波妃町某所。五年ほど前までは町工場だったらしい寂れた廃墟の入り口に、一台のバイクが停まる。
「……いるね。しかも結構な数だ。噂は本当だったってワケか」
夕闇の向こうにフラフラと揺れる影を見やり、一織はヘルメットの奥で苦笑いを浮かべた。
「霧島さんとしては、アレは想定の範囲内だったんだよね?」
「そうね、と言いたいところだけれど……この分だと想定より酷そうね。SNSやネットの掲示板があれほど盛り上がっている以上、この街に残されたロッジ跡は相当な数と見ていいでしょう」
廻はエンジンを切り、ゆっくりとヘルメットを外した。背後の一織が降車するのを待つと、懐からクリオネキーを取り出して目を細める。
「『翡翠の光』の遺産……さしずめ“はぐれゾンビ”と呼ぶべきかしら。到底捨て置ける代物ではないわ」
「まあ、ついこの前倒したはずの教授が実は生きてました、みたいな展開よりよっぽどマシでしょ」
一織もアマゾンズドライバーを装着すると、傍らの廻に視線を送る。彼女の腰には滅亡迅雷フォースライザーが装着されていた。彼女がそれを着けている姿を見るのは、青嵐スタジアム前での壮絶な初変身以来だ。鈴にも『もう大丈夫』と聞いてはいたが、一織としてはどうしても気になってしまう。現に彼女の“傷跡”の多くはフォースライザーの反動によって刻まれたものなのだ。
「なに?」
「いや……別に。ともあれサクッと片付けて帰らないとね。鈴さんたちに会場設営任せてきちゃったし」
「……わたしはまだ開催を認めたわけではないのだけれど」
「往生際が悪いぞ。ツレないこと言うなって、“本日の主役”さん?」
「まったく……」
白いキーを掲げる黒銀の腕。なびいた茶髪の隙間から、赤い光が瞬く。
「減らず口を叩いている暇があったら集中なさい。アレを街に溢れ出させるわけにはいかない、一体の漏れも許されないわよ」
「わかってるって」
《TENTACLE!》 / 《LAMBDA》
「――変身」 / 「ふぅ……アマゾンっ」
迸る電撃と、弾け飛ぶ爆炎。白と青、ふたりの仮面ライダーが荒れ果てた地面に降り立つ。
『ちょっと……わたしのクリオネが炙られたのだけれど』
『ごめん俺も変身の瞬間まで失念してた。ちょっと近すぎたかなぁ』
『……あなたとは二度と一緒に変身しない』
『あ、待って! はあ……まあ大丈夫そうだし、いいか』
とっとと先行する廻の背を見て、ラムダは小さく息を吐く。一度同期に成功しているため、ひどいバックファイアの心配がないという話は本当らしい。別に疑っていた訳ではないが……ともあれ心のつかえがひとつ取れた。
『それじゃ、お楽しみ前のひと仕事といきますかね。――さあ、勝負だ』
クリスマスから遡ること約三ヶ月、この日の日付は9月20日。
霧島廻の――正確には廻“本人”の、23歳の誕生日である。
「――というわけで! 我らが美人店長、霧島廻さん! 誕生日おめでとーう! いぇい!」
「お、おめでとうございますぅ……。ふ、へへ……」
「うぇーい! おめでとうございまーすっ!」
何とか“ひと仕事”を終え、喫茶
「どうよ霧島さん、今の心境は」
「恥辱の極みだわ」
「HAHAHA! 今日もキレッキレだねぇ」
「どうしてあなたが一番盛り上がっているのよ」
「そうツンツンしないでって。息抜きも必要だなと思って、この俺が先陣を切って企画した誕生日会なんだ。是非楽しんでもらいたいね」
「あ、あの。企画の詳細を考えたのは私です。あと小物や必要なものを買ってきたのも、お店の飾り付けを考えたのも……。一織さんは言い出すだけ言い出しておいて私が乗ったら丸投げしてそれっきりでした……」
「あれ……もしかして鈴さん怒ってる……?」
さっそく内部分裂を始める運営。廻が呆れたように目を逸らすと、ギターを肩から提げた金髪の少年と目が合った。
「で、オレが来たってワケっす」
「ごめんなさい何を言っているかまるで分からないわ」
鈴のクラスメイト・
「そう言えば糸巻くん、謹慎解除が前倒しされたみたいね。仕方のないこととはいえ不当な処分ではあったから、何よりだわ」
「いやぁ、バンドのみんなと、小黒さんのおかげっす。イオさんにも何度か相談に乗ってもらって」
