──12:57
「──それで、ひとりちゃんのことを聞きたいんだ」
昼食後の一休みの時間。オシャレで落ち着いた、喧騒の少ない喫茶店の中で、郁三は真剣な眼でひとりに聞いた。
「あっはい……それが元々、でしたもんね」
ひとりも当然、今日のこの鎌倉デートが成立した原因をわかっている。歌のクオリティを上げようとした郁三が大槻ヨヨコにアドバイスを求めて、それで郁三が「ひとりのことを知りたい」と初詣に誘ったことが発端だ。そもそも郁三は今日を《デート》とは思っていないのかもしれないけど。
ひとりは、ドキドキワクワクするデートのひと時を、少しだけ物足りないと思って……でも、他でもない郁三のために、意識を切り替えた。
「うん。俺はひとりちゃんのこと、この1年のことくらいしか知らないし。大槻さんに言われたように。歌の内面的なことを知らなきゃいけない」
「歌詞……」
作曲担当大臣、後藤ひとり。元々そんなつもりはなかったのだけど、虹夏に誘われるがまま担当大臣に任命されて、そしてリョウのアドバイスを経て自分らしい歌詞を書くようになった。
「ひとりちゃんの作る詩って、どういう意味があるの?」
「あっ……」
ただただ社会への鬱憤を書きなぐったとか、同級生に話してもらえないストレスだとか、できれば世界を救いたいだとか、ゼップでワンマンライブして「後藤様ー!」と言われたいとか。「どうして」と言われて真っ先に思いつく、そんな理由はなかなか郁三には明かしづらい。
「あっ聴く人が自由に解釈してもらえたらいいなっていうか……」
「そうなの? でも、俺はひとりちゃんがどう思ってるのか知りたいんだ」
(ああああ)
退路が断たれた。
「……」
手を、もじもじと動かしてしまう。指先が弦を触ろうと空気をなでる。
「カッコいいこととか、言わなくていいからさ。いつものひとりちゃんを知りたいんだ」
「いつものわたし……」
「そうだよ」
好きな人から「君のことを知りたい」と言われて悶えない人間がいるのだろうか。
(……わたしが、どう思って歌詞を書いてるか)
自分があまりにも陰キャで、人とのコミュニケーションをまともに取れないから、そんなうまくいかない、カチっと世の中にはまらない自分が嫌で、不満を──カッコよく言うなら、憤りを、冷笑を、憂いを──歌詞に乗せてきた。中学の頃の作詞ノートは中学2年生特有の妄想がマシマシな感じだったけど、今はとにかく自分の想いを書いた、という感じが強い。
自分の想いなんて、どす黒くて、いけ好かなくて、ちっちゃくて、かっこ悪くて。そんな嫌な形容詞が付くような言葉だった。
(でも──)
最初に《ギターと孤独と蒼い惑星》を書き連ねて、みんなに褒めてもらった時。こんな自分の歌詞が受け入れられるんだってわかって……自分の歌詞は、たくさんの否定の中にたった一つの肯定があって……そんなたくさんの否定そのものを肯定することで、結束バンドの歌詞は生まれている。
だから、リョウはひとりの恩人だ。
もちろん、郁三も虹夏も同じだ。
一曲一曲、書き連ねていく時に思っていたことを、感じていたことを、思い出す。
「いつも……何もうまくいかなくて……思い通りにいかなくて」
《ギターと孤独と蒼い惑星》。
「みんなが思う普通が、わたしはどうしても嫌で、とか……」
《あのバンド》。
「でもっ、こんなわたしだからできたものあるっていうか」
《忘れてやらない》。
「ほっ本当は『もっとこうしたいな』とか、ほしいものが、一緒にいたい人がいる……とか」
《星座になれたら》。
「一緒にいたい人?」
「あっひっ」
言えないことだってある。本当で嘘のことを言った。
「結束バンドの……みんな、です」
「そっか。嬉しいなぁ」
「……はいっ」
嘘で本当のことだ。
「あっ少しでも……参考になれば、いいんですけど」
「正直に言うとね、まだわからないんだ」
「……」
「俺も、不満がないわけじゃないけど……じゃあ、そこに何かを込められるとは思わなくて」
「そ、そうなんでしょうか」
「もちろん誰でも歌詞が書けるわけでもないだろうし、誰でもすごいことができるわけじゃないけど」
「き、喜多くん……」
「まあ、まだ聞き足りないことも、知りたいこともたくさんあるし」
「……喜多くん?」
「そろそろ行こうか。もっと、ひとりちゃんと遊ばないとね」
珍しく、郁三が何も言わずに立ち上がった。その目は……
「次はどこに行く? 鶴岡八幡宮なんてどうかな!」
「あっい、いいと思います……」
ひとりも郁三にならって、けど緩慢に立ち上がって。会計を済ませようとする背中を追う。
ひとりは虹夏を、リョウを、郁三をよく見ていた。そして郁三のことは、文化祭以降ことさらによく見ている。いろんな恥ずかしさで体が変形したり爆発したりしたってその空気は肌で感じていた。
だから、今この瞬間の郁三に。少しだけ違和感があった。
(喜多くんが……思い詰めてる?)
