喜多郁三と大槻ヨヨコは新宿のカラオケボックスに入っていた。
学校終わりの夕方から夜にかけてのこと。二人はお互いに了承して狭い密室に押し入った。
理由は単純明快で、郁三がヨヨコにボーカルについて教えて欲しいというもの。男女が二人でカラオケボックスに入ったとなれば、世の中には
でも郁三にそんな気は微塵もない。ボーカルもギターも自分の先を行く先人で、年も近くて割と気軽に話せる相手。そういう意味で誘った──というよりお願いした。
だからこれはデートじゃない。
ヨヨコもそんな気は微塵もない。いけ好かない後藤ひとりが所属する結束バンドのボーカルが、クリスマスに引き続いて自分を頼ってきた。ちょっと嬉しい。別に喜多郁三はタイプじゃない。でもちょっと嬉しい。学校終わりで忙しいっていうのにどうしてこんなことに付き合わなきゃならないのか。でもちょっと嬉しい。中学までは浮いてたんだから男のしかも陽キャなんて慣れない。でもちょっと嬉しい。
だからこれはデートじゃない……!
と、二人は若干すれ違った心境でカラオケボックスにいた。
郁三は流行の曲をいくつか歌って、頼んだジュースで喉を潤した。その次は、特に何を歌うか決めてない。
郁三はヨヨコに問いかけた。
「どうかな……大槻さん」
「そうね……」
ヨヨコは腕を組んだ。あくまで平静を装って。
「前に聞いたのはクリスマスのライブだけど。その時よりはよくなったんじゃない?」
「そっか」
「ふぅん? 予想してた返答みたいじゃない」
「大槻さんから教えてもらったよね。歌詞のことや作詞者のことを考えるといいって」
「そうね」
「それで、結構ひとりちゃんとの時間を作ったんだ。実際、ひとりちゃんが何を考えているのか、とかも聞いた。それで
「そう。まあ私のアドバイスだし。当然よね」
「それでひとりちゃんと一緒に遊んだんだけど」
「そう。え? 遊んだ? 後藤ひとりと?」
「うん? そうだよ?」
「歌詞のことを聞くんでしょ? それがなんで遊ぶ遊ばないの話に」
「ひとりちゃん引っ込み思案だし。地元に少しでも近い方がリラックスできるかなって。そしたらひとりちゃんが鎌倉を提案してくれて」
「……」
それってほとんどデートじゃない。ヨヨコは思った。
「いつもはひとりちゃん、知っての通りピンクジャージだけど。その日はすごいオシャレしててさあ」
「……」
それって気になる男子に会うためにオシャレしたってことじゃない。ヨヨコは怒った。
「あ、貴方ねぇ! 後藤ひとりがいながらなんで私なんかに頼んでんのよ!?」
「え? だってひとりちゃん、ボーカルに関しては教えられないっていうし」
「とはいえねぇ!? 限度ってものがあるじゃない!?」
郁三は至極真面目に返した。
「でも……俺の声のことを、技術も含めてわかってくれるのは大槻さんだけなんだ」
「……!」
その時、ヨヨコの脳内にあふれだした妄想。
──俺のことをわかってくれるのはヨヨコだけなんだ。
──し、仕方ないわね。特別、なんだからね?
