死に損なった。
否。 生きてなどいないのだろう。
こうして父から譲り受けた筆に血と泥を混ぜた冒涜的塗料で今を書き認めるのは誰か。 父とは、今の私にとっての父なのだろうか。
神より賜いし命は、あの戦場にて既に返上奉ったと、あの矢玉が私の額に深々と突き刺さった刹那に確信したものだったが。
事実として私は今こうして手足を動かしている。
この奇妙な定めは果たして神が私に下賜為さった物か、 それとも魔性の無聊を慰める戯れに因りてか。 それを見定める為にも私は可能な限りここに記録する。
額に穴。 血は無い。
肌硬し。 温もり、不明。
肌青し。 血の管が良く見える。
腕、動く。 一部抉れているが痛み無。
腕が重い。足も同様に、重い鍛錬の直後の様。
足、腕に同じ。 指、 合わせて三本欠。
銅、胸と腹に四方から槍傷。
背、 見えず。
声は出る。
悍ましい物を見た。
纏う檻褸切れは様々な衣服や鎧に帷子、とにかく、 兵や騎士が着る物だ。 我が国の物もあれば異国の物、 敵国の将が羽織っていた外套の切れ端まであった。 好敵手だった。 特徴的な蛇の意匠だった故、よく覚えている。
奴が名乗る前に私は奴の正体に思い当たった。
あの恐ろしい異形の面相に、ふらふらと歩む死人の兵。
奴が風にその忌まわしき名を吹かせる悍ましき背徳者。
死霊魔術師という者だった。
名こそ名乗らなかったが、 私の問いに奴は頷いた。
そして、なんとも狂おしい事に、 彼奴め、 戦場にて散った私をその悍ましい魔術で蘇らせたという。
おぞましいおぞましおぞましいおおぞましいおぞおぞましいしおぞましいおぞましいおぞましいおぞましおおぞましいしいぞおぞおぞましいおぞましおおぞましいしいおぞましいおぞましおおぞましいしい
奴は私をどうするつもりなのか。
身体が十全に動かぬ。 奴が魔術で縛っているのか。
奴や休めという。 すぐに何かをする事はない様子だが謀りかもしれない。
一刻も早く身体を動かせるようにならねば、 そして
だめだ
太陽が二度沈んだ。
少しずつ身体が言う事を聞くようになった。元々指先や目や首はすぐに動いたが、どうしても重かった手足が今は十分運動に耐えうる程には動く。 いや、むしろ加減が利かず、 試しに投げた石が木の幹に食い込んだ。
奴が来て話をした。
なんでも、私は身体と魂が異様に強くて他の死人とは違うらしい。
ここ数日観察する限り、 私以外の死人の兵はみな虚ろで、意思らしきものを持つ者は少なく会話が成り立つ者となると殊に少ない。
皆ふらふらとこの洞穴の辺りを徘徊し、時折奴の背を押されながら洞穴に戻ってくる者もいる。
奴は時折私に語り掛けながら何やら呪《|まじな》いの道具を作っているようだった。
なんと冒涜的な事か。 神は決して此奴を許しはしないだろう。
冒涜的だ。 背律的だ。 節理に悖る。
奴の話は信じ難い。 異国異教の教えの方がまだ信じられるものが有る。
死せる者は、 神へ魂を返上し肉は大地に還る。 これが節理だ。
長き生の試練を全うした者は、生涯で得た力と知恵を神の為に奉げ、 共に生けとし生ける者達を導く永久の任に就く。
病や傷に倒れた者は、 神の手に掬い上げられ冥府にて身体を休める恩寵を受ける。 そして再びこの大地で生きる定めの時を待つのだ。
いずれも至福の安らぎと充実を得られるとされる。
だが、 そうして死せる者は死した地より動いてはならぬと伝えられている。街ならば街の霊廟へ、 村ならば村の墓場へ。 そして、 私たちのように戦で死せる者は戦場をその終の地とする決まりだ。 剱と鎧が我らの墓標なのだ。
死んだ後にその場を動けば、 神は我々を見失い、 魂を掬い上げてはくださらぬ。
肉体は朽ち、残された魂は永劫にこの試練の大地を彷徨い、やがては魔性に絡めとられ無限の苦痛を受けるという。
罪を犯さぬ限りは、 そんな結末は避けられるはずなのだ。
だが、 一度死に絶えながら、こうして昼夜を過ごす私は果たして、神の御手より逃れた背律者だろうか。また神の国の為、民の為、 神の為に身を粉にしたというのに。
そんな私を、神は救ってはくださらないというのだろうか。
罪が有るとしたら奴の物だ。
どうか神よ。 彼の背律者に大いなる苦痛の裁きを賜わさんことを。
いくらか言葉の通じる者を見つけた。 先だっての戦の折に、 我が騎士団の下において武勇を振るった者だった。
彼の言葉もまた信じがたい物だった。
この男は、奴に感謝の念を抱いているといった。
絶句する私に彼は拙い言葉遣いで言った。
家族に会わせてくれるのだという。
許されないことだ。
許されないことだ。
時折洞穴に獣が飛び込んできて奴の下に行く。
よく見ればそれらもまた異形であった。
耳や目の無いモノ、臓物が溢れているモノ、 肉がぐずぐずに溶け蛆が湧いているモノ。 書くのも悍ましい。
奴は畜生すらその死後の肉体を弄ぶのか。 許すまじ。