その日のクララは様子がおかしかった。
ううん、おかしいというのは少し失礼かもしれない。ただ明らかに眠そうな様子で、目を擦ったり欠伸をする様子が散見された。マリーも気になるようで、いつもと様子が違うクララに休憩を促したのはこれで3回目。それでもクララは頑なにそれを拒んだ。
「さて、皆さん。報告をどうぞ」
淡々と、しかしやはりどこか眠そうに感じる声色でクララが告げる。
昨日の夜に試験があったのをなぜか知っていて、更にその試験において問題が起きたことを確信しているような物言いには誰も疑問を呈さない。というよりそんな気力が残っていないというのが正しいのか。ここに戻ってくるまでの会話はそれこそ数える程度だったし。
「なぜ黙っているのです?掲示板に試験の日程が変更になり、深夜に行われることが発表されていたでしょう?試験の結果報告をしてくださいな」
懇切丁寧に解説までしてくれる。
本人にその気は無いのだろうが、私達を責めるような物言いに限界を迎えたコハルが、耐えられずに口を開いた。
「結果なんて……結果なんてないわよ!全部吹き飛んで、それでおしまい!もうおしまいなのよ!」
「簡潔な報告は素晴らしいですが、肝心の中身に問題がありますわね。補足をお願いしますわ」
「クララちゃん、続きは私の方から」
そして見かねたハナコがそこに割って入る形となった。
「昨夜行われたのは、予定していた日程を急遽変更して行われた試験です。場所はゲヘナ自治区のとある場所で、試験結果については問題用紙紛失のため全員不合格となりました」
「なるほど、紛失の原因は?」
「ゲヘナ学園の生徒による偶発的な爆発によるものです」
「偶発的……その生徒たちは試験のことを一切知らなかったと」
「そうなります」
クララは小さくため息をつくと改めて私達に向き直った。
「まずは皆さん、お疲れ様でした。不測の事態により結果は残念なものとなりましたが、これが最後の試験ではありませんので気を落とさずに頑張りましょう。本日はお疲れでしょうから休息を優先する選択肢もありますが、どうするかは皆さんにお任せしますわ。サクラコ様……いえ、ボスも今回は納得してくださると思います」
私は元から休む気はなかったが、他の部員がそうするというのであれば自主学習となるだろう。1人では新しい知識の修得は難しく、それならば復習に時間を宛てた方が良いだろうか。
「あ、あの、クララさん?」
「マリーさん、どうしましたか?」
「その、ボスというのは……?」
「サクラコ様のあだ名ですわ。人前で名前を出さぬよう言われているので」
「えぇ……?」
マリーとクララがなにかやり取りをしている。他の人も内容が気になるみたいだけど、そんなに変なことでは無いはずだ。
「私もコードネームを使うように先生にいつも言ってる。みんなも無闇に自分の名前を出さない方がいい」
「あだ名とか言ってませんでしたか……?」
私の発言はあまり受け入れられていないようだった。みんな危機感が足りない。
「"私もお休みに賛成かな。みんな明らかに疲れてるからね。"」
先生までそんなことを言い出した。
……私もそうするべきだろうか。何故ならば夜には───────いや、今は時間が惜しい。少しでも力になるなら勉強に時間を費やすべきだ。
「しかしナギサさんもここまでやるとは思いませんでした。彼女も本気で潰しに来ているというわけですか」
「ハ、ハナコちゃん?」
「あの夜、全員が退学になるという話を聞いた時点である程度は察していました。ナギサさんはここにいる全員をどうにか追い出してエデン条約前の不安要素を消し去りたかったのでしょう。なぜ裏切り者探しに躍起になっているかは……まあ、そちらについても理由は大体わかっていますから」
ハナコの言葉はあまりにも突拍子のないもので、ともすれば疲労の蓄積した者にとっては理解し難い話だったかもしれない。
でも私は別だ。何故ならば、その裏切り者が誰なのかを知っているのだから。
「私達は裏切り者候補生。そしてその裏切り者を探すよう頼まれていたヒフミちゃんを含め、補習授業部の全員がトリニティから退学となるようにナギサさんが動かしているのでしょう」
