「いいよ、君がそう望むならね」
ノーヴェの返しに沙耶香は冬歌に目をやった。
「本気でやるのか?」
「どのみち、ここは海の上。ボートに穴の一発でも開けられたら大惨事ですよ」
「おまけに海水温も低いか……ここでタイタニックは勘弁だな」
冬の北海道の浜辺に凍死体が上がるのは勘弁と沙耶香も納得すると冬歌が作った氷のリングを見る。その表面はスケートリンクのように真っ平で、少なくとも自然に出来たものではないと納得できた。おまけに降り立っても滑らない。
「ははっ、術式のレベルもこうも行くと末恐ろしい」
少なくとも、狼八代家に軍へに勧誘を……ましてや次期当主候補にそんなお話を持ちかけることは出来ないが、それでも少しそう思いたくなる程に完成された術式だった。
「お嬢様!」
「お前達は先に行け」
「しかし…」
「彼らを人質に取られたら敵わん」
「……」
そう答える冬歌の視線の先には船室に押し込んださくら達の姿があった。
「すでに連絡はしたんだろう?だったら母上が動いている筈だ」
そう言い倒すと彼女はボートに置かれた防弾板を仕込んだ鞄を手に取った。
「虎寺の娘もいる上にあの氷塊だ。軍か海警が気付かないわけがない」
上ではAS50を構える心陽の姿があり、冬歌は彼女を見た。
「…すまない」
「いえ…お気をつけて」
二人は短く受け答えをすると冬歌は船を飛んで沙耶香と共にあの自分が作り出した氷塊に消えていった。
「出すぞ」
「はっ!」
それを見送り、長い表情を表に出さず。涼しい表情で部下に指示を出すとボートは速度を上げて去って行く。
あの状況下では、ボートを沈められて我々全員が人質に取られるくらいであれば
ベースカラーの術師達は冬歌を狙っている。本家にも通報を行い、対応してもらっている。おまけに冬歌の作り出した氷塊は衛星からも目立つ。戦闘地域に程近い場所でこんな違和感が軍の目に留まらないはずはなく、部隊を出すことも考えられる。
皮肉な事に、これが一番の最良案だったのだ。
氷塊に残った冬歌と沙耶香は相対する四人の少年少女を見る。
「っ!!」
降り立った瞬間、真っ先に冬歌は札を用いて多数の雷撃を落とす。
並の人間であれば避ける事もままならず黒焦げになるレベルの攻撃だが、淡い赤紫色の幕が彼等から雷撃を捻じ曲げていた。
「でやぁっ!!」
沙耶香は何処から持ち出したか、ナックルダスターをつけた状態でノーヴェに殴りかかると、流石に不味いと感じて避け、勢い余った沙耶香の拳は氷の地面を穿った。
「ひゅ〜、さっすが虎の獣人」
その勢いに思わずそう呟いてしまうセッテに冬歌が持っていたSCARの引き金を引くと、彼はひょいひょいと飛んで避けた。
「勢い余って叩き割るなよ」
「分かってら」
沙耶香と冬歌は背を合わせるように彼等から距離を取ると耳元で彼らに聞こえない程の声量で話した。獣人特有の耳が良い体質を使っての会話だ。
「で、どうせ軍を呼んだのでしょう?」
「…わかるか」
冬歌の指摘に沙耶香は薄く笑うと彼女は当たり前のように言う。
「当然、虎寺の娘が何もしない訳無いでしょう?」
「なるほど、所詮は同じ穴の狢だな」
この旅行前から常に沙耶香は色々と問題を引き寄せる上に祖父からベースカラーと出会したように特別な電波発信機を待たされており、彼らと出会った時に押すように言明されていたのだ。
「今頃親父たちが部隊を率いて飛んでくるだろうよ」
「軍の研究対象ですもんね。……本気でやり合いますよ?」
「ここ洋上、精々ヘリが数機堕ちるくらいだ」
それでベースカラーが捕縛出来るのなら安いものだと彼女は語る。
「どうせあんたの所からも来るんだ。ここは一つ、仲良くしようぜ」
沙耶香は冬歌の目をチラリと見ると彼女も理解を示した表情を見せていた。
「良いでしょう、お互い
そこには過去の痛恨のミスの意味合いを含めながらそう答えると二人の中で同じ目標を立てると、すぐに行動に移した。
「っ!」
ノーヴェが相変わらず水の弾丸を展開して沙耶香を狙う。彼等が魔法と呼ぶそれは肌を使う事なく、意識の中で術式の構築を終えると彼女の周囲から殺傷能力のある水鉄砲を発射する。
「くっ!」
そしてその水鉄砲を冬歌は障壁術を展開した防弾バックで防ぐと、片手でSCARの引き金を弾き。ノーヴェに沙耶香が思い切り接近すると彼女の顔が青くなる。
「危ないっ!」
その瞬間、ノーヴェの体を守るようにドーディの赤紫の膜が包み込むと彼女の体は一気に浮き上がり、沙耶香のストレートは軽々と避けられ、銃を撃ち込むも何かの力が働いたように全て弾かれた。
「こりゃヤバいなあ……」
「到着までどのくらいかかるのやら……」
「長くて三時間だな」
その瞬間に二人の間をノーヴェの殺人水鉄砲の連射が当たる。
「今回はあの雷女がいないようで」
「あー、クワトと会いたかった節?」
「いや、お前ら全員だよ!!」
その瞬間、氷の階段が生まれ。そこを壊す勢いで飛翔した沙耶香が赤紫の膜で彼らを守っていたドーディの眼前に立った。
「「っ!」」
しかしその瞬間、目の前が真紫のいかにも毒々しい見た目の空気がドーディと沙耶香の間に割り込んだ。
「っ!!」
