波涛が全てを飲み込み、村が海に沈んだまさにその瞬間のことである。
飛来せしラロウドは、配下の狼の背に乗り、山を走り出していた。
『らるろろろ。らるろろろろろ』
放つのは狼の遠吠えによく似た流音。狼と意思を疎通するための言語。それは全てに適応することのできる、逸脱の翻訳家にのみ可能な芸当だ。
獣と心を交わすことの出来る生物は、世界広しといえどラロウドのみであろう。
狼はそれに答えて走る。
アレカの言葉を
村人を救わなければならない。
狼達との約束だ。どちらとも意思疎通ができるラロウドが、橋渡しとなるために。まずは、狼達が人を害す存在ではないと示さねばならない。
こちら側から歩み寄る必要があるのだ。
故にこそ、彼らを救わなければならない。
荒れ狂う波涛に逆らい、狼達が意識の無い村人をその背に乗せる。
そして。
ラロウドの先導により辿り着いた場所は、神籬のヒジリが居を構えていた、あの小さな洞窟だった。
『らるろろろ。入ろう』
狼達が洞窟の奥へと進む。途中、入るべきではないという感覚があったが、構うことは無い。狼達は一度、ラロウドに連れられてここへ来たことがあるからだ。
やがて、見えない膜を突き破る感覚があり、何かがぷちん、と弾ける音が耳の奥に響く。
そして目の前に現れたのは、入り口からは想像ができないほどに広々とした空間だった。
果たして、そこには
ほとんど同じ数、同じ造形の者達が、そこには居た。
ひとつだけ、違う点を述べるとするならば。
「ラロウド。動けば、村人を殺す」
『……イーラ。なぜ
ラロウドの友となった男、霜走りのイーラが
◆
アレカがラロウドの存在を認識したのは、夢幻劇が起こる数日前のことだった。
メナイサが村とへ放った海洋生物。あれは、アレカの脚本に干渉する何者かを炙り出すために行ったものである。
村の対処は神籬のヒジリの手によって成された。しかし、村以外の所にいた者は、その限りではない。
それはすなわち、ラロウドや、狼達のことである。
村周辺の見張りを任せていた従鬼の一人より、狼を連れて海洋生物と戦闘を行う謎の生物についての報告があった。
それは詞術を持たない獣へと
見張りの従鬼はそうであるとはわからなかったが、見たそのままを報告した従鬼の言葉から、アレカがそう断定した。そうでないと、辻褄が合わないからだ。
まずひとつ、それは、心を持たないはずの獣を従える、逸脱の生物である。
その時点でアレカは、重ね葉のリオーラとして活動しており、ハティノには存在していなかった。故に、全ての報告はラヂオ越しに行われていた。
次にそれが手を出したのは、ハティノ村落の人間だった。
村の人は、狼の背に乗る赤いゴムの生物に恐怖した。それ以前に奇妙な海洋生物群を相手取った事も大きかっただろう。彼らに言葉を交わすことのできる余裕は存在しなかった。
故に、それが取った行動は、村人の催眠だ。奇妙な光と言葉を用いて、それは村人を眠らせ、狼に運ばせていた。たどり着いたのは、この周辺で最も安全であろう場所、すなわちヒジリの住む洞窟だった。
それは、生物を催眠状態にすることができる。
それは、人間を保護しようとする意思がある。
ぽっと出の存在などありえない。盤面に干渉したのなら、それには理由が存在し、意味が介在する。
なぜ今日なのか。それは今日でなくてはならないからだ。つまり、それは村人を救済する為に降りてきたのだ。
なぜ星を落とすことを知っているのか。下界を知る術を持っていた? 違う、それならもっと早く降りていなければ、物語として
(……ヒジリか)
今はリオーラであるアレカが、イターキの曇天を見上げる。
狼の思考を読めるのなら、ヒジリの思考を読めてもおかしくは無い。ヒジリにはダイダンガのことは伝えていない。必要も手段もなかったから。ヒジリには祈りしか伝えられない。