裏切り者が誰かを特定するよりもその方がローコストですから、とハナコは付け加えた。
「な、何よそれ。偉い人が私達を退学にさせようとしてるなら、頑張ったって意味ないじゃない!」
コハルが声を上げた。
コハルが人一倍努力してきたことを、私達は知っている。だからこそ、その涙を見て誰もが俯いた。
「ヒフミちゃんに裏切り者の特定を依頼したのは、万が一それが上手く行けば救える人が増えるからでしょうか。お気に入りのヒフミちゃんだからこそ温情を与えたとも取れますけど」
誰もがハナコの言葉を黙って聞いていた。ひと通り話し終わったハナコはクララに向き直った。
「そしてクララちゃん達はそこに介入する為の人員というわけですね。何故サクラコさんが介入を決めたのかは私にはわかりませんが、好意的に捉えるのなら───────いえ、やっぱりやめておきましょう。私もまだ彼女という人物を測りかねているのですから」
これ以上はなかった。
ハナコからの言葉も、私としての限界も、それが最後だった。だから私は自ら告げる。この楽しかった時間も、これで最後だ。
「ナギサの言う裏切り者は、私」
私に視線が集まる。
「私が、トリニティの裏切り者だ」
──────────────
私は全てを話した。
私がアリウスの出身であること。アリウスはトリニティに強い憎しみを抱いていて、エデン条約の締結を阻止しようとしていること。そのために桐藤ナギサの襲撃を企てていること。
そして、私がそれを止めようとしていること。
「なるほど、そういうことだったのですね」
全てを聞いたハナコは目を閉じて頷いた。
「実を言うと、アズサちゃんが夜中に何かをしているのには気づいていたんです。……いいえ、何をしているかも知っていました」
つまり、ハナコは私を尾行していたということになる。
有り得ないと思った。終始私が気づかないなんて、そんなはずはない。今までずっと訓練を受けてきた私が、トリニティの一生徒に尾行を、しかも何日間にも渡って許していたなんて。
「私の責任だ」
とはいえ、今はその事に構っている余裕はない。
トリニティの裏切り者は私で、そのためにみんなが犠牲になろうとしている。アリウスの計画を阻止することは最優先、だけどみんなが退学になるのだってなんとかしたい。
誰も私を責めなかった。覚悟をしていた私にとっては拍子抜けだった。全て聞き終わった後に口を開いたのは、ヒフミだった。
「でも、アズサちゃんはアリウスからナギサ様を守るために……?」
「うん、それが私の目的」
「アリウスを裏切って、ナギサさんを守ったとして、アズサちゃんにどんなメリットがあるのですか?」
ハナコの意見は尤もだ。
「メリット……わからない。私はそうするべきだと思ったから、ただそれだけ」
本心だった。
アリウスの行いが正しいと思えなかったから。本当にそれだけだった。
「それで、どのように?」
クララはいつも現実を見ている。
目的の達成には手段が必要、当然だ。
「襲撃の日程はこちらである程度決められる。ナギサを襲撃する作戦に合わせて私が嘘の情報を流して部隊を全滅させれば、エデン条約までに2度目の襲撃作戦を実行するのは不可能だと思う」
「部隊の全滅と言いましたが、その方法は?」
「トラップを使う。予め大量のトラップを仕掛けておいて、そこにおびき出せばいい」
「たったそれだけのことで襲撃部隊を殲滅することが可能だと?」
「作戦の性質上、大規模な部隊の編成は出来ない。少数精鋭の部隊であれば私一人でも十分に可能だ」
もちろんこの作戦が漏れてしまっては水の泡だ。それでもみんなを信頼しているからこそ、私は話した。
「自信がおありのようで。それで終わる話であればワタクシからは特に何もありませんが、皆さんはどうでしょう」
「わ、私達にも何かお手伝いできることはありませんか!?」
声を上げたのはヒフミ。その提案はあまりにも想定外のものだった。
「ダメ。みんなを巻き込むことは出来ない」
「それでもっ……私だって力になりたいんです!ナギサ様を守りたいというのだって、私も同じ思いです。それに、万が一アズサちゃんに何かあったら……」