──13:34
「小町通りか……御成通りと比べると人の数が段違いだな……」
「人……多い……やばい……」
鎌倉駅東口の入り口。虹夏とリョウは二人揃って辟易した。
昼を過ぎた時間。通りは一層活気づいて、子供に大人に外人に、老若男女、国籍問わずたくさんの人で溢れている。
虹夏が隣を見た。リョウの顔は結構げんなりしていた。この人の規模は虹夏でもちょっとためらうくらいだ。リョウが顔はともかく、姿勢まで全力で拒否しなかったのは褒めていいくらいだ。
「……やめとこうか?」
虹夏は聞いた。さすがに可哀想だと思う顔のひどさだった。
けどリョウは珍しい挙動で、軽く自分の頬を叩いて、そうして虹夏を真っすぐ見つめて。
「……頑張る」
一言だけ喋った。
「頑張るって……」
「頑張りたいの。無理したい」
「あ、遊びに来て『頑張る』って……」
違和感を感じる虹夏。やっぱり、今日のリョウは少しおかしい。
「『好きなようにしていい』って言ったのは虹夏でしょ」
「そんなこと──」
「忘れてやらないよ。私の部屋で、そう言った」
「それ、作曲のことなんだけど」
「……とにかく、いくよ」
「でも、この人込みじゃすぐ僕ら疲れるって」
「……私が、やりたいようにするの」
「待ってよ、リョウ──」
ズンズン進むリョウの後ろを、虹夏が慌てて追いかける──のだけど。
開始5分でリョウは限界を迎えた。
「……やっぱりむり!」
「そんなことだろうと思ったよ」
通りの脇道の手ごろな縁石に座って、リョウはぐずついた。それに呆れる虹夏がいた。
「ほら、アイスクリーム。溶けないうちに食べなよ」
「……もらう」
「それと鳩サブレと、豆のお菓子。袋もいくつか貰ったから、リョウの御両親にも渡してあげて」
「ん……」
「さて、僕も休もうかな。少し疲れちゃった」
虹夏はリョウの隣に腰を下ろした。
「ちょっとだけ休憩して、ソフトクリーム食べたら、またカフェに入ろう」
「でも、朝も昼も休んだけど」
「いいんだよ。そもそも僕ら、はしゃぐのが得意な人種じゃないしね」
「……ここで休んでもいいけど」
「リョウの服が汚れるでしょ」
「……」
リョウが下を向いて、けれどソフトクリームを食べることをやめない。舌に絡んだ甘い味が、冷たい。
虹夏も隣でソフトクリームを食べている。他にもお土産を大量に買ってきたのに、その上で両手にソフトクリームを持って来るんだから大したものだった。
ソフトクリームは、放っておくと溶けてしまう。少し無口になる。
リョウは、ちらりと隣の虹夏を見た。
リョウは、いつも虹夏を見ている。虹夏の感情の機微は、結構わかる。
(朝は……結構動揺してた)
江ノ島電鉄で行こうと言った時も驚いてた。古着屋を巡ると言った時は安心してた。たぶん、いつも通りの私だから。
「にじか」
「うん?」
「今日、楽しい?」
「うん。楽しいよ。リョウは?」
「楽しいよ」
「本当にぃ? 無理してギブアップしてるくせに」
「……」
楽しいよ。いつも通りに、昔みたいに虹夏が私を見ていて、私だけを見ている今が。
疲れたよ。普段の私と違うことをして、少し趣味の違う服を着て、いつもと違う虹夏と一緒にいて。
恥ずかしいよ。そもそもデートなんて言葉を使う自分に驚いたんだから。私が着たい私らしい服じゃなくて、虹夏が可愛いって言ってくれるかなって思う服を選んでみて。
「……」
「ねえ、虹夏」
「なに?」
虹夏は、私のことをどう思ってるの?
