詩神がこの世界を作り出した時、天使もまた生まれたのだという。
ミナギは最初に世界を始めた人間のひとりだ。
世界の始まりから、ミナギはずっと旅を続けていた。その背後には、いつだって星が居た。星が、ミナギを守り続けていたのだ。
星はもういない。
アリモには、世界の法則を覆せる怪物がいる。
◆
「よぉ、待ってたぜ」
アリモへの道すがらには、ひとつの吊り橋がある。杭に巻かれた縄だけが、この橋を繋ぎ止めているように見えた。
その吊り橋を挟んだ向こう側に、アレカが立っている。
「やぁ、待たせてすまないね。何せ……あぁ、初めて死んでいたからさ」
なんでもない事のように、まるで逢い引きの待ち合わせかのように、二人は再会を果たす。
「ラロウドが来てないかと思ったんだが」
「ああ、あいつなら星に帰ったよ」
ラロウドは死んだ。公理を否定する怪物によって。
「そうかい。そりゃあ、残念でならないね。彼とは友達になれそうだったんだけど」
そして、その影響は未だにこの場に満ちている。アレカがそれを望んでいるからだ。
この場において、アレカがその未来演算や盤面構築の異能を操ることは出来ない。それはすなわち、逸脱であるからだ。
アレカにとって、それはなんの問題もない。それは、既に全てを仕掛け終わった後だからだ。
「“星”は消えただろ。お前を守る星は、もう何処にも居ないんだ。ここから先は、お前の都合通りに事が運ぶなんて思わないことだな」
「そっか、そうだよなぁ」
勝ち誇ったようにそう言うのに、ミナギは笑顔で応える。
それは、心の底から出た言葉だった。
「ありがとう」
「あぁ?」
素っ頓狂な声が漏れる。
それを見たミナギはおかしくなり、くつくつと笑った。
「ずっとさ、マジになれなかったんだ」
ミナギの生は、“星”と共にあった。
どんな時だって、ミナギの不利益になることは起こらず、自身の都合のいいことだけが起こった。
どんなに波乱万丈な旅路だったとしても、ミナギにとっては刺激の無い日常に他ならなかった。
「そんな人生、辟易すると思わないかい?」
ミナギは世界の始まりからずっと、運命に呪われていた。
ヒジリのおかげで、やっとその呪いから解き放たれた。それなのに。
都合の悪いことに、思い通りに行かない相手が、一番欲しくなかったタイミングで。
「初めてだ。キミがオレに、初めて困難を授けてくれた。だから、ありがとう」
「あぁそうかい。雲上人は、皮肉も上からだな」
うんざりするようにため息を零すアレカと裏腹に、ミナギはワクワクしていた。これから何が起こるのか、どんな面白いことを見せてくれるのか。
もう、何もわからないのだ。それが、ミナギにはどうにも心地いい。
「お望み通り、お前の度肝を抜いてやる。俺は勇者になるんだ。俺の舞台がようやく幕を開ける」
アレカから目が離せない。
彼の舞台を、間近で見ていたい。
それを語り継ぐことこそが、旅人の役目だから。
「長かったよ。
聳え立つソライソ、湧き出るメナイサ。彼らは既に舞台から降りた。
ならばもう繕う必要は無いと、アレカは自身の役を一つ脱ぎ捨てる。
「仲間じゃなかったのかい?」
「お前は分かってるだろ。上位者は独りなんだよ。だから、俺は仲間と繋がる自分を演じていた」
脱ぎ捨てた物の重さを、アレカだけが知っている。
雲に手を掛ける。雲上人に、手が届く。
「お前を殺して、俺が勇者だ」
「最高じゃないか。是非ともオレを、魔王にしてくれ」
第七幕。星守りのミナギ、対、二度目のアレカ。
◆
両者が拳を交えることは無い。
旅人と脚本家の戦いは、もっと劇的であるべきだからだ。
「事のあらましを教えてやろう。全貌を知ってるのは、もう俺しか居ないからな」
「そう、それだ。ラロウドからある程度は聞いたが、オレはそもそも何故
旅人は街を超え、国を超え、語り継ぐ者だ。その全貌が分かっていなければ、文字通り話にならない。
