凶星夢幻劇   作:七草青菜

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第二幕

 波涛は全てをさらい、削ぎ落とした。

 かつて村だったその場所は跡形もなく還され、残されたのは一面の海と、その中で座する竜の巨影のみだった。

 

 波打つ水面を通じて、メナイサはあらゆるものを感じ取っていた。潮目の奥に息づく無数の小魚の震え。深獣の幼体が、海中でひっそりと触腕を蠢かす感触。

 そのすべてが、自身の血肉のように繋がっている。

 目の前の、それを除いては。

 

 波が砕ける。

 メナイサの号により、海中の生命体が一斉に寄せ集まり、渦潮となってダイダンガの巨体を飲み込もうとした。

 

 だが。

 

「【ダイダンガよりシナの星鋼へ。冷めぬ慟哭。削れぬ意思。炉に焼べる。発せよ】」

 

 竜は微動だにしない。代わりにただ一言、詞術を唱えた。

 潮流が轟々と渦を巻き、異形の群れが襲いかかる。

 巨大な一角をもつ魚が大挙し、竜鱗を抉ろうとする。が、それにたどり着くことは無かった。竜鱗の前には、絶えることの無い防壁が編み込まれている。

 それは鎖帷子。それも、星深瀝鋼で編み込まれた鎖帷子であった。

 

 星深瀝鋼。竜鱗に次ぐ硬度を持つ、自然界において究極の鉱物であるとされている。

 熟達の工術士による直接の加工以外では、凡そ傷つけることは不可能だとされているそれを、ダイダンガはまるで飴細工のようにその場で加工することが出来る。

 操られた鎧が追いすがる様に一角の魚へと急速に向かい、捕らわれ、締め上げられた魚達がその生命を散らす。

 逸脱の鍛冶師であるダイダンガにのみ可能な技術であり、超重量のそれを装備することもまた、竜である彼以外には不可能であった。

 

「くは、悪くない連携だ。が、届かんな」

 

 初手からの劣勢。

 海水越しにヒジリの瞼がわずかに伏せられた。彼は上空の朧月のように波涛を俯瞰し、魔術によって潮の流れに干渉している。

 この場において、ヒジリが課せられた役割はただ一つだ。すなわち、メナイサが戦いに集中できるよう、潮の流れを操り、その場に留めておくこと。

 普段はメナイサの意思によって浸透圧を調整し、移動、滞留を行うことができている。しかし、本来粘獣に不相応な程の体積を持つメナイサは、その調整にすらも神経を尖らせていなければ、どこへとも分からず流されていってしまうのだ。

 自身をその場に留まらせる事にリソースを割いた上でダイダンガと渡り合える程、メナイサに余裕はない。

 故にこそ、ヒジリは己の役割を理解し、メナイサをこの場に留まらせるべく、集中し続けている。

 メナイサの荒れ狂う高波が、村と街道を分かたれて高く積み上がる。ハティノは今、地上に聳え立つ海と化していた。

 海は徐々に範囲を狭め、高く高く積み上がっている。ダイダンガが沈み込むのも時間の問題だった。

 

 瞬間、ダイダンガの尾が真横へ撫でるように振るわれた。水の抵抗など一切感じさせることはない。ダイダンガは、ただ尾を動かしただけだ。

 それだけで、次に向かおうとしていた群れが弾かれ、海が裂けることで発生した水面に叩きつけられて藻屑と化した。

 波が再び収束する。

 大海そのものであるメナイサはその感覚を味わいながら、それでもなお冷静だった。

 

「……ふわぁ、やっぱり、かたいなぁ」

 

 海が言葉を持ったかのように波が鳴る。

 網の様に巡らされた鎖帷子はあらゆる生物の自由を許さず、隙間なく敷き詰められた竜鱗は、その他一切の何ものの侵入も許さない鎧のようだった。

 一角も、牙も、刃も、竜鱗にはかすり傷一つ付けることも叶わない。

 だから。

 

「おねがい、ウルナ。くだいて」

「ママ、ちゃんとできたら撫でてね」

 

 潮目のウルナ。

 

 海たるメナイサの胎内にて育まれてきた深獣の幼体が動く。

 無数の触腕が互いを包み込み、一個の渦巻く殻として形を取る。その巨大な体躯は波と同化するように音もなく進んでいく。

 

 刹那、波が静まる。

 自身の一部を凝縮しているのだ。そうして力を溜めたメナイサが、その水圧を解き放つ。

 そしてそれを推進力としたウルナが、竜の脚の間へと潜り込む。

 張り巡らされた星深瀝鋼の帷子をその触腕で容易く砕いたウルナは、勢いそのままにダイダンガの巨体を滑るように泳ぎ上がる。

 鎧の尽くを砕き進み、そして潮目のウルナの触腕が、ほんの僅かに竜の首元、その鱗の裏へ届こうとする、はずだった。

 

