《結束バンド》の四人に星歌の五人が伊地知家に泊まるという、めちゃくちゃ大所帯な一夜を終えた次の日。
虹夏は若干寝不足だったけれど、何とかみんなの朝食を用意できた。そのまま男女関係なく全員を起こして、少し気まずい空気の中、食事は進む。
「僕は今日、家事やったら勉強するからさ。喜多くん、今日は僕の部屋に入るの禁止ね」
「ええ!?」
「だって、喜多くんがいると勉強進まないし」
早速虹夏から郁三へ死刑宣言。ひとりもリョウも、ぼーっとした気持ちでそれを聞いていた。
「リョウは?」
「今日は私シフトだから。店長と一緒にSTARRYに行くよ」
「なんだ、珍しくサボらねえのな」
「失礼な店長。私がサボったことなんて──」
「ありすぎて記憶容量が限界だわ」
一刀両断だった。
残るはひとりと郁三だけ。
「二人はどうするの?」
虹夏は聞いた。
実際のところ、今日はスタ練もなければリョウみたいにバイトもなく、虹夏みたいな受験生でもない日だった。ひとりと郁三のマンツーマンレッスンの日でもあって、STARRYのスタジオを使う予定ではあったのだけど。
『……』
二人は無言のままだ。虹夏も星歌も、二人が家にいることについては別に問題ない。とはいえこの気まずい空気だけは何とかしてほしいと思ってしまう。
「……最近、二人は遊びに行ったりしてるの?」
「いや、特には」
「さっ最近は練習が中心で……」
「そっかぁ」
聞きに徹しながら、リョウは「珍しい」と考えた。
陽キャ郁三のことだからひとりを連れまわしていると思っていた。いや、少なくとも付き合い始めた最初の頃は頻繁にデートをしていたはずだ。《未確認ライオット》もひと段落した頃だったし。
でも考えてみれば、最近こそ郁三は家出騒動を起こしたわけだし、ひとりに秘密にしていたのだから行動パターンが崩れてもおかしくはないか。
(まったく、虹夏に無茶をさせる……)
リョウが心配した通り、虹夏はにへらっと笑った。
「たまにはさ、二人でゆっくり遊んで来たら?」
『……』
郁三もひとりも気まずそうなままだ。
「ぼっちちゃんの実力は僕たちみんな知ってる。喜多くんも上り調子なのはわかってるし。たまには息抜きしないと」
「でも、俺もっと上手くならないと……」
「だからって練習、練習、また練習じゃ、気が張り詰めちゃうでしょ。二人ともムスッとしちゃってさ。そんなんじゃ、練習も意味なくなっちゃうって」
『……』
ぐうの音も出ない二人だ。虹夏はリーダーとして、先輩として、そして恋愛で辛酸をなめた一人として、容赦なく言葉を告げる。
嫌な思い出を大切な思い出として昇華する。それはきっと恋愛騒動の中で、四人の中で虹夏が一番実感を持って得ることができた成果だ。
虹夏は意地悪な顔をして笑った。
「ぼっちちゃんも。別に二人とも、お互いのこと嫌いになったわけじゃないでしょ?」
ひとりも、郁三も思い出す言葉がある。
──ぼっちちゃんの気持ちを、ぼっちちゃんの言葉で、聞きたいんだ。どんな言葉だって。
──喜多くんも教えてよ。喜多くんの気持ちを。言葉でだって、歌でだって、なんでもいいから。
四人が《結束バンド》でいるために、虹夏が一番求めていること。
それは、正直でいること。
「……もちろんです」
「……はいっ」
迷いのない返事。
「じゃ、尚更バンドリーダーとしての命令。二人ともちゃんと腹割って話すこと。いいね?」
『……はい』
リョウが安心して、密かに嘆息した。
星歌が弟の成長を感じて、柔らかく笑った。
郁三とひとりの表情だけが、まだ曇っていた。
────
二人で伊地知家を出て、けれどお互い行きたい場所があるわけでもないことに気づいた。
まだ冬休みにも入っていない、たまの休みの日。下北沢から出て遠出しよう、という気分でもない。
