凶星夢幻劇   作:七草青菜

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第六幕

 ミナギにとっては、そう遠くない昔。

 

 ヒジリがこの地に現れた時のことだ。

 

「……」

 

 そこは山奥にある、湖のほとりだった。

 およそ人が通るような場所ではなく、野生動物が水を求めて来るのみの、そんな場所だった。

 

 ヒジリは今自分がどこに存在しているのかを認識できない。ただ、目の前で祈りを捧げていたはずの多くの人々が死に絶え、そして消えたことだけを記憶している。

 ヒジリは人の傍でしか生きることができない。

 それは、五感を失っているからだとか、そんな些細な理由ではない。

 祈りが無ければ、ヒジリは生きていけないのだ。

 

「おや」

 

 それこそ、ミナギが運命に愛された旅人でなければ、こんな場所に足を踏み入れることすら無かっただろう。

 

「……こんなところに人か。珍しいこともあったもんさね」

 

 人は常に、大なり小なり祈りを持っている。例えば、疲れたから休みたいであったり、日が強いから影に隠れたいであったり。その小さな祈りのみが、ヒジリに認識できる世界の形だ。

 だからこそ、気配という曖昧な形を掴むことは、ヒジリにとっては声を聞くよりも簡単な事だった。

 

「そちらのことばはきこえない。ただし、いのれば、とどく」

 

 不便だな、と思う。

 望んで手に入れた力ではなかった。

 しかして、ヒジリは神になってしまった。

 

「祈り、か。そうさね……なら、キミと話がしてみたいな。どうだい?」

「うけたまわった。だいしょうは……ひつようない」

 

 祈りに対して支払う対価がどのような基準であるかは、ヒジリも完全に把握出来ているわけではない。

 人の祈りに対して、自動で対価を要求する。それが人を捨てた報復術式の在り方だった。

 

 ヒジリの身体が、糸の切れた人形の様に倒れふす。そして、()()傍らに転がっていた小動物の死体がゆっくりと起き上がる。

 

「こりゃあ、一体どういうことだい?」

 

 それは、ヒジリにのみ使うことを許された、神から賜りし秘術だ。

 祈りの無い、魂の残滓が残るのみである器に入り、借り受ける力。これを使うことで、ヒジリは人と意思を疎通することが出来る。

 

「したいをのっとることで、かいわができる」

「なるほど、そいつは……面白いね」

 

 長く旅を続けたミナギでも、そんな事をする奴は見たことが無かった。

 旅人は、初めて見る物に強く興味を示す。

 

つげ(柘植)ひじり()だ。このなをなのるのも、ひさかたぶりだな」

 

 柘植聖。それは彼方における、ヒジリの名である。

 

「なるほど。つまるところ、キミは客人であるという訳だ」

「まろうど、か。なぜそうだと」

「そりゃあ簡単な質問だ。なぜなら、君には二つ目の名が無い」

「ふたつめの?」

「そう、この世界では一つ目の名前の他に、もうひとつ名を持っている。ちょうどオレが“星守りの”ミナギであるようにね」

 

 二つ目の名とは、すなわち個性を表すものであり、己の人生の象徴である。

 主体性という物をとうに捨てたヒジリにとって、それを自身の意思で設定することは難しかった。

 

「では、なづけてくれないか? こちらからなのることが、こんごおとずれるかはわからないが」

「そうさね……なら、キミのことを教えてくれないかい?」

 

 長く身の上を話したように思う。

 霊媒師の家系に生まれ、しかしてその道は魔術の深奥に続いていた。裏の人間しか知りえないそれを、裏の人間となったヒジリは深く理解していた。

 そして、その果てに、ヒジリは神と思しき存在に触れ、人生を担保とする取引をした。

 

 ヒジリが話している間も、不思議と小動物の魂の残滓は尽きることなく、ヒジリが元の身体に戻ることはなかった。

 

 神を宿した願望器。忌憚なく言うのなら、ヒジリはそんな存在だ。

 

「神籬のヒジリ、なんてのはどうだい?」

 

 だからこそ、その名前は存外腑に落ちるものだった。

 

 ◆

 

 竜を素体とした機魔(ゴーレム)であるダイダンガには、複数の観測機器(センサー)群が搭載されている。全ては微塵嵐から受けた傷の精算であり、その果てにある砕けない星への挑戦である。