「ああ。そこは我の間合いだ──【ダイダンガよりシナの星鋼へ。冷めぬ慟哭。削れぬ意思。炉に焼べる。発せよ】」

 

 だが、その小さな隙にすら、竜の意思があった。

 ダイダンガの纏う鎧が微かに隆起し、砕いたはずの鎧が噛み合うように締まる。鎖が牙となり、ウルナへと噛み付いた。

 すんでのところで逃げ出そうとするも、間に合わない。大きな触腕が6本、砕けた音を立てて散った。

 血のように赤い深海の液が波に溶けていく。

 それでも、メナイサは止めない。

 ウルナは海である自身の一部だ。砕かれれば、戻すだけ。

 

「【ウルナへ。拡散する慈愛。練り込む紅果。赤熱波動。洗え】」

 

 ウルナの触腕、その先端が分裂し、まるで血管が増殖するように新たな枝を伸ばす。

 メナイサによる再生の詞術だ。メナイサは、自分自身に掛けるのと同じように、自身の子に詞術を通すことが出来る。

 再びウルナが触腕による殻を形成し、ダイダンガへと迫る。狙いは同じく、首裏だ。

 何度も何度も執拗に。狙っては砕かれ、そしてその破片は海に散らされて行った。

 

「くは、何度やろうと同じこと。そろそろ退屈だぞ?」

 

 もはや鎧を操ることすらしない。ダイダンガは、首を僅かに振るだけだった。

 その動作は鬱陶しい蚊を払う程度のものだ。

 竜の頭がまた一度、海を切り裂く。

 弾かれた波が周囲の海面を大きく割り、ウルナの触腕を巻き込んで散らした。

 

 それこそが、ウルナの狙いだった。

 

 砕け散った触腕の欠片は、ただの肉片ではない。

 ウルナから切り離されたその触腕はまだ生きていた、それは最後の意思を帯びて動く。

 破片は切り離された瞬間、力なく漂うふりをして潮に溶け込み、竜の鎧の上に密やかに貼り付いた。

 メナイサによる再生を行い、竜の視線を逸らす。砕かれたはずの欠片の事をダイダンガが気に留めることはなかった。

 

 海底からゆっくりと昇る潮流が、その小さな肉塊を押し上げる。

 触腕の断面が蠢き、竜鱗の凹凸に沿って形を変える。

 まるで海綿のようにしなやかに伸び縮みしながら、鱗の継ぎ目に入り込み、そこに留まった。

 

 その間にも本体のウルナは再び殻を巻き、竜の正面から突撃する。

 衝撃の直前、海が鳴った。

 メナイサの号令とともに、深海の水圧が一方向から集中し、波が巨大な槌のように押し寄せる。

 ウルナと海、その全ての力が、鎧の一点──破片が潜むその場所へと叩き込まれた。

 

 瞬間、圧縮された破片が(くさび)となり、竜鱗を内から持ち上げる。

 竜の皮膚に直接は届かぬはずの衝撃が、内部の構造を捻じ曲げた。

 海中に、鈍く澄んだ破砕音が響く。

 竜鱗が、ダイダンガの絶対たる防壁が、わずかに裂けた。

 

「くは」

 

 その隙間から、冷たい光が漏れる。

 ウルナの触腕がその光を掴まんと伸び。しかし、届くより早く、竜の笑いが海を震わせた。

 

「【ダイダンガより、ライカの剣へ。巡る月夜。攫う嵐。過ぎ去る煉瓦。走れ】」

 

 竜鱗の裂け目の奥で、何かが動く。

 竜は詞術を唱え終わっている。

 

 裂け目が一気に押し広がる。まるで、自らそうしているかのように。否、ダイダンガは、自らの意思で自身の竜鱗を開いているのだ。

 そして、竜の奥底から押し出されるように、金属光沢の刃が現れた。

 それは肉でも骨でもない、鍛冶師の手で鍛えられた武器そのもの。

 外界の水を弾き飛ばしながら、射出される勢いで海を裂き、渦を巻き起こす。竜は、迷いなくそれを手に取った。

 

「くは、久方ぶりだな。これを生物に振るのは」

 

 逸脱の鍛冶師であるダイダンガは、最強の詞術生物(ドラゴン)でありながら、当然のように武器を使いこなす。

 

 ◇

 

 露頭のヘルドという男がいた。種族を聞かれると、彼は「俺は巨人だ」と答えるのだという。男の身長は2m30cmほどである。

 

