『ヒィ!?』
そんな悲鳴が、俺が聞いたひとりちゃんの初めての声だった。
『バッ……ギッ……ボッ……!』
次に聞いた声も、顔を赤くして爆発させそうにしながら精一杯に出した変な声だった。
何も説明せずに謝るだけ謝って、脱兎みたいに逃げたひとりちゃんを追って、そうしてたどり着いた廊下の片隅で、ギターを演奏するひとりちゃんを見つけた。
6弦ベースをギターと勘違いしていたから、必死に練習してもうんともすんとも応えてくれなかったギターを自分の腕のように操る女の子に衝撃を覚えた。
『へぇ、すげー! 後藤さんギターうまいんだね!』
だから、そんな風に声をかけてしまったのを覚えてる。
『そ、その実はバンドのギターボーカルを探してて、そのっ喜多くんがギター弾けるって聞いて』
入学して一か月。男女問わず、他のクラスからも同級生が声をかけてくれた。最初はひとりちゃんもその内の一人かと思っていたから、ひとりちゃんの勧誘の言葉に驚いたし、当時は傷を少しだけ抉られた。
『そっか、じゃあ俺が後藤さんからギターを教わればいいのか!』
思い立った可能性。リョウ先輩や虹夏先輩に謝りたい一心でお願いした。巡り巡って結束バンドをぶち壊す、考え無しな言葉だったんだろうか。それとも。
『すっすごい行動力ですね……』
ひとりちゃんに最初に結束バンドに加入した経緯を話した時に言われたこと。行動力、なんて高尚なものじゃないよ。
ひとりちゃんは。
俺が壊しかけた結束バンドを救ってくれて。
俺にギターを教えてくれて。
俺を結束バンドに呼び戻してくれた。
『それ、と……喜多くんの、左手。……指の先がすごく固くて』
そんな小さなことで、俺が逃げ出すまでに過ごしてきた時間を見抜いて。
引っ込み思案? コミュ障? 陰キャ? そんなことはどうでもいいよ。
俺にはひとりちゃんが、すごく魅力的に見えたんだよ。
そんなひとりちゃんは、俺のことが好きだという。
直接聞いたわけじゃない。さっつーとの会話を盗み聞きしてしまって知ったことだ。
《星座になれたら》が、俺に向けて作ってくれた曲なんだって。
そんな風に思わないでよ。叶わないなんて、手が届かないなんて、思わないでよ。
そう思ってるのは俺なんだよ。陽キャなんて、そんなことはどうでもいいんだよ。友達が百人いたって、手に入れられないものを、ひとりちゃんは持ってるんだよ。
俺は間違いなくひとりちゃんが大切だと思っているよ。
ふたりちゃんに、お姉ちゃんのことが好きなのかと聞かれて、答えた時と変わらないよ。
嫌いなわけないじゃないか。最高の友達だよ。
たくさんの魅力があって、羨ましいくらいにカッコいいんだよ。
そんなひとりちゃんは、俺を好きでいることを諦めるという。
俺がリョウ先輩に気持ちを打ち明けて、そうすることで励ましたそばで。ひとりちゃんは、俺が知る限りさっつー以外の誰にもそれを打ち明けないで。
人を好きでいる。とても幸せで、同じくらい辛くて甘い毒みたいな想い。
リョウ先輩は。虹夏先輩のことが好きで、自分のことを見てくれない虹夏先輩にストレスが溜まって、結果的に俺に打ち明けた。
俺も。隠せてなかったみたいだけど、でも隠していたリョウ先輩への想いは、あってよかったんだと思える気持ちで、辛くて。リョウ先輩に伝えることで楽になって、なによりひとりちゃんに言ってしまっていた。
今まで俺が告白を断ってきた子たち。今ならわかる。告白すること自体がすごく勇気がいることで、断られたのならなおさら辛い。
ひとりちゃんは、俺を好きでいることを、諦めるという。
告白することもない。振られることもない。ただ、ただ、閉じ込める。
そんな拷問みたいなことを、俺はあの子に仕向けさせた。
じゃあ「自分の気持ちは伝えなきゃ」というのか? 誰が、誰に?
