目の前に広がる光景が理解できない。
ミカは一瞬、全ての思考を投げ出した。それはある種の自衛でもあり、また状況処理の優先順位を即座に切り替えられる優秀さを現してもいる。
その両方が意味をなさず、ミカの眼前には死が横たわっていた。
「何……してるの…………?」
やっとのことでミカの口から漏れたのは、疑問だった。
自分が引き金を引いたのは確かだ。なんてことない普通の銃の、なんてことない普通の弾丸。キヴォトスではそこにあるのが当たり前で、当然使用用途は暴力的なもので、そしてそれが当たった程度で凄惨なまでに相手の肉体を引き裂くようなものでは決してない。
しかし目の前の人間からは大量の血が流れており、今もガックリと項垂れて下を向いた顔面からボタボタと零れ続けている。
原因として思い当たるものは、引き金を引く直前に自分の脇から投げ入れられたナニカ。ミカの弾丸を避けようとしたクララはソレから逃れられず、慌てて下がろうとするもそれの爆発に巻き込まれた。
そう、ソレは炸裂したのだ。空中で、何かの衝撃が加わることもなく、そうなることが決められていたように爆発した。
だからミカは問うたのだ、ソレを投げ入れた本人に。アリウスという地から来た、名前も顔も知らないその者に。
「……いつまで遊んでいるつもりだ」
最初の放電手榴弾に巻き込まれたのだろうか。今も足元が覚束無い様子でフラフラとミカに近寄るガスマスクの人間が低い声でミカに語りかける。
「なに、これ、こんなの、だって、どう見ても人を殺すための……」
ミカはまだ信じられないでいる。過去の惨劇に自分自身で蓋をしたというのに、それがまたしても、今度は目の前で起きてしまった。その現場を目撃してしまった。
「予備のものをここで使用させられるのは誤算だが、まあいい。このままでは作戦に支障が出ると判断した。クソッ、なぜ戦況がこうも不利になっているかはわからんが、これでお前も向こうで戦っている仲間の手助けを……チッ、通信機器が壊れたか」
最早ミカはそのアリウスの生徒の言葉を理解出来ないでいた。代わりにミカの頭に浮かぶのは1人の友人の顔だった。
百合園セイア。今は亡きミカの友人。ミカが殺してしまった、口うるさく迷惑な友人だ。少し痛い目を見てもらおうなどと思っていたのに、何故か彼女は死んでしまった。ミカは自らが殺したことにしてその過去に蓋をしたが、ではその百合園セイアの襲撃を行ったのは誰だったか。
エデン条約が終わるまで地下牢に閉じ込めるくらいの気でいたのに、そこまで考えてミカは1つの結論にたどり着いた。百合園セイアを殺したのも、今目の前の少女をなんの躊躇いもなく殺したのも、アリウスなのだ。
「ねえ、ナギちゃんを……桐藤ナギサを捕まえた後にどうするの?」
どうしようもない事実だ。アリウスとはそういう人間の集まりなのだ。ミカは私物の兵隊か何かだと思っていたが、そんな温いものではない。アリウスとは人殺しが当たり前の世界で生きてきた者達なのだ。
「心配しなくていい、さっき使ったのはあくまで予備だ。ヘイローを破壊する爆弾……半信半疑ではあったが、どうやら本物らしい。ああ、必要だと思ったから使っただけだ。怒りに任せて作戦を台無しにするつもりなどない」
会話になどなるはずもない。住んでいる世界も、歩いてきた道のりも違うのだから。彼女たちにとって襲撃とは、即ちそのターゲットを殺すことを意味している。だから百合園セイアは死んだ。
そして、桐藤ナギサも───────。
「ッ!」
ミカは反射的に銃を構えようとして、信じられないものを見た。
血まみれの肉塊が、アリウスの生徒の頭を掴んでいたのだ。
「がはっ!」
頭、背中と地面に勢いよく叩きつけられたアリウスの生徒は、肺の中の空気を全て吐き出すように悲鳴をあげた。動くはずもないと思われていた死体が、今度は命を奪わんとガスマスクにヒビが入るほど手に力を込めている。
「がっ、あ、あああああああ!!!!」
バチバチと閃光が飛び散り、最初は抵抗していたアリウスの生徒も体を痙攣させるだけとなった。絶叫も小さな悲鳴すらも、もう聞こえない。
「頑丈」
ボソリとクララは呟いた。そしてぎょろりとミカの方に目を向ける。
白く透き通った髪は自らの紅を吸ってその色に染まっている。ところどころ黒ずんで見えるのは内側の緑が同じくそうやって混じりあった結果だろうか。壊れていたヘイローは先程の閃光より激しく跳ね上がり、それらしき円形すらも留めていない。
ミカが怯んでいることも気に留めず、好都合とばかりにクララはミカに手を伸ばす。信じられない光景の連続に呆然としていたミカだったが、既のところで後ろに飛び退くことでその手から逃れた。
「な、なんで生きて……」
「お守りを仕込んでいた、ただそれだけですわ」
クララがこの世界で学んだことだけではない。彼女が好きだったアニメや漫画だって、全て彼女の糧となっている。
「強制的に止まった心臓を動かすなんて豊かな発想、ワタクシには思いつきませんでしたわ。でも、それが可能な魔術式は持っているものでして」
