「伏線ってのは物語の定番だろ?」
「ふわぁ、ふくせん?」
「そう、そう聞き返してくれるのを望んでいた。メナイサは偉いな」
「ふわ、えへへ、えらいね、わたし」
メナイサを撫でようとするアレカの手が、彼女の水面を貫通し、とぷん、と沈み込んだ。
ハティノの山の中。
まだ夢幻劇の準備すら始まる前のことだ。
「伏線ってのは、後の展開に繋がるように仕掛けておく布石、言うなれば物語の種だ」
アレカの盤面制圧能力とは、自身の練り上げた脚本、その舞台となる場でしかその効果を発揮しない。
なぜなら、舞台中の家々から当日の気候、木々の一本に至るまでが、大事な脚本の一部であるからだ。
「偶然の産物であったり、意図的ななにかであったりはするが、それらは全て、物語を彩る大事な
だからこそ、必要な全ては事前に仕掛け終わっていなければならない。
「これは俺だけに許された武器だからな」
二度目のアレカに、他の
◇
夢幻劇の始まりの話だ。それはこんな書き出しから始まる。
──その洞窟は、現実から切り離されていた。
一年を通じて雪に覆われる、ハティノの山奥。
白に閉ざされた世界に穿たれたその暗き口は、ひとたび足を踏み入れれば戻れぬ境界のようだった。
氷柱から落ちる雫が、岩を打つ。
その水滴は霧となり、薄明かりの中で漂う。
揺らめく白の帳に、座している影の輪郭が浮かび上がった。
滴は袈裟を濡らし、やがてその下の肌に滑り落ちる。
水筋を伝って、細かい文字が浮かび上がるのがわかる。
この世界の者には読めない経の羅列が、首から肩、腕、頭へとびっしり刻まれている。
まるで肌そのものが一枚の経巻であるかのように。
閉ざされた瞼は動かない。
だが、それに視られているという感覚だけは、確かに突き刺さる。
アレカの目の前に、逸脱の呪術師が存在する。
それは、奇跡が形を取ったような、祈りの器そのものであった。
「あんたが、神籬のヒジリだな」
明後日の空から差し込む
ここが
人には見えぬ視線が見える。アレカには、ずっとこちらを覗く観客が見えていた。
見えないものを見る目を、この世界の者たちは魔眼という。
ヒジリは何も答えない。言葉を受け取ることを辞めた怪物は、祈りのみをその魂に刻むことが出来る。
アレカはそれを知っている。知っていて、あえて言葉を発したのだ。意味の無い行為ではない。なぜなら、この舞台を見る観客は、ヒジリの聴覚が無いことを知らないからだ。
「なにかつたえたいのであれば、いのれ。いのりは、とどく」
果たして、闇を切り裂くように、アレカが芝居がかった動作で右手を掲げる。
その仕草は過剰で、不気味なほど緩慢だった。
観客がいる限り、舞台が存在する限り、役者は演技を続けなくてはならない。
その指先が示すのは、洞窟の厚い岩盤のさらにその向こう。
夜空にひとつ、赤黒く輝く光があった。燃え尽きもせず、堕ちもせず、ただ空に停滞する奇妙な星。
それは凶星。アレカの見つけた、竜を殺せる唯一だ。
その瞬間、世界の一つ上から覗き込む、無数の観客もまた、一斉に視線を仰いだ。
アレカの仕草に合わせ、見えざる観衆までもが一斉に星を見上げるさまは、まるで世界そのものが舞台の観客席であるかのようだった。
声が落ちる。
最初の台詞は短く、だが洞窟全体を支配する響きを持っていた。
「あの星」
沈黙が訪れる。
水滴の音すら途絶え、雪山の風切りさえ止まったように思えた。
まるで世界そのものが、言葉を聞くために耳を澄ませたかのように。
続く言葉は、奇跡の呼び水だった。
「あれを落として欲しい」
祈りである。
それは物語を動かすために仕組まれた、最初の合図だった。
「うけたまわった。だいしょうは、みぎてだ」
その瞬間、世界が弛緩する。
氷柱が裂け、冷気が渦巻き、空気そのものが異様な胎動を示す。そんな気がした。気がしただけである。
夢幻劇の始まりは、こうして放たれた。
◆