「って、なんで私が振られても未練がましく元カレを想ってる女みたいになってるのよー!?」
「大槻さんってひとりちゃんと似てるなぁ」
大槻ヨヨコ。変わらないコミュ障だった。
「はぁ、はぁ、それはともかく、私たちだって未確認ライオットに出ることに決めたんだから。あまり敵に塩を送りたくないんだけど」
「お願いしといてなんだけど、ならどうして教えてくれるの?」
「べ、別に結束バンドが上手くならないと私が出た意味がないなんて思ってないんだからね」
大槻ヨヨコ。変わらないツンデレだった。
郁三は男女の機微はともかくとして、人を見ている。ヨヨコも、自分が頭を下げたことにちゃんと向き合ってくれているのだとわかってる。
だから、郁三は本心を言った。
「いいんだ。それがどんな理由であっても、大槻さんが助けてくれるなら、こんなに嬉しいことはないよ」
「……っ」
──ヨヨコがそばにいてくれるなら、それだけで俺は嬉しいんだ。
「な、なぁに言っちゃってくれてんのかしら喜多郁三!?」
「え? 俺はありがとうって気持ちを……」
「女の敵! 女の敵よー!」
「……」
打ちのめされた郁三だった。
閑話休題。
「はぁ……はぁ……で、ともかく……声量も伸びてるし、多少なりとも感情を表そうとする意識を感じるし。成長してるって意味では悪いことはないと思うけど?」
郁三と同じくジュースで心を整えたヨヨコは言った。
最後に郁三のボーカルを聞いてから約4か月。成長している。これはヨヨコの忌憚のない意見だ。
「言わせてもらうなら、なんか切羽詰まってない? 音程だけの真似事に比べればいいとはいえ、余裕がない」
「余裕がない、か」
「後藤ひとりが作詞した曲、見せてもらったし聴かせてもらったけど、鬱屈してながらも純粋にそれを吐き出したい、ぶつけたいっていう心が見える。切羽詰まって逃げ足で吐き出した言葉じゃない。夢中になってる感じがするのよ」
「そうかもしれない」
「貴方は、今度は雑音だらけに感じるけど?」
「……」
さすが大槻さんだと郁三は思った。
同世代、同じ学生。とはいえ実力は天と地の差を感じる。これで「学生のトップレベル」だというのだから、本職でプロとしてやっているミュージシャンとはどれほどの差が開いているのか、と思ってしまう。
そして、結束バンドの現状なんか何一つ話していないのに、こっちの心境をピンポイントで当ててくる。
「歌詞のこと、ひとりちゃん自身のことを話して、性格が全然違うからお互いのこと共感できないかもねって。でも『自分を変えたいって気持ちは同じだね』っていう話をしたんだ」
「それはいいことじゃない。共感しなきゃいけないわけじゃないし、理解しようとする気持ちが大事だから」
「でも……またわからなくなっちゃったんだ」
「それは……?」
郁三は顔を俯かせた。
数日前、ひとりと次子の教室での話を聞いてしまった。
その時に聞いた言葉は……今でも郁三の心に刺さってかえしがあるみたいに抜けない。
ひとりは嘘をつけない。調子に乗って誇張することはあっても、それは妄想の中だけ。悪意を持って誰かに嘘を吐くことはない。
それに、ひとりと次子の空気は明らかに真面目で真摯なそれだった。
ひとりは嘘をついていない。
──そっそれでも……わたしが喜多くんを好きなのは変わらないから。
──《星座になれたら》、覚えてますか。
──あっあれがわたしの、喜多くんへの気持ち、なんです。
それは、友達として……だよね?
そんなわけが、ないよね?
だって、そんな。
いや、違うだろ。
嘘なわけがないだろ。
あれが本心だってわかるだろう。
言葉が苦手なひとりちゃんだから、目に見える俺を見る表情が、全てを物語ってただろう。
隣にいるさっつーがひとりちゃんを見る眼。昔、何度か見たことのある眼。さっつーとも交流があって、本当に俺を好きだと言ってくれた女の子の友達のことを話すときの眼。
俺は、ひとりちゃんになんてことをしてきたんだろう。
リョウ先輩のことを好きだとずっと、目の前で言ってしまっていた。
ずいぶんと、酷いやつだ。
「……珍しく黙るわね、喜多郁三」
