いち早く、凶星の知らせに気づいた者がいた。
「今日は嫌に、星が綺麗だな」
星守りのミナギには空を見上げる癖があった。なんということはなく、考え込むとき、一息付いたとき、ぼーっとしているとき、ふとした拍子に数秒程空を見上げる。
旅人であるミナギにとって、場所によって全く違う景色を見せてくれる空の顔は、いつ何時でも行うことの出来る最高の退屈しのぎだった。
イターキの曇天を抜けてきたからだろうか。まだ日も落ちかけだというのに、星は煌めき……いっそ妖しい程に光っていた。
ざわめく胸を押さえ、ひとつ、深呼吸をする。たったそれだけの事だと言うのに、外を知らない村娘などが見ればその美貌に熱っぽいため息でも吐きそうな程に、一つ一つの所作が様になっていた。
彼は長命と美しきを世界に約束された森の種族、
「こりゃあ、何か来そうだ」
「何かっつったら、なんだ?」
隣の男……二つ目の名を重ね葉のリオーラと言った。長く伸ばした顎髭を器用に編み込んだ中年の商人だった。少しの対価と引き換えにミナギを馬車に乗せてくれたその人である。
「そうさね……例えば、あの一層大きい星が落ちてくる、とか」
「はっ、そりゃ傑作だ。是非ともその光景を拝みたいもんだね」
軽口で返したリオーラだったが、ミナギは軽口を叩いたつもりは無かったようだ。星空の一点から目をそらすこと無く、言葉を続ける。
「進路を変更するってのは可能かい?」
「……無理ではないが、不可能だな」
「というと?」
リオーラが左に伸びる道を指さす。
「その道を北に行けばアリモ列村だが、あっちはダメだ。雪解けで川が氾濫してる。話に拠れば、道中にでけぇ湖が出来てるって話だぜ」
「湖? そうか、留意しておこう」
至極当然のようにミナギが答える。リオーラはミナギの事をいけ好かない天然男だと思い始めていた。
「いやいや、いまのは「んなわけねぇだろ」って笑うとこだろ」
「いやぁどうだろうな。時に、君はこんな言葉を知っているかな」
ミナギが自身の人差し指をピッと空に伸ばす。
「“おぞましきトロアにも食えないものはある”」
講釈を垂れるように人差し指を左右に揺らす。
「つまるところ、絶対なんて無いのさ。あの絶対なるロスクレイを除いてね」
ミナギには時折こうして格言めいた言葉を他者にさずけることがあった。なんのことは無い、彼は教えたがりなのだ。
「で、先の発言は冗談なのかい?」
「いや、荒唐無稽だが本当だ。本当に道のど真ん中に湖が出来ている。あれを渡りたいってんなら船を持ってくるんだな。もっとも、持ってきたとしても俺が渡るのは御免だがね」
この世界に海を渡れる……渡ろうとするものは少ない。深獣やその他奇々怪々な生物が犇く海に近づくものはそう居ない。実際に件の湖にそんな生物がいるはずも無いが、底知れぬ深さの水嵩に恐れを抱くものは多い。
少なくとも、ミナギにそれが出来そうだとは、リオーラには思えなかった。
「
旅人が豪語する。
リオーラは冗談だろう、と考えた。
故に、その答えは聞かなかったことにした。
「ああ……それでも行きたいってんならあの雪山を超えるしかないが……備えがないだろう」
「違いない。オレぁ着の身着のままが性分でね。不要な荷は持たないようにしてるのさ」
確かに、イターキでリオーラに声をかけて来た時にも、ミナギは旅装束と少しの食料を持つのみで、着替えやテントすらも持っていない様であった。
「当然俺は雪備えも持ってるが……流石に渡せねぇな」
「分かってるさ」
翻って、ミナギが別方向を指さす。
「ではこっちは?」
「分かってて聞いてんだろ。そっちの方角は本物の魔王の根城だったとこだ。村なんかねぇよ」
この辺りは本物の魔王の影響が色濃く残る土地だ。特に、魔王最後の地と呼ばれるクタの地に近づく者は……滅多に居ない。
「結局真っ直ぐ進むしかないってわけか」
「引き返すってんじゃなきゃな。ま、星が落ちてきたら俺を恨んでくれていいぜ」
「心に留めておくさ」
