ヒジリは消えた。
その事実だけが残る。
ミナギは服の砂埃を払い、そして固まったままのラロウドを見据える。
「アレカを、追うんだろう?」
「……ああ。世界に仇なす前に、あれを止めなければならない」
感傷に浸っている場合ではない。
思考を切り替えて、アレカへ。
ラロウドにもミナギにも、それが出来た。あるいは、それは悲しいことなのかもしれない。
「そこでなんだが、オレはまだ現状を完全には把握しきれていないんだ。なにせ、ついさっきまで死んでたんだからね」
「運がいい。丁度先程、瞬間的な伝達手段を学んだところだ」
ラロウドの体から赤い霧のようなものが発生する。それはフェロモンの一種だ。
丁度アレカがしたのと同じように、フェロモンを介した伝達手段によってミナギに圧縮した情報を注ぎ込む。
ラロウドは血鬼の伝達手段すらをも自らのものとしている。
「なるほど……これは、そうか。いや、面白いね」
「向かおう。『らるろろろろろ』」
ラロウドの遠吠え。
すると、戦闘の余波によって被害を出さないようにしていたのだろう、狼の群が森の影から足音を響かせてやってくる。
「残りの
洞窟ではまだ、村人達が意識を失っている。ラロウドが知識を授けた狼達ならば、きっと介抱してくれるだろう。
「乗ってくれ」
目指すのは、アリモ列村だ。
◆
二度目のアレカは、アリモへ続く道の最中にいた。
「メナイサは死んだ。そして恐らくヒジリも。残すはラロウドと、ミナギだ」
見てもいないのに、それぞれの結末を正確に言い当てる。
ラロウドに脚本を読まれた事は認識している。ならば、それを前提とした、新たな脚本を作るまでだ。
「いよいよ独りか。だが、まぁいいさ」
祈りの代償として協力者させたヒジリ、配下の従鬼、そして家族のメナイサ。全てを失い、盤面は窮地だ。
だが、アレカはずっと独りで戦っていた。今更誰が何人減ろうと変わりはしない。
その手に握られているのは、ラヂオ鉱石の内包された通信機だ。
「俺は俺にできることしかできない」
アレカは戦闘に関して非凡な才能を持っている訳ではない。むしろ、その逆であり、剣を振る才能も、熱術や力術を行使する才能もなかった。
「だが、俺は俺に出来ることだったら、何だってできるんだぜ」
彼は、登場人物である者達の事なら全てが手に取るように理解できる。そんな彼が最も長くキャスティングしている者、それはアレカ自身である。
メナイサが自らの海を育てたように、ダイダンガが自らの身体を鍛えたように、アレカはアレカ自身のことをこの世の誰よりも理解していた。
道中に撒いたラヂオ越しに、音声が伝わる。
「【アレカよりのラダムの骸へ! 咲き誇る捻れ花! 源への帰還! 五芒星! 起きろ!】」
才能の終点。アレカは、自身の才能全てを把握し、その全てを既に学び終えている。
アレカは、真理の蓋のクラフニルに師事した経験がある
従鬼の死体によって粗製された
「いよいよ魔王だなぁ。クラフニルが見たら……考えたくもねぇ」
悪用しないことを条件として、クラフニルは心術を伝授してくれた。
悪用するつもりなど、元よりなかったのだ。出来ることは全て出来るようになっておく。凡才のアレカには、それしか生き残る術はなかった。
「ったく、俺は勇者になりに来たってのに」
質のいい死体でもなければ、十分な時間も無かった。彼らにも易々と突破されてしまうだろう。だが、それでもいい。
とにかく、時間を稼がなければならない。
どうにかして、勝利の札を間に合わせなければならない。
◆
屍魔の群れだ。
その特徴から、それらがアレカの配下であった従鬼を素体としたものだということがわかる。
「アレカの兵か。隠し持っている札が多いな」
その実、アレカに出来ることは多い訳ではない。ただ、この夢幻劇の為に、全てを出し切っているだけだ。
「振り切るかい?」
「ダメだ。村に被害が向かう」
屍魔の進行方向はハティノ村落だ。無視すればそのまま村を襲うだろう。
さほど強そうにも見えない。ラロウドとミナギであれば対処は容易だ。
つまるところ、時間を稼ぎたいだけなのだろう。ならば、その目的を潰せばいい。
「I……私がやる。【ラロウドよりラダムの骸へ。その機能を停止され、朽ちた肉へと戻るように願う】」
それは、知らないはずの骸の名前を既に知っている。
ラロウドは、二言三言、言葉を交わしただけで対象の言語体系の全てを理解することができる。
それが可能であるという事は、一体どういうことなのか。逸脱の翻訳家が行っているのは、対象への適応である。
対象の名前だけが分からないなどという事象は、起こりえない。
ラロウドの詞術により、屍魔の群れは糸の切れた人形のように事切れる。
「キミのそれは……本当に詞術かい?」
「そうだ。君たちの定義するそれよりは少しだけ広義になるが」
末恐ろしい。
ミナギよりもよっぽど全能の魔才に近いのは、あるいはラロウドなのかもしれない。
◆
その後も幾度と足止めは行われた。屍魔を利用した生体罠、フェロモンの散布によるラロウドに向けたジャミングなどだ。
その全てが無為に終わった。ラロウドだけではダメだっただろう。しかし、この場にはミナギがいた。
運命による保護は無くなったが、それでも彼は逸脱の旅人だ。土地を起点とした詞術は、彼の最も得意とするものだった。
しかして、時間稼ぎというアレカの策は確かに成ったのだ。
アリモに続く森がある。その森の始まりに、アレカが立っている。
対する下手人は、飛来せしラロウド一匹のみだ。
道中、罠によって負傷した狼を置き、ラロウドが先を急いだからだ。直にミナギも追いつくだろう。
「追いついたぞ、二度目のアレカ」
「思った通り、早かったな。大人しくお縄に付けとか、そういうことを言いたいんだろう」
「そうだ。命までは取らない。この地平から人が減ることは望まない」
「優しいな。お前が善であることが、俺の悪を引き立たせるぜ」
小馬鹿にするように囃し立ててやる。
それにラロウドが苛立つことはない。
アレカはただ、
「俺が、このまま終わると、そう思っているか?」
「思っていない。君は何かを仕掛けようとしている。I……私は、それをまだ理解出来ていない」
「そうだ。そうだろうな。お前はそういう奴だ、
勝ち進むための選択肢を一つしか持たない者と、三桁以上の選択肢を準備して臨む者とがいる。
二度目のアレカは、その前者にあたる。
演劇に次善は無い。脚本は唯一つ。演じる役者に、代わりは居ない。他人の人生を劇とするアレカにとって、全ては一度きりでしかない。
「それは全て間違いだ。俺にはもう、為す術はないよ」
だが、それでも保険は存在する。それはアレカがモナドだった一度目で学んだこと。ブレた軸だ。
アレカがひとつ、詞術を唱えようとする。
「アレカよりラロウドへ──」
「I……私の名前はそれではない」
アレカに残された手段は心術のみであり、ラロウドにそれを行うことは不可能だ。そもそも、アレカにはメナイサの様に逸脱の保育術を用いた詞術行使もできない。それはなんの意味もない詠唱だった。
故に、ラロウドの選択は進軍だった。
だが、そんなことアレカにも分かっていた。
「そうだ。名前が分からなきゃ詞術の施しようがない。言わばそれは“理”だ」
森の影から、巨大な影が。
そして。
「ここには公理を否定する怪物がいる」
──ラロウドが、
クラフニルさんには何人か弟子が居るらしいので。