仮面ライダーLAMBDA   作:イチゴころころ

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3-10. 邪神の首に鈴をつける

 

 

 ビルの隙間から見える八つの光の柱。その玉虫色の縦線は真っ直ぐに空を貫き、波妃町全体を、そしてこの余白のような裏路地を見下ろしていた。

 

「……いつ、お気づきになったのですか」

 

 本城輝星がいつも通りの柔和な笑顔で――それでいてどことなく重くのしかかるような声色でそう尋ねると、一織は「どうかなあ」とおどけて見せた。

 

「言ったでしょ、ポイント制だって。だから“いつ”とかじゃあないんだよな。怪我してるのに血の匂いがしない、20点。司祭やイエローガイストが霧島さん相手にだけ加減をする、20点。そのくせ執拗に怒りを煽ってくる、20点。……本城さんの行動がことごとくタイミングが良い、40点……ってとこかな」

 

 一織はこれ見よがしに指を折りながらそう述べ、「その他諸々特別加点により、実際の総合得点はもうちょい高いよ」と付け足した。本城は鼻で笑うように息を吐き、眼鏡のブリッジを指で押し上げた。レンズがギラリと反射し、彼の目元を隠す。

 

「褒めて差し上げましょう、よもや見抜かれるとは思いませんでした。見事な洞察力です……遅すぎるという点に目を瞑れば」

「どうも。……それで、理解できないことがあるんだけど」

「と、言いますと?」

「あんたは教団側の人間だが、霧島さんを守りたいって思ってるのは本当なんだろ?」

 

 本城は答えない。だがその顔色には、見透かされたことへの驚きと苛立ちが微かに浮かんでいた。それを見た一織は言葉を続ける。

 

「だから今日一日かけて彼女の心を折って、おうちに連れ帰ろうとした。だけど……それに何の意味がある? 教団の目論み通りなら今日クトゥルフは復活し、やがて世界は蹂躙される、あんたも霧島さん自身もひっくるめて、な。……霧島邸にはシェルターでもるのか? それとも――もっと別の何かが、あるのかな?」

 

 別の“何か”……一織に具体的なイメージがあるわけではない。しかし教団は二年前に霧島家で事故を起こし、廻の父親は死に、廻自身は『ヒューマギア』にされた。そして現在、霧島家執事である本城が教団の一員として暗躍している。……霧島家には“何か”がある。一織は確信めいたものを感じていた。

 

「……」

「なあ教えてくれよ本城さん。どうなんだ? ……いっそ霧島財閥自体が、『翡翠の光』だったりしてな?」

「財閥が……『翡翠の光』……?」

 

 それまで無表情で黙り込んでいた本城は、そこで初めて表情を崩した。――それは思わぬタイミングで滑稽な場面に出くわしたかのような、無邪気にも見える困り笑いだった。

 

「そんなわけがないでしょう。ふ、く、ははは……。浅い、浅いですねえ……! やはり貴方には何も見えていないようだ。そんな程度では、星々の深淵には到底届かない!」

「……耳の痛い話だ。でも見当外れとは言え……“何かがある”ことは間違いなさそうだな――」

 

 一織は短くため息を吐くと、懐から吊り目のベルトを取り出す。

 

「――ここから先は、力ずくになりそうだ」

 

 アマゾンズドライバーを腰に巻き、ベルト帯を背中で連結させた。青嵐スタジアムでは起動しなかったその装置は装着と同時に待機状態に入り、一織の慣れ親しんだ駆動音を静かに鳴らし始める。

 

「……無駄なことを。それこそ何の意味があるのです?」

 

 その姿を見て、本城は嘲るように吐き捨てた。

 

「こんなところで私と貴方が小競り合いをしたところで、あの司祭が行っている儀式には何の影響もない。もし仮に、万が一、何かの手違いで私が負けたとして……そして貴方が謎を明らかにしたとして。日没と同時に儀式は終わり、海底都市は浮上を始める。……この戦いに何の意味があると言うのです?」

 

 その通りである。この場所では問題なく動いているアマゾンズドライバーは、スタジアム周辺では使い物にならない。その状態では司祭に勝つことなど不可能だ。そしてここでイエローガイストを倒したところで、何の解決にもならない。……そんなことは百も承知だ。

 

