下北沢高校、三年B組。某金八先生じゃない。虹夏とリョウのクラスだ。
放課後。椅子に座ったまま動けないリョウは、汗をダラダラと浮かべながら虹夏に言った。
「最近、ずっと家まで誰かにつけられてる……」
「え!?」
リョウのことだ。何気ないいつもの雑談かと思ったら、急に事案の匂いがしてきた。
「け、警察行ったほうがいいんじゃない……?」
「……心当たりはあるんだけど」
「あるんかい。ああ、追っかけか」
虹夏の三角アホ毛が急激にしなびた。途端に興味が失せた。
リョウが、そこはかとなく縋るような目線で虹夏を見上げてくる。
「心配しないの?」
「いや、だっていつものことでしょ」
リョウの人気が高いのは事実だ。クールビューティなルックスがあるし、結束バンドの女子二人は美人の方向性が綺麗に分かれていて男性人気がある。ただ、リョウの場合は女性人気の方があったりするけど。
虹夏が心当たりのある相手が誰なのか聞くと、スラスラ人物名が出てくる。
「あゆみ? 瞳? コンビニの璃子? あ、人妻の早苗?」
「守備範囲広すぎだろ。ほら、やっぱみんな女の子とか女の人じゃん。心配して損した」
どんだけ手玉に取ってんだ。
「……」
リョウが微妙な面持ちで虹夏を見上げ続ける。
「なに?」
「いや、別に」
「どっちにしても、今日はバイトもないし気分転換にはなるでしょ。ほら、行くよ」
「うん」
迷うことなく教室を出ていく虹夏を、リョウははぁっと息を吐いてから立ち上がって追いかける。
リョウは思った。
女性だから心配しないのか。相手が男だったら、心配は続けてくれるんだろうか。
ちょっとだけ掠めた思いをしまい込む。
今日は虹夏とリョウの二人で新宿へ遊びに行く。ライブハウス新宿FOLTで、虹夏たちとも縁のあるバンド《SICK HACK》のライブがあるからだ。
郁三とひとりはいない。二人はSTARRYでバイトをしている。
虹夏とリョウが二人で遊びに行くのは、ここ数年を考えれば珍しいことじゃない。いろいろなことがあっても、
「先ぱぁいたち!! お疲れ様ですぅ!」
二人の前に、ともすればかな切り声にも近い黄色い声が現れる。
意識外からの不可避の速攻だ。虹夏は体を跳ねさせて、ついでに三角アホ毛も30cmくらい飛ばして盛大に驚いた。
「うわっ!?
リョウも表情は変えないけど結構驚いている。
虹夏は飛び出そうになった心臓を抑えつつ、目の前に現れた女の子に話しかける。黒髪ロング、ともすれば清楚系に見えるような風貌。知り合いだ。
「日向さん、どうしてここにいるの?」
「だってぇ」
少女は、目にハートが浮かんでるんじゃないかと錯覚しそうな倒錯スマイルで叫んだ。言ったんじゃない、叫んだ。
「先輩たちがライブに行くって情報をつかんで、
女の子の名前は、日向
初めてバイトに来た時に一通り自己紹介を受けたけど、猫々とは別ベクトルでまた喧しい後輩だった。
まず、結束バンドとは面識があった。春頃にブッキングライブで会った地下アイドルグループ《天使のキューティクル》のメンバーの一人だ。ファンに「ラファエルちゃん今日もかわいいよぉぉ!」と叫ばれていたラファエルちゃんだ。
グループはメンバーの炎上騒動で解散したらしい。いつの世もファンが付く活動というのは大変だ。
恵恋奈は結束バンドのライブを観て、バンドを推し始めているらしい。結束バンドに関しては、メンバー箱推しの本担リョウなリアコガチ勢夢女。リョウのファンだから演奏するかもわからないのにベースを買った。趣味は夢小説執筆、そして同担拒否とのこと。
安心してほしい。聞いた時は虹夏も意味が分からなかった。
あと、自分のことを《えれ》と呼んでいる。
とにかく、恵恋奈はそんな元気なバイトの後輩。虹夏はまあ、バイト仲間が増えるのは嬉しいし、そもそもちょっとズレた人間の多いSTARRYだから喧しいのはそこまで気にしていない。
問題はリョウだった。猫々と同じく苦手な部類の人間だからだ。
恵恋奈はリョウと虹夏に聞いた。
「えれも一緒にライブ行ってもいいですかぁ?」
「やだ」
即答するリョウ。めちゃくちゃ顔をしかめる。
対して恵恋奈は。
(推しの『やだ』頂きましたぁ!)
