――「わたしね、とーさまとおべんきょうするの、すき!」
なぜこんなことを今、思い出すのだろう。
――「ゆいこさまとごホンをよむのもすきでー、らんじゅちゃんとあそぶのもすきでー。あとねあとね……か ー さ ま と お て て つ な ぐ の も す き !」
彼女はとてもよく喋る人だった。放っておくとずっと喋り続けるし、小さな身体のどこから出てくるのだと思うほどに声も大きかった。一足先に分別や礼節を身につけていた私は、自身の未熟さを棚に上げて何度も注意したものだ。
――「あとねあとね!」
なぜこんなことを今、思い出すのだろう。
これではまるで、あの男の妄言を認めるようなものではないか。なにが……なにが“愛すべき不器用な馬鹿”だ。曲解も甚だしい、無礼にも程がある。彼女は“不器用”だの“馬鹿”だのから最も遠い場所にいるお方だ。だからスケジュール通りに連れ帰り、幸せへと導いて差し上げなければならない。目の前でなおも立ち向かってくる醜いサメの化け物を早急に仕留めて、彼女の馬鹿げた復讐劇を終わらせなければ。
それなのに、
――「わたし、おはなしするのもすき! こーせーさんとおはなしするの、だいすきだよ!」
それなのになぜこんなことを今、思い出すのだろう。
仮面ライダーの攻撃を避けきれずに、弾き飛ばされた片手剣。その赤い軌跡を眺めながら、私は何度も自問した。
* *
八つの『銀の鍵』が脈動する重たい響きだけが聞こえるスタジアム内競技場。芝生の上には一台のバイクが横たわっている。それはここまでの無茶な運転に加え司祭を前輪でぶっ飛ばすという大立ち回りの果てに満身創痍となり、持ち主を見守るようにヘッドランプをこちらへと向けていた。滅亡迅雷フォースライザーに挿入されていた八種類のプログライズキーはその衝撃で飛び散ったものの、芝生の上で転がるそれらは今なお淡く光っていて、フォースライザーの有無では儀式そのものに影響がないことの証左となっている。
立ち上がった司祭――藤堂武蔵はフードを外し、左半分が大きく歪んだ顔面を廻たちに晒した。そんな状態でもケロリとしているのは、司祭がとっくに生ける屍となっているからであろう。
司祭は歪んだ口を開ける。廻は瞬時に、彼が笑っているのだと悟った。
「君がまた出張ってくるとはね、“霧島廻”……。名も知らぬ罪なき人を七人殺して生まれてきた、
「……どちらでもないわ」
さらりと応える廻だが、思考の奥ではキリキリと何かが軋むような音がした。この期に及んで司祭に煽られてしまう自分の感情が、“どちらでもない”何よりの証拠だ。
「経緯はどうあれ、今のわたしがヒトの命を踏みにじってきたことは事実。教団を……貴方を倒したところで罪が償えないのも事実。……いえ、きっと一生かけて謝ったって償えないわ。今のわたしの決断が、正義にも復讐にもなりきれないのはもう嫌と言うほど理解している」
でも――と廻は視線を上げ、滅亡迅雷フォースライザーを腰に当てる。バックルから伸びた帯が背面で連結され、固定されたバックルからは早くもノイズのような音が流れ始めた。
「でも……だからこそわたしは謝り続けようと思った。謝るってことは、向き合うってことと同じ……らしいから。……尊敬する友人の受け売りだけれどね」
「……!」
廻の背後で鈴が目を見開く。彼女はゆっくりと上体を起こし、ぼやける視界の中心に廻の背を捉える。