とはいえ季節は冬で、外で話すというのも体に毒だ。二人は喫茶店に、いつも次子も含めて集まる高校近くの喫茶店に行くことにした。
淡々と、お互いの飲み物を頼んで、そうしてからもしばらくはお互い無言だった。
ただ、何も言わないわけにはいかなくて。
『あっあの』
思いっきり被った。
「っと、ひとりちゃん、いいよ」
「きっ喜多くんどうぞ」
「……」
「……」
沈黙が長い。周りの喧騒がうるさく聞こえる。
お互い、言わなきゃいけないことがあるのはわかりきっている。
でも、気まずさがあって言いだすには時間がかかった。
「……なんかごめんね、ひとりちゃん」
まず最初に郁三が謝ることになった。
「あっえ……と。いえ」
ひとりの声はいつもと変わらない。というか、いつだって陽キャの言葉に対してはどもった声だ。
「ひとりちゃん……その、怒ってる、よね。隠し事しちゃって」
「い、いや……! 怒るなんて、そんな……」
「でも、悲しそうな顔してる」
「……」
悲しい。その言葉を否定することは、ひとりにはできなかった。嘘を吐くことになるから。
怒ってなんてない。これは本当だ。自分なんかが、どうして大事な恋人に怒るのか。
でも悲しいのは本当だ。寂しいのが、ひとりの本心だ。
「……きっ昨日話したことは、嘘じゃないんですよね?」
「うん、それは本当だよ」
「……」
ひとりは言い淀んだ。
でも、リョウに言われたことがある。
『落ち着いて、話してみたら?』
観覧車の上で、虹夏に言われたことを、忘れない。
『ぼっちちゃんの気持ちを、ぼっちちゃんの言葉で、聞きたいんだ。どんな言葉だって』
ひとりは、口を乾かせて、緊張で心臓がうるさくて、周りの声が聞こえなくなって、それでも微かに口を動かした。
「きっ喜多くんの悩み……教えてくれなくて……寂しかった、です」
「……」
「喜多くんの力になりたいって……思ってた、のに」
「ごめん……自分で片を付けなきゃいけないと思って」
「わたし……頼りないですか?」
「え……? そんなこと、ないよ」
郁三は眼を瞬かせた。
「きっ喜多くんが路上ライブに協力してくれたこと……すごく、嬉しかったんです」
ひとりは目の前にいる郁三の顔を見れない。口を開いて、顔を上げて、でも正直に話すだけで精一杯だ。
だから郁三の顔は見えない。郁三の口が少し開いて、動きが緩慢になって、そんなところしか見えない。
「喜多くんだって、リョウさんと色々あって……でも《結束バンド》が好きだから、協力してくれて」
「ひとりちゃん」
ひとりの声が大きくなる。
「だからわたしだって、わたしが大変でも、喜多くんの力になりたいって……!」
その決意は、ひとりにとっては裏切りで返された。
状況があまりに違う、そんなことは関係ない。ただただ、寂しくて、悲しかった。
だから、ひとりは思ってしまう。
「やっぱりわたしは喜多くんには似合わないんじゃないかって」
それはどこかで感じていたこと。郁三はリョウのことが好きだったから。リョウが好きで《結束バンド》に入ったんだから。
好きになったのは自分だ。郁三に告白されたとき、それが歌と演奏で本心だってわかっていても、理屈ではどうしてなのか不思議で不思議でたまらなかった。
『すごいギターの腕があって……そんな女の子を、支えたいって思ったんだ』
郁三の言葉は、本当にそれだけだったのか。恋人同士なのに、自分には支えさせてくれないのだろうか。
寂しさと、悲しさと、やるせなさがないまぜになったひとりの想い。
目尻に力が入る。まだ、涙は流れない。それでも。雫が零れ落ちそうになる。
拙い言葉でも伝え終えて、それで、ひとりはようやく郁三の口より上を見る余裕が生まれる。