だからただ、星を落とせとだけ伝えている。ならば、人に好意的であるのだろうそれが、星から人を守るべく、避難をさせているのに矛盾はない。
全ての事柄には理由がある。でなければ破綻してしまう。偶然には必然性が無ければならない。突拍子の無い展開は面白くなんてない。
人の機敏に聡い訳ではなかった。
アレカはいつだって、人ではなく
アレカは、逸脱の
だが、それが逸脱の翻訳家であることは、まだ認識の外だ。
◆
夢幻劇の開始より前にラロウドが全ての村人を洞窟に保護していたのなら、先程まで村に居た者達は、一体
洞窟の空気は、緊張に軋んでいた。
イーラが刃を押し当てるのは、同じ顔に見える他人だ。怯え、叫び、身動きできぬ者の喉元に、赤い滴が伝っていく。
なぜ人を傷つけるのか、と。ラロウドはそう問うた。しかし、イーラが言葉を発することはなかった。どころか、瞬きひとつすら、行うことはない。まるで時が止まったかのように、その場に停止するイーラ。
それはとても奇妙な光景だった。
静止した光景の中で、ただ狼たちの唸り声だけが響いている。
牙を剥き、いつでも飛びかかれる姿勢を取る。だがラロウドの合図がない以上、彼らは動けなかった。
それに、彼らの背には村人が乗っている。気を失い、無防備な状態の人間を落とすわけにはいかない。彼らがひとたび牙を振るえば、守るべき存在を巻き込んでしまうのだ。
だからこそ、狼たちはただ低く喉を鳴らし、異様な気配に抗うように洞窟の奥を睨み据えていた。
そのとき、外から乾いた靴音が響いた。
ひとつ、またひとつ。静謐を裂くように洞窟へ近づいてくる。
狼たちの唸りが一層強まった。
鼻先がひくつき、匂いを探る。流れ込んできたのは、血と鉄の臭気。彼らにとっては即座に敵と断じられる匂いだった。
それでも狼たちは飛びかからない。ラロウドの沈黙があり、背に村人がいる以上、彼らは一歩も動けなかった。
そして、洞窟の口にその姿が現れる。
赤黒く濡れたナイフを携え、ゆるやかな足取りで歩み入る影。
二度目のアレカである。
「役者は脚本を与えられなきゃ動けない。脚本なき役者は、人形と同じだ」
アレカの持つナイフには赤い雫が滴っている。狼とラロウドの嗅覚であれば、それが血液によるものだと直ぐにあたりを付けることが出来ただろう。乾くことなく血を落とし続ける、どうにも奇妙なナイフだった。
彼は言葉を紡ぎながら、こつこつと狼達を横切り、イーラの元へとたどり着く。
ラロウドが狼に合図を送らなかったのは、守るべき者が多すぎることがひとつ。
そして何より、アレカには敵意というものが存在しなかった。それは目の前のイーラにも言えた事だったが……まるで誰かを演じているかのような。
「俺は二度目のアレカ。この舞台を支配する脚本家であり、
アレカが唐突に、イーラの肩口を浅く切り裂いた。
刃から滴った血が皮膚を伝い落ちた瞬間、イーラの瞳がかすかに動き、冷たい光が宿る。
カクン、と頭が揺れた。
それは命令が刻み込まれた合図だった。
ラロウドが驚いたようにひとつ、声を発する。
『
「仲間だよ。だからこうして、脚本を書き換えているんだ」
血鬼は、フェロモンを介して従鬼に命令を与えることが出来る。それを効率よく行うために、ユーテライが作ったのが、この血濡れのナイフだ。命令を込めた自身の血を滴らせ、それを使って配下を傷つけることで、最短で命令を行き渡らせることが出来る。
「お前の事も、再確認できた。一挙手一投足を眺めることが出来た。お前の焦りを、疑問を、感情の動きを、つぶさに確認できた」
アレカがナイフを強く振る。飛沫のように散った血が、狼の背に乗っていた村人……否、村人に扮し、命令を待つ状態となった従鬼たち、その細かい傷の入った肌に触れる。
彼らは、波涛によって、少なからず傷付いていた。そこまで、アレカの脚本のうちだ。
ぞくり、と場の気配が変わった。