「ついでにこれも受け売りだけれど、復讐を果たすにも正義を執行するにも、自分が死んでちゃ始まらない……らしいわよ。だからわたしは生きたいと思った。こんな身体でも、罪だらけの人生でも、わたしは“わたし”として、みんなと一緒に生きていたい!」
一度はその運命と罪罰に絶望し、自分ごとすべてを投げ出そうとした。所詮データでしかない自分の自我など、適当なボタン操作で容易に『初期化』できるからだ。だがそれでは真の意味で教団と同じになってしまう。人の命を踏みにじった挙げ句に破滅を望む……これでは『翡翠の光』と何も変わらない。
それだけはダメだと無理矢理引き戻してくれたのは鈴だった。そして自分が何者だろうと受け入れて進む、その生き方をとっくの昔に示してくれていたのは一織だった。
「今度こそ貴方を倒すわ――藤堂武蔵!」
「フン……。大口もいいところだね、無謀だと学ばなかったのかい?」
司祭が鼻で笑うや否や、廻の腰から電撃が迸った。
「ぐっ――!?」
装着から一定時間が経ち、滅亡迅雷フォースライザーのバックファイアが発現し始めたのだ。バックル内外に電撃が幾重にも奔り、廻の機体に痛烈なダメージを与えていく。
「ふむ、あるいは“人間”なら何とかなったのかもね? 人間には火事場の馬鹿力という概念があり、それこそこういった状況下で興味深い成長度合いを見せることがある。……だがヒューマギアは機械だ。本来の性能を逸脱したスペックを見せることなどあり得ないのだよ!」
「そんなっ、廻さん……!」
だがそんな中でも彼女は――霧島廻は不敵に笑って見せた。
「……ねえ。小黒、さん」
「へっ?」
「wa、わたし、箱入り娘……ddddだからっ、実はずっと、あこgggggaga、憧れていたのよ……? だからね、zzzzzazazazaza――本当はっ」
頭の奥で何かが千切れる音がして、廻の視界の半分がブラックアウトする。右目の視覚ユニットが焼き切れたのだろう。右目で良かったと思った。左斜め後ろにいる鈴の顔を見るなら、こちらの方が都合が良い。
「本当は――結構楽しみなのよ、花火大会。色んな話、聞かせてね? わたし、誰かと話すの……好きだから」
暴れ回る電撃が消える。
腰のバックルから流れ出るノイズが止む。
一瞬にして空気を飲み込んだ静寂の向こうで、司祭が驚いたように顔を歪ませるのが見えた。廻はすかさず左腕を掲げ、真っ白なプログライズキーの起動スイッチに指をかけた。
《
手首を返し、キーをバックルに挿入。アラート音が流れ始め、フォースライザーから発される信号に機体の各部位がリンクしていく。
「(目白くんも、こんな気持ちだったのかしら)」
身体が浸食されていく感覚、自分が自分じゃなくなっていく感覚。それなのに不思議と恐れはなく、むしろ心の奥底から勇気が湧いてくるような感覚。
以前ならこんな気持ちにはならなかっただろう。作り物の身体に、借り物の心。一から十まですべて“偽物”の自分。変わるのが怖い、人間を捨てるのが怖い。とっくに手遅れなのに、怖くて怖くて仕方がなかった。
でも今なら怖くない。
変わることがもたらすどんな結果とも、向き合う覚悟が既にできているからだ。
レバーを引け。変われ。
叫べその言葉を。示せその意志を。
どんな姿になっても、“霧島廻”はここにいるのだと証明しろ!