 その機能をフル活用し、ミナギを捜索する。

 

 そうして、()()()()直ぐにそれは見つかる。

 心臓麻痺による突然死。正真正銘死体となったミナギが、山道の傍らに眠るように安置されていた。

 

 凄惨な戦場と化してしまったこの地では考えられないほどに安らかに眠るミナギ。その姿には傷ひとつ無く、どころか衣服の乱れすらない。

 戦場の余波がこの場に及ぼされることは一切なかったようで、ミナギの豪運は依然継続されている。

 

 ヒジリが周囲を見る。

 

 ヒジリは、魂の形を見ることが出来る。五感を捨てた彼にのみ発現した特殊能力であり、見えないものを見る、魔眼の類である。

 ミナギの魂は拠り所を無くしたように浮遊しており、それはすなわち、間に合ったということに他ならない。

 

 静かに祈りを捧げるヒジリ。

 ヒジリは、自身の願いを自身の力によって叶えることが出来る。

 

「だいしょうとして、このみをささげる」

 

 竜の身体が解けていく。魂を降ろした竜の身体を躊躇いなく代償として捧げ、ミナギへと秘術を施す。

 

 死者の蘇生ではない。

 これは、まだ死体の周りを漂っている魂を身体に戻す秘術だ。竜の死体に自身の魂を降ろしたそれと同じように、ヒジリは他者の魂を降ろすこともできる。

 

 そして、ミナギの身体は運良く五体満足のまま残っていた。心臓の鼓動が止まっていた事を除いて、損傷はひとつも無い。

 

 故に、その降魂は一切の淀みなく完了する。

 

 再び鼓動を始めた心臓。止まっていた呼吸も再開されていく。

 凍っていた時間が徐々に溶けだすように、ミナギが生き返っていく。

 ミナギが、微睡みから解かれるようにゆっくりと目を開ける。

 

「おや……天使か悪魔か。どっちかに会えると思っていたんだけどね」

 

 ゆっくりと身を起こし、辺りを見回すミナギ。

 竜の身体は既に消え去り、この場にはヒジリの魂だけが残っている。それはミナギの目には映らない。

 

 ヒジリの身体はあの戦場にあり、今この場には無い。先の戦いにてダイダンガを乗っ取ってから、そのまま放置されている状態にある。

 故に、()()()近くにあった死体……ミナギの豪運によって散った従鬼の死体に、自身の魂を降ろす。

 

「おや、キミは……」

「神籬のヒジリだ。久しいな、星守りのミナギ」

「へぇ、随分変わったね。見違えるようだよ」

 

 事実、ヒジリの肉体は捲りのユーテライの配下である従鬼のそれへと変貌している。

 そして何より、かなり状態のいい死体である為か、ヒジリはいつもよりも流暢な会話を行うことが出来ていた。

 

「すると、キミがオレを死から蘇らせてくれたってわけか」

「死者は無理だ。お前の魂はまだ彷徨っていて、運良く五体満足の肉体が転がっていた」

「そうかい。ヒジリの定義する死はオレのそれとは違うようだが、まぁ似たようなもんさ」

 

 死者の蘇生まで可能だとは知らなかったが、ヒジリが願いを叶える存在であることを覚えていたミナギにとって、それはさしたる疑問ではなかった。

 

「いや、代償がいるんじゃないのかい? オレは何かを支払った覚えは無いけど」

「代償はわたしが支払った。わたしがそれを望んだからだ」

「なるほど……そりゃあ、助かるね」

 

 辺りを見回す。そもそも、ミナギが知っているのはアレカと竜が敵対していたこと、そして自分が海に流された末にアレカと対峙し、死んだという事実だけだ。

 言ってしまえば、ミナギはヒジリの存在すら、今初めて知った。それに対して動揺しないのは、一重にミナギがこういった状況に慣れているからだ。

 都合のいいタイミングで都合のいい人物がやってくる。これもミナギの豪運の賜物である。

 

「状況は?」

「竜は死んだ。脅威は海を残すのみとなるが、それも対処している者がいる」

「アレカは?」

「逃げた。追う必要もないだろう」

 

 ヒジリが指をさす。

 アリモの方向だ。

 ちょうど、ミナギが次に向かわなければならない場所でもある。

 

「わたしは海の対処を助太刀する。お前は、どうする?」

「そうさね……オレは旅人だ。旅を続けなきゃあね。アリモに行って……ああ、クタにも寄らないと。あそこが“最後の地”に()()()()()は初めて向かうね」

 

