窓から入り込む湿った空気。
真夏の陽気に温められた空気は夕方になってもその熱を失うことはなく、殺風景な六畳の部屋に流れ込む。日中でさえ決して日当たりの良いとは言えないその部屋は、いくら日の長い真夏とはいえこの時間になれば仄暗くなる。まるで世界でここだけが、一足先に夕方を迎えたかのようだ。
そんな小さな黄昏の中、触れ合える距離にふたりはいた。
「――廻さん」
柔らかい手のひらが耳に触れる。その指先と、それから吐息に含まれる熱気に廻は首を傾げた。
「鈴ちゃん……?」
「廻さんごめんなさい。私もう、我慢できません。――ずっと、ずっと思っていたこと、今ここで伝えるのを、許してくれませんか……?」
耳に触れていた指先がつつ――と下がり、少女の体温が尾を引いて肩先で留まる。
「そんな、困るわ。今ここで、なんて……」
「許されないことはわかってます……。こんな気持ちを抱いちゃダメだって。それでも、もう抑えられないんです。こんなに胸が高鳴るのに、でも苦しくて、締め付けられているはずなのに、でも嬉しくて……。私、私――」
少女の吐息が耳元にかかる。唇が触れそうなほどの距離で、鈴は震える声を絞り出した。
「好き、なんです――」
「……ぁ」
「――アンドロイドっ娘が、好きなんです」
「…………ぁ?」
鈴の指先が再びつつ~と上へ移動し、廻の左耳――正確には左耳と一体化した発光モジュールにツンと触れた。
「好きなんですよ、イヤ本当に好きなんですよ、アンドロイドっ娘。見た目が完全に人間の娘も、メカ寄りの娘もだいぶ好きなんですけど、私が一番推して止まないのは人間寄りの見た目なのにダメージを受けて機械部分が露出してしまってる娘なんです。本当はそんなキャラクターが活躍する漫画を描きたいって思ってて。だから『エラエラ』の舞台設定が近未来なのもその名残で、亜人少女も好きだしアンドロイドっ娘と絡ませたらすごくこう、すごく最高だなって思ったのがすべての始まりなんです。でも今の私の画力じゃあダメージドアンドロイドっ娘なんてとてもじゃないけど描けない、というか恐れ多いというか。半端な画力でダメージドアンドロイドっ娘を描きたくないというか――」
するすると言葉を垂れ流す鈴。その言葉には(何故か)どことない色気が含まれているような気がして、廻は寒気……のような感覚を抱く。そんな機能のない機械の身体が震えてしまいそうな気がした。
ちなみに廻の視界には鈴が連発する固有名詞――アンドロイドっ娘だのダメージドだのの詳細がウィンドウとなってつらつらと流れていたのだが、しばらくするとでっかい[意味:不明]というウィンドウがポップアップして情報処理が中断された。これまで教団といくつもの熾烈な情報戦を繰り広げ、銀の鍵の莫大な情報すらも受け止めた兵士型ヒューマギアの処理能力が敗北した瞬間である。
「ちょっと待って、待ちなさい。鈴ちゃん貴女はいったい何を言っているの」
廻は瞬時にアナログな方法、すなわち会話という人類の繁栄の礎とも言える手段によって意思の疎通を試みる。この小黒鈴という少女とはつい数分前まで普通に言葉が通じていたはずだ。だからきっと大丈夫、わかり合えると、廻はそう思った。
「あっ、ご、ごめんなさい。私つい夢中になっちゃって。これじゃ伝わりませんよね……。つまりその、私が何を言いたいかと、言いますとですね……」
それ見たことか、と廻は安堵する。
いつもの鈴だ。やや挙動不審で、会話に独特のテンポがあって、それでいて意外と熱いところがある。この前だって彼女のそんなところに助けられたのではないか。
「脱いで、くれますか……? 私、見たいんです、廻さんの全部を。そして触れたい……この手で廻さんの全部を感じたい!」
視界に[警告]のウィンドウが表示された。こんなに大きいウィンドウなんて初めて見る。
「ふひっ。お耳、点滅した……かわいい……♪」
「ちょ、ごめんなさい、待って。本当に待ちなさい? その、全然わからないのだけれど、わたし、いま混乱していて。……ちょっと待ちなさい、その手を放しなさい、人が喋っているときに服を脱がそうとしないで」