見ず知らずの他人にだったら、そんな風にも言えるかもしれない。
でも、それをひとりちゃんに俺が言うんだとしたら。いや、言わなくても思っているだけで。
ずいぶんと、最低最悪なクソ野郎じゃないか。
だから、俺は今、俺に怒っている。いつもみたいな態度を装って、それでも自分を許せない。
それでも、俺は何かを探してる。俺がひとりちゃんにできることはないのか。彼女のために、彼女が心から笑顔になれる方法はないのかって。
まっすぐに進み続けた彼女のように、俺も、自分がボロボロに傷ついたとしても償える何かはないのかって。
それ以上に。
大切な子を。最高の友達を、頼れる大切なバンドメンバーを。
俺は、ひとりちゃんのことをどう思ってる?
そんなことを、ずっと、ずっと、考えてる。
────
5月に入ってGWが過ぎれば、学生たちにとっての新年度はいよいよ本格的になってくる。
そして《未確認ライオット》に出場する若者たちは、学業だけに熱を入れるわけにはいかない。今はデモ審査を乗り越えた全国の有望なロッカーが、ネットを舞台にしのぎを削っている。
ネット投票はつまり《未確認ライオット》に興味を持つ一般の人たちによる選挙みたいなものだ。仮にどれだけ鮮烈な技術と圧倒的な魅力を持っていたって、それが大衆に受けなきゃ意味がない。
だから自分のバンドの宣伝には余念がない。それぞれの家族はもちろん、STARRYの従業員にも「結束バンドに清き一票を!」とメンバーは頭を下げている。みんな結束バンドの魅力を知ったうえで投票してる、なんて嬉しいことを言っていた。特にPAさんなんかは『近代的で場所を選ばないネットサロンで新しい価値観を共有する仲間たち』にも宣伝してくれているらしい。
そして結束バンドは高校生なので、当然自分の学校の友達にも伝えるわけで。
5月14日、平日。郁三は次子とぼやっと話していた。
「……で、ネット審査の途中順位はどうなの?」
「35位。さっつーもそうだしいろんな奴に宣伝して、みんなのおかげで結構なところまではいけてる」
「確か30位以内で次に進めるんだっけ? いい調子なんじゃないの」
放課後。ひとりはクラスの委員会の当番でいない。STARRYのバイトもない。そんなわけで学校で一番結束バンドの事情に明るい次子がいるというのは不思議でもない。
郁三は『準備運動』と称して適当にギターを鳴らしていた。
次子の言う通り、ライブ審査に進むためのボーダーラインは30位。約100組中35位というのは悪くはない数字だとはいえ、残り一週間だし不安は募る。
「ぶっちゃけ、一学生バンドとしてはいい線言ってると思う」
「まあ下北沢で変なライブしたりとか。後藤が秀華祭でダイブしたとか、そういうのもあったし意外と話題にはなったんじゃないの?」
郁三はちょっとばつが悪いように顔をしかめっ面にした。
次子が言ったことだけじゃない。池袋でやったブッキングライブでも、ロイン友達になったメタラーから「投票したゼ! 応援してるゼェ!」なんて連絡も来たし、意味はあった。
それだけじゃなくて、どういうわけかネットの『今注目すべき若手バンド!』という記事で結束バンドのことが紹介されてて、そういった多方面からの後押しもあった。
次子は、スマホでブックマークしたそのページを開いて朗読した。
「『ボーカルの若くて爽やかな声とは裏腹に、どこか消え入りそうな危うさがある雰囲気のメンバーたち。楽曲には若手とは思えない想いが込められた曲調が印象深く、芯がなくとも一つのバンドとして結成させている。それは乏しめる言葉ではなくて、可能性を見守りたいと思わせる魔性の力を持っている。オリジナル曲も多数確認』だってさ」
「肯定的に受け取れるのはいいんだけど、読者のコメントがちょっと辛いんだよ。バンド名がかっこ悪いとか、酔っ払いの客がいて怖いとか」
「そりゃ『結束バンド』はお笑いでしょ。あと、酔っ払いの客って山田さんと交替してたあのベースの人?」
「そう。廣井きくりさん」