見た目からしてもヤバめのそのガスに咄嗟に沙耶香は後ろに跳躍すると、冬歌と沙耶香は明らかに異常なそのガスに危機感があった。
「マジか……」
そして現れた、紫色の髪を持つ彼らと同じ鉤十字の瞳を持つ少女が姿を現した。
「これで相手は四人ですか……」
そこに現れた青緑・青・紫・赤紫の四人のベースカラーがいる事になる。
「なぁ、攻撃三倍の法則って知ってるか?」
「ええ、当然です。近代要塞戦の常識ですよ」
当然のように冬歌は頷くと、沙耶香は冗談混じりに答える。
「なら、人数二倍差ならなんとかならねえか?」
「それに換算するなら向こうの戦力が事実上十二人か、下手しなくても大隊レベル何ですがそれは?」
一般的に一人の術師で三、四人の一般歩兵を相手取ることができる。しかし、目の前にいる術師達は別格だ。特殊部隊を制圧できる能力を持っているので、実質的には大隊規模の戦力があると言っていいだろう。
「だったら、この後はどうする?」
「それは軍人の家の方が得意なのでは?」
四人を相手に二人は次の一手を考えた時だった。冬歌が術師の術式発動のその特徴的な波動を検知した瞬間に四人の目の前に多数の術式が命中し、後ろを振り向くとそこには数機のヘリコプターがホバリングをしており、武装したミニガンから射撃が加えられた。
「ちっ……」
それを見た彼らは流石にまずいと感じたのか、彼らを守っていたドーディの能力を用いて去って行った。
「思ったより早かったな」
「ですね」
上空にホバリングするヘリを見ながら二人はそう話すが、同時にこうも感じた。
ーー今の実力で、彼らと戦うのは限界がある。
そう実感してしまった。数発しか術式を打っていないが。それでも確かに理解できた確かな実力差、その事を噛み締めていた。
「んで、帰りはどうするよ?乗って行くか?」
「ええ、生憎と私は術式は後一発術を使うだけで霊力が無くなります」
ホバリングする輸送ヘリの後部ハッチが開くとそこからおそらくは沙耶香の知り合いだろう兵士が彼女に軽く挨拶をすると次に冬歌を見てその姿にやや驚く。
「気にするな」
しかし沙耶香がそう告げた事でその兵士は『見ざる・言わざる』であると納得すると彼女に何も言う事なくヘリに案内した。
そして扉が閉まると、冬歌は両手を軽く叩くと先ほどまで視界を覆っていた海上の氷リングは跡形も無く消滅しており、沙耶香はもはや驚く事はなかった。
「現在の戦況を聞かせてくれ」
そしてそのまま近くにいた兵士に問いかけると、その兵は冬歌にも聞こえるような声量で答えた。
「現在、進行したロシア軍は全面的に撤退を開始し。占領されていた全地域の解放が完了。地域には若干の損害が出ております」
少なくともここに乗っている兵士は冬歌の正体を察せる人ばかり。それ故に少々警戒することもあったが、そんな御仁を乗せるのは近場のヘリポートまで。輸送ヘリは八戸郊外のヘリポートに着陸すると、そのまま沙耶香と冬歌をおろしていた。
「では、また」
「ああ、父上によろしくと伝えておいてくれ」
輸送ヘリから降りた二人はそこで先に避難していたさくら達が駆け寄ってきた。そしてその後ろから遠くでコチラを見ていた心陽を見た。
そこで軽く目配せをすると彼らはそのまま私の護衛の為にさくらの周りから消えていた。
「さて、東京まで帰ろうか」
「いいの?」
「ええ、もう安全は確認されたって言うしね」
「……そっか」
それ以上さくらは言う事はなかった。彼女が安全というのなら、つまりはそういう事だろう。
詳しい事情を知ろうとは思わない。あくまでも自分は彼女の学友としてこれ以上、彼女の私情にメスを入れて覗こうとは思わない。
「じゃあ行こう」
彼女の狼八代家は虎寺家と同じく、宮家の血を分つ伝統ある家だ。今日の事象を見ても分かる通り、彼女が一人でいる事は無い。だったら、せめて彼女が警戒する事なく他愛もない話のできる存在になりたいと思いたい。
私には華族の名を連ねる直径の娘にかかる重圧というのを理解できない。沙耶香が最も近いかもしれないが、少なくとも狼八代家で冬歌以外の本家の血筋は彼女以外噂すら聞いた事がない。それの意味する事は末恐ろしいほど理解できる。
「でも良かったよ〜。二人とも無事でさ」
だからこそ、私は彼女の中でも特別に扱ってもらいたい。ああもちろん、百合の意味合いは無い。私にそんな気は一切ない。そんな気があったら確実に私は捕まって色んな意味で終わっている。
「ああ、無事でな」
「本当にね」
そんなさくらの言葉に冬歌と沙耶香も短く頷きながら返すと、四人は新幹線に乗って一路東京へと帰還して行った。
一連のロシア軍による北海道侵攻は国際法に則ったものではなく、奇襲による領土略奪とされ。国際的な非難を世界中からロシア政府は浴びることとなり、政府はこの一連の軍事行動に対し『極東管区が独自に行った作戦』という無理がある主張を行い。これにより無駄に損耗した戦力や、戦闘に巻き込まれた住民達からも反感の意を受ける事となった。
この侵攻作戦を期に、ロシア国内ではロシア連邦に対する不信感が増す羽目になって行った。
第六色 完
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