「廻さんだって……私のこと脱がしたじゃないですか……。私の恥ずかしいところ、見たじゃないですか。……今度は私の番ってだけですよ?」
「それは浴衣の着付けのためだしそもそも直視なんてしていないわよ!? その感じだと鈴ちゃんは思いっきり直視しようとしているわよね!?」
「いやだなぁ……そんなイヤらしいことなんて……考えてないですよぉ」
言いながらその手を止めない鈴。廻のブラウスがはだけ、肌色の左肩が露わになる。二の腕にさしかかるあたりから皮膚コーティングが消失していて、黒と銀の素体が剥き出しになっている。
「だから脱がさないでって! そ、そんな目で見られたって困るわ!? わたしの胴部なんて末端部よりも皮膚コーティングは薄いし、素材は合金と合成樹脂だし。だから胸なんてそ、その、大きくも柔らかくもないし……女性らしい色気なんて持ち合わせていないのよ?」
「何 言 っ て る ん で す か だ か ら 良 い ん じ ゃ な い で す か ! !」
「貴女こそ何言ってるのよ! 怖い!」
喫茶acquarioのホール。窓際の席に座る
――あぁ廻さんてば、もうこんなにしちゃってるじゃないですかぁ
――それは貴女がそんなところを、っちょ! やぁ、めっ!
そんなわけの分からない会話が、アマゾンの知覚に頼らなくても聞こえてきた。
「……え? 何が起きてんの?」
どんなところがどんなになっているのかなんて一織には皆目分からない。
――お願いです! 先っちょだけ、先っちょだけでいいですからぁ!
――待ちなさ、んあっ。そこのセンサーは敏感で、あ、ぁ、あーーーーーーー!?
「…………」
なんとなく触れてはいけないような背徳的な雰囲気を感じる。アマゾンの聴覚を引き出したら詳細が聞き取れるのかもしれないが、今回ばかりはやめておいた方が良いだろう、と一織は好奇心を覗かせていたアマゾン細胞を静かに抑え込んだ。こんなしょうもない経緯で自分の中のアマゾンを抑えたのは二年間の化け物生活で初めてだ。そしてたぶん今後もない。
「なんでもいいけど……。早くしないと花火始まっちゃうぞー……?」
窓の外を眺めながら、一織は決して届かない忠告を小声で漏らした。廻の悲鳴だか喘ぎ声だか分からない叫びが返事のように聞こえてきて、「やっぱり、なんかえっちだな」と思った。窓の外では、夕日になりつつある太陽がビルの影に隠れるところだった。
今日は八月の第一週。波妃町における夏の一大イベント・風間川花火大会の当日である。
司祭・藤堂武蔵が引き起こした波妃町全域に及ぶ集団催眠だが、それは驚くほど尾を引かなかった。
青嵐スタジアムで司祭が撃破されたのち、住民たちは順次その催眠が解かれていったと思われる。そして彼らは何事もなかったかのように日常へと戻ったのだった。鈴や一織を見つけて攻撃モードに移行した一部の人間を除いて、ほとんどの人が普段の生活をなぞりながらクトゥルフへの賛美を呟くだけだったので妥当と言えば妥当なのかもしれない。木曜日の日中の記憶がすっぽり抜けていることに違和感を覚えないのかと疑念に駆られた一織だったが、「そういう目白くんは二日前の献立を完璧に思い出せるのかしら」と言われると微妙に納得した。
むしろ問題に思えたのは半壊という目に見える爪痕を残した青嵐スタジアムの方だが、こちらもほとんど騒がれることはなかった。どうやら元々改装工事を予定していたらしく、地元の学生大会から稀に開催されるサッカーの試合に至るまで、向こう一年スタジアムの利用予定が一切なかったのだという。これによって特に注目されることもなく、もとより訪れる人が多いとは言えなかったスポーツ公園にちょっと広めの立ち入り禁止区画が設けられるに留まった。
以上のように、『翡翠の光』による邪神復活未遂の爪痕は
「も、申し訳ありませんでした……。私、完全に我を失っていました……」
「その、なに、うん。大丈夫よ……」
廻の鉄拳(文字通り)を脳天に受けて正気を取り戻した鈴は、気を取り直して廻のヘアセットを手伝っていた。長い茶髪を盛り髪にして