とにかく、残り一週間の時点で結束バンドはボーダー付近にいる。30位前後は上位陣ほど投票の勢いがあるわけじゃないから、ほぼ横一直線だろうというのが星歌の予想だった。
つまるところはもう運だ。神様に祈るしかない状況だ。
結束バンドの日常は、デモ審査の結果通知前とほとんど変わらない。月に一回のSTARRYでのライブに出て、週に一回、場合によってはそれ以上の頻度で路上ライブに精を出して。
そんな甲斐もあって、例えばファン1号さんや2号さん以外にも定期的にライブを観てくれる人は増えている。次子もその一人だ。
いや、日常の中で変わったこともある。
郁三とリョウがよく話すようになった。
虹夏とひとりも、以前みたいに会話しているところが増えた。
結束バンドが、以前みたいに仲が良くて馬鹿みたいな話もできる四人に戻った。
ネット審査の時期だから肌がピリつくかもしれないと思ったけど、そんなこともなく拍子抜けだった。もちろん、仮に途中経過の順位がもっと酷かったら落ち込んでいたかもしれないけど。
だから今の時期、郁三は自分のことで悩んでいる。
次子がここにいるのはたまたまで、同時に腐れ縁の結果でもある。
「さっつー、今更だけどありがとね。路上ライブの人集めとか、協力してくれて」
「ん? 別にいいよ。私も結束バンド、ファンだし」
「そっか」
「後藤も喜多も、どっちも頑張ってもらわないと困るでしょうが」
学校で有名かつ人気な郁三が所属していることもあって、秀華高校では結束バンドの存在もそれなりに有名になってきている。それにひとりの作詞とリョウの作曲も、わかる人にはわかるだけの上手さがある。メンバーを総合した技術力じゃどうしたってプロや凄腕にはかなわないけど、それでも着実にファンを増やしている。そうして応援してくれて奔走してくれる人がいる。
次子はスマホを弄りながら言った。
「で? なんでそんなしょぼくれた顔してんの」
「わかる?」
「何年同じクラスやってると思うの」
「今年で五年目」
「そう、五年。五年間も喜多に振られた子たちの面倒みてきたんだよ」
「……なんか、ごめん」
今の郁三には結構な太さでぶっ刺さる言葉だった。
郁三は天を、教室の天井を仰いでため息を吐く。
「リョウ先輩に告白したんだ。それで、振られた」
「……それって、いつの話?」
「告白したのは3月末の頃かな。振られたのはこの間よみ瓜ランド行った時」
「そ、お疲れ。今までアンタが降ってきた子たちの気持ちがわかった?」
「身に染みた」
「なら、これからは女の子に少しは気を遣えるかもね」
「そうかな……そんな風には思えないけど」
郁三がそう思う理由はもちろん、ひとりだ。
「先輩には振られても、結束バンドは続けるんだ?」
「もちろん。リョウ先輩のことは好きだけど、同じくらいバンドメンバーはみんな大切だし、仲間だし」
「そう。それで? 路上ライブで先輩たちと仲直りして、よみ瓜ランドも行って。アンタは何に悩んでんの」
「自分の……気持ちに」
「……」
郁三の事情はもちろん、ひとりの事情もよくわかっている次子は、郁三の言葉に目を細めた。
「自分の気持ちが、わからない」
「それは誰に対して?」
「……」
ひとりの名前を出せば、すぐにばれるのはわかる。とはいえ、出さなくてもばれるだけの関係が次子と郁三にはある。
「……喜多はさ、他人に対して真面目過ぎるよ」
「そんなわけ」
「そんなわけある。振られた子が傷つくことなんて当たり前のことでしょ。それを馬鹿にしていいわけないけど、だからといって腫れものみたいに扱うことが正しいわけじゃない」
郁三に玉砕してきた女の子のケアを怠らなかった次子には、それがよくわかっていた。
「なに? 世界でも救いたいの?」
「別にそんなんじゃない」
「でしょ。もっと単純でいいと思うけど」
次子の言葉がリョウの言葉と重なる。もっと単純な動機でいい、そんな風に言っていた。
「……」
次子と話しても、感情は煮え切らない。
そんな時。
「ん? ロインが」
「出なよ。私もそろそろ部活行かなきゃだし」
「うん」