「そういう風に、見えるかな」
「見えるわね。何があったか知らないけど」
「……友達を裏切った、って言えばいいのかな」
「なるほど。それは確かに最低ね」
「……」
郁三の中のリョウを想う気持ちに変化はない。結束バンドを想う気持ちにも変化はない。
けど、迷いが生じてしまった。ただでさえ、リョウに対してこのままでいいのか、本当にそうあってほしいリョウが自分と一緒にいるリョウなのかと自問自答しているときに。
自分の行動がひとりを傷つけているのだと、理解してしまった。
ひとりと次子と話した後にこうしてヨヨコに指導をお願いしたのは、そのひとりと一つの約束をしたからでもある。そのために、郁三は今こうして、ある意味平凡に結束バンドとしての腕を磨こうとしている。
なのに、わからない。
(俺は、いったい何のために頑張って……)
ずっと、かけた迷惑を償うために、許してくれて、支えてくれた仲間に報いるために頑張ってきたのに。
その結果が、誰かを傷つけたのか。
「後藤ひとりでもないくせに、ずいぶんと辛気臭い顔をするのね」
止まらない思考を遮ったのはヨヨコだった。
「貴方は喜多郁三でしょう。後藤ひとりの真似をしたところで、後藤ひとりの思考なんてわかりっこないと思うけど」
「……そんなの、もちろんわかってるよ」
「ならどうして何も動かないのか、私には理解できないけどね」
郁三は顔を上げた。目の前には、いつもの睨み癖が治らないヨヨコがいた。
「少なくとも、貴方が歌詞に共感しようという姿勢を示したのなら、考えるのは《次》なんじゃないの」
「それって?」
「じゃあ聞くけど、貴方は何者なの?」
「……秀華高校2年、喜多だけど」
「違うでしょ、そうじゃないでしょ」
「結束バンドの一人で、ひとりちゃんの同級生で、先輩たちの後輩で……」
「まどろっこしいわね! なぞなぞやってるんじゃないっての!」
ヨヨコはマイクをとった。
「あーもうっ! じゃあ
「……友達?」
「とっ友達っ……!?」
ヨヨコはときめいた。
「て、そーじゃなーい! 私たちの関係性じゃなくて私たちの属性を聞いてんのよこの朴念仁!」
「朴念仁……」
郁三はしょげた。リョウにも次子にも、いつだったか虹夏にも言われたことだった。朴念仁。
「俺たちは……ギター&ボーカル」
「そうよ! やっと言ったわね、あーすっきりした!」
「な、なんかごめん」
「で、よ。私たちはボーカルなのよ。ギターはひとまず置いといて」
言葉通り、架空のギターを一度そばに置いて離れる素振りを見せたヨヨコ。感情が体に出るタイプらしい。
「プロだろうがアマだろうが、上手だろうが下手だろうが、私たちはアーティストなの。それは紛れもない事実だし、言い訳して逃げられることでもないでしょ」
「……」
「こういう時、私たちはどうするのよ。この鬱屈とした気持ちを、煮えたぎるような後悔を。叫びたくなるような悲しさを」
「……歌で、表す」
「そうよ。それが絶対的な事実で、迷うことなくすべきことじゃないの」
それは、今まで考えてこなかったことだった。
決められた音程を守ることを考えて。
歌詞や曲に込められた意味や歴史を考えて。
そうして今、自分が何のために歌うのかを考えて。
どれだけ拙くても、自分は表現者なんだと、理解する。
「迷った時ほど、肩書を持つ人のやることは単純じゃない? なにか人間関係で問題があって、その人に言葉で伝えられないんなら尚更ね」
「……」
「だから聞いてるのよ。
「……自分のために、歌っていいと思う?」
「逆に貴方、今まで何のためにロックやってたのよ」
「俺自身のためじゃない。みんなのため、だった」
もちろんはじめはリョウに一目惚れしただけの勢いで、その後は自分がしてしまった失敗の埋め合わせ、償いみたいなものが大きかったけど。
いつからか。ひとりが、リョウが、虹夏が、こんなにもすごい人たちなんだと、知ってほしいと思うようになった。
「……それは確かに貴方の気持ちとして一理あるかもしれない。でもやっぱり、貴方のことがわからない」
「……」
