“久しぶりだね、悠”
先生は、シャーレ特有の真っ白なソファに腰を掛けながら、眼の前の青年に視線をやった。
「ご無沙汰してます。――先生。まさか、高校教師に転任されていたとは、思いませんでした」
“悠は変わらないね”
その青年は、やつれていた。茶髪の質は良く、顔色も良いものの、どこか何日もろくに食べていないような、げっそりとした印象を与える風貌だ。遠目で見れば、青いストライプのシャツにジーンズを纏った、ただの好青年であるのだが。
「ここは……凄い場所ですね。こんな都市があるなんて、知りませんでした」
“私もまだ慣れていなくてね”
先生は悠にコーヒーを注ぎながら、微かな笑みを浮かべた。
「――それで、状況はどういった感じですか?」
悠の問いで、先生の顔から笑顔が消えた。
その様子を見て、悠は察した。――状況は最悪であると。
“怪物の影響は、キヴォトスの各地で起こっているよ“
”幾ら武力を保有してると言えど、君の言う怪物の力は、それでは到底太刀打ちできない”
先生の声は、震えていた。それは怪物への――“アマゾン”への恐怖によるものか、それとも別の何かか。
悠はコーヒーを啜り、暫く沈黙する。
そして、ハイライトのない瞳を彼に向けながら答える。
「”アマゾン“は、たんぱく質を求めてヒトを喰らう化け物です。本来は造られた分しかいない存在でしたが、ある源から次々に増殖し、人々に感染してゆく溶原性アマゾン細胞が生まれてからは、無尽蔵に産まれる存在になりました」
そう言って、膝に置いた拳を握る。
「その源を断ち切ったはずだった……そうなのに……」
悠の脳裏に、嫌な記憶が蘇る。
あの経験、あの記憶。あれだけ壮絶な戦いが繰り広げられた。なのに、まだ脅威の芽を拾えていなかったとは。
――彼は一体。何のために。
“悠が落ち込む必要はない”
“その細胞に源があるということは、このキヴォトスの何処かに、それがあるってことだ”
先生は落ち着いた声音で答えた。
「――先生は、お強いですね」
“この街で過ごしたら、嫌でも強くなれるよ”
先生はまた、微かな笑みを溢す。その笑みは、この学園都市での生活がどれだけ楽しいのかを物語っていた。
――先生の日常が、アマゾンによって壊されて良いはずがない。
(また……またこんな事が)
今はとにかく“眼の前のもの”を守らなければ。
何年も前にそう決めて、幾多もの障害を葬ってきたのだから。
(仁さんだったら、どうするのかな)
ふと、あの男の事を考え、すぐにその疑問が消えた。
◇
アビドスの砂嵐が止んだ。
昨晩から吹き荒れ続けていた砂嵐だったが、今朝ようやくその歯止めを見せて、昼時に完全に消え去った。道路や家屋に、大量の砂だけを残して。
「うへぇ、ようやく止んだねぇ」
「今回のは特に激しかったですね」
対策委員会の小鳥遊ホシノと奥空アヤネが、数時間ぶりに顔を見せた太陽を見据えながら、窓から外の様子を伺った。
「みんな来れるのかなぁ。今日は休みにしても良いような気がするけど」
「ホシノ先輩。休んでる暇なんてありませんよ。私達の借金はまだまだ沢山あるんですから」
「うへぇ、厳しいねぇ。アヤネちゃんは」
アビドス高等学校は、多額の借金を抱えている。
こんな砂嵐明けの日でも、その事を考えないといけない程には多額であった。
それでも少女達は、その小さな手を取り合いながら、ひたむきに頑張り続けている。
「アヤネちゃん、校門周り掃除しよっか」
「え? ホシノ先輩、熱でもあるんですか……?」
「おじさんを何だと思ってるのさ」