血を媒介にして、彼の言葉が従鬼たちの全身へと染み込む。
一人一人の心臓を鷲掴みにするかのように、複雑な命令が一瞬で注ぎ込まれていく。
通常の血鬼は、従鬼への単一の命令を切り替えるような形でしか操作できない。
捲りのユーテライもそうであり、その命令権を委託されたアレカも、またそうである。
アレカはずっと、単一の命令しかしていない。ただひとつの綿密なまでの脚本を命令として読み取らせ、それに則った行動をさせているに過ぎない。
劇が始まる前は、簡単な命令によって、ある程度個人の裁量によって動くことが出来ていた。すなわち、「村を監視しろ」だとか「ヒジリから目を離すな」などだ。
しかし、一度劇が始まってしまえば、少しのミスも許されない。瞬きひとつ違うだけで、一瞬視界が遮られただけで、生き死にが分かれるのだ。
ならばこそ、アレカは従鬼に徹底的に命令を行い、全てを脚本通りになるようにした。
そして、脚本通りの展開にならなかった時、その場で停止するように命令を出していたのだ。
アレカが霜走りのイーラに扮する従鬼へと司令を与えたのは、星を落とした直後だ。
ナイフの1本を配下の従鬼に託し、洞窟にて倒れていたイーラ扮する従鬼へと命令を与える。
すなわち、「自分と同じ顔の村人を人質に取れ」という、簡単な命令だ。
そして今、従鬼達には、新たな脚本が与えられた。命令に従うという特性を持つ彼らは、真に優秀な役者である。
「さぁ、お前ら。第三幕はここからだぜ」
第三幕。二度目のアレカ、対、飛来せしラロウド。
◆
次の瞬間、洞窟に響いたのは怒声と足音。狼の背にてぐったりとしていたはずの従鬼が一斉に動き出し、狼の背へと目掛けて鋭い刃を振り上げる。
ラロウドは即座に動く。
『らるろろろ。らるろろろろ』
号令に従い、狼達が次々に背中の従鬼を振り払い、洞窟の床を蹴った。既にラロウドはアレカに理解できる言語を使用しない。伝える必要がなくなったからだ。
白い牙が閃き、従鬼の刃と激突する。
最初の一瞬で、血飛沫が散った。
狼の牙が従鬼の腕を噛み砕き、逆に従鬼の刃が狼の脇腹を裂く。
暗がりの洞窟が、唸り声と叫び、鉄と血の臭いで満たされていく。
ラロウド自身もまた、狼の背から飛び降り、赤い身体を波のようにしならせて前へ進む。
その双眸は、イーラの顔を借りた従鬼へと注がれていた。
狭い洞窟に、咆哮と金属音が入り乱れる。
狼は二十、従鬼は三十。数で劣る群れだが、連携は獲物を狩るために磨かれていた。二匹が同時に跳ねかかれば、一人の従鬼は受けきれない。
だが従鬼もまた、ただの兵ではなかった。
暗殺者の技を持ち、刃を逆手に握り、壁を蹴って影のように襲いかかる。狼の脚を狙い、関節を砕く鋭い一撃を繰り出す。
悲鳴が重なる。
一匹が刃を受けて崩れ、だがその首筋に食らいついたもう一匹が従鬼の喉を噛み千切った。返り血が飛沫となって視界を濡らす。
『らるろろろろろ』
ラロウドの号令が轟く。狼にのみ伝わる咆哮が群れ全体を駆け抜け、狼たちは一瞬で陣形を変える。狭い洞窟の壁際を滑るように走り、従鬼の背後を突いた。
戦場は数で勝る従鬼が押し切ると思われた。
だが、実際に優勢を保っていたのは狼の群れだった。
従鬼の一手先を読んだかのように、狼たちは牙を繰り出し、爪を閃かせる。
奇襲も連携も、全てを先んじて潰されていく。
新たに命令が飛んだ瞬間、その裏をかくように狼が走り、血が飛び散る。
アレカの瞳が細められる。
舞台を支配するはずの脚本が、確実に崩されていた。ラロウドが狼達に催眠を施している以上、味方の統率に優れることには理解が及ぶ。しかし、逸脱の脚本家であるアレカの作戦を読み切り、戦場を掌握するほどの軍師的素養があるのは、やり過ぎだ。
それは圧倒的すぎる。物語として美しくない。
であるならば、何かがあるはずだ。