ずっと仲が良かった、付き合い始めてからはさらに距離が縮まった。そして今日、喧嘩みたいな気まずさを経て、告白の時とも違う言葉を交わして。
ずっと笑顔が絶えなかった自分の恋人はどう思うのだろう、そうして顔を見上げる。
ひとりの目の前の郁三は──郁三こそ、少し怒っていた。
「そんなこと、言うなよ」
「えっ」
どもるでもなく、息を吐くようなひとりの声。郁三の冷えた雰囲気が、本当に予想外だからだ。
郁三の眼が、優しくない。
真っ赤で快活で、太陽みたいな郁三。でもそれだけじゃなくて、ちょっと抜けてて優しくて暖かい、夏の日の向日葵みたいな郁三が。
固い。
「ひとりちゃんに告白したのは、俺なんだよ」
郁三はひとりの本心を知っている。知ってしまっている。
確かに、意識的に先に恋をしたのは、ひとり。それを知って、郁三はひとりのことを考えるようになった。
でも、最初からひとりのことは好きだったんだ。それが友達に向けてのものだったり、友人としてのそれだったり。あやふやなものだったとしても、『好き』という気持ちはどこまでも本当だ。
「ひとりちゃんが、例えば虹夏先輩を好きでさ。それで俺が好きじゃないっていうなら、わかるよ。悔しいけど、納得するしかないよ」
「そっそんなこと」
「でもさ、俺が告白したんだよ」
有無を言わせず、ひとりの言葉をかぶせてくる。リョウ、虹夏、他の誰にだってこんな態度はとらなかった。
とったのは、ひとりと出会ってから一度だけ。ぽいずん♡やみに《結束バンド》の価値を煽られた時。
郁三は、怒っていた。
「似合わないって思うのは、俺の方なんだよ……っ」
郁三は、我慢できなかった。ひとりが泣きそうでも、それでも許せないものがあった。
「ひとりちゃんは……ずっと、カッコいいよ」
「あ、え……」
「ギターが上手で。俺を《結束バンド》に戻してくれた。勇気があって、一心不乱に頑張れて」
きっかけがリョウだったとしても。戻れたのはひとりがいたから。文化祭ライブ、アドリブができるまで成長できたのはひとりを支えたいと思ったから。
今、未確認ライオットや路上ライブでしっかりとギターを弾けるのは、全部、ひとりがいるから。
どれだけ、助けられてきたか。どれだけ、救われてきたか。
そんな女の子に対して、思っている。追いつかなきゃいけないって。
「『似合わない』って思ってるのは、俺のほうなんだよ……?」
縋るような、『おかしいよ』とでもいうような、郁三の目線。
「き、喜多くん……」
「家出の原因、母親と喧嘩したっていったけど」
母親との喧嘩。進路について、大学進学の件だ。
「大学に行かないって件。ひとりちゃんは、どう思う」
「あ、ぇっと……もったいないなって……思いました」
ひとりの本心だ。
バンドリーダーの虹夏は大学に行くことを公言している。リョウについてはよくわからないけど、少なくともバンドとしてこれから頑張っていくことと、学業は両立していいものだとみんなが考えていることだ。
ひとりは最初から大学に行く選択肢が消極的だった。でもそれは、ギターヒーロー名義のアカウントで広告収入があって、ギターの腕前を生業として昇華させた方がいいと、両親も含めていろんな人が理解しているからだ。そしてなによりも、残念ながら学業が壊滅的で、大学に進むことが現実的でないという悲しい理由があるからだ。
ある程度余裕をもって大学に行ける学力があるなら、ひとりの両親も間違いなく選択肢の一つとしては進学を置いていた。
郁三の場合は違う。最近の成績悪化はあくまで一過性のもので、ギターに集中していたから。それを勉強に切り替えればいいのは誰もがわかっている。
学生として今しかできないことを体験する。それもバンド活動としての可能性を広げる大事なことだ。だからひとりは郁三の判断を、自分本位で考えればもったいないと思った。
