バンド批評サイト《ばんらぼ》で記事を書くことをしている音楽ライター《ぽいずん♡やみ》、本名は佐藤愛子。
彼女はいろいろと問題のある言動をする時があり、やみはその悪評から個人情報をネットで晒されたりと同情していいのかわからない不幸をかぶっていた。
ただ、やみが持つ音楽への熱は本物だ。ちゃんとバンドの腕を評価して、悪いところは悪いと評して、そうしてロック業界がどんどん盛り上がってくれればいいと思っている。
そんなやみは、取材に対して──普段は──集中する。それにライブハウスのライブから路上ライブまで、できる限りたくさんのバンドのライブを観ようとする。
だから、今日路上ライブの情報を聞きつけてやって来たのは偶然じゃなかった。
「聴いてください──虹夏くん、リョウさん」
後藤ひとり──やみからすれば《ギターヒーロー》の震える声。人込みに混じると、ほとんど聞こえないような小さな声量。マイクがなければ絶対に聞こえない。
よくよく聞いてみると、なんだかおかしい。
前に同じ場所で路上ライブをしたのを観かけた時は、「まあうまくはなってるけどやっぱりお遊びバンドじゃないか」と思っていた。
ただ、今日は雰囲気が違う。というか、そもそもドラムとベースが元の二人じゃない。SICKHACKのベース&ボーカルと、そしてやみも知るドラムのスタジオミュージシャンだ。実力は織り込み済み。けど、どうしてその二人が結束バンドのサポートをしている……?
音楽に詳しい業界人は、そこに興味を持った。
音楽が詳しくなくても、郁三やひとりが呼んだクラスメイトがいるおかげでそれなりの観客はいて、その物量が何も知らない人たちの足を止める。
そんな中、ひとりの──ギターヒーローの眼の色が変わった。
「《転がる岩、君に朝が降る》」
有名な音楽グループの曲だ。ギターヒーローを知っているやみは驚かない。ギターヒーローは流行りの曲をたくさんカバーしている。それなりに昔の曲ではあるから若い学生には知らないかもしれない、けど問題はない。ここは下北沢。ロックバンドの有名所でもある。
後藤ひとりのソロから始まり、リズムギター、ベース、ドラムが後を追う。リズムギターが拙劣。でもベースとドラムがその揺らぎをフォローしている。
リードギター、ひとりの甲高く、けれど心地よい弦の音が優しく届く。
弱々しい……わけじゃない。優しいリードギターの戦慄。
震えているのに、しっかりとした曲調が、むしろ観客たちを落ち着かせて。
ひとりがその口を小さく開いて──
できれば──
────
足早に移動する。私の足が痛くなる。
場所はわかってる。迷うことはない。
でも、衝撃しかない。
《ぼっち》という不名誉な渾名を喜ぶくらいひとりぼっちで陰キャなひとりが、凄腕のベースとドラム、そして郁三を後ろにつかせて演奏する。
それだけじゃない。ぼっち自身が歌っている。
元からギターの腕前は高かったし、地声は割といいソプラノだから鍛えればボーカルもできるとは思っていた。もちろん性格が性格だからまず無理だろうと思っていたけど。
そのぼっちが今、ライブ画面の向こうで、震える声と一緒に歌ってる。
《転がる岩、君に朝が降る》。
当然知っている。どこの誰が、いつ作った曲なのか。
歌詞はどこか悲壮的な雰囲気。背景の音はロックバンドではあってもうるさくない。
後悔ばかりで前向きに慣れなくて、それでも傷つきながら動き出す。