通知はよく知る人からのものだった。アイコンの金髪の三角アホ毛は、名前を見なくても虹夏だとわかるものだった。
『喜多くん! 突然でごめんだけど、バイトのヘルプできないかな!?』
────
ヘルプの理由は、リョウが急な休みになったことによるものだった。
「ごめんね、喜多くん。迷惑かけちゃって」
STARRYのドリンクコーナーの中。カウンターに立っている虹夏は両手を合わせてきれいに頭を下げた。
「いや、今日は自主練もそんなでしたし、気分転換になってむしろ助かりました」
同じくカウンターの中で郁三は言った。すでにSTARRYは他バンドのライブが始まって熱気に包まれている。
「でもずいぶんと急な休みでしたね。先輩たち、同じ学校なのに」
「うん。学校にいる時はそんなそぶりもなかったんだけどさ。リョウってば、帰る時になって急に知恵熱が出たみたいにぐったりしちゃって」
「それって大丈夫なんですか?」
「熱も咳もないし、本当に体力的に疲れただけみたい。親御さんが迎えに来てたし、少なくとも大事じゃないよ」
「そっか、よかった……」
郁三は息を吐いた。
「まあ、リョウも最近は頑張ってるからさ。少しは休ませないとなって思った」
「……そう、ですね」
今日、本来はリョウがここにいるはずだった。虹夏の隣に。
「……虹夏先輩は」
「うん?」
「リョウ先輩のこと、心配じゃないんですか?」
思わず口に出てしまった。
心配してないはずがない。二人の関係性は良く知ってる。でも、郁三の中には少しだけ虹夏への羨ましさがある。
虹夏は困ったように笑った。
「もちろん、心配だよ。でもリョウは大丈夫だと思う」
「どうして?」
「リョウも頑張ってるから」
ライブの喧騒が、今日の郁三にとっては少し
「この間、よみ瓜ランド。喜多くんとリョウが何を話したかはわからないけど……でも、二人で腹割って話せたんでしょ?」
虹夏には結束バンドに再加入した頃からリョウへの気持ちは言っていたし、郁三も特別隠そうとは思わなかった。
「俺、リョウ先輩に告白しました」
「……そっか」
「それで、振られました。他に好きな人がいるからって」
「…………」
長い長い沈黙があって。
「そっか」
虹夏はそれだけ呟いた。小さ過ぎた声は、郁三の耳にも届かなくて、口の形で辛うじて分かっただけだった。
「頑張ったんだね」
「はい」
男同士だからというわけでもないけど。それだけでたくさんの労いの気持ちが伝わってきた。
一度お客さんにお代わりのドリンクを渡して、空になったカップを受け取る。
再度横並びになって、郁三は空のカップを行儀悪く弄びながら続けた。
「虹夏先輩はひとりちゃんと何か話したんですか?」
「あー……」
さっきと同じぐらい長いため息。
「……絶対に誰にも言わない?」
「絶対に言いません」
「誰にもばれない? 僕が喜多くんに言ったって」
「それは……善処、したい、です」
「頼りないなぁ」
虹夏はふっと笑った。
そして言った。
「ぼっちちゃんに、告白した」
「……」
「そんで振られた。それだけだよ」
言葉や表情には出さないけど、郁三は心底驚いた。
それと同じように、どこか納得のいく気持ちもあった。ある意味でのモヤモヤがなくなったような。
「僕ら、振られちゃったね」
「そう、ですね」
「似た者同士だね、僕ら」
「本当に」
ひとりは、虹夏を振ってよかったのだろうか。自分に対する気持ちを知らなかったら、「本当にそれでいいの?」と本人に聞いてしまいそうだった。
虹夏とリョウの関係性は置いておいて、虹夏はとても優しいし、頼りになる。いつだったか、「モテるんじゃないですか?」と聞いたのは郁三の本心だ。
自分なんかのために、虹夏を振って、そうして、自分にも気持ちを明かさないで。
(……だめだ、なんか頭がごっちゃになる)
どんな可能性を考えたって、どこかが思うようにいかなくなる。上手くいかない出来事を前に、自分の本心もどこにあるのかわからなくなる。
頭を唸らせる郁三は、虹夏だけじゃなくて誰から見ても集中できない少年だ。
そうなれば、虹夏が話を振るのは必然なわけで。