イオさん、とは一織のことだろう。いつの間に仲良くなっていたのやら……と廻が目を細めると、鈴が「ほんと大変だったんですからね」と呟いた。
「高校が如何にめんどくさい世界かということを再認識しました……私もう職員室いきたくない」
虚空を見つめる鈴の瞳はマリアナ海溝の魚も泣いて逃げ出す程の漆黒に染まっていて、夏休み明けからこの半月ほどで壮絶なドラマがあったことを否応なしに示している。
「まあそういうわけで、マッキーにも協力してもらうことになったってこと。知らない仲でもないし、ギターも弾けるから賑やかになるし」
「へへっ、さっそくいきます? オレたち『
「い、糸巻くん、そんなのいいから例のものを。あと一織さんはバーガーでも食べて大人しくしていてください……」
「「はい……」」
しおらしくなる男性陣を目にし、この子も大概手慣れてきたわね……と廻は若干の戦慄を覚える。花火大会で一織に振り回されていた頃の鈴はもういないのだ。
程なくして、満太が大きなトレイを持って戻ってきた。そろりそろりと歩きながら、「いやぁ、店長さんも大変ですね」と口を開く。
「わたしが?」
「実家の方針で、お誕生日の当日と前後一日は徹底的に断食するんでしたっけ? すげぇなぁ、オレだったら我慢できないかも」
「あ、そういうことになっているのね、わたし……」
満太は廻が『ヒューマギア』であることを知らない。教団打倒の際に共闘したときも、彼はほとんど何も知らされないまま戦ったのだ。さらに言えば廻の変身時に彼は気絶していたため、仮面ライダーの存在も知らない。事件のシワ寄せを一身に受ける形で謹慎を受け入れたときも、彼は特に追求してくることもなく『小黒さんが無事で、どうやら世界も無事だったみたいだからそれでいい』みたいなことを言って深入りしてこなかったのだとか。真意は不明だが鈴の目線ではどことなく核心を避けているようにも見えたらしく、ひとまずこちらから事情を話すのは控えようという総意となった。いずれにせよ知らずに済むに越したことがない、という点は間違いないだろう。
「で、ですので今日は食べ物なしの、え、エンジョイ・バースデーパーティ、的な感じです。ボードゲームとかたくさん用意してきたので、あ、あの。た、楽しんでいただけるとっ……!」
運ばれてきたトレイには大小合計五本のロウソクと、その真ん中に不燃加工のされたカードが置かれていた。カードにはポップな手書きで『Happy Birthday! MEGURI』と記されている。ケーキの代わりということだろうが、どことなく儀式的な
「電気消すぞー」
ホールの照明が落とされ、ロウソクの炎に儀式用魔法陣……もとい廻のバースデーケーキ代行が照らされる。いよいよ儀式っぽくなったその状態で数秒程度のなんとも言えない静寂が訪れたのち、満太が口を開いた。
「あれ、消さないんすか?」
「あっ、あーーー! そうそう、廻さんの実家だとぉ、ロウソクの炎は吹き消すんじゃなくって、ロウソクを溶かし尽くすまでそのままにしておくんでしたねっ!?」
「そうだったそうだった! だからこれでいいんだ! 間違って消すなよ、マッキー?」
「えっ、あ、はあ……そうだったんすね」
まさかの儀式状態続行である。ヒューマギアに呼吸がないことを、鈴も一織もたった今思い出したようだ。
「まったくもう……グダグダもいいところじゃない……」
不機嫌そうに眉間を押さえる廻。髪に隠れた彼女の左耳では、柔らかい緑色がふわふわと瞬いていた。
その後、四人は鈴が持ち込んだボードゲームに興じて過ごした。廻が無人島で一番の開拓者になったり、小国の領主となった満太が魔女の呪いで破滅したりと様々な物語があったのだが、それはまた別のお話。
ボードゲームも一通り遊び尽くし、「見よう見まねだけれど、こうかしら」「すげェーー!? ボトルネック奏法を一発で!? オレもまだできないのに!」「い、糸巻くんよりギター似合いますね、廻さん……」「メグさん天才かよ! で、弟子にしてくださいっ!」「ふ。それはあなたの誠意次第ね」といった具合にとりとめのない雑談で盛り上がる頃。店を抜け出してきた一織はひとり、裏路地のガードレールに腰掛けて物思いにふけっていた。
「……」
喫茶
しばらくぼうっとしていると、ジャケットの内ポケットでスマホが震えた。画面を開き、苦笑いを浮かべる。