 金継ぎダイダンガという竜がいた。その時はまだ、巨星を名乗っては居なかった。ダイダンガは他の竜よりも小さく生まれついていた。身長は、奇しくも同じように、2m30cmほどである。

 

 彼らが出会ったのは、ダイダンガの根城。彼が工房として利用していた洞窟の中のことである。

 山中で絶えず響く金属を叩く音を不気味がった周辺の住民が、ヘルドに調査の依頼をだしたのだ。

 

「我の工房に足を踏み入れるか、人間(ミニア)

巨人(ギガント)だ。名は露頭のヘルド。この音の正体は、お前で違いないな?」

「くは、そうだ。鋼を鍛えている」

 

 彼らは不思議と良く気が合った。不気味な音が竜によるものだと告げ、この場への立ち入りを禁じたヘルドは、ひとりでダイダンガの工房へ通った。

 ダイダンガは人の作る武具が好きな変わり者で、新たな武具を求めていた。人里に出向けば混乱を招くからと、時折ヘルドに新たな武具を持ってこさせた。

 そして、その武具を精巧に、且つ高品質で作った武具を対価として渡していた。

 

「いつも言ってるが、貰いすぎだ。金で対価とできないなら、せめて何かを充てさせてくれ」

「なら、それを教えろ」

「はぁ?」

「武器だ。我に武器の振り方を教えろ」

 

 ダイダンガは、人間の技術に強く興味を示した。鍛治を修めたのも、その一環である。

 

(ドラゴン)が武器って……聞いた事ねぇぞ」

「そうか、なら我が初だな。竜が研鑽を積むのだ。いずれ地平において敵となるものは居なくなるだろう。誰もが畏怖する、竜の在り方だ」

 

 竜の膂力に人の技術を。ダイダンガ以外に、誰もできず、誰もやらないことだった。

 そうしてヘルドとダイダンガは、お互いを研鑽する毎日を送っていた。

 だが、その生活も、長くは続かなかった。

 

「……街は滅んだよ。生き残りは俺だけだ」

「そうか。我を呼べばよかった。何にやられたのか知らないが、竜に……我に勝てる相手などいない」

「違う。俺がもっと強ければよかった。奴の殻を斬れたら、何も失わずにすんだんだ」

「そうか。そうだな」

 

 それからしばらく、ヘルドは現れなくなった。ダイダンガは変わらず、鋼を打ち続けていた。

 再び彼がこの地に足を踏み入れた時、彼の背には巨大な鉱石の塊があった。ダイダンガがその鉱石を見るのは、何年ぶりの事だっただろうか。

 

「くは、我に武器を作れと正式に依頼したのは、これが初めてだな」

「斬りたい奴がいる。こいつじゃなければ傷一つ付かないだろう」

 

 ダイダンガに差し出されたのは、巨大な星深瀝鋼の塊だった。これをヘルドが担いで来たのだと言うのだから、巨人というのもあながち嘘では無いのかもしれない。

 

「それは、我より硬いのか?」

「……ああ。おそらくな」

「くは、くはははは! (ドラゴン)を前に、命が惜しくないのか、人間(ミニア)

巨人(ギガント)だ。嘘はつけない。俺は竜鱗とぶつかったことは無いが、あれは……別格だ」

 

 今でも鮮明に思い起こすことが出来る。岩山の如き巨体に、巨大な鋏脚。それは尽くを破壊した。全く歯が立たなかった。その装甲に傷ひとつ付けられなかった。

 剣が必要だ。あまねく全てを断てる剣が。

 

「どれくらいかかる?」

「さてな。見ていろ」

 

 槌を手に取る。

 

 ダイダンガは、三日三晩槌を打ち続けた。ブレスで熱を通し、そしてまた槌を振る。精密に、正確に。寸分の狂いもなく打ち込まれるうちに、それはひとつの形状へと変わる。

 母材(インゴット)だ。

 

 ようやく、剣を作る為の準備(・・)が終わった。

 

「【ダイダンガより、シナの星鋼へ。冷めぬ慟哭。削れぬ意思。炉に焼べる。発せよ】」

 

 鋼の形状がかわる。ダイダンガが星深瀝鋼に言葉を届けるのに、三日あれば十分だった。

 

 それから大一ヶ月の間、ダイダンガは寝食を忘れたかの如く、詞術をかけ、槌を振り続けた。

 ヘルドは、それをただ、じっと見続けていた。

 そして。

 

「振ってみろ」

 

 4mにも及ぶ、常軌を逸した分厚い大剣だった。大剣には鋒がなく、両側が柄となり、どちらからも掴めるようになっていた。

 

 その大剣を握り、出来栄えに満足したダイダンガは、ヘルドへと投げ寄越す。ヘルドの手前に着地したそれは、地鳴りとも取れそうな程に大地を揺らし、地面に沈み込んだ。

 ヘルドがそれを両手で持ち上げる。軽く振り回し、使い心地を確認する。

 

