「――めぐり」
それが、かつて『翡翠の光』が多用していた洗脳催眠によるものだということはすぐに分かった。
「きりしま、めぐり――」
ターゲットとなった敵性存在の名前を呟きながら向かってくる状態。それは青嵐スタジアムで邪神復活の儀式が行われた日、鈴や一織を襲ったのだという住民の様子と一致している。
「 ア マ ゾ ン 」
すぐに分かった。思考の中ではすぐに理解できた。
理解できていたはずなのに――、
「どうして……?」
目映い閃光を前に廻が溢したのは、か細い疑問符だった。
この状況が『琥珀の星』の新たな一手であることは自明だった。かの組織に『翡翠の光』との関連がある以上、同様の洗脳技術を有していても不思議ではない。『迎えに来る』と述べた本城輝星本人ではなくこのような回りくどい方法で襲撃してきたことに一抹の違和感こそあれ、そう遠くないうちに向こうが仕掛けてくるのは分かりきっていたし、心の準備もしていた。
だが廻の“思考”は、逸る“心情”に置き去りにされてしまっていた。
「どうして……っ!」
そして当然、応答する声などなく、
《D・D・Dive! To the bottom...! 》
廻が思考を止めた一瞬を、逃してくれる“彼”でもなかった。
『――シャアアアアアアアアアッッ!』
「……っ!?」
鈍い衝撃音。
金属が軋み、ひしゃげるような音が左半身から響き渡り、廻は自分が殴られたことを一瞬遅れて知覚する。そしてさらに一瞬後、彼女の身体は裏路地沿いのフェンスを突き破り、コインパーキングに駐車してあった車に激突していた。
「ぐっ――!?」
凄まじい衝撃に視界が瞬き、警告を示すいくつものウィンドウが開いては閉じてを繰り返す。けたたましくノイズが流れる思考の中、廻はようやく我に返った。
「(危な、かった……! なにを……なにを呆けているのよ、わたしは!)」
咄嗟に腕を使って頭部を庇ったのは廻の意志ではなく、兵士型ヒューマギアに搭載された学習機能によるものだ。それが働いていなかったら、彼女の頭部はたったいま大破したこの車のように真っ二つになっていただろう。そう考えると廻は寒気――あくまで気分的なものだが――を覚える。
ヒューマギアに命はあるのか――この人工知能搭載人型ロボットが存在した原典の時空ではそのような議論もあったのかもしれないが、“機械である”という点に着目するなら、少なくとも人間と同様の命はないと言える。機械である以上データのバックアップはいくらでも可能だし、壊れたら何度でも修理が可能だからだ。
しかし、それはバックアップ用のサーバーや修理設備が
つまり――頭部に内蔵された記憶ユニット、もしくは胴部に存在する動力ユニットのいずれかを潰されれば、ヒューマギアとしての廻は事実上の“死”を迎える。廻の素体となった機械人形は皮肉にも、この時空においてのみある種の“命”が認められていると言えるだろう。
「あ、gggg、がっ――、さ、最悪よ……。『教徒』化するにしたって最悪の人選よ……!」
大破した車の残骸をかき分け、ノイズ混じりの独り言を溢しながら廻が上体を起こした。その直後、10メートルほど離れたところに駐車されていた軽自動車が派手な音と共にぺしゃんこになる。要因は言わずもがな、吊り上がった黄色い双眸を揺らめかせる異形――アマゾンラムダが着地と同時に踏み潰したからだ。
『キ、リシマァァァァ……、メグリィィィ……!』
「くっ……!」
まさに最悪の人選だ。彼は今まで立ちはだかった有象無象の洗脳教徒たちとはわけが違う。目白一織は強大な力を振るう人喰いの化け物・アマゾンであり、幾多の強敵を廻と共に退けてきた仮面ライダー本人。その脅威度は人間の比ではない。
『シィィィィィーーーーー……ャアァァァァァァーー……』
彼は異様なほどに腰を落とした姿勢のままその頭部をゆらゆらと巡らせている。挙動が妙に動物的なのは洗脳によって一織の自我が抑制され、アマゾンの部分が色濃く表われているからだろうか? ……いずれにせよ彼は初撃で急所を狙ってきた。間違いなく廻を“殺す”つもりでいるのだろう。
「切り替えなさい、わたし……!」
《
