「喜多くん、ご飯炊いてくれた?」
「バッチリです。五合も炊けるとなんかキャンプって感じがして楽しいですね!」
「いやどんだけ食べる気なの……?」
夕方、いやもう夜になる頃合い。山田家の別荘のキッチンで、虹夏は包丁で人参を切っている。
その後ろで、郁三はちょこまかと動いて冷蔵庫を開けたり、会話の通り炊飯器を動かしたりしている。
「何か手伝うことありますか? というかなに作ってるんですか?」
「ルーもあるし、無難にカレーだよ。じゃあジャガイモの皮剥いてくれる?」
「はーい!」
陽キャ郁三。虹夏みたいに毎日料理をしているわけじゃないけど、器用だし皮剥きくらいはお茶の子さいさい。リョウとひとりだったら、たぶん悲惨な結果になっている。
リョウ母の計略か何かによって、休暇を日帰りから一泊に変えることになった。結束バンド四人。急に決まったそれは四人のうち三人に衝撃を与えることになったのだけど、それはそれとして退路を断たれた以上進むしかないわけで。
リョウ母も馬鹿じゃない。しっかりと泊まってもらうつもりで、荷物には食材もあるし、寝間着や着替えも男女共にしっかり用意されていた。
というわけで、虹夏は一応は平静を保っている。結束バンドのリーダー、そして伊地知家の家事担当として、当たり前のように夕食当番を引き受けた。
郁三はこの状況をひたすら楽しんでいて、虹夏に負担をかけることをよしとしないで手伝いを引き受けた。
メニューはカレー。こういう普通じゃない日の定番で、普通の日のちょっと特別な献立。普通と特別を繋ぐ不思議な料理だ。
主夫二人がキッチンでワイワイ調理している一方。リビングでは、リョウがギター──アコースティックギターを奏でている。ひとりはその隣で適当なノートに歌詞を書き込んでいた。
「これは男どもを誘惑するぼっちのテーマ」
「あの、リョウさんやめて……」
「じゃあ、これはビーチバレーの時にしゃがんで動けなくなった虹夏のテーマ」
「山田ァ!」
虹夏が遠くで叫んだ。
リョウがどうしてギターを手にしているのかと言えば、それは元からこの別荘にあったからだ。リョウ母はクラシックをしていた時期があって、演奏用の防音室があった。虹夏と郁三が調理を始めた傍ら、暇を持て余したリョウとひとりが別荘内を探検した結果の成果だった。
リョウがアコギで思うままにスラップする一方、ひとりはそこから歌詞を夢想している。男子二人は聴きに徹している。
「そっそれでどういうテーマなんですか?」
「だから虹夏の──」
「山田ァ!」
「弱みを晒すのは私が殺されるから別の機会にとっておく」
よくわからずにわたわたするひとりがいて、リョウはほっと息を吐いた。
「……たまには、『青春』っていうテーマもいいんじゃない?」
「……ぐはっ」
「ぼっち、吐かない。いいじゃん、少しはそういうのでも」
「せ、青春コンプレックスがっ……」
リョウは溶け崩れそうなひとりを見る。
青春コンプレックスと言ったって、そもそも自分たちは高校生なわけで。
後ろ向きに青春を《忘れてやらない》と曲を作ったくらいなんだから、それはそれでいいのにとリョウは思う。
「別にキラキラして、楽しくて、みたいな青春じゃなくてもいい」
「……」
「今日海辺で遊んで……江ノ島とか、鎌倉とかのことを、思い出したからさ」
四人の恋愛事情を一番早く、深く把握していたリョウ。江ノ島は虹夏のことを観察しっぱなしだったし、鎌倉は虹夏とのデートに加えて最後の後輩との接触でフルストレスだった。
楽しいだけが青春じゃない。太陽が落ちていって真っ暗闇に投げ出されるような時もある。そんな時に星空を見つけられるかどうかは、その人次第だけれども。
リョウから見ても、郁三やひとりから見ても、ひとりの歌詞にそういった可能性を感じているのは本当だ。虹夏が好きな《忘れてやらない》にしても、《星屑に染まれ》にしてもそうだ。
そんな風に、リョウはひとりに語り掛ける。
「じゃ、じゃあ……こういうのはどう、でしょう」
ひとりは、ぎこちなく、少しづつ書き連ねる。
全部書ききったのを見届けてから。リョウは言った。
「……いいんじゃない?」
「ほっほんとですか?」
「この『ぐちゃぐちゃ』の部分とかは前に引っ張られてるとか、『星空』は夜に引っ張られないで夕方みたいなイメージでいいんじゃない、とかはあるけど」
リョウは再びギターを奏でる。
