どこの高校にもある《文化祭》。
レポートの展示発表から来場客もいない内々の発表会……それを文化祭と呼ぶ高校もあれば、漫画やアニメで見るような豪華絢爛に青春が青春を呼ぶ文化祭もある。
虹夏とリョウが通う進学校、下北沢高校はどちらかと言えば前者寄り。そして、ひとりと郁三が通う秀華高校の文化祭──秀華祭は紛れもない後者だった。
十月初旬に二日間の日程で開かれる文化祭。となれば、休み明けの時点で残り一か月。露店の出し物からクラスの企画、果ては体育館ステージまで催しものがあるから、現時点で企画ものを決めるのでも遅い、と言えるかもしれない。
だから登校初日からクラスでは出し物の話し合いが行われた。それはどのクラスも例外じゃない。
休み明けなのもあって、早くに放課後になった。STARRYのバイトまでには時間がある。そして郁三は今日のシフトには入らない。ということで、ひとりと郁三は学校の空き教室で自主練をしていた。
となれば、話題に挙がるのはやっぱり文化祭なわけで。
「へぇ、それで2組はメイド喫茶と執事喫茶になったんだ」
「……
「え、だからメイド喫茶だよね?」
ひとりは前日の江ノ島小旅行が原因で筋肉痛気味だ。登校するのも一苦労だった。だから今日は基本的に郁三の演奏を聴くことに終始している。そして郁三がしきりに話しかけてくるのでひとりも断れずに返す。
そして肝心の文化祭出し物決めのホームルームの時間は、やっぱり疲れて半分以上うたた寝していた。その間に出し物が『教室を使ったメイド喫茶』と決定していた。ちなみに女子は全員メイド服着用。
「ぇっと、喜多くんのクラスはどうなったんですか……?」
「俺んとこはねー、主にちっちゃい子向けのミニコースターになった。ほら、机を組みたてて段ボール箱で作るジェットコースターみたいな」
「ああ……」
「まあ、こっちも同じように喫茶だとかコスプレだとか、話題は上がったけどね」
「で、ですよね……喜多くん、執事服似合いそうです」
「え、俺? 似合わない似合わないって。むしろひとりちゃんのメイド服、楽しみなんだけど」
「……ぐはっ」
「ひとりちゃんてすぐ死んじゃうんだなぁ」
吐血でも嘔吐でもなくて何かしらの液体を吐いたひとりを見て、郁三は笑っていた。
対ひとり殲滅兵器、
ギターの練習は、郁三が初心者であることを考えれば順調そのもの。初ライブの時もリョウが言っていたように、ギターを始めて三か月そこらでよく頑張っていた。そして緊張が青天井を突き抜けたあの日のおかげで、郁三の心臓には毛がどんどん生えつつある。
聴いているひとりとしても、少しずつアドバイスが高度になっていく。少なくはならない。けれど確実にレベルアップしている。
この時間は今まで『陽キャ喜多郁三と二人きりで過ごす拷問』だったのが、少しずつ『喜多くんには慣れてきたしギターを披露できるし尊敬されるし上から目線でアドバイスできる、疲れるけど楽しい』時間に変わりつつある。
とはいえ、ストレスがないわけでもない。
「ところでさ、ひとりちゃん」
「あっはい?」
「
郁三の言葉が耳に届いた瞬間、ひとりの心臓が体の中を動き回った。
「いいいやややあのの、こ、心の準備がですね……」
「ふーん、そっかぁ」
「というか、別にまだ出したいってわけじゃなくて……」
慌てに慌てる。
その紙は、《文化祭ステージへの参加申込用紙》だった。今、ひとりが『バンド出演希望:結束バンド』と書いたその紙は、くしゃくしゃに丸め込まれた状態でひとりのスカートのポケットの中に納まっている。
どうしてひとりがそんな紙を持っているのか。理由は単純だ。