「……なんでもない」
「なんだよー」
「……甘いもの食べたら、元気出た」
「そう? ならよかった」
「そろそろ行こう」
「あっちょ、僕まだ食べてる途中!」
「歩きながら休めるとこ探そう。それで休んだら……」
「うん、鎌倉の本丸だね。鶴岡八幡宮だ」
────
鶴岡八幡宮も鎌倉の有名どころだから、人は呆れるくらいに多かった。でも小町通りに比べれば、境内はあまりに広いからいくらか解放感がある。
「……ひとりちゃん、大丈夫?」
「あっ……はい、生きてます……」
「それは大丈夫と言えるのかな……」
ひとりが再び死にそうになっていて、郁三は肩だけ貸して本宮からの帰り道を歩く。
鶴岡八幡宮の階段は、江ノ島に比べてそこまで多いわけじゃない。けれど階段は急勾配で、一段一段歩くのにもひとりは大変だった。そこで郁三がまたイケメンに手なんて貸すものだから、周囲の人たち特に女の人たちがキャーキャー言ってたのも、ひとりからすれば余計にドキドキしたし疲れた。
境内の参道は幅がたくさんあるのに、そこにすべて人が埋まっている。砂利の上を歩くしかない。
重くなる足取り。
「ひとりちゃんは何をお願いしたの?」
「……未確認ライオット、グランプリです」
「俺も同じだ」
本当は、『ずっと喜多くんと一緒にいたい』と願ったなんて言えるわけがない。
「神社はどこも人が多いね」
「で、ですね……」
「日本ってさ、外国に比べると信仰心って薄いじゃん? なのに皆こぞって初詣とか行くんだろうね」
「で、ですね……お願い事もたくさん」
「そうだよね。どれだけ神様を信じてたって、そうじゃなくたって、願い事はたくさんあるんだ」
「……喜多くん?」
「うん?」
肩を貸してくれる郁三の顔が近い。心臓が飛び跳ねて口から出そうだ。
でも、それ以上に……
「きっ喜多くん……さっきのじゃ、まだ納得しませんか?」
さっきの。つまり、喫茶店での歌詞についての話。
郁三との二人きりの時間は、ドキドキする。ワクワクする。ほかほかする。ドキドキする。ドキドキする……。
でも、それ以上に郁三のことが気になる。郁三が、今心から楽しめないような悩みを放っといていいとは、とても思えなかった。
郁三は少しだけ顔を硬直させて……そうして諦めたように笑った。
「ひとりちゃん、相変わらず鋭いなぁ」
「えっ……」
「ごめん、嘘ついた。本当は、『歌が上手くなりたい』って願い事だった。もちろん、グランプリもだけどね」
「……も、もうわたし、大丈夫ですから」
「そう?」
郁三とひとりは、人一人分距離を開けた。
「ひとりちゃんの前だと、嘘ついてばっかりだなぁ。かっこ悪いよ」
郁三が思い出す場面はいくつかある。
ひとりが郁三を結束バンドに呼び戻した日。多弦ベースだと気付かなくて死に物狂いに練習したことを見破った。
結束バンドで《SICK HACK》のライブを観に行った日。あの日郁三はひとりに嘘をついた……わかってて文化祭ライブ出演申込書を提出したこと。
ずっと、リョウやひとりや虹夏、特別な人たちの横に並びたくて頑張ってきた。実際頑張って来たと思うし、成長した実感だってある。
けどその度に、問題が降りかかってくる。
ぽいずん♡やみが来て、ボーカルの問題ができた。
いつも、自分はみんなの後ろにいる。
「かっこ悪い」と、そう自嘲する郁三を見て、ひとりは口の中で歯が動く。
そんなことはないと、言いたい。郁三はカッコいいんだと言いたい。けどそんな言葉は恥ずかしくて言えないし、言えたとしてもそれで郁三を慰められるとは思えなかった。
だから、どうすればいいんだろうと考えて……。
ひとりは言った。
「うっ嘘をつくことがあっても、いいと思います……」
「それって──」
「カッコよくなくたって……喜多くんは喜多くんだから」
そう。きっと、自分はカッコよくて郁三を好きになったんじゃない。ずっと、変わらずに自分を見てくれたから……。