「何か悩みでもあるの?」
「……虹夏先輩にも見抜かれた」
「僕は結束バンドのリーダーだよ? そりゃ頼りないとこもあるけど、たまにはリーダーらしいとこを見せなきゃね」
それなりに真剣な話をしててもどこか愛嬌があるのは、二人が男子だからなのか、それとも性格からくるものなのか。
虹夏は言った。
「喜多くんの考え事、少しはわかるかもしれない」
「本当ですか?」
「わかるよ。勘だけどね」
「……」
リョウには振られた直後だし、「相談して」と言われたとはいえまだ一歩を踏み出せない。
ひとりは過中の存在で。
虹夏だって、リョウが好きな人で。ひとりを好きでいる人だ。
けれど。
「……自分の気持ちの置き所を、どこにすればいいのかがわからないんです」
郁三自身、自分一人じゃ限界が来るということはわかっていた。
「自分のためってのもあるけど。それ以上に誰かのためにって思って頑張ってきたことが、誰かを傷つけることがあるなんて」
「……そっか」
虹夏にとっては、そこまで驚くべきことじゃなかった。
それは郁三が考えて、虹夏も考えて、ひとりもリョウも、全員が考えに考えたことだからだ。
虹夏はひとつ、聞いてみることにした。それは虹夏にとっては少なからず辛いことではあったけど、それ以上にしなきゃいけないことでもあった。
「喜多くんさ」
「はい」
「ぼっちちゃんのこと……結構好きでしょ」
「はい……はい!?」
今日一でかい声が出た。曲と曲の間のMCで観客が振り向くくらいには。
郁三は思わずカウンターの中に頭を引っ込めて、虹夏が観客たちに必死で会釈して反省の気持ちを伝える。
ひと呼吸落ち着いてから郁三がゆっくりと頭を出した。
それは今まで友達としての感情だと思っていたこと。でも、ある時、ヨヨコとのカラオケの時に考えたこと。そして自分の感情がわからなくなった原因。
誰にも言ったことがなかったのに。よりによって虹夏にばれるのかと、郁三は迷えばいいのか、謝ればいいのか、恥ずかしがればいいのか、訳が分からなくなる。
「ど……どうして?」
「あのさあ、君が僕に『リョウのことが好きなんです』って言った時、僕はなんて思ったかわかる?」
「……『へえ、そうなんだ』とか?」
「違う。『知ってるよ。というかリョウもぼっちちゃんも知ってるよ』が正解」
「……」
「ようするに、バレバレだってこと。喜多くんは自分の気持ちを隠せてないってことだよ」
「ああ……」
郁三は今度こそ力尽きて、あまりきれいじゃないのにカウンターの中で腰をついてしまう。星歌がチケット受付にいてよかった。
「あの路上ライブまでは、僕もリョウも余裕なかったけどさ。今はそれなりだよ。だから今度は喜多くんがぼっちちゃんにちょっと距離置いてるんだってわかる。たぶんリョウも気づいてる。気づいてないのはぼっちちゃんだけだ」
喜多くん愛想笑いは上手だからね、と虹夏は笑った。
「……虹夏先輩は、俺が
「嫌だよ」
一秒も待たずに虹夏は返した。
「でも……僕たちは、そうじゃないでしょ。嫌なこともいいことも、ひっくるめての《結束バンド》でしょ」
虹夏の眼は真剣だった。
「……ひとりちゃんのことは、頼れる友達だって思ってました」
「うん」
「先輩たちと同じくらい大事だし、ギターの師匠だし。恩人だし」
「そうだね。僕らにとって、ぼっちちゃんは恩人だ」
「でも、ふと思って……」
──俺が好きなひとりちゃんは──
きっかけは、確かにひとりが自分のことを好きだったのか、とかすかな疑問が浮かんでから。そうじゃないと、たぶん気づくことはなかったかもしれない。そして考えるにつれて、自分の中の感情は大きくなって。
確かに、憧れて、尊敬して、頼りにして。そういった感情は、リョウに向けるものとよく似ている。音を奏でるその姿が、雷に打たれるくらいの衝撃を覚えたことも。
でも、じゃあ。
俺はリョウ先輩とひとりちゃんを一緒に好きになっていたのか? 節操なしに?
俺はリョウ先輩に振られたから、その穴を埋めるみたいにひとりちゃんを好きになったのか? 無責任に?