右手で滅亡迅雷フォースライザーを装着し、キーを持った左手を掲げる。このような状況になってしまった以上戦いは避けられない。覚悟を決めた廻は思考に染みついた挙動で手首を返そうとしたが――、
「え」
ぼとり、と左腕が
肘の関節から火花が噴き出し、コートの袖からすっぽ抜けた前腕部がコンクリートの地面に転がる。伸びきったケーブルやコードなどの部品が繋がっているため完全な泣き別れにはなっていないが、痙攣する指先は一切の操作を受け付けなくなっていた。
「そんなっ、さっき庇ったときに……!? これじゃあ――」
『ッシャアアアァァァ!!』
「うっ!?」
こちらを捕捉したらしいラムダが咆哮と共に駆け出してきた。周囲を車の残骸で囲まれた廻に退路はない。
「ああ、もうっ!」
右手でクリオネキーを拾い上げ、バックルに装填しレバーを引く。ラムダの拳がまさに眼前まで迫った瞬間、すんでの所で変身シークエンスが実行された。
「変身!」
《フ ォ ー ス ラ イ ズ !》 / 《
飛び出したクリオネライダモデルがラムダと激突、彼を弾き返すと同時にバラバラに分解され、純白のアンダースーツから伸びた帯にキャッチされる。
《ブ レ イ ク ダ ウ ン ――!》
『うああああっ!?』
アンダースーツと装甲に巻き込まれる形で、外れていた左腕が無理矢理連結された。過負荷により左半身の節々が火花を発し、ダメージを認識した彼女の短い悲鳴が響く。
『う、くうっ……今日は“あなた”に振り回されてばっかりね、まったく……』
ともあれ、これで彼と同じ土俵に立つことができた。
仮面ライダー廻は警戒を露わにするラムダと睨み合いながら、動作感度が極端に悪くなった左手をゆっくりと開閉する。
『あとでまとめて文句言ってあげるんだから……覚悟しなさい!』
* *
同時刻。大阪府某所。
「うあぁ……つっかれたぁ……」
夕飯の席で祖父母と親戚数名相手にもみくちゃにされた鈴はひとり、敷き布団に腰を下ろして特大のため息を吐いていた。毎年、『こっちの友だちと約束があるから』とか何とか言ってなかなか顔を見せない孫(または姪っ子)が久方ぶりに同席したのだから、彼らも嬉しいのだろうということは分かる。分かるがそれにしたって構いすぎではなかろうか。結局このようなやり取りを煩わしく感じている自分を俯瞰していると、『本当に変われているのだろうか』と思わないこともない。
「……」
去年までと違う点は口実でも何でもない、本当の友人と呼べる人たちがいること……だと思う。まあ、どちらも年上だし友人と呼ぶなど
「駅前のパレード、だっけ。それもそろそろ終わる頃かな……」
スマホを覗く。“友人”の片割れとの個人チャット画面には、『今日、楽しんできてくださいね!/応援してます!/(スタンプを送信しました)』『うん』という今朝の会話が表示されていた。……彼女はチャットになると最低限の文字しか打たず絵文字も顔文字も使わないので普段より冷たい印象になるのだが、相づちだけ『うん』になるのは一体何なのだろうか。まあ、可愛いからいいけども。
スマホを閉じ、鈴は頬を緩ませる。窓から覗く月は、柔らかい白色に輝いていた。
「あのふたり、仲良くやれてるといいけど。ふ、へへっ……」
* *
雪がまばらに舞う夜空。波妃町をクリスマスイブの熱ごと包み込む星空に、白と青――ふたつの影が激しくぶつかり合った。
『だああああああっ!!』
『ッシャアアアァァーーーッ!!』
廻が純白の体躯を翻し、連続で蹴りを繰り出す。対するラムダは肘と膝を巧みに動かしてそれらを弾く。彼はそのまま唸り声と共に身体を一回転させ、大振りの回し蹴りで脚部のブレードを廻に叩き付けた。
『うあっ!』
大きく弾き飛ばされた廻は雑居ビルの屋上に激突。しかしすぐさま体勢を立て直し、距離が空いたことをいいことにアタッシュライフルでの狙撃を試みる。
《
一撃の威力に特化した高出力の銃撃。眼前のラムダはそれらを一撃たりとも避けず、すべてその両腕で往なしながらビルの壁や屋上を渡って迫り来る。
《
『なによ、もうっ!』
空いた距離をものの数瞬で詰め、ヒレのようなブレードを携えた拳が一直線に飛来。廻は隣の屋上に飛び退いて回避するも、ラムダ“着弾”の衝撃に煽られ思わずたたらを踏んだ。