「こんな感じで、どうでしょうか……?」
「……うん、しっかり隠れているわ。上手ね」
褒められ、ふにゃふにゃと顔を綻ばせる鈴。
廻が先の戦いで負った傷のうち、最も目立ってしまったのは後頭部の裂傷だった。後頭部から右側頭部にかけて素体ごとパックリと切れ込みが入り、まるで妖怪の『
「まあわたしとしては、少しくらい見えても問題ないとは思うけれど。同じ色の髪留めを使えば十分カモフラージュになるだろうし」
「な、なな、なに言ってるんですか廻さん! 配線のチラリズムとか、は、はっ、ハレンチすぎますよ! 私を萌やし殺す気ですか! 廻さんはもっとご自分の魅力を自覚した方が良いですっ!」
「……褒められているのよね? いや褒められていたとしても複雑だけれど」
廻は肩をすくめて立ち上がり、鈴と位置を交換した。セミロングの黒髪を手際よくセットしていくと、瞬く間に可愛らしい夜会巻きが完成した。魚のチャームがついた
「ふ、ふおぉ~っ。あ、ありがとうございます。すごい、私じゃないみたい。可愛い……」
「当然よ。わたしがセットしたんだもの、可愛くならないわけがないわ。糸巻くんあたりが見たら卒倒ものでしょうね」
「な、なぜ彼の名前が……」
「あの子も一緒に来られたら良かったのにね」
「……知りません」
教団の起こした邪神復活未遂、その唯一の爪痕は糸巻満太の行動だった。
彼は学校で鈴を助ける際、生徒と教師数名を殴ってしまっている。それぞれ大怪我ではなかったものの、その傷は目に見える“爪痕”に他ならなかった。催眠が解けた際、何気ない日常に戻るはずだったその生徒たちは身に覚えのない怪我に驚き、犯人のいない暴行事件に波妃東高校は騒然となった。そんな混沌の
「……あんなかっこつけ男子のことなど、私は知りません」
「そんなこと言わないで、今度ちゃんとデートしてあげることね」
「そ、そうだった……。いや、でもいいんです、彼はどのみち花火大会に誘うつもりはありませんでしたから」
それよりも――と、鈴は視線を下げる。
「本城さんもいてくれたらなって、やっぱり私は思います」
「……」
イエローガイストの正体は本城輝星だった。一織にそう告げられたとき、ふたりは驚きもしたが、不思議と納得したのも確かだった。彼はあの日以来、完全に姿を消し連絡もつかなくなっている。そして本城が口走っていたというセリフは、壊滅したはずの『翡翠の光』の背景に何かが――それも霧島家に関わる“何か”があることを示唆していた。
「正直わたしは今でも認めたくないわ、輝星さんが教団側の人間だったなんて。……それにわたしたち親子が事故に遭ったことからなんとなくそうじゃないかとは思っていたけれど、霧島家にも何らかの関与がありそうなのがはっきりした。このあたりの真実如何では、わたしの復讐はまだ終わっていないことになってしまうわね」
「そう、ですね……」
「……ごめんなさい、不適切な発言をしたわ」
「え?」
「わたしの復讐は
「……はい。これからもお手伝いして、いいですかね……?」
「いやだと言っても引きずり回すわよ。バイト代ならいくらでも払うわ」
「ふふ、へへ……」
鈴は立ち上がり、廻に向き直った。浴衣姿のふたりはしばし微笑みあう。
「あ、廻さん。その手……」
ふと鈴の視線が廻の左手に吸い込まれる。もみじ色の袖から覗くその腕は、ヒューマギア素体特有の黒色と銀色の光沢を放っていた。
「ああ、そうね。長手袋、忘れるところだったわ」
よいしょ、と呟き、廻は袖を肩まで一気にまくり上げる。――“ダメージド”の象徴でもある素体剥き出しの細い腕が、鈴の目に飛び込んだ。
「ひゃわあぁぁぁぁぁぁ!? 何してるんですか廻さん! えっち、えっちすぎます!」
「え、ええっ!?」
「手袋は私がつけて差し上げますのではやく隠して! 絶対だれにも見せちゃダメですからねそんな姿! 廻さんの隅々まで知れるのは私だけなんですからね!」
「言い方を考えなさい言い方を! って、やめ、あ、あーーーーっ!?」