 旅人が旅をする。それは絶対だ。

 だが、海を見るより旅を選んだ理由。それは、アレカを追うためでもある。

 直感だ。その方が面白そうだと感じた。であるならば、その選択は正解なのだろう。

 だが。

 

 ふっ、と。ヒジリから感情が抜け落ちる。

 

「それは、だめだ」

「……そりゃあ、どうしてだい?」

 

 それは、旅を通して数多の人間を見てきたミナギにとっても、初めて見る表情だった。

 無機質な、およそ人とは思えない貌。

 それは、人を捨てた報復術式である。

 

「“最後の地”に向かってはならない」

「理由は?」

「ダメなんだ」

「……そうかい」

 

 会話にならない。先程までと同じ人物とは思えない程に、ヒジリは人間では無くなっていた。

 

「だとしても、オレは向かわなきゃならない。旅人ってのは、そういうもんさね」

「解せないな」

「条理でないからね」

 

 旅人は旅をするものだ。逸脱の旅人であるミナギは、旅を続けることを運命付けられている。

 それは、例え“星”であろうと覆せるものでは無い。

 

「なら、ここまでだ。お前の旅は、ここで終わる」

 

 ヒジリは死体以外を乗っ取ってはならなかった。

 ヒジリが乗り移った先、ユーテライの配下、アレカの役者(エキストラ)であったそれは、鼓動が止まった状態ではあったが、まだ死んでいた訳(脳死した状態)ではなかった。

 

「こわい。こわいんだ。この感情を、わたしは久しく忘れていたように思う」

 

 神籬のヒジリに、正常な思考能力を与えてはならなかった。ヒジリは常に、脳の機能を制限された状態でなければならなかった。

 

「わたしでも、ここが限界だった」

 

 相原四季と相対したことのあるヒジリには、最後の地に向き合うことの恐ろしさを誰よりも理解していた。

 五感の全てを封じてもなお拭えぬ恐怖。

 

 それは、人を捨てた報復術式である。

 ()()()()()()()()()()で、本物の魔王からは逃れられない。

 

「それでも行くというのなら、お前を殺してでも、止めなければならない」

 

 思考の余剰を手に入れたヒジリの脳裏には、蓋をしたはずの凄惨な記憶が流れ出している。

 今も鮮明に思い出すことが出来る。諸共が崩れ去ったあの日のことを。

 死なせたくないから、殺す。その矛盾に、ヒジリが気づくことはない。なぜなら、既に狂ってしまっているからだ。

 

「もう見たくないんだ。誰かが恐怖に染まる様を」

「……そうかい。キミに一度拾ってもらった命を、また散らすことになるのは……そうさね、キミに悪い」

 

 ゆるり、と。ミナギが立ち上がる。

 構えはとらない。必要が無いからだ。

 

「キミが止めるなら、オレはそれに抗おう」

 

 旅人は旅を続けなくてはならない。

 それは、原初から決まっている理のひとつだ。

 

「時にキミはこんな言葉を知っているかい?」

 

 ミナギが自身の人差し指をピッと空に伸ばす。

 

「“不言のメルユグレは、黙してばかりではない”」

 

 多弁を慎んだメルユグレは、時にその口を雄弁に扱い、人々を導いてきた、と。そんな伝承は存在しないし、そもそんな言葉もまた、存在しないもののはずだ。

 

「オレは()()()()()()()は出来なかったがね」

 

 その口ぶりは、まるで彼の者と直接知り合ったかのような──

 

「わたしは神を降ろした者。神籬のヒジリだ」

 

 ふわり、と。ヒジリの乗っ取った身体が魔術によって宙に浮かぶ。

 

「お前は神と戦ったことはあるか?」

「そうさね、数える程しか」

 

 第六幕。星守りのミナギ、対、神籬のヒジリ。

 

 ◆

 

 幸運とは、最も良い選択肢を引き当てることである。

 故に、選択をしなければ引き当てるという結果も生まれない。

 

「クジは引かなきゃ当たらないだろう?」

 

 ミナギが地面を蹴り上げる。

 

「だから、沢山引くことにしてるのさ」

 

  踏み抜いた場所には、偶然、小石が転がっていた。 跳ねた小石が傍らの木に当たる。それは偶然にも先の海によって朽ちた木であったようで、倒壊した木が瓦礫を崩し、砂煙を巻き上げる。