「きっとみんな、カッコいいから喜多くんが好きなんじゃなくて。喜多くんだから、し、慕って、るんだと思います」
「ひとりちゃん」
「だから……いつもの喜多くんを知りたい、です」
「いつもの俺を……」
「そっそうすれば……もっと、歌詞だって共有できるかもしれないから」
郁三がいつものひとりを知りたいと思ったのは、ひとりが書く歌詞の魂を知りたいから。
ひとりがいつもの郁三を知りたいと思ったのは、郁三が魂を込めて歌えるように助けたいから。
「それじゃあ……もう少し、落ち着いて話せるところで話そうかな」
郁三は時計を見る。
「もう歩かないからさ。もうちょっとだけ、俺の我儘聞いてもらっていい?」
「あっはい」
時間的にも、ひとりの体力を考えても、もうたくさん歩き倒すのは難しくなってきた。
けど、せっかくなのだから。
「さあ、行こう……人力車だ!」
────
虹夏とリョウは、たまたま見つけた喫茶店でまた小休止をはさんでから鶴岡八幡宮へ向かった。
朝の待ち合わせ、午前中の古着屋巡り、昼食と午後の小町通り。リョウも虹夏も、お互いがいつもの感じじゃないことをわかってる。
虹夏はそれがどうしてなのかわからなくて、リョウが「デート」という言葉を使うのがずっと引っ掛かってて、その話を出すのに気が引けていた。リョウは自分がやってしまったことを理解していて、あの時の自分を張っ倒したいくらいには動揺していて、そして今、楽しい気持ちとどうしていいのかわからない気持ちがある。
お互いがそういう風に思って、なんか気持ち的に動けない結果、なんか普通の楽しい時間になっている。けれどお互いどこか気恥ずかしいのは変わらない。
途中もう一回休憩に入ったカフェでも、「今日は学生のカップルさんが多いね」なんて壮年のマスターに言われたりして、いつもだったら虹夏は笑って流すのに今日は顔を赤くするしかない。リョウの「デート」発言があったから。リョウも顔を赤くしない代わりに耳を滅茶苦茶赤くするしかなかった。
なんだかんだ二人とも、核心には触れないでここまでやって来た。
「鶴岡八幡宮……来たねっ。鎌倉の本丸!」
「人……多い……」
「リョウ。さすがに小町通りよりは空いてるからね……?」
境内へ入る。大鳥居を礼をしながら潜る。左右の池を散策して、ぶらりぶらりと。
鶴岡八幡宮の本宮までの道のりはほぼ一本道。鎌倉駅から北に2キロ程度。開いた景色の、鎌倉の標高の中では低い場所にある。けど周囲に高くて大きい建物が少ないことと、森林に囲まれて、参道の向こうが由比ヶ浜海岸に続いている景観が、高台の上のような、親密で厳かな空気を出している。
「どこの神社も、やっぱりいい空気だね。こういうところならたくさん旅行したいな」
「……私は勘弁」
参道を歩いて、大階段を上って、本宮の中へ。人がたくさんいる。
人込みの中、ちゃんと並んで参拝した虹夏とリョウ。
リョウは、もう疲れに疲れた。小町通りで音を上げて、一端喫茶店で休憩できたとはいえ、久しぶりの遠出。慣れないこともして、リョウの体力は遠慮なしに削られていく。
階段を下りる頃には、もうやけくそ気味だ。
「お願い事は何にした?」
「……お金が欲しい」
「僕は未確認ライオットのグランプリ」
「だと思った」
疲れて思考が少しだけ投げやりになったリョウの答えは、正直で緩慢だ。
「……お金は何に使うの?」
「……エフェクター」
「まずは喜多くんに返しなさい。少しは結束してよ、結束バンドなんだからさ」
「何の話?」
「僕だけじゃなくて、喜多くんもぼっちちゃんがここにいたら、グランプリのこと願掛けしてくれるよ」
「……たぶん。違うでしょ」
きっとひとりは郁三と一緒にいたいとか付き合えるようにとか。
郁三は確かに能天気にグランプリのこと願いそうだけど、最近はボーカルで悩んでる。
虹夏だって、そうでしょ。ずっと悩んでること、あるもんね。
