5-1. ダークネス・イントゥ・ブライトネス
『アイピースカンパニー』。
高級ホテルや大型レジャー施設の運営を中心に、都内のテナント・物件の賃貸なども行っている複合企業。東京都中央区に本拠地である『EPビル』を構え、眠らない街並みを見下ろしている。
代表者の名は
「……おたくらの言いたいことはわかった。いいだろう、口車に乗ってやる」
そんなEPビルの上階。大晦日に湧き立つ都内を一望する場所にある応接室に、無精髭を生やした大柄な男が座っていた。
「当然、乗るからには協力も惜しまん。その代わり、それなりの待遇を約束してもらうぞ……おたくら『琥珀の星』が実現した世界における、な」
腕を組み、不健康そうに充血した三白眼で睨み付ける男に対し、対照的に爽やかな笑みを浮かべる男性――
「私としても、これほど心強い協力者はいませんよ。久我山商会――いえ、プロジェクトM日本支部・『
「ハン……」
無精髭の男――久我山吾郎は苛立たしげに目を逸らした。“コード”の方で呼ばれるのは久しいが、特にこだわりも愛着もなかったのだと再認識する。
「霧島財閥の懐刀にそう評価していただけるのも、もう嫌味にしか聞こえねぇがな」
「滅相もございません。我々は今度こそ、世界のためにひとつになるべきなのです。この点に関しては、母も同じ想いでしょう」
「……それでその“母”は一体、どこに雲隠れしてんだ、あ?」
「今は欧州へ出張中です。『
「へえ……あのイギリス支部サマがね」
久我山は口元を指先で撫で、一瞬の間ののち「大変だな」と再び口を開いた。
「あんたら親子揃って、方々のご機嫌取りに必死ってか」
「……実際、母のやり方は強引でした。ただでさえこの2年、プロジェクトM周りは有耶無耶になったままだったのです。久我山様のように疑念を抱かれるのも無理はない。だからこそ今一度、こうして誠意を示さねば」
「なんでもいいさ。今日の話は記録させてもらっている。必ず約束は守ってもらうぞ」
「ええ。年の瀬のお忙しい時期に、わざわざご足労いただきありがとうございました。それではよいお年を」
返答せずに立ち上がり、部屋を後にしようとする久我山。輝星は柔和な笑みのまま立ち上がり、その背中に声をかけた。
「そう言えば、風の噂で聞いたのですが……」
「あ?」
「我々のやり方にどうしても納得いただけないという支部の方々が結託し、この東京都に潜り込んでいるとか、いないとか……何かご存じありませんか?」
「……さて、聞いたこともねぇな」
最後まで振り返らないまま、男は部屋を去って行った。
「……ふう」
乱暴に閉じられた扉を見つめ、輝星は表情筋を緩める。零れたため息は、自分でもわかる程度に低く響いた。
「……下品ですね、実に」
「失礼いたします」
小さなノックの音ののち、ひとりの若い女性が応接室に入ってきた。アイピースカンパニーの社員証と制服を身につけているが、左腕にある黄色い腕章は“構成員”の証である。
「久我山様はお帰りになりました。お連れの方共々、うちの系列ではないホテルに宿泊とのことで……。監視を続けさせますか?」
「ほう……まあ、それには及びません。好きにさせておくがいいでしょう」
「ですが本城代理、あの男は
「構いませんよ」
眼鏡を外し、ハンカチで額を拭う輝星。窓から見下ろせる夜景には、もう数時間もしない内に新年を迎えることなどお構いなしと言わんばかりの、忙しない光の数々が瞬いていた。
「あの程度の小物に人員を割いたところで、得られる情報はたかが知れている。件の“反抗勢力”も所詮は烏合の衆。彼らがこの東京都で何を企もうと、我々『琥珀の星』のホームグラウンドで好き勝手できるはずもないでしょう。それよりも優先すべき事柄が、今の我々にはある」