「……俺は霧島さんに認めてもらった“仮面ライダー”だからな」

「ほう……?」

「化け物でも人間でもない俺をそう呼んでくれた……。呼び名に見合うだけの筋は通さないと嘘でしょ」

 

 一織の脳裏に、自室の隅で項垂れる彼女の姿が浮かぶ。

 

「謎の解明とか教団の秘密とか、そっちはついでだ。俺はいま結構頭にきてる。……霧島さんの人生と、その想いを弄んだあんたらにな。ここで五・六発ぶん殴っておかないと、うちの女性陣に示しがつかない」

「……思い上がるなよ、醜い化け物が」

 

 本城は苛立たしげに喉を鳴らし、トランスチームガンを取り出した。フルボトルを振るまでもなく、彼の瞳には激情が宿っていた。仮面ライダーアマゾンラムダ、これまで自身のスケジュールをことごとく引っかき回した目の上のコブ。それが今、目の前にいる。

 

LAMBDA(ラムダ)

Octopus(オクトパス)

 

 ……頭にきているのはこちらも同じだ、と心の中で呟くと、胸の奥で何かが弾ける感覚がした。

 

「――アマゾン」 / 「――蒸血(じょうけつ)

 

 灯る爆炎と、噴き出す蒸気。アマゾン細胞の変異する音を聞く者と、ボトルの成分が固まっていく音を聞く者。変身に伴い湧き上がってくる情動に両者は身を委ねていく。

 

《D・D・Dive! To the bottom...! 》

《Octopus...! O・Octopus...!》――《Fire...!》

 

 ひときわ大きな爆風と共に現れた暗い青色の仮面ライダー。

 その爆風に吹き飛ばされた蒸気の中から姿を見せ、虚空に火花を放った漆黒の怪人。

 

 玉虫色の光に見下ろされる波妃町の余白、誰も見ていない舞台裏のような路地にて。彼らの激突が始まった。

 

 

 

 *  *

 

 

 

「……この部屋にベッドは必要ないわ。それは、言わば大きな充電器よ」

 

 廻がおもむろにそう呟いた。座ったまま壁にもたれる彼女の視線の先には、棺桶のようなサイズの白いボックスが横たわっている。

 

「父の残してくれた装置も、本当はヒューマギアの処理能力を一時的に向上させるもの……スマホに取り付けるのはフェイクなのよ」

 

 廻が時折見せていた検索能力や、もはや透視とでも呼べるような“スキャン”なる能力。スマホの範疇にないように思われたこれらの立ち回りだが、兵士型のヒューマギアである彼女自身の機能を拡張したのだと言われると納得がいった。同時に、言われるまで気付かなかった自身の迂闊さを、鈴は静かに呪った。

 

「これらも『銀の鍵』を使って取り出した技術だと言うのなら……わたしが踏み台にした人の命は七つでは済まなそうね……。本当、滑稽すぎて笑えてくるわ」

 

 そう自嘲する廻の顔はちっとも笑っていなかった。左耳を隠すように首を傾けたまま、ぼんやりと虚空を見つめている。鈴がかける言葉を探している間に、廻は締めの甘い蛇口のようにポタポタと言葉を零していく。

 

「目白くんは見た目と違って頭が良いから、きっと気付こうと思えば気付けたのでしょうね。でもそうしなかった。わからないままでもいいと言って、わたしに都合良く目を逸らしてくれた……。だからこの前、いつになく踏み込んでくる彼が怖かったのよ。……わたしもあなたと同じよ、小黒さん。ここにいることを“居心地が良い”と思っていたのね」

 

 廻は目を細め、消え入りそうな声で「ごめんなさい」と呟いた。それは意地を張って一織と喧嘩をしたことに対してか、居心地の良さに甘えて鈴を自分の都合に巻き込んでしまったことに対してか、鈴はわからなかった。

 鈴が困ったように目を逸らすと、視界の先で何かが静かに点滅した。……それは小さなデスクの上、半開きになったノートパソコンだった。廻がいつも使っているそれには何かしらのゲージが表示されていて、赤色のバーが半分を過ぎたところだった。ノートパソコンの横では件のデバイスがぽつんと置かれていて、同じく赤色のLEDランプが忙しなく点滅している。

 

「……えっ?」

 

 パソコンに視線を戻し、ゲージの上に並んだ文字を見て鈴は目を疑った。デスクに飛びつくようにして駆け寄り、その画面を押し開ける。

 