脚本通りにいかない事ばかりだった。
この地に配下の従鬼はもう居ない。ラロウドがもたらしたアドリブとは、つまるところそういうことだ。
しかして、アレカはたどり着いた。“絶対”に並ぶ偉業を成し遂げるべく。すなわち、竜との一騎打ちが、始まろうとしている。
この場に味方は居ない。アレカが一人で成さねばならないのだ。
「単独での竜殺し、絶対なるロスクレイにしか成し得なかった偉業だ。勇者になるには、それしかない」
「その為に、星を落とさせたのか?」
言葉が落ちてくる。それはダイダンガの声だったが、ダイダンガでないことは確実だった。
「そうだ。星馳せが現れなきゃ、竜だけを殺せるはずだった」
舞台の外から干渉した星馳せは、アレカの舞台をいとも容易く砕いてしまった。
逸脱の脚本家であろうと、修羅に至った化け物には及ぶべくも無かったのだ。
「それで、この結果か。好機を逃し、大量の仲間を失った。お前の招いた結果だ」
アレカを見下ろすのは、
その武具を身につけるものがいる。
逸脱の呪術師だ。
神籬のヒジリという。
「耳が痛いね」
「では、言葉は不要か。覚悟は?」
「できてるさ。
第四幕。二度目のアレカ、対、神籬のヒジリ。
◆
返答は最早ない。代わりに、鋼の咆哮が轟く。ダイダンガの死体に乗り移ったヒジリは、竜という最強の武具を纏った怪物だ。
引き裂くような音が辺りを埋め尽くす。身を劈くような一撃が、アレカの脳に叩きつけられる。
その竜は、声で人を殺せる。
白雪が弾け飛ぶ。
地表は粉砕され、岩盤までもひび割れていく。
音は刃となって空を裂き、大気そのものが震えた。
雪煙が立ちこめ、視界が白に閉ざされる。
その渦中、アレカの姿は掻き消えていた。
やがて、静寂が戻る。
雪煙の帳が薄れていき、割れた地形が露わになる。
そこに残っていたのは、深く穿たれた裂け目。
亀裂の奥、暗がりに沿うように、影がひとつ潜んでいた。
直撃を受けたはずの位置には、ただ砕けた氷片が散るばかり。
咆哮の威力は疑いようもなかった。
だが、アレカはなお舞台に立ち続けていた。
(冗談じゃねぇ)
冷や汗なんてものが流れる暇も無く。
脳が揺れる。平衡感覚が狂っているのを感じる。腕は血に濡れ、耳からも血が漏れている。
声を出すことさえ不可能だ。役者にとってのそれは、あるいは何より致命と言えた。
ただの咆哮一つでこれだ。これが、竜と人との違いだ。
その竜は、声で人を殺せる。
だが、アレカはまだ生きている。
簡単な話だ。
その咆哮が鼓膜に叩きつけられれば、音の全ては脳に集中し、アレカは死ぬだろう。だから、鼓膜を破った。
その上で、先のメナイサとの戦いで出来た地面の裂け目に身を投じれば、衝撃をある程度緩和できる。
アレカは、聴覚を捨てた。
だが、アレカはまだ、生きている。
鋼の眼が裂け目を捉えた。眼といっても、それは視界を超えた
ヒジリは、裂け目に隠れたアレカの一挙手一投足を正確に捉えている。
翼が雪を払い、竜の巨腕が持ち上がる。
竜の手には、剣が握られている。一振りで海を割った、至高の剣だ。
落ちる。
白い世界に一本の線が刻まれ、次の瞬間には面になって圧が降る。
刃が接地するより早く、空気が押し潰され、雪面が沈む。
白がはじけ、黒い岩盤が裂けた。
雪は蒸気のように散り、剣圧の走路に沿って亀裂が延びる。海越しの一撃ではない、本物の竜の一閃だ。
ハティノの土地には、新しい谷が出来上がった。
止まらない。
続く二撃目を、振り上げ、降ろす。
その狙いは正確だ。寸分違わず、アレカを狙っている。ダイダンガは逸脱の鍛冶師であった。その精密性も、他の追随を許さない。
三撃、四撃。
余裕も油断も無い。殺せるうちに殺しておかなければならない。目の前のそれは、ただの羽虫ではないのだから。
これ以上は地形がもたない。そう判断したヒジリが手を止める。
油断はしない。その眼はまだ、アレカを捉えている。