ミナギの背に“星”が居たのと同じことだ。全ての理不尽には、理由が無ければならない。
「一体何が……」
すぐに糸口をつかめなければ、敗北は免れない。
アレカの命令は従鬼に届いている。だが、それ以上に狼の動きが速い。
まるで自分の声が、最初から相手に知られていたかのように。
ラロウドの赤い身体が、血に濡れた床を進みながら応える。ラロウドの、恐らく感覚器にあたる部分が、忙しなく動いている。
それは初めから存在する部位だっただろうか。この戦闘中に初めて現れたものだとしたら、それは。
アレカの額から、一筋の汗が落ちる。これは、アレカの脚本には無かった。
「まさか、お前、全部読んでたってのか?」
『違うな。全
答えは初めから出ていたのだ。それを理解出来なかったのは、一重にアレカの失態であった。
それは詞術を理解しないままに、無数の言語を操ることができる。
飛来せしラロウドは、催眠使いではない。それは逸脱の翻訳家だ。
そして。
『
ラロウドは、フェロモンを介した血鬼の意思疎通を読み取ることができる。
◆
それは全ての破綻と同義だった。
ラロウドが行っているのは催眠などというちゃちなものではなかった。
全てアレカの失態だ。
正確に対応し、正解を叩き出さなければ、戦場は容易く瓦解するだろう。
だから。
アレカは自身をナイフで切りつける。血液が勢いよく吹き出し、それを四方に飛ばす。ナイフを振るうよりも速く、全ての従鬼に命令を伝えるためだ。
「いいぜ、もう一度書き換えてやる」
アレカが与えた命令は至極単純なひとつだ。
すなわち、全ての脚本の破棄。
「これからは自由に動け。誰がどう動くか未知数な、本当の即興劇を始めるぞ」
それぞれが、それぞれの考え方によって動く、本当の
命令を読まれるのなら、命令を与えなければいい。
ラロウドに思考を読む異能は無いと、理解することができた。故に、盤面はリセットされた。
かのように思えるが、それは間違いだ。
アレカには、思考を読む異能がある。
元より、ハティノ村落の全ての村人に、ミナギやダイダンガ、ヒジリの思考の全てをトレースし、動きを先読みしていたアレカだ。今更何人増えたところで、負担にもならない。
「第三幕、仕切り直しだ」
それは未来を見据える盤面制圧の異能を持つ。真に完成された脚本家は、世界へ自在に干渉する。
◆
3年。アレカが夢幻劇の下準備に要した期間だ。入念に、十全に。村人一人一人に至るまでの人となり、趣味嗜好、本質理念などを調べ尽くした。
年単位の時間をかけて捉えたキャラクター像だからこそ、アレカは登場人物の思考をトレースし、即興で脚本を練り上げるという芸当をこなすことが出来ている。
もちろん、配下の従鬼とて例外ではない。命令を与えられるからといって、トレースをしない理由にはならない。より良い脚本を作るためにも、エキストラを含めた全ての人物を抑えておく必要がある。
しかし、ラロウドはそうではなかった。ぽっと出の存在であったそれは、種族も能力も生い立ちも、全く未知数だった。
恐らくなにかしらの交流を行ったのであろうヒジリの思考パターンと
故に、この即興劇は既に破綻している。
全ての従鬼の思考と動きをトレースし、自身がどう干渉すれば勝利へと導けるか、頭を回し続ける。
時にはラロウドへの牽制として、意味の無い偽の命令を飛ばしてみたり。命令を重ねがけして矛盾を生じさせたり、命令を断ち切り従鬼を沈黙させてみたり。
ありとあらゆる手を尽くしたが、逸脱の翻訳家は、漏らされた意図を一つ残らず拾い上げてしまう。
しかし、それによって、狼と従鬼の戦いは互角にまでは至ることができた。狼と従鬼の数は、依然後者が勝っている。
故に、このまま展開が進めば、勝つのは二度目のアレカだ。
『らるろろ。ろろろ……』
ラロウドが、この世界の住民には見ることすら叶わない力を、言葉に込める。
それを最初から使わなかったのは、