「言うまでもないが、満足だな?」

「ああ、手に吸い付くようだ。長年振り続けたような信頼がある」

 

 この武器さえあれば。どんなコンディションであろうと、これを握った状態こそが完璧であると、そう確信させる何かがあった。

 ダイダンガは、己の胸を指で指した。

 

「では、斬ってみろ」

「はぁ?」

 

 ヘルドの双眸が、訝しげにダイダンガを見る。今、この竜はなんと言ったか。

 ダイダンガがくつくつと愉快そうに笑った。

 

「我の渾身の武具を振れる者は、我を除いて居なかった。が、貴様は振れるのだろう? では、斬ってみろ。たかだか竜鱗なんぞより我の剣が優れていると、証明してみせろ」

 

 それはヘルドに対する挑発とも取れただろう。

 もはや言葉は不要とばかりに、ヘルドが構える。

 

「恨むなよ」

「くは、侮るな、人族(・・)が」

 

 剣を振るう。それは間違いなく、ヘルドにとって最高の一撃だった。

 ダイダンガの胸元には大きく傷が入る。彼の武具は、頂点を入れ替えたのだ。

 傷口から血を流しながら、それでもダイダンガは笑う。心底楽しそうに。竜鱗を超える武具を生み出すのが夢だった。それは今日、証明されたのだ。

 

「いずれ、我はあまねく全てに勝る完全なる鎧となるだろう。その時にもう一度、我を斬ってみろ。次は傷一つ付かんだろうな」

 胸の傷を焼いて塞ぐ。眉ひとつ動かすことは無く、片手間に。

 

「ひとつ聞いてやる。お前が斬りたいそれは、なんだ?」

「……酷礁イオ、怪物だ。俺があいつを斬り殺す」

「そうか。では、それが我より硬いか、また聞かせろ」

 

 残った星深瀝鋼を全てダイダンガへ譲り、ヘルドは再びこの地を去った。それから、彼らが再び相まみえることはまだ無い。

 

 星深瀝鋼。熟練の工術士による直接の加工以外では傷一つつかない、この世における最硬の鉱石である。

 規格外の工術、(ドラゴン)の膂力と(ブレス)、そして逸脱の鍛治技術。

 

 星深瀝鋼を鍛造(・・)できるのは、世界でも唯一、ダイダンガのみだ。

 

 ◆

 

 星深瀝鋼をベースに、ダイダンガが鍛造し、自らの竜鱗とを組み合わせた最上級品。

 繊細な彫刻がなされたそれは、まるで自身の鍛治の腕を誇示するように美しく、その重量はとても人の扱えるものではなく、どころか大鬼や巨人にだって使いこなせないだろう。

 それを、ダイダンガは軽く振り回す。(ドラゴン)でありながら、手先が器用であることが取り柄だった、ダイダンガにのみ扱える、至上の武器。

 

 たった一振りで、海が横に割れる。上下の真っ二つに分かたれたそれは、メナイサの半身が消失したことを示している。

 波が悲鳴をあげる。ヒジリの操作が無ければ、その場に形を保つことすら困難であっただろう。

 

「……なに、それ」

「武具だ。我が作った至上の。我にしか持てず、我にしか振れん」

 

 機嫌よく、竜は刃をゆるく肩に担ぐ。その巨体の動きは、水圧すら意に介さない。

 

「そう。やっかいだね」

 

 波がざわめく。海流がひときわ強くねじれ、硬い殻を纏った生物が、深海より試金石として放たれる。

 

「くは、脆いな」

 

 巨剣が一閃する。

 水を断つ音が重く響き、深海生物の殻ごと海が更に割れる。

 

 隙を縫うようにウルナは再び攻める。アレに狙われたら終わりだと、本能が告げている。死角から絡みつこうとする触腕。

 だが、竜の武器はどちら側からも振れる両柄の構造だった。丁度、露頭のヘルドに作ってやったものと同じように。

 柄を反転させ、逆手に握った刃が触腕をまとめて切り落とす。切断面から血潮が噴き出し、海を染める。

 

 海流が乱れ、圧力が跳ね返る中、ダイダンガは怯まない。

 巨剣を正面に構え、再生した触腕を刃の峰で叩き潰し、その反動を利用して渾身の一撃を放った。

 

 轟音が響き、触腕と共に幾度も海が裂ける。その度にメナイサの体積は減っていく。ダイダンガは、海の殺し方を既に理解していた。

 

 だがその瞬間、海底の闇がざわめいた。

 ウルナが低くうねりを発する。呼応するように、深海の底から異形の影がいくつも浮上してくる。

 