心臓が止まった時に発動するよう仕組まれていた術式。外側からの電気によって心臓の脈動を取り戻すように作られたそれは、現実的には出来るはずもないが、自身の体に刻まれた記憶と連動させることで初めて可能となった。
「まだまだ付き合ってもらいますわよ?」
今も尚止まらない血液で体育館の床を染めながら、それでも赤色から覗く双眸はミカを捉えて離さない。
──────────────
先生は既に救護騎士団への連絡を終えていた。いくら覚醒したとはいえそもそも身体的な問題があるのだから、クララの限界は近い。
「"神秘の解放……"」
知識として、概念としてキヴォトスにそういったものがあることは知っていた。実際に目にするのは初めてだったが。
絆や信頼、そういったものを糧に生徒は強くなる。先生の中ではそれが結論だった。なんら不思議なことではなく、人はそういう生き物だと先生は信じていた。そしてそれがキヴォトスの概念として、神秘として力になっていく。
しかしクララはそれを自らの精神力だけで成し遂げてみせた。
つまるところ、そんな単純な話ではないのだ。もっと複雑で、知られざる要素が混ざりあっている。だからこその神秘なのだ。先生はこれからそんな事象をいくつも目にするだろう。
今回だって、シスターフッドの遺物がその一助になっている。全てが綺麗な概念だけで構成された、少年漫画の世界ではないのだから。
それでも、クララに守りたい存在が出来たというのは大きな要因だった。友人が出来た、愛情を受け取った、親愛を自覚した。キヴォトスでの体験は、生前彼女が魔術に夢中になるがあまり疎かにしていたものを体に刻み込んだ。
キヴォトスに流れ着いた彼女が、初めて持った目的。友人を、そして彼女の居場所を守ること。
「なん、で……」
ミカにはわからない。そうまでして自らの足を折らずそこに立ち続ける意味、命が削れていくのも構わずにミカの方に歩を進めるその理由が。
「あなた、死ぬよ?」
「かもしれませんわね」
表情を変えずに答えるクララに、ミカは怒りを覚えた。
「死ぬかもしれないんだよ?その意味が本当にわかってるの!?」
「もちろん。その上で、構わないと言っているのです」
友人を殺してしまったミカの言葉は重く、しかし同じく前世で近しい人を亡くし、さらには1度死んでいる身からすればそれすらも響かない。
「これは戦争ですわ。戦場で命を落とす兵士の1人が自分であると、そんな覚悟もなくこの場に立っているとお思いですか?」
「なにを……」
「ワタクシからすればアナタの方が余程その覚悟がないように見えますわ。生きて帰れないかもしれないという覚悟も、人を殺める意思も、何も感じない。そこに転がってる雑兵の方がよっぽどマシですわ」
戦場を経験したものだからこその、キラキラした世界で生きていたミカとは違う価値観。
「死ぬかもしれない、と言いましたわね。失礼ですけれど、殺意の欠片もないような方から言われてもちっとも怖くありませんの」
これ程までに実力差がありながらもクララがミカと対峙出来ている理由。それはミカに殺意がなく、クララはミカの殺害まで視野に入れた上で戦っているからだ。殺意を持たず殺意から逃れる、どれ程の実力者であっても簡単なことでは無い。殺すというのは、決着をつける上で最も簡単な方法なのだから。
「……当たり前でしょ?殺すとか殺されるとか、どうかしてる」
そしてそれはミカの禁忌でもあった。
「人を殺すとか殺したいとか、そんなの狂ってる!!殺したかったわけないでしょ!?でも死んじゃったの!セイアちゃんは死んじゃったの!!私が殺したの!!!」
ミカが壊れてしまった理由。友人が自分のせいで帰らぬ人となり、それに報いるための方法がこれしかなかった。始めた物語を途中で終わらせることが許されなくなった。
(女王陛下もこんな感じでしたわね)
クララは似たような境遇の人物を知っていた。知らず知らずのうちに自ら手を下してしまったと知った時の人間は、往々にしてこのような反応をするのかと無駄な思考にリソースを割いた。
クララは何の感情も映さない瞳でミカを見つめていた。同情、哀れみ、嘲り、凡そその場に似つかわしいとされるような感情を持ち合わせていなかった。その冷たく透き通った視線を、ミカはどう受け取ったのか。
「それが、アナタの戦う理由ですか?」
クララは考えた。おそらくこの時点で8割方この戦争には勝てるだろう。しかしこの目の前の存在はその状況をひっくり返すだけの力がある。だからこそ完璧に、戦線から離脱させる必要があると。
「ならば、いい方法があります」
今の慟哭がミカの戦う理由ならば、それを消してやればいいのだと。
「
そしてその方法はあまりにもミカを激昂させるのに十分だった。
「……なにを、言ってるの?」
「簡単なことです。何をどうしても死人が生き返ることはないのですから、仕方なかったと割り切って切り替えましょう」