クラスの同級生が「誰かがライブしたら惚れちゃうな」なんて喋っていた。もちろんひとりにじゃなくてその同級生の友達に向かって。そこから先の記憶がなくて、気が付いたらひとりは生徒会室の前の投書箱に申込用紙を捧げようとしていた。
そこでひとりは我に返り、状況を把握した。しきりに妄想を破ってくる内なる自分が文化祭ライブに出たがっていると。
とはいえ、ひとり自身は人前、それも学校でライブをするなんて厳しすぎる。だからうずく右手を必死に制御しようと体を振り回していたら頭が壁にぶつかって気絶。保健室に運ばれた。
話を聞いた郁三が心配して保健室を訪ね、ひとりが持っていた希望書を発見。意識を取り戻したひとりが申込用紙を郁三からぶん取って──という経緯だった。
「でも、俺も出たいと思ってたしちょうどいいなぁ、なんて」
「い、いやでも…………!」
「リョウ先輩も虹夏先輩もOKしてくれると思うけど」
「うぐぅ! ……どうか、どうか考える時間を……」
決心がつくまでに時間がかかる。郁三の眼には、目の前のひとりがそう見えていた。
「まあ、決心がついたら報告してよ。俺もすっげー楽しみだからさ。その時は一緒に紙出そうよ」
「うっ、えっ、はい……」
出たい気持ちは確かにある。けれど怖い気持ちが圧倒的に強い。だから、こればかりは郁三が勧めたとしてもそう簡単に流されはしなかった。
でも、やっぱり出たい。
でも、やっぱり怖い。
結局この時間でその決心が固まることはなかった。
ひとりは郁三と別れ、STARRYへバイトへ。その間も、文化祭ライブの雰囲気をネットで調べて青春という名前のホラー映像に爆死したりした。
自然、今日のSTARRYのバイトでも文化祭ライブの話題は出る。
星歌は「一生に一度の経験だし出たほうがいいんじゃないか」と言っている。至極全うなアドバイスだった。
虹夏とリョウは中学時代に文化祭ライブを経験していたが、特に虹夏が乗り気だった。リョウも好感触。結果、ひとり以外の全員が乗り気であるという事実が判明した。
あーだこーだと色々話したけど、全員ひとりの恐怖を理解してくれている。だから強制はしていない。ひとり自身もやりたい気持ちがないわけでもないし、総じて「ゆっくり考えてみなよ」という言葉を授かった。
そして次の日。
「やっぱり無理だー!」
誰もいない家の前でそう叫んだひとりだった。
やっぱり怖さが勝った。これに尽きる。どうしたって怖いものは怖い。そんな死地に無理していくことはない。卒業後にひっそりと陰キャが有名人になっていた、というストーリーでちやほやされるのがわたしの望みだと、捨てきれない煩悩をそう説得した。
くしゃくしゃだった申込用紙をさらにくしゃくしゃに丸めてゴミ箱へ。そうして気持ちもすっきり、憂いもさっぱり。やっとひとりの顔に笑顔が戻る。
時間がたって昼休み。笑顔に吸い寄せられる陽キャが一人。
「ひとりちゃーん!」
「あっ喜多くん……どうかしたんですか?」
廊下で郁三に呼び止められた。
「出しといたからね!」
「はい?」
「いやーもうギリギリだったよ!」
「ハイ?」
「文化祭のステージ希望!」
「
「ひとりちゃん間違えて紙捨てちゃってたから、直すの大変だったよー!」
「
郁三が対ひとり殲滅機関砲発射。
「結束バンドで、文化祭のライブステージ! 一緒に頑張ろう!!」
「
結果、ひとりは死んだ。
文化祭ライブステージ、結束バンド出演決定。
────
ひとりの命日の後にもバイトはあった。今日は結束バンド全員がシフトに入る日。
郁三はなんとか、気絶したひとりを抱えてSTARRYまでやって来れた。ひとりを棺桶に埋葬し、郁三は事情を説明した。
結果……
「──そりゃお前が悪い」
「うっ」
「喜多くんが悪いよ、間違いなく」
「ううっ……」
「朴念仁がここにも一人……」
「えっ?」
星歌、虹夏、リョウから集中砲火を受ける陽キャだった。