「みんなのためって、例えば後藤ひとり? じゃあ、貴方の歌で『後藤ひとりはこんなにすごいんだ』って言って──その主張がみんなに届くと思うの?」
「……届かないの、かなぁ」
「少なくとも、後藤ひとりは貴方がいなくてもギターで自分の力を発揮できてるじゃない」
郁三ははっとした。
「もちろん? 私の方がすごいけどね? でも後藤ひとりもちょっとくらいなら認めてあげてもいいけど──」
「大槻さん!」
「ひゃい!?」
郁三が陽の気をまき散らしながら近づいてきた。
でもそれは、感激したとか、そういうことではなくて。
「確かに…………その通りだ」
ヨヨコの目の前で、郁三は項垂れた。
「喜多郁三……」
「確かに……その通りだ。俺がいなくても、結束バンドは元からすごい」
世間の評価や認知がまだまだなだけで、結束バンドはすごい。
(だからこそ、俺がいなくても……)
普段なら、郁三はそんな後ろ向きなことを考えない。
けれどリョウに告白して、ひとりの気持ちを知った今。二人の女子に対して複雑なことをしでかした今は、後ろ向きな考えしか生まなかった。
でも。
「だからこそ、貴方の声と歌が必要なんでしょ」
クリスマスの時に「結束バンドのボーカルが郁三である必要はないんじゃないか」と言ったヨヨコ自身が否定する。
ヨヨコはもう、郁三である必要性がないなんて思ってない。技術の問題じゃない。郁三の歌を聞いて、郁三である必要があるんだと思った。
「コピペじゃなければ、誰かのために自分を殺すわけでもない。貴方自身が、貴方自身の気持ちを歌うことが必要なんでしょ」
「それは……」
「後藤ひとりが作った歌詞を、後藤ひとりや、伊地知虹夏や、山田リョウと一緒に。貴方は誰に向けて、何のために、どうやって歌いたいの?」
「……まだ、わからない」
「なら、そのあたりが今後の課題であり宿題じゃない?」
「……わかった」
「色々考えて、精々ライブ審査まで勝ち残ることね。そうしないと教えてあげた甲斐がないし」
「ありがとう、大槻さん」
「さて、せっかくカラオケに来たんだし、もう少し楽しまなきゃ損よね」
まだカラオケボックスに入って30分程度だ。ヨヨコは一曲も歌ってない。郁三も自分の歌を聴かせるだけの時間にするつもりはないので、素直にヨヨコに
この後、割と普通に楽しく過ごして歌って踊って、ちょっとデートみたいと舞い上がったヨヨコがいた。
「あ、そうそう。もう一つ言っておくけど」
「なに? 大槻さん」
「いくら内側に強い想いを溜め込んでたって、それを受け取る先がないと貴方の想いを理解出来ないわよ」
郁三は目を瞬かせた。
「えっと、それって」
「心を放つ人がいて、心を受け取る人がいて、それで初めて
「……」
「さーて、それじゃ私は何を歌おうかしら……」
タッチパネルを操作するヨヨコから目をそらして、郁三は考えた。
心を放つ人、受け取る人、それらが揃わないと想いは見えない。
一方向な感情の吐き出しは独りよがり。
「俺の気持ちは……」
リョウが好きだ。
虹夏を信頼してる。
ひとりを尊敬してる。
「俺が本当にしたいことは……」
最初はこの人に近づきたいと思った。この人の隣に立てる俺になりたいと思った。
リョウに一目惚れして、その演奏に衝撃を受けて。リョウが、特別な人だったから。
今は、この人
リョウが尊敬するだけじゃない、自分と変わらないただの人だとわかって、一層好きになったから。
虹夏が許してくれて、少しの罪悪感と一緒にこの上ない恩があって、そうして皆をまとめ上げる姿が頼れるから。
リョウに想われる虹夏に嫉妬しないと言ったら嘘になる。でも同時に、やっぱり信頼してる。自分じゃ勝てないと思ってしまう。
「俺は……ひとりちゃんを」
ヨヨコが歌い始める。それでも郁三の気持ちは自分の心の中の海に沈んでいく。
ひとり。自分のせいでピンチになった先輩たちを救ってくれた同じ学校の子。その上で、自分を結束バンドに戻してくれた恩人。ギターを教えてくれる恩師。
リョウに負けないひとりが羨ましかった。カッコよかった。
SICK HACKにも負けないくらい上手なひとりを、大勢の人たちに知ってほしいと思った。