私だってそうだよ。お金のことなんて、今は思ってないよ。
でも、きっとみんな虹夏の言う通り、グランプリのこと願ってるよ。他のお願いと一緒に。
寂しくて、口に出た。
「……ちゃんとグランプリも祈ったよ」
リョウは思ったことを正直に言った。一番言いたくて言えないことに蓋をして。
そうしたら、虹夏が清々したように笑ってリョウの顔を覗き込んできだ。
「だと思った。ようやく少し正直になってきたね」
「え?」
「今日、ずっとぎこちなかったでしょ」
「……それは」
「今の方が、少し投げやりな感じがリョウらしいや」
「……」
リョウが何を思っているのかを分からずに、虹夏は一心地ついたように笑っている。
別に虹夏は頑張ったわけじゃない。いつもと違うリョウを目にして、戸惑ってしかいられなかった。
でもその戸惑うことが、虹夏にとってはこの上ない違和感で、人込みの多さよりも疲れる原因だった。
だから、虹夏も結構疲れている。そして、リョウが疲労のせいで張っていた肩を緩めた時……虹夏も、リョウのことをある種警戒していた自分をばかばかしく思って、頭が少し空になった。
考えるべきことを考えないで。気ままに言いたいことを言った。
「自然体のリョウの方がいいって。肩肘張らないリョウが、僕は好きだよ」
「──」
その『好き』は、私が欲しい『好き』じゃない。
虹夏がまた、頭をなでる。
心地よくて、気持ち悪い。
リョウの足が止まった。大鳥居の前、境内のと境外の境界線。
「……リョウ?」
「これだけやってもダメなの?」
「え……」
「その『好き』はどういうことなの?」
「それは──」
「ぼっちとは違うの?」
「え──」
「あ──」
お互い……生唾を飲み込んだ。
乾いた空気が流れた。参道を進む人たちがいる一方で……虹夏とリョウの時間が止まる。
「……」
「……」
二人とも「しまった」と思った。リョウは思わず言ってしまったこと。虹夏は確定的にばれてしまったこと。
虹夏の目線がリョウを見て。そのリョウが自分を見ずに目を伏せていることにかまけて、目線を滅茶苦茶に右往左往して。
顔が熱くなるのを感じて、喉がカラカラになって。
「その、いつから……気づいて、たの?」
「……」
「……あの、リョウ」
「……」
「な、なんか、言ってよ……」
「……」
リョウは口を開かない。口を開けない。
怖い。これから
そんな態度のリョウを見て、虹夏は諦めたように、力なく、肩を落として。
そして、こう思った。リョウは教えてくれるまで口を開かないって。
「……わかった。白状するよ」
「──っ」
リョウの言葉は、ほとんど反射的に飛び出たものだった。決して、言いたくて言ったわけじゃない。虹夏が聞かれたくなかった
だから、リョウは虹夏に喋ってほしくて沈黙を貫いたわけじゃない。
だから嫌だ、その先は──
「僕はぼっちちゃんのことが──」
「やめてっ!」
なんだかんだ二人とも核心には触れないでここまでやって来た。
だから、
────
ひとりと郁三は、見つけた
鎌倉駅徒歩数分圏内から少し離れると、途端に道を歩く人の数は少なくなってくる。神社仏閣は鎌倉のいたるところに点在しているけれど、どうしたってバスや人力車に頼った方がいい。歩いていこうとするのは変わり者かもしれない。
体が揺られて、時々郁三とひとりの肩が触れる。人力車は二人乗り。どうしたって相席しなきゃいけない。ひとりはひたすら緊張していた。郁三はひたすら景色を楽しんでいた。
そうして目的地の近くまでやって来て降りて、数分歩いて。
到着した先の寺院は、竹林の中にあった。
「……ここまで駅近から離れれば、さすがに人がいても少ないね」
「きっ喜多くん、ここは……」
「鎌倉に行くって決まってから、いくつか面白そうなところは調べてたんだ。本当に行くかどうかはわからなかったけど、ゆっくり話したいならちょうどいいと思うし」