冷たい空気に顔がひりつく。白い息が太陽に輝く。冬の日の朝焼けがある。
「……ぼっちが歌うなんてね」
つくづくそれに驚く。
ぼっちは、郁三は、どうしてこのライブを用意したんだ。
動けない私を、虹夏をおいて。
サイドにはレベルの高いベースとドラムを置いて。
そんなのわかりきっているじゃないか。
──今日は、
陽キャどころじゃない。小説の主人公かよってくらいクサすぎる台詞。なんだよそれ。
また女子ファンを増やすつもりなの。私に告白したくせに。ぼっちに好かれてるくせに。とことんお花畑。
けれど、それでも勝手にやれなんて思えない。
(そこにいるのは、私だ)
結束バンドは心地よかった。
頼もしくギターを奏でる後輩がいた。面白い歌詞を生み出すぼっちだ。
一生懸命実力を伸ばす後輩がいた。結束バンドの一員になった郁三だ。
ずっと隣にいた大好きな人がいた。
そうして、結束バンドは動き出して。
私が好きな、心地いい、私たちらしい音楽を奏でる場所になった。
もちろん、怖いことがたくさんある。
虹夏が私を見てくれない。郁三はずっと近くに来てくれる。仲のいいぼっちと、虹夏のことでこじれちゃうんじゃないかと思うと、怖くて怖くてたまらない。
それでも結束バンドが壊れることは、それと同じくらい怖いことだ。
私の力はちっぽけで、動き出したから何かを変えられるわけじゃない。
郁三みたいに表で先頭に立つ気はない。ぼっちみたいに土壇場で実力を動かせる胆力はない。虹夏みたいな、誰かを支えられる優しさはない。
それでも。
あの三人と一緒に、進みたいんだ。
────
ひたすらに走り出す。息切れや痛みなんて気にしない。
以前、深夜に飛び出して走り出した時は、感情も体も、誰かの心配も、怪我をすることだって、僕は気にせず飛び出した。
今は違う。明確な行き先があって、そこに何があるかを知っている。
イヤホンから流れるぼっちちゃんの声は、透き通っていて、誰にも聞かせたくないくらいに可愛くて。やっぱり、僕はぼっちちゃんが心底好きなんだと思う。
そして流れるひとりの歌が、僕の心をつかんで離さない。
ただ、それよりも。
(なんで、リナさんがいるんだ)
母さんが亡くなってふさぎ込んで、その後姉ちゃんと仲直りした。リナさんは姉ちゃんが元いたバンドのメンバーで、僕にドラムの基礎を教えてくれた人だった。
結束バンドの他のメンバーがリナさんのことを知ってるわけがない。姉ちゃんしか知らないはずだ。別に知られて困ることでもないけど、ちくしょう。喋りやがったな。
今はスタジオミュージシャン。当然うまいに決まってる。学生バンドマンの僕と、僕が始めた頃からプロ級の腕前だったリナさんを比べるなよ。勝てるわけないだろ。
──言葉だけじゃ伝えられないことがたくさんあるから……こうして今、ロックをやるんだ。
うるさいよこのリア充が。ぼっちちゃんに好かれやがって。僕が先に好きだったんだぞ。
何が言葉じゃ伝えられないだ。その通りだよこの野郎。でも、それでも言葉で伝えなきゃならない時があるんだよ。言葉じゃ伝えられない気持ちと、言葉で伝えなきゃ伝わらない想いが、両方ともあるんだよ。じゃなきゃこんなにこじれてないよ。
《転がる岩、君に朝が降る》の歌が、イヤホンを通して体に届く。
考える。確かに、何を僕たちは間違ったんだろうね。いつ、どこで、何をするのが正解だったんだろう。
いや……そもそも、僕たちは一回だって間違っていたのかな?