「やっば……今日だったの忘れてた。まあどうせ行かないし、いいけど」
「――何を忘れていたのかしら?」
「うわっ」
顔を上げると廻がいた。彼女はいつも通りの真顔のまま、左右で色の違う瞳を一織へ向けている。
「霧島さん、抜けて来ちゃったの?」
「鈴ちゃんと糸巻くんのふたりが、お店にあった漫画の話題で盛り上がり始めたのよ。せっかくだからふたりきりにしてあげようと思って、空気の読めるわたしはこっそり抜けてきたというわけ。決して、断じて、ネタバレを避けたのではないわ」
「そっか、霧島さんまだ14巻までしか読んでないもんね」
「……、……。……何の話か分からないわ。頭に
「ごめんごめん」
茶髪をふわりと揺らし、一織の隣に立つ廻。彼女はガードレールに腰掛けるわけでもなく、路地を少し進んだ先にあるコインパーキングの方を眺めている。
「……一応、あなたにも礼を言うわ。お陰様で庶民の誕生日会がどんなものなのか、知ることができた」
「まあ庶民にしたってだいぶイレギュラー寄りだったと思うけど、楽しんでいただけたのなら何よりだよ」
「正直なところ、こんなことをしている場合ではないとも思ったわよ。大方予想通りとはいえ、教団のあんな置き土産が現れ出したんですもの。……財閥方面の調査はしばらくお預けかしらね。わたしには後始末をする責任がある」
それでも……と、廻は小さく俯いた。
「もうずいぶん久々に思えたわ、こうして誰かに誕生日を祝ってもらえるのは」
「……」
秋の生暖かい風が路地を吹き抜ける。夜風に揺れる彼女の髪と、髪留めに混じってなびく配線を、一織は静かに見つめていた。
教団――『翡翠の光』を打倒してそろそろ二ヶ月になる。廻の復讐はひとまず終わりを告げたのだが、根本的な解決には至っていないというのが現状だ。教団の背後に新たな敵の影が見え隠れし、あろうことか霧島家執事である本城輝星がその一端であったことが明らかになったのだ。特に本城は廻の幼馴染であり、彼女の理解者のひとり……だったはずの人物。廻自身の心情は、一織には想像することしかできない。
「なあ。本城さんって、どんな人だったんだ?」
「え……?」
振り返った廻と目が合う。一織は小さく肩をすくませると、敢えて明るめの声色で続けた。
「俺目線、一緒に行動した期間は短いからね。正直、あの人のことは俺もよくわからないままだった。まあ俺は『仮面ライダー』だったし特に警戒されていたんだろうけど……。それでも結局、彼の人となりは最後まで“見えなかった”」
お嬢様を守る、という行動原理はなんとなく感じ取っていたけど……と一織は心の中で付け足す。
――本城家。彼らは代々霧島家に仕え、また共に支え合い並び立つ一族……とのことだ。とっくの昔に貴族制度の廃止された現代日本においてあまりにも浮世離れした話だが、廻と輝星のやり取りを短い期間ながら目の当たりにしてきた一織にしてみれば、不思議と納得できたのも確かである。そして尚更、あの執事の真意がどうしても見えてこないのだ。
廻は考え込むように視線を下げ、しばらくしてゆっくりと口を開いた。
「……『あんな人ではなかった』。月並みな擁護の台詞だけれど、少なくともわたしの口からはそう言える。そう……言いたい、わ。平然と人々を踏みにじり、底知れない狂気に加担するような人ではなかった、と」
「………」
「昔はよく一緒に遊んだし、一緒にお勉強もしたわ。わたしと、輝星さんと、もうひとり歳の近いメイド見習いの子がいてね。本城家の子息である輝星さんは幼くして高等教育を受けていて、わたしたちの面倒を見てくれる立場だった。……と言っても所詮は三人とも子供よ。よく問題を起こしては、わたしの両親に注意されていたわ。でもあるときを境に……」
「あ……」
「……そう。
彼女の母、霧島
「父様がそれまで以上にお仕事に没頭するようになり、財閥も急速に拡大していった。当然本城家も
「学業?」
「漫画でよくあるお嬢様学校を想像してくれれば問題ないわ。霧島家とそこの理事の折り合いが悪かったのもあって、わたしはほとんど登校しないまま卒業したのだけれど」
大人の事情、それも家柄やら何やらの絡んだとびきり面倒なやつか……と一織は納得し、無言で先を促す。