冬だから、もう太陽が落ち始めている。午前中は良い具合に晴れだったけど、だんだんと雲も多くなってきた。良い意味で寺の敷地の中が暗くなってきている。
拝観料を払って本堂の先に進む。寺院の庭はそのまま竹が群生している。車の音も何も聞こえない、風の音だけが聴こえる場所だ。
拝観できる敷地はそこまで広くない。適当に散策して、そして休めるベンチを見つける。二人してそこに座った。
「……俺、自分で言うのもなんだけど、無難に生きてきたと思う」
「無難に……?」
「勉強も運動も。それでいろんな友達が慕ってくれたけど……何かが特別秀でてるわけじゃないんだ」
ヨヨコが勧めて、そうして郁三がひとりと遊びに行くことを決めて。ひとりが鎌倉行きを決めて、ひとりの言葉で、郁三は自分のことを話す。
スポーツ大会で優勝したわけじゃないし、勉強で1位をとったわけでもない。そんな普通の自分を。
「俺は普通だよ? みんなすごいとかなんとか言うけど。モテモテだとか言うけど、生まれてこの方恋人だってできたことないんだよ?」
「あっ、えっ……そうなんですか……!?」
周囲の耳の良い人たちは思った。そんな可愛い女の子連れて自慢にしか聞こえねぇよクソボケ。
「結束バンドに入って、みんなから許してもらってさ。もちろんリョウ先輩に一目ぼれしたってのもあるけど」
周囲の耳の良い人たちは思った。てめぇ二股かよ。キープかよ。ふざけんじゃねえよクソボケ。
「……言ってましたもんね、最初の時」
「でも、そんな俺でも普通じゃない、特別な道を歩けるなら……みんなに近づきたいって。リョウ先輩に、虹夏先輩に、ひとりちゃんに」
郁三も大っぴらに人に話したいとは思わない。けど、ひとりには言えた。
「喜多くん……」
「もちろんギターは上手くなった。感謝してるし、誇ってる。でも……」
郁三の中にずっとあった迷い。こんな俺でいいのか、という想い。
歌詞の意味が理解できなくても、せめて自分なりにひとりに共感して魂を乗せられるなら、と思った。
でも、理解はできなかった。もともと性格が正反対だからとか、男女だからとか、そんな理由でじゃない。
むしろ、等身大の女の子だと思った。その女の子が抱える歌詞に、ここまでの魂が乗っているのに……と思った。
だから……。
「俺は結束バンドのボーカルなのに……向いてないのかなって思う」
「……」
ひとりの前にいる郁三は、確かにひとりと似ていた。
自信がなくて、行動できなくて、迷って、弱気になる。そんな姿を見て、ひとりは思い出した。文化祭ライブで猫背になってギターをかき鳴らす郁三に、自分を重ねてみた時のことを。
今日、ひとりは郁三と二人きりの時間を楽しみたいと思っていた。郁三の力になりたいと思っていた。
「大槻さんみたいに伝えようとする意志もないし、先輩たちみたいにずっと音楽が好きでやって来た下積みもないし、ひとりちゃんみたいな情熱もない──」
「あっあのっ」
力になりたいから、ひとりは精一杯声を出した。
「おっお互い真逆の人生だったから、わたしの歌詞に共感するのは難しいかもしれないですけど……でっでもわたしたちも共通点はあります」
「え?」
そうだ。自分と郁三にだって、似ているところはある。性格が正反対でも、行動パターンが正反対でも。
「喜多くんもわたしも、『バンドを通して自分を変えたい』って思ってます」
人間って、みんな違う。みんな同じ。
だからわたしはずっと鬱屈を抱えてる。これからも。
「なっなのでわたしにとってその感情が共有できれば……歌えない、なんてことはないと思うんです」
「そう、なのかな?」
「き、きっとそうです……それに」
カッコいい喜多くんは。わたしが好きな喜多くんは。わたしと同じで、わたしと違う所がある人だから。
「喜多くんみたいな人生を送ってきた人だからこそ、届けられるものってあると思います」
そして、リョウが言ったことがある。
