第肆拾玖話
「総統…」
燃え盛るベルリン。
空に地に、ソ連の戦闘機や陸上部隊が進軍し、家々に爆弾や砲弾の雨を降らしている。
「あぁ、君だったか。エドモンド君」
そんな夜の燃えるベルリンを総統官邸から見下ろしていた一人の人物に私は思わず話しかけてしまった。
「総統、中にお入りください」
「構わん。どの道、この運命は変えられんよ」
そう言いソ連の爆撃機が小粒の爆弾を落としてベルリンに新しい炎を点けていた。
「…私は、歴史上最悪の人間として名を残すであろう」
その人物は特徴的な髭面に、天才的なまでの民衆煽動の才能を持った男であり、今もドイツを率いた男であった。
「こうなるのであれば、早々にヒムラーを処刑するべきであったな…ユダヤ人にも術式を使える人間は居た。やり過ぎたな…」
軽くため息を吐くと、彼は振り返って私を見ると肩に触れた。そしていつも通り堂々とした口調で言う。
「今までご苦労であった。エドモンド・クライツァー研究員」
「総統閣下…」
その男、独裁者アドルフ・ヒトラーは私の肩を掴むと言った。
「このドイツが滅べば、次に待っているのは米ソの対立だ」
「っ…」
「君なら理解しているであろう?その優秀な頭脳は、これからは人類の発展に役立ててくれ」
「…申し訳ありません」
彼はその手に紙を握っており、思わず握りつぶしてしまった。
「構わん。君達は西に逃げたまえ」
「っ!私に、アメリカに…亡命しろと?」
「そうだ」
彼の話に私は驚いた。
「よろしいのですか?私に、亡命を勧めるなど…それもアメリカに」
すると総統は言う。こんな状況でも冷静に。
薬に頼る事のない健康的な肌と顔色、まるでこの状況を読んでいたかの様に。
「私などに忠死し、君の頭脳を失うのは惜しい。その頭脳を生かして、我々の願い、ドイツ国民の願いを…そして私の願いを、どうか叶えてはくれまいか?」
「…」
「無論、この状況を作った稀代の悪人の戯言と思って切り捨ててくれても構わん。君が行う行為に私は反論する余力も寿命も無い」
彼はそう言い私に未来の予想を告げる。
「おそらくこれから訪れるのは、君が予想した核と術式の支配する時代だ…。君の研究成果を狙って多くの国がアーネンエルベを血眼に調査するだろう…」
彼の予想は後に恐ろしいほどに的中していた。そりゃそうだ、私もそれを知っているのだから。
「ふぅ…もう話しても良かろう…」
「?」
すると総統は徐に口を開く。
「私は俗に、転生者と呼ばれる人間だ」
「は…?」
唐突な告白に私は思わず驚いてしまった。今、総統はなんと言った。
「まぁ、ここでは無い世界の記憶を持った転移者とも言うべきか…」
そして総統は少し悔しげに私に言う。
「非常に残念な結果だ。また同じ結末を辿ってしまった…」
彼はドイツ第一主義を掲げてこの国のトップになった。そして二度目の世界との対決をまた敗れようとしているこの国を憂いていた。
「私は、結局何も変えられる事なく消えていく…こんな私を、君はどう思う?」
歴史が大きく変わったのは極東の島国かと軽く鼻で笑う。
「…総統」
「ん?何かね?」
それを知り、思わず私は口を開いてしまった。
「総統、一つ私もーーー」
「…」
そこで太陽の日差しが差し込んだ事で私は目が覚めた。
「朝か…」
最近はその光すら体に堪える。八十年も経過した過去の記憶は、まるで昨日の事の様に思い出せる。あの炎に巻かれたベルリン、守るはずだった市民が逃げ惑い、侵攻してきた連合軍の兵士に強姦され、殺されていく様子。
ベルリンから西に逃げた私はその先で米軍の歩兵部隊に拘束され、投降した。