「ありがとうございますぅ!!」
「話が通じねぇ! ていうかなんで心が読めたんだ僕……」
感涙する恵恋奈。
結局、恵恋奈は勝手についてきた。ちなみにリョウが
仕方ないので雑談をしながら新宿FOLTへ向かう。
リョウ推しだという恵恋奈は、郁三が大人しく見えるくらいにマシンガントークをかます。世間話、お仕事に推し事、結束バンドの普段の話まで。
ちなみにリョウは辟易して携帯会社ロボットのペーパ君みたいな喋りになっている。
話しながら、虹夏は思った。
「あのさ、日向さん」
「はぁい?」
「もしかしてリョウをつけてたのって……」
「つけてないですっ!」
即答。ぶんぶん腕を振って否定する。いや、どうしてリョウのストーカーのことを驚く前に否定するんだ。
恵恋奈はめちゃくちゃまくし立てた。
「結束バンドの公式垢であげてた先輩たちの写真の瞳に偶然景色が映りこんでてそこから先輩たちの日々の呟きと照らし合わせてグルグルマップで検索したら偶然生活圏が特定できて今日この辺をうろついてたら先輩たちを発見してライブに行くという話が聴こえたんですー!! 故意じゃなくて偶然なんですー!」
ほぼ確信犯じゃねぇか。
変わらず興奮している恵恋奈に隠れて、虹夏はヒソヒソとリョウに聞いた。
「……やっぱりリョウのストーカーって?」
「違うと思う。こんなにうるさかったらさすがにわかる」
「そっか」
ため息を吐く虹夏。結局、ストーカーというのはリョウの気のせいなのだろうか。
リョウのストレスが限界を迎える前に、新宿FOLTへにたどり着くことができた。まだライブが始まる前の時間だ。STARRYよりも大人数が収容できる。人も多くて、ざわつきは絶えない。
恵恋奈はSNSの友達のところに行くと言って人混みに消えた。とはいえめちゃくちゃ声がうるさいからどこにいるかはっきりとわかる。
「虹夏くん。それにリョウちゃん、来てくれたんだ」
「あっ、志麻さんお久しぶりです!」
虹夏とリョウを呼んだのは、
普段はぶっきらぼうなリョウも会釈する。
「ライブ、楽しみにしてます」
「ありがとう、今日も頑張るよ。あと、廣井が迷惑かけてるみたいで、ごめんね」
「あはは……」
「結束バンドはどう? レーベルとも契約したって聞いたよ」
「はい。といってもまだまだバイトも路上ライブも必要な金欠バンドマンですけど」
「仕方ないよ。バンド活動なんて大体そんなもんだよ」
「でも、最近は後輩も増えましたし。バイトもちょっとは楽になって」
「バイト……ああ、たしか恵恋奈ちゃんSTARRYでバイトしてるんだったね」
志麻は困ったように笑った。視線の先には恵恋奈がいる。
「あれ? 志麻さん、日向さんのこと知ってるんですか?」
「それがね……彼女、物販すごい買ってくれるんだ。CD一人で三十枚とか」
超太客だった。聞けばライブハウスの機材をぶっ壊して金欠のきくりも頭が当たらないらしい。さらに《SICK HACK》のギター担当、清水イライザとも仲がいいとか。
「日向さん、バイタリティすごいな」
虹夏はため息を吐いた。リョウはめんどくさいやつなんてどうでもいいと思った。
志麻と分かれて、また恵恋奈が戻ってくる。
「日向さん、志麻さんから聞いたんだけど」
「え、志麻さんが来てたんですか!? しゅきピ~!?」
《SICK HACK》まで守備範囲だった。
「えっと、どうしてCD大量に買えるの? STARRYのバイト、ぶっちゃけそこまで高給じゃないし」
「えれ、コンセプトカフェでも働いてるんですよ~!」
「コンセプトカフェ?」
店員や内装を整えて特定の世界観を演じるカフェのことだ。メイドカフェとか執事喫茶もあるし、場所によってはファンタジー的な世界観を模したものもある。