それでも、郁三は違うと言う。
「俺が進学しない一番の理由は……ひとりちゃんに追いつきたいからだ」
「……」
「……」
「えっ!?」
ひとりにとっては、あまりにも予想外な答え。
郁三にとっては違う。
「俺にとって、ギターを持ってるひとりちゃんは、憧れで、師匠で……それで、目標なんだ」
ライブ全体の連携で虹夏に指導を受けたり、秘密の特訓でリョウから指南を受けることはあっても。放課後、誰もいない廊下の隅。ひとりの演奏を聴いた衝撃は忘れない。
「なのに、俺は大学に行って、授業に時間を割かなくちゃならない。ひとりちゃんはきっともっと練習して、どんどん先に行っちゃう」
郁三にとっては、それが寂しさであり、悔しさでもある。
「《結束バンド》で、俺は一番の初心者だ。確かに上手くなってる、その自信はある。でもみんなだって練習してる。同じだけ成長するだけじゃ、足りないっ」
それは郁三なりに考えた《結束バンド》として自分ができることだ。大学進学は虹夏がするだろうから、尚更自分の考えを譲る気もない。
自分の中の悲しさも忘れて、ひとりはただ、ただ、郁三の本心を聞き入っていた。
まだ咀嚼ができない。郁三に秘密を隠されたことで膨れ上がった『釣り合わない』という感情。自分が感じていた不安を、郁三こそ感じている。
「ね?」
「え?」
郁三が、目尻を下げて、力なく笑った。
「似合わないって、そう思ってるのは……俺の方なんだよ?」
まだ、納得いっていない部分はある。ひとりと郁三、お互いにだ。それでも、お互いの気持ちを言い切ったのも確かだ。
そんな中でひとりは思った。
(……どう、すればいいんだろう?)
郁三の本心を聞いた。驚きが強かった。
寂しさや悲しさはあっても、郁三のことを嫌いになったわけじゃない。だからこそ迷ってしまう。
今、自分が郁三の自信のなさを否定できる言葉はみつからなかった。大学に行く選択肢を勧める説明も、郁三の自信のなさを吹き飛ばせる力強さも。
つくづく、言葉で伝えることは難しい。いつかの路上ライブみたいに、歌の方がまだ伝えられると思ってしまう。でも、今、ここは喫茶店だ。
ひとりと郁三、お互いの間に沈黙が流れる。虹夏の助けがあって用意された話し合い。そこで伝えるべきことを伝えたからだ。
そんな中、郁三のスマホが鳴った。ロインの通知だ。
ひとりのスマホは持ち主と同じくらい動かない。少なくとも《結束バンド》のロインじゃない。
郁三はひとりをちらりと見てからスマホ画面を見た。そして
「えっ、なんで?」
「どっどうしたんですか……?」
ひとりに対する声とは違う、完全に戸惑いだけのそれだ。
「なんか、母さんから連絡が来た」
「……え?」
家出の最中。とはいえ、郁三は家族が嫌いなわけじゃないし、自分が今どこにいて、どう生活をしているかは最低限伝えている。連絡手段も断ってはいない。このあたり、現代の家出はぬるいと言うべきなのか、それとも郁三がしっかりしてると言うべきなのか。
ともかく、郁三は気まずげに首を傾げた。
「なんか、『話をするから返ってきなさい』って」
「は、はぁ」
「あと『後藤さんを連れてきなさい』って」
「はぁ」
「……」
「え!?」
今度はかな切り声が出た。
「えっあっえっ? な、なんでっき、喜多くんのおおお母さん、わったしのことぉを知ってるるる」
「ひとりちゃんが壊れた……いや、別に俺、バンドメンバーのことも家族に話してるし。それにひとりちゃんと付き合ってることも話してるし」
「……!?」
声すら出ない。喉がつぶれた。
陽キャ、喜多郁三の母親。真面目でバンド活動にも懐疑的な、絵に描けるくらい厳しそうなお母様が、一人息子の恋人の陰キャミジンコ女子高生を指名している……?
