鉄を打つ音だけが響く。
鍛治場に似つかわしくない静寂だ。
この場には、燃え盛る炎が無い。
なぜならば、それは必要がないからである。
「【ヤマガの風へ。名も無き星屑を熾せ──】」
一陣の風。
金属が内側から熱され、表面が僅かに溶ける。繊細な調整を行うための火入れ。
それは、頂点にのみ扱える詞術。
すなわち、
その竜は、槌を振り下ろす。
寸分違わず同じ場所に。
鍛治とは、人が上位者に対抗するために編み出した、武具を作るための術である。
それを行使する竜が、ヤマガにはいる。
ふと、鼻が違和を唱えた。
「……潮風」
その竜は潮を嫌う。潮は錆をもたらすからだ。
微細な香りを嗅ぎ分ける優秀なセンサーである竜の鼻は、ヤマガの大漠に海を察知した。
「挑発のつもりか、
槌を振る手を止めることなく、背に向けて声を放つ。
背後には誰もいない。そのはずだ。
だが、竜の呼びかけに応じるように、地面から水が染み出し、やがて水溜まりが現れた。
「ふわぁ。そう。やっと、やっとあなたをころせる」
湧き出るメナイサ。海魔と言う種族になることを役付けられた、1匹の
「でも、あなたをころすのは、わたしじゃない。モナドだから」
その言葉に、竜が片目を微かに歪める。
「ただの
「そう。モナドがひとりでやる」
竜は最強の詞術生物だ。人間による単独の竜討伐など、かの絶対なるロスクレイにしか成し遂げられていない偉業だった。
それを、やる、と。
「くは。悪くない戯言だ」
竜が槌を置く。
「【ダイダンガよりメルカの鋼へ。冷めぬ慟哭。削れぬ意思。炉に焼べる。発せよ】」
それは、本来必要であるはずの焼入れ、焼戻しなどの工程を全て飛ばし、鋼の塊を作品へと導くための工術。それだけで鍛造された鉄は剣のそれへと変貌を遂げる。その様は、いっそ魔的であるとも言えた。
完成した剣をコツコツと叩き、出来栄えを確認した後、工房に飾る。
そして。
工房の外。
竜が翼を広げる。
硬質の翼。通常の竜とは違う、金属の皮膜でできたそれは、おおよそ飛行に適しているとは言えない。
だが、超常の詞術生物である竜に、あらゆる理屈は通用しない。
「いいだろう、その挑発に乗ってやる。ソライソとの約束もある」
竜が飛びたつ。
その一部始終を、メナイサはじっと見つめていた。
竜の名はダイダンガ。
二つ目の名は巨星。
巨星、ダイダンガだ。
目指すのは、凶星の落つる地。ハティノ。
◆
かつて、開闢のモナドという魔王自称者がいた。山脈を動かし、海を割ったとされる強力な詞術士だ。
三年程前に
しかして、その情報は誤りである。
開闢のモナドは今、
竜の、ダイダンガの縄張りに足を踏み入れたモナドは、いかにしてその魔の手から逃げおおせることが出来たのか。
これより開演するのは、夢幻劇の過去編にあたる物語である。
◇
開闢のモナドには、詞術の才能がほとんどない。
使えるのはわずかばかりの工術のみであり、熱術も、生術も、力術も扱うことが出来ない。
偶然拾った2体の獣を
だが、他の木っ端詐欺師とは違い、モナドには演技の才能があった。
自分自身を偽り、大衆を騙し、世論を操作し、最終的には魔王自称者にまで上り詰めた。
山脈を動かし、海を割ったのも、全ては山魔と海魔によって齎された事象であったが、それを全て自分の手柄にすることなど、モナドにとっては容易い事だった。
「勇者になるぞ」
本物の魔王が死んだ。
その報せが耳に届いたモナドの第一声だった。
「ゆうしゃ?」
「そうだ。つまり、本物の魔王を討伐した勇者、それに俺がなる。魔王を討伐した、では無く魔王が死んだ、という報せの時点で討伐者は見つかっていないことになる。なら、大国が勇者を探すはずだ。それに名乗りを上げる」
荒唐無稽で、推論の域を出ないその結論を、モナドは確定であるかのように断定する。
山中。湖と同化した海魔、湧き出るメナイサは、限りなく水に近い自分自身からこぽこぽと泡を吐き出しながら、モナドの言葉に相槌を打つ。
「魔王が死んだことで、次に標的となるのは魔王自称者だ。俺が狙われれば、こちらから対抗できる武力は無い。先手を打つ必要がある」
「ふわぁ、そっか。じゃあ、がんばらないとだね」
断定した推論を元に無理やりな話を展開するモナドに対して、否定的な者はこの場には存在しない。