「ママを、虐めるな……!!」

 

 鎧のような外殻を持つ巨蟹、牙を剥く長蛇、触腕の間を縫うように泳ぐ発光魚の群れ。その全てがウルナの指揮下で、竜を包囲した。

 触腕が一斉に伸び、巨蟹が死角から鋏を振り下ろす。長蛇が背後から首に絡みつき、発光魚たちが目を眩ませる閃光を放つ。

 海流がねじれ、まるで深海そのものが竜を押し潰そうとしているかのようだった。

 

 ウルナは全ての触腕を用い、仲間たちの攻撃を重ね合わせ、竜を縛り、外殻ごと切り裂く一撃を通す。それは彼らが織り上げられる最強の連携、最も重く鋭い一撃だった。

 

 だが。

 

「くは」

 

 竜の笑いが響いた。

 その瞬間、鋏も閃光も無に帰す。絡みつく長蛇は片手で引き裂かれ、鋏は刃の峰で砕け、触腕の束は振り抜かれた巨剣にまとめて両断された。

 

 水圧の中で放たれた一撃は、海そのものを反発させるような衝撃を生む。

 深海の闇が縦に、横に、幾度も裂ける。その度に、メナイサの体積が削られていく。

 

 最後の触腕が半ばから断たれ、血潮が暗い潮を染め上げる。

 巨蟹も長蛇も既に屍。発光魚の群れは恐怖に散り、指揮を失った海はただ静かに沈黙した。

 

 ウルナは残された数本の触腕で必死に距離を取ろうとする。だが、竜は一歩も退かず、その背を追い詰める。

 あと一撃で命脈は尽きる。そんな距離にまで、竜は容易く迫っていた。

 

「ウルナ」

「ママ、ごめんなさい……ウルナ、勝てなかった」

 

 メナイサはウルナを包み込む海そのものだ。どこにいたって、その頭を撫でることができる。

 ウルナは満足そうに小さくうねり、そしてその生命を落とした。

 

「ありがとう、ウルナ。あとはまかせて」

 

 ()()()()は成った。

 メナイサは、あらゆる犠牲を払ってでも、目の前の星に打ち勝たなければならない。

 

「終わりか?」

「……ふわぁ、まさか。はじまりだよ」

 

 海そのものが、縮小を始める。

 

 第二幕。湧き出るメナイサ、対、巨星ダイダンガ。

 

 ◇

 

 二度目のアレカの一度目……開闢のモナドが作りし魔族、海魔(ウンディーネ)。それこそが、メナイサが与えられていた配役だった。

 

 その強さを誇示し、様々な恩恵に預かろうとするものから利権を奪う。けちな詐欺師だったモナドは、そうして高みを目指していた。

 自身そのものである人生という名の演目を至上とするため、メナイサは利用されていたに過ぎない。

 だが、それで構わなかった。メナイサとソライソを育ててくれたのは紛れもないモナドだし、そんなモナドが掲げる夢なら、一緒に叶えてあげたかったからだ。

 だから、メナイサはどんな無謀にだって、身を投じることが出来た。

 

 ソライソがダイダンガに討たれた後の事だ。

 通常の粘獣(ウーズ)からは考えられないほどに体積を拡張し続けたメナイサは、ついに世界で最も大きな水たまりに手を伸ばした。

 

 海、というらしい。

 

 メナイサにとって水を取り込むという行為は、簡単なものではない。人間でいえば、無理やり肉を繋ぎ合わせ、血を注ぎ込まれるようなものなのだ。

 そんな芸当、例え粘獣といえど、メナイサ以外にはできっこないだろう。

 

 そんなメナイサでも、湖より大きな水たまりを取り込んだことは無かった。

 でも、メナイサは出来ないとは思わなかった。

 

 自分の提案に、モナドは口を出さなかった。つまり、これはメナイサに出来ることなのだ。

 

 自我が引き伸ばされる。自己が拡張していく。

 それらを繋ぎ止める方法を、メナイサは知っていた。

 慌てることなく、ゆっくりと、自身を広げていく。海水をその身とするのは初めてだった。淡水と混ざらないように、慎重に。生態系を崩すのは、メナイサの誇りを汚すのと同じことだった。

 

 塩の味を知り、新たな生態系の造形を知る。

 メナイサの全く知らないそれら異形を、育てなければならないからだ。深獣の幼体であるウルナもその時に偶然取り込んだものだった。

 

 深海の生物を育てるためには、圧力が必要だった。メナイサは長い時間をかけて、それに適応した。自身を圧縮させる手段を編み出したのだ。

 

 そしてそれは、今宵の夢幻劇にて真価を発揮する。

 

 ◆

 