全ての死がアレカに集中していた。
好機は、ここにしか無かった。
世界に罅が入る。
◆
そもそもとして、アレカは夢幻劇をどう終わらせるつもりだったのか。
凶星をダイダンガに落とし、死に至らしめた後の話だ。
既に手配は済ませてある。夢幻劇の終了後、数刻もすれば、アレカの動かす従鬼が黄都の兵を連れてやって来る。竜が動いたという情報を元に。
そうして、ハティノにたどり着いた彼らに、ダイダンガという
アレカの物語の終着、すなわち勇者への道が開けるのだ。
どうやって、単独討伐を成し得たことを信用してもらうのか。
どうやって、使い終わった凶星を処理するのか。
アレカは、夢幻劇の公演に向けて、無数の伏線を、この村に仕込んでいる。
この戦いにおいて唯一、アレカだけは、事前に全てを準備し終えていたのだ。
その伏線が今まさに、花開く。
◆
竜の纏う鎧が砕け散り、竜鱗に罅が入る。
尋常ではない。故に、ヒジリが取った行動は回避だ。
空を斬る轟音。斜めに辿った剣線は、地面へ到達し、地形が抉れる。地割れだ。
アレカが握るそれは、山人でも無ければ持てないような重さを誇っている。
刃をもたない棒状の、自身の身の丈ほどの大きさのそれを、アレカは唯一残っている左手のみで振り回すように操る。
岩に当たれば粉々に砕け、竜鱗だろうとそれは変わらない。
ダブウィクトの波の魔剣という。
誰にも知られることなく海の奥深くに刺さっていたその魔剣は、メナイサによってサルベージされた。
非常に大きく、振り回すのも容易ではない為、そのままメナイサの胎内にしまい込まれていたものだ。
メナイサは言わなくてもアレカのして欲しい事を分かっている。そして、アレカも、メナイサが分かっていることを分かっている。
一番深い裂け目であると容易に理解出来た。そこに、魔剣は安置されていた。
通常の人間には振れないだろう。だが、アレカは既に通常の人間ではない。
従鬼に身を堕とした今のアレカならば、それを振れる。
おそらく、これが当たってもダイダンガは殺せなかっただろう。だが、説得力がある。
これを、ダイダンガを殺せた武器とする。そのためだけに持ってきていた魔剣だった。
だが、状況は一変した。これを使わなければ、ヒジリの操る竜には勝てない。
この近く、ワイテの山にはおぞましきトロアが居る。直に罪に裁きを下すべく、魔剣を取り立てに来るだろう。
これを振れる時間は限られている。
アレカの読みは正確だ。いっそ魔的とも言えるほどに、ダイダンガを操るヒジリの動きの全てを読み切っていた。
しかし、読み切ったところで全てに対処出来るほど、竜は甘くない。
ヒジリは油断という機能を持たない。故に、それは最短の殺意を形作る。
アレカはそれらを知っている。ヒジリがどう選ぶかを、先に置いて待つことができる。だが、読みと身体の到達には距離がある。
読みは届き、身体が遅れる。遅れは損耗になる。
一度目。竜の尾撃を魔剣の側面で受ける。尾の竜鱗は砕けたが、その中の金属までは砕けない。左腕の痺れにより繊細な動きが不可能となる。
二度目。竜の剣が横薙ぎに振るわれるが、姿勢を低くして回避する。風圧により、背中に衝撃。骨が数本折れる。
三度目、四度目、五度目。
数を重ねるごとに、予測の正しさは証明され、肉体はそれに追従するための代価を払う。
アレカは死の危険に身を投じる事が出来るほど、武を追求した訳でもなければ、狂っている訳でもない。
ロスクレイのようになりたかった。
きっと、
だが、ロスクレイは成し得たのだ。
きっと世界が物語なのだとしたら、彼が主人公に違いない。
だが、それは面白くない。
主役を飲み込む端役を演じる。
アレカはいつだって、主人公を狙っている。
自身の腕に刃を滑らせ、滴る血液を体内に宿す。命令が刻まれていき、やがてそれは成る。
アレカはユーテライの配下である従鬼に命令を与え、操ることが出来る。例外は無い。