「わたしたち三人は中途半端に成熟していたからか、母様がいなくなったあとの環境にもすんなり順応したのよね。以前の関係に未練を示すこともなかったわ。輝星さんはよくお屋敷に来ていたし、もうひとりの子も財閥の関連企業に就職したと聞いているけれど。……そんな、特筆すべきこともないような子供だったはずなのよ……わたしたちは」
廻は振り返ると、ガードレールに腰を預ける。彼女の身体は疲労とは無縁のはずなので、この動きはきっと廻自身の“心情”なのだろう。
「……結局、わたしもあの人のことを知らなかったと、そういうことかしらね」
「そっか……」
彼女の言う通り、なんてことのない過去だと思った。親との死別が絡んでいるものをそう評するのは不適切かもしれないが、それは現代に生きている上で決して有り得ないことではない。少なくとも得体の知れない教団に家族を奪われ、あまつさえヒューマギアなるものに人格を移されるなどという事象に比べれば、それは彼女がアルティメットセレブだろうが何だろうが関係のない“普通”の過去なのだろう。
「ありがとね、話してくれて」
「……詮無いことを話してしまったようね。なんであれわたしのやるべきことは変わらない。この話はおしまいよ」
ガードレールから腰を上げ、廻は「それで?」と首を傾けた。
「さっき『忘れてた』とか言っていたのはなにかしら?」
「え」
「ずいぶん慌てて誤魔化したみたいだから気になっていたのよ。たまにはこちらの詮索にも応えてもらえるかしら」
「いやいや、大したものじゃないよ。ただの合コンの誘い、大学のときの知り合いたちからのね。よく来るんだよこの手のお誘い。まあハナっから行くつもりはなかったけど」
「合コン……」
聞き慣れない言葉にすぐさま検索をかけ、廻はその表情に嫌悪を滲ませる。
「……信じられない。どうやらわたしはあなたのことを買いかぶりすぎていたみたいね」
「待て待て、合コンをどう思おうが勝手だけど俺は一回も行ったことないからね?」
「そもそも目白くんに友人がいたということに今期最大の衝撃を覚えているわ」
「数合わせでしか誘ってこない相手を果たして友人と呼べるのか……この前鈴さんとも議論したんだけど結構面白かったよ」
「数合わせ……」
良くも悪くもふわふわした彼の性格は、確かにそのような集まりの補充要員に適しているのかもしれない。廻は素人なりにそう思った。目白くんはお気楽で減らず口の絶えないいい加減な男だが、空気は読めるしトラブルも起こさない、そんな男でもある――と。
そう、彼はそういう男だ。細かいことを気にしない、
「……あなたも大概、わからないヒトよね」
「え、そう?」
そう応えつつも、一織は自嘲のような短い笑い声を溢す。それが“心外”なのか“図星”なのか、廻には判別できなかった。
「……あなたの目的が『生きる』ことだということは最初に教えてくれたわよね。そのためには仕事に就く必要があって、だからこそわたしに雇われる形で協力関係を築いた」
「ああ、そうだな」
「自分で言うのもどうかと思うけれど、わたしの抱えている事情ほど面倒なものもこの世にないわよ? おまけに危険・命がけ・わからないことだらけ……。『生きる』にあたって、ここまで不適切な環境もないでしょう。正直いつ辞められてもおかしくないと思っていたわ」
『お別れパーティ』で薬師寺良華と戦ったときも、青嵐スタジアムで司祭と対峙したときも、等しく命がけであった。特に後者において、一織はドライバー無しの変身などという危険極まりない選択をして危うく“自分”を失いかけた。とてもじゃないが合理的ではないと、廻はずっと思っていたのだ。
だが一織は「そういうことね」と呟くとやはり笑みを溢し、ガードレールから腰を離す。路地の中程まで歩くと振り返り、その視線は再び廻のものと交わった。
「『生きる』ってなんだと思う? その生命の存続か?」
「……?」
「俺は『生きる』とは……『選び続ける』ことだって思う。自分の意志で、何かを決めることをひたすら繰り返す。それが俺の思う『生きる』だよ」
「選び、続ける……」
「否応なしにアマゾンになっちまってから二年間、ずっとそのことについて考えてきた。どうにもこの世界は『選べないこと』が多すぎるなって思ったんだ。どの時代のどの国に生まれるのかとか、男に生まれるか女に生まれるか、そもそも