《ギターと孤独と蒼い惑星》、《あのバンド》とかみたいな重低音は響かない。そもそもリョウのアコギだけだというのもあるのだけど、響く音は軽やかでリズミカル。
それぞれの音が合わさって一つの主張をするんじゃなくて、それぞれの楽器が別々に同じものを主張する。
「あっ、それいいですね……」
ひとりはリョウの演奏からまた少し詞を変える。
虹夏と郁三は、リョウの作曲の様子を音だけ聴いて和やかに調理を続けている。少しずつ野菜の匂いが広がってきて、カレールウが鼻をくすぐって、だんだんと白米の香りがしてくる。
「ど、どうですか……?」
「……うん、悪くないんじゃないかな」
「そっそうですか? へへ……」
「うん。でも……」
「リョウさん?」
「案外、早くかけるようになってるね」
「まっまだ何フレーズかだけですけど」
「おっ、ひとりちゃん歌詞できた?」
女子二人の間を割って、郁三がやってきた。両手にはサラダボウルと取り皿。リビングのテーブルに手際よく置いていく。
「郁三、そろそろできた?」
「はい! 伊地知家特性、ニジカレー!」
「とっ友達のご飯……!」
「私はいつも食べてるんだけど」
「《ニジカレー》ってなんじゃ。んでリョウ、さも当然のように言うな」
虹夏も箸とスプーンをもって、リビングに登場。ちょっと嬉しそうなひとりに、にへらっと笑った。
「二人とも、そろそろできるよ。キリのいいところであがりなよ」
「うぃー」
虹夏に言われて、リョウは素直にアコギを置いて立ち上がった。一方のひとりはもうちょっとと作詞ノートに書き込んでいる。
「なになにどんなの? ひとりちゃん見せてよ」
「あっまだだめですっ」
郁三はノートを覗き見ようとして、ひとりはノートに覆いかぶさって隠した。虹夏と郁三、リョウまでも「ちょっと可愛い」と思った。
「そっか、ちょっと残念」
「あっでも曲名だけなら」
パタンとノートを閉じて、ひとりも立ち上がった。
そもそも料理を待つ時間だけで、リョウの思い思いの演奏から少しだけ感じた言葉だけだけど。
「曲名は──《青い春と西の空》ですっ」
────
カレーは美味しい。料理の経験が少なくたって、包丁の扱いが雑だって、意外と何とかなるものだ。それが虹夏みたいに当たり前に料理をする人間なら尚更美味しい。
四人での、外食じゃない夕食は初めてだ。リョウは虹夏の夕食は当たり前みたいに食べているけど、郁三とひとりは初めてのこと。無駄話に作曲の話に、盛り上がることはたくさんあった。
夕食を終えると、その後も駄弁りの時間……とはならなくて、昼間にめちゃくちゃ遊んだのもあってひとりが最初に船を漕ぎ始めた。次にリョウ。虹夏もかなり眠くなってきた。郁三は最後までうるさかった。
夜は更ける前に就寝の時間だ。
ちなみにひとりとリョウは同じ寝室で、虹夏は郁三が「絶対うるさいから却下だ!」と断固拒否したので別室になった。
おやすみなさいだ。
日帰りが泊りの小旅行になった。これを面白おかしく見ていたのは誰だろうか。発起人のリョウ母か、話を受けた星歌や後藤家両親か、それとも全力で状況を楽しんでいる郁三なのか。
「うーん……ふたり?」
怪獣となった五歳の妹に追いかけられる夢を見た、そんなひとりは深夜に目を覚ました。
暗い部屋、ただ月明りは差し込んでいて部屋の間取りはわかる。
床に入る直前の記憶は覚えている。辛うじて寝間着に着替えたり歯を磨いたりはできて。リョウに促されて一緒の部屋までやってきた。その後の記憶はない。
ひとりは立ち上がった。
「……お手洗い。あれ、リョウさん?」
部屋にある二つのベッド、もう一方で寝入っていたはずのリョウがいないのに気付いた。けど、身体的欲求には抗えないので疑問はそうそうにどこかへ捨て去って、目的の場所へ。
山田家別荘はとにかく広い。各階にトイレがあるくらいには。部屋も数十は下らない。廊下も人一人が手を広げたって有り余る幅だ。
とはいえ、ひとりは別に怖がりじゃない。むしろ陰キャとしては幽霊に親近感を覚えるくらいだ。陽キャのほうが怖い怖い。
ひとりは何事もなく用を足した。
その帰り道。
(……リョウさん、どこに行ったんだろう)
自分の寝室のノブに手をかけたところで、ひとりはそんなことを考えた。四人全員疲れ切っているのに。トイレにもいなかった。
なんとなく、ひとりはリビングとキッチン、それにバルコニーがある階に上がる階段まで歩いた。