恵恋奈は虹夏とリョウにスマホの写真を見せてきた。
「バニーメイドカフェ! どうでしょうリョウさん! えれのバニーガール姿!」
「知らん」
そこには、カチューシャと兎耳をつけつつ、胸元も膝下も露出がやべぇセクシーバニー姿の恵恋奈がいた。
それを凝視するリョウ、そして虹夏。
「……」
「……」
「……にじ」
「僕は何も見てない」
「何も言ってないんだけど」
「……」
「……メイドぼっち」
虹夏の顔が赤くなった。三角アホ毛が扇風機みたいに回転する。
「まあ、虹夏の好みだもんね」
「僕は何も言ってないっ」
恵恋奈のバニーメイド姿。大きかった。ひとりと同じくらい。
伊地知虹夏。世の男子に恥じないムッツリスケベである。
閑話休題。
「はー楽しみですね~! 推しのライブ、最高です!」
《SICK HACK》のライブが始まる時間も近づいてきた。虹夏の右隣りにリョウ。左隣りに恵恋奈。好き勝手に動き回る恵恋奈に、リョウのテンションもいよいよ限界だ。
隣でめちゃくちゃ喧しいのは事実だけど、けれど本当に何のきっかけもなく、リョウが虹夏から離れる。
「リョウ?」
「……奥で観る」
背を向ける。虹夏は恵恋奈の顔を見ることもなく、顔の見えないリョウに向き直った。
「ちょっと、もう少し愛想よくしてあげなよ。そりゃ気持ちもわかるけどさ」
「もう無理」
「なんでそこまで嫌うのさ」
リョウはため息を吐いた。そうして何を思ったのか。
「メンバーの私生活の詮索とか、顔の話とか。好感度上げのためだけにベース買ったり。そういう薄っぺらい態度が嫌」
ド直球に、包み隠さず、真正面から恵恋奈に言い切った。
さすがに見過ごせない、配慮の欠片もない暴言。虹夏はリョウの首を締めあげた。
「てめーもう少し包めや~!」
当の恵恋奈が虹夏を抑えにかかる。
「いいんです! えれ、軽いのは本当ですし! 嫌われて当然ですし!」
「いや日向さん……」
嫌われて嬉しそうにする人間なんて、虹夏の辞書にはない。
恵恋奈が庇うことで虹夏の手がゆるむ。リョウは緩慢な動きで抜け出して、逃げるように遠ざかっていく。
「あ! ちょっとリョウ!」
虹夏の言葉にも、リョウは言葉を返さなかった。
────
少し前からステージの幕が上がって、観客の叫び声と、きくりの妖艶な歌声が聴こえてくる。
けれど、後方のほんの少し静かな休憩スペースの椅子に座って、リョウは今日何度目か数えるのもめんどくさいため息を吐いた。
(ちょっときつく言い過ぎた……? にしても疲れた……)
恵恋奈に対してひどいことを言った自覚はある。けど、悪いと思えないくらいにはリョウも疲れ切っているし、少しやけくそになっている。
せっかくの《SICK HACK》のライブだ。きくりに顔面踏まれたのがいい思い出になるくらいには大好きなバンドなのに、聴く気が失せてしまった。
そして、それ以上に。
(せっかくの……虹夏との、なのに)
虹夏との最近の出来事を考えれば、今日のライブは決まった時から楽しみにしていた。きくりたちだったり、《SIDEROS》の大槻ヨヨコたちだったり知り合いに会うだろうとは思っていたけど、ここまで虹夏との二人の時間を邪魔されるとは思わなかった。
楽しみにしていたんだ。なのに、そんな時間もどこかにいってしまった。
それだけじゃない。改めて思ったことだけど、虹夏の周りにはどうしてか女子が多く集まりすぎてる。
ひとりのことはまあいい、というかしょうがない。星歌も姉弟だからノーカウント。PAさんはどうだろうか……。虹夏は綺麗なお姉さんとして慕っているけど。
