第五話
青年タンゴは身じろぎもせずにその時を待っていた。
密林の枝の隙間からは、大きなイノシシがねじくれた巨木の太い根本のそばで、前足を使い、キノコの欠片や土の中にいた虫をうれしそうに食べていた。
(何が『この森には悪魔がいる』だよ。親父の奴ビビリやがって、村の連中もそうだ。所詮は噂だ、今俺たちはこれ以上もない獲物に出会ったんだからな……)
タンゴは笑みを漏らした。狩り仲間たちと一緒に辛抱強く獲物を待っていたのだ。
狩り仲間の内、二人を自分の左右の位置につけて、残りの二人を反対側に潜ませた。
狩りの時はもうすぐだ。だが、まだその時ではない。
全ての状況にタンゴが満足した時だけ、腕を振って仲間に合図をし、獲物を挟み撃ちにするのだ。
タンゴが住む村の近くにあるこの森は言い伝えで深く入ることを禁じている。
タンゴがこうして森の奥深くまでやって来たのも、大した獲物が取れなかったことによる焦りと、若さ故の逸り気のおかげだった。
(もうそろそろだ……)
タンゴが先頭に出た。すぐに、手に持った槍を投げれば一撃を加えられる距離まで近づく。
タンゴが槍を構えて投げようとした瞬間、異変が起こった。
槍を投げる前に、イノシシは土に押し付けた鼻を急に高く上げると、臭いを嗅ぎ出したのだ。
(まずい!)
一瞬、心臓の鼓動が大きくなったが、次の瞬間には、緊張が消えて、冷静に頭を働かせる。
ジャワは槍を持つ手を思いっきり引いた。
だが、槍を投げる前に、なにかに驚いたイノシシは逃げるように走って足跡を残して消えていった。
タンゴは茫然として背後にいる仲間たちを見た。
自分たちはばれないように行動していたが、どういうわけか獲物を怯えさせてしまった。
「くそっ!」
目的の獲物を捕れなかったタンゴはイノシシを追いかけようと武器をおろした。
「おい、お前ら追うぞ!」
タンゴが反対側に隠れている仲間たちを呼ぶが返事はなかった。
「おい、聞いて……」
再び声をかけようとした時―――
大きなバシッという音とともに、先が剣のように鋭い、黒い鞭のような体節のある尻尾が草の茂みから飛び出してきた。
飛び出してきた尻尾はタンゴの仲間の一人の脚に絡みつく。
仲間は声をあげる暇もなく茂みの中に引きずりこまれ、あとには震える葉だけが残った。
「ギャァァァァァァァァァァッ!!」
仲間の姿が消えてから悲鳴だけが聞こえた。
一度、二度、三度。最後は苦痛のうめき声に変わった。
その声で森のすべての物音が消えた。鳥、昆虫の一匹にいたるまでが静かになり、近くの川の音だけしか聞こえなかった。
仲間の苦悶の悲鳴を聞いて、タンゴの勇気は吹っ飛んでしまった。
タンゴと残った仲間は逃走しようとしたが、茂みから白い塊が勢いよく飛んで仲間の背中にぶつかり、ベチャッという音を出して倒れた。
仲間の背中にぶつけられたのは、ドロッとした粘着性の塊だった。
タンゴは仲間を助けようとしたが、脚に仲間と同じ塊をぶつけられ、倒れた。
脚についた塊を引き離そうとするが、とてつもない粘り気を持っており、脚を固定されて動けなくなってしまった。
タンゴは前を向き、茂みの中に隠れているものの姿を見て、呟いた。
「あ、悪魔……」
父や死んだ祖父から伝えられてきた黒い危険種だった。
一見それは蜂を思わせる姿をしていたが、違いは多々ある。
二つの脚で立ち、巨漢のタンゴを上回る巨大な身体、黒光りする体、人の頭を一噛みで砕いてしまそうな大顎、胴体や手足は骨を剥き出しにしたような形で先は鉤爪のように曲がっており、本来尻にあるはずの針は骨のような体節のある尻尾として機能していた。
危険種は不気味なカチカチという音を鳴らして、キシキシと鳴る大顎からは白い粘液をしたたらせて、ゆっくりと近づいてくる。
迫ってくる恐怖の前にパニックに陥ったタンゴは相手を追い払うため手に持った槍を振り回した。
だが、槍は危険種の尻尾によって、あっという間に折られてしまった。
(やめろ、やめろ、死にたくない、死にたくない、助けてくれ、助けてくれ)
タンゴは森に入った時の勇ましさなど完全に消え失せて、おびえあがり、震えながら、ただ殺されるのを待つしかなかった。
危険種は動けなくなったタンゴに覆いかぶさり、カチカチと動く顎を頭に近づけた。
危険種の唾液を顔に受けながらタンゴが死を受け入れようとした時、―――奇跡が起きた。
危険種の横の茂みから影がものすごい勢いで飛び出してきたのだ。
飛び出した影は、一瞬の動きで草地を横切り、タンゴを捕まえていた危険種に猛烈な勢いで激突して、横へ吹き飛ばし、地面に叩きつけた。
(へ……なんだ……俺は助かったのか?)