それは、モナドの言うことなら絶対に大丈夫だと、信頼しきっているからだ。
「モナド、僕達は、何を、すれば、いいのか、な」
地面が僅かに揺れる。地盤が緩んでいるのか。否、それは今しがたの声の主がもたらしたものである。
モナドの従えし山魔、
モナドはソライソの身体、すなわち地面を二回タップする。それは、止まれの合図だった。
「まずは、単独での竜の討伐。絶対なるロスクレイに並ぶ」
巨星、ダイダンガ。それがその竜の名だ。
純粋な熱を付与する熱術の
曰く、武具を鍛える竜である。
ヤマガ大漠での一件により、その身体は物理的な防御の手段において最も硬いとされている。
モナドは、その竜に目をつけた。
単独での竜殺しを達成し、“絶対”に並ぶ。それこそが、モナドの実現しなければならない課題である。
ダイダンガを殺す。そのためには、情報を集める必要がある。
だからこそ、この敗北は必然だった。
◇
「くそっ……想定の5倍は鼻が効きやがる……情報の修正を……いや、違う。このままじゃまずい。考えろ、打開策を」
ダイダンガの留守を狙う形で縄張りの調査を行う手筈だったモナド、メナイサ、ソライソだったが、その調査は失敗に終わった。
ダイダンガがモナドの存在に気づいたからだ。山であるソライソや湖であるメナイサはともかく、モナドは人間である。ダイダンガの鼻が効くことは分かっていたモナドは十重二十重と対策をしていたが、それでもまだ相手の方が上手だった。これは、モナドの失態だ。
ダイダンガが気づいたことに早くに気づいたモナドは、生き残る術をはじき出すために頭を回す。
「手札が少なすぎる……」
竜に演技が通用するだろうか。
演技とは、観たいと思わせて初めて意味が出てくる。
モナドに、竜を射止める台詞を、それも即興で吐けるだろうか。
不可能だ。モナドはここで死ぬ。
「僕が、残る」
それは、最初から勘定に入れていなかった。
誰か一人でも欠けたら、意味が無いからだ。
だけど、だからこそ、ソライソはモナドよりも早く、答えにたどり着いた。
「ソライソ……」
「誰かが、足止め、しないと、全滅、しちゃうよ、ね」
合理性を突き詰めるなら、それは一つの正解だ。
流体のメナイサはモナドを包んで滑るように移動することが可能で、逃走に向いている。
ソライソが残り、メナイサが逃がす。
合理的であり、それをしなければ、全滅は免れない。
でも、それでも、割り切れない。
「僕、ね。モナドが、勇者になるとこ、見たいなぁ」
割り切れないモナドの感情を、ソライソが砕く。
「だから、ね。僕を、置いていって」
ソライソが震えているのがわかる。怖くて、今にも逃げ出したくて。モナドには、全て分かっている。
だけど、それ以上に、ソライソはモナドに感謝していて、モナドを死なせたくない。
決断を迫られる。
時間は待ってくれない。
最速で最適解を。
答えは出ている。すなわちソライソを。
ソライソを──
「……ソライソ」
「ねぇ、モナド。僕、勝てるかなぁ」
分かってる事でも口に出して、世界に言葉を残すことに意味があるから。モナドがいつも言っていたから。物語として見たときに、面白くなるようにしないといけないって。
「……負ける。ソライソじゃ、勝てない」
モナドは、ソライソなんかより、ずっとソライソの事を知っていた。
だからこの回答は必然だった。
「そっか。ありがとう、モナド」
ソライソの震えが止まる。
「メナイサ、モナドを、よろしくね」
「……ソライソの、ばか」
「僕、ばかだから、なぁ」
「でも、だいすきだから」
メナイサがその身体でもってモナドを包み込み、地を滑るように去っていく。
「うん、分かってる」
山が、動いた。
◇
一柱の竜が、その翼で世界を掴み、飛行する。
巨体に見合わぬ俊敏さを持って、不届き者を追う。
「くは、入るだけなら見逃したものを。我の作品に許可なく触れるとは、愚かだな」
ソライソは、竜の中でも巨体を誇るダイダンガが見上げる程に大きい。
およそ生物なのかも定かではない、彼は山そのものであった。
「くは。我を嗅ぎ回っていたのは、貴様だな。もう二匹居たようだが」