「ばっ『バラバラな個性が集まって、ひとつの音楽になる』んだと、思います」
わたしみたいなド陰キャがいてもいいように、普通の人がいてもいいんだって。
歌詞の意味が分からなくても、同じ目標を持てるのなら。
それが、バラバラな個性を結ぶ目になる。
「……ひとりちゃん」
歌詞の意味はわからなくても、ひとりの今の言葉はさすがにわかった。
わからないことは多い。結局、歌詞の意味は分からず終い。
でも、これ以上ないくらい分かったことがある。
俺でも、魂は乗せられる。魂を乗せていいって。
「頑張るよ。俺も俺らしく」
「あっ……はい!」
郁三は立ち上がった。
「さあ、そろそろ帰ろうか?」
「あっはい」
「さすがに疲れたね。そろそろ行こうか」
「あっはいっ」
また、郁三が前を歩く。寺院を出て、待ってくれていた人力車の車夫に礼を言って、再び行く。最初に人力車に乗った場所まで。
今度はひとりも、少しだけ景色を楽しむ余裕があった。
ひとりとは違うから、と悩む郁三に、ひとりは「自分と郁三は同じだ」と言った。
そして。
(同じことは、もう一つあると思います)
わたしも、喜多くんも。
(誰かのことが好きで……その人に振り向いてほしくて、頑張ってる)
────
「僕はぼっちちゃんのことが──」
「やめてっ!」
急なリョウの一言に、虹夏も、周囲の人も、肩を震わせた。
周囲から人の声が途切れる。
事情を知るはずのない、道路の車の騒音だけがうるさい。
「……え。なっど、わ、な──え?」
虹夏の舌が回らない。頭も回らない。
え、どういうこと?
なんで、そんなことを……?
どういうこと、リョウ?
わからない……。
「……」
口に仕掛けた中途半端な言葉の全部が、今のリョウに言ってはいけないような気がして。
顔を下に向けて、自分に目を合わせてくれないリョウが。
「それだけはっ、言わないで……!」
「え、と……」
リョウの叫ぶ声を、たぶん、初めて聞いた。
どうして。
ひとりを好きなことを、知っていたんだろう?
だから『ぼっちとは違うの?』なんて言ったんだろう?
なのになんで『言わないで』なんて言うんだ?
「……リョウ」
リョウが、目を合わせてくれない。
こんなことは今までなかった。
「……なん、だよ」
ずっと、リョウと一緒にいた。
こんなことは今までなかった。
ずっと、リョウはダウナーにテキトーに過ごしてきたのに。
こんな必死なリョウは見たことがない。
(僕がそれを言って、リョウになんの──)
閃く言葉があった。
『喜多くんのことが……すすすっすきなんです』
「え──」
想像もしなかった可能性が、虹夏の脳裏をよぎった時。
「リョウ先輩? ……虹夏、先輩?」
虹夏と、そしてリョウが肩を震わせた。
リョウの叫びは、周囲の人の足を止めた。だから道路に面していて見通しやすいその空間は……多くの人にさらされることになった。
一瞬の叫び声が聞こえなくても、人の流れが止まれば違和感になって、鋭い人間は簡単にその中心を見分けられる。
そして虹夏とリョウに声をかけたのも、周囲に気を配って、鋭くて、そして困っている人を放っておけないような奴だった。
声をかけられたのは虹夏の後ろから。一秒先に虹夏より早くその人を目にしたリョウがこれ以上ない驚愕の表情を浮かべて、虹夏も振り向く。
言葉を失った。
「喜多くん……ぼっちちゃん……?」
そこにいたのは、虹夏の好きな人。そして虹夏の好きな人の、好きな人。
X年後……ファン1・2号による結束バンド恋愛アンケート
Q8 想い人の苦手なところは?
ひとり「まぶしすぎてわたしが灼かれます」
虹 夏「強いて言うなら……時々変形するところ?」
リョウ「朴念仁」
郁 三「すべてが素敵です!」
《小さな海》を、誰に向けて歌いたい/演奏したい?
-
ひとりちゃん
-
虹夏くん
-
リョウさん
-
郁三くん
-
虹夏ちゃん
-
郁代ちゃん