階段を上りきると人影を発見した。リビングに続く廊下。郁三が膝をついていた。
「喜多くん?」
「あっ、ひとりちゃんっ」
振り返った郁三はあからさまに『シー』と人差し指を口元へ。
ひとりは理由もわからず声を潜めた。
「どっどうしたんですか?」
「ほら、あれ見てよ」
郁三が手招きをしてくる。それに従って郁三と同じように身を屈める。さらに促されるので、背丈のある郁三の首元に自分の顔を近づけるような体になってしまって、ひとりとしてはドギマギすることこの上ない。
前々からスキンシップの多かった郁三だけど、付き合い始めてからはなおさらそれが顕著になったような気がする。ふとした時に手を繋いできたり、肩に手を当ててきたり。それに対して爆散することはなくなったひとりだけど、未確認ライオット前後の決意とか気迫とかが緩むと、また平静ではいられなくなってしまったのだ。慣れるのにはまた時間がかかった。
郁三に見合うような女の子でいたいと、ひとりは考えてしまう。
と、それよりも。リビングの向こう、バルコニーに出ているのは。
「虹夏くんと……リョウさん?」
────
少し前。
「うー……海沿いのせいかな。夏なのに冷えるなぁ」
用を足した虹夏は身震いをした。実際のところ身震いするような寒さでもないのだけど、虹夏がそれを感じたのはどうしてだろうか。
風を感じて、虹夏は別荘内を歩いた。閉め忘れた扉があっただろうかと、主夫の思考か何かで虹夏はリビングへ。
外の空気と繋がっていたのは本当だった。バルコニーの向こうにリョウがいた。
虹夏もバルコニーに出る。
「リョウ、眠れないの?」
「にじか」
振り返ったリョウ。寝間着なのは変わらない。
昼間バーベキューをした場所だ。座れる席がある。リョウはその長椅子を、海正面にが見えるように角度を変えて座ってた。
虹夏はいつものように隣に座った。
「虹夏は?」
「別に、起きちゃって」
「……オネショ」
「しばくぞ。リョウは?」
「なんか起きちゃった。海見たくて」
「別にそんな感傷に浸るタチでもないでしょ」
「浸りたくなる時もあるの」
「厨二病め、変人め」
「嬉しくないし」
「嬉しがってんじゃん」
と、一度会話が途切れる。
「……」
「……」
『あのさ』
声が被った。
「リョウ、先いいよ」
「虹夏、いいよ」
『……』
沈黙が被った。
根負けしてリョウが言う。
「取り敢えず、感謝してる」
「え? 急に何なのさ」
「結果的にいい息抜きになったよ。虹夏のおかげ」
「そ、そう」
「ありがとう」
「……僕だけじゃないし。それに、リョウだけじゃなくて、ぼっちちゃんにも、喜多くんにも息抜きしてほしかったし」
「照れてる」
「照れてないっ」
リョウが得意げに笑ってきた。
「まったく……」
「虹夏は?」
「別に、『息抜きできたの』って聞こうとしただけだよ」
「そう」
「……」
虹夏は困った。リョウとの距離感をどうすればいいのか、迷ってしまう。
リョウが虹夏に告白をしたのが五月末、虹夏の誕生日。虹夏がそこに対して初めて「向き合うよ」と返事をしたのが未確認ライオットが終わった後、7月末。今は8月中旬だ。
レーベル、バイト、スタ練。いつも虹夏とリョウ以外にひとりや郁三がいた。二人きりになるのは久しぶりだ。
恋愛事に耐性がなかった虹夏は、ひとりとの関係だって悩みに悩んだ。今はリョウの気持ちを理解している。何もなかったようにはできないし、目の前の女の子は自分のことを好きだという。
どうすればいいか、わからないんだ。
(とはいえ、バルコニーに一人出ているリョウを放っておくのも変な気がしたし……)
ふとした時、いつものリョウとの喋り口が出てくる。ふとした時、リョウは自分を好きなんだと意識してしまう。
(……とにかく、恥ずかしいんだよ)
「虹夏はさ」
「はいっ?」
ちょっとどもった。
「虹夏は気分転換になったの?」
「ま、まあね」
「レーベルとか、これから忙しくなるし」
「望むところでしょ」
未確認ライオットで、結束バンドは一歩先に進んだ。レコーディングの予定もある。きっと、また苦しいこともあるかもしれない。
「虹夏はさ」
「うん?」
「ぼっちのことはさ、もう大丈夫なの?」
今度は、少し喉に詰まるものがあった。
────
「……辛うじて聞こえるような、聞こえないような」
「でっでも……なんかいい雰囲気、ですね」