自身の行動でひとりが棺桶に入ったことは理解している郁三だけに、粛々と身を縮こませることしかできなかった。
「ぼっちちゃんをいじめるなよ! 弱いんだぞ!」
「ぼっちちゃんを殺すなよ! すぐ爆発するんだぞ!」
伊地知姉弟はひたすら郁三を責め立てている。それぞれの理由でひとりを可愛がっている二人としては、目の敵にするような怒り様だった。ちなみにリョウは早々に飽きて手頃な棒でひとりの頬をツンツンしていた。軽く突いて頬が凹むのに合わせてひとりの口から魂が出たり引っ込んだりしているのが面白いらしい。
郁三は罰として正座に段ボールを抱えさせられるプチ石抱の計をさせられていた。
「やっほ~! 先輩お酒~! って、喜多くんなにしてんの?」
カランコロンッと下駄の音。廣井きくりが酒瓶を持ちながら登場。だけど、STARRYに入るなり目にしたのが『僕は罪人です』と書かれた首掛け看板を持った拷問中の郁三だったので、さすがのきくりも目を真ん丸にして驚いた。
郁三は弱々しく答えた。
「……罪状を言い渡されたところです」
「なんの?」
かくかくしかじか。
「ふーん、文化祭かぁ。いいじゃんいいじゃん! きっと楽しいよ~?」
「とはいっても、全員が納得しないと面白くもないですし」
虹夏が郁三の頭を雑誌でペシペシ叩きながら言う。
きくりがそんな虹夏を見て聞いた。
「弟くんさぁ」
「はい?」
「ぼっちちゃんには優しいよね。私には厳しいのに」
「……え、僕これで通常営業のつもりですけど」
「喜多くんに厳しいってことはさあ、相対的にぼっちちゃんに優しいということだよ~」
「お前の口から『相対的』なんて言葉が出るとはな」
「先輩、ひどい……」
突然の星歌のボディブローに涙目になるきくりだった。
とはいえ、酔いどれ。この程度ではめげない。きくりお姉さんは虹夏に抱き着いた。
「弟くんは私にも優しいもんねー?」
「うわ酒くさ……」
「……優しいもんねー?」
「帰ってください。営業の邪魔ですバイトの邪魔です」
「……この間私の裸見たくせにー!!」
「きくりさんが勝手に風呂入るのがいけないんでしょー!?」
「おいうちの弟をたぶらかすな」
「先輩のブラコン~!」
「もう家に入れねえぞ!!」
なんてことをやっている間に、このうるささでようやくひとりが蘇生した。のそのそと起き上がり、目の前に拷問中の郁三がいたのでまた驚いていた。
「……ひっ? き、喜多くんなんて恰好を……?」
「あ、ひ、ひとりちゃん起きた……? よ、よかったもう足がしびれて……」
「罪状、喜多郁三。ぼっちが復活するまでの拷問。終了」
「リョ、リョウ先輩ありがとうございますぅ……」
「え、え? わたしの知らない間にいったい何が……?」
「ぼっちは知らなくてもいいことだよ」
棺桶からひとりが立ち上がる。それを見てようやく伊地知姉弟たちの暴走も終わって、きくりがやって来た。
「ぼっちちゃーん! 聞いたよ~、文化祭ライブやるんだって~?」
「あ、お姉さん……え!? 文化祭ライブ!?」
「廣井さん……まだひとりちゃんが最終的な決心ができてませんので……」
足のしびれで悶絶している郁三が儚げな声でそう言った。
「え~そうなの~?」
「あっはい……わ、わたしを知ってる人たちの前でするのがこ、怖くて……」
「ぼっちちゃん、路上ライブの時も最初は目瞑ってたもんね~」
実際、郁三は生徒会にライブステージ希望の撤回を求めたのだが、見事に跳ねのけられた。もちろん本当にまずいことになったら話は通るだろうけど、ひとまず出してしまった以上責任は果たす他ない。
虹夏もリョウも郁三も乗り気な以上、重要なのはひとりの決心だ。ひとりも100%嫌だというわけじゃない。