「 変 身 っ ! 」
《フ ォ ー ス ラ イ ズ !》 / 《
こじ開けられたキーから飛び出すクリオネのライダモデル。逃げ回るように空中を泳ぐ機械的な実体化データはやがてバラバラに分解され、純白のアンダースーツから伸びる帯に捕らえられ収束する。
《ブ レ イ ク ダ ウ ン ――!》
装甲を纏った衝撃で周囲の芝生が巻き上げられ、まるで緑色の花吹雪のようにパラパラと舞い落ちる。その中心に彼女はいた。
『……人を信じることを辞めた。未だに何が正しいのかもわからない』
だけど――と呟く、乳白色の異形。
『まずは自分を信じることから始めるわ。そうやって自分なりに生き抜いてみせる。それがわたし――』
すらりと伸びる四肢に、左右非対称な色合いの装甲。首に巻かれたケーブルの束に、真っ赤な単眼。それは作り物の身体すらも覆い尽くした異形の容姿。
だからこそこの名前だけは、意地でも捨てない。
『それがわたし――「仮面ライダー
舞い落ちる緑がフワリと浮かび――廻は司祭の眼前へと一瞬で距離を詰めた。
「ぬうっ!?」
『たああーっ!』
司祭は咄嗟に身をよじり、その一撃を回避した。廻の振り下ろした踵が、さっきまで立っていた地面を穿つ。
「ふ、ふふ……! ずいぶんと乱暴じゃないか! 変身前を狙うのはマナー違反ではないのかね?」
『――よく言うわ。生身の目白くんをあんなに楽しそうにいたぶっていたくせに』
再び肉薄してきた廻を、割り込んできた数体のゾンビが阻んだ。司祭は距離を取りながら、既に装着していたレイドライザーからゾンビを操作する信号を発する。しかし数体のゾンビは一瞬にして蹴散らされた。
『そんなマナーを語るというのなら、貴方が教徒に襲わせた小黒さんに謝辞のひとつも述べたらどうかしら? 甘言で騙した学生時代の目白くんにも。……まあどのみち、わたしは絶対に許さないけれど』
「くっ……話に聞いたとおり、よく喋るお嬢さんだ……!」
競技場の周囲――選手入場口や観客席の方からも大量のゾンビが雪崩れ込んできた。彼らは身を屈める鈴や満太には目もくれず、芝生の中心に立つ白い仮面ライダーめがけて一直線に駆けていく。
『今までどこに隠れていたのやら……でもいよいよ余裕がなくなってきたようね。透けて見えるわよ、貴方の焦りが』
「焦るべきなのはそちらだよ……時間さえ稼げれば、儀式は完遂するのだからねえ! 何を勘違いしているかは存じ上げないが、君たちは未だに“後手”だ! アドバンテージはこちらにある!」
『知っているわよ、嫌ってほどに』
ゾンビの間を駆け抜ける廻。フォースライザーによって瞬間的に底上げされた脚力で地面を蹴り、手刀と回し蹴りでゾンビ十数体の頭部を瞬く間に破壊した。……だがやはり数が多すぎる。けしかけられたゾンビの群れは既に競技場を埋め尽くすほどであり、一方で廻は強烈なバックファイアを抑えきれなかったのか装甲の節々から黒い煙を吐き出し始めていた。司祭の狙い通り、持久戦は分が悪いと言わざるを得ない。だが――、
「廻ざあぁぁぁあぁぁあああん! これぇぇぇぇえええ!!」
鈴の叫び声。肩で息をする彼女の傍らには意識を失ったままの満太がいる。彼の腕にかの武器は既になく……鈴から廻に向かって弧を描きながら飛来した。
廻は身を翻して半開きのソレを受け取り、散々“変身後前提”と言われていたその最後の変形ボタンを押し込んだ。
《
カバン部分をねじるように変形させると、細身のストック部分から長大な銃身の伸びる狙撃銃が完成した。廻は片膝立ちの状態から狙いを定め、すかさずトリガーを引く。
『たあっ――!』
地面を削り取るように放たれた一弾。射線上のゾンビを貫きながら反対側の観客席をも穿ち抜いたその銃撃はもはやレーザービーム。その圧倒的な一撃に、ゾンビの肉壁に守られた気でいた司祭は思わず絶句する。
『――あなたたちも、「銀の鍵」の踏み台にされたのよね』
