首に刺さった槍に自分の全てを込めた連打を叩き込んだ。
杭となった槍は連打を叩き込まれたことによって、金剛餓狼の首の肉を進んだ直後―――
ボギャリッ!!!
ついには比喩表現で表せない音を立てて、その首の骨を粉砕した。
金剛餓狼の傷口から血が滝のように流れる。
すぐ近くでしゃがんでいたコウマは金剛餓狼の血を頭から被った。
ズゥンという非常に威圧感を感じさせる音を立てて金剛餓狼は地にひれ伏した。
(勝った……勝ったんだ……)
コウマは頭に血を被りながら、勝利という名の現実を噛み締める。
そうして、気が抜けたのか仰向けに倒れた。
元々、体にガタが来ており、最後の技を出す気力などどこにあったかわからないのだ。
「コウマ!」
焦りの声を上げてタイガは倒れたコウマを抱いて金剛餓狼から離れた。
「父さん、……僕たち……生きてるんだよね……?」
「ああ、お前のおかげで俺は……いや、里のみんなが救われた」
タイガはコウマの頭を撫でて答えた。
「ふふっ……」
「……どうした?なに笑ってんだよ」
コウマが急に笑い出したことにタイガは訝しんだ。
「いやぁ、父さんが焦ったところなんて初めて見たから」
「お前なぁ……」
二人は笑った。お互いが生きていることを確かめるために。
そんな二人の背後で動きがあった。
それに気づいた二人は、『まさか』と思い、顔を背後に向けた。
金剛餓狼が立っていたのだ。
「ヴォルルルルルルルル・・・」
低い唸り声を上げ、自分を攻撃した者へ視線を向ける。
だがその姿は弱弱しく、コウマとタイガを戦っていた覇気は無い。
体の大きさゆえに絶命せずに命を繋いでいる状態があまりにも痛々しく、そして超級危険種として威風堂々とそこに立っていた。
「嘘だろ……」
タイガの言葉はコウマの心境と同じであった。
首の骨は確かに砕き、コウマは耳に、タイガは感触として感じていたのだ。
(まずい、まずい、まずい、まずい、まずい……)
コウマは絶望に包まれていた。
もう自分たちは戦えない、走る気力さえないのだ。
そんな自分たちを金剛餓狼は―――襲って来なかった。
「え……?」
コウマは思わず疑問の声を上げた。
なぜ、襲ってこない。格好の獲物が目の前にいるのに。
それどころか、今まで感じていた敵意もなくなっていた。
金剛餓狼は二人に背を向けたが、首はこちらを向いていた。
『ついてこい』二人にはそう語ってるように見えた。
「父さん……」
「ああ、いくぞ……」
金剛餓狼の後を二人はついていった。
案内されたのは洞窟だった。
金剛餓狼は首から大量の血を流してフラフラと入り、それに二人は続いた。
ごつごつとした岩肌と、じゃりじゃりと足にまとわりつく土肌。双方の感触を味わいながら目を凝らして更に奥に進む。
どうやら洞穴の天井に小さな穴が幾つも開いているらしく、それが光源になって中を照らしているようだ。
そして二人が明かりの下に付いたその時、薄暗い洞穴の中で確かに『何か』が応えた。
『何か』は一つだけではなく、三ついた。
そこには黒色の毛を持つ小さな金剛餓狼がいた。
「赤ん坊……」
小さな金剛餓狼を見たタイガは驚きの色を含めた声を出した。
「そうか……だから食べることを優先していたのか……。出産のための栄養と体力を得るために……」
コウマは初めてあった金剛餓狼が行った行動に納得した。
三匹を見たところ生まれたばかり、里を襲撃した時に腹を守ったのは当然だったのだ。
「通りで、動きが鈍かったわけだ。出産の疲労が回復してなかったのか……」
タイガも納得していた。金剛餓狼の動きが鈍くなっていたのも、この出産をしたからなのだと。ならば、コウマが戦えたのも得心がいく。
金剛餓狼はゆっくりと顔を動かしながら舌を出して子供の金剛餓狼を舐め始める。
優しく、自分の命を与えるように。
「キュ~ッ・・・」
するとまだ目も開いていない赤ん坊のから泣き声が出た。
酷く弱弱しく、集中しないと聞き逃してしまうほど小さい声だった。
金剛餓狼が横になると三匹の子供は懸命に動き回り、乳の部分で止まると力強く母乳を飲んだ。