彼は両手をくわっと開いて鉤爪のようなポーズを取り、「そして俺に至っては気づいたら人喰いのアマゾンで、人間ですらないときてる」と付け加えた。
「だがら実は、生命の存続だけなら簡単だと思うよ? 最低でも
「目白くん……」
「しないよ。『しない生き方』を選んだから。人間であることも、化け物になることも選べなかったけど……せめてどうやって生きていくのかくらいは自分で選びたい。何と戦うのか、どこで命をかけるのか――」
廻のことを真っ直ぐ見つめる瞳。そこに普段の軽薄さはなく……重たいような柔らかいような、そんな不思議な形の意志が宿っているように見えた。
「――誰と生きるのか、とかね」
「そう……」
「はは……。……まあ、つまるところ、俺は『霧島さんの面倒そうな事情に力を貸す』ってことを選んだんだ。選んだからにはちゃんとやるさ。途中で辞めたりなんかしないから心配しないで」
「別に心配だなんて一言も言っていないわよ。ただ、それだと――」
言いかけた言葉が途切れる。
「それだと……?」
「……なんでもないわ」
それだと……途中で『辞める』ことを選ぶのも、あなたの自由になってしまう――。
廻はそう言おうとしたが、それこそ詮無いことだと口をつぐんだ。廻自身も『仮面ライダー』となった今、彼という戦力は必ずしも必要ではない。一織の因縁の相手だった司祭も既にこの世におらず、残った因縁は霧島家の事情のみだ。彼がこの戦いから身を引く理由などいくらでも思いつく。思いつく、のだが……。
もう一度「なんでもない」と釘を刺し、廻は顔を背けた。
一織は不思議そうに首を傾げていたが、ふと「あっ」と、何かを思い出したようにその目を見開く。
「も、戻ろっか霧島さん!」
「え……ど、どうしたのよ急に」
「いや完全に忘れてたんだよ、誕生日プレゼントの贈呈! みんなでそれぞれ用意してたのに!」
「は、はぁ!? よりにもよってそこを失念するかしら!? 庶民の誕生日会には贈り物の文化がないのだと思ってしまっていたわ!」
「ほんっとごめん! 庶民代表としてそこまでちゃんとやらせてくれ! えっとこれ、先に渡しておくよ、俺からのやつ!」
完全にテンパっているのか、プレゼントだという小さな包みを何故か廻に押しつけ、一織は店へと駆けていった。
「め、めちゃくちゃすぎるわ……やっぱりあの男、何も考えていないだけなのでは……?」
呆れかえって肩を落としつつ、廻も店に向かって歩き出す。
慌ただしい背中を追いかけながら、彼に渡された柔らかい包みに視線を落とすのだった。
* *
そして季節は過ぎ――。
* *
雪の降る波妃駅前。待ち合わせ場所の噴水広場にて。
すっかり愛用するようになったニット帽のポンポンを撫でながら、廻は再び顔を上げる。
「あ……こんな時間なのね」
時計盤に表示されていた時刻は19時37分。待ち合わせから97分が経過している。
何気なく……本当に何気なく三ヶ月前の誕生日のことを思い出していただけなのに、こんなに時間が経つことがあろうか? もしかしたら寒さで機体の機能が止まっていたのではないか?――などと思案したが、ステータス履歴にそのような表示はなく、この程度の寒さで異常をきたすほど、ヒューマギアという存在が脆いわけもない。
「……」
冬の一大イベント、波妃クリスマスマーケット。97……いや98分前には若者たちで溢れかえっていた噴水広場も、現在の人影はまばらだ。きっと各々、食事処でディナーと洒落込んでいるのだろう。そして82分後から始まるパレードに合わせて、再度ごった返してくるはず。クリスマスイブの夜は始まったばかりなのだ。
「……いけないわ。パトロール、しないと。ゾンビが現れたら大事件、だから……」
廻はひとり歩き出す。
懐にしまい込んだスマホ、そのチャットアプリのテキストボックスには『ちょっと、遅すぎるわよ/どこにいるのかしら?/ふざけているの?/大丈夫?』と、絵文字も顔文字も色気もないメッセージの羅列が送信待機状態となっていた。
目白一織は誕生日プレゼントを渡すことも失念するような男だ。一週間以上も前に取り付けた話のひとつやふたつ忘れていたって不思議ではない。最初はそう思い、それなりに腹も立ったのだが……。結局怒りのメッセージも、身を案じるメッセージも、送信ボタンを押すことはできなかった。