「承知致しました」
輝星は応接室を消灯し、
「ルージュから、何か報告は?」
「いえ、ございません。臨時拠点からの定時報告も、途絶えたままです」
「……」
ルージュ――
「(やはりあいつは敗北した……? だが、あの状態からどうやって……)」
藍珠からの報告には欠かさず目を通していたが、それによれば彼女は目白一織を洗脳・手駒とし、霧島廻も戦闘不能にまで追い込んでいたはずだ。メイン任務である魔導書奪取も、滞りなく進んでいたはず……。それが突然、まったくの音信不通になってしまったのだ。構成員が述べたとおり、臨時拠点のものも含めすべての連絡手段が通信不能になっている。
「(いや、あいつのことだ……重要な局面で最悪の見落としをしている可能性も、不本意ながら否めない)」
藍珠は彼の幼馴染だ。廻ほどではないにせよ、霧島邸でよく面倒を見ていたから知っている。藍珠は“そういう奴”だ。昔から彼女が何かをやらかす度に自分が――時には廻も――必死にフォローしたものだ。
「……本城代理? 研究フロアには行かれないのですか?」
「失礼。少々寄り道を」
エレベーターホールに背を向け、廊下を曲がる。ガラス扉にカードキーをかざし、柔らかい絨毯の敷かれた細い階段を降りていく。
「あ、ここは……」
「ええ、少し様子を見ておこうと思いまして」
辿り着いたのは小綺麗な扉。その向こうに広がるゆったりとしたスペースに上品な調度品の数々……。まるで高級ホテルの一室だが、カードキーと暗証番号でようやく開くその扉や、窓ひとつなく時計すら設置されていないその内装が、到底“宿泊客”をもてなしているとは言えないだろう。
「……“彼女”が、実質的なルージュの最後の報告ですからね」
輝星の視線の先に、ひとりの少女がいた。
身ぐるみを剥がされ、真っ白な病衣一枚のままベッドにうずくまる彼女。入り口の解錠を
「しかし代理……今の彼女から有益な情報が得られるとは……」
「いえ、今だからこそ、ですよ。……ほら」
「……っ」
ベッドの上で丸まっていた彼女はゆっくりと居住まいを正すと、震える両手を組み、祈りのようなポーズを取った。
「い、あ……。いあ、いあ、くとぅるふ、ふたぐん……」
そうして鈴は、虚ろな視線のまま賛美の言葉を呟き始めた。
それはかの旧支配者へ向けた賛美。精神を呑み込まれ、人類としての尊厳を深淵へと捧げること以外を良しとしない、正真正銘の“教徒”の挙動だ。
「ま、また……こいつ、一体……?」
「彼女は曲がりなりにも元・教徒です。短い期間ながらクトゥルフ由来の洗脳も施されていた。なぜ今このようになっているのかは不明ですが、藍珠……ルージュが波妃町にて敗れたことで『ルルイエ異本』の奪取が頓挫した今、彼女にも利用価値があると言えるでしょう」
5日前、ガーディアンの運転する輸送車で送られてきたときから、鈴はこのような状態だった。当然会話もままならず、どんな拒絶反応が起こるかわからないためハスターの術で洗脳して情報を引き出すこともできていない。如何なる意図があって鈴を送ってきたのか、問い質そうとしたタイミングで藍珠が音信不通となったのだった。
「(まあ、このような時のための『ルルイエ異本』だったとも言えるわけですが……)」
「いあ、いあ……くとぅるふ……ふたぐん……。いあ……いあ……っ!」
鈴が立ち上がり、よろよろと近づいてきた。そのまま彼女は、縋るように輝星の両腕を掴む。
「ほ、本城代理!?」
「……」
傍らの女性を視線で制し、輝星は微動だにしないまま鈴を見下ろした。彼女は相も変わらず賛美の言葉を呟きながら、何かを訴えるように輝星の腕を握りしめている。しかしその真意は、ここにいる誰にも汲み取れなかった。