「……何をしているの小黒さん」

 

 ふらふらと立ち上がった廻の方を振り返る。一瞬見えた左耳のモジュールでは、赤色の光がデバイスと呼吸を合わせるように点滅していた。

 

 ――パソコンの画面には冷たいフォントで『初期化』と、それだけ表示されていた。

 

「廻さんこそ何してるんですかっ!」

 

 悲鳴に近い声を上げ、タッチパッドを操作。ウィンドウ端の『中止』にカーソルを合わせて無我夢中で連打した。

 

「やめなさい! いいの、いいのよこれで……!」

「良いワケない、こんな方法だけは、良いワケないですっ」

「どいて、どきなさ――あっ!」

 

 廻に突き飛ばされた鈴は部屋のドアに激突し、床に倒れ込む。その大きな衝突音に廻自身が驚き、思わず自身の両腕――人間を遥かに凌ぐパワーを持ったヒューマギアの腕を見つめた。

 

「あ、ご、ごめ、なさ……わたし、あ……」

 

 ヒューマギアに限らず、この手のアンドロイドなら持っていて然るべき“人間を傷つけないプログラム”を、兵士である自分は持っていない。ピピという電子音と共に初期化が中断されたことを表示するパソコンなど、もう廻には見えていなかった。

 

「ご、ごめんなさい……わたしは、こんな……ああ……!」

「――いいんです。謝らないでください。廻さんはもう十分、謝りました」

 

 そんな廻を容赦なく貫くような、それでいて包み込むような不思議な声色。鈴は滴る鼻血をぬぐうと、ゆっくりと立ち上がった。

 

「半年前から、ずっと何かに謝りながらここまで来たんでしょ? 謝るっていうのは向き合っている証拠です。メアリにも美加にも、お父さんにもお母さんにも謝ってこなかった私より、ずっと立派です」

「……ぁ………」

「あなたたちは“向き合える人”です。だから私は憧れたんです。一織さんのようにフワフワと受け止めるのも、廻さんのように力強く飛び込むのも、私にはない輝きに見えたから……」

 

 でも――と鈴は言葉を切り、廻に歩み寄った。廻は彼女から遠ざかるように後ずさったが、その視線は目の前の小さな少女に吸い寄せられたままだった。

 

「でも向き合ったままってすごく疲れるから……。私は、目を逸らすのだっていいことだと思います。休んだって良いと思います。――だから今度は、私が向き合う番です」

 

 鈴は微笑み、デスクに置いてあった霧島昇のデバイスと、デスクの下のアタッシュケースを拾い上げた。

 

「小黒さん……何を……」

「廻さんが”ちゃんと”休めるように、これは私が預かりますから。……休んでいてください。心が疲れたときは、何も考えずに休むのが一番ですよ」

 

 心、という部分をほんのりと強調しながらそう告げると、鈴は踵を返した。廻は咄嗟に「待って!」と声をかけるが、その小さくも眩しい背中は既にドアの向こうへ消えていた。

 廻は膝から崩れ落ちた。ガシャン、という色気の欠片もない音が部屋に響く。鈴のしようとしていることは想像がついた。でもその場から動けなかった。『休んで良い』と、その言葉に包まれるような感覚がして動かなくなった身体。そのくせ目頭ひとつ熱くならないこの身体。いま抱えているものが怒りなのか悲しみなのかはたまた安堵なのかもわからないまま、廻はただ、彼女の名前を呟いたのだった。

 

 

 

「糸巻くんっ!」

「うわっ、お、小黒さん……。なんか奥からデカい音したし、イオリさんはなんか胡散臭いイケメンとどっか行っちまったし……いったい何がどうなって……って、ええっ!? それ鼻血!? 大丈夫!? なにがあった!?」

 

 この半日でスルースキルが大変鍛えられた満太。彼は脳裏に浮かぶ疑問よりも目の前の彼女を迷いなく優先し、綺麗なタオルを取り出して彼女の顔にあてがう。だが鈴はその腕にアタッシュケースを抱えたまま、キャパオーバー寸前の同級生に向かってさらなる追い打ちをかけた。

 

「糸巻くんお願い。私をスタジアムに連れてってほしい」

「……へ?」

 