未だ少し怒っている虹夏。しびれで悶絶する郁三。その郁三の足をリョウがツンツンして楽しんでいる。ひとりはあわあわしている。結束感のない結束バンドだった。
「……ぼっちちゃん、それに後輩諸君っ」
『はい?』
「これ、あげるよ」
きくりが取り出したのは、ライブチケット。
「私のバンド、今夜ライブするんだ。よかったら見に来なよ」
「本当ですか!? 《SICK HACK》のライブがただで観れる……!?」
「一応、腕に自信はあるからね~。ちょっとでも参考になればいいなって思って。少しくらいは先輩面させてよ~」
それはきくりなりの気遣いだった。
「ほら、みんなどーぞー」
「あ、じゃあお金を……」
「ですね。廣井さん、1500円でいいですか?」
「え、君たち私のこと高校生からお金巻き上げる貧乏人だと思ってんの?」
『え、違うんですか!?』
「先輩焼酎持ってきてー!!」
虹夏と郁三が財布を取り出す。きくりの先輩面はわずか三秒しかもたなかった。
────
実際のところ、きくりがお金を巻き上げる必要のない人気バンドマンなのは確かだ。《SICK HACK》はインディーズで人気爆上げで、ライブチケット以外にも物販の販売も上々。なのにどうして、きくりが星歌のおごりに頼ったり、実は星歌の伝手で虹夏がいようが構わず家で風呂を借りたり、あるいはひとりから八景でお金を借りたのかと言えば、酔っ払って機材をぶっ壊すからバンドメンバーの中で彼女個人が金欠になっているというだけのしょうもない理由だった。
ちなみに、きくり──そしてリョウ──の借金は今ようやくひとりに返金された。
ともかく、星歌の許可もあり結束バンド四人はきくりたち《SICK HACK》が拠点としているライブハウス《新宿FOLT》へ向かう。
ライブハウスにいる名前も知らないバンドマンを前にひとりが気絶しかけたり、あるいは心が乙女の三十代男性店長、吉田銀次郎に虹夏が慄いたりしたけれど、ともかく結束バンドたちは《SICK HACK》のライブを目にすることになった。
(……STARRY以外で初めて見るな、ライブ)
郁三はざわつく観客の中に混じってそう独り言ちる。
右隣りには虹夏、左隣にはひとり。リョウはステージから遠い後ろでドヤ顔しながら嬉しそうに聴く準備をしている。
リョウのバンドマンとしての経験年数はそれなりにある。虹夏はSTARRYが家でもあるから、他バンドとの交流もある。ひとりは経験こそ少ないが、昔からバンド活動には興味があった。
そんな中、郁三はロックの世界に入ってまだ半年も経ってない。バイトでSTARRYライブを観てはいたけど、完全な観客としてそこに立つのは初めてだ。
(どんな感じなんだろう、SICK HACKのライブ)
きくりがライブチケットを回してくれたのは、明らかに不安なひとりのため。その一端どころか全端である郁三は、リョウ発案の計に処されたとはいえまだ罪悪感があった。結果的にリョウをはじめみんながライブを観れることになったのは、ちょっとだけ嬉しいと思ったけど。
リョウに一目惚れして、向こう見ずに結束バンドに入ったのと少し似ている。ひとりの気持ちを理解しながら、半ば無理やり申込用紙を出したのは……。
「来たぞ、SICK HACKだ……!」
観客の声にひかれて、郁三は顔を上げた。いつの間にか暗くなっていた新宿FOLTの中。ステージの幕が上がり、同時にリズミカルで内臓を揺らし、なのに心地いいベースの音。
そこからさらに音楽が耳をざわつかせる。きくりに紹介してもらったバンドメンバー清水イライザのギター、岩下志麻のドラムが心を狂わせる。
ジャンルはサイケデリックロック。電子ドラッグ、幻覚剤、麻薬……そうした日本どころか外国でも御法度な幻覚の視覚、聴覚、内臓感覚、触覚……ありとあらゆる感覚の再現を目指したミュージック、それをロックに応用したものだ。