アレカは、アレカを操ることができる。
脳のリミッターを解除した動きは、人間のそれを凌駕していた。身の丈をゆうに超える魔剣を振れるのも、そのためである。
命令は刻み終えた。
アレカは意識を手放す。
既に全てを予測し終わった後であり、起きている意味が無いからだ。
脳を休ませ、次の脚本を編む。
目指すは、神籬のヒジリ。ダイダンガに憑依し、意識を手放したその抜け殻である。
と、神籬のヒジリはそう思うはずだから。
◆
神籬のヒジリは死の危険に身を投じる事ができる。自らの身体を放棄することも容易く、自身を巻き込むことも厭わない、狂った悟りを開いている。
自身の抜け殻が狙われていることは把握していた。だが、それを意に介することは無い。
それはただ、ダイダンガの願いを叶えることにのみ尽力している。
剣を振るった経験は無い。だが、ダイダンガの身に残る魂の残滓が振り方を教えてくれる。
アレカを対処し、メナイサの元へ。再びあの絶死海と相対し、それを超える。それこそがダイダンガの望みだ。
突如目を閉じたアレカを不審に思うことは無い。意味が無いからだ。
竜と対峙してこんなに長い間生きてられた人間が、果たして幾人居るだろうか。単独であるなら、それはなおのことである。
既に異常なのだ。ヒジリの理解の範疇を超えている。ならば、不可解に頭を悩ませる必要はない。
目の前の敵を、ただ排除するのみだ。
剣を側面で扱う。通常振るのが困難であり、剣を痛めることを避けられない振り方である。だが、竜の膂力であるが故に可能であり、逸脱の鍛治師の武具であるが故に、その剣が消耗することは無い。
剣を側面で振れば、剣戟を避けたところで、風圧は避けられない。
竜の巨剣にアレカが吹き飛ばされる。目指しているのがヒジリの抜け殻なのであれば、そこから遠ければいい。
だが、それこそがアレカの狙いそのものだった。
アレカが意識を取り戻す。
これを手にしなければならなかった。でなければ、証明が出来ないからだ。
「届いたな。お前を殺せる唯一に」
「まさか」
アレカの本当の狙いは、ヒジリの抜け殻などではなかった。
星馳せアルスは、真っ二つにされたあの魔具を、使えない、ではなく要らないと言った。
「伏線だ。それこそが、事前に用意しておいた俺だけの武器になる」
凶星は、まだ死んでいない。
◆
二度目のアレカは、ただ一つの脚本を綿密なまでに練り上げ、舞台に望む。
使われずに終わる仕掛けなど、本来一つも無いはずだ。
だが、星馳せアルス、そして飛来せしラロウドの2体によって、既に脚本は破綻している。
ダブウィクトの波の魔剣がそうであったように、伏線は、その全てがまだこの地に眠りつづけている。
すなわち、凶星は死んでない。
発動するための起点は破壊されたが、それだけだ。その内に秘められたエネルギーは、未だに解放されるのを待ち続けている。
海と竜の激闘による余波すら耐え、ただそこにあるだけだった凶星は果たしてどのようにして起動するのか。
通常、凶星は成層圏上より飛来し、地面に直撃した時の衝撃で起動するようになっている。それは星の重力加速度を加算した衝撃であり、起動部を星馳せアルスに壊された今、例え竜が殴ったところで起動することは無いだろう。
では、どうすればいいのか。
答えは単純だ。
「お前は使えるはずだ。解錠の魔術を」
「……いったいどこまで」
「分かるさ。ここでどうにかできる手段が無ければ、場がシラケるだろ。じゃああるんだよ、解決策ってのは」
あくまでも断定を。
アレカは世界を物語として捉えている異常者だ。それが二度目のアレカだから。
「ダイダンガの願いは分かっている。それを叶えれば、お前の憑依も終わる。そうだろ?」
「そうだ。波涛を越えることができれば、わたしはあの身体に戻る。手出しはできない」
それこそがアレカの勝ち筋。
だが、ヒジリは……否、ダイダンガはひとつ、間違えていた。
