白い塊がふわふわと空から落ちてくる。あまりにものんびりと降りてくるものだから、時の流れが遅くなったのかと錯覚するほどだ。思えばこの世界に来てからの時の流れは早いなんてものじゃなくて、ようやく慣れてきた自分の体感時間が遅くなってきているのかもしれない。
そういえば、こんなことがあった。
先日大量の雪が降った時に、空を見ていた声フェチがうっとりとした声で、綺麗、と一言呟いた。人の声を誉めちぎる割に自分もなかなかの美声をしている。
僕はなんとなしに虫みたいですわね、と付け加えるとそこから暫く一言も口を聞いて貰えなかった。アタシちゃんにも流石にそれは、と引かれたほどの『のんでりはつげん』だったらしい。謝り倒してようやく許してもらえた時には、声フェチの表情も穏やかになっていた。
『なんだか、クララさんって面白い人ですわね』
『面白い?』
『ええ。最初はあまり話したこともなくて、サクラコ様からも詳しい話はお聞き出来ませんでしたから。私、なんだか無理に話に合わせていただいているみたいで申し訳なかったのです』
『なんか敬語も大分怪しいですしね』
アタシちゃんの指摘に思わず目を逸らした。逆に怪しいと思う人間に対して追及が飛んでこないのは何故という疑問も湧く。
『ですが、こうして話しているうちに色々とわかってきました。クララさんはちょっと不器用で独特な表現をしますが、とても真っ直ぐな方なのですね』
ハナコにも同じような事を言われた気がする。まあだって嘘つくのも苦手だし、隠し事してるのもすぐにハナコにバレるし。そのうえで泳がされているのは一重に彼女の人柄あってこそのものだ。
『無理してこの子みたいにお嬢様言葉使う必要ないんじゃないですか?アタシもですますしか言えないですし』
しかしながら1度始めてしまったことはなかなか途中でやめられない。余程のことがない限りこれは貫き通すつもりでいるんだけど。
『私、そこそこ名のある家の出身なのですが、小さい頃から色々と強制されて育てられてきたのです。それを今更変えることが出来ずこのような言葉遣いとなっておりますが、だからと言って同じような人間しかいないと思ったことは1度もありません』
声フェチが真っ直ぐと僕を見据えながら言う。
『ですから、辛くなった時はいつでもやめていいのです。無理して周りに合わせるなんて、本当に面白くないことですから』
『経験者は語る、ですね。その反動が今の声優オタクの実態なわけですか?』
『そうなのかもしれません。声という個性の素晴らしさ、もっと世に広めていきたいですわね』
『なんて曇りのない眼』
そんなに無理してるように見える?と聞こうとしたが結局飲み込んだ。当然こうするべき、と思って始めたことだからそんなに辛くないし。
そんな風に真剣な話も混じえつつ、あのアニメが良かったとか次はこんな作品もとか、アタシちゃんも横から少女漫画なるものを勧めて来たりとなんだか今までやってきた事が嘘のように日常に溶け込んで───────。
?
なにが?
僕の目的は?
なんでこんなことしてるんだっけ?
そうだ、この世界のことを知るために学校に通っているんだ。それはつまり、元の世界に戻るため?戻って、それで?
だってもう死んでるのに、死んだ人間なのに。今更元の世界に戻って、大切な人なんていない世界で、いなくなった世界で、何を?
この世界に来た時はがむしゃらに、目の前のことに精一杯だった。それが余裕を見せ始めたことで、目を逸らしていたことと向き合うことになった。
つまり、僕はこの世界で何をしてどうなりたいのか。何かを成し遂げなければならないとして、その後どうするのか。
追いかけてくる過去なんて僕には無い。無くなったんだ。王宮で大切な人を失ったことを聞かされて、その後間もなくして僕も戦争に身を投じることになって、そして全部無くなった。
魔術ももう使えない。いや元々使えない身ではあったけど、少なくとも今まで出来たことが出来なくなったことに変わりはない。もう残っているのはかつて生きていた記憶だけだ。生前の記憶を持っているだけの今生きている人間だ。
そうだ、僕に帰る場所なんてないんだ。僕は旅人じゃない、ここで生きていかなきゃいけない人間になったんだ。
じゃあ、少女漫画を読んで、アニメを見て、学校で友人と話しながら部活動に勤しんで、そうあるべきなのか。答えを持っているのが僕じゃないとしたら、それは誰が教えてくれるのか。
<ハナコさん、>
中途半端にモモトークを送り、直ぐに削除した。
<メッセージの送信が取り消されました>
こんなこと聞いても、彼女を困らせるだけだ。
冬の長期休暇になって、ハナコとのやり取りはどんどんと減っていった。学校で顔を合わせる機会もなく、メッセージのやり取りもない。お互いの部活動で忙しく、僕自身も現実から目を背けるようにシスターフッドの活動に勤しんでいる。
別にボランティアとか、慈善活動とか、そんなこと自分からやるタイプでもないくせに。王宮に引きこもっていた魔術師、そんな前世を持つ人間がなんの心変わりかと、当時の人間が見たらさぞ驚くだろう。そんなことを考えながら、いつの間にか僕は眠っていた。
朝、目を覚ますとハナコからメッセージが来ていた。
<クララちゃん、何かありましたか?>
<最近はあまり時間を取れていませんが、機会があればまたゆっくりお話しましょう>
メッセージを返す気にもなれず、スマートフォンのロックをかける。そんな動作ひとつ取っても、すっかりこの世界の住人だと思わされる。いい事のはずなのに、どうしてこんなにもモヤモヤするんだろう。
<送り先を間違えてしまっただけですわ。ごめんなさい>