実際、奏でる音楽は昨今の日本のヒットチャートでは決して見ないような音が聞こえてくる。正直、郁三の耳には強く響くものではなくて、あまり趣味ではない。
けれど……
(すっげー、てのはわかる)
STARRYのライブでも感じた、ライブハウス特有の閉塞感。耳だけじゃなくて内臓をごちゃまぜにするような振動。明滅を繰り返すカラフルな色々のパフォーマンス。SICK HACKのそれは素人目に見ても、圧倒的に尖っているのが分かった。
普段は泥酔して虹夏や星歌に抱き着くようなきくりが、泥酔してるのは変わらないけど、妖艶な恍惚とした表情で歌声を歌う。その声に会場は犯され、魅了され、虜になる。
右隣りに目を向ける。虹夏が無邪気な笑顔で、他の観客と一緒に飛び跳ねたりして楽しんでいる。
左隣りに目を向ける。ひとりは虹夏とは対照的で、それこそ虜になったように、食い入るようにステージを見つめていた。
よかったと思った。文化祭の件で思い詰めていた表情が、少し和らいだみたいだった。
(リョウ先輩は……大丈夫だろうな。絶対楽しんでる)
リョウを求めて後ろに振り向くのは、さすがにこの観客の中で紛れてはできないと思った。
(俺たちの初ライブは、数だけを考えればたった十人もいなかった。ここは最大五百人のライブハウス……)
バンドでライブに出る以上、少なからず目指す先には『人気バンド』の姿がある。経験を積んで、人気になって、多くの観客や世間の目に引かれる。
ひとりだって望んで結束バンドに入ったからそのことは理解しているだろう。けど……。
(俺は、体育館のステージっていうここを超える観客の前に、ひとりちゃんを引きずり出した……)
ライブの高揚と、心臓をひりつかせる罪悪感が、麻薬みたいに一緒にやってくる。
(でも俺は、どうしてもひとりちゃんに……)
SICK HACK最初の曲の名前は《ワタシダケユウレイ》。
(むしろもう、俺だけが幽霊だよ。ひとりちゃんを巻き込んで)
ライブは大盛り上がり。さすがにインディーズ人気爆上げのライブは、STARRYのライブとは違ったものがあった。
結束バンドの四人はきくりが招待したので、気軽に楽屋に入ることができた。虹夏は同じドラマーの志麻と、リョウはイライザと、各々話す中で、ひとりもきくりと互いのことを話し合っていた。
ひとりは「よかったらお姉さんも……文化祭ライブ、来てくださいっ」と、久しぶりにはっきりした声で言っていた。それは結束バンドの他の三人に確かに話したわけではないけれど、ひとりが決心を固めて、恐怖以上に楽しさのほうが勝った瞬間だった。
今度こそ、本当の意味で。結束バンドの文化祭ライブステージ出演が決定した。
────
新宿FOLTからの帰り道。下北沢へと帰る虹夏、リョウ、郁三。横浜方面に直接帰るひとり。けれど郁三は「渋谷に用事がある」と言って、ひとりと同じ方向の電車に乗った。
「喜多くんは、渋谷に用事があるんですか……?」
「うん。下北もいいけど、渋谷も洋服がいろいろ買えるからさ」
「渋谷……パリピ……ぅぅ」
「あはは、人が多いだけだよ」
郁三が渋谷に用があるのは本当だし、ひとりも横浜方面なので、二人とも渋谷で一度電車を降りる必要がある。
「ぁ、喜多くんそれじゃあ──」
「ごめん、ひとりちゃん。少し時間ある?」
「え」
で、二人で改札を出た。
渋谷だって探せば人の少ない場所はある。そういった場所を求めて数分。適当な路地裏の自販機の前にあたりを付けた。
「ごめんね、ひとりちゃん。時間もらっちゃって」
「あ、いえ……」
「なんか、飲みたいものある?」
「あ、じゃあ……サイダー、で」
「よしきたっ」