 まるで運動部のエースがガールフレンドを大舞台に誘うだの何だのみたいな台詞。しかしそんな浮ついた事情でないことは、他でもない鈴の表情が物語っていた。満太は喉まで出かかったツッコミを飲み下し、緊張の面持ちで口を開く。

 

「……何をしに行くつもり?」

「決まってるよ――」

 

 満太の疑問符に含まれる肯定を受け取ったのか、鈴は彼の腕を縋るように掴む。

 

「――世界を救いに!」

 

 ついにキャパオーバーを迎えると思っていた思考がふいにクリアになり、満太は口元を緩ませた。混沌の極まるこの波妃町において今、この瞬間だけは、小黒鈴は自分を頼ってくれている――それさえわかればもうあとは何もいらない。

 

「わぁーったよ! どこへでも行こうじゃんか。世界のひとつやふたつ、救ってやろうぜ!」

 

 恋は無敵だと思った。満太は鈴の手を逆に握り返し、気色の悪い光に照らされる街へと繰り出していった。

 

 

 

 盗んだバイクで走り出す、というフレーズだけ聴いたことがある。音程とテンポもなんとなく――原曲を聴いた記憶も無いのに脳裏に浮かんでくる。しかし自分が実際にやることになるとは、満太は想像もしていなかった。まあ仕方ない、と思った。自分の原付は鈴の家の前に置きっぱなしにしてきたし、未だに人々が洗脳状態で鈴を見るなり襲ってくるというこの地獄変を、徒歩でスタジアムまで向かうわけにはいかない。恐らく裏路地の小さなゲーセンに入店していったであろう持ち主にはせめて無傷で返却しようと、満太は心の中で手を合わせながらスクーターを走らせた。

 空には『銀の鍵』が伸びている。初めてそれを見る満太は正体不明の動悸に襲われ危うく意識を失いかけたが、背中にしがみついている鈴が咄嗟に「何でも良いから別のこと考えて意識を逸らして」と教えてくれた。突然の出来事に戸惑ったが取りあえず自分が鈴と密着していることと、実は鈴がいま廻のコート一枚しか着ていないことと、結構柔らかいことという三点を思い浮かべると容易に狂気を退散することができた。一抹の罪悪感を覚えたがまあやっぱり恋ってのは無敵なんだなと思うことにした。

 

 やがて満太と鈴は青嵐スタジアム前に辿り着く。道中何度かすれ違った“教徒”たる住民たちは、スポーツ公園周辺には不思議なほど姿を見せなかった。ふたりは周囲を警戒しながらスタジアムに足を踏み入れていく。

 

「……司祭の姿は?」

「たぶんだけど、ひとまずはないみたいだぜ」

「そう、……ありがとう」

 

 選手入場口中ほどの柱に隠れるようにして、鈴と満太は小声でやりとりをする。ガラス扉の向こうに見える競技場にはいくつかの『銀の鍵』の根元が見えた。裸眼の鈴にはよく見えていないが、満太によるとちゃんと八本あるらしい。

 

「えっと……なんだっけ。そのなんちゃらライザーってのを奪うだけでいいんだよな?」

「うん……きっとそれが全部の中心になっている、はずだから。……ここから見えるかな」

「たぶんアレだろ……真ん中に一段とデカい柱がある」

「よし……」

 

 鈴は手に持ったアタッシュケース状の武器――正式名称は『アタッシュライフル』というらしい――の取っ手を握りしめた。変形機構を持つその武器は既に一部が展開され、銃身のようなものがカバンの側面から生えた状態になっている。が、どう見てもライフルには見えないし、なんなら銃器に見えるかもだいぶ怪しい。

 

「……その武器、使い方合ってるの?」

 

 満太が訝しむようにそう尋ねると、鈴は「たぶん違う」と力なく答えた。

 

「たぶんもう一段階変形できるんだと思う。ほら、このボタンで。……でも固くて全然押せないんだ。……め、廻さんも変身後前提の武器って言ってたし、これ以上はどうしようもないのかも……」

「変身後前提? ……生身で使って大丈夫なのかそれ」

「ダメ、だと思う……。反動がすごいって廻さん言ってた。だから最低限、鈍器になれば良いかなって思って……ノリで持って来ちゃった」

 

 どうやら当てにはできなそうである。そう思った満太はひとまずそのアタッシュライフルを預かることにした。鈴は「うぅ……」と申し訳なさそうに唸り、肩を落とした。

 