自分の乳を飲む子供たちを見ていた金剛餓狼は二人を、いや自分の血で染まったコウマをまっすぐな目で語った。
『……この子たちを、この子たちをお願いします。わたしはもう、この子たちのそばにいられない。だから……』
コウマは飲み込まれそうな金の瞳をみて、金剛餓狼が伝えたいことを理解し、困惑した。
(なんで、僕なんだ?いや、赤ん坊は親が死んでしまったら生きていけない。それに、万が一生き延びたら、いつかこの子たちも人を襲うようになる。第一、こいつは里の仲間を襲ったんだぞ、サキの両親もこいつによって……)
金剛餓狼は自分に致命傷を与えた自分に子供を託そうとしている。
そしてそれが自分たちをこの場所へと招いた理由なのだと判ってしまう。
自分はもう死ぬ。それ故に残していく我が子が生きていけるようにしたい。
そう伝えてきたのだ。
コウマの頭は混乱状態になっていた。
そんな中一つの言葉が浮かんだ……『ずるい』と。
(殺されそうになったんだぞ、みんなに癒えない傷を負わせたんだぞ、それなのに最後は子供たちをお願いします?ふざけるな……ずるいよ……)
金剛餓狼が弱っていく。
巨躯に似つかわしくない無くなっていく生気、力強く大地を踏んでいた四肢からは力が抜けて、ゆっくりと重くなっていく呼吸、首から流れる赤い血、今にも消えそうな炎を必死に燃やして生にしがみ付いている。
コウマは金の瞳から三匹の子供に視線を移した。
何も染まっていない無垢な存在を―――。
「父さん、下ろして……」
「……分かった」
コウマは金剛餓狼の前まで歩くと、膝をつき、そのまま両手を地面につけて、頭を下げた。
「わかりました。この子達は責任を持って預かります。ですから……安心して……」
コウマは自分がどうしてそんな言葉をいったのか分からなかった。
『嫌だ』と言いたかった。『ずるい』と言いたかった。『ひどい』と言いたかった。
それなのに出てきた言葉は全く正反対のものだった。
『ああ……ありがとう』
安心しきった、とても優しく温かい声をコウマは聞いた気がした。
その『声』を最後に金剛餓狼は動かなくなった
コウマとタイガが里に戻ってきた時には、朝になっていた。
タイガが無事帰ってきたことで、金剛餓狼が無事に討伐出来たことに里の全員が歓声を上げた。
里の人間はコウマがいなくなって、みんなで探していたらしく、体が血で真っ赤になっていて里のみんなは驚き、特に母であるマイは気絶しそうになったが、傷こそあれ、五体満足で無事であることにみんなが安心した。
だが、コウマが破れた着物の中に包んでいたものを見て、その安心も吹き飛んでしまった。
連れてきた金剛餓狼の子供たちである。
「こんなのを育てるつもりか」
「いつかこいつらも人を襲うようになる」
「どれだけ人死にが出たと思ってるんだ」
里の大人たちと家族を喰われた人たちは金剛餓狼を処分する結論を即座に出した。
この言葉にコウマは必死に抵抗した。
「ちゃんと育てます。ちゃんと、いい子に育てます。もし、里のみんなに危害を加えるようになったら、僕が責任を持って……殺します」
里の大人たちが曲げてはいけない主張を持つように、コウマもまた曲げない主張を持って対抗した。
結論として、当主タイガとその妻マイの「コウマの好きにさせる」という言葉で『様子を見よう』と言う意識で固まり、収まった。
元々、金剛餓狼は里の森にいなかった。
何かが理由になって縄張りから追い出され、その為に食糧を求めて襲ってきた。
本来なら今回の発端はただそれだけの理由に過ぎない。
ならば金剛餓狼を危険と考えるのは人の身勝手さだと。
コウマは自分の懐にいる金剛餓狼の赤ん坊たちを見て思った。
(強く……強くなろう。お前たちを育てる親として……里のみんなを守れるように……大切な人たちを悲しませないために……強く、強くなるんだ!)
コウマは赤ん坊たち、ボロボロの村、傷ついた人たちの姿を自分の心に刻んだ。
屋敷の門にサキが待っていた。
「ただいま……サキ」
「はい、お帰りなさい。コウマ様」
サキの満面の笑みを見てコウマもつられて笑顔になった。
こうして嵐のように襲ってきた金剛餓狼の事件は終わりをつげた。