そうして馬車を走らせるミナギ一行だったが、 不意に行者が馬を止めた。
何事かと幌を捲り、外を確認すれば、そこには立ちはだかる影が居た。
「……野盗か。ツキがねぇ」
「いや、そうでも無いさ。オレは今雪山を超えるための装備を欲していた。そして、野山を駆け回る彼らは、それを持っているだろう」
落ち着き払った様子で、ひ、ふ、み、と野盗の数を数えるミナギ。
そのあまりにも余裕そうなミナギに、リオーラが怪訝そうに顔を向ける。
「……あんた、強いのかい?」
「まさか。見ての通り、しがない旅人さ」
ミナギが、羽織っていた外套を脱ぎ、馬車内の隅へと放る。
「だが、負けない」
ゆったりと馬車を降りるミナギを、リオーラは呆然と見つめていた。
――――――――――――――――――――――――――――
「やぁ、今日は星が綺麗だね」
「荷と馬を置いて去れ。さもなくば命の保証は無い」
にべもなく答える野盗に、ミナギが肩を竦める。
「つれないなぁ」
「従う意は無しとみなす。かかれ」
敵は4人。近接戦を得手とするようで、4人それぞれが丈の短い武器を構えていた。
リーダーと思わしき男の声に合わせ、一斉に踏み込む。
だが、ミナギの方が早い。
「【ミナギよりハティノの野原へ。巻葉。転生。発露。結べ】」
掛け出そうとした野盗はその瞬間につまづき、すっ転ぶ。その際に手放してしまった武器は、偶然にも地面の石にぶつかり、遠くへと弾き出された。4人全員のものが、だ。
いっそ喜劇とも言える光景だったが、野盗は至って真剣だ。揃ってミナギを睨みつける。
「厄介な詞術だ」
「はは。少し草に丸まってくれってお願いしただけさ。君たちが転んだのは偶然だね」
「ちっ、偶然で片付くかよ」
「いやぁ、偶然というのは、時にはバカにできないもんだぜ。例えばそうさね……」
問答のうちにも、野盗達は直ぐに起き上がり、体制を立て直す。だが、ミナギは既に次の一手を構築していた。
「こんなふうに。【ミナギよりイターキの曇天へ。鳴子。空想。落涙。注げ】」
背後、上空。雲が追いすがる。
空から降り注ぐは、雪が固まり、氷の槍となって形を成したもの。無造作に出された槍は4本。特に指示した訳でもないのに、ちょうど4本である。
その4本が、それぞれ示し合わせたかのように野盗4人の元へと落ちてくる。
意表を付かれた野盗ではあったが、雲が動き、氷の槍が作られ、降ってくるまでには数秒程の時間があった。避けることは容易い。
「天候操作か……」
「いやぁ、そんな大それたものじゃない。オレぁただ、そこの雲を持ってきて、雪が降るようお願いしただけさ」
ミナギの言葉を聞き流し、危なげなく最小限の動きで氷の槍を避けた4人であったが、それが良くなかった。
「なっ!?」
「おっと、【ミナギよりイターキの雪へ。塵。凪。檻。叫べ】」
地面に落ちる丁度その瞬間に詞術が解け、槍が雪へと戻る。そして大きく飛沫を上げながら地面に落ちたかと思えば、ミナギの工術により再度凍りつき、野盗4人の下半身を氷によって捕らえてしまった。
「いやぁ、嫌にタイミングが良かった。偶然、偶然。偶然ってのは怖いねぇ」
得意そうに笑い、野盗に背を向け馬車の方へ手を振るミナギ。見逃す訳にもいかない大きな隙だ。
野盗が、懐に仕込んでいたナイフを投げる。まだ何も切りつけてないというのに赤い雫が滴る、奇妙なナイフだった。
「ミナギ! 後ろだ!」
「まぁ、心配しなさんな」
突如突風が吹き、ナイフが逸れる。
軌道が逸れたナイフは偶然にもミナギの横をすり抜ける。結局、ナイフはミナギにも誰にも刺さることは無く、からんと音を立てて地面へ落ちた。
「ほら、当たらない」
「どうなってやがるんだ……ちくしょう。まるで神の加護でも受けてるような……むぐ」
「ははは、分かるかい? オレという存在は、お星様に守られてるのさ」
ミナギが慣れた手つきで口に布を巻いていく。熱術が使えれば氷を溶かすのは用意だろう。それを封じるためだ。