なおも迫り来るゾンビの群れに、廻は静かに語りかける。彼女の手には、一織との初めての探索で手に入れたクリアブルーのプログライズキーが握られていた。
『その無念は、わたしには
サメの描かれたキーを起動し、アタッシュライフル後部のスロットに装填した。アビリティデータが抽出され、銃身内部にエネルギーとして蓄積されていく。
《Progrise key confirmed. Ready to utilize...》
――《SHARK’s ability!》
『いっけぇぇーーー!』
《
廻は銃口を足元の芝生に向けて発射。着弾地点からはサメの背びれを模した巨大なエネルギーが生成される。背びれはゾンビたちを蹴散らしながら競技場内を縦横無尽に泳ぎ回ると、司祭を守るように固まっていた集団を丸呑みするようにして跳び上がり、空中で爆裂した。そうしてゾンビの群れはものの数秒で殲滅され、司祭を守る盾はなくなった。
爆炎の残滓が降り注ぐなかで司祭はようやく腹を括ったのか、自身のプログライズキーを起動した。
「
《
《
――《An aqua current that encompasses everything around it...》
爆炎を払うようにして姿を見せたスプラッシングホエールレイダー。彼は肩マントをなびかせながら、身の丈ほどもある長柄――オウギガントを廻に向かって振り下ろした。猛烈な風圧に芝生が捲れ上がり、廻の細身の身体は軽々と吹き飛ばされる。
『くうっ――!』
乳白色の装甲を纏う仮面ライダーは空中で身をよじり、観客席の中ほどにフワリと着地。追撃とばかりに迫り来る第二の風圧を横に転がって回避すると、お返しとばかりにアタッシュライフルを閃かせた。
『なぜそこまでしてもがくのだ、“霧島廻”! 自身の罪に加え教団の罪まで巻き込んで……そうまでして守る価値が、この世界にあるのかね!?』
ライフルの銃撃をオウギガントで弾き飛ばし、ホエールレイダーはさらなる風圧を投げつける。廻は観客席を駆け、暴力的な破壊の嵐を躱しながらも銃撃の手を緩めない。
『世界なんて知ったこっちゃないわ! わたしはただ、目の前の大事なものに向き合い続けたいだけ!』
『君自身が! この時空に存在しない異物だと自覚してもか!?』
『存在する、わたしがさせる! 仮面ライダーもヒューマギアも、
『そんなフワフワな理屈では落第点だ! 彼の楽観主義にでもあてられたかッ!』
飛来する光弾の雨をオウギガントでまとめて弾き、ホエールレイダーは大きく薙ぐようにしてその武器を振るった。広範囲に破壊をもたらす風圧が観客席に叩き付けられ、ひしゃげた座席が紙吹雪のように宙を舞う。スタジアムの一角は一瞬にして瓦礫の山となり、雨よけの天井も崩れ去って太陽が顔を出した。
そんな逆光の中を舞うように浮遊する、真っ白いアンダースーツが司祭の目に入る。
『なっ!? 一瞬であんな上空まで、どうやって……いや――』
彼女の使用するキーの名は『“フローティング”クリオネ』。空中での身体制御に長けたスペックが滅亡迅雷フォースライザーによって拡張されていると仮定すれば……オウギガントの風圧を利用して飛び上がり、攻撃のみを回避することも可能なはず。曲がりなりにもプログライズキーの研究を続けてきた司祭は仮面ライダー廻の能力を看破すると、頭部装甲の奥で不敵な笑みを浮かべた。
『だが迂闊だったな“霧島廻”! 君の能力は「浮遊」であって「飛行」ではない! 空中での機動力には限界があるはず! つまり地面に降りるまで君は完全にッ、無防備というわけだァ!』
《
レイドライザーのボタンを押し込み、『
『――そんなことくらい承知の上よ。だから貴方が
『な……、ぬう!?』