<ではまた>
結局無視するのも心苦しく、嘘をついた。ハナコへの嘘は募っていくばかり、そんな自分も少し嫌いになった。
──────────────
次の日、シスターフッドの活動のため学校へ行くとヒナタに呼び止められた。
「クララさん、その、顔色が悪いですよ?」
遠慮がちに言われる。心配させるわけにはいかないので大丈夫だと返す。別に、少し考え事をしすぎただけだ。
「寝不足で、ちょっと」
嘘はついてない。もしかしたら原因は本当にそれかもしれないのだから。
「今日はおやすみされてはいかがでしょうか?」
「しかし、ワタクシだけ休むというのは……」
「ボランティアもお祈りも、無理をしてするものではありませんから。自分の体が1番です」
そういうとヒナタは少し強引に救護騎士団の元へと僕を連れていった。結局睡眠不足ということで、しばらくベッドを貸してもらい睡眠を摂ることに。
何をやってもふわふわして実感が追いつかない、そんな毎日だ。
夢を見た。ううん、夢という名の昔の風景だ。
そも、彼は婚約者だ。恋人などという仲ではなく、国に決められた結婚。最初は興味もなかった。
僕は彼に好きにすればいいと言った。だって結婚って、お互いが相思相愛だから成り立つものだし。国に決められた強い権威を持つ者同士の結婚なんて、偽物もいいところだ。
でも彼は全てを僕に委ねた。その上で僕に尽くし、職務も全うし、心休まる時間なんてあったのかと思うほど彼自身の時間を僕が見ることは無かった。
何故、と問うた。僕が自由に研究をするように、君もまた自由に過ごせばいい。王宮からの命とはいえ、形だけ保てば奴らも満足する。僕に気を遣う必要は無い。君は君のやりたいように過ごせばいいのに。
彼は笑って答えた。自由にやっているじゃないか、と。好きでやっているのだから、何も言われることはないと。
僕が好き勝手研究しているのを横で見たり、ある時は手伝ったり。そんなことが君のやりたいことなのか?
ああ、そうだとも。
僕のお使いをしている時が君の望む時間なのか?
君が望むなら、それを支えるのが私の自由だとも。
意味がわからなかった。考えてもわからず、しまいには聞いた。
君は僕のことが好きなのか?と。
彼は少し考えて、うん、と頷いた。
恋愛感情かどうかは判断しかねるけど、君に好意的なのは否定しないよ。ほら、君面白い人だし。君と一緒にいる時間は私も楽しいからさ。
物好きなやつもいたもんだ、と僕は半ば呆れながら彼への追及をやめた。それから2年ほど、僕の唯一と言っていいほどの理解者との時間を過ごし、そしてその訃報は戦地へと彼が赴いた1週間後に伝えられた。
その時の感情はもう思い出せないけれど、夢の中で僕は泣くこともなく、ただ1人佇んでいた。
目を覚ますと、窓から見える景色は街の灯りで溢れていた。暗闇を恐れ眠るはずの人間の街は、こうして恐怖を克服したらしい。それは虚勢に過ぎないのか、それとも恐怖そのものを忘れてしまったのか、僕にはわからない。ただ灯りのない路地裏や建物の隙間がやけに目立って見えた。
「お目覚めになられましたか?」
救護騎士団の制服を着た女の子が話しかけてきた。
「おかげさまでゆっくり休めましたわ。ありがとうございます」
笑顔はない。きっとまだ顔色が悪いのだろう、目の前の少女は朝のヒナタと同じ表情をしている。
「また何かあったら、いつでも来てくださいね」
そう告げる少女に僕は小さく頷いてその場を後にした。
──────────────
次の日、部員に心配されながらもどうにかシスターフッドに復帰。何やら内部でここ数日揉めているらしく、みんな少しピリピリしている。サクラコは大丈夫と言っていたが、それでも部員たちの不安は拭いきれないようで、同級生sも心配そうにしていた。
「クララさんは堂々としていますわね……」
「まあ、お休みをいただきましたから」
「いや、そういう事じゃなくてですね」
アタシちゃんが苦笑しながらツッコミを入れた。そんな空気につられてか、周りも少し笑顔になる。
本音を言うと
「そろそろ学年も変わりますからね。そうなると次の部長を決めなければいけませんから……」
誰かが言った。
聞いた話だと今の部長がサクラコ推しらしいので、じゃあもう決まったようなものだろうと思っていたが、そう簡単な話じゃないらしい。
そもそも革新派は保守派を排除したいわけではない。保守派も伝統が守られればそれでいい。お互いの主張が相容れないという1点のみで対立しているが、しかしながら元は同じ組織で温厚なシスターの部活だ。過激な行動には出ずに、結局不干渉を続けているのが今の内部分裂のような状態を引き起こしているのだから、頭が変わっても同じだろうに。
誰がリーダーになっても状況が変わらないのであれば、それはもう議論に値しないというのは僕だけの結論だろうか。
「そんな風に割り切れないのが、人間ですわ」
悲しそうに声フェチが呟いた。
「別の部活になってしまえば、その2つで同じものを取り合うことになってしまいます。そうならないための最後の理性が、私たちをこのひとつの部活においているんですよ」
先輩がそう言った。最悪の事態を避けるためにある程度の不都合を飲み込む、ということらしい。まあそりゃそうか。
「なんにせよ、ワタクシ達に出来ることは今日も同じようにいつもの活動をすることだけですわ」
だから今日も顔も見た事ない主に祈り、世のため人のために働いて生活を潤すのだ。回り回ってというには直接的すぎるが、最終的には自分のために。
ああ主よ、どうか僕らを救いたまえ。本当にいるのなら、僕もみんなもこんなに苦しんでないだろうにね。