「ま、朝には溶けるだろう。ちいとばかし雪備えは貰っていくが、生命までは取らないさ。もっとも、この寒空で夜中、氷に包まれたままで生きてられるかは知らないがね」
この辺りは狼の出現情報も多くある。このままの状態で彼らが生き残ることは無いだろう。
野盗が落とした武器や、奇妙なナイフを拾いあげ、軽い足取りでミナギが馬車へと戻ってくる。
「やぁ、待たせたね。もう馬車を走らせて問題ない」
「いや、いやいや、ちょっと待てよ。お前さん、強くないって言ってなかったか?」
一連の信じられないような光景を、口をぽかんと開けながら見ていたリオーラが正気に戻り、ミナギへと詰め寄る。
それを、ミナギは飄々と受け流す。
「ああ。実際オレが勝てたのなんて、偶然が味方したからに過ぎないだろう?」
「そりゃあ、そうだが……」
言葉につまるリオーラ。確かに詞術こそ達者ではあったものの、ミナギが勝ちを得られた要因としては、偶然によるものが大きい。
あの時、偶然あの瞬間に詞術が解けなければ。偶然あの瞬間に突風が吹かなければ。敗北していたのはミナギの方だったであろう。
「いや待て、そもそも、そもそもだ。イターキに滞在したのは3日かそこらって話だろ……どうやってそれほどの詞術を」
「はは、なんのことは無い。10年前か100年前だったか……ともあれ、オレはこの土地に来たことがあるのさ」
「そんな前のこと……」
確かに森人は長命だ。目の前のミナギが自身より歳上であることは、リオーラとて何となく察してはいた。
だが、故郷な訳でも無く、昔立ち寄ったに過ぎない土地において、慣れ親しんだ土地のように詞術を介することが果たして可能なのだろうか。
──ミナギには、それが可能である。
「あんた、“世界詞”なのか?」
存在するかどうかも定かではない、おぞましきトロアとはまた別の噂だけの存在。
天候を操り、地形をねじ曲げる、全能の魔才。
もしかしたら、彼こそが──
「まさか。オレぁそんな荒唐無稽な存在じゃないさ。ただ、慣れ親しんだ土地が人より多くて、考える時間もまた多かった。言ってしまえば、年の功ってやつかな」
「……そうか」
「そうさ。あまり気にしなさんな。オレぁ人より運が良いだけの、ただの旅人さ」
納得した訳じゃない。が、ミナギに話すつもりが無い以上、リオーラにそれを聞き出すことは出来ないし、やるつもりも無い。
必要以上の詮索はしない。それがリオーラの商人としての処世術だった。
「んじゃま、ここらでお別れってわけだな。あんたら雪山を登るんだろう?」
「いや、
「いや、ない。むしろ歓迎だ」
野盗を軽く蹴散らせる護衛がいるのは心強い。ミナギが強くないのはそうだろうが、結果的にミナギのおかげでリオーラは難を逃れている。
護衛を付けてなかったのは失態だったが、仕方の無い事だろう。何せ、この辺りに野盗が来ることなど、無かったのだから。
「時に、君はこんな言葉を知っているかな」
ミナギが自身の人差し指をピッと空に伸ばす。
「“旅する森人、星守りのミナギを馬車に乗せろ。さすれば、その旅路は幸運なものとなるだろう”」
「それ、あんたを乗せる時にも言ってただろ。まさか本当だとは思ってなかったがな……」
「ま、オレが作って広めてる言葉なわけだけどね。どんな馬車でも顔パスで乗れるようになるのが、オレの夢なのさ」
「こいつ」
辺りはすっかり暗くなっており、空を見上げれば、よりくっきりと星空が見えるようになっていた。
一層大きいあの星は、先程よりも怪しく、怪しく光っていた。
馬車が向かう先は、凶星の落つる村、ハティノ。
それは長い年月を掛けて、俗世の大半を旅し終えている。
それは旅した場所全てに、慣れ親しんだ土地の如く声を届けることが出来る。
それはその旅路を邪魔する事柄の一切を封ずる、理外の豪運を持つ。
世界の全てを自身の庭とする、星に祝福された旅人である。
星守りのミナギ。
幸運系の最上はもちもちのアヤキですけども。