「……ふん」
輝星が腕を振り払い、病衣の少女は絨毯の上を転がる。鈴はそれ以上何をするでもなく、倒れ伏したまま尚もぶつぶつと呟き続けていた。
「おぞましい……あろうことかハスター様のお膝元でクトゥルフへの賛美を捧げるなど……。本城代理、大丈夫でしたか?」
「……心配には及びません。とにかく、彼女は引き続き監視を。あの下品な小物共よりも、よっぽど重要な情報源となり得るのですからね」
「は、はい。かしこまりました」
少女のか細い呟きを背に、輝星は部屋を後にする。
「(……しかしまあ、随分と面倒な事案が重なったものですね)」
エレベーターから覗く夜空を見上げながら、輝星はその目を細めた。藍珠の失踪、狂信者と化した鈴の確保――このタイミングで母が渡欧し、『琥珀の星』の実質的な指揮権を得た輝星は、状況の複雑さを現在進行形で実感している。
……すべては自分のせいだと、彼は自覚していた。自分がいつまでたっても“星狩りの力”に馴染めないでいるため、計画は一向に進んでない。そうこうしているうちに周囲の小物共が動き出し、母が欧州へ駆り出されることとなった。吐き捨てた“反抗勢力”についても、滞りなく計画が進行していれば結成する隙すら与えなかったであろう。
そしてなにより――、
「(廻お嬢様……貴女は……)」
それどころではなくなったとは言え、現状を知る術のない波妃町の様子こそ、輝星にとって最も重要なものだった。
「(貴女は今、どこにいるのですか……?)」
夜景を見下ろす。
瞬く光のどこかに、もしかしたら既にいるのかもしれない――そんな微かな期待を、静かに飲み下しながら。
* *
同時刻。冷たい風と車の通過音が吹き抜ける高速道路沿いの廃倉庫にて。
「調子に乗ンのもここまでだ……本城家のクソどもが」
遠くにそびえるEPビルを見上げ、『鋼玉の瞳』の首領――久我山吾郎は苛立たしげに呟いた。周囲では何人かの組合員――いや、ここではやはり“構成員”と呼ぶべきか――がせっせと動き回り、何らかの準備をしている様子だ。
「吾郎さん、“上”から通達がありました。作戦に変更はない、とのことです」
「……ハン」
一同に緊張が走る中、久我山は不敵に笑って見せる。そうして彼が懐から取り出したのは手のひらサイズの黒光りする筒――フルボトルだった。
「プロジェクトMの頃から、俺たちァ随分と良いように使われてきた。これ以上高慢ちきなクソどもの思い通りになんてさせねえ……本城家にも、もちろん俺たちに“陽動”なんざ押しつけやがる外人どもにも、だ」
構成員たちは無言のまま肯定し、各々が黒光りするフルボトルを掲げる。
「新時代の支配者になるのは……俺たちだ!」
そして久我山も含め一斉にボトルを振り、その先端を各々の身体に突き刺した。
ある者は首筋に、ある者は腕に、ある者は胸に――。それぞれの接触箇所から大量の成分が流れ込み、使用者の肉体を変異させていく。それと同時に特有の副反応が発現し、彼らが抱いていた怒りや劣等感が強烈な闘争心へと昇華されていった。
幾重もの悲鳴が響き渡り、それらは次第に凶暴な咆哮へと変わっていく。こうして久我山ら十数名の男たちは、肉体も精神もヒトからかけ離れた存在へと瞬く間に変貌したのだった。
『はは……はははははハハハハハハハハハハっ!!』
廃倉庫の曇ったガラス越しに変わり果てた己の姿を見た久我山は、それでいて愉快そうに笑い声を上げる。
みなぎる力を感じる。確かな全能感を覚える。こんなもの笑わずには言われないだろう。同時に遠のいていった己の記憶のことなど、もうどうでもよかった。
