こんばんは。イチゴころころです。
鈴ちゃんを喋らせるのが楽しすぎてこの辺の展開がかなり膨大な量になっちゃいました。
めっちゃ楽しかったです(開き直り)。
それでは本編、どうぞ。
「(ごちそうさまでした)」
波妃東高校、昼休み。
教室の隅でお弁当を食べ終えた鈴は、小さく手を合わせて弁当箱を片付けた。
午前の授業を乗り越えたクラス内は活気に満ちており、クラスメイトたちは椅子を寄せ合ってゲームの話をしたり駅前のおいしいシュークリームの話をしたりしている。鈴は次の授業の準備でもしようと、ぼんやりとバッグに手を伸ばす。
「(はーーーー。週末の“会”のこと、いい感じの断る理由、ないかなあ……)」
悶々と思考しつつバッグを開き、その手をふと緩めた。
「……」
新品のバッグは、パステルカラーの模様が入った可愛らしいデザインのものだ。自分には似合わないと思いつつ、とにかく派手でわかりやすいものを選んだ。
……二度と、取り違えることがないように。
「(うう……いけないいけない。あの日のことは忘れないと。私の平穏な日常を守るために!)」
思考を振り払うように小さく首を振る。バッグのチャックを閉じようとして――鈴は今度こそその手を止めた。
「(……日常? 私の平穏な、日常……?)」
家庭では虚構。
学校では虚無。
「(守る……ために? ……守って、私はどうなる?)」
あの夜、心の底から恐怖したのを覚えている。はしたなく泣きわめいたのを覚えている。あり得ない速さで動き続けた心臓の鼓動を、沸騰しているかと思うほどに熱かった血の巡りを、バイクの上で女性にしがみつきながら頬に受けた風を。
全部、鮮明に覚えている。
「――さん?」
「(私は、一体――)」
「――小黒さん?」
「ひゃいっ!?」
声を掛けられていたことに気付き、鈴はぐりん! と振り返った。
「おわっ。ご、ごめん、びっくりさせるつもりじゃなかったんだけど」
「(え、なになに。ほんとなに? びっくりした。てかクラスメイトに話しかけられるのいつぶり? 誰だっけこの人? 出るよね声。どんな感じだっけ私の声。そうだ、確かちょっと高めで……)」
目をぱちぱちさせながら一瞬で思案した鈴は、すぐに何事もなかったかのような表情を取り戻した。
「ううん、大丈夫。どうかしたの? ……糸巻くん」
「ああ、いや。大したことじゃないんだけど、今度の日曜日さ――」
「(よかったー糸巻くんで合ってた! なんだっけこの人。前にも絡んできた陽キャさんだっけ? え、私のこと好きなのかな? やめといた方がいいと思うな。陽キャの一角が私と付き合うとか大事件だよ。君も最底辺カーストの仲間入りだよ。私
「あの、小黒さん……?」
「はっ!?」
鈴は再び居住まいを正し、後ろ手でブレザーの裾を握りしめた。
……しっかりしろ鈴。トラブルなく会話を成立させるために全力で脳を回すんだ。あの地獄の日々を思い出せ。
「あはは、ごめん。なんだっけ?」
「だからライブだって。講堂借りれたからようやく開催できるんだ、オレたちの初ライブ!」
「ら、ライブ……?」
鈴は記憶の中の風景から、この糸巻という男子がギターケースを持って登校してくる姿をおぼろげに抽出した。
「そう、オレたち『
「(い や ダ ッ ッ ッ サ ! ! )」
表情筋をフル稼働させて平静を装い、
「へー、すごい」
となんとか答えた。危なかった。
「(大丈夫なのそのバンド名?? 何年後かに布団のなかで暴れ回るやつじゃないの?? むりむりむりむり! 今すぐ背中掻きたい! もう私が暴れそう!)」
「ってことで、そのー……、小黒さんも良ければ観に来てくれないかな、って言うか。あ、これ、一応、チラシ」
「わー」
蚊の鳴くような薄い声を出しながら、鈴はチラシを受け取る。
「(殺す気かな? 人の集まるライブ会場なんて2分と生きてられないし、なんかもう色々イタすぎて脳が耐えられないよ絶対。命がいくつあっても足りないよ私)」
「そ、それじゃっ! へへ、ま、またね小黒さん、ふふ……!」
まるで世界でも救ったかのような満ち足りた表情でグループに帰還していった糸巻くん。鈴は対人会話用の表情を崩さぬまま、受け取ったチラシを直視しないようにしつつ丁寧に四つ折りにした。
「これが私の、日常……」
ぽつりと零れた鈴の小さな悲鳴は、始業のチャイムにかき消されるのだった。
* *
「――改めまして。霧島家の執事、
不機嫌そうに椅子に座る廻の横で、眼鏡をかけた優男は恭しくお辞儀をした。綺麗に伸ばされた背筋や指先。まるで漫画の中から飛び出してきたザ・執事といえるような佇まいに、一織は思わず見とれてしまう。
「目白一織様、このたびは貴方の事情も知らず、とんだご無礼をば……」
「あ、いえいえ、全然。お気になさらず……」
一織はぺこぺこと会釈しつつ、そんな事情なんて実在しないんで、と心の中で付け足した。
「……頭を下げる必要なんてないわよ。元を正せば彼が悪いのだし」
「(この家出セレブめ……俺がツッコめないのをいいことに好き放題言いおって……)」
「お嬢様」
執事・本城輝星が釘を刺すように咳払いをすると、廻はますます不機嫌そうに目を細めてから、ゆっくりと居住まいを正した。