この子はすごいんだと、みんなに知ってもらいたい──大切な人。
そのひとりは……自分のことを、好きだと言っていた。
リョウを好きだと言うことを、リョウのために動きたいと言う自分を引き留めもしないで。結束バンドのために本当の気持ちを言わないで口をつぐんで。そうして、泣きながら笑って、「協力してほしい」って言っていた。
「……また、俺が傷つけたのか」
ヨヨコの歌声にかき消されて、郁三の声は自分にすら聞こえない。
傷つけていいわけがない。
傷つけたままでいいわけがない。
傷つけるだけ傷つけて、そのまま逃げていいわけがない。
「なら……俺は、どんな気持ちを込めて歌えば」
リョウになんて言いたい? 以前言った言葉が、紛れもない本心だ。
虹夏と話す機会はまだないけど、言えることはきっと、たくさんある。
ひとりにだけ、面と向かって言える気がしない。知らぬ間に傷つけてしまっていたから。尊敬と罪悪感と、たくさんの感情が入り混じって、ごちゃ混ぜになって、ぐちゃぐちゃになって、煮えたぎるようなこの感情を、言葉では表せないから。
だったら、ひとりに向けて歌いたい。
なんて歌えばいい。ひとりのことをどう思ってる。
──俺が見たいひとりちゃんは。悲しくて、でもその悲しさを堪えて、泣きながら笑うようなひとりちゃんじゃない。
──俺が見ていたいひとりちゃんは、おっかなびっくりしてて、でも優しくて、不安が強いのにそれを消しちゃうくらい真っすぐで、俯いてて猫背なのに、有無を言わせない迫力があって、そのギターひとつで会場を黙らせてしまうような輝きを持つひとりちゃんだ。
──俺が好きなひとりちゃんは。
「俺が……好きな……ひとりちゃんは」
そうして考えて考えて考え続けて。
ある時。
「──え」
郁三は、自分の言葉に意識をそがれた。
────
その日は諸々のことがあってから、しばらくして落ち着いて……そんな、何もない日だった。
虹夏が深夜の東京を駆け回って、リョウが星歌ときくりと居酒屋で話して、ひとりが次子の前で郁三に一つのお願いをして、郁三がヨヨコに指導を願った後……凪のように日々が移ろいで行った。
四人がSTARRYに行く頻度は、この数週間めっきり減っていた。お互いに腹を割って話さなくても、何があったのかをはっきりと知っていたから、というのもある。星歌が事情を知っていたからこそ、シフトをあれこれやりくりしてできたまあまあ奇跡的なバランスの上で成り立った状態でもあった。
虹夏はそれを承知の上でシフトを減らして、今日は休みの日。学校帰り、家で掃除をする。そもそもバイトをしたくても、当の星歌が簡単に許してくれない。実際ひとりやリョウと、どう顔を合わせればいいかもわからなかった。
そしてそれは、他の3人も同じように思っている。
練習も、少なくとも合わせはしていない。
「……今日のぶんの掃除、終わり」
勉強、バイト、家事、練習。やることが多かった虹夏だから、それがなくなれば暇を持て余してしまう。昨日も掃除をしたのだから時間をかけてきれいにする必要もないし、日が落ちるよりずっと前にやることを終えて、虹夏はたまにそうするようにリビングのソファに体を預けた。
「……暇だな」
気持ちはいくらか落ち着いていた。
思考で気持ちが埋め尽くされるだけじゃない。少しは俯瞰して景色を見れるようになった。
そうすると、手が勝手にドラムを叩こうとする。足がリズムをとろうとする。
「……やっぱり」
やっぱり僕はみんなと一緒に──
そう思った時、虹夏のスマホが振動する。
何気なく見て、虹夏は目を見開いた。
ロインだ。それも、路上ライブ以降ずっと通知が入らなかった結束バンドのグループ画面。
送信者は郁三。ただのメッセージじゃない。文字はない。ただ、URLとその画面が表示されている。
ひとりも《ギターヒーロー》名義で投稿している動画配信サービス《オーチューブ》だ。
「オーチューブのライブ映像……? 配信者は《kitakitan》って……これ喜多くんか。わかりやすっ」
暇だったこともあって、少しだけ気持ちが落ち着いていたのもあって、特に何も考えずに画面をタップしていた。