言葉に表せないくらい、反吐が出る感情が押し寄せる。
節操なしに好きになったことだけじゃない。大切な子を傷つけたことも含めて。
「俺……最悪だなって」
それをひとりのことが好きだという虹夏に言うことも、最低だ。
だから、今更自分がひとりに向き合う資格なんてあるのかと、郁三は思っている。
ないだろうと。結果的に好転したとはいえ、結束バンドを最初に崩壊させかけた自分が。ひとりを傷つけたままで。都合よくひとりを弄ぼうだなんて。
郁三はそんな風に思う。
虹夏はドリンクコーナーの仕事をしながら言った。
「喜多くんも大変だなぁ」
「……怒らないんですか?」
「うーん。殴りたい」
虹夏が怖かった。
「というのは冗談で」
「冗談に聞こえません」
「喜多くんが真面目に考えた結果の気持ちなんだろうし、特にそれをどうとは言わないけど」
「……」
「ただ、まあ。喜多くんが僕に対して少しでも引け目を感じたなら、僕も言いたいことを言わせてもらおうかな」
虹夏は郁三に手を差し出した。郁三はそれを握って、立ち上がらせてもらう。
背は、郁三の方が一回り大きい。郁三が虹夏をわずかに見下ろす形になる。
でも、今。郁三は虹夏をとてつもなく大きく感じていた。
「僕はぼっちちゃんが好きだ。だから振られて悔しいよ。喜多くんのことだって羨ましいし、妬んでる」
「……」
「でも僕はぼっちちゃんが好きだから。ぼっちちゃんが悲しくて泣いてるとこなんて、見たくないんだよ。それがどんなことでも」
「……虹夏先輩が、辛くても?」
「そう。もちろん僕だってキャパシティはあるけどさ」
虹夏は空元気みたいに腕を回した。
「大切な子のために、少しくらいは、ね」
「……」
「だから、喜多くん。喜多くんの気持ちに正直になること。それが僕からの命令」
「命令ですか」
「そう、バンドリーダーとしての命令」
そんな自分勝手でいいんだろうか。自分の気持ちに正直になって、そうして今、自分もひとりも、みんな傷ついているのに。
そんな気持ちが表情に出てしまったのか。虹夏は心を読むように続けてくる。郁三にとって、今の虹夏は頼りになる超能力者以外の何者でもなかった
「それがどんな答えでも、いろいろと考えた今の喜多くんが、したいようにすること。それがたぶん……みんなが願ってることだよ」
「そんなこと……許されるって、思いますか?」
「ぼっちちゃんも、リョウだって。みんな辛いかもしれないけど、それでも自分の気持ちを誰かに伝えたんだ」
ひとりの決意は、郁三にとっては絶望を覚えることだった。けど同時にひとりの《結束バンド》に対する、どこまでもまっすぐな気持ちでもあった。
ひとりも、ひとりの想いを受け止めた虹夏も、きっとリョウも。誰かが傷つくかもしれないとわかってても、自分の気持ちを正直に伝えることを選んだ。
郁三はまだ、リョウに対してしか正直な気持ちを伝えていない。
「だから、自分の気持ちを言わないなんてしょうもないことでぼっちちゃんを泣かせたら、僕が絶対に許さない」
笑顔でそんなことを言ってくる。ひとりの決意を盗み聞きしたことを話したら殺されそうだった。
「喜多くんも教えてよ。喜多くんの気持ちを。言葉でだって、歌でだって、なんでもいいから」
「……」
「僕も、頑張るからね」
「僕だって、全部が全部終わったわけじゃないから」
「……みんな、みんな、ズルいです。そんな風に言われたら」
自分だって結束バンドの一人だ。虹夏が、リョウが、自分の目の前で『頑張る』と言って。大切なひとりは、今も行動で『頑張る』ことを主張し続けている。
二人の女の子を、ほとんど同時期に好きになってしまって、反吐が出ても。
動かないわけにはいかない。
「うん。だから、約束」
「約束します。どうにかして、想いを伝えるって」
ひとりを、このまま閉じ込めさせないために。
自分なんかの気持ちでいいのかわからなくても。
大切な子へ。自分の正直な気持ちを、伝えていく。