 

 結果として一瞬、ヒジリの視界は遮られた。

 もっとも、普段から五感を頼りにしていないヒジリにとって、それは些事にもならない。

 

「“空刃”」

 

 祈りを発するミナギを捉えた、切り裂く魔力の刃だ。それは砂煙を裂きながらミナギへと迫るが……それを拒んだのは地面に刺さる一本の大剣だった。

 

 この場所には、ダイダンガとメナイサとの戦いによって流された武器が多数放棄されている。

 当然であるが、武器は祈りを発さない為にヒジリはそれを捉えることが出来なかった。

 

 ミナギがその大剣を引き抜く。それは偶然にもダイダンガが軽量化に特化して作成していた試作品であったようで、ミナギの細腕でも持てるほどの重量であった。

 

 全てが偶然。だが、その結果ミナギはヒジリに立ち向かう武器を手に入れる。

 

「お前のそれは、運がいいというには出来すぎている」

「あぁ。アレカが言うには、オレの後ろには“星”が付いてるんだとさ」

 

 誰にも観ることの叶わない運命の具現が、ミナギの背後には存在する。

 ミナギにとって、可能性という言葉は、その全てが同列に選べる選択肢に他ならない。故に。

 

「【()()()()()へ。障壁。玉響。撒き餌。晒せ】」

 

 遠くヤマガより運ばれし、砂塵が舞う。

 

「【()()()()()()へ。明鏡。絵画。道筋。閉じろ】」

 

 そして、さらに遠くより運ばれしイガニアの寒風が、砂塵を凍らせる。

 

 通常、現在地である土地以外を詞術の対象とすることはない。土地を焦点とした詞術が極めて不安定になるためだ。

 

 つまるところ、不安定なだけであり、絶対に発動しないという訳ではない。土地に言葉が届くかは、土地が言葉に応えるかは、運否天賦に委ねられる。

 全てミナギの領域だ。

 

 大剣に凍てつく砂塵がまとわりつく。

 氷砂の魔剣となったそれを手に、ミナギが不敵に微笑む。

 

「時にキミはこんな言葉を知っているかい?」

 

 それは旅した場所全てに、慣れ親しんだ土地の如く声を届けることが出来る。

 

「“冬とは、最も無慈悲なる天候である”」

 

 冬が襲いかかる。

 

 ◇

 

 魔術とは、世界に存在する法則へ干渉し、物理法則では起こり得ない現象を引き起こす、まさに現行の技術とは異なる魔の術である。

 “彼方”の中でも限られた者にのみ口伝にて伝わり、戦争などの用途にて秘密裏に行使されてきた。

 

 翻って。秘術とは、すなわち世界より秘された術である。

 これは遠き“彼方”においても、聖にしか使えない唯一であった。

 

 聖が相原四季と相対した経緯に、特段珍しい事はない。

 ただ、会敵し、恐怖して、そして狂った。多く仲間が居て、生き残ったのは聖ただ一人だった。なんのことは無い。ただ、聖が殿(しんがり)だっただけだった。

 

 底冷えするような恐怖。この世のどれとも違うそれが脳に焼き付いたその時、聖は全てから逃れる術を模索した。

 

 どこにいたとしても、彼女から、彼女の恐怖から逃れることは叶わないと悟るのに、そう時間を要しはしなかった。

 

 これから先一生、彼女の姿を見ないようにするためには、声を聞かないようにするためには、香りを、味を、感じないようにするためには。

 

 ──ああ、全てを無くしてしまえば、もう彼女を感じることは無くなる。

 

 狂った結論。

 恐怖から逃れるという煩悩のままに、聖は悟りを決意した。

 

 五感を消去する禁忌の儀式は、不眠不休のまま一ヶ月以上続いた。聖はその身に経を刻み、絶えず聖句を唱え続けていた。

 

 誰も映らず、何の感覚もない状態を、人は孤独だと定義する。

 

 人はひとりでは生きていけない。

 ならば、ヒジリは人であってはならない。

 

“──”

 

 何か、声が聞こえたように思う。

 聴覚はとっくにその役割を終えたというのに、確かに。

 その宗教において、絶対的で唯一の神という存在は定義されていない。ならば、コレはなんなのだろうか。

 聖は疑問の代わりに、ただひとつ、祈りを唱えた。

 