恐らくだが、今の彼はほとんど本能で戦っている状態であり、それゆえ動きも直線的だ。実際、廻がビルの屋上に飛び移ると簡単に誘導されてくれた。ここでなら周囲への被害をある程度気にせずに済むし、何より雑居ビルに囲まれた地上より遮蔽物の少ないこちらの方が、浮遊能力を持つクリオネキーの力を存分に扱える。前述の通りラムダの動きは読みやすく、ここでなら間違いなく戦闘を有利に運ぶことができる――そう思っていたのだが。
『あなた、変身前よりずっと面倒ね!』
青い拳をすれすれで回避し、後退しながら廻が叫んだ。距離を取っても瞬く間に詰められるため、その間に繰り出せる射撃はせいぜい一発、良くて二発が限度だ。元々速射するような武器でない狙撃銃は相性が悪いと言わざるを得ないが、かと言って手放すわけにもいかない。廻は窮屈な戦いを強いられていた。
『たあっ!』
蹴りで応戦するも、当然のように弾かれてしまった。反撃をアタッシュライフルでガードするが、片腕で支えるのでは衝撃を殺しきるにも限界がある。またもや大きく吹き飛ばされ、ビジネスホテルの壁面に両脚を突き立てて何とか体勢を立て直した。万全の状態ならともかく左腕がほぼ使えない今の状態では、やはり無理矢理にでも距離を空けた戦闘に持ち込むべきなのだろう。……それを彼が許してくれれば、だが。
『こんな無茶苦茶な男と何度も互角にやり合っただなんてっ……、輝星さんの苦労が今になってよく分かったわ。ええ、本当に!』
一織――アマゾンラムダの戦術は極端なほど防御に寄っている。これは回避に特化したイエローガイストと近しいようで、実際の性格は全くもって異なっていた。彼は一切回避をしない……それはつまり、
『グァァァアア! ――クゥ!?』
ラムダの拳が空を切る。廻が自身の足元を撃ったことで、舞い上がった粉塵に視界を遮られたようだ。こうして簡単なフェイントに引っかかるあたり、やはり本能が前面に出ているということだろう。しかし一方で、その動きは廻のよく知る彼よりもしなやかで鋭い。もしかしたら自分は今、ことフィジカル面においては最も強い状態のラムダと戦っているのではないだろうか――そう考え廻はぞっとする。もちろん気分のみだが。
『(悔しいけれど今のままでは、到底彼は止められない……。ならば!)』
ビルの壁を蹴って跳び、廻はアタッシュライフルを構える。銃口はラムダではなく真横に向けて、視線は銃口と180度逆を向いて。
『グゥ……?』
引き金が引かれ、何もない星空に向かって弾丸が発射された。そして廻の身体は反作用で逆方向へ吹き飛んでいく。彼女はそのまま空中で何度か引き金を引き、銃撃の反動に乗って瞬く間に距離を空けた。
『さあ、来なさい――!』
身を翻し、白線の並んだコンクリートに着地。そこは駅前から少し外れた場所にある立体駐車場、その屋上フロアだった。いくら距離を取ろうがすぐに詰められ、そもそも十分な距離があったところで正面からの銃撃は有効打になり得ないが、そんなことは百も承知。アマゾンラムダの黄色い双眸が見た目以上の速度で迫り来る様子を見ながら、廻は静かに計算を開始した。
……廻の知る限り、過去にラムダの防御が明確に突破されたのは二回――改めて少なすぎる気もするが――だけである。九重峡谷にてイエローガイストの片手剣で背ビレを斬られたときと、『お別れパーティ』にてペンギンレイダーの必殺技を受けたときだ。前者は武器そのものを寸前まで隠した完全な不意打ち、後者は鈴たちを庇わせた隙を狙った一撃だった。どちらも彼の防御技能を掻い潜るに足る根拠があるにはあるが、今の状況ではまず再現できないだろう。
『(けれど……あなたが両手両脚を使って防御している以上、それには限界があるはずよ)』
腕一本で一手、つまり同時に四手までしか防御できない。それが物理的な限界だ。
しかしながら生半可な威力の攻撃では“一手”になり得ず、僅かでもラグのある“一手の繰り返し”ではいくら積み重ねても無効化されるだろう。埠頭での戦いの際、彼はガーディアン数体の放った弾幕を難なく防いでいる。
『(つまり、必要なのは五手……。
理論上、その攻撃方法で彼の防御を突破できる。しかしスチームブレードのような範囲攻撃・属性攻撃が可能な武装を所持しておらず、左腕も自由に扱えない廻にそのような芸当などやはり不可能だ。