リョウがいなきゃ、喜多くんは結束バンドに入らなかったんだよ。
喜多くんが逃げなきゃ、ぼっちちゃんと出会うことはなかったんだよ。
ぼっちちゃんの弦が切れなきゃ、喜多くんのアドリブもぼっちちゃんのボトルネック奏法も見れなかったんだよ。
ぼっちちゃんとリョウじゃなきゃ、結束バンドにこんなたくさんの曲は生まれなかったんだよ。
(僕がいなきゃ、結束バンドは始まらなかったんだよ)
結束バンドの繋がりができなきゃ、きっと、僕たち4人は、誰も恋なんてしていなかったんじゃないか。
だったら、馬鹿みたいに動いたことが、誰かを傷つけてしまったことが。
考えなしだったとしても、愚かだったとしても、最低最悪のクソ野郎だったとしても。
間違いで正解じゃないなんて、誰にもわからないじゃないか。
────
歌いながら弾くことは、わたしにとってそんなに難しいことじゃない。
だって3年間、毎日6時間以上弾き続けてきたんだ。今じゃ手元を見なくてもコードを正確に弾ける。
弾く曲さえ覚えれば、ほとんど意識しないで弾くことができる。
肝心なのは、わたしに歌の経験がほとんどないことだ。
お父さん、お母さん、ふたり。家族と一緒にカラオケに行ったことがあってよかったと、心の底から思った。声を出すこと
(でも……)
考えない。余計なことは考えない。
ただ、ただ、たった一つのことをやるだけのために、わたしは今ここに立っている。
きくりさんとリナさんの力を借りて、喜多くんからボーカルの席を奪って、それでもわたしは今ここに立っている。
歌う。一つ一つの言葉に、心を込めて。
目の前にいる観客の人たち。目の前に広がる景色は、わたしの敵じゃない。でも、わたしの声を届けたい人は、今日だけは喜多くんが置いたスマホレンズの向こうにいる。
──虹夏くんとリョウさんは、ちゃんと聴いてくれてるかな?
二人の性格を考えて、喜多くんと精一杯考えて、ちゃんと二人がURLを開くように工夫して。既読が2つ着いた瞬間に路上ライブを始めるようにして。
練習なんてほとんどしてない。きくりさんの即興の実力は知ってたし、リナさんの腕前は星歌さんが保障してくれた。わたしはこの曲を知ってた。喜多くんに無理を言って練習してもらったくらいだ。
二人ともインドア派だ。家にいるとは思ってた。星歌さんにシフトのことは聞いてたから間違いなく家で暇を持て余しているとわかってた。
それでも。
──虹夏くんとリョウさんは、ここに来てくれるかな?
わたしはコミュ障だ。
筋金入りの陰キャだ。
15年間、まともに人と喋ったことなんてなかった。
一つ一つの言葉が、思い通りに出せないんだ。
一生懸命喋って、そうして、虹夏くんを傷つけたんだ。
だから。
最初はギターで。結束バンドに入ってからは、ギターと歌詞で。
そして今は、喜多くんじゃない、わたしの声で。
音楽で。
ずっと続けていたことだ。言葉でしゃべるより、ずっとずっと、伝えられる。
そこに聴いてくれる虹夏くんとリョウさんがいれば、きっと、伝えられる。
でも、今、わたしたちは結束バンドじゃない。
わたしは結束バンドのボーカルじゃない。きくりさんとリナさんがいくら上手でも、虹夏くんとリョウさんがいなきゃ結束バンドじゃない。
だから、結束バンドの曲は絶対に歌わない。
歌うのは、《転がる岩、君に朝が降る》だけ。
この曲を歌い続ける。二人が来るまで。喉が枯れるまで。喉が枯れても。ブーイングが起こっても。
この歌は、今のわたしが歌いたい曲だった。
自分の無力な野望があって、それができなくて。どこで間違ったことさえわからない。
でも、動くしかないんだ。
その先に、朝が降ることを信じて。
だから、わたしが言いたいことは。
──わたしは、喜多くんのことが好きです。
──それと同じぐらい、結束バンドのみんなが、大好きです。
────
《転がる岩、君に朝が降る》を歌い終えた。
