空が藍色に染まるほんの前の事でした。
えぇ、 とても涼しい日。 彼の好きな薄の種揺れる、 そんな穏やかな夕暮れでした。
あ。 夫の事ですか?
はい。 元々大人しい人でしたから、 戦なんて、ねぇ。
でも、らしくもなく張り切って出て行った切りだったんです。
みんながみんな国の為、 神の為に命を賭すというけれど、僕は君の為に戦うと。
本当にらしくない。 でも私。 それで許しちゃったんです。
今でも後悔しています。
いつも通り、畑仕事の終わりに花を摘んで来るように。 ただいまって、 笑いながら花を私にくれるんだって。 彼が出て行ってからは、いつもそれを待っていました。
ずっと、花瓶は空のままでした。
ん。 はい。 そうです。
それが彼のくれた最後の花と、 薄です。
私の為の花はすぐに枯れてしまうけど、薄なら、それよりは長く君といてくれるって。
はいそうです。 彼は還ってきました。
私が村の寄り合いでの仕事を終えて家に帰ると、こう、 ふわあって風が吹いて。 一瞬目が眩んだと思ったら、 そこに如何にも怖ろし気な人が、 人、のようなモノが立っていました。
ボロキレ、継いで貼ってを何度も繰り返したような物を纏っていて、顔には犬だか猿だか、牛か猪かよく分からないような変な骸骨を被った怪しげな人でした。
後ろには、どれもこれも汚れてひしゃげた鎧を着た人たちが何人もいて、 なんて言えばいいのか、とにかく、 あぁ、みんな死人だって分かりました。 中には腕やら足やら、頭がもげてぶら下がっている人までいましたから。
怖くなかったか。 うん、 怖かったですけど。
なんででしょうか。 あの人をずっと待っていたからかもしれませんね。
なんだが、 その人が何をしに来たか、 なんとなく分かったんです。
私を連れていくか、 私に連れて来たんだって。
そう思ってまた後ろの鎧姿の人たちを見ると、 ガイコツの人が何言か唸るようにつぶやいて、それからすぐにひとりがゆらゆらゆらゆら、えっちらおっちら歩み出てきたんです。
えぇ、 すぐに彼だって分かりました。
ははは、 だからあんまり怖くなかったんですってば。
だって彼ったら、いつもみたいに右手に花を持って、 一緒に薄を握ってて。
私、我も忘れて彼にしがみつきました。
縋りついたって言った方がいいんでしょうか。とにかく、力いっぱい抱きしめました。
鎧は硬いし、あちこち凹んで尖ってるし、変な臭いもするし抱き心地は最悪でしたよ。
でも私、もうどうしようもないくらい、信じられないくらい涙が溢れて。
嬉しかった。
嬉しかったなあ。
神徒の方が村に来た時、 戦に出て名誉の戦死を遂げたならそこがその人の墓になる。そのまま神の御手で冥府に導かれるから躯はそのままにしなければならないって。 そう言われていたので。
えぇそうです。それはそうでしょう。こんな辺鄙な村にまで人手を求めるような大きな戦だったんでしょう? ウチの夫のような、兎を追いかけて痣だらけになるような人が、生き残れるわけがないじゃないですか。
だから。あんな姿になってまで私に花を摘んできてくれた夫が、初めて私を、抱きしめてくれた日や、夫婦になった日、初めて結ばれた日より、も。もっともっと愛おしく感じました。
嬉しくって哀しくって。立っていられなくなった私を支えて、彼もいっしょに地面に座り込んだら。 掠れた声で言ったんです。
ただいま。 おそくなって、ごめん。 って。
それでもう、私、 前も見えない程泣いちゃって。
ごめんなさい。
彼ったら、声はスカスカだし抑揚もめちゃくちゃだったんですけど。 それでも彼の声で、私を抱きしめながら何度もただいまって言ってくれました。
ふう
あのおかしな身なりの人が、 その噂の魔術師さんなんでしょうか。
もしかして私、 もうあの人に呪われちゃったのかもしれませんね。
ああ、はい。それはもしかしたらそうかもしれませんね。 兜を被っていて顔はよく見えなかったし。
でも歪んだ兜の隙間から見えた彼の眼は、 私の佳く知る彼に間違いありませんでした。
夏の、 深い森のような緑色。
私の大好きな彼の目でした。
気がつくと周りは霧が立ち込めてて、変ですよね、 夕方なのに。
あのおかしな人も、ずっと何かぶつぶつ呟いてて、 それで、彼がぎゅっと痛いくらい私を抱きしめたんです。 実際すごく痛くて、 あ、 殺されるって思っちゃいました。
でも彼は、最後に、 愛してる。 って。 そう、言いました。
目の前が灰色に染まって、いつの間にか痛かった体のあちこちはなんともなくて。 辺りが見えた頃には、大勢いた鎧の人も、おかしな人も、彼も。
いなくなっていました。
いつも通り、 彼と過ごした家の庭で私は、ひとりで座り込んでいたんです。
風が吹くと目尻と頬っぺたは冷たくて、私、とうとうおかしくなったかとって思って立ち上がろうとしたら、膝から何かが零れ落ちて。
花と薄でした。
それから私、 月が昇るまで泣いていました。
はぁ。
多分彼が会いに来てくれたのは現実でした。
でも、私は今のところなんともなくて、 今度、 ほら、あの水車小屋の息子さんとお食事する事になってて。 気は進まないですけど、 彼の事を思えばむしろって、 今少し考えてるところです。
はい。 だから私あの変な人に、 本当に呪われたのかしら。
もしかしたら、 私が死んだらその死体はあの人の好きなようにされちゃうとか、勝手に起き上がって村のみんなを食べ始めたりとか、色々考えもしましたけど。
仮にそうだとして、私が死んだ後の事ですからねえ。
私にとって、あの人は彼を私のところに届けてくれた恩人ですから。
あんまり悪く言いたくないと、 そう思っています。