『だからこそ――』
ラムダが立体駐車場に到達。彼が同じコンクリートを踏みしめるのと同時に、廻は滅亡迅雷フォースライザーのレバーを操作し、クリオネキーを二度、開閉させた。
『――“ここ”で迎え撃つ!』
『グゥゥアアアアァァァァッ!』
爆発的な負荷のかけられたクリオネの装甲から青白いオーラが噴き出し、廻の首に巻かれた六本の触手――『バッカルケーブル』を束ねていた金具が甲高い音と共に外れる。翼を広げる天使が如く、首の裏から生えた六本のケーブルを展開させる廻。そのうちの二本が、駆け出したラムダを捕らえようと躍りかかる。
『シィィッ――!!』
『……!』
しかし彼はその両腕を閃かせ、突撃の速度を落とすことなくバッカルケーブルを切断する。やはりこの程度では“一手”にも届かないのだろう。
だが、
『それは牽制――防がせるためのケーブルよ!』
展開したバッカルケーブルのうち、残りの四本を廻は既に伸ばしていた。ラムダの四方……ちょうど彼を囲むような位置にある
『クゥ!?』
伸びた四本のケーブルはそれぞれ、駐車されていた乗用車を掴み上げて投げ飛ばした。それもただ放るのではない、対象を叩き潰させんばかりの全力投擲だ。迫り来る大質量の“四手”に、彼の唸り声からも驚愕が滲み出た。そして――、
『いまッ!』
車両の弾道計算完了――、対象の行動予測完了――、風向きによる軌道修正良し――!
コンマ一秒のズレもなく、すべて攻撃を重ねられるタイミングで地面を蹴り、廻は夜空に跳び上がる。
『これで――!』
《 「塵」 「芥」 「輪」 「廻」 》
『――これで、”五手”よッッ!』
《 フ ロ ー テ ィ ン グ
―― ユ ー ト ピ ア ! 》
巻き取ったバッカルケーブルを従え、廻の跳び蹴りが夜空を切り裂いていく。その蹴撃は一直線に、ラムダの正中線めがけて飛翔していった。すべてを防御することは不可能で、もとより彼がするとは思えないが回避も不可能な廻の“五手”。車を弾けばキックに貫かれ、キックを防ごうものなら車に押し潰される理不尽な二択。アマゾンラムダの撃破は揺るぎなく、これによって洗脳されていた彼も――、
『(彼、も……?)』
刹那、廻の思考が固まる。
『(あ……)』
彼を撃破したところで洗脳が解ける訳ではない――そう気づいたからだ。
洗脳催眠の起点となるのはスマホだ。かつての鈴や満太のように、スマホを捨てさえすれば“これから”洗脳されることは回避できる。だが一度洗脳された状態を解除するのは、あくまで幹部側の権限だ。これまで――お別れパーティのときも邪神復活未遂のときも、薬師寺良華や藤堂武蔵を撃破することで初めて住民たちの洗脳が解けたのだった。
だが一織を洗脳した、おそらく『琥珀の星』の幹部と思われる人物は現状所在すら不明、本城輝星であるのかすら分からない状況だ。これまで人間の教徒たちにもしてきたように一織を気絶させるか、もしくは捕縛するなどして行動を奪えば時間は稼げるのかもしれないが……人並み外れた生命力と身体能力を有する彼に対して効果的な手段だとは到底思えない。
つまり幹部を探し出して潰さない限り、一織は何度でも廻を襲う。一時的な撃退など何の意味もなく、そもそも”撃”破して”退”いてくれるかも怪しい。彼の暴走を完璧に止められるとするならばそれは――、
『(それは……死……? ここで彼を止めるには……“殺す”しか、ない……?)』
脚に込めた力が緩む。思考回路の駆動音が止む。そんなモノなどないくせに、全身の血が冷えていくような、そんな感覚がした。
そして、
《VIOLENT――》
とっくに“四手”を凌いでいたラムダが大きく振りかぶり、
《――WAVE》
肥大化したブレードを携えた拳が廻の左肩に突き刺さった。
『ぁ……』
肩口を貫かれ、ただでさえ無理矢理繋ぎ止められていた左腕が今度こそ捻じ切られる。装甲がアンダースーツごと引き裂かれ、砕けた部品や焦げ付いた配線が飛び散っていく。その様子を呆然と眺める廻の赤い複眼を尻目に、ラムダは拳を全力で振り抜いた。
『グゥゥウ”ァア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“―――!!』
『あぁぁあああぁああーーーっ!?』