ひとりちゃんの頬が上気する。慣れないボーカルを、慣れない舞台で、慣れない人前でやるのだから当然だ。
観客が想像するボーカルと比べたら、そのイメージとはまったく違っていただろう。ロックバンドがかき鳴らすような激しいものじゃない。弾き語りみたいに、一音一音をはっきりと唄う。儚げな声で、弱々しく。
それでも、ひとりちゃんの熱が……激しくなくて、小さくて、透き通るような熱が伝わっているんだろう。最初はまばらに、徐々に全体に拍手が広がっていった。
歓声はない。
少し疲れたひとりちゃんが……十秒くらい無言を貫いて、汗をにじませながら、俺や廣井さん、そしてリナさんを見て、頷いた。
次は──また、《転がる岩、君に朝が降る》。
同じ曲。
一瞬のどよめき。当然だろう。同じ曲を連続で演奏するライブなんて、世の中にあるんだろうか。少なくとも俺は知らない。
それでも、バンドの中心にいるひとりちゃんの、何者にも侵させないような瞳が、ほとんどの観客のどよめきを黙らせている。
会場の空気は悪くない……と思う。
あまり褒められたものじゃないけど、さっつーを中心に俺の友達をたくさん呼んだ。悪い言い方をすればサクラがたくさんいて、その人込みに興味を持って雪だるま式に人が増えていくことを望んだ。
ハリボテでも、なんでもいい。とにかく、ひとりちゃんが望むように。ひとりちゃんが望んだ舞台で。メッセージを届けるのを見届ける。
それが今日の俺の役目……でも、それだけじゃない。
そうだよね、ひとりちゃんは。
こんな俺も、結束バンドの一員だって言ってくれるんだ。
俺がいなきゃ、結束バンドにならないって言うんだ。
だからここにいるんだ。
俺も、結束バンドの一員だから。
──きっ喜多くんの、力を、貸してくださいっ……。
そんなことを言われたら、協力しないはずがないよ。
ずっと俺を助けてくれたんだ。協力する。こんな、情けない俺の力でいいのなら。
正直、助かったと思った。今、俺にはちゃんと歌を歌える自信がない。ひとりちゃんがそうするのと同じように、歌詞に魂や心を込めて歌うことができるとは思えない。
──あっあれがわたしの、喜多くんへの気持ち、なんです。
いつか、《星座になれたら》の歌詞を考えたことがあった。真っすぐな歌詞。叶わない望み。それでも願う、星座になれたら。何を見てるんだろうね……と思った。
ひとりちゃんは、少なくとも、その時から俺のことを想って。
《星座になれたら》を作って。
──そっそれでも……わたしが喜多くんを好きなのは変わらないから。
それでも、リョウ先輩への想いは変わらない俺と同じように。
俺とひとりちゃんは、性格が違いすぎて共感できることはないと思っていた。
ただひとつ、何かを変えたいと思う気持ちだけが一緒なんだと思ってた。
でも、他にも同じことがあったんだね。
そうだ、俺たちは。
誰もが未熟者で、大切なものがあって。
失敗だらけで。
自分が正しいと思うことをする度に、誰かを支えようとか、守ろうとか、そんなことを思って動く度に、大事な誰かを傷つけて。
それでも変わらない想いがあるんだ。
今なら、どうしてひとりちゃんがどうしてこの歌を歌うのか、わかる気がする。
こんな俺でも、あんまり認めたくないけど、いろんな人から朴念仁って言われる俺だってわかったんだ。
だから。
(当然気づいてますよね? リョウ先輩、虹夏先輩……!)
二回目すら、ひとりちゃんは歌い終えて。
そろそろ、何のために同じ曲を歌っているんだと考える観客も増えてくるだろう。
一人、また一人と観客はいなくなって。
それでも周囲を見ずに、スマホのライブ画面だけに意識を向けるひとりちゃんは、強迫行為みたいに、またギターを握り続けて。
三曲目。
(リョウ先輩、虹夏先輩。当然、来るよな……)
ひとりちゃんが、ここまで頑張って。心も体もすり減らして、バカみたいに頑張って。
それで、わざわざ「結束バンドを取り戻すためのライブだ」って言ったんだ。
それで来ないわけがないよな?