「いいや違う。ダイダンガの願いとは、メナイサを超える事じゃない。この場の全てを越えることだ」
凶星を、まだ超えて居ない。
その事実を祈りに滑り込ませる。魂の残滓となったダイダンガの、祈りの解釈を拡張しているのだ。
二度目のアレカは、既に喪われたはずの命すらも、支配してのける。
「お前にならそれを叶えられる、だろ?」
「……そうだ。私が受け、そして叶えられなかった願いは、ただ一度だけ」
ヒジリは人々の願いを叶える願望器である。
“彼方”でそうあったように、この世界でもそうある。
“彼方”の人々は、みな祈っていた。
全てをおしまいに導く、“魔王”の討伐を、祈っていたのだ。
◇
あれから何年経ったのか、鮮明に思い出す事が出来る。
ヒジリの目の前。頭を地面に擦り付け、必死に祈りを捧げる者達の一人ひとりを、覚えている。
ヒジリの思い出にある、“彼方”の光景だった。
史上三発目の原爆が投下されたことを皮切りに、この国は終わりへと向かったのだろう。
この世界のありとあらゆる国家が、この国そのものを消し去ろうとしている。
世界の何もかもを変えてしまった少女が居る。
相原四季という。
祈りを捧げる対象が必要だった。縋るものが無ければ、只人は生きていけないのだ。
そんな中
投下されたはずの原爆を瞬きのうちに消す事が出来る。
死にゆく身体に再び魂を吹き込むことができる。
起こせる奇跡は限りなく、祈りによって彼は全能たりうる。
だったらきっと、きっと“全ての敵”を、殺す事だってできるはずだ。
乱世の只中にあって、この場だけが異様な静謐に包まれていた。
戦乱の叫びも、血の匂いも、そこには届かぬかのように。
信徒の肩に担ぎ上げられ、神座へと導かれるひとりの影があった。
その身はすでに人の域を離れ、五感すべてを封じ、欲も痛みも手放した器。
微動だにせず、胡座をかき、胸の前に静かに掌を合わせるその姿は、まるで石に刻まれた仏の像であった。
まぶたの裏に光はなく、耳に響く音もなく、言葉も匂いも遠ざけられている。それでも、彼の全存在からは、かすかな呼吸とともに限りなき荘厳があふれ出していた。
それは人ではなかった。
祈りを受けるためだけに在る、無垢なる神体。
そこに座すのは、呪術師であると同時に、すでに神そのものとして人々に映る存在であった。
聖は何も言わない。信徒もまた、無言のままに頭を地面に擦り付け、そして。
「うけたまわった。だいしょうは──」
祈りを捧げた者達は、史上初の恐怖に発狂し、一人残らず死に絶えた。
そして聖は、この世界から見放された。
◆
このハティノ村落を夢幻劇の舞台にしたのは、ヒジリが居たからだ。
単純な話だ。ダイダンガもミナギも、ユーテライさえも動かすことが出来たが、ヒジリだけはこの地から動くことが無かったからである。
魔王の斃れた地に程近いこの薄暗い洞窟から、ヒジリはてこでも動かなかった。
だから、ハティノを舞台へとセッティングした。ミナギの旅路がハティノにたどり着くまで待った。ダイダンガをここに誘い込んだ。
全てはヒジリを基準としていた。
「そんなお前が、俺の敵に回るなんてな」
“夢幻劇”のヒジリはただの舞台装置に過ぎなかった。ダイダンガがヒジリに祈ることは、アレカの脚本にはなかった。
「これが爆発すれば、俺だけじゃない。近くに避難している村人や、ラロウドだって無事では済まない」
実際爆発の範囲がどれ程かはアレカにも分からない。だが、全てを断定で語るアレカの言葉は、人を信じさせるのに十分な言霊を持っていた。
「そうか。だが、それは願いには関係の無いことだ」
「いいや違う。お前は願いと人命、両立できるのなら二つを取りたい。そうだろ?」
「……そうだ」
ヒジリ自身ですら意識していない思考の癖を悟られる。ヒジリは決して、人が嫌いではなかった。
「なら、それを飲み込めばいい。ダイダンガの身体が耐えるのなら、被害は起こり得ない」