タンゴは自分に覆いかぶさっていた危険種が消えたのを見て茫然とした。
(入ってはいけない森の深くまで村の奴らが助けにくるとは思えない……。じゃあ、……誰が?)
危険種がいる横を見ると、そこには……
(こ、子供……?)
危険種を吹き飛ばしたのは、黒づくめの子供であり、今年で十三歳になる弟やその友人と比べると背が低かった。
背中を向けているので、顔がわからないため性別は不明だが、およそ子供には似合わないものを多くつけていた。
両手には二つの爪がついた手甲、背中には両端が鋭い棒を背負っており、腰には液体の入ったビンやナイフなどがついていた。
「や、やめろ!死んじまうぞ」
タンゴの叫びに子供は振り向いた。
その顔の鼻から上は蝙蝠を思わせる形をした漆黒の仮面によって隠されていたが、見えている口はタンゴを見て笑みを浮かべていた。
「あ……」
その笑みを見てタンゴはすべてを理解した。
守ろうとしているのだ。
言い伝えを破り、大地に転がっている無様な自分を。
叩きつけられた危険種は凶暴な叫び声を上げて、乱入者を威嚇した。
子供は危険種の方に向き、煩わしそうに首を振ると危険種に歩み寄っていった。
子供は手甲のついた両手を広げると、鋭いシャキンという音とともに手甲の上から輝く二本のギザギザの刃が飛び出した。
危険種は怒り心頭の様子で、大顎を強く鳴らし、手を振るわせて、鋭い尻尾を子供に勢いよく放たれた。
「ああ!!」
子供が尻尾に貫かれるのを見たくないタンゴは目をつぶった。
だが、キィンという音しかなく、血が噴き出す音も肉がグチャグチャになる音もしなかった。
恐る恐る目を開くと、子供は無傷で尻尾はあらぬ方向に飛ばされていた。
刃のついた手甲を構えながら歩く子供に、危険種は再び尻尾を放つが、手甲の刃を瞬時に回転させて逸らす。
危険種は焦ったように様々な方向から尻尾を放つが、子供は変わらずに歩き、襲い掛かる尻尾の猛攻を刃で受け流した。
尻尾を受け流すごとに火花を散らして、尻尾を横に逸らしていく。
猛攻の末、ついに危険種は相手を懐に許してしまった。
「キシャァァァァァァァァァァッ!!」
怒りの叫びをあげて、鉤爪のついた手を振るったが、相手が目の前から消えたことに空振りに終わった。
子供は腕を振り下ろす瞬間の内に、刃を仕舞って、危険種の脚の間を滑り抜け、背後で跳び、危険種の首の後ろについたのだ。
子供は空いた手を危険種の頭の後にくっつけ、刃を伸ばした。
ザシュッ!!
危険種の大顎の間から二本のギザギザの刃が飛び出し、白い液体が垂れた。
頭を貫かれた危険種はそのまま絶命し、ドシャッと倒れる。
タンゴは危険種が死んだことにより、自分が助かった安心感により、緊張の糸が切れてそのまま気絶した。
「ふぅー、こんなところかな……」
危険種を倒した子供、コウマは刃を仕舞って息を吐いた。
「サキ、そっちはどうだい?」
コウマは自分が飛び出してきた茂みに声をかけると髪の長い少女が出てきた。
「大丈夫です。皆さま、気絶しているだけで目立った傷もなく命に別状はありません」
「そうか……良かった……」
サキの報告に死者がいなかったことを知ったコウマは安堵した。
コウマは気絶したタンゴに近づき、脚についた塊に腰のビンの油をかけた。
そのまま、両手の手甲をぶつけて火花をおこした。
脚の塊が燃えるとすぐに別のビンを開けて中の水と土で鎮火させた。
塊に手をやり、力を込めるとすぐに剥がれ、タンゴの無事を確認した。
「よし、それじゃ……キバ」
コウマは名を呼んだ。
すると、コウマの前に先ほどの危険種と比べると身体がやや小さい、金の目と黒い毛皮を持つオオカミが一頭表れた。
「キバ、あの危険種だ。運べる?」
コウマが危険種の死体を指さすと、キバは危険種の胴体に噛みつくと持ち上げ、自分の背中に乗せた。
「よしよし、それじゃ帰るか」
キバの頭を撫でてコウマたちは帰路についた。
危険種の討伐が終わり、コウマたちが森を出るときには夜になっており、そのまま森を出た先の村、シナモ村へ向かった。
このシナモ村は帝都と西の異民族の国境の真ん中に位置する村で、コウマたちはとある頼み事を受けたためにこの村に向かったのだ。
その中で一番大きい屋敷の中にコウマたちはいた。