そんなのは、俺が見ていたいリョウ先輩や、虹夏先輩じゃないんだよ。
俺が見ていたいみんなは、仲良しで、少し甘い見通しで、それでもすごい人たちが、会場全部を飲み込んでしまうような結束バンドなんだ。
だから、来いよ。
誰が誰を好きだ? そんなもの、今だけはどうだっていいんだよ。
(戻って来いって言ってんだ……! 伊地知虹夏! 山田リョウ!!)
心の中で叫んだ。夢中になって。
だから、これは幻聴なんだろう。
遠く、遠くで、二人の足音を聞いたのは。
────
「……リョウ」
「……虹夏」
路地裏の十字路で、二人は対面した。
『……』
お互い、言葉が出ない。何を言えばいいのかなんて、わからない。
ただ、顔を見れないわけじゃない。鎌倉に行った時から、それなりの時間がたった。お互い、その間にたくさんのことがあった。
お互いのことを見ることが、少しはできた。
知り合いで、例え言葉は出なくたって、気まずくたって、無視をしたいわけじゃない。
だからお互い、いつ相手が話してもいいように、ずっとかけていたイヤホンをとって。
お互いに同じ動きをしたから、お互いがひとりと郁三のライブ映像を見ながらここに来たのが分かった。
頬も上気して、お互いインドア派の癖に汗だくで、息絶え絶えで。急いでここに来たんだってわかる。ずっと一緒にいた昔馴染みだ。他の可能性なんて考えるはずがない。
イヤホンを外したから、下北沢の雑踏が耳を騒がせる。その中に、ライブ映像で聴こえていたひとりの声が──
『…………』
目の前の大切な友達に、大切で大好きな人に、何て声をかければいいのかなんてわからない。声をかける資格があるのかだってわからない。
けど今、自分たちは。
「……行こう、リョウ」
「……わかった、虹夏」
お互い、それだけ行って、路上ライブの方へ。
通り過ぎる人を、少しずつ、かきわけて。
「いろいろあったね」
「……うん」
「僕は……いろいろなことを、見つけたんだ」
「私は……約束した」
観客たちの後方に立った時、ライブそのものに興味をなくしかけた人たちが、徐々に帰って行こうとするときだった。
郁三が、虹夏とリョウに気づいた。
それでも、歌は、ライブは止まらない。
郁三はそっぽを向いて、ギターを弾き続ける。
「郁三、なんかムカつく」
「奇遇だね、僕もだ」
陽キャオーラ振りまきやがって。陰キャとインドア派がどれだけ苦労してると思ってるんだ。
いい気になりやがって。郁三の考えてることなんてお見通しだ、この単純朴念仁。
そこにいる4人のままでいいわけないって、だから自分たちが行かないといけないって。わかってて利用して、自分たちを呼んだ。最悪のクソ野郎め。
そうだよ。
どれだけ上手くたって、リナさんやきくりさんじゃ僕たちの代わりは務まらないよ。
だって、結束バンドはさ。
ふざけんなよ、観客ども。本当の結束バンドを観てないくせに、離れやがって。
今から見せてやるよ。
ここからが、本当の結束バンドなんだよ。
────
3曲目の半ばを過ぎた頃、虹夏とリョウは観客をかき分けてひとりたちの近くにやってきて。
ここまで来ればひとりも虹夏とリョウが来たことに気づいて、その眼の色が光り輝いて。
それでも、曲を止めることはない。
観客も、虹夏とリョウに気づいた。結束バンドを知っている観客は、どよめきの中に少しの喜びが。虹夏とリョウを知らない観客も、この少し異常なライブを前に、郁三の言葉を思い出して、「何かが来るぞ」という予感に心をときめかせて。
ひとりの歌とリードギターが、郁三のリズムギターを前に、虹夏はドラムを続けるリナの前へ。