(お、終わった……)
ひとりの体が結露みたいに溶けていく。体をテーブルに突っ伏してしなびていく。郁三からすれば当然の反応だった。
「うん、ひとりちゃんは嫌だよね……いいよ、無理しないで。断るからさ」
そうして、郁三はスマホ操作し始める。返信するらしい。
そんな郁三を見上げて、ひとりは考える。
恋人の母親との対面。恐怖でしかない。
(でも……これはチャンスなのでは?)
自分と郁三のすれ違いがノイズになっているのはともかく、郁三が焦っているのは確実だ。自分に追いつきたいという郁三に対する説得はできないけれど、でも落ち着いて、家族と話す時間は必要だと思った。
それにどうして自分が付いていかなきゃいけないのかはどこまでもわからないけれど。とてつもなく怖いけど、でもそれで郁三と母親に話す機会が生まれるなら。
それに、この機を逃したら、また二人が話す機会も遠のくかもしれない。
ひとりは急に上体を起こして、郁三に向けて首をぶんぶんと振った。
それをいぶかしむ郁三。
「い、行きます……」
「え?」
「きっ喜多くんの家……お邪魔させてくださいっ」
郁三は眼をむいた。思わずスマホを落としかけてしまう。
「え、だ、大丈夫? 母さんだって、何を話すのかもわからないのに」
「ご、ゴアイサツ」
「きっ喜多くんのお母さん……ご挨拶、したいので……ぜひ、お邪魔させてください……!」
ひとりの強い言葉、陰キャの性か少しパニックみたいになって、でも郁三が良く知っている、少しの決意がこもった青い瞳。
「……うん、わかったよ」
二人の間で、これ以上会話らしい会話を続けることが難しかった、というのも、郁三がそれを許した理由だった。
自分の母親と恋人が会う。無感情じゃいられないけれど。
不安はさておいて、郁三はスマホをしまった。
「それじゃあ……さっそく行こうか?」
郁三の家──喜多家への訪問。ひとりはもちろん、家出中の郁三もちょっと緊張がある。
とはいえ喜多家のあるマンションは下北沢駅からも歩いていけるくらい近い。二人の緊張が解ける時間もなく、沈黙が苦しくなることもなく、あっという間に到着してしまった。
扉の前。郁三が前に立った。ちょっと思う所があってインターホンを押した。
「……うう」
「ひとりちゃん? 本当に無理しなくていいんだよ?」
「ダダダ大丈夫ですすす……」
後藤ひとり。すでに体が初期微動かってくらい震えている。
そんなこともお構いなし、数秒の沈黙の後、扉の向こうに人の気配を感じた。すぐそこに郁三の母親がいる。
いよいよ喜多家の扉が開かれる……!
郁三が気まずげに口を開いた。
「えっと、ただいま──」
「来たわね後藤ぉ!」
郁三の言葉をかき消して、女性の気張った声が畳みかけてきた。
すぐさま現れる、タートルネックの黒セーターを着た女性──郁三の母親である久留代と、そして郁三の親戚一同が……!