きくりのことは信頼している一方でちょっと怪しいと思っていたりする。《未確認ライオット》ライブ審査の時の虹夏の態度を見るに、居酒屋できくりを鬱陶しがってたのが嘘のようだった。だからちょっとだけ、ほんのちょっとだけ心配してる。
他にも、《SIDEROS》の女子四人。ファン1号2号。まあ1号は単に友達として仲がいいだけみたいだし、2号に至っては矢印がひとりに向いているからまあいいとして。
猫々。そして、恵恋奈。
(なんか、どんどん女子ばっか増えてんだけど)
郁三がいなかったらどうなっていたか、想像もしたくない。男子のバンド友達とか増えないのか。なんだこの虹夏ハーレムは。
虹夏の女子耐性を妨いでしまっていたことを後悔してたけど、一周回ってよかったんじゃないかと思ってしまった。そうでなければ虹夏なら恋人ができてもおかしくないし、そもそもひとりを射止めていた可能性も……
(あー、なんかこの感じ久しぶりだ)
《未確認ライオット》以降感じなかった、恋愛騒動への気疲れがぶり返してくる。
それもそうだ。郁三とひとりと違って、そもそも自分は虹夏とそう在りたいと思った関係性までなれていない。
恋愛騒動があったから、虹夏と自分は今、笑っていられる。出会ってきた人たちと、虹夏が
でも、感情は。
「あ、あの……」
「え?」
思考を遮られた。知らない人の声だ。
うつむいていた顔を上げると、同世代の女子が不安げな顔をして立っていた。二つ結びのおさげ、ニット帽。ひとりほどではないけど、表情が見にくい。
けれど、確かに自分を見て、自分に声をかけた。
「……なに?」
知らない人だから、身構えるにしてもどうしようもない。そうとしか返せなかった。
女子は言った。
「私、山田さんの前のバンドのファン、なんですけど……」
「ああ、《はむきたす》の。どうも」
虹夏は昔馴染みだからよく知っていて、郁三が自分の追っかけになったきっかけで、ひとりにもいつだったか話した、前のバンド。
自分のファンだ。気だるい気分を振り払って、何とか体裁を取り繕う。
「《SICK HACK》も好きなんだ? ライブ観てきたらどう? 悪いけど、ちょっと一人になりたくてさ」
「い、いえっ。その、今日は山田さんと話したくてここに来たんですっ」
「……ん?」
なんだ。雲行きが怪しくなってきた。
脳裏をかすめる、嫌な予感。
女子の語感が激しくなる。
「あの、なんで前のバンド辞めたんですか!?」
「えっと──」
「今は《はむきたす》の人と関わりないんですか!? 私、前のバンドの方が勢い合って好きだったのに──」
「その──」
疲れた脳にまくし立てられちゃたまったもんじゃない。
頭がボーっとする。ボーっとする頭で、思い至る。
(あれ? もしかしてストーカーってこの子──)
「結束バンド、正直微妙です! 山田さんはもっと──」
さらに女子が語気を強める。リョウに近づいて、自分の感情を激しく。その手がリョウの手をつかもうとして──
女子の手を、細いけどしっかりとした腕が間に入ってつかんだ。
リョウの視界いっぱいに広がる、小さくて大きい人影。同じ高校の制服。ライブハウスの中にあって、嗅ぎ慣れた人の匂い。
虹夏。
「えっと、その。うちのメンバーに、何か用かな?」
間に入った虹夏は、困ったような笑顔を浮かべた。
女子の勢いがそがれたことで、虹夏はちょっとだけリョウを見る。
「に、にじか」
「リョウ、大丈夫?」
「う、うん……」
それだけの会話。虹夏は自分の体をリョウと女子の間に押し込んだ。リョウの視界いっぱいに、虹夏の背中が。
「えっと、リョウの前のバンドのファンだよね」