「わたしに、あなたを」

 

“うけたまわった。だいしょうは、おまえのすべてだ”

 

 ◆

 

 簡単だ。

 四度目の原爆を消し去ったあの日と、同じことをすればいい。

 自身へと祈りを捧げる。

 代償はすでにあの時、支払い終わっている。

 

「祈りを」

 

 冬が掻き消える。

 

 ◇

 

 二度目のアレカの脚本は、凶星の前から始まっている。

 重ね葉のリオーラとして活動していた時。ハティノへと続く旅路、あの夜の襲撃は、星守りのミナギに与えた最後の試金石であった。

 

 野盗扮する従鬼をけしかける必要など、本来どこにもなかった。

 しかして、アレカがそれを行った理由は、血の滴るナイフ、それを拾うかどうかを確かめたかったから。

 すなわち、必要であれば見つけるし、必要無いなら見つけない、である。

 

 夢幻劇において、ミナギにそのナイフが必要になる脚本は作らなかった。

 故に、ミナギがそれを拾えば、それは何かしらのイレギュラーが起こるということだ。

 

 そして事実イレギュラーは起きた。星獣が飛来し、村人が消失した。

 それ以上のイレギュラー(星馳せアルスの存在)があったことは誤算だったが、それはともあれ。

 

 ミナギは見つけたのだ。

 赤く滴る血濡れのナイフを。

 

 物語として正しく世界が進むのであれば、つまりそれを使う機会が訪れるということだった。

 

 ◆

 

 ただ、投げるだけでよかった。

 ヒジリは祈りを行使する時、目を閉じ、そして手を重ねる構えを取る。必ずだ。

 それを、ミナギは知っていた。

 

 大剣を捨て、懐から一振りのナイフを取り出す。

 一投。

 偶然にもそのタイミングで突風が吹き、追い風がミナギを味方した。

 

「キミには悪いけど、オレは旅を続けるよ」

 

 ナイフは風に流されるままにヒジリの身体へ吸い込まれていき、そして首元に深く刺さる。赤い雫が滴る、奇妙なナイフだった。

 それは凶星が落ちる日の前。野盗によって襲撃されたあの時に拾ったナイフだ。

 あれは野盗ではなくアレカの役者(エキストラ)であったことは、既に想像がついている。

 

「無駄だ。この程度の致命傷、直ぐに治せ──」

「そうかい? オレははるか昔に血清を打っていたが……要するにこれは、血鬼の血を染み込ませたナイフだ」

 

 切りつけただけで傷口から血を侵入させ、ウイルスを感染させ、操るための武具。

 今でこそアレカの脚本として使われるそれであるが、元々は普通の血鬼であるユーテライが、素早い口封じのために利用しているものだ。

 だからこそ、そのナイフに込められた命令は初めから決まっている。

 

「刺さったら、自害する。簡単な理さね」

 

 精神では無く肉体に作用する術だ。すでにヒジリの身体はその生命を終わらすべく動き始めており、発声すら封じられたその身に抗う術は無い。

 通常、血鬼が生物を感染させるためには長い時間を要する。このナイフも、仕留め損なった敵をそれでも敵陣に帰さないようにする保険の様なものであった。

 

 だが、しかし。

 ああ、今、ヒジリの身体は、従鬼のものでは無いか。

 

 命令に即座に反応し、ヒジリは自身の首を一瞬にして掻き切る。

 治療は出来ない。発声が出来ないからだ。

 

「ふぅ……」

 

 ヒジリはきっと元の身体に戻るだろう。元の身体がまだ存在するかは、その実わからない。

 だが、ミナギの直感は、そのわからないを存在しないものとする。

 

 果たして。

 ボロ切れの様な袈裟を纏い、全身に経を刻んだ男、神籬のヒジリが現れる。

 

「ちなみに聞くが……まだオレを止めるつもりかい、ヒジリ」

 

 返答は無い。聴覚を捨てたヒジリにその声は届かない。

 

「そうか。もう会話はできないんだな」

 

 しかして、それの殺意が止まらないことだけは、ミナギにも理解することができた。

 恐怖を思い起こされたヒジリは、既に止まることが出来ない。

 

「“黄泉雲”」

 

 死をもたらす呪いの雲が立ち込める。

 それはミナギの周りを囲い込み、そして。

 