 メナイサが急速にその身を縮小させていく。

 既にダイダンガの肩程まで浸かりこんでいたその海を、圧縮していく。

 

 ダイダンガは、剣を振りぬこうとした手に違和感を覚える。力が入らない。

 

「“止転”」

 

 ヒジリの魔術が竜を襲う。運動量の減衰。魔力への抵抗という概念を持たないこの世界の生物にとって、それは通れば絶対である。竜ですらも、例外にはならない。

 

 対抗する手段を失ったダイダンガに、圧縮された海が襲いかかる。

 閉ざされた海は、息をする間もなく縮んでいく。たった数%の収縮で、深海の水圧はさらに数百気圧を跳ね上がらせ、金属すら悲鳴をあげる臨界へと達する。

 

「……くは。押すか、我を」

 

 鎧のように重ねられた竜鱗の継ぎ目から、細かな泡が漏れた。

 わずかな浸水。それでも竜にとっては許せぬ異常だった。

 停滞した腕でなおも巨剣を振り上げ、周囲を斬り払う。水が僅かに避け、圧搾が緩もうとする。しかしメナイサは、さらに収縮を強めた。

 

 ぐしゃり、と音がした。

 星深瀝鋼の鎧が逆にダイダンガを拘束する衣となり、竜鱗が歪む。

 海水が、その歪みに牙を立てるかのように侵入する。水圧が、金属と鱗の隙間をこじ開けていく。

 

「……ふわぁ、はがれて」

 

 海流が一点に収束し、竜の胸を狙った。

 竜鱗が一枚、剥ぎ取られる。胸から腰へ、連鎖するように数枚が浮き上がり、渦へと吸い込まれていった。

 

「……ほう」

 

 ダイダンガの瞳が細まる。

 ヘルドの一撃以来ただの一度も傷の一つもつくことの無かった竜鱗が、初めて削がれたのだ。

 

「やるではないか、海魔(ウンディーネ)

「……あなた、なんなの?」

 

 竜鱗の内側から現れたのは赤い肉でも、柔らかな皮膚でもなかった。

 それは銀の光沢を持つ、この世で最も硬い鉱石。

 星深瀝鋼、という。

 

「くは、我は鋼だ。誰にも崩せず、侵せない、絶対の鋼」

 

 露出した金属は、一切の継ぎ目もなく、水面に反射して煌めいていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 星は砕けない。

 

 ◇

 

 軸のキヤズナが興した国があった。彼女と、彼女の生み出した機魔が暮らす、機械の国だった。

 その卓越した工術を一目見るべく、そこに向かおうとする者が居た。ダイダンガだ。

 

 微塵嵐が全てを塵と化す、まさにその日の事だった。

 

 それは偶然に過ぎなかった。しかして、必然として、嵐と彼は引き合う。

 砂塵は全てをさらい、削ぎ落とした。

 かつて国だった地形は跡形もなく海へ還され、残されたのは一陣の嵐と、その中で座する竜の巨影のみだった。

 

 今、ヘルドによってもたらされた胸の傷は、金属により塞がっている。どころか自身の外側全てを星深瀝鋼を素材とした鎧によって塞いでいた。視界や呼吸の為の少しの穴を除き、全てを覆い尽くすその姿は、正しく金属の塊だと言えた。

 しかしそれは、微塵嵐の前では致命の一言に尽きた。

 

 それはあらゆる間隙に侵入し抉る、防ぎ得ぬ粒子の攻撃を纏う。

 

 視界や呼吸の為の少しの穴こそが、ダイダンガの敗因だった。彼が(ドラゴン)でさえなければ、数多ある生命と同じように、微塵と化していただろう。

 全てを呑み込む災害の前に、逸脱の鍛冶師が誇る鎧はなんの意味すらも持たなかった。

 

 満身創痍の状態で自身の巣穴に帰りついたダイダンガは……笑っていた。

 

「くは、くははは!!」

 

 狂っているのか。否、狂ってなどいない。かつてヘルドにそうされたように、自身の成長の余地を与えてくれたあの嵐を讃え、感動に打ち震えているのだ。

 

「間隙に滑り込むか。ならば無くせばいい。全てを覆い、全てを繋げればいい」

 

 既に、ダイダンガの身体は生命活動を維持できない程に損耗し、体内の奥深くまで砂塵の粒子が侵入していた。視界も薄ぼんやりとしており、鼻も上手く効かない。もう、手遅れなのだ。

 ならば、自身を作り直すしか(・・・・・・)道はないのだ。

 

 機魔の国にて多くを知れたわけではない。到着してすぐに、嵐もまた到達したからだ。かの国の機魔(ゴーレム)を一瞥出来ただけに過ぎない。

 しかし、ダイダンガは逸脱の鍛冶師だ。一瞥しただけで、その構造くらいならば簡単に理解できる。

 