道徳的に考えればあんまりなその慰め方は、ミカを更にヒートアップさせる。
「人を殺したこともないくせに、何がわかるっていうの!?もう戻れないから、背負って生きるしかないでしょ!?」
戦闘中であることも忘れ、ミカはクララの胸ぐらを掴んだ。クララは消耗し切っているせいか、されるがままにミカの側に引き寄せられる。
「人の命をなんだと思ってるの!?」
「ワタクシは人を殺したことがあります。それに───────」
燃え盛る炎に冷水を浴びせるように言い放つ。
「1度死んでいるのですから」
それはクララにとっていい思い出ではない。だが、ただ死んだという事実を知っているだけに過ぎないのであって、同様に悪い思い出でもないのだ。
魔術師は人の生き死にに頓着しない。生命力を糧に魔術を生み出す彼らは、人間という生き物を種全体でしか見ることが出来ない。むしろクララは個体というものを重要視している部類ですらある。しかしそれでも執着する程になれないのは、あまりにもそんな価値観で生きてきた時間が長いから。
1度死んでいる、そんな発言を誰が信じるのか。当のクララですら先に死んだ人間は生き返らないと言ったばかりなのに。それでもミカはその言葉を否定できずにいる。
「アナタと同様にワタクシのせいで間接的に死んだ人間だってたくさんいたことでしょう。だから死ぬ時になっても、ワタクシの番が来たとしか思わなかった。本当にそれだけ。殺して死んで、奪って奪われて、生きるということはそういうことなのです」
「
「殺した友人に対して申し訳ないと思うのであれば、死ぬまで詫び続けながら生きていく以外に道はないではありませんか。自暴自棄になって背負う十字架の数を増やして、何の意味があると言うのですか?」
ミカからすれば狂人に正論を吐かれるという屈辱。過去は変えられないが故に言い返せないもどかしさ。それでも、聖園ミカはそれでも叫ばずにはいられなかった。
「私は、そんなつもりじゃなかった!!ナギちゃんだって殺そうとなんか、殺すつもりなんか……!!それなのに…………」
しかし気づいてしまった。ナギサを殺そうとしていないのはミカだけで、ミカが利用していると思い込んでいた連中はどうしようもない人殺しだったのだと。手に負えない怪物の群れだったのだと。止まれももどれもせず、しかしこの先に行くわけにもいかなくなった。
「ならば簡単です。持ち主の言うことが聞けない
クララは震える指先で指差す。その先には今も尚戦い続ける補習授業部の姿があった。
「……言ったじゃん、後戻り出来ないんだって」
「後戻り?進行方向を変え別の道から目的地に向かうことが、どうして後戻りすることになるのです?」
「別の道なんてないの。もう何も、ないの」
「それはアナタの怠惰です。目的のためならどんな手段でも使う。その手段が気に入らなければ別のものを選ぶ。そうして全て自分の望みを全て叶える。そのために努力することの何が難しいというのですか?」
「……ははっ。そんなの、出来るわけないじゃん」
「何故?」
クララは心底不思議そうに首を傾げた。血は止まらず、意識を保つのも限界なはずなのに、それでもクララは倒れない。今この瞬間も聖園ミカを止めるという役割を果たしていることを自覚しているから。
「何故です?出来ないという言葉はこの世に存在しません。目的を果たすためにありとあらゆる試行錯誤を続け、それが叶わずに死んだ後に、『出来なかった』という事実が残るだけです。生きているうちは『出来ない』なんてことが有り得るわけがないのですから」
クララはミカを救いたいわけでもなんでもない。ただ、不思議だから訊ねる。ただ間違っていると思ったから反論する。そこには善意も悪意もなく、クララ自身の目的が果たされているうちは本人の自由意志が介在する余地があるというだけ。
「さあ、まずはお片付けから始めましょう。それが終わったら改めて作戦の練り直しをするのです。少なくとも桐藤ナギサの命を守るという点では、ワタクシ達は協力できるのですから」
ミカにとってはあまりにも甘い言葉だった。だからこそ、それが虚構であることを理解している。
「……もう、黙って」
ミカはクララに銃を向ける。
ミカは拒絶する。ミカは許容するわけにはいかない、ここで止まることも、自分自身への赦しも。
「言ったでしょ?過去は変えられないって」
過去に囚われてしまった少女は未来を作ることが出来ない。だが───────。
「ええ、確かに過去は変えられないかもしれません。しかし、前提が違っていたとしたら?過去によって現在と未来が形成されるのであれば、それを作り上げた過去そのものが間違っていたとしたら、その時人はどうするのでしょうか」
ミカとクララの間にひとつの影が降り立つ。
「まだ間に合います。ですから、どうか私の言葉を聞いていただけませんか?」
歌住サクラコ。彼女がここにいるということは、そういうことなのだ。
「…………ふぅ」
クララが息を吐く。その体がゆらりと揺れた。