「全ての初めの話からだ。お前が星守りであるように、竜が巨星であったように、全ては星から始まったんだ」
◇
指で輪を作った
「ふわぁ。モナド、ほんとにあるの?」
海が震える。
モナドの見る先に視線を向けても、何も分からない。メナイサはただ、星が綺麗だなと思うだけだった。
「あるかないかじゃない。無いなら、そこで終わりだ。今、世界は俺を見ている。俺にスポットが当たっている。なら、あるのが自然なんだ」
「あるのが、しぜん」
「そう、要は過去編だ。回収すべき大物が、このタイミングで見つかる。見つからなきゃおかしい」
世界の上位からの視線を感じる。モナドにはそれが見える。
それを感じている瞬間、モナドは主人公だから。
輪っかの中、視界の先が小さく灯る。
「──見つけた」
果たして、それはあった。
怪しく、赤く光る星。
唐突に、たった今出現したかのように光り輝いた星。
否。言葉を濁さずに言おう。
凶星は、今このタイミングで、“彼方”より流れてきたのだ。あの、飛来せしラロウドと共に。
「まだ、脚光は俺に向いている。なら、ここしか無いな」
舞台の始まりはここでは無い。だが、いずれ挟まる回想の為に、モナドはひとつ役を纏う。
「メナイサ。今日から俺を、アレカと呼べ」
「えぇ……むつかしい、かも」
これから幾度と呼び違えることはあるだろう。だが、そんな描写は必要ない。だからこそ、ここからしばらくモナド──アレカへの視線は無かった。
次に
◆
「聳え立つソライソ、湧き出るメナイサに、巨星、ダイダンガ。どうやら、オレの知らなかった
「そして、ハティノ村落に呼び寄せたダイダンガ。単身での
「しかし、それは失敗に終わったというわけか」
「そうだ。星馳せが、俺の夢を奪い去って行ったんだ」
最悪の
「で、今度はオレを殺そうとしている。見たところ、オレは竜ではないように思うがね」
「簡単な話だ。お前には、全ての罪を背負った魔王自称者となってもらう」
すでに星守りのミナギという存在についての情報は流している。天候を操り、徒党を組んだ野党をひとりであしらった森人。それを見ていたのは、アレカ扮するリオーラだけでは無い。
「お前なら、村を水没させる程の詞術を行使することが、可能だ」
「まさか、オレにそんな実力はないさ」
「
それは知悉した者の未来を、思い通りの筋書きに起こすことが出来る。
「お前は、この世界の主人公だ」
アレカにしか見えない視線は、アレカの前では常にミナギの方を向いていた。
「だからこそ、お前を殺せば、俺が主人公だ」
ダイダンガとアルスに。既に二度、脚本を壊されているというのに、それでもアレカが止まることは無かった。
「……時に、君はこんな言葉を知っているかい?」
ミナギには、その情熱が羨ましかった。
「“不撓のオスローは、不屈でもある”。今の君にぴったりな言葉だと思わないか?」
「思わない。俺はアレカ。二度目のアレカだ」
アレカには、ラロウドを消した何かがある。それはなんなのか。
詞術は使えるだろうか。それとも、使おうとした途端に、ラロウドのように消えてしまうのだろうか。
博打だ。星無き今のミナギには、その博打に打ち勝つ自信がなかった。
「さて、死ぬ準備はできたか?」
躊躇なく、吊り橋に足をかける。
ギシギシと頼りない足場が、風に吹かれて大きく揺れた。
ミナギもまた反対側からおぼつかない足取りで吊り橋に足をかける。物語として、旅人として、そうしないといけないような気がした。
「まさか。オレはいつだって生にしがみついてたいね」
「幾年と生きた
「耳が痛いね。だが、逆に問うが、キミは死を恐れないのかい?」
運命に愛され、長き時を生きるミナギにとっても、死は恐ろしいものだった。
だが、アレカは。
「愚問だ」
アレカは──役者は死を恐れない。
「紫極の刃のジグラディルの役を担う者はその死を恐れるか?」
偉力のアルトイが屠ったとされる邪龍、紫極の刃のジグラディル。それは死など意に介することなく、アルトイ役の者から向けられた矢に傲慢に立ち向かう必要がある。