「【ラロウドよりメナイサの海へ。押し寄せる波涛となりて、全てを洗い流すように願う】」

 

 波涛が到来する。雲と衝突し、全てを霧散させる。

 それは完璧なタイミングだった。

 

「共に来てくれ。君達の力が必要だ」

 

 百獣の王が、飛来する。

 

 第六幕、改め。星守りのミナギ、対、神籬のヒジリ……対、飛来せしラロウド。

 

 ◆

 

 メナイサを討伐した後、ラロウドはメナイサの死体である海の対処に手を焼いた。

 彼女の胎内には多種多様な水棲生物が住み着いており、それらはひとつひとつが異なる生態を持ち、浅瀬から深海まで様々な環境に適応している。

 彼らに罪は無い。ただ外敵の駆除を、メナイサの誘導のもと行っていただけだからだ。

 だからこそ、ラロウドはまずメナイサの海を整備することを選んだ。

 

「【ラロウドよりメナイサの海へ。あまねく生物に適応する環境へと己を整備し、区画分けされたその場所に適当な生物を宛てがうように願う】」

 

 ラロウドは、自身の適応能力を正確にイメージ、言語化し、それを詞術を通して届けることができる。

 

「【ラロウドよりメナイサの海へ。環境状態を維持したまま山肌を滑り、大海へと到達した後にそれぞれの環境と同じ場所へ帰ることを願う】」

 

 生術、熱術、力術、工術。

 ありとあらゆる詞術を駆使して行われるそれは、あるいは全能の魔才であるとすら言えるのかもしれない。

 

 そして、最後に残った、生物の居ない海を借り受け、次の幕へと向かう。

 アレカの脚本では、ここでラロウドはアレカを追いに向かう事になっている。脚本を直接見たラロウドはそれを知っていた。

 しかし、それではラロウドは死に、アレカの思惑通りに事が進む。

 

 故に、ラロウドが選んだのはミナギとヒジリの戦闘への介入だ。

 なんの事はない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そういう脚本となっていたからだ。

 

 ◆

 

「キミは?」

「神籬のヒジリの友だ。彼を止めに来た」

「そりゃあ、助かるね」

 

 ミナギとラロウドが合うのは初めての事だった。赤いゴム質の生物である星獣(エイリアン)を見るのは初めてのことだったが、ミナギがそれを気味悪がることはなかった。

 長い時を旅したミナギにとって、その程度のことは日常に過ぎなかったからだ。

 

「I……私が合わせる。君はただ、好きに動けばいい」

「そうさせてもらうよ。元より、オレは連携が出来るほどに研鑽を積んでいないからね」

 

 ヒジリがラロウドを認識する。ラロウドから発される祈りは非常に小さいものであり、ヒジリがそれを捉えるのには少し時間がかかった。

 

『お前も、“最後の地”へ向かうのか?』

『そうだ。I……私は、二度目のアレカを止めなければならない』

『ならば、わたしはそれを止める』

 

 思念による会話だ。

 その止めるの中には、殺してでもという意味が入っていることを、ラロウドは正確に翻訳することができる。

 

『残念だ。君が人を殺すなら、I……私はそれを止めなければならない』

『同じ気持ちだ。友との再開が、こんな形であることをわたしは望んでいなかった』

 

 既に会話による解決が望める段階にはない。ヒジリは魔力を練り上げている。

 

 ラロウドはそれに対抗しなければならない。

 

 死したダイダンガの身体には、武器庫のように多数の武器が収められていた。

 今、それらは戦場へと散らされている。

 それらは全てが竜に馴染むようにカスタマイズされたオーダーメイド品であり、ミナギが拾ったそれを除けば、竜以外に振れるようなものでは無い。

 

「【ラロウドよりシナの星鋼へ。中空一点を軸とし、円運動を用いて旋回するように願う】」

 

 が、それは手で振るう場合の話である。

 声を届けるのは翻訳家であるラロウドの真骨頂と捉えてもいい。詞術とは、ラロウドと最も相性の良い技術だった。

 

 ダイダンガの武具が一斉に浮かび上がる。

 宙を旋回する剣の群れは、宙に浮かぶヒジリのみを捉える。

 

「“斥天”」

 

 が、意にも介さない。傍らに目に見えない力場を生成することで武具を吹き飛ばし、それらは逆にラロウドとミナギを責め立てることとなる。

 

「“冥光”」

 