「――失礼。不適切な言葉遣いをしてしまったわ。目白さん、改めてわたくしどもの無作法をお許しくださるかしら」
「う、お……」
一織は咄嗟に言葉を失う。廻の口からそんな台詞が出てきたのもそうだが、“この世の全てはわたしの駒”とか素で思っていそうな彼女が誰かに従う姿が何より衝撃的だった。
「あの、ほんと、全然大丈夫なんで……。は、はは……」
どうやらこの本城という男、元・廻の教育係というのは伊達ではないらしい。彼女の思わぬ姿を目の当たりにした一織は、にやける口元を隠しながら胸の奥で本城に感謝した。
「………」
廻がそんな彼を射殺すように睨んでいると、本城は改まって口を開いた。
「では、お嬢様――」
「わたくしは帰りません」
「……どうかそう仰らずに」
「輝星さん、貴方はもうわたくしの教育係ではありませんし、わたくしももう、甲斐甲斐しくお世話をされるような年齢ではありません。自分のことは自分で責任を取れます」
「ですが――」
そうして始まったお嬢様と執事の問答。蚊帳の外となった一織は、その様子をじっと見守る。
「(霧島家……か)」
実際、一織は彼女のことをほとんど知らない。お金持ち……それも相当なレベルの富豪であることは知っていたし、このacquarioが一晩で出来上がったこともそれを裏付けている。しかし彼女は自らの過去や境遇を語らない。一織も詮索せずにはいたものの、まったく気にならない訳ではなかった。彼女の“家出”はおそらく、教団との因縁に関わりがあるのだろうが……。
「(てか、俺この会話聞いてていいのか……?)」
「大方、
「仰るとおりでございます。ですがそれだけではございません。私も、母も、重役の皆様もお嬢様を心配して――」
「心配? 心配ですって? ……ふざけないで」
「お嬢様」
「もうあのお屋敷にわたしを心配する人はいない――!」
「(ん?)」
「――『霧島廻』を押さえておきたいだけでしょう、お父様の忘れ形見であるこのわたしを!」
「(……!)」
しんと静まりかえる店内。窓の外から聞こえるヒグラシの鳴き声さえも遠ざかっていくような、虚ろな空気が店内を圧迫する。
廻と本城は我に返ったのか、ゆっくりと一織の方を振り返り、そして各々視線を逸らした。
「……あの、俺、出てるんで」
そそくさと店を出る一織。細い階段を降りながら、遅すぎる判断を反省した。
「絶対聞いてちゃダメなやつだったな……」
迂闊に口を滑らせたのは彼らかもしれないが、一織が半ば興味本位で居座っていたのも事実。本当はふたりが問答を始めた段階で席を外すべきだった。
廻の抱える事情に関して、一織は部外者以外の何者でもない。そこに教団が関わっていたとしても、だ。自分と廻の関係性はそういうものだと、とうに理解しているつもりだった。
「『ふわふわ男』と揶揄されるのもやむなし、だなあ……。いつもこうだ、適当に決断して、一手間違えてから後悔する」
ため息をつく。日も傾いていない夕方の空を見上げ、ビルの窓に反射した太陽に再び視線を下げる。
すると路地の先に、見覚えのある人影が見えた。
「あれ?」
* *
時は少し遡り、波妃東高校が放課後を迎えた頃。
生暖かい空気の残る帰り道を歩く鈴の後ろ姿は疲労に満ちていた。
「つかれた……ほんと」
好きの反対は無関心とはよく言ったものである。
少し前までは、鈴は自宅も学校も嫌いだった。しかし今は嫌いですらない。気持ちのベクトルが向かない。無関心なものに向き合うことは、嫌いなものに向き合うよりも何倍も苦痛だった。
「……」
歩みの向きを変え、自宅とは反対方向へ歩を進める。帰るのが少し遅くなるくらいどうということはない。父はまだ仕事だし、主婦の母もこの時間は専ら“会”の人と集まっている。
「なんだろうなあ……」
歩きながら思い出す。1ヶ月前の恐怖の夜のことを。
あり得ない体験だった。あり得ないものをたくさん見た。正気を失ったかのような波妃町の住民たち。自分を助けてくれた、サメの化け物に変身する男とバイクを駆る女性。
自分の胸に手を当てた。心臓の鼓動が聞こえる。でも小さい。小さすぎる。あの夜に感じた情動に比べれば、今の自分は死んでいるのと大差ない。そんな気がした。
「私の日常は……、あっ」
気付けばそこは駅前の裏路地。あの夜の終わりに、鈴が日常へ戻ったコインパーキングだ。寂れた敷地内に車は一台も停まっていない。
「はあ、なにやってるんだろ。帰ろ――」
「あれ?」
突如背後からかけられる、どこかふわふわした声。振り返ると、涼しげな半袖のジャケットを着たひとりの男性が雑居ビルの前に立っていた。その顔を鈴は知っている。
「サメの、お兄さん……」
「いやまた安直だな。まあ間違ってはいないけど」
彼はどこかほっとしたように笑うと、親指で真横にある看板を示した。そこには『インドカレー』という、安直の権化のようなゴシック体。
「晩飯にはちょっと早いけどよければ一緒にどう? 奢るよ」
鈴は無意識のうちに口を開く。自分でも驚くほどスムーズに。喉の奥が温まっていくのを感じながら。
「はい。ご一緒します……!」