「コウマさん、サキさん、ブレイドホーネットの討伐ありがとうございます」
「いえ、礼にはおよびませんよ、アサカさん。貴女は僕の祖父の友人で、カルラの里に移って困っていた父を助けてくれた恩人なんですから」
頭を下げる老婆、シナモ村の長アサカにコウマは答えた。
コウマとサキがこの村にいる理由は特級危険種『ブレイドホーネット』の討伐であり、死骸を村まで運ぶことである。
「いいえ、討伐に限らず、村の若い者たちも救ってくれました。私なんてもう諦めていたくらいなんです……」
「あの、アサカ様。私たちあの人たちを置いていってしまったんですけど、大丈夫なんですか?」
タンゴたち、若者たちを森の奥に置いていってしまって良かったのか、サキは恐る恐る尋ねた。
「ええ、あの子たちは森の奥に入ってはいけないと口を酸っぱくして言ったのに、それを破りました。今回の経験で反省するでしょうし、いい薬になりました」
笑顔でいうアサカにコウマたちは苦笑いした。
一見、人のよさそうな人物に見えるが過去には『影』の協力者として活躍した薬師なのである。
豊富な知識により、『影』で『薬師を目指すならアサカ殿に教授してもらえ』といわれたほどだ。
「それにしても二人ともまだ十一歳なのに、特級危険種を狩れるなんて凄いわね。最初、貴方たちを見たとき少し不安になったけど杞憂だったようね」
「女王とはいえ、まだ兵隊の大きさ。あれぐらいのやつなら僕たち余裕で仕留められますよ。なんたって『影』の人間ですからね」
「ふふっ、タイガは貴方たちをよく鍛えてるのね」
「そういえば、コウマ様……」
「え、え……な、なんだい?」
サキの雰囲気が変わったことにコウマは戸惑い、尋ねた。
「なんですかあの戦い方は!一歩間違えれば串刺しになっていました!どうしてあんな戦い方をしたんですか!」
「い、いやぁ~、避けたらあの人に当たるかもしれなかったから……」
「言い訳は、結構です!だいたい貴方は……」
サキの説教が始まったことにより、コウマは苦笑いをして受け止めた。
その姿を見て、アサカは笑みを浮かべていた。
「けど……本当に危ないところでした。僕があと少しでも遅れていたらあの人たち、間違いなく『卵』を植えられていましたよ」
「ええ……コウマさんが間に合って本当に良かった」
アサカは最悪の状況を考えたのか、声が震えていた。
ブレイドホーネットは極めて凶暴な性格で特級危険種と認定されているが、単体としては弱い方の存在である。
名前の由来となった先が剣のような尻尾は分厚い鉄板を簡単に貫き、岩も噛み砕く大顎、粘着性の涎と鋭い鉤爪を持つ。
攻撃力は恐ろしく高いが、防御面はとても脆く、固い鱗や皮膚を持っているわけでもなく、剣や槍で十分殺せるし、炎に弱く、寒い環境では生きていけないという弱点がある。
うまく戦えば二級のランドタイガーでも倒せるだろう。
そんなブレイドホーネットが特級危険種と認定されているのは繁殖方法である。
ブレイドホーネットは普通の蜂と同じく女王と兵隊で分かれており、兵隊ホーネットは二メートルほどで、女王ホーネットはその二倍くらいの大きさを持つ。
卵を作ることが出来るのは、女王だけだが、産むのではなく植え付けるのである。
兵隊ホーネットにより連れてこられた人間の体内に。
人間の体内に植え付けられた卵は一時間から二時間で孵化し、人の腹を喰い破って二、三匹が生まれる。
寄生した人間の肉を喰い、そこから脱皮を繰り返してまた数時間かければ、立派な兵隊ホーネットになり、女王の更なる繁殖のために再び人間を拉致し、ネズミ算式で増えていく。
更にたちの悪いことに繁殖の経験を積んだ女王は一度に生まれる数を増やし、人間だけでなく、牛や馬、果ては同じ危険種にすら卵を植え付けることが出来るようになる。
卵を植え付けられた人間を救う方法は皆無といっていい。例え、寄生された人間を殺しても死肉の中で成長するので確実に腹を吹き飛ばさなければならない。
ブレイドホーネットの女王を殺したが、生き残った兵隊ホーネットが進化して、新しい女王になり、ブレイドホーネットの繁殖活動を許したため、多くの人間と動物が犠牲となり、いくつかの村と森が壊滅したという。
このシナモ村も過去にはブレイドホーネットの大群に襲われて壊滅寸前まで追い詰められた歴史を持つ。
