ある日の公園。喜多郁三は、伊地知虹夏に神妙な声で話しかけた。
「虹夏先輩」
「どうしたの? 喜多くん」
そこに人は他にいない。二人だけの空間だ。
「実は、折り入って先輩に相談したいことがありまして……」
「うん、うん」
「なかなか人に言えないことではあるんですけど……」
「あー、うん」
「実は俺……リョウ先輩のことが好きなんです!!」
「……うん、それで?」
知ってたよ。というか、たぶんぼっちちゃんもリョウも知ってるよ。
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アー写撮影から数日がたって、結束バンド四人にバイトの給料が、特にひとりと郁三に初給料が出た頃。ひとりは書き上げた歌詞を持ってきた。
曲名は《 ギターと孤独と蒼い
それからさらに数日後、リョウが作曲した音源を持ってきた。
いよいよ次のライブに向けての準備が出来てきた。
虹夏は思った。今度こそ四人でのライブだ。
郁三は思った。今度こそ逃げないで歌うぞぉ。
リョウは思った。次はどんな曲にしよう。
ひとりは思った。今度こそ完熟マンゴーの外へ。
盛り上がる四人に、店長である星歌が言った。
「は、ライブ? 出す気ないぞ」
「──え?」
盛り上がる所に冷水が浴びせられたのだ。
STARRYのカウンターでパソコン業務にいそしむ、伊地知星歌。虹夏と同じ金髪をロングヘアーにして、けれど揺らさずに静かに座っていた。にらめっこするのはノートパソコンだ。
次のライブは出せない。それははっきりと聞こえた。同じSTARRYの中にいるので、当たり前のように虹夏は意味を理解する。
ひとりも、郁三も、リョウも眉をひそめてしまう。
戸惑いながら、虹夏は返した。姉弟のやや張り詰めた言い争い。
「な、なんで……ノルマ代なら払えるよ。そのためにバイトしてたんだし」
「金じゃなくて、実力の問題な」
「でっでもこの間は出してくれたじゃん」
「あれは思い出作り。普段はデモCD審査とかしてるの知ってんだろ?」
「そりゃそうだけ、ど……せっかく新曲もできて、みんなで準備してきたのに」
「そりゃそっちの都合。こっちの都合がある。この間みたいなクオリティだったら出せるわけがない」
「じゃ、じゃあ結束バンドは……」
「一生仲良しバンドやってな」
会話が途切れた。空気が重い。
震える虹夏。星歌としては勝手に震えてろとでも言いたいのか、特にそれ以上のことは言わない。
全員の前で、虹夏が爆発した。
「ぬいぐるみ抱かないと眠れもしない三十路がぁぁぁぁ!!」
階段を駆け上がって負け犬の遠吠えを上げる虹夏に、星歌が即反応。
「まだ29だ! しばくぞクソガキィ!!」
嵐が過ぎ去っていった。
そうして、飛び出した虹夏をリョウと郁三、ひとりが追いかけようとして、星歌に引き止められた。
そうして言われたのだ。「どうしても出たいなら、事前オーディションに合格してからな」と。
つまるところ、星歌はあくまで対等に虹夏たち結束バンドを見ている。アルバイトばかりの弟もいる集団じゃなくて、自分のライブハウスに出演する演者として。そのための実力を見せろ、ということだった。
わかりやすくすねる虹夏ではあったけれど、そうと決まれば方針修正は早かった。
目標は一週間後の土曜日。STARRYで、誰もいないステージに星歌一人を相手に演奏をする。
それぞれ実力は違う。経験も違う。それでも、ライブに出たいという気持ちは一緒だから団結もできた。
残りの数日。少しでも、演奏の実力を伸ばすんだ……と意を決したのが三日前。
自主練、あるいはSTARRYでの合同練習でそれぞれの技術を高める毎日。
今日、結束バンドの男子メンバーである虹夏と郁三は人気の少ない公園にいた。ボーカルと兼ねるとはいえ、ギター初心者の郁三はまだ練習にひとりの指導は不可欠だった。それでも郁三がこうして、機材もないのにギター一つで外に飛び出してきたのにはそれなりに理由があった。
ちなみに虹夏は道具がなくても練習できるからと、ためらいはなかった。
そして、虹夏は「相談したいことがある」という郁三の言葉を聞いたのだった。ベンチに置いた教科書をドラムスティックでリズミカルに叩いている。
「実は俺……リョウ先輩のことが好きなんです!!」
「……うん、それで?」
「虹夏先輩! 俺は真面目に相談してるんですよ!?」
郁三はそれなりに動揺して虹夏に詰め寄った。ギターをジャンジャン鳴らしながら。
「ちょっ喜多くん近い! 圧が強いっ!」
虹夏は教科書を盾にして郁三を押しのけた。
「もしかして先輩たち付き合ってたんですか!? いつも一緒にいるし!」
「違うわ! ただの昔馴染みだっての!」
「でも同じ学校だし! 同じクラスなんでしょうらやましい!」
「私情ダダ漏れ! その理屈はおかしい!」
やいのやいのと絡む野郎二人。なんだかんだで楽しそうな二人である。