「……気持ちは嬉しい。でも危険な任務だ。あくまで時間稼ぎのための作戦で、しかもその後にアリウスに狙われ続けるリスクだってある」
ヒフミ達はアリウスを知らない。アリウスという存在を知らない。だからこそ、無関係のまま終わらせるべきだ。
「わ、私だって正義実現委員会の一員なんだから!黙ってア、アリウス?の襲撃を見過ごすわけにはいかない!」
コハルの声色には少し躊躇いが混じっている。それでも彼女の真っ直ぐな気持ちが伝わってくる。
「……そうですね。アズサちゃん1人を危険な目に遭わせたくはありません」
ハナコも口を開いた。
「ハナコはどうして私を泳がせたの?アリウスと通じていることを知っていながら、それでも私のことを最後まで追求しなかったのはどうして?」
「それは、アズサちゃんが頑張っている姿を見てきたからです。……以前の私ならばアズサちゃんを試すような真似をしたかもしれません。でも、今の私には必要ないことですから」
「……?」
彼女の言葉の真意はわからなかったけど、私に対する信頼を読み取ることは出来た。
「話を戻しましょう。アズサちゃん、今のままではアズサちゃんは失敗します」
「……そんなことはない」
ハナコのストレートな物言いにムッとしてしまい、思わず反射的に返してしまった。
「あ、いえ、アズサちゃんの実力を疑っているわけではなく……こほん、いい影響だけとは限りませんね……」
ハナコはチラリとクララの方に視線を動かし、すぐにこちらに戻した。
「簡単な話です。アズサちゃんが知らない情報がある、それだけのことですよ」
ハナコは本当になんでもないように、しかし私にとっては衝撃的な話を始めた。
──────────────
「"……それは、それは本当なの?"」
それまで黙って見守っていた先生が、初めて口を開いた。
確かに内容には驚いたけど、意外にも1番ショックを受けていたのは先生だったみたいだ。
「ええ、本当です。そうでしょう、アズサちゃん?」
「う、うん。なんでハナコがそんな事を知ってるのかはわからないけど……」
「ツテがある、それだけです」
ハナコは微笑みながらそう言った。
「さて、皆さん。このままやられっぱなしは面白くない、そう思いませんか?」
「ハ、ハナコちゃん?」
「ナギサさんの企てにより私達は退学目前。アリウスという勢力がトリニティを脅かそうとしていて、これを退けなければならない。当のナギサさんはどうにか手を尽くしていますが、おそらくこのままではアリウスの思い通り。これでは私達はただ退学させられるだけになってしまいます」
「でも……どうするのよ、次の試験だってきっと同じように……」
「ええ、そうでしょうね。ですが、最も情報戦におけるアドバンテージを握っているのも私達なんです。この陰謀渦巻くトリニティにおいて、状況把握が正確に出来ている人はおそらくいません。それに───────アリウスから来たアズサちゃん、ナギサさんのお気に入りであるヒフミちゃん、正義実現委員会のコハルちゃん、シスターフッドのお二人……そして、先生」
ハナコの微笑みは崩れない。
「これだけの人達が集まってるんです。ナギサさんを守って試験に合格する、それくらいなんてことはありませんよ。なんなら、一瞬でトリニティを転覆させることだって出来ちゃいます」
「そ、それは流石に……」
「出来ますよ、私達なら」
ハナコは本気でそう信じている。ううん、違う。確信しているんだ。
「ふむ……そういうことだったのですね」
「クララさん?」
「ああ、いえ。サクラコ様……じゃなかった、ボスが何故ワタクシにアレを託したのか気になっていたのです。最初からハナコさんはサク……ボスと協力関係にあったということですわ」
「……それ、本当にサクラコ様が望んでる呼び方なんでしょうか」
「はい、間違いありませんわ」
「えぇ……?」
ハナコはしかし、クララの言葉を否定する。
「いいえ、最初からではありませんよ。踏み出せたのは、クララちゃんのおかげなんですから」
「はぁ……そうなんですの?」
「ええ、そうなんです」
その後数秒の沈黙が流れた。
「こほん。とにかく、ここからは私達の番です」
それはいつもの柔らかな笑みではなく。
「反撃開始、です♡」