「役割を果たせぬ部位を置換し、役割を持たせる。感覚器官を搭載し、視覚を、嗅覚を、聴覚を

、再現する」

 

 初めに、内臓を金属に置換した。心臓の役を持つポンプを作り、血を巡らせた。肺の役を持つふいごを作り、空気を取り込んだ。しかし、それらは急造の産物であり、やがてより良い形へと最適化されて行った。

 視覚や嗅覚(センサー群)の再現には労を要した。なにせ、作ろうとした時点で既にその機能は失われていたからだ。視覚の無い状態で視界を作る。いかなダイダンガといえど、その常軌を逸した作業には数年を要した。

 微塵嵐の攻撃の余波か、竜鱗は全てが剥がれ落ちた。それを武具の素材とし、鎧の素材とする。今やダイダンガの最硬は、己の竜鱗ではないからだ。

 

 いつしか、ダイダンガは体内の大半を金属へと置換していた。生身のままの部位も、全て金属の皮膜で覆い尽くし、間隙を完全に無くす。体積は一回りも二回りも大きくなる。

 全て、微塵嵐に対抗するための鎧だ。外側にも、内側にも、ダイダンガに隙と呼べる部分は存在しなくなった。

 

 それは、何より密なる金属の塊である。

 

「くは、我はついに成った。もはや誰にも、この鎧は砕けない」

 

 ダイダンガはその日、星となり、巨星と成った。

 

 竜でありながら武器を扱う。竜でありながら鎧を身に纏う。竜でありながら成長を望み、研鑽を繰り返し、執拗なまでに生にしがみつく。

 

 誰よりも人に近い(ドラゴン)は、誰よりも(ドラゴン)から外れた竜になりながらも、プライドを捨て去ることだけはなかった。

 

 十年前、ヤマガ大漠を訪れた(ドラゴン)が居たという。それは通常の竜すら超えた巨体で、金属の光沢を示すように太陽光を反射しながら微塵嵐を()()し、目的も分からぬままに姿を消した。

 

 ◆

 

 竜が巨剣を振る。

 しかし弱い。メナイサの水圧とヒジリの魔術によって勢いを殺された一撃は、致命たりえない。一歩踏み込むたびに、海底は形を変え、足場を奪い、重い鎧の足を沈めていく。

 

「くだけないから、なんなの」

 

 それでも、斬撃は確かに水を断ち切っていた。

 だがその水は、断ち切られた瞬間から竜を包み戻すために動き出していた。

 切り口は血管のように再び繋がり、裂けた波は互いを引き寄せ、さらに大きなうねりとなって押し返す。

 

「……しつこいな、海魔(ウンディーネ)

「わたしは粘獣(うーず)。わきでるメナイサ」

 

 押し寄せる海に踏みとどまりながら、ダイダンガは低く唸った。

 それでも剣を振る。

 だが、海は砕けても死なない。その全てにメナイサの意志がある限り。

 

 初めに切り離したはずの大質量の水塊が、頭上から蓋をするように降ってくる。

 左から、右から、切られた海が繋がり、寄せる波が剣の間合いを潰し、翼を覆い、背を押す。

 

 ウルナの触腕と同じだ。両断された海にも、メナイサの自我が浸透していた。

 初めから、ダイダンガに逃げ場など無かったのだ。

 ついに、山を超える竜の巨体。その身の全てを、海が覆い尽くした。

 

 ◆

 

 竜が吼えることはない。

 ただ低く息を吐く。

 金属でできた肺腑を満たす空気がわずかに泡となって抜ける。その泡は、すぐに海の一部となって溶けた。

 

 酸素が無い。

 波涛の密度は、今や深海のそれを超えている。

 竜の巨躯は自らの重量で波の底に沈み、どこにも逃げ場は無い。

 

 ダイダンガには翼がある。本来なら、この場から飛び立つための、翼が。空を割って退避する、それも竜の在り方だ。ダイダンガは自身の死を逃れる為ならば、矜恃を捨てられる狡猾さを持っている。

 その切り札を、ダイダンガは最後まで温存していた、はずだった。

 だが翼は動かない。

 

 それこそが、ヒジリの成した最後の手助け(サポート)だ。

 

「“金縛”」

 

 メナイサの胎内、深海という開かれた牢獄に在り、海流にて撹乱された極限の環境下。さらには自身の重い装甲に閉ざされた神経が、翼が麻痺しているという事実を隠蔽してしまっていた。

 