ホエールレイダーは振り上げた両腕に違和感を覚えた。……重心の位置がおかしい。視線を送ると、オウギガントはその真ん中――巨大な団扇のちょうど根元部分を赤熱させ、くの字に折れ曲がってしまっていた。レイドライザーを介して注ぎ込まれたはずのエネルギーはうまく定着せず、弾けるように霧散していった。
『なんだこれは!? 何が起きた!?』
先ほどの攻防――風圧と銃撃を叩き付け合ったあのときだ。廻が観客席から撃ち込んだ光弾はすべてオウギガントで弾かれたが……その一連の攻防はすべて計算されていたのだ。
『まさか君は……ライフルの弾道と私の動きを全部計算して……すべての銃撃をこの一点に命中させたと、そう言うのか!?』
『計算は得意なのよ。……本当はわたし、文系なのだけれど』
『ヒューマギアぁぁ……! どうやら私はその性能を大きく侮っていたようだ……!』
『それは違うわ』
巻き上がった芝生の吹雪に迎え入れられるようにして、遥か上空から舞い降りてくる廻。彼女はアタッシュライフルを投げ捨て。フォースライザーのレバーに指をかけた。
『貴方が本当に侮ったのは――ヒトの想いよ!』
レバーを二度引き、クリオネのキーが二度開閉した。
それはライダモデルに過負荷をかけ、必殺の一撃を放つ合図。凄まじい高熱を纏ったエネルギーが廻の全身を駆け抜けると、彼女の首――いくつものケーブルを束ねていた留め具がバキン! と音を立てて外れた。
『
マフラーのように首に巻かれていた合計六本のケーブルがほどけ、ひとつひとつが意志を持っているかのようにその鎌首をもたげる。それはまるで触手のようであり、首元から伸びる六本の触手を従えるその姿は獲物をロックオンした『
《 「塵」 「芥」 「輪」 「廻」 》
『己の限界を知りなさい――!』
《 フ ロ ー テ ィ ン グ
―― ユ ー ト ピ ア ! 》
ケーブルによって引き寄せられたホエールレイダーと交差するようにして、落下する廻の渾身の右足がその装甲を貫く。
装甲の破片をまき散らし野太い断末魔を上げながら、クジラの怪人は芝生中央のひときわ大きな『銀の鍵』へと突っ込んでいき、その内部で大爆発する。玉虫色の光の柱に大きな亀裂が走ったかと思うと、内側から弾け飛ぶようにして崩壊。その冒涜的な輝きは破片となり、雲間から覗く青空に溶け込むように消えていった。
芝生の上に着地した廻は思わず足をふらつかせる。大幅に軽減されたとはいえ、それでも機体の大部分にかかり続けた負荷の大きさは、滅亡迅雷フォースライザーという装置を生み出した背景にある執念のようなものを感じさせた。もっとも、廻には“原典”の事情など知り得ないのだが。
震える脚を踏ん張り爆発の中心を振り返ると、そこには変身解除した司祭――藤堂武蔵が佇んでいた。
『藤堂、武蔵……貴方は……』
ボロボロになったローブの隙間から覗く、痛々しいほどに痩せ細った身体。
彼は既にゾンビだ。もしかしたら自ら『銀の鍵』に命を差し出したのかもしれないし、生ける屍に藤堂の意志を宿した方法は、ヒューマギアに廻の人格が移された方法と繋がりがあるのかもしれない。いずれにせよ確かなのは……あと数分もしないうちに藤堂の身体は塵となって消えるということだ。
藤堂は自身の腰――半壊したレイドライザーを見下ろすと、「なんだか、目が覚めた気分だ」と呟いた。……驚くほどに穏やかな声だった。
「ずいぶんと遠く、深いところまで来てしまったものだ。……目白くんにはすまなかったと、そう伝えてくれ。……許されるとは、思っていないがね」
『……まさか』
クトゥルフの信仰に関わり続けた者は正気を失う。自ら命を差し出したという数多の教団幹部たちはもちろん、比較的話の通じた薬師寺良華でさえもその狂気に魅せられ、信仰に呑まれていた。最も深い位置にいたであろう司祭など言わずもがな……そう思っていたし、実際にそうだったのだろう。――今この瞬間までは。
『教えてください教授。貴方はなぜ、……こんなことをしていたの?』
「……」