そこに怯えはない。
「悲劇の主人公、回り火のマイナ役の女はその死を恐れるか?」
炎に愛され、守ろうとした村ごと自らの炎で焼き尽くした女、回り火のマイナ。それは死の最中にも泣き笑い、業火の海の中で舞い続ける必要がある。
最後まで確かな意志を持って。
役者は死を恐れない。
いつだって、最後まで演じ切ることだけを目的に、舞台に立ち続けている。
「例外はない。俺もそうだ」
「狂ってるね」
「はっ、褒め言葉だ」
それは、死を恐れぬ狂気を
“二度目のアレカ”は死を恐れない。
アレカが橋を強く踏みしめる。
吊り橋を止める縄が、次々に裂けていく。
「さぁ、運試しといこうぜ」
崩落。
◇
それは、アレカ──否、モナドの初めの話だ。
旅劇団があった。口減らしの為に家を追い出され、着の身着のままに転がり込んだモナドは、演技の才覚を発揮し、瞬く間に劇団の
「新入りのお前に抜かされたってんじゃ、立つ瀬がねぇよなぁ」
「はは、先輩も様になってますよ、舞台掃除」
「コイツ……」
二十をやや超えた年頃の、背の高い男だ。
服膺のナルタという。
「冗談ですよ。先輩、今度の舞台で貰えたんでしょ」
「まぁね。といっても端役も端役。お前には遠く及ばないよ」
舞台は綺麗に整っていて、それだけで彼の几帳面さが伝わってくるようだった。そんな彼だったからこそ、モナドが初めて心を開いたのはナルタだった。
「俺が言うのもなんですが、舞台に置いて、端役なんてものは無いんですよ」
主役とは要するに、その物語の主観が誰かというだけの話だ。主役だろうと、脇役だろうと、その舞台という世界に生きている以上、平等な存在に他ならない。
「主役を飲み込む脇役の演じ方、教えてあげましょう。綺麗に掃除してくれたお礼にね」
モナドもまた、初めは脇役からだった。そこで客を釘付けにしたからこそ、今の座がある。ナルタをそうすることも、自分にはできるという確信があった。
「ったく、お前のその顔を見てると思い出すよ」
「誰です? 故郷に残した許嫁とか?」
「違ぇよ……俺の知り合いに、同じように生意気な顔をしてる奴がいた。ロスクレイっていうんだ」
「へぇ、女性にしては男らしい名前ですね。やっぱ大役者になったら結婚する感じで?」
「だから違ぇって! 男! 顔はいいけど!」
なんでもない一日だ。
全てが終わりを告げたのは、そんななんでもない日の夜だった。
魔王軍は、いつだって日常を破壊するためにやってくる。
「ごめん、なさい……ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
「た、助けて! 痛いよ!! 怖い!!」
魔王軍は、砂地からやって来た
互いに傷つけ合い、許しを乞う。例え地獄があるのだとしても、こうはならないだろう。
狂気はすでに街中に蔓延しており、濃密な死の気配が漂っていた。
「はは、ははは……」
死すら恐れず、ただ恐怖のままに狂う集団。
それ眺め続けるモナドは、ただ、
「あぁ……いいな」
あれを演じられたら、どれだけいいか。
視線を感じる。
辺りを見回す。
何も無い。だが、確かに見られている感覚がある。
誰かに。
モナドと
誰か──否、
「見られてる……? 俺は、おかしくなったのか……?」
あなたがモナドを見ているのは、ここからモナドの物語が始まったからだ。
結論として、モナドはこの街で唯一の生存者となる。なんのことは無い、みんな殺し合いによって死んでしまい、モナドだけがそれに参加することが無かった。
モナドが生き残ったのは、主人公だったからなのだろうか。
◆
「さぁ、運試しといこうぜ」
吊り橋が落ちる。
タイミングは完璧だ。
橋を止める縄に傷が入っていたことを、ミナギが気づくことは無かった。
当然だ。ミナギは生まれてこの方、“警戒”という行為をしたことが無かったのだから。
