凶星とは、“彼方”よりの逸脱の魔具だった。落下式天罰とも呼ばれていたそれは、落下運動そのものを概念化し、落下時の速度・圧力・熱量を無限に加算していく構造を取る、悪夢の兵器だった。
それがひとたび落下すれば、着弾地点を中心に、広範囲に重力波、熱圧波が発生。村は焼け野原と化して居ただろう。
それを、ダイダンガが受け止めるはずだった。しかし、星馳せアルスが破壊した。その根幹となる術式基板ごと。
星が砕ける。キヲの手によって捻り切られた凶星は、その役目を果たすことなく地面に落下した。
「……これは…………いらないかな」
凶星へと一瞥をくれたアルスだったが、直ぐに興味を無くしたように飛び去っていった。全てが数秒程の出来事だった。
こうならないように手は尽くしていたつもりだった。ハティノの住民はもちろん、アリモやイターキ、その他周辺の村や都市全てに赴き、時には街道を封鎖し、情報を統制し、ハティノに誰一人として近寄れないように細工した。全ては脚本通りだった。
だが、アレカが脚本に加えるには、アルスは遠すぎた。カイディヘイよりキヲの手を手に入れたアルスは、超高速でこの地へと現れた。
それは、アレカの脚本には無かった。
アレカの書き上げた、磨き抜かれた夢幻劇の台本にアルスの名は無い。入れることができなかった。物理的に、認識的に、距離的に、アレカの想定には入り得なかった。 故に彼は、脚本の外から現れた。
「アレカ、だったかい?」
ミナギの声。脚本通りの軽口のはずが、少しだけ、抑揚が変わっていた。
「夢幻劇って言ったか。これが、そうなのかい?」
その声に、アレカは答えなかった。いや、答えられなかった。喉の奥に何かが引っかかっているかのように。あるいは、魂ごと息を呑まれたように。
空にはただ、熱を持たぬ破片がいくつか、灰のように風に散っていた。
「はは、所詮俺は、箱庭をいじくって遊ぶような子供に過ぎないってか」
その呟きは誰にも聞こえなかった。
そして、時間というものは全てにおいて平等だ。世界はアレカを一秒足りとも待ってはくれない。
潮の香りが濃くなる。
舞台が、大きく動き出す。
「まずい、メナイサが動く」
脚本に無い動きだ。だが、メナイサの全てを知悉しているアレカには、次にどう動くかから、その理由まで完璧に理解することができる。
要するに、
新しい展開を作らなければならない。ストーリーを停滞させてはならない。
この舞台において、それを自主的にこなせるのは、湧き出るメナイサただ一匹だから。
そして、そう認識していることをアレカは理解しているはずだから、絶対に何か手を打ってくれると、信じてくれている。
(次の脚本を紡ごう。全てを掌に収めるために)
この瞬間から、夢幻劇は第二章へと入る。凶星の喪失を経てなお、アレカは脚本の端を離さない。彼にとってこの舞台は、二度は存在しないものだから。
「いいぜ、アドリブは得意だ。“二度目”の俺なら尚更な」
◆
狼が吼える。それは言語だ。全て聞き取ることができる。ラロウドには、それができる。
『らるろろろろ。落ちた、か。しかし、
村の外れ、小高い山の上にて狼達を指揮しながら、ラロウドは呟く。
この一連を、最も俯瞰して見ることが出来たのがラロウドだった。
空より凶星が飛来し、村に落ちる。ヒジリより聞いていた情報がそれだった。
その被害を村人にまで及ぶことのないように、ラロウドはハティノの村人全員を洞窟に避難させていたのだ。
しかし、結果はヒジリの言とは異なるものとなった。
凶星は落ちなかった。どころか、村に今存在する
さらには、
ラロウドは混乱している。
しかして、やらなければならないことは決まっている。
すなわち、人を助けることだ。人と獣が手を取りあう世界。それこそがラロウドが実現しなければならない未来だった。
すぐさま村にたどり着き、脅威を退けつつ、村人を守り抜く。ラロウドにならそれが可能だった。
だが、それは脅威が竜だけであった場合の話である。
竜の傍らにいた
声は届かない。届く距離ではないから。そも、ラロウドは世界に適応するように遙か遠くを見渡せる目を持っているが、只人であるアレカはラロウドを視認すら出来ていないだろう。
そのはずであるというのに、視線の先の彼は、確かに言葉を発した。
逸脱の翻訳家であるラロウドにならば、例え口パクのみであろうと、それが意図を持った問いかけであれば通じる。
アレカは、それを分かっているようだった。
故に。
「今から、村が、波濤に流される。助けなければ、村人は、全員、死ぬ」
『
狼を伴い、
夢幻劇の第二章が、始まる。
◆
凶星は失敗だった。その事実を即座に受け止め、次の瞬間にはアレカは新たな台本を完成させていた。
星馳せアルスはすでに舞台を去った。他の
街道の要衝にして唯一の通行路。その場所を封鎖していた水溜まりはもはや存在しない。
そして今、村全体を覆い尽くそうかという程の超大な質量を持つものが、ハティノ村落へと迫ろうとしている。
湧き出るメナイサという。
「……メナイサ」
彼女が動き出す。すべてを洗い流すために。
海が膨張し、広がり、圧倒的な質量と共に解き放たれる。ある意味では、それは凶星よりも遥かに脅威的な存在であるとさえ言えた。
誰も逃れることなど叶わない、自然そのものだ。
無論、アレカとて例外ではない。
そうなる前に、手を打つ必要がある。
「ヒジリ! メナイサと共にダイダンガを殺せ!」