彼が何をどう『選ぶ』のかは、誰にも口出しできない。せめてどうやって生きていくのかは自分で選びたい――彼はあの日、そう言った。彼が他者を気にしないのはそれ故だろう。自分が深入りすることで、自分の選択が干渉されてしまわないように……。
そう考えたら送信ボタンを押せなくなった。失念だろうと別の事情があろうと、彼がここに来ないのは彼がそう『選んだ』からだろう。そこに廻が口を出す余地などあるだろうか。ただでさえ……ただでさえこちらの都合で取り付けた約束なのに。
駅前のアーケードを歩く。
単身でこのイベントに挑むのも、蓋を開けてみればどうと言うことはない。周りのカップルも家族連れも各々のことに夢中だ。たったひとりで歩く女性を白い目で見るどころか、気に留めもしない。体裁を気にする必要など最初からなかったというわけだ。策を弄して彼らを誘う必要も、散々な目に遭いながらお洋服を新調する必要もなかった。とんだお笑いぐさだ。社会勉強になったと思おう。ともあれこうして、のびのびと街イベントを楽しむことができる。
できるのだが。
「あ……」
アーケードを抜け、寂れた商店街を横切り、B級映画のポスターしか展示しない映画館の角を曲がり……気づけば
「……なに、しているのかしら、わたし。駅前に戻らないと。パトロール、を……」
抑揚のない独り言を溢しながら来た道を引き返す廻。
そんな彼女の行く道――薄暗い路地の入り口を塞ぐように、大きな影が廻の視界に飛び込んでくる。――それは大型のバイクと、それに跨がる人影だった。
「うっ……?」
ヘッドライトを向けられ、廻は思わず腕で視界を庇う。一瞬だけホワイトアウトした視覚ユニットは瞬時に逆光適応を行い、バイクから降りるその人影をおぼろげに映しだした。
「え……目白くん……?」
彼がヘルメットを外すと、表情までは見えないものの一織本人であると確信できた。暖かみのあるダッフルコートを羽織ったその姿は普段の印象とはだいぶ違うが、その服装が廻と同じ西区のモールで購入したものであることを、廻は当然知るよしもない。だが彼なりのお洒落であることは、その着こなしから伝わってくるようだった。
「もう……っ」
思わず眉間を押さえる。呆れて声も出ない、みたいな表現があったが、今の廻はまるで逆だった。
「122分の遅刻よ、どういうつもりかしら? それに連絡もなし。いくら目白くんが品性の欠落した変態ふわふわ男だとしても、度が過ぎていると言わざるを得ないわね」
一織は応えない。ぐうの音も出ない……様子とも少し違うようだが、バイクの隣に立ったままこちらを見つめている。
「なに……? なんとか言ったらどう? というかまずはそのライトを切りなさい。いいこと? 誠意次第では特別に、今回だけ、許してあげないことも――」
向けられる光に顔をしかめながら、廻はふと言葉を切る。
なぜライトを切らないのか、と苛立っていたが、違う。そこじゃない。それ以前の問題だ。
――彼は自分のバイクを持っていないはずだった。
ましてや、一対の吊り上がったヘッドライトを携える、
「――めぐり」
言葉を失う廻の視線の先で、一織の声が溢れる。
地の底から響き渡るかのように低く、感情の欠片も見えない平坦な音色だが、間違いなく彼の声だ。
「きりしま、めぐり――」
彼の左手が何かを握りしめ、捻る。
ようやく気づいた。彼の腰に今、およそクリスマスコーデとは縁遠い無機質なベルトが装着されていることに。
「 ア マ ゾ ン 」
聖夜の空に爆炎が昇る。
その光は長い夜の始まりを告げる、クリスマスキャンドルの灯火のようだった。
【 次 回 予 告 】
――キ、リシマァァァァ……
――『教徒』化するにしたって最悪の人選よ……!
《 VIOLENT ―― 》
《 フ ロ ー テ ィ ン グ ―― 》
――メグリィィィ……!
――あとでまとめて文句言ってあげるんだから……覚悟しなさい!
《 ―― STROM 》
《 ―― ユ ー ト ピ ア ! 》
――おねがい……目を、覚まして……
次回「4-6. 慟哭のイブ」
――あのふたり、仲良くやれてるといいけど。ふ、へへっ