ダイダンガは、モナドの想定を更に超えていた。モナドだけじゃない。ダイダンガは、ソライソにも、メナイサの存在にすらも既に気づいていたのだ。
だが、そんなことはもはや関係ない。
「……ああ、逃げたのか?」
「違う、よ。僕が、足止めして、モナドと、メナイサを、逃がしたん、だ」
「つまり、置いていかれた、と」
突きつけられたのは、ただの事実だ。
だからこそ、ソライソはそれを正面から受け止める。
「そう。僕は、置いていかれた。でも、それでいいん、だ」
風もないのに、森がざわめき出す。
大地が震えているのだ。
その大地全てが、聳え立つソライソそのものであった。
「僕は、そう簡単には、負けない、よ」
「くは、我を楽しませれば、時間稼ぎくらいは許してやろう」
◇
──勝機は無い、が、それでも打てる策はいくつかある。布石もだ。
モナドの言葉だ。
モナドが竜を殺すために。次に繋げるために。ソライソはその命を投げ打つのだから。
「【ヤマガの風へ。名も無き星屑を熾せ──】」
温度を付加するダイダンガの
だが、その詞術は発動しない。
「ほう。それが貴様の強みか」
今、この地はソライソによって塗り替えられた。ソライソという土地に慣れ親しんでいない限り、ダイダンガは
ソライソも、そしてメナイサも、自身という土地を絶対の領域とすることができた。
だが。
「それがどうした?」
息など無くても、竜は圧倒的だ。
「くは。我に鍛えてもらえるなど、誉れだろう?」
拳をソライソの地表に叩きつける。
地響きと共に地面がめり込み、ソライソが痛みに喘ぐ。
「ぐぅ……」
「痛みを感じる、か。魔族では無いな? 貴様は何だ?」
「教え、ない! 【ソライソの土へ。寄る辺の丘。凪に等しく。星を右に。回れ!】」
地面より、無数の槍が隆起する。それらはソライソの意に従い、ダイダンガを刺し貫こうとする。
「くは」
その小手先はダイダンガには通用しない。ダイダンガが身に纏う鎖帷子のような鎧によって、それらは竜鱗にすら届くことなく根元から折れてしまっていた。
「硬い、すごく」
「知っているだろう、我より硬いものは無いと」
知っている。
現状確認されている生物において、ダイダンガよりも硬い者は存在しない。少なくとも、記録上は。
「それでも、僕は、負けない、から」
ソライソは奮闘した。
土砂を降らせる、地震を起こす、地割れにて圧する。
手を変え品を変え、常に新しいものを提供する。ダイダンガはその全てを正面から受け止め、打ち破る。
モナドの授けた策とは、すなわちダイダンガを飽きさせないことだ。
ダイダンガは、世にも珍しい、鍛治を行う竜だ。その本質とは、好奇心、知的探究心の塊。そして挑戦意欲の権化である。
新しいものを見せ続ける限り、竜はそれを超えずにはいられない。その習性を利用することこそ、モナドの授けた
が、新しいものを見せ続けるということは、すなわち相手に情報を与え続けるということに他ならない。
ダイダンガの優れている感覚は、嗅覚だけに留まらない。故にそれは、確かに視界に捉えられた。
竜は、ソライソである地面へと勢いよく腕を沈める。
「くは。ようやく合点がいった」
引き摺り出されたのは、植物の根であった。
「これが貴様の正体か。
◇
開闢のモナドは詐欺師だ。当然、山魔海魔というのも全て嘘っぱちである。
湧き出るメナイサが
開闢のモナドが作りし二体の魔族のひとつ、
その正体は、極限まで肥大化した
根獣は、微量で神経細胞を溶解し速やかに命を奪う猛毒をもっている。
ソライソだけが、違った。
毒も転じれば薬となる。根獣の突然変異であるソライソの特殊な溶解毒は、ホルミシス効果によりむしろ植物の成長を促進する事が出来た。
その毒によって植物を成長させ、それらに寄生したソライソは、何時しか地に根を貼り、土地そのものを動かす術を手に入れた。
山程の大きさを持つに至った時、ソライソはモナドによって山魔の種族名をもらった。
ソライソとは山ではない。ソライソは森である。
ソライソは、森を自身の一部とすることができる。
ソライソの鼓動に合わせて、森が揺れる。
地中深くに巡らされた根は、地を揺らし、土砂を発生させることすら出来た。
「面白い。だが、それだけだ」
ダイダンガにそれが有効かは、また別の話だ。