「正気でないな」
「はっ、正気で竜を殺せるのか?」
狂気に身を堕とす。
そこまでして、やっと舞台に立つ資格を得られる。それほどに、アレカは弱い。
だから、狂気に浸かった。簡単な事だった。
「これは俺が用意した最強だ。俺の脚本では、
アレカの脚本は絶対だ。あの時のダイダンガに、これを耐えられる道理はなかった。
「越えてみろ」
「越えるさ。いのりは、つよいんだ」
ヒジリはそれを、誰よりも知っているから。
凶星を掴み、口内へと放る。
「“破封”」
光。
白くて、熱い、破壊──
◆
視界が晴れる。
「くは」
竜が笑った。ダイダンガの残滓がそうさせたのだ。
竜の身体には、傷ひとつ無い。
竜は打ち勝ったのだ。
願いは叶った。この場の最上であった星は跡形も無く消えた。
あとは、メナイサの海を超えれば、真に最強であると証明できる。
できるのだ。
「──ミナギを、殺した」
ヒジリの手が止まる。
アレカは、死の間際に進化したダイダンガが星を凌ぐと、分かっていた。それは、物語として美しいから。
だから、最後の切り札を切る。
全て脚本通りだ。
「死因は心臓マヒ。五体満足だ。お前なら、まだ助けられるだろ」
ヒジリは死にゆく身体に再び魂を吹き込むことができる。
「まさか」
「と、思うか? たかだか運が良いだけの森人一人を、俺が仕留めきれない道理は?」
アレカは既に、
冷や汗が流れた気がしたのは幻想だ。
そのはずだ。
「ま、俺が殺した訳じゃないさ。嘘はつかない。自爆だよ」
竜は、声で人を殺せる。
アレカもまた、言葉のみで、人を殺した。
「星守りのミナギ。わかるだろ? 知らない訳がない」
根拠は無い。だが、そうでなければならない。
夢幻劇を始めたアレカ。
アレカと共に生きてきたメナイサ。
その二人と因縁のあるダイダンガ。
凶星を落とす者、ヒジリ。
そして、凶星と共にやって来た者、ラロウド。
そんなメインキャスト達の中で、ミナギだけが、浮いていた。
アレカは世界を物語としてみている。
物語には、必然性が無ければならない。
アレカが呼び出したのだとしても、ミナギがこの場に居合わせたことがただの偶然であることなど、あってはならないのだ。
「お前は交友関係にあるはずだ。かつてのミナギと」
なんのことは無い。
アレカの拵えた夢幻劇とはつまるところ、
アレカとメナイサ。
ダイダンガ。
そして、ミナギとヒジリ。
という、三陣営で動いていたのだ。だからこそ、ミナギとヒジリ両者を引き合わせないように脚本を練った。
「行くしか無いはずだ。お前は友人の安否を今すぐに確かめたい」
その関係が友人であるかどうかなんてわからない。だが、アレカは確信を持っている。根拠は己の狂気だ。
「俺のしぶとさは充分に見せたはずだ。確かに、お前は俺を殺せるだろう。だが、それは今じゃない。数分後か、数時間後か。お前には時間が無いはずだ、そうだろ?」
竜には傷が付かなかった。しかして、竜鱗が剥がれ舞い、内側に蓄えた武器も吹き飛んだ。
「俺はまだ切り札を隠し持っている。これを確認する術は、今のお前には無いはずだ」
ダイダンガの祈りは完遂された。今この場において最も破壊の密度が高い一撃を無傷で耐えた。竜は正しく最強で、最硬だったのだ。
この場に留まる理由は、今のヒジリには存在しない。
「舌を巻く。君の思い通りに動かざるを得ないようだ」
「それが演劇ってものさ。お前はただ、脚本通りに動けばいい」
演者が脚本に合わせる、本来の演劇とはこうあるべきだ。
脚本に演者を合わせるのが、アレカの演劇だ。
ヒジリがその竜体の踵を返し、山中へと向かう。
アレカは一息つくことも無く、既に歩き出していた。
「乗り切った、な。さぁ、仕上げといこうぜ。終幕はすぐそこだ」
第四幕。勝者は、二度目のアレカ。
ダブウィクトの波の魔剣は一問一答にて言及のあった、おぞましきトロアが所持していた魔剣のひとつです。