「貴方は、結束バンドのリーダーの……」
「うん。ドラム、伊地知虹夏」
「……」
「ごめんね、急に割り込んで。でもライブ中だし、その……ピリピリするの、やだなってさ」
弱々しく頭を掻いた、虹夏。
「……」
「……」
「私、結束バンドなんて──」
「わかってる。ほら、僕たちそもそも《未確認ライオット》、グランプリ獲れなかったしさ、あはは」
リョウに想いをぶちまける女子の声は大きかったし、虹夏にもなんとなく事情は把握できていた。優しい性格の虹夏は、強く出ないでそんなことを言う。
女子の言うことは全く分からないわけじゃない。虹夏はそもそもリョウの演奏をずっと聴いてきた。リョウが《はむきたす》に入る前からだ。下手をすればバンドのファン以上に実力はよく知ってる。自分とリョウじゃ、レベルに開きがあるってことも知ってる。
それでも。
「それでもリョウは、僕……たちと一緒にバンドやってると、楽しそうなんだ。だから結束バンドから離れるのは……ちょっと、やだなって」
「……」
「……」
沈黙。ライブの音楽が、少し静かに聞こえる。
虹夏は「えっと」と、女子を諫めるのにこれ以上どんな気持ちを伝えればいいかと、口が止まった。
女子も「えっと」となる。リョウへの自分本位な言葉を否定されるんじゃなくて、結束バンドのリーダーが急に『リョウが離れると嫌だ』と言うもんだから、勢いがせき止められた。
『……』
長ーい沈黙。
リョウは思った。
(え、なにこの状況)
この話の落としどころはどこにあるんだ。
「ストーップ!」
落としどころがやって来た。恵恋奈だ。虹夏もリョウの存在すらなんのその。リョウのファン女子のパーソナルゾーンに有無を言わせず突っ込んでくる。
「こ、今度は誰ですか……!?」
「私は《しゅきピの養分になりたいオタク》です!」
ハンドルネームが超長い。
恵恋奈は、今度は少しだけ声のトーンを落とす。
そして、これまでのリョウたちの前での態度が嘘だったかのように、落ち着いた声色を出した。
「あなたがリョウさんの前のバンドが大好きなのはすごく伝わります。でもその気持ちにかまけて、推しや推しの大事な人に悲しい顔させたらオタク失格ですよ!」
いや、その理屈だと自分もダメじゃないか? 虹夏は思った。
「悲しませたくて推してたわけじゃないですよね? 自分の本当の気落ち、見失っちゃダメです!」
シン、と静まり返るリョウたちの空間。
(なんか、日向さんに持ってかれたな)
虹夏は苦笑交じりに笑みを浮かべた。結局、自分じゃリョウの助けにはならなかった。
リョウのファン女子の気持ちは、同じようにファン側だからこそわかるのかもしれない。
女子は、意を決したように顔を上げる。その顔には、もう見境のないような、焦ったような、そんな雰囲気はない。ただ、ただ、申し訳ないように瞳が揺れている。
虹夏は何も言わずに場所を譲った。座ったままのリョウと、ファンの女子が向かい合えるように。
「あの……山田さん」
「……うん」
「ずっとファンで、好きだって気持ちを伝えたかっただけなんです。でも、いろんな気持ちが溢れちゃって…ごめんなさい」
「ううん、私も、わかるよ」
そんな風に、リョウは言う。
ファンからすれば、裏切られたような気持ちか。同情はしない。でも、同情しないだけだ。思い通りにならないで苦しい気持ちは、わかる。それでも、どうにかして伝えようとするのも。
リョウは立ち上がった。ちゃんと、ファン女子と同じ目線に立った。
「ありがとう、気持ちを伝えてくれて。結束バンドの曲、もう聴いた?」
「まだ気持ちに踏ん切り突かなくて……でも、聴いてみようと思います」