『“
狼たちの牙が瞬時に凍りつき、蒸気を撒き散らしながら青白く光を帯びる。吐息すらも氷片となり、洞窟の床にぱらぱらと音を立てて散った。
氷を纏った牙はまるで刃の列のように輝き、その一噛みで肉も骨も粉砕するのは想像に難くなかった。
「おいおい、お前、そりゃあ……」
理解は出来ていたはずだ。狼が村人扮する従鬼を救出する速度が早すぎる。身体を強化する何かが無ければおかしいほどに。
それに気づかなかったのは、アドリブにアドリブを重ね、脚本を絶えず修正し続けていたことに対する、脳の限界だったのかもしれない。
「そりゃあ、ヒジリの術じゃないのか」
飛来せしラロウドは、詞術とは全く異なる、“彼方”よりの魔術形態を擁している。
◇
凶星を落として欲しいと祈りを受けた。
神籬のヒジリは、祈りに対して対価を要求し、その支払いを持って願いを叶える願望機だ。
祈りを受けた直後、凶星へと思念を飛ばした。星の形状や性質を把握しておかなければ、願いを叶えられない可能性があるからだ。
そこで、有り得ないことが起きた。
凶星の方から、反応があったのだ。
『ふむ』
『……誰だ?』
『誰か。その問いに答えることは出来ない。他称されるのは初めてだからだ』
思念であれば会話ができる。それは、五感を捨てたヒジリに残された最後の交流方法だ。しかし、この世界に来てしまってから、思念を飛ばす魔術を扱えるものは存在しなかった。
それは違った。
それは、意思を疎通する知能があり、思念を傍受できる逸脱があった。
『そこに居るのか?』
『そうだ。
『それを、落とすつもりでいる』
『そうか。ではその前に降りる』
淡々と受け入れるその様には、ヒジリの方が面食らった程だ。
『……いいのか?』
『その問いに答える意味があるのか? 君は落とそうとしている。ならば落ちるのだろう』
『……そうだな。忘れてくれ』
『忘れることは出来ない。その機能はまだ存在しないからだ』
それは、存外に会話を好んだ。
『どうやら、ここは今まで居た場所とは世界が違うらしい』
それは“彼方”から来た生物だという。つまるところ、それは逸脱が故に彼方より追放された、ヒジリと同じ客人だと言うことだ。
宙に住むその種族を、ヒジリは慣れ親しんだ言葉を用いて
『星獣という種族の、客人、か。そうか、理解した』
何かの死体を介してではなく、自分の思考を通して誰かと語り合うのは何年ぶりのことだっただろうか。
“彼方”のこと、世界のこと、魔術のこと、ヒジリは多くを語ったように思う。
『ヒジリ、君はなぜ、星を落とす?』
『それを願う者がいるからだ。私は願いに対して、それを叶えなければならない』
『そうか。では、落とすとどうなる?』
『……村がある。それが消し飛ぶだろう』
ヒジリはアレカの計画を知らない。ミナギの存在も、ダイダンガの存在も聞かされていない。会話をする術は限られており、それを行使する理由もない。ヒジリはただ、祈りに応えるだけの存在だからだ。
故に、凶星を落とせば、村は滅びるものだと思っている。
『理解した。では私が救おう』
『……何故だ?』
『
『……感謝する』
それは、個を認識できないようだった。ヒジリという個人ではなく、ヒジリの所属する種族全体を友とし、救うと明言した。
そうして、それは地平へと飛来した。
凶星が落ちる日の数日前のことだった。
◆
なぜ気が付かなかったのか。それが逸脱の翻訳家であると断定した時点で気づくべきだったのだ。
飛来せしラロウドは、神籬のヒジリと同じように
「魔術師か!」
『らるろろろ。ヒジリに教えてもらった』
冗談じゃない。教えてもらった程度で再現できる代物であれば、アレカとて既に大魔術師だ。
ヒジリの言葉は“彼方”の呪文であり、詞術による言語では再現が出来なかった言葉だ。