 竜の眉間がわずかに寄る。

 おかしい、と言わんばかりに尾が打たれ、海が弾け飛ぶ。しかしもはや波は引かない。

 押し返されれば、別の波を生む。切り裂かれれば、そこに生まれる渦をけしかける。

 自身の持つ至上であり絶対の防壁が、今は竜の動きを封じる檻となっていた。

 

 なぜ飛ばぬ。

 

 そんな声が聞こえた気がした。

 竜はただ座したまま、呼吸できぬ世界に沈んでいく。普段は使うことのなかった己の(ブレス)すらも吐くことは出来ない。なぜならば、ここはメナイサの海だからだ。

 ハティノという土地を塗り替えた彼女の領域内において、土地に語りかける(ブレス)は、発動を許されない。

 

「……」

 

 声にならない吐息が海に滲む。

 僅かに咳くように、ごぽ、と胸の奥から泡が浮かんだ。

 メナイサの海は長い年月をかけて育まれた。他ならぬ、逸脱の保育士である、彼女の手によって、だ。

 海は数多の生物の命を宿すが、同時に命を終わらせる棺にもなる。

 

 もがき上がろうとするダイダンガを遮るように、海流は渦を描き、竜の手脚を絡め取る。

 暴れる尾が締め付けられ、ただの飾りに変わる。

 

 海の奥、潮目のウルナだった触腕の殻を波に纏わせ、打つ。

 砲撃のような衝撃が竜の体表を叩く。ダイダンガの身体には傷一つ付かず、依然として星は砕けない。

 だが、身動きの封じられたダイダンガに、その衝撃を受け流すことは出来ない。胸を打った衝撃により、また一つ、肺の役を担うふいごから酸素が溢れる。

 無論、新たな酸素は一滴も届かない。

 

 それだけならまだやれる。ダイダンガの目はまだ死んでない。

 

 それだけだったなら、だ。

 

「……ふわぁ、ダイダンガ。もうおわり、だよ」

 

 波の奥から、声がする。

 

「【メナイサの海へ。枯れる骸。溶け混ざる愛。割れる世界。祖の神の素。果てろ】」

 

 粘獣は他の種族よりも、生術に秀でているとされている。自身に対して行う生術なら、なおのことである。

 

 かの伝説、冬のルクノカは、ひとつの荒涼の光景であるかのように、生物を超越した存在である。

 湧き出るメナイサもそうであった。彼女自身こそが海そのものであり、彼女は自身の半生をこの海と共に過ごしてきた。海を、育て続けて(・・・・・)いたのだ。

 

「とけて、なくなれ」

 

 “彼方”には、死海と呼ばれる塩湖がある。塩分濃度30%を超えるとされている、生物の生存を一切許されない、死の領域だ。

 

 塩分濃度65%。

 それは、メナイサが作り出した、絶死の領域だ。

 

 まるで毒袋に毒素を溜め込むかの如く、メナイサはその場を生術による塩で満たした。それは、液体を超え、既に半個体へと至っている。ドロドロに圧縮された高温の塩湖は、竜すらをも捕らえて離さない。

 

 通常の化学物質に、星深瀝鋼の加工はできない。では、通常の化学物質では無かったら。

 逸脱の保育士であるメナイサが、長い年月を掛けて育て続け、詞術を浸透させ続けたこの海であれば。

 酸素循環を断ち切り、塩分濃度を極限まで高めた、文字通りの“絶死海”。全ての生物が生きることの叶わず、全ての物質が枯れ落ちるその環境であれば。

 

「アレカは、わたしならできるってしっていた」

 

 ダイダンガの絶対、体内を覆う星深瀝鋼の膜が溶け、僅かばかりの穴が生じる。髪の毛一本にも満たない穴だったが、十分だ。

 海を流し入れる。この海において、メナイサは自在だ。塩を越し取り、純水のみを穴に通す。

 肺に水が溜まる。急激に生命が脅かされていく。

 

 ダイダンガの翼が震える。

 最後の一念として飛ぼうとしたのか。否、そうではない。

 ヘルドに、微塵嵐にそうであったように、自身の成長の余地を与えてくれたメナイサを讃え、感動に打ち震えているのだ。

 まだ自分は成長できる。次こそは一縷の隙すらない絶対に。

 

 ごぼごぼと酸素を吐き散らしながら、ダイダンガが笑う。死を悟ってもなお、成長を祈るのだ。

 

 そんな竜の事を、海は冷たく歓迎していた。

 メナイサは、家族を殺した者を、許さない。

 

「さようなら、ダイダンガ」

 

 ダイダンガの命が崩れていく。

 

 星は砕けなかった。

 

 だが、最初からその必要が無いことを、メナイサは知っていた。

 

 第二幕。勝者は、湧き出るメナイサ。

 




露頭のヘルドさんと微塵嵐さんに来てもらってます。
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