「……まあ喜多くんのそれは別にいいんだけどさ」
若干息を切らして落ち着いてから、虹夏は言った。
「オーディションに向けて頑張ろうって時に、どうしてその話になるのさ?」
郁三本人が気づいているかはともかく、郁三のリョウへの恋心は公然の秘密みたいな節がある。虹夏はもちろんのこと、ひとりも気づいているし、というかリョウもよくわかっている。ちなみに星歌も。
虹夏はそういった話が特別好きだというわけでもないので、この一ヶ月郁三と惚れた腫れたを語ることもなく過ごしてきた。
郁三は、練習中の演奏を一度止めて空を見上げた。
もうすぐ、時計は五時を指す。まだ太陽は赤い。
「……俺、一目惚れでした。今まで、こんなことはなかったんです」
「だろうねぇ。ギター弾けないのに弾けちゃうっていうくらいだし」
「自分でも信じられないくらいですよ。というか、正直虹夏先輩にだって少し後ろめたさがありますし」
「あはは、別にいいって。というか
「まあ、チョコとか女子からよくもらいますけど。先輩だってよくもらうでしょ?」
「
「リョウ先輩のチョコ……うらやましい!」
「いやだから別の子のをね? で、喜多くんはモテモテだったと」
「あー……」
郁三は頭をポリポリとかいた。
「……年に一回くらいは」
「やっぱモテモテじゃねぇかこのリア充! それで『初めて』とか男子敵に回すよ!?」
「全部断ってきましたもん!」
「ええ……」
虹夏からすれば意味不明なことだ。郁三は捲し立ててくる。
「だって、好きじゃない人と付き合うなんてその人に失礼じゃないですか」
「まあ、それはわかる」
「虹夏先輩、恋の経験は?」
「うーん、ない」
「俺ら二人共ダメじゃないですか」
「たはは、だねぇ……喜多くん。安心していいよ、僕ほんとにリョウにどうこう思ってないし」
「そう、なんですか?」
「まあ強いて言うなら……兄目線?」
伊地知家は父子家庭だ。母親は虹夏が小学生の時に他界している。そして父は仕事の関係で家に帰るのが遅い。星歌は家事全般がズボラだ。だから姉のために家事全般をこなしてきた。同じく生活がズボラなリョウは、虹夏からすれば世話する人に妹が加わった程度のものだった。
虹夏から見たリョウは、とにかくお節介を焼かなければいけない昔馴染みだ。
虹夏がドラムを始めたのと、リョウがベースを始めたのは共に十歳の頃。多少時期に違いはあるけど、小学生の頃からそういった楽器に触れている知り合いは少なかったし、虹夏の性格もあって二人はよく話すようになった。
郁三のベースを買い取って小遣いを使い果たしたり、思考がちょっと飛び抜けていたりと奇人といっても構わないような性格のリョウ。けれど長い付き合いもあって虹夏は彼女の性格をよくわかっているし、彼女の良さも認めている。それはそれで怒るときは怒るけれど。
「だらしがないし、すぐ金せびってくるし。最近なんか、僕の部屋に私物勝手に置いてくんだけど」
「自堕落なところも素敵だ……」
虹夏は思った。クズベーシストに掴まされたな。
「まあ、それはともかくさ。僕は喜多くんのこと、応援してんだよ?」
「虹夏先輩、それって……!?」
一瞬で態度を変える都合のいい後輩である。
「だって、あのリョウだよ? やっとリョウを養ってくれるかも知れない子が来てくれた。保護者としてこんなに嬉しいことはない……!」
「なかなかスゲー感情っすね」
「だから、頼むよ喜多くん」
虹夏は郁三の肩をガシっと掴んだ。
「先輩、圧強いっす……」
「リョウを……ちゃんと更正させてあげて……」
「な、なんかすごい重いことを任された気が」
「えーっと。で、なんだっけ?」
「だから、俺がリョウ先輩を好きだっていうことで」
「それはわかっとるわい! そこからなんだってことでしょ」
「……先輩たちが認めてくれて、ひとりちゃんが引っ張ってくれて、俺はここにいます。でも、実力的にはまだまだだ」
郁三はギターを始めて一ヶ月。当然初心者の域は出ない。
いつか、恥じない実力になって、結束バンドを支えられるようになったら……今度こそ、リョウ先輩に告白したい。
「喜多くん……」
「だから、もっと頑張りたい。でも、ライブの出演が決まるオーディションはもう一週間もない……」
「ふふ、喜多くんも頑張ってくれてるんだなぁ」
「当然ですよ。俺はみんなよりも遅れてる。だから人一倍頑張らないと」
「うーん……」
真剣な表情の郁三を見て、虹夏は考える。
陽キャの冗談とリョウを崇拝するファンとしての態度が印象深いけれど、一周回って真面目にうざいとかそういうわけでもない。
リョウにお熱なのを除けば練習も熱心で、虹夏も安心して見ていられる。
《逃げたギター》との行動にギャップがありすぎた。
だから、リーダーとして率直に思ったことを伝えてみる。
「少なくとも、気楽に楽しくやろうよ」
「楽しく、ですか? オーディションなのに」