郁三はサイダーを一本手に入れた。
「え、喜多くんは……いろはす……?」
「いや、ちょっと罪悪感で。なんていうか、これを買わなくちゃならない気がして」
「は、はぁ……」
お互い、一口飲む。
一息ついてから、郁三は考えていたことを吐き出した。
「俺、ひとりちゃんに謝らなきゃいけないことがある」
「え」
「俺……ひとりちゃんが文化祭ライブに抵抗あるってわかってて、ひとりちゃんが捨てた申込用紙を出したんだ」
「……」
わかっていたんだ。当然、わかっていたんだ。
結束バンドを組んで、もう四か月。人と密に関わるのが好きな自分だから、ひとりの性格だってもちろんわかっている。
文化祭ライブに憧れがあったことも。でも、怖かったことも。
それでも、俺は俺の欲求に従ってしまったんだ。結束バンドに入った時と同じように。
明かさなければ、ごまかせたのかもしれないけれど。
「本当、ごめん……!」
真っすぐ、ただ真っすぐ、頭を下げた。見下げるほど小さな女の子に向かって。
非難されてもおかしくない。バンドに軋轢を生んでしまうかもしれない。
それでも、同じ轍を踏みたくはない。結束バンドに入った時とは違う、少しだけでも逃げないように。
そして、返ってきた言葉は……。
「あっありがとう、ございます」
「え」
頭を上げる。目の前には、柔らかい表情のひとりがいた。
「……嫌じゃ、ないの?」
わかっている。ひとりは、そんなことを言うはずがない。本当でも、嘘でも、どっちでも。
「も、もちろん、驚きましたけど……でも、出たい気持ちは、さ、最初からあり、ましたし……」
それもわかってる。
「きっ喜多くんが出してくれなかったら、今頃、『本当に良かったのかな』って思って、たかもしれない、です」
それも。
「だから……ありがとうございます」
「俺……謝ってばっかだな」
「え」
ため息を吐いて愚痴ってしまった。
ひとりは、自分の逆境をプラスにとらえている。もちろん郁三の暴走が原因ではあるけれど。
それなのに、自分は謝るばかりで。逃げてばかりで。他人に頼ってばかりで。
「ほんと、だっさいよな、俺……逃げたり、勝手に動いたり」
純粋に、かっこ悪いと思った。何のために「もう一度」と奮起して来たのかと、どうしたって嫌な想いが疼く。
けれど、ひとりはその通りだとは言わなかった。
「でっでも、喜多くんも……お礼言ってくれたこと、ありましたよ」
「え? そりゃ、ありがとうなんて日常会話だし。ってそうじゃなくて、俺は──」
「喜多くんが、結束バンドに戻ってきてくれた日、です」
「えっと、それって──」
脳裏に閃く光景。忘れるわけがない。それこそ、「もう一度」と奮起した日。
『ありがとう……ひとりちゃん!』
確かに、そう言った。
「あ……」
この子は、こんな自分を見てくれている。いたって普通の、いたって平凡な、代わり映えのない普通の自分を。今日観たSICK HACKにだって負けないくらい上手な、ひとりが。
「……ひとりちゃん」
「……はいっ」
謝るべきじゃない。逃げるべきじゃない。ここで言うべきことは。
「ひとりちゃん。文化祭ライブ、絶対成功させよう!」
「あっ……はいっ」
一緒に頑張ること。自分の言葉を否定する自分にならないこと。
(罪悪感がある。申し訳ないと思う。でも、俺は──)
SICK HACKにも負けないくらい上手いと思ったひとりちゃんを、大勢の人たちに知ってほしい。
結束バンドにはこんなにも輝いている人たちがいるって、知ってほしい。
そして、俺はそれを目に焼き付けたい。
希少で、非凡な、唯一無二に輝く人たちへのぼんやりとした憧れがあった。
リョウ、虹夏、そしてひとり。
この人たちに近づきたい。この人たちの隣に立てる、俺になりたい。