急にどうしたのか。リョウとひとりと比べれば、ギリギリ話しやすいのが郁三だった。でもあくまでグループ画面。この通知はリョウにもひとりにも知られることになる。
「でもなんで急に──」
通信が届いて、画面が表示された。ライブ映像。映っていたのは──
────
「……なに、これ」
ベッドのうえで寝転がってスマホを見る。リョウは思わずそう言った。
通信が届いて、画面が表示された。ライブ映像。映っていたのは──
『みんな、今日は来てくれてありがとう。結束バンド、喜多です』
下北沢の雑踏だ。どこなのか、リョウには正確にわかる。というか……路上ライブをしたのと同じ場所だ。
時々画質が荒くなる画面の向こうで、中心にいる郁三が比較的流暢に喋っている。
『少し前、俺たちはここでライブをした。たくさんの人が観てくれて、嬉しかった』
映像はあくまで演奏者たちを見えるようにしているから、観客の様子はわからない。でも聴こえるざわめきが、それなりに人の多さを伝えてくる。
いや、それよりも──
『ただ、ちょっと驚いたかもしれない。俺とギターの後藤ひとりちゃん以外の二人は、助っ人だから』
普段、リョウがいるはずの左側には、下駄を鳴らして調整をしている──廣井きくり。
虹夏がいるはずの中央奥には長い髪の女性。リョウは知らないけれど星歌がいたバンドの元メンバーで、そして虹夏にドラムを教えた──リナ。
二人が笑顔でいる。
リョウは、思わずベッドから跳ね起きた。適当でもいいから服を選んで──急いで着替える。いつもの私服選びなんて気にしない。
その間も、オーチューブの画面は長し続ける。
画面の向こうの郁三は、落ち着いた様子で話し続ける。
『いつもの結束バンドじゃない。ちょっと色々問題があってごたついてて……それで二人がいないんだ。でも俺以外の全員、俺が情けなくなるくらい上手だから、そこは心配しないでほしい』
リナのドラムと、きくりのベースを路上に響いた。丁寧で、鮮烈な音が響く。いきなりのプロ級の技に、少なくとも元から来た客が湧く。
『でも……いくら上手でも、これは結束バンドの音楽じゃない。二人の助っ人には、承知の上で黒子になってくれた。今日は、
リョウはワイヤレスイヤホンを耳に装着した。急いで、大した荷物も持つ余裕がなくて、スマホと財布だけ手にして家を飛び出る。
インドアのリョウに体力はない。それでも、自分のペースで何とか。
『ちょっと馬鹿らしいよね? 大仰な言葉でさ。でも、俺たちはそうしたい。言葉だけじゃ伝えられないことがたくさんあるから……こうして今、ロックをやるんだ』
その間も、郁三の話は続いてる。
『それと、これを企画したのは俺じゃない。俺も主役じゃない』
郁三は、隣に立っていたひとりの肩に、手を置いた。
そうして場所を入れ替えた。
『けっけっケッソクバンド……ごとう、ひとりです』
────
ひとりはやっぱり、ガチガチに固まっていた。
声は震えて、目線は前を見れなくて。
ただ、ひとりは、ひたすらに思っていたことだけを。
「まだ、わたしたちのっ曲はできない。まだ、結束バンドじゃないから。だから、今のわたしの気持ちが一番込められる曲、にしまっした」
下北沢の雑踏。ロックが盛んな街だから、震えるひとりを応援してくれる人もいる。「頑張れー」とか。「声出せー」とか。
ファン1号、2号は固唾を飲んで見守っていて。
次子がクラスメイトと一緒に、ちょっとだけ心配そうにひとりを見ていて。
誰にも気づかれてないけれど、ヨヨコが目立たない女学生風の変装をして後ろの方で観ている。
郁三が声を上げた。
「会場のみんな──聴いてください。それと、こんなことを言うのはおこがましいけど、どうか応援してください。どうか、俺たち結束バンドがまた繋がるように」
中心に立つのはひとり。
ひとりは観客を見ない。見るのは──郁三が正面に用意したスマホのカメラ。
「聴いてください──虹夏くん、リョウさん」
そうして、ひとりが言う。
郁三じゃない。ひとりが言う。
震える声で。
「《転がる岩、君に朝が降る》」