「喜多くんが初心者なのは姉ちゃんだってわかってる。それでもオーディションって機会をくれたのは……僕たちの姿勢を見てるんだと思うから」
技術の向上を見ているんだったら、そもそもこんなタイミングでオーディションをするとは思えない。
虹夏としては悔しいけれど、星歌が言った仲良しバンド、というのは否定できないところもあった。実際、郁三が関係しているとはいえ、最初のライブは散々な結果だったわけだし。
そこからの、今回。求められているのは……。
「技術の成長じゃない。『バンドとして』の成長だと思うよ」
「バンドとしての、成長……」
「それに、下手だどうだって言うならぼっちちゃんもそうだし」
「虹夏センパイ、地味に鬼畜……」
「だからリョウの言ってたアテフリなんかしちゃダメ。むしろ僕が許さない」
「はーい」
楽しむこと。バンドとしての成長。それは郁三にとっては難問だった。
正直、よくはわからない。楽しむ余裕が有るとは思えないけれど。
でも確かなのは、楽しむにしても、自分が思う技術の向上を求めるにしても、今はちゃんと頑張り続けなきゃいけないということ。
「……まあ、とにもかくにもあと数日。俺、頑張ります」
「うん、頑張れ。今頃ぼっちちゃんも同じように頑張ってるよ」
「……あの、ひとりちゃんって」
「ぼっちちゃんも真面目だからねぇ。実力とか考えなくていいし、変に気負ってなければいいんだけど」
郁三には、自分のこととは別に、もう一つ気になることもあった。
虹夏もリョウも、ひとりをどちらかといえば『下手だ』と認識していることについて。
学校で始めて弾いた時、とても上手だと思ったのだけれど。
「……細かいことを考えるのはやめだ」
今はまだ、練習あるのみ。郁三は邪念は捨てて演奏に集中した。
しばらく、二人は公園で練習を続けた。
夕暮れにふけるくらいまで、二人は無言で各々の課題をこなしつづけた。
虹夏が「いい加減、帰ろっか」というまで郁三はギターをしまわなかった。
それぞれの帰路につくまでは、同じ道を歩きながらそれぞれ自由に話す。
音楽がどうだの、学校で友達がどうだの、芸能人がどうだの、と男子学生らしい会話が続く。
そして、男子学生らしいと言えば。
「ところで、虹夏先輩。ちょっと思い出したんですけど」
「うん?」
「アー写のデータ、あります?」
「うん、あるよ」
当然虹夏のスマホにはアー写の旅の時の写真が大量に残っている。手当たり次第に大量に撮ったものだからそれなりにフォルダを圧迫している。
郁三の瞳孔が開いた。
「アー写候補のデータもです」
「……うん? もちろんあるけど」
なんのこと? と虹夏は訝しむ。
「ほら、これなんかリョウが後ろから僕らを撮った写真」
「なぜ虹夏先輩のフォルダにそれが」
「だってリョウがロインで送りつけてくるから」
「うらやましい」
「で、これは僕以外をそれぞれ撮ってみた。普段のみんなってことで」
「リョウ先輩のブロマイド……! 買います!」
「言うと思った」
「にしても、こうして見るとひとりちゃんも可愛いですよね」
「うん。ちゃんと許可は得たけど、本人気にしちゃってほぼカメラ目線なの」
「顔面崩壊してなかったらすごい美人。あと、スタイルいい」
「……うん」
「先輩?」
「気にしないようにしてたのに」
「あー、先輩もしかして……」
「なんかいったらしばくぞ」
「そういうところは店長さんとちゃんと姉弟ですよね、先輩」
「僕ドラムだよ? いっつも三人を後ろから見てんだよ? 変なこと意識させないでよ!」
「仕方ないですよー、俺ら男ですもん」
「免罪符が過ぎる……」
「で、アー写候補のデータは?」
「だから、これとか、これとか、これとか」
虹夏はスマホを操作してあの日の写真を諸々郁三に見せた。けれど郁三は納得しない。
「違う、みんなでジャンプしたじゃないですか。その時のですよ」
みんなでジャンプした写真、それは本決まりしたアー写のことじゃないか。
そしてその前後に撮った写真と言えば……。
「あっ!? 喜多くん……ぼっちちゃんをそういう目で見るのやめろよ!」
「いやでもですね? あのひとりちゃんですよ? ねぇ?」
「ねぇ? じゃねぇよ! リョウにぞっこんの癖に!」
「男の性だからこれは仕方ない」
「リョウに言いつけるぞ!」
「んな殺生な! 先輩だってリョウ先輩とかクラスの女子のそういうのがあったら欲しいでしょ!」
「だからリョウは妹みたいなもんだっての!」
「で、先輩。画像残ってるんですか? 残ってないんですか? リョウ先輩には睨まれてましたけど」
「………………残ってる」
「ほらぁ」
「うるせぇ!」
「その写真ください!」
「誰が渡すか!」
「でも残しておくんでしょ?」
「消すわ!」
喜多をしばきつつ、彼と別れてそれぞれの帰路についた。
ライブオーディションまで、あと三日。
次回、08 《ギターと孤独と蒼い惑星》