藤堂は廻の真っ赤な単眼を見つめると、半分になった顔面を僅かに綻ばせる。……微笑んでいる、と廻はすぐに理解した。
「君たちは、呑まれるなよ」
その一言と同時に、藤堂の両脚が文字通り崩れ落ちる。彼はレイドライザーをもう一度、穴だらけになった指先で撫でる。レイドライザーの底部で何かが煌めいた。
「霧島くん……廻お嬢さんは立派に育ったよ……」
『まって――』
直後、閃光が迸り、藤堂の立っていた場所は一段と大きな爆発に包まれた。その爆風は地面に散らばっていた儀式用プログライズキーをも呑み込み、スタジアムを大きく震わせる。廻が再び顔を上げると、そこには何も残っていなかった。藤堂の身体も、プログライズキーも消滅し、競技場内に立っていた残りの『銀の鍵』も、呼応するように消えていった。
* *
『う、ぐぁあ――っ!』
ラムダのサイドキックの直撃を受け、イエローガイストはビルの屋上を転がった。変身が維持できなくなり、警告色の装甲は灰色の蒸気となって消滅。執事服を身に纏った優男は、ひび割れた眼鏡越しに空を仰いだ。
『これで四発。ずいぶんとまあ、動きが鈍かったようだけど?』
離れたところに立つ仮面ライダーアマゾンラムダ。彼は肩で息をしながら、横たわる本城を見下ろしていた。
「あんなものを、見せられましてはね……」
本城の視線はスタジアムの方角を向いていた。そこから立ち上っていた玉虫色の光はつい先ほど、二度の大きな爆発音と共に完全に消失したのだった。
『うちの女性陣が……やり遂げてくれたみたいだね』
「最初からこれが、狙いだったのですか……? 私を彼女らから遠ざけ、反撃の一矢を放てるようにと」
本城が自嘲気味にそう呟くと、ラムダは『まさか』と笑い飛ばした。
『あの人たちが勝手にやったことだ。どうなろうとも、俺はあんたを五・六発ぶん殴るだけのつもりでここに来た。……これが鈴さんの言う、“信じる”ってやつかな』
「……無茶苦茶だ。彼女の語った理論にはもう少し筋が通っていましたよ」
『なんだそれ、知ってたの? まあなんでもいいけど。……とにかく、どうやらこちらの勝ちのようだ。観念するんだな』
「ふ、ははは……ははははは……」
本城の乾いた笑いを聞きながら、ラムダは変身を解こうとするが――その笑い声が徐々に、湿り気を帯びていくのに気づいた。
『……おい、なんだよ』
「はは、ふふふふ。やられましたよ。よもやあの状態から儀式中断まで持って行かれるとは。これはもうどうしようもなく貴方の勝ちだ、『翡翠の光』は完敗だ。……ルルイエの浮上は阻止され、邪神は再び水底で眠りにつく。これにて大団円、これにてハッピーエンド――」
本城はもうスタジアムの方など見ていない。彼は仰向けのまま空を――
「
『おいお前――うっ!?』
トランスチームガンの射撃を受け、ラムダは視界を腕で覆って防御する。しまった、と思い腕を上げると本城の姿は既になく、灰色の蒸気が風に乗って消えていくだけだった。ラムダは『逃げたか』とため息を吐いて変身を解く。白い冷気はやはり風に煽られて消えていった。
「……思わせぶりな情報だけ残していきやがって、しかも一発殴り損ねた」
ドライバーを外し、スタジアムの方を見下ろす。自然と頬が緩むのがわかった。
「まあ今は良いか。大勝利には違いないもんな。……さて、立役者たるお嬢様方を迎えに行くとしますか」
* *
フォースライザーを閉じ、クリオネキーを引き抜いた。装甲が外れ、アンダースーツ共々虚空に消える。
廻は「ふう」と、ため息のような声を出した。吐き出す息など持ち合わせてはいないが、人間だった頃の癖は中々抜けない。以前はこの癖をひどく忌避していたが、今はそこまで嫌悪感を抱かない。