「ノリと言えば……ほんと私、ノリと勢いでここまで来ちゃったな……糸巻くんまで巻き込んで……ごめんね……たぶん今の私たち、身の丈を余裕で逸脱した危ないことしてる……」

「いや我に返るにしても今ではないでしょ……。まあ大丈夫だって、オレも覚悟の上だ。世界、救うんだろ? やってやろうぜ、オレたちの手で」

「うん……!」

 

 満太の真っ直ぐな言葉を受け、鈴の胸に再び炎が灯る。廻に大見得切った以上、ここまで来て足踏みしているわけにはいかないのだ。

 そうして鈴が決意を改めた直後、背後から複数の足音が聞こえてきた。

 

「……っ!」

「な、なんだぁ!?」

 

 振り返ると、フード付きローブを着た複数人の教徒。その格好とおぼつかない足取りは、彼らが既に“ゾンビ”となっている証拠だった。

 

「お、小黒さん! これ、ゾンビでいいんだよな!?」

「う、うん、そう!」

「ならいい、行って! オレが引きつけるから」

「でも――」

「心配すんな! この鈍器だってある! 時間ないんだろ!」

 

 満太は不完全な形のアタッシュライフルを振り回し、先頭のゾンビを転ばせた。後続のゾンビは次々と足をもつれさせていく。

 

「行け!」

「うん、お、お願い!」

 

 鈴は前方――競技場の方へ走り出した。ガラス扉を越え、芝生の上を駆けていく。すぐに息が上がり、脇腹が悲鳴を上げ始めた。一日に二度も自身の運動不足を恨むことになるとは思わなかったが、今回ばかりは立ち止まるわけにはいかない。

 やがてぼやける視界の先に、台座に置かれた滅亡迅雷フォースライザーを見つけた。芝生の中心、極太の『銀の鍵』の手前に置かれた台座には、ベルト帯に八つのプログライズキーが挿入された黒いバックルが鎮座している。鈴は無我夢中で足を動かし――ついにそのドライバーを台座から拾い上げた。思わず「やった!」と叫ぼうとしたが呼吸が上がりきっていてうまく声が出なかった。司祭が近くにいる可能性は十分にあるし、そうでなくともゾンビは蔓延っている。それにフラグめいた言葉を残した満太とも合流しなくてはならない。気が抜けないことはわかっていたが、ここさえ乗り切れば儀式は阻止できる……そう思うと自然と頬が緩んだ。鈴は軋むような両脚に鞭を打ち、選手入場口の方を向き直る。

 

 そのとき、鈴の真横――驚くほど近い距離で、しわがれた声がした。

 

「――窃盗とは感心しないね、お嬢さん?」

「え――」

 

 直後、衝撃と共に鈴の視線が一回転する。殴り飛ばされたと気づく頃には、鈴の身体は芝生の上を転がっていた。

 

「……!? ……っ………!」

 

 驚きの声は上げられず、代わりにヒューヒューという息の抜ける音が喉の奥から這い出てくる。全身が疲労を思い出したかのように動かなくなり、肺だけが浅い呼吸を繰り返す。辛うじて頭を傾けると、ローブを纏った司祭があろうことか『銀の鍵』の光の中から姿を現した。

 

「大事な祈祷の邪魔をしないでもらえるかな。……これでも元々若者を導く仕事をしていた身だ、子供の命を奪うのにはまだ少しだけ抵抗があってね」

「あぅ……!」

 

 司祭は抑揚のない声でそう告げると鈴の首を掴み、その華奢な身体を軽々と持ち上げた。

 

「まてテメェエエえええええ!!」

 

 怒号と共に満太が駆け寄ってくる。彼は半開きのアタッシュライフルを構え、司祭の背中めがけてトリガーを引くが――、

 

「ごッッッ!?」

 

 放たれた光弾は明後日の方向へ飛んでいき、反動で斜めに吹き飛ばされた彼は芝生を転がり、ピクリとも動かなくなった。

 

「そ、んな……! 糸巻、くん……!」

「ふむ、“彼女”らの友人たちによる、弔い合戦といったところか。なかなか泣かせてくれる。……でも残念だったね、滅亡迅雷フォースライザーはあくまで儀式の“加速装置”……取り上げたところで破滅が半日延期されるに過ぎない」