少し前から、郁三とひとりは虹夏たちの話を耳に入れている。
部屋の中からかがんで聞く二人。虹夏ろリョウの会話の全部が鮮明に聞こえるわけじゃない。途切れ途切れなところもある。
けど、リョウのこれはどうしてかはっきりと聞こえた。
『ぼっちのことはさ、もう大丈夫なの?』
ひとりだけじゃない。郁三も少しだけ気まずくなる。
告白されたひとりはもちろん、虹夏から本心を聞いた郁三も虹夏の恋心はわかっていた。
悪い言い方をすれば、虹夏はひとりと郁三の関係を見せつけられている。
「……ひとりちゃん、そろそろ行こうか」
郁三はそう促した。でもひとりは首を横に振った。
「……少しだけ、まだここにいたいです」
「ひとりちゃん」
「虹夏くんの気持ち……知っておきたいんです」
ひとりは虹夏の気持ちを断った。お互いの気持ちは理解していたし、恋心を超えた友情があることをわかってる。
それでも、自信がなくて何かにつけて「すみません」が口癖のひとりには、根本に溜まっているものがある。自覚がないまま虹夏に恋愛相談をしたことだ。
本当は虹夏がどう思っているのか。少しでも知りたい。
「盗み聞きなんて……ズルい気はしますけど」
「……そっか」
郁三の心臓に銀のナイフがぶすりと刺さった。
二人は耳を傾ける。リョウの問いかけの後。
『……それ、聞く?』
『だって、気になるし』
『前に言ったじゃん』
『忘れた』
虹夏はこめかみを震わせて……やがて目尻を下げてふっと笑った。
『初恋だよ? ぼっちちゃんのことが嫌いになったわけじゃない。今だって好きだよ』
『……そっか』
ひとりが顔を赤くした。
『喜多くんのことは殴りたくなるし……』
『嫉妬』
『悪かったな』
郁三が居たたまれなくなった。
『でもさ』
虹夏は顔を上げた。今、空には星座がみえない。大きな満月がひとつある。
『ぼっちちゃんはさ、僕のヒーローなんだよ』
虹夏の言葉に、リョウも、ひとりも、郁三も、口を閉じてしまう。
『ぼっちちゃん、言ってくれたんだよ。僕のことを、わたしのヒーローだって』
リョウと郁三は強い興味があるわけじゃないけど、当然《ギターヒーロー》のことは知ってる。ただ虹夏がその《ヒーロー》に強いこだわりを持っていることは、そんなに知らない。
『喜多くんだってさ、なんだかんだ言って、僕やリョウを繋ぎとめてくれて。悔しいけどさ、嬉しいんだよ。嬉しいんだけどさ、悔しいんだ』
その言葉に、虹夏以外の三人はたくさんの想像を巡らせる。
リョウは、四人の中では一番人の機微に鋭かった。虹夏の感じていることが少しわかった。
『そっか。虹夏も頑張ってるんだ』
『まだトラウマなんだから、思い出させないでよ』
『慰めてあげるよ』
『何を、どうやって』
『頭撫でてあげる』
それはリョウがたまにやる虹夏へのスキンシップだ。身長差のないリョウと虹夏は、立ってても座ってても目線が変わらない。
リョウが体の向きを虹夏へ向ける。いつもみたいに。虹夏の頭の上へ手を伸ばす。
『いいよ』
虹夏はリョウの手を払った。これもいつものことだ。こういう事なら、手と手が触れたって驚きはしない。
『嫌がらないでよ』
リョウは笑った。もう一回、今度は強引に虹夏のアホ毛を掌でつぶした。
『いいってばっ』
『照れない』
『だから照れて──うわっ』
虹夏の言葉にしんみりとしていたひとりと郁三の耳に、少し大きい音が響いた。
びっくりして顔を上げ、先輩二人の様子を伺うと──
「えっ」
「はわわわ……!」
ひとりと郁三が絶句する、視線の先で。
『……』
リョウが、虹夏に覆いかぶさっていた。
タイトル解説
《曖昧なひとたち》
歌:ポルノグラフィティ
《曖昧なひとたち》は、ポルノグラフィティによる比較的ゆったりとした調子のラブソングです。歌詞を聴いていくと、タイトルの通り『曖昧なひとたち』である二人の男女が、冬の喫茶店で駄弁って、ゆらりとどこかへ行く物語を連想できます。
なんかこう、友達以上恋人未満の雰囲気っていいですよね。本作を書くようになったからなのか偶然なのか、恋愛アニメを観る機会があったのですがやはり青春はいい。
そして厳密には状況が異なるけれど、本作現在の虹夏とリョウも、間違いなく『曖昧なひとたち』なのだと思うのです。しかし歌詞では「曖昧なりに進んでいこうね~」みたいな感じで言ってますが、本作の虹夏とリョウはそれが許されるのか……