「わかった。そしたら感想聞かせてよ」
ファン女子は、今度は虹夏に向き直った。
「伊地知さんも、ごめんなさい」
「いや、僕の方こそ突っ込んじゃってごめんね。僕にも感想、聴かせてくれたら嬉しいな」
「虹夏は作詞も作曲もしてないでしょ」
「うるさいっ。ドラムだっての」
小突くリョウ。嫌がる虹夏。
ボルテージがまた高まる恵恋奈。まだ、少し元気のないファン女子。
「さあ! まだライブは始まったばかりです! 今すぐ前列に戻って志麻さんのお顔を見届けますよー!」
恵恋奈が言う。『志麻の顔』の話はともかく、たしかにそうだ。まだ、ライブは始まったばかりだ。
────
「恵恋奈」
「リョウさん?」
虹夏、リョウ、恵恋奈の並びでライブを観る。リョウは恵恋奈に話しかけた。
「さっきの言葉、訂正する。勘違いしてたよ」
リョウの言葉は、ライブの喧騒で他の人には聞こえない。
「恵恋奈にも推し活っていう芯があったんだね。薄っぺらいとか言ってごめん」
(推しの『ごめん』頂きましたぁ!)
「気にしてませんよ~!」
うん、なんで心の声が聞こえたんだろう。リョウは気にするのをやめた。
「それと、私は楽器が好きな人間が好き。ベースなら教えてあげられないこともないよ」
恵恋奈の瞳にハートが宿る。
「頑張りますぅ!」
────
「虹夏」
「リョウ?」
「さっきはありがとう」
「別に……リョウ、困ってた風だったし」
「心配してくれたんだ」
「まあ、よかったよ。リョウの追っかけの件、解決したかな?」
「さあね。明日になればわかる」
「そっか」
「虹夏」
「なに?」
「他に言うことは?」
「え? 僕が?」
「……」
「な、なんで僕が何か言わなくちゃならないんだよ」
「じゃあ、代わりに私が言うか」
「何をだよ」
「────」
ライブの喧騒で、他の人には聞こえない。
タイトル解説
《幸せ》
歌:back number
本作の発端は「ここだけ虹夏と喜多が男の結束バンド」です。私がこうして書いているようにそれなりの人数がこのスレに脳を灼かれたと思いますし、他者様の素敵な小説やイラストも興奮しながら観・読まさせてもらっています。
そして本スレの某パートか、それともXのポストかは忘れましたが、目撃したのですよ。「この山田リョウはバックナンバーの《幸せ》が似合うんじゃないか」というコメントを。
聴いてみました。くっそ似合ってるじゃねぇか……!
「わかってるよ。虹夏が誰を好きなのか。でもその隣で、私はずっと虹夏を──」
はい、気持ち悪いですね。そろそろやめます……。
まあでも、この話の最後の瞬間は、素直な意味で《幸せ》だと思います。
※どうあがいてもリョウがまっとうな青春女子になってしまう……
《今、僕、アンダーグラウンドから》を、誰に向けて歌いたい/演奏したい?
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ひとりちゃん
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虹夏くん
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リョウさん
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郁三くん
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虹夏ちゃん
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郁代ちゃん