招かれたひとりだけじゃない、郁三もわけがわからず固まった。
「よくもうちの郁三をたぶらかしてくれたわねー! て……え?」
「え? なに母さん、というかなんで祖父ちゃん祖母ちゃんまで……」
久留代は
沈黙。久留代が喋った。
「えっと、郁三、どういうこと?」
「こっちが聞きたいんだけど?」
「後藤はどこなのよ? 連れてこなかったの?」
「はぁ? ひとりちゃんなら後ろに──」
振り向いた郁三の髪が揺れる。風が吹き、冬なのに春風みたいな暖かさと共に綿毛が飛んで──
郁三がハッとした。ひとりは、久留代の大声に驚いていつかの胞子のように空中に舞っていってしまった。ただし今回はふんわり綿毛だ。
「ってあーッ! 急に驚かすからひとりちゃんが綿毛になって飛んでっちゃったじゃん!」
「え! あっ? ご、ごめんなさい……?」
後藤ひとりとの初邂逅。いきなり人間が綿毛になりゃフリーズもする。とはいえひとりを綿毛にさせた喜多家も喜多家で大問題だ。
数分後。緊張していたひとりも郁三も、待ち構えていた親戚一同もテンションが下がった。
みんな沈黙。親戚がため息。
「なんだ、また久留代の勘違いか」
「帰ろ帰ろ。郁三、またな」
「え? ああ祖父ちゃん。なんなのこれ……?」
郁三が困り気味に手を振った。祖父、祖母と順に帰っていく。
わけがわからん。
ところが、親戚一同がみんな帰っていくなか、ただ一人帰らず、ひとりに近づく少女がいた。
「きゃー! 貴女が後藤さん!?」
「はぃ!?」
急に手を掴むもんだから、綿毛ほどじゃないにせよひとりの顔面のパーツが飛んでった。それを郁三がキャッチ、即座にひとりの顔面に張り付け直す。
久留代はその郁三の淀みない所作に、ちょっとだけ引いた。
それはともかく。両目を取り戻したひとりは、視界いっぱいに広がる女の子から目が離せなかった。
郁三と同じ赤い髪、けれど快活に跳ねるのとは違って整えられた肩まで届くウェーブに、特徴的なサイドテール。次子や虹夏、ひとりが知るどんな女の子よりもまつげが長くて、目はクリクリと大きい。ミディアムメイク──なんて言葉はひとりも最近覚えた──をバッチリ決めて、しっとりとした唇がきらめいている。
めちゃくちゃ可愛い。ひとりは慄いた。
(わわわわわ陽キャァぁぁああ!?)
硬直するひとり。そして郁三は。
「ああ、いくちゃん、久しぶり」
「いっくん、久しぶりね!」
「いくちゃんまで母さんに呼ばれたの?」
「うん、いっくんの彼女さんが来るって言うんだもの! 是非ご挨拶したいじゃない!」
「あー……そんな御大層な状況じゃないんだけどなぁ」
とりあえず、超絶陽キャはひとりに毒だ。郁三はやんわり少女とひとりの手を放して、ひとりを落ち着かせた。
「ひとりちゃん、祖父ちゃん祖母ちゃんは帰っちゃったけど、親戚を紹介するよ」
「あぇうぇ?」
つまるところ、ひとりの目の前にいる少女のことだだ。
一息ついて、改めてひとりは対面──はできなかった。
あふれ出るオーラが。郁三の時でさえ灼かれていたオーラが、少女はさらに光り輝いているように見える。
「私、喜多郁三の従姉妹の、
少女の名前は、
郁代は、郁三もかくやと言うくらい、きらびやかな陽キャオーラを振りまいて、ひとりに笑いかけた。
「よろしくね! 後藤さんっ!」
《郁三の従兄妹、郁代》登場!!
やっと来やがった!
※ちなみに郁代の母親(久留代の妹)の名前は心湖代(ここよ)です。
タイトル解説
《蒼のワルツ》
歌:Eve
映画『アニメ ジョゼと虎と魚たち』主題歌
『ジョゼと虎と魚たち』は上に書いたアニメ、原作小説、実写映画と、媒体によって若干空気感は異なるものの、大筋として言えるのは『障害を負った車椅子の女性と大学生の青年の恋模様』というのがあります。アニメが最も最近で2020年頃に上映されまして、アニメらしい甘酸っぱい様子が描かれていると思います。
蒼のワルツはそのラストで流れる曲で、Eveさんの声質やそこまでの展開もあり、感動必至だと思います。歌詞的には、個人的にひとりと郁三にこの歌詞のような成長もしてほしいな~……と思っての採用です。