ホシノとアヤネは笑い合いながら対策委員会の部屋を出て、校門辺りを掃除するべく、用具を持って外へ向かった。
外は案の定砂だらけで、せっかく綺麗にした校舎が、薄汚く見えてしまっていた。
「こりゃあ校門だけじゃなくて、全体が必要かもねぇ」
「ホシノ先輩……本当に大丈夫ですか? 自分から掃除を提案するなんて」
アヤネの心配に、ホシノは「ん〜」と喉を唸らせた。
「いつ学校に行けなくなるか、わからないじゃん? だから、できる時にこうやって掃除しておかないと、いつでも気持ち良くお別れできないでしょ」
「……そうですね」
二人の少女は、暫くの瞑想の後、笑いながら頷きあった。
きっと、他の対策委員会のみんなが来たら驚くだろうな。
そう思っていた頃だった。
「あ、セリカちゃん。おはようございます」
校門の前をホウキで掃いていたアヤネの後ろに、いつの間にか立っていた少女に、彼女は笑顔で挨拶をした。
黒見セリカは、特に驚く様子もなく、その場にただ突っ立っていた。
「どうだいセリカちゃん。おじさんもたまにはやるだろう?」
ホシノが自慢げに言うと、不気味なまでの静寂が訪れ、そこに水を差すよう乾いた風が吹き荒れた。
セリカの口が、にぃ、と釣り上がり、艶の良い唇から健康的な白い歯がぎょろりと覗いた。
「こんな学校、早く潰れちゃえばいいのよ」
いつしか聞いた彼女の台詞。
それが本望でないことは対策委員会の誰もが理解していたが、今回ばかりはなぜだか、その言葉に真意を感じた。
「セリカちゃん……?」
セリカの首筋から頬にかけて浮かび上がる、青紫色の異様な筋。
彼女から煙が吹き出して、瞬く間に全身を包み込んでしまった。
煙が晴れる頃には、もう、黒見セリカの姿はなかった。
ヒョウ――を模した人型の化物が、そこに立っていた。
アヤネの悲鳴も虚しく、ヒョウの怪物は彼女を一瞬にして押し倒し、耳元まで裂けた鋭い歯の並ぶ口を開き、アヤネの首筋に押し当てた。
「ぅっ……!! あぁぁ"ぁ"ァ"ァ"ァ"ッ!!!!」
砂に塗れた地面を上書きする、赤いモノ。そこへ飛び散る生のモノ。
ホシノは、その状況を理解できずにいた。
その為、一手、遅れてしまった。
ようやく武器を手に取った彼女は、ショットガンの銃口をセリカだった物へと向け、迷わず引き金を引いた。
射出されたペレット弾が、怪物の頭を穿ち、アヤネから引き剥がすことに成功する。
「ア、アヤネちゃん……!!」
アヤネの襟を掴み、少し強引だったが、怪物から距離を置くことができた。
傷の痛みに藻搔くソレへ、ホシノは目をやった。
(セリカちゃん……なの?)
口に血がいっぱい付着した、ヒョウの化け物。彼女の赤い、元気いっぱいのヘイローは、何処にも見当たらない。
(何なの……これ……?)
悪い夢なら覚めてほしかった。
覚めろ、覚めろ、覚めろ。
ショットガンをカタカタと震わせていると、何者かに肩を掴まれ、全身を強張らせる。
「下がってて」
見上げるとそこには、目に光のない青年が立っていた。腰には、まるで血に染まったかのように赤い、ベルト型のデバイスを巻いていた。
「何する気……?」
彼女の問いかけに、青年は答えなかった。
ホシノを一瞥してから、鬼のような形相になり、バックルの窪みへ注射器型のアイテムを挿し込んだ。
『ニューオメガ』
青年は深く息を吸った。
「アマゾンッッッ……!!!」
ドス黒い一言を皮切りに、青年を真緑の熱気が覆い尽くす。
青年の身体は変貌した。
黒き装甲により強化された緑の戦士――仮面ライダーアマゾンニューオメガへと。