不思議な気分だった。藤堂武蔵は恐らく“自爆”し、多くの謎を抱えたままこの世からいなくなった。彼がクトゥルフの狂気に呑まれる前に何があって、彼が何を思ったのか――。それらは明かされることなく闇に葬られたのだ。霧島親子を襲った理由も、廻だけが生き延び、ヒューマギアになって生まれ変わった背景も未だ闇の中……。すべての謎が明かされ、あらゆる伏線が回収されるなんて終わり方は所詮物語の中だけの話だ。これが漫画かドラマであったなら、廻が人間に戻れてハッピーエンド、なんてこともあったのだろうが、現実はこんなものなのかもしれない。
そんな、なにもかも中途半端な幕切れにも関わらず、廻の胸中は妙に穏やかだった。不思議な気分だと、そう思った。
「めぐりさん、めぐりさぁぁんっ! わ“あ”あ“あ”あ“あ”あ“あ”ーーーん!」
振り返るや否や、鈴が胸に飛び込んできた。ごちん! と、合金でできた廻の胴部に額を強打した様子だが、少女は構わずその胸に顔を埋める。真っ赤になった額の下は大粒の涙で溢れていた。
「よがっだぁ……ひっぐ、よがっだよぉぉぉおおお……! めぐりざあぁぁん、ざぁぁぁぁぁんっ!!」
「ち、ちょっと……泣かないでよ。安心したのはわかるけども」
「泣いでない、でず……!」
「それは無理があるわよ……」
「泣いでないっ! 泣いでないでずっ! これは……これは廻さんの涙でず!」
「……ぁ………」
鈴は細い腕を廻の背に回し、しがみつくようにして叫ぶ。
「ずっどぉ、ずっどひとりで頑張ってきでぇ! かぞくも、本当のからだも奪われでぇっ! ようやく勝でだんでず! 仇をうでだんでず! でも廻ざんはヒューマギアだっからぁぁ……わだじががわりにう“わ”あ“あ”ぁぁぁぁぁぁぁん!!」
「……そうね」
目頭が熱くなる気がした。胸が締め付けられる気がした。どちらも気のせいだ、ヒューマギアにそんな機能はない。それでも……気のせいくらいならあったっていいだろう。そう思った。
そうして頬を緩ませた廻がふと視線を落とすと、鈴の着ているコート――ほぼ脱げかけだが――の胸ポケットから、見慣れたデバイスが顔を覗かせていた。父、霧島昇が遺したそのデバイス。ヒューマギアの機能を向上させる装置。自棄になった廻が『初期化』の為に用いようとして、鈴に取り上げられたその装置。
「(そっか……
変身の直前、廻は滅亡迅雷フォースライザーと完全に同期することができた。そのお陰で昼間のような醜態を晒すこともなく変身でき、最後まで全力を出し切って戦うことができたのだ。ネットワークの補助なしには扱えないと言われた変身装置を乗りこなすことができた理由、それは廻が咄嗟にデバイスと接続したからで間違いないだろう。
「(いや、それだけじゃない。今回に限っては――)」
泣きじゃくる鈴の頭に黒銀の手をそっと乗せる。
「貴女のお陰ね」
「ふぇ……?」
廻はヒューマギアとなった自分と向き合って生きていく。存在の是非はさておき、向き合うことだけは決めた。その過程で踏み台にしてしまった命も背負うと決めた。そのときに人間なのか機械なのかはわからないが――自身の命が尽きるその時まで、踏みにじった命に謝り続けると覚悟したのだ。
でも今だけは謝らない。それは適当ではない。
もっと適切で素敵な言葉を、わたしは知っている。
「ありがとう、鈴ちゃん」
崩れた観客席の向こうから、淡く輝く西日が差す。
温かな陽光は競技場を照らし、廻の立つ芝生を柔らかい茜色に染め上げた。
読了ありがとうございました。
廻の戦闘シーンは本作を執筆しようと思い立つよりも前に考えついたシーンです。ここに持って行くために色々練った結果生まれたのが「仮面ライダーLAMBDA」なので、言わば本作の原点ですね。実はラムダよりも廻が先だったのです。
ここ数話の文字数がとんでもないことになったのもきっとそのせいかなぁ……。ものすごい長さになりましたが、読んでいただきありがとうございました。
楽しんでいただけたら感想・評価・お気に入りなどよろしくお願いします。何でも励みになりますので、是非。
次回「3-END. なかよし水族館 -another√-」