忌々しい事に彼等は我々の研究成果のみを持ち帰って私に命じた。金をやるからアメリカの為に働け、と。
面白い事に私の研究していた人工術師の研究には膨大な予算が掛けられた。それこそ、アーネンエルベにいた時の何倍もの。
彼等にはミサイル技術よりも人工術師の方が何倍も使えると思い込んだようだ。
その間もソ連とアメリカの対立は如実なものとなり、最前線のアラスカでは増派の嵐であった。
ミネソタ州奥地の研究施設で人工術師の研究を予算の横領をしながら私は好奇を伺っていた。
「太陽の光とは、かくも平等であるな…」
カーテンを開け、部屋を明るく照らすとその中で彼は軽く笑う。
「魔法と獣人が加わるだけでこうも世界が変わるとはな…」
テレビを付けると、そこでは朝のニュースの中に日本軍によるモンゴル進駐のテロップが浮かび上がり、同時に先の北海道のロシア軍強襲による被害の報も行われていた。
「いや、変わっているのは日本の歴史のみか?」
彼はそう溢すと、小さな庭に出る。
とても百を超えた老人とは思えぬほど若い見た目、凡そぱっと見では六〇代と間違われそうな若々しさも兼ね備えた様相の彼は畳や襖で分けられた小さな古典的な日本家屋の家の中で縁側に座った。
「まぁ何方にしろ、私のやる事は変わらないな」
胸ポケットからピースを取り出すと火をつける。
「…変わらない味。これはどの世界でも共通なのかもしれんな」
そうエドモンド・クライツァーは語る。先のロシア軍の攻撃で日本政府はロシア政府に対し大使館員の退去要請を提出。準戦時状態への移行も辞さない構えを示した。
「しかし甘いな…」
しかしその政府の姿勢に領土を傷つけられた日本国民の感情は良くなかった。
「だが今回は痛み分けだ…」
紫煙を吐きながら彼は庭に植えられた松の木を見る。
「誠実に頼み込んでも、彼女は答えてくれるだろうか…」
先の行動中にエドモンドは狼八代冬歌と接触をする様、ベースカラー達に言った。
しかし結果は、狼八代冬歌は虎寺沙耶香と協力関係にあったと言う事実と、その結束力がより強まったと言うだけ。
「狼八代と虎寺の次世代が協力関係にある…なんとも面白い状況だ」
歴史は繰り返すものだと、彼は溢す。事実、狼八代と虎寺が協力関係にあったのは約八十年前、第二次世界大戦前夜の頃の事。
当時政府は日中戦争からの戦線拡大を恐れ、同時に日独の関係もそれほど良好では無かったことから憲法を行使した軍部の暴走の締め付けを行なっていた。
「しかし、こちらではイギリス式の憲法が採用されたと来たか…」
彼の知っている歴史と大きく違うこの国の歴史に軽く鼻で笑う。すると、
「親父〜」
家の門を潜って一人の私服姿のブラウンヘアの青年…よく見ると髪色の根元が炎のように赤いその若者は慣れた様子で縁側で腰を下ろしていたエドモンドに話しかけてきた。
「おぉ、来たかウノ」
彼はやって来たウノに返すと、彼の後に数名の同じ年頃の男女がやって来た。
「あっ!ファーターだ」
「お久しぶりです」
そして彼等は一斉にエドモンドのいる縁側に座る。
「お茶入るかい?」
「あぁ、あるなら…」
全員が薄手の長袖で、春の訪れを感じさせる服装をしていた。
「はい、お待ちどう」
「わぁ…」
「赤福もある…!!」
縁側には八人の子供達が座っており、エドモンドの持ってきた緑茶と茶菓子の赤福に嬉しそうにする。
そして彼等は縁側で休憩をした後に、エドモンドの横に座っていたウノが口を開く。
「…悪いな親父。また失敗しちまって」
「構わんさ…元々、分が悪い戦いを強いた私にも責はある」