『この力……ハハハハハッ! なんだ、なんだよ! こんなのがあればもう、邪神の力なんざいらねぇじゃねぇかよ!!』
自身を取り囲むのは、どこかずんぐりとしたシルエットを持つ漆黒の異形たち。かつての部下たちも自身と同様、たった今手に入れた力に感嘆の声を漏らしている。
『行くぞお前ら。……壊してやろうぜ、「琥珀の星」も、この都市も全部……! 俺たちの時代が来たんだと、証明するためになァ!』
怪物たちの咆哮が夜空へと打ち上がり、琥珀を砕く反撃の狼煙となる――、
はずだった。
『……あ?』
黒き異形たちの咆哮は、突如として飛び込んできた“音”に遮られることとなった。
より具体的に言うなら、それは破砕音だ。廃倉庫の壁をぶち破る音……たった今、自分らが高らかに上げようとしていた勝ち鬨よりも確かに鋭く、重たい音……。
続いて飛び込んできたのはエンジン音。月明かりに照らされる砂埃を裂くようにして、一台のバイクが姿を見せ、停車する。一対の眼のようなヘッドライトが、真っ黒な怪人の集団を静かに照らしていた。
『……なんだァ、テメエは?』
その静かながらも異様なプレッシャーを放つバイクの人物を前に、固まった思考を誰よりも先に回復させたのは久我山だった。彼はそのハリネズミを彷彿とさせる怪人態を震わせながら、目の前のバイクを睨み付ける。
『テメエ、「琥珀の星」の追っ手か?』
「……。……さあ、どうだろうな」
バイクの人物は徒党を組む怪人たちに怯みもせず、どこか緊張感のないようなフワリとした声色でそう返した。そしてゆっくりと、そのヘルメットを外す――。
『……!?』
その顔が露わになる瞬間、彼の身体が燃え上がった。
爆発するように、真っ白な閃光が彼らの視界を包んでいく。
その頃、少女は窓も時計もない部屋の隅にうずくまり、震える自身の身体を抱きしめていた。
「(“12月31日”……、“22時43分”……か)」
努めて冷静に、先ほど輝星の腕時計を盗み見ることで得た情報を反芻する。
「(生き残らなきゃ、なんとしても……)」
声は出さない。どこに監視カメラがあって、どこに盗聴器があるかわからないからだ。
「(一織さんと廻さんは……絶対に来てくれるから……!)」
ここがどこかもわからないが、“彼ら”の本拠地である以上、利用価値がある間なら安易に始末されはしないだろう。
相手の都合よく振る舞うのは、少女の得意分野だった。
かくして、各々の思惑と意志は集結する。
『「琥珀の星」の追っ手か、もしくは――』
ここは東京都。改めて語るまでもない日本の首都。
実質的に都市を支配し、己が野望を叶えるために動く『琥珀の星』。
そんな彼らを打倒するために結託し、下剋上を狙っている謎の集団・通称『アンチアンバー』。
そして……。海沿いの水槽を飛び出し、琥珀を噛み砕かんと迫る小さな勢力が、もうひとつ。
『――もしくは“仮面ライダー”か』
我が国の首都は今、世界の支配者を巡る三つの意志が交差し――混沌を極めていた。
『あんたらには、どっちに見える?』
お待たせいたしました。第5幕、開幕です。
そしてつい先日3000UAも達成しました。読んでくれている皆様、本当にありがとうございます。
余談ですがこの第5幕をもって本作は後半戦に突入です。早いものですね。皆様の応援のお陰です。(まあどうせ文字数が肥大化しまくると思うので1~4幕と同じ量で終わる気はしないのですが……)
多くの謎が明かされる第5幕、是非是非お見逃しなく。
と言うわけで次回
「5-2-A. 満太と藍珠」
東京都千代田区某所にひっそりと店を構える”2号店”。
手分けして探索を進める彼らは着実に、事態の核心へと近づいていく――。