アレカは叫ぶ。それは数十手先を見据えた布石だった。この戦場には、ヒジリが必要だった。
そして村の外、小高い山の一点に視線を向ける。そこには、間違いなく舞台に介入してくる存在がいるはずだ。それを理解しているからこそ、その存在が何を考え、何を行動するのか、手に取るようにわかる。
アレカは口だけを動かして、伝言を送った。それは確実に伝わるはずだ。そうでなければ、次に訪れるべき展開と筋が合わない。
ほどなくして、空へ飛び上がる者が現れる。
全身に呪詛の文字を刻まれた呪術師、神籬のヒジリである。祈りに対して代償を取り立て、その願いを叶える舞台装置。それが、アレカの言葉を聞き入れた。
「うけたまわった。だいしょうは、
しかしその言葉はアレカの耳には届かない。すべてを洗い流す舞台装置であるメナイサが、すでに眼前まで迫っていたからだ。
アレカは従鬼と成り果てたが、それでも元はただの人間に過ぎない。怒涛の海に対処する術を、彼は持たない。メナイサとて、アレカを巻き込むのは本意では無かった。
しかし、それでも遠慮なく波をぶつけたのは、アレカならどうにかできるという信頼の表れでもあった。
そして、波濤が全てを呑み込む。
アレカとミナギはその激流に為す術なく飲み込まれ、村人たちも悲鳴とともに流されていく。唯一、ヒジリのみが悠然と宙に浮かび、その異様な光景を眼下に見下ろしていた。
そんな中、その奔流にさえ微動だにしない巨影があった。
巨星、ダイダンガ。研ぎ澄まされた鋼の肉体は、海そのものであるメナイサの激流に対し、まるで自然の理を超越したかのように揺らぐことがなかった。
「茶番か? これで、全てをご破算にすると?」
ダイダンガは苛立っていた。ソライソの言葉が真ならば、モナドとメナイサこそ、自らを超えうる好敵手となるべき存在であるはずだった。
だが、現実はどうだ? 星が落ちるという壮大な幕開けは、突然現れた星馳せの乱入によって台無しになった。状況から推察するに、あの星こそが自身を殺すための切り札だったらしい。あまりにふざけた話だった。
「心にひとつ、火を灯した。そんなソライソよりの言葉を信じ、我はこの地に降り立った。だが、この惨状を貴様はどう説明する?」
「ふわぁ、しらない。わたしはソライソのかたきを、ゆるさない」
メナイサはただ、アレカを信じていた。アレカがメナイサにダイダンガを殺せと言うならば、それはメナイサがダイダンガを殺せるという意味だと、きっと彼が信じてくれているのだと、そう思ったからだ。
彼女にとってその信頼は絶対だった。
「ふむ、いいだろう。ならば貴様からだ。燃えるような、闘争を」
「いやだ。あなたの火なんて、全部けしちゃうから」
「火、か。違うな。我は鋼だ」
鋼の咆哮が天を裂き、空間そのものが震えた。
瞬間、メナイサがその身に宿す生命全てを揺り起こし、圧倒的な質量でダイダンガを呑み込もうとした。 ダイダンガはそれを真っ向から受け止める。鋼の鱗は軋みも錆びもせず、流れに呑まれることなく、確固たる意志を示してみせる。
「くは、いいぞ! もっとだ、もっと!」
強大なる鋼の肉体は、波濤を切り裂き、己が存在を証明するように吠える。
大海と星鋼の激突。
それはまさに、この舞台の異常さを象徴するに相応しい戦いであった。
◆
波涛が飲み込んだのは、アレカと、ミナギと、村人達だ。アレカとミナギは無事だろう。それぞれが、それぞれの逸脱によって、大丈夫なようになっている。
だが、村人達はその限りではない。流されれば、当然生き残るのは難しい。だからこそ、アレカは布石を打った。
いや、逆だ。アレカは、ラロウドをこの舞台に引きずり出すために、村人を利用した。
水没する村に、狼の群れが駆け込んでいく。
狂乱に満ちた波が家屋を押し流し、衝撃に意識を失った村人達は、ただ破滅に身を委ねるほかなかった。
だが、救世主が現れる。
『らるろろろろ──行け。誰ひとりとして
ラロウドの指示が言語となって伝わり、狼たちは吼え、奔流を切り裂いて海へと飛び込んだ。
波に飲まれながらもラロウドの声を聞き、流れの中で最も弱い者を見つけ出す。すなわち、老人、子供、怪我人などだ。
彼らを鋭い牙で、しかし決して傷つけぬように背負い、あるいは襟を咥え、激流の中から救い出していく。
そうして、意識を失った状態の村人を運び、次々と安全な高台へと避難させていく。狼の行動は俊敏にして規律的だった。
狼の動きとは思えぬほど統率され、まるで全体がひとつの生命であるかのように完璧だった。
『らろるら、らるろろ──』
ラロウドは高台に佇み、統率を取っている。
そのため、狼たちは迷わない。ラロウドが示した命令に忠実に従い、その牙と力を村人の命を救うためだけに使った。
『らるら、らるろる──
狼たちは、村人を安全な場所に運び終えてもまだ油断をしなかった。流れが強まればすぐさま動き、さらに村人を守るために身を挺する。
ラロウドは高台からその光景を見渡し、静かに息をつく。
『らるろろろ──』
翻訳家たる彼にとって、混乱した状況の中にこそ、自身の真価が試される。そのために彼はここにいる。言葉の壁を超え、生命の意志を繋げるために。
『人々を助けろ。
それこそが、意思を持たぬはずの獣の意志を示す手段だから。
『……誰一人として、欠けさせてはならない』
ラロウドの視線の先には、荒れ狂う海、そして鋼の咆哮が響き渡る戦場が広がっていた。
それぞれの戦いが、始まる。