人の認識できる地点よりも、遥か上空。
それは、身を切るような極寒も、極限まで薄い空気も、意に介することなく飛び続けることができる。
(──我を殺す、か)
ハティノまでの数日、ダイダンガは存外に胸を踊らされていた。
聳え立つソライソは、約束を違えなかった。開闢のモナドは、本当にダイダンガを殺すのだという。
ダイダンガは、人族を嫌ってはいない。むしろ、絶えず研鑽を積み続ける彼らのことを好ましく思っている。
でなければ、竜の身でありながら、鍛治などという人族の技術に手を出したりはしないだろう。
だが、だからこそ、唯一頂点である己を越えようとする者に、ダイダンガは容赦をしない。
(まずは一つ、褒めてやろう。我の縄張りで仕掛けなかった事を)
竜の強さが超常である理由のひとつに、
無論、それを封じさえすれば勝てる程、竜は弱くない。
(だが、その程度で我を封じたとは、よもや思ってないだろうな)
ダイダンガがそうでないことなど、調べはついているだろう。
逸脱の鍛治技術も、己の内へ向けた息も、その身に秘めた数々の武器や鎧も、全てが暴かれていなければならない。
それでも足りないだろう。
なぜなら、竜は“絶対”なのだから。
(くは、心が踊る)
その先に何が待ち受けているのかを、ダイダンガは知らない。
しかして、例え何があろうとも、自身の防御が破られないことだけは決まっている。
星は砕けない。
◆
星が綺麗な夜だ。
馬車を風よけに据え、その前で焚き火が赤く燃える。
火を囲むように毛布に身を沈め、空を眺める二人組がある。
長く伸ばした顎髭を器用に編み込んだ隻腕の男。まるで散歩にでも出るかのごとく軽装の美形の男。二人組は、行商人の重ね葉のリオーラと旅人の星守りのミナギだ。
狼の多い山中での野宿は危険だとされているが、ミナギにはそんな常識は通用しない。事実、この山に立ち入ってから、狼はおろか、野生動物すら1度も目にしていないのだから。
「お前さんは、こんな所まで一体何をしに来たんだ?」
「旅人が旅をするのに、理由が必要かい?」
「ばか、目的地の話だよ。ハティノに何しに来たのかって。この先にはアリモがあるが……あそこにも何もねぇだろ。用があるのは、その先のカイディヘイか?」
本物の魔王の爪痕は、何年経とうとも消えることなく残り続けている。
この場所に旅人がくることなど、滅多に無いことだった。
「そうさね……でも、やっぱり目的地なんてものは無いのかもしれない」
「はぁ?」
「気の赴くままに旅をしていたら、ここに居た。その答えだけじゃ不満かい?」
どうやら話す気は無いようだ。
リオーラは肩をすくめて答える。
「お前さんの気が向いたってことは……そりゃあ、あの村にも、運命が味方しに来たってことなのかもしれねぇな」
「だと、嬉しいね。オレの名言にも箔が付くってもんさね」
「お前さん、あれを名言だと思ってんのか?」
ハティノ村落に凶星が落ちるのは、丁度明日の夜のことである。
◆
幸運とは、理由なくして起こるものではない。
ミナギらが狼と出会わなかったのは、それをまとめ、従えるものが居たからである。
『らるろろろろろ』
飛来せしラロウドは、この山中の狼全てを自らの管理下に置くことができている。狼の流音による意思疎通を完璧に再現し、彼らと対話を行った結果だ。
狼達を引き連れたラロウドは、とある場所へと歩を進めていた。
狼達の背には、意識の無い人間が幾人も横たえられていた。
そうして、ラロウドがたどり着いた先は、ひとつの洞窟だった。
その内部に躊躇なく入り暫く歩けば、
『
『最後か?』
『ああ。これで全員の身柄を確保した』
狼達が自身の背に乗せていた人間を地面に滑らせる。
果たして、外からの見た目より広く感じる洞窟内には、ハティノ村落の
『これで、問題は無いな?』
『おそらくは。奴の目的が何にせよ、私は指定された時間、指定された場所にあの星を落とすだけだ。それが、奴が願ったことなのだから』