皇帝がブレイドホーネットを確実に殲滅するために数人の帝具を持った将軍と部下の軍人、暗殺部隊の焼却部隊の活躍によって絶滅したと思われていたが……。
「父さんも驚いていましたよ。アサカさんの鷹が『ブレイドホーネットが出た』っていう連絡を持ってきたら、『何の冗談だ』と言ってましたから」
「私も狩りから帰ってきた人から聞いたときは驚いて自分の耳を疑いました。帝都に伝えるわけにはいきませんからね……」
ブレイドホーネットの危険性は過去の事件から軍内部には知れ渡っており、軍が出現を聞いたら、『寄生された可能性がある』として村の人間も全員殺されていただろう。
故にアサカは帝都には報告せず、ブレイドホーネットの討伐を旧知の仲であるタイガに伝えたのだ。
本当はタイガが行くはずだったが、地方の太守の護衛の依頼が入ってしまったため行くことが出来なかった。
そこでタイガは息子のコウマに討伐を任せた。
コウマが無茶をするならば、サキがいれば抑えるだろうし、ザンガもいれば十分な護衛になると思い連れて行かせた。
「アサカさん、ブレイドホーネットの死骸は倉に運びましたがどうするつもりで?」
「死骸は朝、すぐに燃やします。死骸を森に放置したままなんてどうなるかわかりませんからね。さ、夜ももう遅いし二人とも今日は家に泊まっていきなさい」
コウマたちは頷いて、今日の疲れを癒した。
寝静まった夜のシナモ村。
村にはいくつもの倉がある。
武器を置いてある倉もある、衣類を纏めて保管してある倉もある、生活必需品となる駕籠やら農具やらを詰めてある納屋に似た倉もある。
その内の一つには、コウマが討伐した女王ホーネットの死骸がある。
その倉の扉が開いて、四人の男が入ってくる。
前を歩く男の格好は普通だが、後の三人はフードを被っていた。
「さぁ、案内したぞ。約束通り、残りの半分をもらおうか……」
「確かに。……これが報酬だ」
フードを被った男の一人が、案内をした男に金が入った袋を渡す。
「しかし、あんたたちも変わり者だよな。危険種の死骸を見たいだけでこんなに……」
そこからの言葉は続かなかった。
死骸に目を向けた男の首に注射針が刺さり、液体を流されたからだ。
「……殺さなくていいのか?」
「ほっとけ。どうせこの村の人間は『こいつ』のことを知ったんだ。報告して全員始末するから、遅かれ早かれ一緒だ」
一人が気絶した男から金の入った袋を二つ回収して返事を返す。
「けどまさか、逃げ出した実験体が見られたなんて……どう報告するんだ。こんなの局長に知られたら……」
「いい結果が出ずにカリカリしてるもんな。最近じゃ、情報機関も動いて大勢のガキを集めて暗殺者を作るって聞くぞ……このままじゃ俺たちの部署も危ういぞ」
「話はあとだ、さっさと運ぶぞ」
リーダー格の男にいわれ、男たちはブレイドホーネットの死骸を馬車に運んだ。
運び終わった三人はそのまま馬車で出発した。
夜の道を馬車が駆けると馬車の中の男がブレイドホーネットを見た。
「しかし、こんな奴を実験するなんてウチの局長も狂ってるねぇ……ん?」
ブレイドホーネットの死骸が動いたように見えたのだ。
馬車の揺れで動いたように見えたかもしれないが、男は馬車を運転する仲間を背にする形で、恐る恐る顔を近づけた。
すると、腹部が急激に盛り上がりを始めたと思うと、ブレイドホーネットの腹が内部から破裂した。
ドロリとした血液と内臓が男の顔に飛び散った。
その破片に追いすがるように、腹部の孔から不気味な生き物が出てきて、男に飛び掛かった。
生き物……幼体ブレイドホーネットは男の口の中に入りこみ、喉を通って腹へたどり着き、自慢の尾と顎で腹の中を突き破った。
腹の中を無茶苦茶にされた男は、鋭い痛みが背骨を伝わって全身に拡がり、叫び声を上げる間もなく倒れた。
「どうした?……おいおい、寝るなよ」
背後の男が倒れたのを見た仲間は異変に気づかずに男が寝たのだと解釈し、視線を前に戻した。
倒れた男はすでに死んでおり、その体の中は幼体ブレイドホーネットによって食い散らされているのだった。
この危険種、ある有名なSFモンスターの頭を蜂の頭に入れ替えただけなんですけど、分かる人にはわかりますよね?
コウマとタイガの武器もそのSFモンスターとVSした『捕食者』の名前を持つ奴の武器が元ネタです。