眼球に至るまで硬質の瞬膜で覆われたダイダンガに、隙など果たして存在するのか。
わからない。わからないが、それでもソライソは戦い続けなくてはならない。
モナドとメナイサを逃がすために。
「次はどうやって我を楽しませる?」
強者の余裕。
圧倒的なまでの格差が埋まることは無い。だとしても、ソライソにはその威光を利用するしか無かった。
不意に、ダイダンガの足元に巨大な穴が出現する。詞術を使ったものではない。ソライソによる即席の落とし穴だ。
ダイダンガには飛行という手段があった。だが、あえてその選択肢を放棄する。
次にソライソがなにをしてくるのか興味があったからだ。そして、その好奇心と慢心こそが、ソライソの付ける唯一の隙であった。
穴の側面から、太細様々な根がダイダンガへとまとわりつく。
「目は、無理だった。だが、口の中なら」
「なるほど、なるほど。体内は鍛えられないと」
生物種の体内に根を張り、血液を吸い取る。それはソライソの必勝だ。
皮膚からは竜鱗に阻まれ、目も瞬膜に覆われていた。だが、内部と繋がる口内であれば。
「常人の発想だな」
「な」
硬質な音。先刻に聞いた音だ。
どこまでも、ダイダンガは最硬だった。
「……
「違うな。我は竜だ。誇り高き竜」
ダイダンガは紛れもなく
ただし、ダイダンガは逸脱の竜である。
ダイダンガは違った。ダイダンガには、土地へ向けたそれとは違う、もうひとつの
「【ダイダンガへ。名も無き星屑を熾せ──】」
それは自身の内側に向けた、その身体に対する
体内に侵入した根が、熱量のみの息に侵される。超々高温に熱された大木は、いとも簡単に炎を纏った。
「熱、っつ!」
「くは。どうした? 今なら我に寄生し放題だというのに」
大きく口を開けてみせる。
内部はどこまでも赤熱した金属で覆われていて、ダイダンガが生物であるとは到底思えなかった。
勝てない。
布石も、打てない。
何も。
為す術も。
ああ、メナイサ。モナド。
ごめん。
「最初から、わかって、た」
モナドが言うなら、それは絶対だから。
ソライソは自分がここで死ぬと、分かっていた。
「だから、僕は、できる、よ」
「ここから何ができると? どの道、消火は間に合わん。貴様はここで死ぬ」
モナドの告げた、ソライソに打てる布石とはすなわち、先の未来に向けた投資だ。
モナドは、竜殺しを諦めていない。
「僕を、殺しても、メナイサがいる。モナドがいる。僕より、ずっと、ずっと、強いんだ。お前なんかに、負けない」
「そうか」
「いつか、きっと、二人が、お前を、殺す」
そして、モナドは勇者になるんだ。ソライソは、モナドの言葉を一切疑っていなかった。モナドが宣言して、成し遂げられなかったことなど、ただの一つも無かったからだ。
「モナド、大丈夫、だから」
モナドがこの世界を物語と言うから。
だから、ちゃんと世界に言葉を残さないといけない。
きっとモナドは謝るだろう。だからこの台詞は、絶対に必要だ。
「僕は、幸せだった、から」
燃え尽きようとする身体を奮い立たたせ、ソライソは命を振り絞る。
「【ソライソの鼓動へ。地続きの昨日。褪せる鍵。昔日踏襲。晒せ】」
ソライソたる山が、大きく膨張する。
地中の根の内部で圧縮されたガスが過剰に膨らみ、破裂しようとしているのだ。
自爆だ。
耳を劈く轟音。
亜音速にも到達しそうな瓦礫の山。ダイダンガが己の拳によって鍛えた超硬質の地表が、逆に弾丸となってダイダンガ自身に襲いかかる。
少しでも傷が入れば、そこを起点にできる。メナイサとモナドなら、そこから勝機を見出すことだってできる。
その一縷のためだけに、ソライソは自らの命を投げ打った。
そして。
「──くは。血湧かず、肉踊らずとも、確かに心に火が宿った」
竜は、全くの無傷だった。
崩れて平地となった地面を踏み砕き、ダイダンガは自身の工房へと戻る。
「忘れないさ、聳え立つソライソ」
星は砕けない。
それは竜の膂力で人の技術を使う、逸脱の鍛治技術を持つ。
それは内外問わず、自身の全てを金属の鎧で覆い尽くしている。
それは体内に向けた息により、内側から肉体を鍛える事が出来る。
壊せず溶かせず崩せない、何より密なる金属の塊である。
巨星、ダイダンガ。