唯一、唯一だ。
この世界において、ただ一匹。逸脱の翻訳家のみが、神籬のヒジリと何の障害もなく会話をすることが出来る。
星は落ちる。それは絶対だ。
しかして、盤面はアレカの予想もつかない方向へと舵を切ることになる。
◆
「ふわぁ。なんか、ひっぱられるなぁ」
意志を持つ海である“湧き出るメナイサ”を潮汐力によって引き寄せているのは、紛れもない凶星に他ならない。
「ママ、大丈夫か? 痛い?」
「ううん、だいじょうぶ。アレカも、そういうものだっていってたから」
「……アレカか」
正直なところを言うと、潮目のウルナは二度目のアレカをあまり好きではない。
理由は単純に、自身の母であるメナイサに命令するのがひとつ。あとは、メナイサがウルナよりもアレカのことを愛してるのが一目で分かることが1番嫌だった。
「竜の一匹くらい、ウルナがやっつけてあげるのに」
「だめ。アレカがやらないとだめなの。でないと、アレカはゆうしゃになれないから」
アレカを勇者にしてあげたいと母は言う。
勇者の何がいいのか。そもそも勇者がなんなのか、ウルナにはさっぱり理解できない。
それは、母が命を賭す程に大事なものであるというのか。
「あのね、ウルナ。わたしはアレカのためだったら、なんでもできるの」
「ウルナだって、ママのためならなんでも出来るよ」
それは本当だ。物心ついたその時から、ウルナは母の胎内に居た。今日まで自分を育ててくれたのは、母に他ならないのだ。
命なんていくらでも差し出せる。
「だったら、アレカのために、ウルナもいのちをかけて」
メナイサは、自身より、自身の子供より、遥かにアレカを愛していた。例えこの“脚本”でウルナが死ぬのだとしても、アレカが勇者になるのならそれで良かった。
ウルナにだって、そんなことは分かっていた。
「……わかった。じゃあ、上手くいったらいっぱい褒めてね」
「ウルナ、えらい」
脚本家が拵えた逸脱の粘獣は、真に完成された役者として、盤面を揺るぎないものにする。
◆
星空を見上げる。
二度目のアレカだ。
(ダイダンガは動いた。ミナギもそうだ。ヒジリも動かした。もう脚本は修正できない)
全ては始まっている。明日の夜には、凶星が落ちる。
(介入者の検討は凡そ付いた。心無きはずの獣を従えている……とは思えない。催眠か、いずれにせよ)
既に、仕掛けられている。
ハティノ村落には現在、村人が一人もいない。忽然と、姿が消えてしまったのだ。
赤いゴム質の生物だ。心無き獣を操り、そして今、村人を拉致し、ヒジリの存在する洞窟へ運ぶのを見た。
(目的はわからない。だが、村人を収容するならあの場所しかないというのは頷ける)
あの洞窟は、おそらくはヒジリの手によって認識阻害の術が仕込まれている。明確な意志を持って入らなければ、奥までの道に気づけないようになっているのだ。
だというのに、介入者は迷いなく洞窟内に侵入した。それだけで、ヒジリと何らかの関係があることは明白だ。
(ヒジリが祈り以外での意思疎通を出来ないことはわかっている)
アレカはひとつ読み違いをしている。ヒジリは思念での会話が可能であり、それを用いて介入者との疎通を行っていた。
アレカは介入者が逸脱の翻訳家であるという事実に、未だ至っていない。
(とにかく時間が足りねぇ。介入者のキャラクター造詣が掴めない以上、対応はアドリブが求められる)
本来、全ての役者の能力から趣味嗜好に至るまでの全てを知り尽くしてから劇に望むべく、入念な準備を行っているはずだった。
アレカの認識できるより遥か上空より現れた
(ま、何かあるのは概ね想定に入れていた。俺の一人勝ちってんじゃ、つまらねぇだろうし)
その為に雇った
(劇は終わらせねぇ。勇者になるのは、俺だ)
アレカは夜空を見上げている。夜空には、赤く光る凶星が。
そして、アレカの目に映るのは。
◆
凶星が落ちる前日の夜だった。
全ての役者が、ハティノ村落に集いつつある。
夢幻劇が、始まろうとしている。