幾重もの破砕音と共に、細身のシルエットが夜空を舞った。背の低い雑居ビルの間を横切る廻の身体は淡い光に包まれ、空中で爆発するようにして変身解除する。夜の闇に黒煙を撒き散らしながら街路樹を突き破り、石畳をバウンドし、河川敷沿いの遊歩道を十数メートル転がってようやく、彼女の身体は勢いを失い停止した。
そこは駅前から、本来なら徒歩で20分ほどの場所にある小綺麗な公共空間。八月に花火大会が行われた、風間川沿いの河川敷だった。
「か……ぁ、a、a、ah、u……」
頭の中で火花が飛び交うような感覚に耐えながら、廻は己の左半身を見やる。そこに左腕はなく、焼け焦げたコートの端が断裂した配線と共に頭を垂れているだけだった。
「う、でっ……が。……ggg、わたし、の……」
苦悶を露わにするのも束の間、空気が震え、すぐ先の薄暗闇に異形の影が降り立つ。
『シュウゥゥ……』
「め、じ――んぅっ」
彼は煤まみれとなった廻の顔面を鷲づかみにし、無造作に持ち上げた。左肩があった箇所から砕けた部品がぽろぽろと零れる。
『キリシマ……メグリ……』
ラムダの指先に力が込められる。ガラスにヒビの入るような音が響き、金属を擦り合わせたような不快な感触がその指先に伝わる。尤も、今の彼が不快を知覚できているかは定かではないが。
「そう、よ……? wa、わたし、よ……?」
そんな彼の腕に、小さな手が添えられた。
「霧島、めっ……ggggggg、めぐり……よ? あなたの、雇いっ、主……あなたの……」
『…………』
残された右手。皮膚コーティングは所々剥げ落ち、薬指と小指の失われたその小さな右手が、弱々しくラムダの肘に触れる。
「おねがい……目を、覚まして……目白、くん……」
大きな掌に隠され、廻の表情は見えない。鋭い爪の伸びる指の間からは、点滅する青い光が覗いていた。
「おねがい……っ」
肌色と黒色の指が強張り、縋るように、優しく宥めるように、ラムダの腕がきゅっと握られる。
だが、
『……!』
それを“攻撃”と認知した彼はすぐさま彼女の頭を石畳に叩き付け――その右腕を力任せに引き千切った。
『――ク”ァア“ア”ア“ア”ア“ア”ア“ッ!!』
それでも収まらない何かに突き動かされるまま、彼の青い手はドライバーのグリップを握りしめる。
《
優雅でも荒々しくもない、まるで子供の癇癪のような挙動で、ぐしゃぐしゃになった廻の身体が蹴り上げられる。
両腕の欠けた人型のシルエットは綺麗な弧を描き、川面に浮かぶ満月に抱かれるようにして、冷たい水の向こうへ落ちていった。
「(…………あ)」
緩やかに明滅する視界の中、チェック柄の布の切れ端と、毛糸の玉房が彼女の目の前を横切る。
「(もったい、ない……せっかく……鈴ちゃんが選んでくれたのに……。せっかく彼が……、プレゼントしてくれたのに……)」
引き千切れ、原型もなくなったそれらはゆらゆらと
「(もったいないな………)」
やがて視界は砂嵐に埋まる。
廻の身体は見えもしなくなった暗闇の底へ、ゆっくりと消えていった。
「…………」
川沿いの遊歩道に立ち尽くす男の影があった。彼の足元には薄い氷が張られていて、その手には人の腕のような形をしたガラクタが握られている。
「…………いあ、いあ……」
彼は夜空を見上げるでも、川面を見下ろすでもなく、無表情のまま手に持ったガラクタを見つめていた。
「い、あ……?」
無理矢理刷り込まれた賛美の言葉が、僅かに震える。綻びは次第に膨れ上がり、彼の喉を、瞳を、手足を震わせた。
「――ぁぁあああ! あぁぁあああぁぁぁあぁぁあああーーーっ!」
自分が何故叫んでいるのかも分からず、握りしめた鉄の塊を何故見つめ続けるのかも分からず、彼はただ叫び続けた。
こうしてクリスマスイブの夜は終わる。
獣の哭き声が街を見下ろす星空に溶け、誰の耳にも届かないまま。
読了ありがとうございました。今回はここまでです。
すごいことになりました。ノーパンとか言ってた頃が遠い昔のことのようです……。
それから少々遅れましたが、UA2000ありがとうございます!
今後とも是非是非よろしくお願いします。
というわけで次回
「4-7. 覚醒① 薄雪の邂逅」
視線の先に立つは懐かしい人影、そして――。