「う、そ……!」

「とはいえこれ以上延びるのは本望ではないのでね。さあ、返してもらおうか?」

「きゅ、ぅ……っ」

 

 司祭が腕に力を込める。首の奥で何かが軋むような音が響き、鈴の視界は涙で滲んでいった。

 

「(ごめんなさい廻さん……だめ、でした……。結局私は……なにもできないまま、何も変われないまま、で……!)」

 

 目尻に浮かんだ涙が千切れ、芝生へ向かって落ちていく。

 もう手を伸ばすこともできない。

 

 

 

 *  *

 

 

 

 時はほんの少し遡り、波妃町の片隅で衝突を繰り返すふたつの異形。

 ラムダの放った渾身のラッシュはすべて紙一重で回避され、スチームブレードの刺突が喉をめがけて迫り来る。左腕を閃かせてそれを受け止めたラムダだったが、勢いを殺しきれずに弾き飛ばされ、貯水タンクに背中から突っ込んだ。

 彼らの戦いは駅前から離れたビルの屋上に場所を移していた。

 

『――そもそも貴様がすべてを狂わせた元凶なのですよ。仮面ライダーアマゾンラムダ……司祭の酔狂の一環で生まれた(ケダモノ)よ』

 

 水に濡れた屋上に降り立ったイエローガイストは、スチームブレードを撫でるように指先を動かしながら淡々と告げる。

 

『貴様がお嬢様と出会い、あろうことか彼女に肩入れをしたお陰で……彼女は渦中へと飛び込んでいく羽目になった。旦那様……霧島昇様の胡乱(うろん)な置き土産もありますが、彼女の馬鹿げた復讐を確立させたのは他でもない、貴様なのだ』

 

 ラムダはひしゃげた貯水タンクからよろよろと立ち上がる。昼間、司祭から受けたダメージはまだ残っているようで、その足元はややふらついていた。

 

『廻様は何も知らず、何も悩まないまま……ただ幸せでいてくれたら良かったのだ』

『どの口が言うかな……。吐き気を催すような残酷な真実を、考え得る限り最悪な形で彼女に伝えたのはそっちの演出だったろう』

『彼女の意志は強い……それを折るにはそれ相応の衝撃が必要なのですよ。彼女の心を傷つけるのは本意ではありませんでしたが、一度お屋敷に戻ってきてくれさえすればどうとでもフォローできる』

『なんだって?』

『彼女はヒューマギア、ですよ。記憶や意識がコピーされたデータである以上、()()()()()()()調()()()()()ことなど容易い』

『記憶操作ってことか? 正気かよ、彼女を何だと――』

『大切に思っていますよ。だからこそこの私が、彼女を幸せに導いて差し上げねばならないのだ』

 

 一織は言葉を失った。この本城という男が廻を連れ帰ろうとする理由……それこそ彼女の心を傷つけてまでそうしようとする根拠が、よりにもよってそんなおぞましいものだとは思っていなかった。

 

『……過保護な元・教育係とは思ってたけど、ここまでとはね。……ひどい執着だ、いや、それは――』

 

 鈴の言葉を思い出した。

 

『――それは“期待”ってやつだな。あんた、実は霧島さんのこと誰よりも“見えてない”だろ』

『……なんだと?』

『理想を押しつけるのは“期待”、理想から外れても向き合う覚悟をすることが“信じる”ってことらしいよ? ……尊敬する友だちの受け売りだけど』

 

 本城輝星はイエローガイストのバイザーの奥で目を細める。

 

『……知ったような口を利くな、目白一織。お嬢様は昔から……麗しく、気高く、知性に溢れ、どんなときも優雅に振る舞う、そんな方だった。この私が、そんな方になるようにお支えした……! ヒューマギアになろうともそこは変わらない! 彼女は常に、一切の(けが)れもなく完璧で――』

『ははっ』

 

 本城の語気を、一織は一呼吸で笑い飛ばした。

 

『今ので確信した。確かに俺は霧島さんと知り合って数ヶ月だが……少なくとも“信じている”ことに関しては、あんたより一歩先を行ってるよ』

『戯れ言を……貴様ごときが、廻様を語るな……』

『お前こそ霧島さんを舐めるな!!』

『……!』

 

 背の低いビル群に響き渡る一織の低い叫び声。本城は思わず小さく身をすくめる。

 