一織はびくりと肩を震わせ、店の奥を見やる。
「……かしましいなあ」
なんだかちょっとずつ慣れてきたのもあり、一織はそれ以上特に気にすることもなくスマホに目を落とす。画面には今朝更新されたばかりの『エラエラ』最新話が表示されていた。
「うおっ、ついにエイ児と和解するんだ。しかもこんなに仲良くなって……やば、激アツじゃん……やっぱ*
グッドボタンつけとこ、とサムネ画面まで戻ると、主人公の泣き笑いが映るサムネの上に今回のサブタイトルが載っている。作者のスタイルなのか普段からサブタイトルはシンプルなものがほとんどで、一織もなんとなく読み流していたのだが、今回は不思議と目に留まった。
いつも通りのシンプルな題名。展開を簡潔に象徴しただけのその字面を見て、再び店の奥を見やる。未だにどたばたと鳴動するその扉を見つめると、一織は小さく笑みを浮かべた。
「……いいサブタイだな」
* *
「――以上が、波妃町で起こった事件の顛末である。改装工事のカバーストーリーも想定通り機能し混乱も避けられたが、まあそこはもうどうでも良かろう。……さて諸君、これが何を意味するのか、聡明な皆様方にはもちろんおわかりいただけているだろうね?」
その場所は『ミーティングルーム』と呼ばれていた。大きなステージにだだっ広い客席、テラス席まであるその空間はまさに“オペラ劇場の大ホール”といった様相で、実際に劇団を招いて公演をすることも稀にある。『ミーティングルーム』とは隠語であり、こうして非公式の会合を開くときに用いられる。このホールの正式名称は『
「……さすがは、浅い口喧嘩に二年も費やした大変聡明な重役の皆様方だ。私が言いたいことは汲み取っていただけたと見える」
壇上にて高圧的な言葉を投げ続けるのは背の高い中年女性。飾り気のない黒のスーツを着こなす姿はいかにもやり手のビジネスウーマンといった風貌だが、切れ長の目に不敵な微笑み、そこから放たれる鋭い言葉が生真面目な印象をかき消し、観客席やテラス席にいる重役たちに得も言われぬ圧迫感を与えている。一部から影で『悪女』と揶揄されるその女性は、この世界的組織の中で会長の次に有名な人物である。
「映像をご覧いただいた通り、あのレイドライザーに自爆機能を仕込んだのは私の息子だ。これにて教団狩りレースは終了、我々の勝ちだ。おわかりいただけたね?」
重役たちは何も言わない。タブレットのモニター越しに沈黙する海外支部の役員たちも、苛立たしげな唸り声を上げただけで何も言い返さない。壇上の女性は満足げに口角を上げた。
「裏切り者は
彼女の口から告げられたその名は、ここにいる誰もが当然のように認識しているその名は、かつて事故を起こし会長を殺害した団体の名。ひとり娘が「権力争いに夢中で誰もまともに調べなかった」と言って孤独な復讐を始めた忌まわしき教団の名。――まともに調べなくて当然である。かのひとり娘を除き、
壇上の女性――
「本日より、霧島財閥の全権限、及び停滞していた“プロジェクトM”のすべての指揮権は我々が引き継ぐ! 今一度、この名をご周知いただこう! 新たなる時代を牽引するのは霧島昇でも『翡翠の光』でもなく、我々――」
本城有衣子は観客席を見渡し、通路の端に佇む自身の息子――輝星と目を合わせた。そして、どちらからともなく笑みを浮かべる。
「――我々『
第3幕 imitAtion ――END
第3幕、完結です! ここまで読んでいただき本当にありがとうございました!
物語は大きな区切りとなりましたが、いかがだったでしょうか。
楽しんでいただけたら感想・評価・お気に入りなど是非お願い致します。何をいただいても大変励みになります。
第3幕「imitAtion」は鈴と廻の物語。かつて偽物を演じ続けた鈴と、偽物にされてしまった廻の物語でした。ふたりにとっての大きな一歩が、読者の皆様の胸に何かを残せたのなら幸いです。
次回は恒例となりました、キャラ/ライダーと怪人/用語のコーナーです。
もちろん今回登場した『仮面ライダー廻』の詳細も載せますので、是非お楽しみに!