「親父の責任じゃない…」
二人の視線の先ではノーヴェが指先から水を作り出して庭の草木に散水をして緑の髪の覗くセイや紫のウンディと遊んでいた。
「二つの日本の公爵家と争うんだ。奴らの庭の中では監視を潜り抜けるだけで精一杯だろう」
「そうか?この国の連中は術式を信用し切っているから逆に動きやすい気がするけどな」
ウノはそう言いながら緑茶の入った湯呑みを傾ける。
一見すると近所の老人の家に遊びに来た子供達のような光景で、微笑ましくも思えた。
「何事も、目先の情報のみで動いていては阿呆になるという事かもしれんな…」
エドモンドは言うと、横で座る他の子供達を見る。
全員派手な髪色を隠す為にカツラや染髪をしており、メッシュと言う形で自分が誰であるかを見せていた。
「親父、これからどうするんだ?」
ドーディが聞くと、彼は持っていたお盆を置いて空を見上げる。
「一年、学業院に入った彼女にちょっかいを出したが、結果はこれだ」
「「…」」
一年間の内、何度も狼八代冬歌と接触を試みたが、全てにおいて彼女は徹底拒否の姿勢を崩さなかった。
「すまないが、一時的に撤退だな」
「そうか…」
「分かったよ」
エドモンドの決断に二人はゆっくりと目を閉じて頷くと、彼は続ける。
「我々の目的を知った所で彼女の決意はもう変わらないだろう」
「そうか?」
「じゃなきゃあれだけ反抗的にならないだろ…」
ウノにやや呆れた様子でみるドーディ。
「いやはや、あれは凄かったねぇ〜」
クワトも軽く頷きながら部屋で寝そべると、ディーエが聞いた。
「ファーター、トウカは諦めるの?」
「そうだな…すでに必要な人員も物資も揃っている。いわば彼女は補欠要員に近い」
彼は言うと、ウノ達を見ながら少し目元を下げて呟く。
「悪いな…こんな老人の我儘に付き合わせて」
言うと、ウノ達は笑って返す。
「良いよ良いよ、冬歌と違って僕たちはファーターによって作られた人間だから」
「…」
その時の彼等の顔を見て、エドモンドも少しだけ大きく息を吐く。
「ならば、私も成すべき事をするだけか…」
「そうだよ」
「ファーターのやりたい事をすれば良い」
「…はははっ」
そんなウノ達にエドモンドは笑う。
「私も、いつの間にか取り憑かれていたのかもしれないな…」
彼はそう言って立ち上がる。
「私の夢が叶えば、お前達は自由に生きなさい。人の為に賢く生きなさい」
「うん…」
「分かっているよ」
自分が手塩にかけて育ててきた子供達は喜ぶように、受け入れるように返した。
「ふぅ…」
その時、東京別邸の地下室で冬歌は座禅を組んで目を閉じていた。
彼女は静寂と暗闇の中に身を置いて精神の感覚を高めていた。
術式発動のために必要な体内の中にある気と呼ばれる目に見えない力は五感を高める事で視えると言う。
「…」
北海道の事件以降、私は常に考えていた。
散々術式だと思っていたベースカラーの使う術は、一体何なのか。
前に彼女自身から出た術式では無いと言う言葉。あの時はバカな事を、と思っていたが今となって本当にそうかもしれないと思っていた。
「お嬢様」
その集中は二日間の断水断食を行なっていたことを危惧した心陽の声で切れた。
「っ、心陽…」
「気は視る事ができましたでしょう」
「えぇ…」
「これ以上は生死に影響します」
「…そうね、ありがとう」
冬歌はそこで心陽の見せた日時に軽く冷や汗をかいて立ち上がった。
「おっと」
「お気をつけ下さい。お嬢様」
そう言いサポートをしてくれた彼女に感謝をしつつも、少し不完全燃焼地味になりながら地下室を後にした。