リナは虹夏に柔らかい笑みを浮かべた。フットペダルから足を外して、立ち上がって、そしてドラムスティックだけは
空席に虹夏は座って、上気させた頬をそのままに、フットペダルに足を乗せて徐々に徐々にタイミングをつかむ。
やがてリナからドラムスティックを受け取って。
「頑張れ、虹夏くん」
肩をポンっと叩いたリナが、そう言った。
リョウも曲を途切れさせないように、虹夏の交代を待ってきくりに近づいて。
きくりが笑顔で差し出したベースを預かって、彼女にストラップをかけてもらって。
「やっちゃえ、リョウちゃん」
リョウも、震える手で、慣れない三味線のバチを持って。
そして、《転がる岩、君に朝が降る》の最後の大サビで。
《結束バンド》が動き出す。
震えるひとりの声。4人の中では実力のない郁三。来たばかりの虹夏、慣れない道具のリョウ。
全員が頼りない、練り上げられたバンドとは違う、たかだか学生が奏でる音楽。
それが、《結束バンド》。
バラバラな音楽が集まって、一つの個性を作り出す。
今、結束バンドのみんなが、初めて笑顔を浮かべた。
大サビを終えて、2曲目は小さかった拍手。たった、虹夏とリョウが入れ替わっただけじゃ、そこまで変わらない。
でも、単なる路上ライブで、乱入者が演奏を継いで、そうして奏者のみんなが瞳に煌めきを添えた笑顔になって。
観客は、もう一度だけ聴こう。それでまた同じ曲なら帰ればいいや、そんな考えを持って。
「改めて──今度こそ、《結束バンド》です……!」
ひとりと場所を入れ替えた郁三が、声を張り上げた。
「ありがとう、廣井さん。ありがとう、リナさん」
そうして、言葉に出さずともこう言う。
ありがとう、リョウ先輩、虹夏先輩。
「観客のみんな、ありがとう。ここまで付き合ってくれて。ここからが《結束バンド》だ」
郁三の中には迷いがある。それでも、今はただ、秀華祭の時の気持ちに戻って。
「結束バンドで──《忘れてやらない》!」
ただひたすらに声を張り上げる。
────
忘れたくない。忘れてやらない。忘れない。
ライブ4曲目の結束バンドオリジナルの曲が下北沢の雑踏を切り裂いて、アウトロの静寂がその穴を埋め尽くした時、今度こそ、観客は結束バンドそのものに大きな拍手を送った。
もちろん、突飛なライブに首を傾げた人は多かった。普通の盛り上がり方とは違った。それでも、結束バンドを知ってるファンが精一杯の拍手を送った。
観客なんてそっちのけで、ひとりが涙を流して。体が変形しなかったのが奇跡なくらい泣き出して。それに虹夏とリョウがもらい泣きをして。
郁三も含めてみんなで近づいて、泣きながら笑って。
何かが変わったわけじゃない。
誰が誰を好きかが変わったわけじゃない。自分の好きな人は別の誰かを好きで、苦しい想いは、星屑みたいに砕けて心の奥底に溜まったままで。
でも、苦しい想いを手放さないで、そうして確かめた想いがあった。
バラバラな個性の結束バンドなのに、ただひとつ。『結束バンドであり続けたい』という想いだけは全く同じで。
だから、苦しいかもしれないけど、また泣いても、張り裂けそうな想いに叫ぶことがあっても。
馬鹿みたいに結束バンドでい続けて、逃げようとしないで、踏みとどまっていようと思う。
明けない夜に戸惑って、空を見上げても星座になれないで、星屑になって転がり続けた4人が、やっと結束バンドになって繋がって。
そうして繋がった結束バンドに、朝が降る。
28話からずっと苦しかったけど、ようやくなんとかここまでこれた……