星によってもたらされた運の加護は、もはやミナギには存在しない。ミナギも、アレカも、もはや主人公ではないのだ。
であるならば、この結末はどうなるのか。
両者が死ぬのか。違う。
それは、
であるならば。
「俺が死ぬかお前が死ぬか、これはそういう話だ」
単純な、運で。それが理想だ。
そうなるように、巡らせた伏線だった。
アレカは脚本を書ききった。
あとは、結末を星に委ねるだけだ。
◆
世界を最初に始めた数人から、何故“星”はミナギを選んだのか。
アレカはたったひとつだけ、読み違いをしていた。
ミナギの運の良さに、理由なんてなかった。
星がミナギを選んだのは、ただの偶然だ。
それはその旅路を邪魔する事柄の一切を封ずる、理外の豪運を持つ。
物語的な面白さなど何も関係ない。
ミナギは“星”に守られるその前から、ただひたすらに運が良かった。
「……どうやら、酷く当たり所が良かったらしい。オレってやつは、どうもこういうところがある」
むくり、と。なんの外傷もなく、ミナギが起き上がる。服は少し破けたし、強く打った頭は痛いが、それだけだ。持ち前の運の良さに感謝することも、もはや無くなって久しい。
対するアレカは、と目を向けてみる。
案の定、そこには血溜まりに喘ぐアレカの姿があった。
「そう、かよ」
頭を強く打った。
視界が赤く染まる。
もう助からないことは、明確にわかっている。
そんなこと、
「俺は、敗者だ。それは、この戦いが始まる前から、決めていた」
だからこそ、決めていたセリフを吐くことだってできる。ふらふらと立ち上がり、ミナギの方を向く。
「だから、俺は負け方だって選べる」
目はもはや見えやしないが、どこにいるかなんて、分かりきっていた。それは、台本通りだからだ。
「俺の死因は、転落死。悪役に相応しい、無様な、結末だ」
二度目のアレカは、目的を達するために何もかもを利用してきた。
自分自身の死すらも利用出来るはずだ。
「そして、俺の物語はお前が語り継ぐんだ」
ミナギを指さす。
ミナギには勝てないと、分かっていたからこそ、その後どうするかもまた、脚本に刻み込まれていた。従鬼による逸脱の脚本ではない。アレカが考えた、アレカの為の
ミナギは、目を細めてこちらを見ている。とても、楽しそうに。
「そうかい。それは……愉快だ」
血の混じった咳。
もう長くは無い。
最期の言葉を、吐かなくては。
「時にお前は、こんな言葉を知ってるか?」
ミナギの口癖を真似して嘯く。
物語の締めは、その劇における評価の全てを決定づける。
ミナギに捧ぐそれは、強烈なユーモアでなくてはならない。
でなければ、旅人のミナギが語り継ぐに相応しくないから。
「──」
「は、は。覚えておこう。キミの頼みだ」
その言葉を最期に、アレカはまた、血溜まりに倒れ伏す。
そしてミナギもまた、ゆっくりと腰を下ろす。
「あぁ……面白かった」
噛み締めるように。この感想をアレカに伝える事が出来なかったことが口惜しい。
「こんな痛みも、久しぶりだな」
頭を抑える。
幾ら打ちどころが良くても、限界はある。
痛いものは痛いからだ。
超常とは違う。
血溜まりの中にあって、か細く息を続ける二度目のアレカの──否、すでに役を終えた、モナドの言葉を、ミナギが耳に入れることは無かった。
「ぐぅ、っ」
開闢のモナドは逸脱の脚本家であると同時に、優秀な役者でもある。
恐怖を噛み殺し、狂気を身に纏い、あたかも狂った黒幕を、“二度目のアレカ”を演じることさえもできる。
開闢のモナドは逸脱の脚本家であると同時に、
モナドは、
自分自身すら欺ききるその強烈な演技力は、死の間際に一瞬だけ、綻びを見せる。
「ごめんな、メナイサ、ソライソ」
それは、“二度目のアレカ”が発してはいけない言葉だった。
「もっと、お前らと
その呟きがミナギの耳に届かなかったのは、単なる
第七幕。勝者、星守りのミナギ。
『旅を続ける男』
あと服膺のナルタさんに来てもらってます。
そして次回、エピローグ。