 さらに、ダメ押しの一手。ヒジリより放たれた怪光線がミナギを襲う。

 

「【ミナギよりハティノの風へ。恩恵。一日。鎧袖。閃け】」

「【ラロウドよりメナイサの海へ。自らを圧縮することで衝撃を吸収し、剣を水中に留めるように願う】」

 

 魔術と詞術が交錯する。

 力場によって吹き飛ばされた剣はラロウドによってその全てを無力化する。しかして怪光線まで防ぐことは叶わない。

 圧倒的に勝ったのは魔術だ。だが、熱術を帯びた風によって狙いが逸れた為か、光線がミナギに当たることは無かった。逸れた先の地面に真円の穴が空く。

 

「“転界”」

 

 ふ、と。ヒジリの姿が消える。

 現れたのは、ラロウドの背後である。

 

 接近戦。不意を打ったそれに対応することは不可能だ。

 ヒジリは接近戦の心得もある。ラロウドの適応よりも速く、技を放つこともできる。

 縦の振り下ろしにしか見えぬ動きで横薙ぎを放つ、“クラミ”と呼ぶ技である。

 

「そもそもの話だ。オレにそんな“騙し”みたいな技術は通用しない」

 

 先の風の詞術によって己の体制を崩したミナギは、偶然にもラロウドとヒジリを遮る形でその間に滑り込むことが出来ていた。

 結果として、技の起こりを潰されたヒジリがクラミを行うことは出来なかった。

 が、それでもミナギは無防備だ。その襟首を掴めば、それだけで無力化することができるだろう。

 

 そこで伸ばした手首が寸断される。

 メナイサの海にて衝撃を吸収しきれなかった一本が、このタイミングでヒジリを襲ったのだ。

 ほど近いラロウドとミナギの間隙を縫う形だった。

 

「ああ、悪く思わないでくれ。オレはヒジリの動きをこれっぽっちも追えてない、だけど当たらない。これはそういうものなのさ」

 

 視線は合わない。ミナギにそれは見えない。

 しかして、星はそこに在り続ける。

 ヒジリは理解する。理解することができる。

 

「うんめいにあいされたもの、か」

 

 ミナギは旅を続けなければならない。そしてそのために、運を司る絶対の権能に保護されている。

 原初より始まった絶対の軛を解き放てる存在が、()()()()目の前に居た。

 

「ならば、そのくびきをはがそう」

 

 神籬のヒジリという。

 

 ◆

 

 秘術とは、秘された術とは、すなわち奇跡である。

 

 通常起こりえない事を引き起こす。

 法則や運命すらもねじ伏せる可能性の上書きこそが、ヒジリの扱う秘術だ。

 

 であるならば。

 運命を上回るのが奇跡であるのならば。

 星守りのミナギの絶対性を覆すことが出来る唯一こそ、神籬のヒジリであった。

 

 そして、それを理解しているのはヒジリだけでは無かった。

 

 この場の誰か。ミナギではない。ラロウドでもない。ならば。

 

「そうか、これが」

 

 ただ、触れるだけでよかった。

 ヒジリがミナギに──ではない。

 

「これが、かたちなすうんめいか」

 

 ()()ヒジリへと触れに来るだけで、全ては終わりを告げるのだった。

 

「祈りを」

 

 ミナギが死亡したというのに、星の軛は解かれなかった。ミナギは、死してなお運命に愛された存在だった。星は、ミナギを愛し続けなければならなかった。

 だからこそ、星はヒジリを待っていた。ヒジリが星に気づくのを待っていた。

 そして、それは今、成される。

 

 星は放たれた。そして、ミナギは旅する運命から放たれたのだ。

 

「……こりゃあ」

「これで、おまえがこのさきにむかううんめいはなくなった」

「ああ、なんだか、随分と見違えるようだよ」

 

 ずっと、星が傍らにいた。そんな感覚は無かったが、居なくなって初めてその違和に気づくことができる。

 全てが思い通りではないような、そんな感覚。

 ミナギは全能ではなくなった。死ぬ時は死ぬ、ただの一般人だ。

 ヒジリに言葉を届けようとして、はたと気づく。自身の身体に戻った、聴覚の無いヒジリと会話することは不可能だ。

 

「キミに言葉は聞こえないんだったな」

 

 しかして、ここには逸脱の翻訳家が存在する。それは偶然ではない。必然である。

 