『教えてやるよ。俺が見てきた、俺から見えた、あの人の姿をな――』

 

 

  *

 

 

 街路樹が視界の後ろへ流れていく。振り返るゾンビどもにも構うことはなく、最短距離でスタジアムに突っ込んだ。

 

 

――『知ってるか? 霧島さんは、俺が出勤すると絶対奥から出てくるんだ。パソコン作業なんて奥でもできるだろうにな』

 

 

 芝生の上で意識を失う少年は、半開きの武器を握りしめたままだった。彼なりに、わからないなりに、最後まで戦った証拠だろう。そんな彼を一瞥し、前を向き直る。

 

 

――『俺がつい零してしまうくだらない会話に、絶対乗ってくるんだ。罵倒なり論破なりで内容には容赦がないけど……聞き流すことなんて絶対にしない』

 

 

 銀の鍵の間を縫うようにして走る。風はなく、音もない。ただ銀の鍵が蠢くモヤモヤとした音が、胸の奥に不快感を貯めていく。

 

 

――『鈴さんの質問にも絶対答えるんだよ。伏せることはあっても、質問そのものを蔑ろにはしない。そうやって、いつもびっくりするくらいに真っ直ぐなんだよ』

 

 

 芝生の上に立つ司祭。彼の腕の先で締め上げられている少女は、朦朧とする意識の中でもその手を……握りしめた黒いバックルを放さなかった。それを奪うことは無駄なことだと知ってもなお、その手を放そうとしなかった。

 わたしは思わず、彼女の名前を叫んだ。

 

 

――『彼女は確かに賢いし、知識もあるし、合理的だ。でも根本のところは俺たち以上に……単純で不器用で真っ直ぐだ』

 

 

 司祭の顔にバイクの前輪がめり込む。何か硬いものが砕けるような音と共に、司祭が真横に吹っ飛んでいく。芝生に崩れ落ちそうになった鈴の身体を、冷たい黒銀の腕が受け止めた。

 

 

――『人と話すのが好きで、会話をすることが好きで、好奇心が誰よりも強くて……誰よりも優しくて。頭よりも先に身体が動く。……そんな“愛すべき不器用な馬鹿”こそが、あの人の本質の一端なんだろうよ』

 

 

  *

 

 

「――小黒さんっ!!」

 

 名前を呼ばれた気がして、鈴は手放そうとしていた意識を慌てて掴み直す。

 

「めぐり、さん……?」

「小黒さん、よかった……。本当、何を無茶しているのだか……。分を弁えなさい、でないと身が持たないわよ?」

 

 いつも通りのちくちくした物言い。それがなんだか温かく思えて、鈴は素体が剥き出しの彼女の左手に自分の手を添える。

 

「めぐりさん……休憩は、もういいんですか……?」

「いいわけないわ。本当は今すぐ全部投げ出してどこかへ消えたいわよ。……でもそうもいかない。あなたが向き合ってくれた分を、返さないわけにはいかないもの」

 

 廻は鈴を優しく横たわらせ、茶色い長髪と数本の配線をなびかせながら振り返る。視線の先では顔を半分潰されたはずの司祭がよろよろと立ち上がり、落ちくぼんだ目をこちらに向けたところだった。

 

「……悶々とした悩みは、あの不調法者を倒した後にいくらでも考えることにするわ」

 

 身を屈め、黒いバックルを拾い上げた。もう片方の手には白いプログライズキーが既に握られている。

 

 もう二度とそれらを投げ出さないように、強く強く、拳に力を込めるのだった。

 

 

 

 

 




読了ありがとうございました。すごく長くなっちゃいましたがどうしてもここまで切りたくなかったので……。

『猫の首に鈴をつける』という表現は、『いざ行うとなると実行するものがいない、至極困難な行動』の例えです。ネズミ視点の話だとすればイメージもしやすいでしょうか。『誰が~のか』に挟んで使うこともあるようですね。
小黒鈴は例えそこまで困難でなくとも、自ら猫の懐に飛び込むような人物ではありませんでした。一方で霧島廻は率先して猫に立ち向かえる人物ですが、決して猫に打ち勝てる強さを持っていたわけではありません。彼女らの意志はどこへ行き着くのか。


次回「3-11. わたしが(めぐり)で仮面ライダー」

醜くも美しい絡繰り人形、本当の意味での初変身です。


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