そのヒジリの言葉を理解出来たのなら、魔術は使える。この世界の生き物は会話を別の法則に──詞術に頼っている。だから魔術を使うことは出来なかった。
では、ラロウドは。逸脱の翻訳家であるラロウドは、あまねく全ての言語体系を、一から理解し、適応し、自分のものとしてきた。
常軌を逸したマルチリンガルである彼は、詞術を使わずにこの世界の数多の者と会話を成立させていた。
ならば、この怪物が魔術を扱うことができるのは、道理であるはずなのだ。
その考えに思い至ることが出来ていれば、従鬼を失わずに済んだ。アレカの喉奥から悔恨が漏れようとして、それを飲み込む。
泣き言なんて言ってられない。さらに言えば、それは演劇として美しくない。
今、スポットライトが当たっているであろうアレカは、確信を突いた決めゼリフを言わなければならないのだ。
すなわち。
「……てことは、お前は客人だな」
『そうか、そうだったな。
正解を叩き出せたことに安堵する。埒外の生命体ではない。それはただの、逸脱の客人だ。
理不尽でなければ、やりようはいくらでもある。
そして、緩んだ気持ちにするりと入り込んだ
指示を出し直さなければならない。次の幕が破綻しないように。
もはや勝ち筋は存在しない。いかに上手く負けるかが、この大きな見せ場における鍵となる。
「ちぃっ!」
『らるろろろろ。ろろろ、ろろ』
ラロウドの合図によって狼が再び散開し、隠れ潜む。狩りの時間だ。
そこから先は、蹂躙の一言に尽きた。
それほどに、魔術とは圧倒的だったのだ。
いかな従鬼といえど、その膂力は人の枠を出ない。それぞれが特別な能力を持つ暗殺集団であった“黒曜の瞳”と、ただ偽り、物語を見せるために作られた彼ら名前の無い軍は、まるで違う存在だった。
狼の噛みつき一つで、一人が重症に追い込まれた。じきに死ぬだろう。
爪に引き裂かれてまた、一人が死に追いやられる。長くは持たないはずだ。
狼の蹂躙は止まらない。知恵を絞り、出し抜こうとしても、狼らを統率するのは、全てに適応する星の獣だ。抗う術など、初めから存在しなかった。
ひとり、またひとりと死者が増えていく。
じりじり、じりじりと追い詰められていく。
アレカは従鬼を肉壁とし、守られるように逃げ回る。
自分が失われたら終わりだからだ。これからの流れを変えられるのは、アレカしかいない。
そしてついにその時は来た。
最後に残った従鬼が刃を振りかざす。
だが、その一呼吸の間に三匹の狼が流れるように動いた。
一匹が正面から刃を受け止め、もう一匹が背後を塞ぎ、残る一匹が喉元へ飛ぶ。
抵抗は一瞬で断たれ、従鬼は音もなく崩れ落ちた。
群れは声を合わせるように低く吠え、次の瞬間には血を拭う仕草もなく隊列へ戻っていた。
ラロウドの配下である狼は五体満足、回復の魔術も用いて全員無事だ。
対するアレカの配下である従鬼は、既に誰一人として存在しない。
「完敗だよ、ラロウド」
アレカはそう呟き、失っていない左手を上げる。降参の合図だ。その身振りを、ラロウドは正確に翻訳できる。
もはや勝負は決着した。故に、故にこそだ。
第三幕。勝者、飛来せしラロウド──そして。
「──だが、間に合ったぜ」
波涛が、到来する。
◆
波涛が到来する。全てをご破算にするべく、盤面をひっくり返すかの如く。
波涛はアレカのみを避けるようにして、木々をなぎ倒し、狼を再び海のステージへ突き落とした。ラロウドが水中行動の魔術を掛ける。
戦場は様変わりした。戦況が逆転したのだ。
アレカは満足したようにくるりと振り返る、
こうなるように、この場所にラロウド達を誘導した。従鬼を犠牲に、全てをやり切ったのだ。
「
「ふわぁ、アレカこそ、ひとりでだいじょうぶ?」
「やってやるさ。まだ俺の劇は終わってない」
アレカは走り出した。村の跡地では、
劇はまだ、終わらない。
第四幕、二度目のアレカ、対、
第五幕、湧き出るメナイサ、対、飛来せしラロウド。