「I……私が通訳する。私ならば、彼の言葉を理解できる」

「頼むよ」

 

 元より、ヒジリとて思念での会話であれば十全に行えるのだ。それを行わなかったのは、詞術を通さない日本語が誰にも通じないからだ。ラロウドになら通じる。あの夜のように。

 

「やぁ、ヒジリ。いきなり襲われて、オレぁ随分と驚いたんだぜ」

『「すまない。自分が狂っているという自覚はある。それでも、友を死地に送るくらいならば、私が手をかけることも厭わないと、今でもそう思う」』

 

 リアルタイムの同時通訳。寸分のラグなく行われるそれは、ラロウドが成せる最大だった。

 逸脱の翻訳家は、あるいは今この時の為に飛来したのかもしれない。

 

『「お前が旅を続けなければならないという理は無くなった。これで」』

「──だけど、それでもオレは旅を続ける」

『「なぜ」』

 

 旅する運命から解き放たれ、運命を保護する“星”に見放され、それでも、ミナギが旅を続ける理由。

 

「オレぁ旅人なんだ。旅人ってのは、物語を見届けて、語り継がなくちゃいけない」

 

 それは、運命づけられた理とは別の、ミナギの旅人としての矜持だった。

 

「まだ、アレカの物語を最後まで見届けてないんだ」

『「そうか」』

 

 その声色は、残念さを秘めたものだった。込められた感情すらも、ラロウドは正確に翻訳する。

 

『「嬉しかったんだ」』

 

 神を降ろしてしまったヒジリは、ずっと誰かの祈りに応えるだけの存在であった。

 欲深いもの、命を乞うもの、様々居た。だが、その先の“ヒジリ”を見てくれるものは居なかった。

 

『「この力を抜きにして、私と言葉を交わしてくれたのは、お前たちだけだった」』

 

 そんな彼と、祈りではなく、ただ言葉のみで交流を測ってくれたのは、ミナギとラロウドの二名のみだった。

 

『「お前たちは私を受け入れてくれると、そう信じていた」』

「そうかい、そりゃあ有難い話さね」

『「わがままを、言っていいか?」』

「言ってみるといい」

『「私を、殺してくれ」』

 

 友を見殺しには出来ない。ならばせめて、自分を、と。

 

「その願いは聞き届けられないね。生憎と、オレは願いを叶えられる存在ではない」

 

 肩を竦めて答えるミナギ。ヒジリの顔に、ふ、と笑みが零れた気がした。

 

「そうか──ありがとう」

 

 既に状況は決した。

 ヒジリは強靭な精神力にて狂った結末を断ち、自らの終わりを選んだのだ。

 だからこそ、これは、自殺志願者を止める戦いである。

 

「ヒジリ……【ラロウドよりヒジリの魔力へ。持ち主の意思に反してその活動を止め、魔術を発動させぬように願う】」

 

 ラロウドの詞術がもう一段、深奥に近づく。魔術を理解出来ていて、かつ詞術を行使できる存在はラロウドを除いて他に居ない。

 ヒジリの魔力が活動を停止する。そして、ラロウド自らの手によって、ヒジリを羽交い締めにする。

 

『死ぬな、ヒジリ』

 

 ラロウドに芽生えた自我が、大きく育とうとしている。

 

『I……私は君に、まだ何も返せていないんだ』

 

 ヒジリから多くを貰った。世界の知識、魔術の深奥、そして種族を定義する言葉。

 個にして群であったラロウドにとって、星獣(エイリアン)という名は、二つ目の名より、一つ目の名を貰うよりも嬉しかった。

 

「しなないでくれ、と、きみたちがねがった」

 

 ヒジリが口を開く。

 祈りは届いていた。

 だが。

 

「そのねがいは、ききとどけられない」

 

 何より強い願いを、ヒジリは拒否する。

 このままではいずれ、恐怖に潰されるだろう。今しか無かった。

 今なら、感謝のままに終われる。

 

「ありがとう、そして、さようならだ。また、せかいがおわったころにでも」

 

 星の旅人と、旅する星人へ。

 

「ほしのひかりがはてるまで、きみたちをわすれないさ」

 

 ヒジリの身体が消滅する。

 

 願望器が願いを断るのには、大きな代償を伴う。

 

 祈り。転じて。呪詛返し。

 

 第六幕。勝者、神籬のヒジリ。

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